おとめのさくりゃく




「…伸びたね、髪の毛」
「そうだな」
 ずいぶん切っておらず、長らく伸びっぱなしとなった髪の毛は『みすぼらしく』見える。
 それでも顔立ちがとんでもないほど整っているのだから悪質というやつだ。裾がほつれたマントに、布切れと化したターバン。靴底はすり減り布を巻いて補強しているものの、そろそろ物理的に全壊する日も近いであろう。
「サスケくん、髪の毛洗ってる?」
「…」
「嘘…」
「お前だって任務中は風呂に入らないだろ」
「当たり前よ、任務だもん」
 それとこれと話は別よ、といえばサスケは振り返り、「ずっと入ってない訳じゃねぇよ」と言った。
「取れそうな時はいつも宿を取っているし、最悪水浴びくらいはしてた」
「…うん」
「どうした」
「……私の中にあったかっこいいサスケくんの像がね…少し、崩れたわ」
「…」
 クールでイケメンでいつも爽やかな若草の匂いをさせていたサスケくんはもういないのね。
 サクラはうなだれ、肩に乗せていた腕をそのままずらし、後ろから思い切り抱きついてやった。やめろという形だけの非難を無視し、最後に風呂に入ったのは一週間は前かもしれないという言葉を全て忘れてサスケの首筋に顔を押し付けた。
「なんでかなぁ」
 すんすんと動物のようにわざとらしい音で匂いをかいでみれば、確かに若草の匂いはしない。
 泥と砂、それからすこし汗臭い。
「幻滅したか?」
「そうじゃないわよ。でも…サスケくんって割と綺麗好きだったじゃない。それが意外よ」
「残念だったな」
「…それがさぁ、残念じゃないんだよね」
「は?」
 ぐりぐりとさらに顔を押し付ける。いい加減形だけではなく、サクラの体を引き離しにかかったサスケの右腕を彼女は払うと、体全体でのしかかるように体重をかけた。重いという次なる言葉はもちろん無視、だ。
「きったないサスケくんも好きなの、私。…私が好きだった憧れのサスケくんって、髪の毛いつもサラッサラで、綺麗な服着てて、いい匂いして、汗かいても草っ原みたいな匂いだったはずなのになぁ…」
「とんだ気持ち悪い妄想だな」
「そうなの。妄想だったのよ。今のサスケくん、髪の毛はボサボサだし、服もみっともないし、汗くさいし。……なのになんでだろう、私、サスケくんのこと大好きよ」
「…恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいに決まってるわよ」
 明け方が近い夜中とはいえ、公道の真ん中で妙齢の男女が睦み合いをしているのだ。時折任務に出立する忍たちが目を丸くして通り過ぎ、なおかつその片方がうちはサスケであることをも認識してしまった者はあっという間に目をそらし、足早に逃げていく。
 いい加減この場から逃げ出したい衝動に駆られているサスケだが、首を締め上げられるほどに抱きついてくるサクラの力は強い。
「今度はいつ出て行くの?」
「…すぐにでも。カカシに用事があっただけだ」
「私にはないのね」
「あぁ」
 里の入り口で捕まっただけだ。サスケはそう言った。
「私が火影様になれば、サスケくんも会いに来てくれるのかしら」
「オレのでっちあげた報告書を読みたいならな」
「それでもいいわよ。会いに来てくれるなら」
 そこまで言って、サクラは一度言葉を切ってから続けた。「…あのねサスケくん。カカシ先生のところ行く前に、デートしない?」
「…」
「別に特別なことしようっていうんじゃないのよ。カカシ先生のところには明日行けばいいじゃない。もう遅いし、髪の毛洗って…服も変えて、私が髪の毛切ってあげるから」
「クナイで髪の毛切る女には任せたくない」
「ひどい!」
 サクラはそう声を上げた。
 サスケが指摘したのはそう、中忍試験の二次試験会場であった死の森での出来事だ。敵から逃れるため、隙を作るためとそれまで長い間伸ばしていた髪の毛を覚悟して切り落とした時のことを言っているのだ。
「仕方ないじゃない!あれは…」
「髪の毛、伸ばさないんだな」
 サクラが言葉を続けるより先に彼は話を断ち切った。
「えっ…」
「また伸ばすものだと思ってた」
 それまでずいぶんと長かった髪の毛を切り落としてからというものの、確かにサクラは伸びるたびに髪の毛を短く整えていた。針金のように硬いくせ毛だということもあって、伸ばしたところで手入れが大変になると分かっていたし、そもそも伸ばしていた理由を考えてみるとバカバカしくなって伸ばすのをやめたのだ。
 サスケくんが髪の毛長い子の方が好きって、誰が言ったんだっけな。
 サクラはぼんやりとそんなことを考えながら、「いいでしょ、別に」とはぐらかした。
 今ならわかる。彼が長髪好きだという言葉に根拠はあまりなかったのだ。ただ、彼の両親そして兄弟は長い髪の毛をしていて、マダラを見ても長髪であった。単にうちはに長髪が多かっただけなのであろう。
 そう分かってはいたが、あえてサクラはいたずらっぽく尋ねた。
「…サスケくんは髪の毛長い方が、好き?」
「…別に」
「でしょ。だから伸ばさなくていいの」
「オレが好きだと言ったら伸ばすのか?」 「まさか。短い方がすごい楽だもの。いの見てたらわかるよ。毎日お手入れ大変みたい」






