個人授業




「遅い!」
 少年の鋭い声が響いた。
 少女が降り投げた手裏剣が丸太に次々と刺さっていったが、その一つが丸太から逸れてしまったのだ。そして替えの手裏剣をホルスターから取り出し、投擲するまでのラグが長いというのが少年の指摘である。
「ご…ごめん」
「謝っても仕方ねぇだろ」
 お前が言い出したんだからな。
 波の国での任務以来、サクラはこうしてごくまれにではあるがサスケに手裏剣術の稽古をつけてもらっていた。本来ならば師であるカカシに頼めばいいことなのであるが、彼女の『ちょっとした下心』がカカシではなくサスケを選んだのだ。
 勿論、サスケがアカデミー入学当時からずば抜けた手裏剣術の成績を収めていたから、が主な理由ではあるが。
「お前は詰めが甘いんだよ。最後の一枚まで集中して投げ切れ」
 じゃなきゃ死ぬぞ。
 サスケは飛び散った手裏剣を拾い上げて弄んだ。
「お前が最後に投げた一枚が外れたせいで任務を失敗するかもしれない」
「うん…」
 すっかり意気消沈してしまったサクラを見たサスケは、言い過ぎたかと整った眉間に縦じわを寄せた。事実を述べたまでだが、この少女には悪意ある言葉として受け取られてしまったのか?
 あいにく女子という生き物に対しての扱いがわからないサスケは首をかしげるばかりである。
「……苦手なものは 克服すればいい」
「サスケくん?」
「投げる時に手首に力を入れすぎだ。もっと力を抜いて…しっかり狙いを定めるといい」
「う うん」
 サクラはホルスターから一枚の手裏剣を出し、構えた。アカデミーで何度もやった投擲姿勢だ。染み付いたその体制をとった時、サスケは突然彼女の両手首を握った。
「!」
「もっと肩の力を抜け。それから足は肩幅」
「こう?」
「そうだ。そのまま狙って投げればいい」
 力を抜いて、狙いを定めて。
 彼女は言われた通りにまず一枚目の手裏剣を放った。しゅるしゅると綺麗な軌跡を描きながらそれはまっすぐに手裏剣だらけの丸太にたどり着き、カンという小気味いい音とともに刺さった。
 まずは、一枚。
 続いて二枚目、三枚目と次々ホルスターから手裏剣を取り出しては流れ作業のように目の前へ投げつけていく。トンットンッと所狭しと手裏剣が敷き詰められた丸太の隙間に彼女は正確に手裏剣を埋め込み始めた。
「五、六…」
 十投連続で丸太に打ち込むことが今日の目標である。
 七。危うく擦過するだけかと思ったが、刺さる。
 八。地面すれすれの隙間に命中。  九。右側面へ的中。
「最後、十っ」
 手首の力を入れすぎない。肩の力を抜いて…よく見極める!




