花冠を捧ぐ




 花にはたくさんの意味があるのよ。
 例えばこの花には希望が、この花には絶望が。同じ花でも蕾か花か、黄色か赤か。そんな些細なことで意味は全く違うものになるの。
 仲良しの女の子が教えてくれたのはいつのことであったか。はるか遠い過去をふと思い返し、サクラはぷちぷちと無意識に引きちぎっていた玉簾の数を声に出して数え始めた。




 その友達が持つ綺麗な長い金髪に憧れたことがないといえば嘘になる。誰にでも好かれ、自分の意見をはっきりと主張して好きな男の子には積極的に話しかける。サクラもずいぶん社交的な性格になったし、おそらく里の誰もが幼少期にはいじめられていた奥手で暗い少女でしたと言っても信じてはくれないであろう。
 それほどまでに年月は流れていったが、相変わらずサクラの親友は長い髪の毛をこしらえて今日も金色を風になびかせていた。
「いいなぁ、いのは」
「いきなり何よ」
 互いに忙しい仕事の合間を塗って甘味処で休憩していたところである。美しい花を茎から中庭でぶちぶちと抜く姿がよほど『危なく』見えたのか、先輩であるシズネに息抜きしてきなさいと病院を追い出されたのだ。
 サクラが勤める病院には未だに二人の仲間が入院したままである。
 方やもう全快に近く毎日屋上でリハビリを続けているが、『もう一人』はそういうわけでもない。むしろ一人が、ナルトが異常なのだ。驚異的な回復能力は尾獣を宿していること以外にも生来の生命力が底知れぬのだろう。今頃はまた看護婦長に怒鳴られて病室に戻っているかもしれない。
「髪の毛綺麗でさぁ。私、伸ばしても昔みたいにサラサラにならないんだよね」
「年じゃない?」
「もう?」
「嘘よ、嘘」
 親友は、いのは笑った。
 幼い頃は互いに髪の毛を伸ばし、万寿菊と桜花のさらりとした髪の毛を風になびかせ切磋琢磨したものであった。
 それが今ではサクラの髪の毛はぎしぎしと痛み、伸びっぱなしの髪の毛の色は桜花そのものであることに変わりはないものの以前までの美しさは伴っていない。
「単に疲れてるのよ、サクラ。余裕ができたらまた髪の毛も元気になるって」
「…そうかなぁ」
「そうよ。私だって大戦中はいつも汗と脂と血で髪の毛ギットギトだったもん。切ろうかも迷ったけど…我慢した甲斐あったわ。それにねぇサクラ。あんた働きすぎなのよ、ちゃんと休まなきゃ…髪の毛以外もダメになっちゃうわよ」
 お肌も中身もね。といのにしては深刻な表情をしてサクラの顔を覗き込んで告げた。翡翠色の瞳の下には隈がじんわりと染み出しており、唇はバサバサと乾燥して皮が毛羽立っている。もともとスタイル抜群のいのに対して全体的に細身であるサクラであったが、今では『やつれて』細身になっているようにすら見えた。
「サスケくんのこと心配なのもわかるけどさぁ、ちゃんと休まなきゃ」
「それは…そう、だけど」
「だって本人が言ってたんでしょ?もう反抗する気はないって」
 どこまでも無表情でそういってのけたサスケの声をサクラは忘れられずにいた。むしろ木ノ葉に対する怒りや憎しみに満ち満ちた声でそう言われてしまえばよかったものの、諦めも希望もないフラットな声で告げられたのだから、彼女としては不安でたまらなかったのだ。
 かつて中忍試験の最中に絶対安静であるはずの病室から忽然と姿を消したり、イタチにかけられた幻術から回復したと思った途端にサクラを拒絶したりと彼の『入院生活』にはとにかく運のないサクラである。そのことを知っているいのだからこそ、「もっと気楽に構えなさいな」と笑った。
「またさと抜けでもしようもんなら今度はナルトだけじゃないわ、全員で止めてやる。…ようやくシカマルが中忍になって初めての任務が終わったんだもの、猪鹿蝶の一人として、それを無碍にするようなことはさせないわ」
「いの…」
「みんな一緒よ。同期の誰でもが思ってるわ。…三度目はもうないわ、次やったら絶対に許さない」






