継がれるもの




 久しぶりに自分の顔を見た。
 サスケは夕食の席でそんな言葉をつぶやいた。まだ己の意志を伝える術を音と涙しか持たぬ幼子がだぁだぁと謎の声を発してはサクラが慌てて前掛けにこぼれた涎を拭ってやる。白米と薄味の味噌汁に焼き魚、そして煮物。
 山菜がおいしい季節だからと言って今日は更に卓の真ん中にてんぷらが乗っていた。そういえば先ほどサクラが「奈良一族の山で採れたものをテマリさんからいただいて」などと言っていたことをぼんやりと思い出しながら、サスケの(いつも通りと言ってしまえばそれで終いではあるが)突拍子もない言葉に首をかしげたサクラの皿に飛んだ愛娘の唾をティッシュで拭ってやった。
「毎日鏡、見てるじゃない」
 朝起きて寝癖だらけの髪の毛をどうにかしてよと訴えているサクラである。まさか洗面所まで行って鏡を見ずに寝癖を直していたとでもいうのだろうか?
「そういう話じゃない」
「…何かあったの?」
 大抵このような唐突に話し始めるときは決まって彼にとって『嬉しくなかったこと』が起きた日なのだ。
 いくら第四次忍界大戦を集結に導いた英雄とはいえ、だからこその妬みは里内に未だ蔓延っていた。特にサスケの里抜けをかねてからよく思っていなかった者たちからしてみれば彼が『普通に』生活していることすら理解しがたいのであろう。道すがら暴言を吐かれたことは数えるほどを超えていた。
 またそんな感じかしら、とさりげなくサクラは自分の皿のトマトをサスケの方へやった。
「子供の頃は…よく母親に顔が似ていると言われていた」
「あぁ」
 サクラはサスケの母親を知らない。もしかすれば出会っていたのかもしれないが、記憶には一切残っていない。どんな人だったの?と聞けば、サスケは少し目をそらして手を止めて、
「…イタチは母親似だった」
 と言った。
 うあぁ、と赤子がまた声を上げた。
 早くメシを喰わせろとでも言いたげなその様子にサスケは目をそらしたまま少し笑った。
「サラダ、お前にそっくりだな」
「そう?」
 きれいな形をした目元のあたりとか。まぶたの二重とか。サスケは丁寧に鮭の皮を外しはじめる。自分の父親は自分が赤子の頃、こんな会話をしてくれていたのであろうか?ミコトに似ていた、フガクに似ている。それともイタチと似ている?はたまた、親戚のオビトが小さかった頃に似ていたかしら?だなんて。
 たとえ両親がクーデターの実質的なリーダーであったとしても、二人がサスケやイタチにとって『両親』であったことに変わりはない。イタチが見せた記憶の幻影でもそれは見ていた。
「でも、大きくなったらきっとサスケくんに似てくるわ」
「そうか?」
「えぇ。母親だからわかるもの」
「…」
「…そういうときは?」
「父親でも、わからないことはあるだろう」
「そうじゃないでしょ!」
 サクラはその馬鹿正直な言葉に微笑んだ。
「……言っただろう、小さい頃は母親に似てたって」
「サスケくんが? うん」
「イタチの方が似ていたが…それでもよく母に似ていたと言われてた」
「サスケくん、どっちかっていうと美人だったもんね」
「過去形にするな、あと男に美人はないだろ」
「今はかっこいいわよ。あ、今『も』かしら」
 サラダに食事を与える手を止めずにサクラは続けた。
「サスケくん、いつの間にかすごく背が伸びたわよね。ナルトと同じくらい?」
「あぁ」
 里を抜けていた頃のサスケをあまりサクラは知らないが、七班としてカグヤに立ち向かった当時の身長よりもまた随分と出会うたびに身長が伸びていたことを思い出した。三年ぶりね、半年ぶりね、最後にあったのいつだっけ?と言いながらも日に日に伸びる上背と精悍に、逞しくなっていく体格にいつも少女のような胸の高まりを感じていたことは内緒だ。
 今となってはもうサクラはサスケを見上げることとなったし、しっかりとした肩幅と厚い胸板はかつての少年の頃にはなかったものである。
「あ、もしかして」
 たまに一緒の布団に入るとやっぱり大きいなぁって思うのよねぇという乙女の妄想に足を突っ込みかけたそのとき、サクラはようやく合点がいったと振り返った。
「昔はお母様似だったけど…今はお父様似になった、って言いたかった?」
