『彼女』という認識
薄ら寒い風が吹いた。
三代目火影という大黒柱を含め、今回の『木の葉崩し』という『戦禍』に呑まれた者たちの葬儀が終わる頃、季節外れの凍える風が木の葉一体を覆った。過去を嘆くばかりでは先に進むことなどできはしない。命を失った三代目もまた、家族である里の民が悲しみに暮れて未来から目を背けることを望みはしないであろう。
だが、ただ一時の悲しみに暮れることすらをも許さぬ者ではない。
喪服に包まれた同期たちとともに無言のまま帰路につけば、サスケの隣を歩いていたサクラがちらりと視線をよこしてきた。
「あ、あのねサスケくん…その、」
「アザのことならもう平気だ」
「!…う、うん」
全く信用していない声であった。それもそうであろう。彼女は誰よりもこの首筋に潜む呪いを気にかけていたし、封印を施したことも知っているはずだ。だというのに我愛羅と戦っている最中に危うく再び暴走寸前まで追い込まれてしまったことを彼女は知っている。
疑いではなく、心底の心配がこめられた目にサスケは言葉を選びながら、「平気だ」ともう一度続けた。
「チャクラを使い過ぎなきゃ暴走しねぇ」
「そうなの…」
「あの時は…三発目の千鳥を使わなければ死んでいた」
「…」
生きるためだったと彼は言った。そうでなければ今頃サスケもまた、おぞましい化け物へと変貌した我愛羅に殺され弔われる側になっていたのであろう。
だから、と彼は言ったがサクラの表情は晴れない。
「私が心配しても…きっとサスケくん、変わらないよね」
その力に溺れないでと訴えても、危ないことはしないでと言っても。サクラはどこか諦めた調子である。
「不満か」
「そうじゃないわよ。ただ、サスケくんもナルトもすぐに無茶するから…私のいないところで怪我されると心配なの」
だって私たちスリーマンセルでしょう?いつも置いてきぼりの私は大変なのと彼女は寂しげに言った。だが、彼は「お互い様だろう」とやはり不機嫌そうな顔で返した。
「お前、我愛羅の前に飛び出しただろう」
「えっ…」
「オレを守るためだったか知らないが…見ているこっちの肝が冷えた」
「サスケくん…」
「だからお互い様だ」
そう言って彼は少し、立ち止まった。気づけば周囲に人影はない。言葉少なにそれぞれ解散していったのであろう。ナルトの姿は見えなかったが、イルカと二人で歩いているところを見たとサスケは言った。なら、一楽ねとサクラはようやくそこで笑顔を浮かべた。
「…こんなことになるって 思わなかったなぁ」
「木の葉崩しを予想できたやつはいない」
「それはそう、だけど… だって、私たち下忍になったの…最近だったから」
「確かに…そうだったな」
鈴取り合戦をして、Eランクの任務を繰り返して、それから波の国へ行って。
少しばかり年上の忍と死闘を繰り広げその厳しさを身を持って知ったのははるか昔の出来事のように思えるが、実際のところそうでもない。あの国での命をかけた戦いの後にはまた比較的平穏な日々が続き、そして。
「中忍試験…ずっと前のことみたいよね」
「あぁ」
「死の森…大変だった」
「あぁ」
「あのあとの一騎打ちのあと、サスケくん入院しちゃったし」
「そうだったか?」
「すぐ脱走したから覚えてないだけよ」
「…」
カカシにつれられてただひたすらに修行をしていたことをサスケは思い出した。
来る日も来る日も初めは基礎体力作りと称したトレーニングばかりであった。山を登り、崖を登り、川を渡り延々と森を駆け抜け。スパルタともとれるひたすらの体力作りの後、ようやく術の修行に移ったのだ。
それからもまたひたすらにチャクラを練る修行から初め、何度もうまく調節できずに自らの腕を焼いたことか。
サスケは包帯だらけの左腕を眺めた。
「…少しは 強くなれたつもりだった」
「十分強いじゃない」
「我愛羅には勝てなかった」
「…」
「ナルトのやつ、いつの間にか強くなってやがったしな」
「そうね」
「…まだまだ修行しないと どこにも辿り着けはしない」
