人生にっき




 昼下がりの院内は恐ろしく静かである。
 時折、急患が運ばれてきては一瞬だけではあるがバタバタと騒がしい音が耳を打つが、大半の時間は窓硝子越しに聞こえる小鳥のさえずりが甘く耳朶を撫でるような静寂だ。
 そしてもう一件、暇ではあるがサスケにとって平穏なこの時間を破壊する『厄介者』があったのだ。
「サスケェ!」
 出た。
 体の節々がまだ痛み、起き上がっているのが億劫な状態であるサスケに対して、容赦なく病室のドアをノックもなしに乗り込んできた『厄介者』はもうすっかり傷の具合はよくなっている。望んで得た回復力ではないが、サスケはそれが今は羨ましく思えた。
 とっととこっちだって体動かしてぇんだ。
 ぼやけども意味はない。
「…今度はなんだ」
「なんだじゃねぇってばよ」
「ちょっとナルト、もう少し静かになさいって」
「サクラもか」
 もう一人のお節介焼きも一緒ということは今日は暇つぶしに事欠かないであろう。彼らが手荷物のは色とりどりの巻物である。
「面白いもの見つけたんだってばよ」
「そうじゃないでしょナルト。」
「えっ…あぁ、 そうだ、具合どうだってばよ」
 一応の目的は見舞いであるようだ。
 サスケは目の奥からガンガンと頭痛が気だるさを訴えかけているのを自覚しながらも、上半身を起こして右手で髪の毛を掻き上げた。「見て分からねぇか」と不機嫌丸出しで答えてやれば、ナルトは気まずそうな笑みを浮かべた。
「そ…そうかってばよ」
 痛み分けだったはずだ。お互いにお互いを完膚なきまでに叩きのめし、事実無限月読の解術が終わった直後に二人揃ってひっくり返ったのだから、ナルトとサスケは同等に傷を負ったはずである。だが、肉体の治癒が始まってみればもはや同様などではない。
 九尾の力を使いすぎたこともあったが、それでもあっという間にナルトは全身の傷を癒していったのだ。満床だからといってベッドを追い出されるほどに回復していった隣でサスケはいつまで経ってもほぼ寝たきりであり、今もまだ周囲を徘徊できるほどの体力はない。
「誰のせいだよ」
「……スミマセン」
「謝るな」
「もう、そういうのはやめなさいって」
 サクラは思わず二人の合間に入り、ベッドサイドの椅子に腰掛けるとその手に持った巻物を広げて見せた。
「…なんだ、これは」
「日記よ。さっきね、ナルトの部屋掃除してたら出てきたのよ」
「他人の日記なんて持ってきてどうするんだ」
「感動のお話しがあるのよ。サスケくんも無関係じゃないんだから」
 感動?
 ナルトはにこにこしながらサクラの横にこしかけ、彼が持っていた青色の古びた巻物を広げ始めた。
「これってば、オレがアカデミー入った頃につけてた日記だってばよ」
 見てくれ、とナルトはそれをサスケの真正面に向けた。汚く崩れた文字が踊るその巻物には、