「…」
 なるほどそういうことね。そう、言って欲しかったのね。
 特に嫌なことがあったわけでもないのね、むしろ構って欲しかっただけね。上背ばかり伸びても変わる中身がどうしようもなく愛おしかった。
 サクラはサラダが口いっぱいに含んだ柔らかい離乳食がボタボタと前掛けに墜落していく様を見て切なくなりながらも穏やかな表情でいた。いずれこの子もきっと、今は私に似ているかもしれないけれど 遠い未来では───
「あのね、サスケくん」
「ん」
 すっかり隻腕生活にも慣れたサスケにとって片手で鮭の皮と骨を外すことなど造作もない作業であった。腕を失ってすぐの頃は苦労していたことを思い出し一人サクラは心の内で微笑みながら「皮、ちょうだい」なんて言った。
 行儀悪く顔を差し出せば、橋でつままれたその黒銀の細長い皮が吸い込まれていく。
 それをむしゃむしゃと咀嚼して飲み込んだサクラは続けた。
「今は…私に似てるかもしれない。大きくなったらサスケくんに似てくるかもしれない。…もしかしたら、私のパパとママに似るかもしれないし、サスケくんのご両親に、イタチに似てくるかもしれない」
「…」
「不思議よね、血のつながりって。きっと大きくなった後からも…人によっては私に似てるって言うだろうし、サスケくんにも似てるっていうと思うのよ」
 かつてサスケがカカシに母親そっくりと言われてきたものの、今となってはすっかりフガクさんに似てきたな、なんて変わらぬ身長で頭を撫でてくるように、だ。いつかこの幼子も成長し、少女となり、一人前の女となり、目の前で食事を与える母親の年頃にまでなったときの顔をそっと妄想してみればそこにはいくつもの愛する人々の顔。
「きっと…」
 気が強い女の子になることであろう。サクラもサスケも頑固な方だ。「仲間想いの…立派な子になる」と、サスケはサクラが娘へ食事を与えようと悪戦苦闘するのを真似て器用に箸で天婦羅をつまむとサクラの口元まで持って行った。
「もう、サスケくんったら」
 と母親は笑いながらも、鮭の皮似続いてそのさくさくとした食感においしい、と恍惚の声を出す。
 サラダも大人になったときにはこんな間抜けな顔をするのだろうか。それともサスケが周囲から言われ続けている『無愛想な顔』をするのだろうか。ミコトのように気の強いしっかりした女性になるかもしれないし、フガクのようにサスケ以上の寡黙に成長するかもしれない。サクラの父親のようにくだらない駄洒落を言う少女になるやもしれない。
「…強い子になればいい」
「強いだけじゃ満点あげられないわ」
「満点なんかいらないだろう」
「……そうね」
 力は弱くてもいい。芯が強ければ、心が強ければそれでいいのだ。たとえアカデミーに落第しようとも心があれば。うちはの子だと奇異な目を向けられ寂しい思いをしたとしても、英雄の子だと言われもてはやされたとしても。
 愛する人を愛し強い心を持っていればそれだけで『私の満点』よ。とサクラは笑んだ。






「…サラダ、本当にパパとそっくりね」
「えっ…」
 娘に父親の記憶はない。仕方のないことだと分かっていたが、もう10歳をすぎた少女には既にサクラが恋し続ける男の面影が寄り添っていた。はっきりとした黒い瞳に射干玉の髪。挑戦的にも見える態度は父親そっくりであった。
 でも。
「ママともそっくり。きっとサラダ、おばあちゃんともそっくりよ」
「…おばあちゃん?」
 天婦羅の衣を作りながらサラダは尋ねた。
「そう。パパのお母さん。もう…ずっと前にいなくなっちゃったけど、きっとそっくりよ。それからおじいちゃんとも…伯父さんとも。もちろん私のパパとママにもそっくりね」
「誰とでもそっくりってことじゃない、それ」
「そうよ。サラダはね、みんなのいろんなところをもらってるんだもの。みんなとそっくりよ」
 私たちの家族と。
 すっかり母親の言葉に惑わされてしまって首をかしげた娘は、『テマリおばさんからいただいた山菜』を洗うべく首をかしげたまま台所の踏み台を登った。


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