ラストサマー/ロストサマー




 見上げればかんかん照りだったお天道様は身体を傾け、嫌気がさすほどの西日に変貌している。宵闇の空が徐々に紺碧へと変わっていくその様を子供と一人の大人はのんびりと見上げていた。
 じとじととした昼間の熱気はまだ消えることなく周囲に漂い、べったりと首筋に張り付く髪の毛が鬱陶しい。
 身体中泥まみれの傷だらけである彼らの格好は並み居る浴衣姿のきらびやかな男女の群中には似合わないことこの上ない。
「こんな日にお祭りなんて災難よ、もう」
 木の上で膝を抱えて浴衣姿の同期を見つけてはため息をつくサクラは泥と汗で不快この上ない桜花色の髪の毛を弄った。膝小僧にはまだ新しい擦り傷である。
「仕方ないでしょ、文句言うならアスマに言って頂戴」
「言ったわよ、シカマルに。焼肉屋で集団食中毒だなんて、忍が呆れるわ」
「そうだってばよ!せっかくオレたちお祭り気分だったのに代打で任務なんてよぉ」
「だから頑張って花火には間に合う時間に帰ってきたじゃない」
「だがこんな格好じゃのんびり見物もできやしねぇ」
 ぬかるんだ雑木林の中に逃げ込んだ泥棒確保が今日の任務であったのだ。この暑さの中で密林を走り回り、大勢の泥棒を一箇所に誘い込むのは骨が折れた。決して難しい任務ではなかったものの面倒臭いこと極まりなかったのである。
 じわじわと染み入る昼の暑さは消え去ってきたがそれでも蒸し暑いことに変わりはないのだ。
「先生ェ」
「食べたいものがあるなら自分で行きなさいよ。俺買ってあげないから」
「…ケチ」
 内心を見透かされたナルトが口をとがらせる。
 色とりどりの出店の暖簾が夏風にはためいていく。綿菓子、お好み焼き、金魚すくいに狐の面。小さな子供が好む水ヨーヨー。そんなもので遊んでいた頃はサスケもサクラもとうに追い越してきたが、ナルトは違うのであろう。
 きらきらと瞳を輝かせて道行く人々を見つめる少年は未だ体験したことのない、未知のイベントなのだ。金髪のチームメイトのそんな姿を見、サスケはため息をついて「鈴カステラがうまい」と漏らした。
「え?」
「……この祭には昔は毎年家族と来ていた。いつもあの角で鈴カステラを買って…ラムネを飲んで、りんご飴か綿菓子を買って花火を見に行っていた」と。
 唐突に、そして珍しいサスケの告白にナルトはもちろんのこと、カカシも少しばかり目を丸くした。血塗られた過去に少しでも触れる思い出話を彼は嫌う。だが、今少年が瞳に浮かべる色は郷愁というやさしい色彩だ。
 その道を、と薄暗くなっていく人混みの中を指差した。
「まっすぐ行って、階段を上ると土手に出る。橋の向こうまで行けばほとんど人はいない。…花火を見るには特等席だ」
「!」
 サービス心旺盛な少年にカカシは目を細めると、「やっぱり気が変わったよ。おじさん今日はみんなのカステラとラムネと綿菓子買ってあげちゃうよ」なんてひどく嬉しそうに告げた。



 花火が 開いては消えてゆく。
 色とりどりの炎が蒸し暑い夏の夜に咲いては白煙となって薄れていく。蛍よりも力強い煌めきが漆黒へ生み出され、そして蛍よりも儚い命は終わる。儚さすら覚える美しさに子供たちは揃って口を少し開けたまましばし見入っていた。
「…来年も見れたらいいなぁ」
 サクラはぽつりと小さな願いを漏らした。
 サスケがおすすめした鈴カステラは冷めてしまっても蜂蜜の甘さが口に広がる美味だ。途中で飲んだラムネの瓶からビー玉を出そうとしたナルトは手元に集中しすぎて途中で転んでしまい、せっかく買ってもらったりんご飴を水で洗う羽目になってしまったのだ。
 甘いものは好きじゃないと言いながらも小さな姫りんご飴をまんまと買ってもらうことに成功したサスケは、サクラのそんなつぶやきに小さく頷いた。
「この花火は…以前の忍界大戦での死者を弔う花火、らしい」
「弔い?」
「そうだよ」
 口布を下ろそうとしないカカシは綿菓子もカステラも食べてはいない。だが、額当ての上からさらに狐の面をかぶり、手には水ヨーヨーをぶら下げていた。「…俺がお前たちくらいの頃にさ、たくさん人が死んだんだよ」と。
 神無比橋の戦いって言ってねぇ、とカカシはぼんやりと空に上がる火花を眺めた。
「俺の仲間もたくさん死んだよ。…実を言うと俺もこのお祭りには毎年来てるんだよ」
「カカシ先生も?」
「花火を飛ばしたところでなんの弔いにもならないだろうし、死んだ仲間がどうにかなる訳じゃないけどね。……今日も、任務を急いだ理由は俺がこれを見たかったからなんだよ」
「俺ってばよく分からねぇけど」
 ナルトは花火から目をそらさずに言う。「サクラちゃんとおんなじで…来年もまたみんなで見たいってばよ」





