うまれかわりて




 傷が治癒していく。
 もげた腕の断面は崩れることなく、まるで最初から腕など『無かった』かのように意識をも吹き飛ばす激痛は消え去っていく。無論、幼稚に殴りあった身体中は悲鳴をあげていたが、それでも痛みは軽くなった。
 同じことを隣に座り込むナルトも思ったのだろう。「サクラちゃん、すげぇってばよ」と弱々しい笑顔を見せていた。
「これ以上はもう治療しないわよ。少しは自分の自然治癒力の頼らなきゃ」
「もちろんだってばよ!これで…これなら、いつも通りあっという間に治るってば」
 命失わぬ限り。その身体に妖が潜む限り。ナルトは節に限りなく近い存在なのであろう。
 そう笑った『盟友』の横顔を見つめていたサスケはふと視線をそらし、傷だらけになった己の残された手指を見つめた。
「どうしたの、サスケくん。まだ…痛む?」
「いや…」
 割れた爪から乾いた血がぱらりと落ちた。
「よく…死ななかったと 思っただけだ」
「!……それ、私の台詞よ」
 周囲の惨状を見渡しサクラはわずかに呆れた声で告げた。柱間とマダラの運命付けられた像は完膚なきまでに破壊され、原形をとどめていない。皮肉にも和解の印を結ぶかのように瓦解した像の上に転がっていた二人は文字通り傷だらけだったのだから。
 命があっただけマシ。腕を失っただけで済んだ。ただ、それだけなのだ。
「死んでいれば…うちはの血は途絶えたのにな」
「バカなこと言わないで。それじゃ、私たち今まで追いかけてきた意味ないじゃない」
 さぁ、戻りましょう。
「早くみんなのところに戻って…無限月読をどうにかしなくちゃ」
 サスケとナルトの持つその運命の力で。彼らが刃を互に向けることなく笑いあえたのであれば、おぞましい『天国』とやらも破壊できる。サクラは二人に「立てる?」と尋ねた。
「…立てないって言ったら、サクラちゃん運んでくれるのかってばよ」
「そりゃね。カカシ先生のいるところまでなら、お安い御用よ」
 本当に?という疑いの言葉を待たずしてサクラは立ち上がった。
 そして、右肩にナルトを、左腕でサスケを抱え込むと、そのまま軽い助走とともに断崖絶壁を駆け上がったのだ!腕一本ずつ失ったとしても二人の体重は平均的なそれだ。チャクラを用いて筋力を増幅させているとはいえ、十七になった男子二人としては『たまったものではない』状況である。
 が、よく考えてみればこの場所までカカシをほぼ担いできたことを思えば多少重くなり人数が増えたところで問題なかったのであろう。
「…サクラ」
「ん?」
「…とんだ馬鹿力になったな」
 サスケにそう言われ、サクラは思わず赤面した。
 あっという間にカカシの元まで辿り着いた彼女は無言で二人を下ろすと、次はカカシの肩に腕を回し、「…行きましょ」と顔を背けたまま震える声を漏らした。
「サスケェ!お前ってば、なんつー言い方を…」
「別に悪く言ってるつもりはねぇ」
「女のコに言うコトバじゃねぇ!」
「…」
 じゃあ。
 怒ってしまったのか、二人を置いたまま状況の飲み込めないカカシを連れて先に地面を蹴った彼女を追おうと二人は同時に駆け出した。
「おい、サクラ!」
「…」
 サスケが声をかけても、彼女は振り返らない。
 だが彼はナルトを追い越し、カカシを担いだ彼女の真横に追いつくともう一度「サクラ」と名前を呼んでやった。 「…なによ。怪力で悪かったわね」
「そうじゃない」
 口先を尖らせた少女にサスケは大きなため息をついた。
 全くもって面倒臭い。彼はどうにか機嫌を取ろうとあれこれ一瞬にして思考を張り巡らせたが、機嫌を損ねた少女を笑顔にさせる方法など見当たらない。どうしたものかと考えても答えは見つからない。
 だからサスケは、
「強くなった そう言いたかっただけだ」
 偽りではない。
 サスケを殺そうと向かってきたこともあった。
 己の命を捨ててもサスケを『正気』とやらの世界へ引きずりだそうとしていた。
 人柱力となったマダラを相手にしても、創始者カグヤを目の前にしても一歩も引かなかった。
 転生者でもなく、写輪眼を持つでもなくその腕一本で戦ったのだ。
「ただの泣き虫だと思ってた」
「…」
「…変わったな」
「……みんな、変わったのよ」
 サクラは言葉を発した。
 平坦な感情がこもっていない声音であったが、続いて「あなたがいない間に」と告げたその声は細く震えていたのだ。
「私も、ナルトも…カカシ先生も、いのも、シカマルも、みんなみんな…変わったわよ」
 怒りはもう、感じられない。
 ただただ寂寥と遣る瀬無さに塗れた言葉に、サスケはただうつむいて相槌を打つことしかできなかった。