「…なにしてんだ」
 いのと別れたサクラは再び病院の中庭で玉簾をぶちぶち抜いていた。先ほどとは違って、今度は明確な目的があっての行動である。
 美しい白、汚れた白。様々なそれらを茎から抜いては足元に積み上げた。
「見てわからない?お花遊びよ」
「…」
 サスケは答えない。
「こうやってたくさん花を摘んで…繋げて、よくいのと遊んでもらったわ」
「アカデミーの頃か」
「えぇ。私、暗い子だったから…いのの後ろに隠れてることしかできなくて…生花の授業のときも、薬草学の授業も…ずっといのと一緒だったわ」
「付き合い、長いんだな」
 オレたちなんかよりも。とは言わなかったもののそう言いたげな口調である。
「そうね。いのがいなかったら私、ここにいないわ。そもそもアカデミーも途中でやめてしまってたかも」
 それくらいに後ろ向きな性格であったとサクラは自重した。たくさん摘み取った花の茎を器用にねじり、繋げ、次々と山積みにされた花を慣れた手つきで編み込んで行く。幼い頃よほど花あそびをしていたのであろう、迷いなく茎を捻りながらサクラは「でもね」と続けた。
「勿論いのに会わなかったら…今の私はいない。だけどいのと出会っても…サスケくんと会わなくても私、ここにはいないわ」
「オレ?」
「サスケくん、アカデミーでモテモテだったじゃない」
「…」
 否定の言葉はなかった。
 くノ一クラスでいつも不在でありながら話題の的となっており、キャアキャアと黄色い声を投げかけられ続けてきたのだ。さすがに無自覚ではなかったようだ。一度(ひとたび)手裏剣術の授業となれば誤差のない的確な投擲を披露し組手ではナルトを圧倒し、男子生徒からは羨望と嫉妬の視線を、女子生徒からは同じくして羨望と幼い嬌声を浴びたものである。
「クラスのみんながサスケくんのこと見てて、私もその人で…たくさんいる女の子のうちの一人でしかなかったけど…サスケくんに見てもらいたくて…修行、したんだよ」
「オレに?」
「サスケくんと同じ班になってからは…サスケくんがいなくなってからはもっと。あなたに認めて欲しくて…あなたに追いつきたかったから、ここまで強くなれた」
 言いながらも彼女の不健康な細い手の中では美しい花冠が形作られていく。純白、土で汚れた白。時には花弁のもげた萼。アンバランスながらも彩られていくそれをサクラは綺麗な円形に輪廻した花冠を斜陽にかざし、「よし!」と声を上げた。
「いのが、サスケくんが、ナルトが…みんないてくれたからこそ…今の私が在るの」
 いつの間にかサスケはサクラの隣に座り込んでいた。両親が生きていた頃にはよく兄と遊んでもらってはいたものの、男兄弟の遊びには花遊びなど入っていなかった。川で水切りをしては手裏剣修行だとはしゃぎ、花に触れることがあれどそれはあくまで毒草の知識を増やすため。矢に塗れば大猪だってへっちゃらだと。
 手先が不器用なサスケではないが、みるみるうちに可愛らしい冠をつくりあげたサクラの様相に思わず声を上げた。
「すごいもんだな」
「えっ…」
「花冠。オレにはできる気がしねぇ」
「そりゃ、片腕だと大変よね」
「…」
「いいじゃない、これくらい言わせてくれたって」
 ちくりと刺した乙女の言葉にサスケは機嫌を損ねることなく「フッ」と久方ぶりの(とはいえ帰郷してからは何度か聞いたが)クールな声を出した。
「じゃあそのアカデミーでせっせと花遊びを極めたお前に、作り方でも教わるか」
「はっ…えっ…サスケくんいま、なんて?」
「暇つぶしに付き合え」
「……」
「…お前が忙しいことくらいオレでもわかっている」
 彼女がサスケの病室にやってくる時は決まって昼休みであったり夜中であったり。日中にやってくることもあるが、ほんの少し会話をしただけですぐに仕事に戻っていくことを知っていた。だからこそサスケは付き合え、と告げたのだ。
「息抜きの相手くらいにはなってやるよ。別に花弄りじゃなくてもいい」
「…優しいのね」
「お前には借りがある」
「腕の分とか?」
「…」
「あ、私を殺そうとしたこと?敵と一緒に殺そうとしたこと?それとも役立たずって言ったこと?」
 とんだ連続攻撃である。
 目頭が痛くなるような錯覚を覚え、サスケは思わず右手を額に当てながら「もうなんでもいい…」と数秒前の発言を口元に確かな笑みを浮かべながら悔やんでみせた。


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