どこか遠い目をしたサスケに、サクラは慌てて話題をそらそうと声を上げた。
「ね、サスケくんそういえば…そう、髪の毛伸びたよね?」
あまりにも関係のない話しであったが、今の話題は危険すぎる。目元に暗い影を落としたサスケを現実に引っ張り戻そうと言葉を上げたサクラに、彼は怪訝な顔を向けた。
もともとは短い髪の毛であった彼のそれはずいぶんと長いものとなった。
目元が隠れるほどの前髪に、ツンツンと跳ね広がった後ろ髪。サスケは自らのそれを左手で触りながら「そうだな」とつぶやいた。
「もう少し伸びれば…落ち着くと思ったが」
「髪の毛?」
「あぁ」
まだ長さが足りないらしい。彼の予想としては、髪の毛さえ伸びればその頑固なくせ毛も自重で下り、ネジのようにとまではいかないが『うまいこと』いくと思っていたのだろうか。サクラはくすくすと笑って「でも似合ってるよ、それも」と言った。
「しばらく見ないうちに印象変わったなぁって思ったけど」
「お前もな」
「私も?」
「髪の毛。森で切ったろ」
それよりも前はずいぶんと長い髪の毛をしていたことをサスケは覚えていた。名と同じ桜花色の髪の毛をした少女の髪は一度、切り落とされた。花びらが散るように髪の毛が戦場に散り、後に彼女の親友が整えてくれたものの短くなったことに変わりはない。
その印象が強かったサスケは、確かに久々にしっかりと見るサクラの髪が少しばかり伸びていることに気づいた。
「…伸ばさないのか?」
「うーん…どうしようかなぁ」
「アカデミーの頃ずっと伸ばしてただろ」
「!」
誰のためよ。
サクラの心の中にはそんな言葉が浮かんだ。
「サ、サスケくんは…どっちがいいと思う?長いのと…短いの」
「…」
ややあって、彼は口を開く。「どちらでもオレには関係ない」と。
その瞬間がっくりと肩を落としたサクラであったが、直後にサスケはサクラの方を見ることなく続けた。
「別にどちらでも変わらないだろ。お前はお前だ。お前がどうしたいか だけだ」
「!」
じゃあ髪の毛が長い女の人が好みっていうのは嘘だったの?
再びサクラの『内』は頭を抱えた。だが、彼の物言いは決してサクラ自身に興味がないといったものではなかった。サクラ自身を認知している今、彼女が長い髪の毛であろうと短ろうと関係ないという意味なのだ。
それに気づいたのであろう、彼女は少しばかり機嫌よく顔を赤らめ、「そうねぇ」なんて言葉を口走った。
「きっかけがあったらまた…伸ばすかもしれない。でも、しばらくはこのままかな」
動きやすいしね。
そう言って恥ずかしくなり突然足を速めたサクラに首を傾げながらも、サスケは彼女に追いつこうと彼もまた駆け出した。
「伸びたな、髪の毛」
「?」
サクラは首をかしげた。
「…アジトで見たときはもっと、短かったと思ったが」
「…それ、ずいぶん前よ」
「そうだったか?」
「そうよ」
左腕の包帯を交換する彼女の手際は慣れたものだ。
平静を装ってはいたが、サクラの心中は穏やかなものでは到底なかったのだ。なにせサスケが、全てを断ち切ったという彼と再会したかつての一時のことを覚えていたからである。どうせ背景のように見られていたのだと思っていたが、そうではなかったようである。
彼はサクラの髪の毛を見、右手を伸ばしてその先端に触れた。
「…きっかけとやらがあれば…また伸ばすのか?」
「覚えて、たの」
さすがに触れられてまで平穏を装うことなどできない。
思わず手を止め、顔を赤らめ俯いたサクラにサスケは「あぁ」と言った。ちらりと目線を上げて彼の顔を隠し見れば、彼もまたサクラと同じくして頬を朱に染めていることに気づく。
「サ、サスケくんは…髪の毛、長い方が好きなんだっけ…」
「…いや」
「そ、そうなの?私はてっきり…」
「お前はお前だろう」
「!」
どこかで聞いた言葉だ。サスケは顔を赤らめたままであったが、そのまま続けた。
「長かろうが短ろうが…サクラに変わりはないからな」
それからすぐにお互いに顔を真っ赤にし、しばしの間沈黙したまま黙り込んでいた。