 かさぶたが痒い。
 しかしここで剥がしてしまえば、折角治癒の兆しを見せた身体の努力が泡と化する。剥がしてしまってもなんら問題はないのだ。どうせこっぴどくやられた打撲や骨折といったひどい傷が治るのは今からずっと先だ。
「…くそっ」
 痒みをどうにか忘れられないか。悪態をついても意味をなさないことはわかっていた。だが、そんなところにちょうど
「入るわね」
 というサクラの声が飛んできたのだ。
 彼女は花瓶に色とりどりの野花を挿してやってきた。花屋に並んでいる切り揃えられたものではない。道端に咲いているようなそれらをぎっしり詰めた花瓶をベッド脇の机に置くと、サスケの方を見やって苦笑した。
 その右腕がまだ残っている上腕にできた大きなかさぶたを剥がそうと逡巡していたからだ。
「もうかさぶたになったの?」
「見たら分かるだろう」
「…身体が再生しようとしているのよ。我慢してあげて」
「再生…」
 それは師が愛した言葉でもあった。
 この赤黒い硬い肌の下で蠢く血肉は今も『再生』とやらへ向かって細胞というちっぽけな塊が分裂しているのであろう。幾度となく分裂し、幾度となく滅んでいく。その繰り返しで人間は再生していくのだ。
「前に…言ったよね。みんな変わっちゃったって」
 カルテを両手で抱えた少女はまっすぐとサスケを見た。
「あぁ」
「変わったのよ、みんな。身体を作ってる骨も肉も…血も、サスケくんがいた頃のものじゃない。年老いた細胞は死んで、かさぶたみたいに『再生』しているのよ」
「…」
「勿論サスケくんもね。特に私たち忍は医療忍術を施されれば、その入れ替わりは一層早くなる。ナルトなんてきっと、去年と同じ細胞なんてほんのちょっとしかないんじゃないかしら。…それくらいに早いのよ、人間が『再生』するのって」
 じゃあ。
 サスケは再び「じゃあ」という言葉に続く文字列を探した。今回は言葉をつまらせてはいけない。そう思い、とっさに彼は口を開いた。
「今のお前と、今のオレは…初対面 なのかもな」
 笑えてくるほど間の抜けた返答であったが、サクラは微笑んでいた。
 彼が選んだ言葉が満足いくものだったのかはたまた愛しいほどに幼稚だったのか。そのどちらかはわからないが、彼女はとにもかくにもご機嫌な様相を見せる。
「…初対面なら、また…やり直せるかしら」
 最初から出会っていなかったかのように。
「本気か?」
 最後に仲間として出会ったあの頃とは全てが異なるのであれば。
「春野サクラ。木の葉の忍よ。それから…今はあなたの主治医で監視役。五代目火影綱手様の弟子で、階位は中忍です」
「……うちはサスケ。元は木の葉の忍。今は処遇待ちの犯罪者。師は同じく犯罪者の大蛇丸」
「…乗ってくれるんだ」
「うるさい」



「だけどこの身体はもう、あの頃の身体じゃないの」
 だから始めましょう。
 サクラはそう言って礼儀正しくお辞儀をして見せた。
「不束者ではありますが、今後とも宜しくお願い致します」
 新しいこの身体と、新しいその身体で。


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