「こら走るな!ボルト!」
「もうガキじゃねぇんだ!一人で迷子になったりなんかしないってばさ!」
 人混みを駆け抜けていくのは一人の少年。キャアキャアと喧しい浴衣姿の群衆に紛れて走る彼が着ているのは泥まみれのジャージだ。それを引き止める父親は本人ではない。影分身、というやつだ。多忙な父親はよく影分身という手段を使って子供と遊んでいるが、息子はもうそんなまやかしは慣れっこというものだ。
 仕方ない。むしろ、影分身を作ってでも遊んでくれる父親に感謝という思いだ。
「ヒマワリも一緒に連れて行ってあげなさい!」
 母親も声を上げた。彼女はまぼろしではない。橙色の浴衣姿にふわふわきらきらとひらめく帯を身につけている。母親の妹、つまりは娘から見た伯母が作ってくれたお気に入りのそれに、頭に飾り付けるは狐の面。
 泥だらけの兄とは違っておめかしした妹も母親の手を引っ張り人混みへと突っ込んでいく。
「あんま母ちゃん困らせるなよ〜」
「急がないと花火のいい場所取れないだろ!サラダたちと一緒に見るって約束してるんだってばさ!」
 少年は友人の名を口にした。
 そして父親は、ナルトはふと足を止め、目を細め「なら大丈夫だ!」と大きな声を上げた。「サラダも父ちゃんたちと来てるんだろう?なら、花火見るのに一番いい場所ちゃんと知ってるはずだ。…鈴カステラ買って、ラムネ飲んで、綿菓子かりんご飴買ったら合流しようってばよ」
「…あ、あぁ」
 この祭には毎年来ている。家族四人が揃うのは久しぶりであるが、母娘だけであったり、父親以外の三人であったりと夏の終わりに行われる鎮魂の花火を人混みの中いつも見ていたものだ。
 ナルトも稀に祭に来ていたが、『例の場所』で花火を見るのは実に二十年ぶりではないかということを思い出した。
「サスケの特等席だってばよ。ようやくアイツ、里に戻ってきてくれたからそこにお邪魔できるんだってばよ」
「おっちゃんの?」
「あぁ」
 父親はにっこりと笑った。
 息子の友人───サラダの父親であるうちはサスケが知る、ひみつのばしょ。
 大通りをまっすぐ歩き、唐揚げ屋の角を曲がって土手に出て、そこからさらに橋の下をくぐっていくのだ。その秘密の場所を知っているのはサスケとナルトだけではない。サラダの母親であるサクラや先代火影のカカシも知っている。だが、なんとなく四人が揃わない限りは行かなくてもいいかなぁだなんて中途半端な遠慮が胸中に渦巻き、今日の今日まで息子たちを連れて行くことがなかったのだ。
「あそこの鈴カステラもさ、サスケのオススメだってばよ」
「…なんか想像つかねぇ」
「初めて聞いたときは俺もびっくりしたけど…アイツらしいってばよ」
「……そうなのか?」
「まぁな」
 少し照れくさそうに鈴カステラを勧めた泥で汚れた少年の顔。
 その隣で目を輝かせていた桜色の少女。そしてナルト。三人の背後でにこにこしながらなんでも買ってあげるよ、と言ってくれていたのは覆面の先代火影。
 サスケが里に帰還してから初めての祭だ。どうせ皆考えることは同じ、示し合わせる必要もなくあの橋の先へと集まってくれているであろうとナルトはボルトの頭を撫で、「俺も狐のお面でも買おうかな」なんて下手なジョークを飛ばす。
 沈みゆく夕日が空を染めていく、あの日と全く同じように。
 たった四人きりで見たあの夏の続きは、随分と大人数で叶えられるのだ。





「ちょっとボルト!せめてシャワーくらい浴びて着替えてきなさいよ!」
「仕方ねぇだろ!任務のあとシカダイたちと一戦してから帰ったんだってばさ!」
「もう、信じられない!せっかくのお祭りなのに泥だらけのままくるなんて!」
 メガネの少女は赤い浴衣に身を包み、短めの髪の毛を結い上げた頭上に美しい花飾りをさしていた。昼過ぎには泥だらけになって泥棒を追いかける任務は終わっていたはずだ、さっさと帰って着替えてくればよかったのにと少女は頭を抱えた。
「本当。僕らを見習ってよね。…それにしてもボルトの妹さんって、君に似ずかわいいね」
「ミツキてめぇ!ヒマワリに近づくんじゃねぇってばさ!」
 サラダが誘ったもう一人の班員───ミツキも浴衣を着て笑った。彼の親の話を聞いたときにサスケはひどく嫌そうな顔をしたが、せっかくのスリーマンセルだからといってこの場所に連れてきたのである。
 やいのやいのきゃあきゃあ騒ぐ少年少女たちを見て親たちは顔を合わせて笑った。
「……懐かしいね。私たちもあんな感じだったんじゃない?」
「あの時は確か、任務が終わったあとそのままみんなで来たな。…そしたらサスケが鈴カステラを教えてくれて」
『カカシにおごらせたな」
「ひどい話だよねぇ。担当上忍におやつをたかるだなんて」
「カカシ先生が買ってくれるって言ったんじゃないの、もう」
 ナルトには三人の家族が。サスケとサクラには一人の娘が。奇妙な息子の友人ミツキが。そして変わらぬカカシなんていう大所帯が騒ぐ河原のはるか頭上の群青空に大きな鎮魂の花火が打ち上げられる。
 赤、青、緑、黄色、橙。へたな木ノ葉マークにハートの花火。昔よりも随分『オシャレ』になったそれらに、かつての少年少女たちは見とれていた。


inserted by FC2 system