 今日の朝は 牛乳を飲んだ
 今日の昼は イルカ先生と一楽だった
 今日の夜は 牛乳を飲んで カップラーメンを食べた


 なんて食事メニューだけが記されていた。そんなもの日記じゃねぇと軽く罵ってやっても、彼はにこにこしたまま「ほんとだってばよ」と言うばかりである。一体こんな中身のない日記のどこが感動ストーリィだというのかは知らないが、サスケはとりあえず続きを待った。
「それから、この次に書いたときも全く同じで…」
「ちょっと待て」
「ん?」
「日記だろう。なんで毎日じゃない」
「だって退屈だったんだってばよ。毎日なんて書いてられねぇし…」
 毎日同じことの繰り返しだったからな。ナルトは少しばかり目を閉じてそう言った。次の『日記』は二週間後。やはり朝は牛乳を飲み、この日は腹を下したようだが昼はイルカ先生と一楽。そして夜は再び古くなった牛乳を飲み、腹を下し、カップラーメン。
「こんなの書いた覚えももうねぇけど…アカデミー卒業するまで、ずっとこんな感じだったんてば」
 それから先、確かにナルトの言う通り日記はラーメンのことばかりであった。
 今日のテストはダメだった。一楽がおいしかった。イルカ先生が一楽に連れて行ってくれた。サクラちゃんはかわいい。カップラーメンも飽きてきた。サスケは嫌い。一楽のチャーシューが一枚増えていた。ラーメン、ラーメン、一楽。
「話はこれからなのよ、サスケくん」
 サクラはそう言いナルトが広げていた巻物を下ろすと、彼女が持っていた赤いそれをくるくると広げた。二本目の巻物はアカデミーを卒業してからのものである。サクラも、サスケも卒業し下忍となった際にもらったいわば『記念品』の巻物をナルトは日記に使っていらしい。
 広げ初めて最初に目に飛び込んできたのが、大きく汚い文字で「未来の火影うずまきナルト!」なんていう文字列だ。続いて第7班の面々の名前が大きく書かれており、意図的にサクラの名前は綺麗に、そして『うちはサスケ』の文字は汚く隅っこに追いやられていた。
「いつかカカシ先生のマスクを剥ぎ取ってやる…お前、最初からこんなこと考えていたのか」
 ひやかしたサスケの口元に浮かんだのは、僅かな笑みだ。くるりくるりと巻物を広げるたびに踊る文字は増えていく。サイが見たら卒倒しそうなほどに出鱈目な絵が描かれ、時折似顔絵が描かれる。波の国へ行った、木登り修行をした。忍ってなんだろう。中忍試験、サスケの兄。自来也との修行に、綱手姫との邂逅。
 ただひたすらにナルトはその道で出会った人々のことを書き連ねていた。
 楽しかった、面白かった、悲しかった。もっと頑張る。そんな幼稚な言葉で飾り立てられた感想ばかりではあったが、意味はサスケにもサクラにもよく分かっていた。
「これ…このとき、覚えてる?」
「当たり前だ」
 全部覚えている。雪の国で女優にサインをもらったこと、病院の屋上であわや殺し合いに(今思えばただの可愛い喧嘩であったが)発展しかけた決闘をしたこと。サスケを連れ戻すとサクラと約束したこと。それから長い長い自来也との修行の旅に出てからのこと。
 里へ戻り、サクラが成長していたこと。新しい班員サイのこと。ヤマトのこと。サスケが遠くなってしまったこと。近づけなかったこと。
「確か…サスケと大蛇丸のアジトで会った頃に、紙がなくなっちゃったんだってばよ」
 ぎっしりところ狭しと敷き詰められた思い出の数々をなぞっては懐かしいなぁとこぼす。
 感動秘話という安っぽい言葉で片付けることはできない。ナルトの時間は下忍になったあの日から、サスケとサクラとカカシに囲まれたあの時から動き始めたに等しいのだ。真っ白な巻物に空白だらけでただ書き連ねられた食事の話はいつのまにか全て消え去っている。
「オレってば、すげぇ大事こと忘れてたんだ」
 サクラのように高揚した様子はもうない。随分と落ち着き払った様子をして左手で巻物を片付け始めた。
「サスケのことは…ずっと 友達だと思ってる それは変わらないんだってば」
「…」
「サクラちゃんのことも大事な仲間だって思ってる」
「…」
 でも。
 ナルトはゆっくりと言葉を噛み締めながら告げた。
「二人はさ、オレの時間を動かし始めてくれたんだってばよ。…二人がいなかったらオレ、ずっとラーメンのことしか日記に書けなかった」

 きっとサスケとサクラでなくてもよかったのであろう。
 そこにいたのがキバでも、シノでもあるいはヒナタでも。第8班の面々であってもナルトの日記が黒く染まったであろうことは事実に違いない。それでもナルトは笑っていた。他でもないサスケとサクラに出会えたその日から彼の時間は動き出したのだと。
「ありがとう。サスケもサクラちゃんも、大事な仲間って前に…命の恩人だってばよ」


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