夢物語を紡ぐ




「サスケくんは火影になりたいとかは 思わないの?」
「別に」
「…ふぅん」
「なんだよ」
「ううん、ただ…火影って…なんだろうって 思ったの」
「なんだろう?」
 それこそ『なんだろう』だ。
 サスケは鰹節が詰まった握り飯を食んだ。
「火影って、里一番の忍者のことでしょう?じゃあ、一番強い忍者になったら…火影なのかなっていうと…きっと、そうじゃないでしょう」
 現在火影の席に座る三代目はもう随分と高齢である。忍の教授(プロフェッサ)という異名も持つが、寄る年の波には抗えないのであろう。勿論里指折の強さを持つ忍者であることには違いない。だがしかしサクラは首を傾げていた。本当に三代目以上の忍者は木の葉にはいないのか、と。
「ナルトってさぁ、里一番の忍者になりたいって言ってるじゃない」
「そうだな」
「火影にもなりたいって言ってるでしょ」
「あぁ」
「…あのさサスケくん」
「安心しろ。聞いてはいる」
 聞き流しているつもりではない。適当な相槌しか打てないのは言葉が見つからないから。「じゃあ、サスケくんはどう思う?」と彼女が尋ねれば彼はゆっくりと口を開いた。
「影は…里長。長たる者は…強さのみでは成り立たない」
「…うん」
「だが慈愛のみでは守るべき者も守れはしない。時には非情でなければならない」
 サスケは握り飯を持ったまま目を細め、どこまでも青い空を見つめた。
 思い浮かべたのは、亡き父。木の葉警務部隊という名のもはや存在しない組織の長を勤めていた父親はよくそんな話をしてくれていた。夕食どき、厳(いかめ)しい顔のまま無言で白米を食べ、味噌汁をのみ、魚をつまみ。食後に母が作ってくれた甘味をつつきながらその話をしていた。
 優れた忍でなければ愛する人は守れない。だが能力がいかにあれど『守るべきもの』を持たぬ者には長としての資格はないのだと。
「オレたちは三代目しか直接知らないが…歴代の火影も、『そう』だったらしい」
「ナルト、火影になれると思う?」
「さぁな」
 生まれた時から両親を知らず、周囲からただ侮蔑を受けて育ってきた。忍者学校(アカデミー)に入学した頃はそれはもうひどいものであったという。三代目が親代わりとなり養育費を捻出していたという事実も相まってか、ただひたすら疎まれてきたのだ。
 それはサクラとて例外ではない。くの一クラスであった彼女は直接ナルトと関わったことは数えきれるほどしかないが、良い噂は聞いたことがなかった。様々な経緯があって卒業までこぎつけた彼は下忍となり、サクラとサスケと任務を共にするようになってからは周囲の風当たりも弱まったと感じていた。
「昔はさぁ、ナルトってすごく暗いやつだったよね」
 何日も洗っていない服、みすぼらしい食事。友人のいない生活。
「…」
 サスケは答えない。サクラのその言葉が悪意を持ったものではないとわかっていてもひっかかるものはある。さすがに服を洗っていないことはなかったし、今のように握り飯を作って食べていたサスケは元来の容姿もあってかナルトのように冷徹な反応をされることもなかった。
 だが境遇は似たようなものだったのだ。誰に話しかけられようとも気の無い返事、大人からは腫れ物扱い。三代目は随分とよく面倒を見てくれていたが、彼は『親』ではない。帰路は一人、家でも一人。ナルトを蔑むその声音が自らに向けられたもののようにすら聞こえた時もあったのだ。
 だからサクラのその言葉はちくりとサスケの胸を刺した。
「だけど今は 違うよね」
「!」
 少女の顔は朗らかだ。
「私さぁ、最初ナルトと同じ班になってがっかりだったのよ。あんなウザいやつと一緒なんて、ね」
 できればあなたと二人きりがよかったわ。そしてもう一人は何にも興味がなさそうなシノか、サスケくんに興味がないヒナタとか。私たちを邪魔するような人間じゃなければ誰でもよかったわ。聞くに堪えない少女の『幼い恋心』をサスケは聞き流し、「そうか」とだけ答えた。
「鈴取り合戦のときにサスケくん、お弁当をナルトにあげたでしょう?私それが意外で仕方なかったわ」
「…忍者をやめろと言われたんだ。一人じゃカカシに勝てないことは分かっていたから…ナルトみたいな奴でも、頭数が必要だった」
「もしかして私、最初から数に入ってなかった?」
「あぁ」
「……そう そうよね」
「あの頃はな」
「え…」
 今度驚いたのはサクラの方である。
「今は…違う。お前がいて、ナルトがいて…カカシの奴もいて。だから戦える」
「…サスケくん……」
「きっとナルトも同じだろうよ」
「……そうね」
 下忍としてこの第7班に配属されてから彼は変わったのだ。サスケとサクラと同じように。
 火影になると声を大にした少年の道は開かれ始めている。強さを手にしただけでは届かぬその道の意味をナルトはもう知っているのであろう。波の国での戦いをぼんやりと思い出してサスケは再び握り飯をかじり始めた。
 その様子を見たサクラは彼の隣にしゃがみこむと、「ねぇ」と少しばかり甘えた声を出した。
「ナルトが火影になったら私たち、火影の友達よ」
「そうだな」
