未遂




「(これもまた…きっと都合のいい 夢ね)」
 あるいは幻術か。そのどちらにせよサクラに心当たりはあった。だから今こうして彼女の身体を組み敷いている隻腕の男が、本当に想い通わせたサスケであるかを確かねばならないという思考が彼女の頭をよぎった。
「あなたは…誰」
「…頭でも打ったか?」
「打ってないかを確かめたいの。あなたは、誰なの?」
「お前が望むなら誰にでもなってやるよ」
「謎かけはやめて」
 サクラは身をよじり、男の身体を押し返そうとした。だがびくともしない体躯はむしろ彼女との距離を詰めてくる。「ねぇ、待って…」というサクラの言葉など無視し、男はぐいと強い力で押される左肩のことなどなんら気にしていない様子でサクラの耳元で囁いた。
「お前が無防備な格好をしているから悪い」
「…私のせい?」
「当たり前だ」
 そんな自分勝手なことを言う男は、やはり一人しかいない。
 ではこれは幻などではない、現実なのだ。





 発端はサクラが化粧をしていた。ただそれだけのことだ。
 彼女は自室で鏡台の前に座り込み寝巻きのままで濃い化粧を顔に施していたのだ。生気すら失われたような白い顔に、血よりも赤い紅を乗せて。目元には色艶めく朱色を置いた彼女の背後から襲い掛かったのが、サスケだ。
 そのまま乱暴にベッドに彼女の体を投げ出した彼は土足のままその身体にのし掛かった。そして、サクラの混乱へと至る。
「ねっ…やめ、やめてよ」
「うるさい」
 こんな似合いもしない化粧をして。
「せめて靴、脱いでよ…」
 ここは私の部屋よ。とうに両親が寝静まった時間帯とはいえ、あまり暴れれば物音に気付かれてしまうかもしれない。サスケは一度おとなしくなると、サクラの腹の上に跨ったまま器用に右手だけでサンダルを脱ぎ去り、床に放った。
 彼がたまに木の葉の里にふらり立ち寄っては、家主の許可なくサクラの部屋に侵入することは多々あった。
 決まって深夜、彼女が寝ようかとベッドに入ったそのときに現れる。土埃がついたままの格好で入ってこられてはたまったものではないと毎度サクラは非難するものの、拒否したことはない。ただ世間話をして、ただ狭い女子の一人用ベッドで眠る。それだけのことだったはずだ。
 それがどうしたことか、今日という日に限ってサスケはサクラを突然として押し倒したのだ!
「これで文句ないだろ」
「あるわよ」
 ないと思った?と問えば、サスケは答えず、ただじっとサクラの瞳を見つめた。
 期待していなかった訳ではない。
 恋人を持つ友人たちはなかなか『よろしく』やっている様子であったし、夜中に想い人と睦言をするでもなくただ同じベッドで眠るだけの逢瀬に飽きてきたという気持ちもある。だが、突然すぎて心の準備などできていなかったのだ。
「なんで…今日なの」
「お前が誘ったんだ」
「はぁ?」
「そんな化粧して…どうせじきに色任務の訓練でも始まるんだろう」
「……なんでサスケくんが知ってるの」
「当てずっぽう」
「茶化さないでよ!」
 サクラとしては、一大事だったのだ。
 成人を迎えるまではと気を利かせてくれていた綱手も、火影の立場を退いた以上サクラのみを特別扱いすることはできなくなった。ただでさえ弱体化している木の葉の里に奇襲をかけようとする輩は少なくない。そんな狼藉者から情報を聞き出すために、多くのくの一が身体を使って任務に従事していることはサスケも知っていた。
 なにせ世界中を転々としているのだ。そのような任務を遂行中であろう怯えたくの一を何度か見ていた。
 だから、サクラが似合わぬ厚化粧をしていた姿を見ればすぐに合点がいったのだ。
「茶化してない」
「…みっともないって 思った?」
「…」
「明日から…綱手様に修行をつけてもらうの。…『訓練』の相手になってくれるのは暗部よ、素性も知れない男だから…後腐れもないって」
「…」
「何か言ってよ。…私、惨めじゃない」
「惨めじゃない」
「慰めないでよ」
「何か言えと言ったのはお前だろう」
 サクラは泣いていた。真っ白な肌に浮かんだのは頬の赤らみ。目元の朱、上気した生身の赤、唇の紅。瞬間、サスケの背筋には恐怖にも似た電流のような感覚がほとばしる。ぞくぞくと加虐心が刺激され、思わずサスケはいつの間にか左肩を押すサクラの力が弱くなったことに気付きそのまま彼女のやわらかい耳たぶを舐めあげた。
「きゃっ…や、やめてって…」
「お前、バカだろ」
「私は本気よ…!他のみんなだって、じきに…  あっ、」
 そのまま舌は顎、首筋、そして鎖骨へ。身をよじるサクラであったが大した抵抗になりはしない。彼女は足をジタバタとよじらせていたが、ふとサスケが口を離し、紅が乗せられたぷっくりとした唇に噛り付く様に口付けを落としたその瞬間、動きを止めた。
「んうっ…んっ」
 いったいどこでサスケがこのような『スキル』を身につけてきたのかは知らないが、サクラの歯列を割り容赦なく舌を入れてくる彼は紛れもなく蛇のような男であった。執拗さすら感じるその長い口付けが終わると、ようやく彼は口を開いた。
「オレを相手にしろよ」
「…え?」
 上がった息を整え、真っ白な頭をどうにか動かしながらサクラは声を発した。
「色任務の修行…誰かも分からねぇ暗部相手じゃない、オレを相手にしてみろって言ったんだ」
 見も知らぬ鞍部の男を相手にされるなぞたまったものではないが、サスケの知り合いが相手になるのは更にたまったものではない。そこにはサクラがまだ他の男に抱かれたことがないという絶対的な自信があるのだ。
「サスケくん、でも…私、」
「嫌なのか?」
「嫌なわけないでしょ」
 即答である。
 なんともいじらしい物言いに再びサスケは身体の異変を感じたが、ややあってから、間が抜けたように自身がこの女にどうしようもなく欲情しているということを自覚した。そうとなってはもはやサスケは欲望のままに動くのみだ。
 サクラが続いて何か口走ろうとしたが関係ない。
「お前が悪いからな」
「また、そう 言って…もうっ!」
 右手はすでにサクラの寝巻きの中だ。下着をつけていない柔らかな胸をなぞれば、その通りに彼女の声が裏返る。
「やめ、 やめなさい!」
 胸の突起に指が触れた瞬間、サクラは思い切り飛び起きた。
 危うく頭突きを互いに食らわせるところであったが、すんでのところでサスケは身体をそらした。わなわなと肩を震わせる彼女は、親と共に暮らしているということをすっかり忘れてしまったのかボリュームを落とすことなくサスケに言葉を投げつけた。
「いい?物事には、順序があるのよ!」
「…」
「私の話くらい聞いてから襲ってよ、サスケくんの色魔!」
「…色、魔」
 別にお前以外の女を襲ってはいない。さすがにそう言ったところで彼女の怒りが収まることはないとわかっているのだ、サスケは口を閉じて次の説教を待った。
「サスケくんが相手になってくれるのなら嬉しいわよ、それは。だって私の好きな人だもん。初体験の人になってくれるなんて光栄よ、でもね、それとこれとは別じゃない」
「…何と何が別なんだ」
「だから…その、」
 彼女は一度言葉を切った。
 そして、


「や…やさしくしてください…」


 と、恥ずかしさのあまり両の手で化粧を施したというのに真っ赤になった顔を隠し、なんとも間の抜けた懇願を口にした。


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