 夜明け近い時間にサスケを銭湯に放り込んでから、三十分。のれんの外でしゃがみこんで待っていたサクラの元にやってきたのは、『憧れ』だったサスケに近い彼であった。長い髪の毛には代わりないが、洗いたてのシャンプーの匂いがした。
 若草のような匂いはやはり復活していて、よくわからないシャンプーの匂いではなく、この若草の匂いはサスケ自身のものなのであろう。みすぼらしいとサクラが指摘した服は片手にまとめ、サスケが風呂に入っている間にサクラが急いで彼女の家から借りてきた父親の着物をまとっている。片腕しかない分、うまく着れなかったのであろうがずいぶんとマシだ。
「帯、しめてあげる」  腰に手を回し、慣れた手つきで腰紐を結んでやればできあがりだ。
「…これで満足か?」
「とりあえずは、ね。ほらその服、貸して。洗濯してほつれてるところ、直してあげる」
 有無を言わさずにサクラはその布たちを奪い去った。
「…今日にでも出発すると さっき言ったはずだが」
「そうよ。だから新しい服着ていけばいいじゃない。次戻って来たときにこれは返してあげる」
「…」
「……そしたら、私にも会いに来て くれる?」
「…それが狙いか」
「乙女の戦略よ」
 このままサスケはカカシのところへ立ち寄らず出て行きたい気分になってしまった。が、今サスケが持っていたものは全てサクラの手元にある。この身一つで出て行っても構いはしないが、できれば刀と兵糧丸を入れたポーチくらいは返して欲しいところだ。
 とはいえ彼女は返す気など毛頭ないのだろう。サスケは大きくため息をつき、「仕方ねぇ」と呟いた。
「明日」
「ん?」
「店が開く頃に家に行く。…服選びくらい付き合え。それから髪の毛もどうにかするっていうなら好きにしろ。次は当分帰るつもりはない、その服は捨てても構わねぇ」
 と。
 全てを諦めて投げやりになった声音で彼はそう言った。
「…ごめん、なんか」
 それに対してサクラは弱々しく、少しばかり真面目に謝罪の念を込めて言った。
「構わねぇよ。どうせお前と出くわした時点で…こうなるのがオチだとわかっていた」
「ん」
「次は全力で逃げるからな」
 次もちゃんと戻ってくるのね。
 サクラはそう言わなかったが、少し笑顔を取り戻して「そうね」と言った。「次も全力で追いかけるから、覚悟しててちょうだい」
 朝日が昇る木の葉の里を二人歩き、揃って昼をとうにすぎるまで寝過ごしてしまったのはまた、別に話となる。


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