「カカシ先生は火影様の先生で…サスケくんはきっと、火影様の一番の友達。私は火影様が憧れたくの一になれるのよ」
「…」
「10年後か20年後か…ずっと遠い未来かもしれないけど、なんだか私…楽しみになってきたわ」
「本当になれればいいがな」
 今のままじゃきっと無理だろ。
 サスケは指先についた米粒を舐めた。
「まだオレたちは下忍だ。何度も任務を積んで…強くなって、それから里のやつらに認めてもらわなきゃならない」
「ん」
「一人の忍者として、嫌われ除け者だったアイツのことなんて忘れられるくらい 誰にも認められなきゃいけない」
「だから、ずっと先の未来の話よ。あっさり火影になれるなんて私も思ってないもの」
「…もし」
 そう言ってサスケは一歩前へ進み出た。軒下から足を踏み出せば白昼の日差しが燦々と降り注ぐ。眩しいそれを浴びながらサスケはそろそろ集合時間になる、と日の高さを確かめた。カカシはきっと今日も遅れてくるであろう。ナルトはもうすぐ来るはずだ。『いつも通り』に『ウザい』言葉を口にしながら、ありったけの太陽を集めたような笑顔を携えて。
「もしアイツが火影の夢を諦めるって言うなら…オレが火影の座を奪ってやる」
「!」
「オレもお前もアイツの馬鹿みたいな夢に夢見ちまってるなら…何がなんでもアイツには夢とやらを叶えてもらわなきゃなんねぇ」
「……そうだね。じゃ、サスケくんが火影様を目指すようなことになったら私はナルトを焚きつける役ね」
 このままじゃ火影の座を奪われるよ?だなんて。
「二人だけの秘密ね。…あ、でもカカシ先生になら言ってもいいかしら」
「カカシも巻き込まなきゃ意味がないからな」
「そうね」
 第7班総出じゃなけりゃ一度折れたナルトを立ち直らせるのは難しいもの。
「あいつのことだ、きっとこの先も…お前の言う10年後も20年後も変わらず火影の夢を追ってるだろうな」
「うん。だからきっと…サスケくんが火影を目指す必要はないわね」
「オレは火影なんて器じゃないし、なるつもりもねぇからな。火影様なんて大層な役柄はナルトの奴にお似合いだ」
「未来の火影様の親友の席はサスケくんにお似合いで、火影様の憧れた女の子の席は私。火影様の師匠はカカシ先生。…決まりね。木の葉の未来は明るいわよ」
「三食ラーメン食ってる火影か」
「そうならないためにカカシ先生がいるのよ。野菜食べさせてあげなきゃ。…それから、アイツが一人で抱え込まないようにサスケくんと私がいるの」
「アイツの為に働くのか」
「そ。……素敵な未来だと思わない?」
 春先の自己紹介では将来の夢として自分勝手な恋心を口にしたことがはるか昔のことのようにサクラには思えた。
 今ではもう、ナルトの夢に乗っかること待ったなしだ。道は険しいに違いはないが、彼女の中ではどうしたことか火影椅子に踏ん反り返るナルトの姿が明確に描かれている。その隣には仏頂面のサスケが、反対側には大人になった自分が並ぶ。
 困ったことがあればカカシに頼り、大量の残業をサスケと二人して手伝ってやるヴィジョン。
 『自分勝手な恋心』が消えた訳ではなくて、きっとそのさらに進んだ未来では火影様の側近二人がめでたく結ばれている。なんていう幸せな未来なのだろう。サクラはそこまで妄想して、頬を赤らめながらサスケに視線をよこした。
「サ、サスケくんはさ…どんな、どんな未来がいいと思う?その…お嫁さん、とか」
「はぁ?」
「違うの!その…ナルトが火影になる頃ってきっと、私たちもいい大人じゃない?だから…その…」
「……考えたことないな」
「…………そっか」
 一族の復興を野望として挙げたサスケだが、そんな現実的な将来のことは考えていないと言ってみせた。あからさまな落胆を示したサクラに気遣うことなく彼は「どうせずっと先の話だ」とぼやく。
「うちはの血統は…里にとっても財産だ。どうせ近い血縁の女との縁談が降ってくるだろうな」
「!それって、お見合いって…こと?」
「うちはの分家はそうやって血をつないできた。…本家がオレ一人になったんだ、なるべく近い親戚を用意してくるに違いない」
「…」
「だが、そんなのは…きっと意味がない」
「意味が ない?」
 未来の火影はあのウスラトンカチなんだろう?
 サスケは少しばかり笑った。
「本当にあのアホが火影になれたなら…きっとそんなくだらない縁談は捨ててくれるさ。オレはオレの好きなように生きる」
「…」
 で、結婚相手については?なんて追求することはもうサクラにはできなかった。
 そのこと自体は残念であったが彼女はとても喜ばしい気持ちで満たされていた。じきにやってくる能天気なお調子者が火影になるという壮大な子供じみた夢に乗っかっていたのは自分だけでなかったのだから。目の前に立つこのクールな少年もまた、その夢に便乗してくれている。
 きっと幸せな未来ね。
 珍しく銀髪の師匠の方が今日は早かったらしい。イタダケナイ読書をしながら見えてきた人影にサクラは大きく手を振った。


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