「…あーあ」
 彼女が放った十投目は、なぜかサスケへと飛んでいった。丸太から少し離れた場所で見ていた彼のもとへ一直線へと飛んでいった手裏剣は、危うくサスケの筋どおった目鼻を切り刻むところであったのだ。驚いたサスケは思わず大げさなリアクションで回避してみせたが、お互い予期していなかった軌道にしばし無言であったのだ。
 再び、意気消沈。
 先ほども最後の十投目が外れてしまっていた。その時は丸太の横に刺さったのだが、今回はサスケに向けて投げてしまった。
 自己嫌悪に苛まされサクラは木陰で膝を抱えて座り込んでいる。
「お前、本当にセンスないな」
「…」
「言っとくが、別に怒ってない」
「でも…私、サスケくんに手裏剣投げちゃった」
「ナルトはアカデミーの時イルカ先生に何度も投げた」
「!」
「家で修行していたとき…オレは実の兄に何度も投げつけた」
 もちろんわざとではない。
 今となっては殺したい相手である実の兄であるが、幼い頃はよく手裏剣術を学んでいた。その際にも今のサクラのように、なぜか突拍子も無いところへ突然手裏剣を投げつけてしまっていた。
「だから落ち込み過ぎるな」
「…うん」
「お前はオレやナルトよりもチャクラのコントロールがうまいと言われてただろう」
「え、えぇ」
 波の国で木登り修行をした時のことを彼女は思い出した。男子二人が苦戦する中、感覚的に樹と足の裏をチャクラでつなぎとめて駆け上がったことを覚えている。その際にずいぶんとカカシに褒められたのだが、そのことを彼も言っているのだ。
「それを活かした戦い方をすればいい。手裏剣だけにこだわるな」
「チャクラコントロールを、活かす…」
 例えば。
「分身の術は基本的に敵に見破られる前提だが…うまくチャクラを分配すれば、本体を見極めるのに時間をかけさせることができる」
 同じだけのチャクラ量を持つ分身を作り、紛れる。そうすればわずかではあるが敵に隙ができる。サスケはそう言った。
「その間に手裏剣を投げるなり、仲間を助けるなり…活用性はある」
「分身、かぁ」
「ナルトの多重影分身は数では圧倒的だろうが…雑だ。オレはそもそも分身は苦手だ。きっと分身の術もオレたち三人の中じゃお前が一番だろうよ」
「!」
「もちろん手裏剣は…ナルトといい勝負だがな」
「…うん……」
 それでも彼女の長所をあっという間にサスケは見抜いてしまっていた。数えるほどしか手裏剣を使うような任務をこなしてもいないはずなのに彼女の投擲姿勢の癖を見極めた彼は、サクラの隣に腰を下ろすと手元の水筒を彼女に差し出した。
「ほら」
「あ…いいの?」
「持ってきてないんだろう?」
「…ありがとう」
 日差しが心地よい季節である。
 お互いしっとりと汗をかいたものだが、春風がそれらをあっという間にさらっていく。手裏剣だらけの丸太を片付けなければ。授業の無い休日だからこそ、こうしてアカデミーの裏庭をイルカ先生に頼んで空けてもらったのだ。さすがに下忍二人が修行のためと言っても演習場一つを開けてもらうことは難しかったのだ。
 あとでイルカ先生のとこ、行かなきゃねとサクラが呟けばサスケが首肯する。
 たった数ヶ月前まではこの中庭で手裏剣投げをしていたのだ。
 人を殺すためではなく、仲間を守るためでもなく、授業のために。足を肩幅に開いて、顎を引いてしっかり狙いを定めて。十枚の手裏剣を次々と投げて、刺さらずとも擦ればよい。七枚以上丸太に当てることができた者は合格、なんていう試験がかつてあった。
 サスケの成績は知らないが、おそらくパーフェクトであったのだろう。サクラは再試験をしてもらった記憶がある。
「練習、あるのみかぁ」
「あぁ」
「…今度また、付き合って…くれる?」
「……今度な。もう少しうまくなってから出直してこい」
「ひどい言い方」
 事実だ。
 明日また見てやっても変わってはいないだろう。彼女の十投目にどんな癖があるのかまではサスケにもわからない。
 だがそれをじっくり何度も見て、確認してやる義理もない。サスケ自身も自らに課した修行が山ほどあるのだ。いつまでもサクラにかまっていられるほど暇ではない。
 サクラもそれを承知の上で今回の修行を頼んだのだから、「ひどい」と非難した声はうわべだけであった。
「明日も任務だ。今日はここで引き上げるぞ」
「うん。本当にありがとう。わがまま付き合ってくれて」
「お前が弱いままだと足手まといだからな」
「…ごめん」
「だから」
「「怒ってない」」
 サクラは思わずサスケの口調を真似てそう言ってみせた。
 クール、冷静、知的、ストイック。
 アカデミー時代はくの一クラスでそのような印象を持たれ続けていたサスケであったが、同じ班に所属されて数ヶ月、少しばかりその認識が違っていたことにサクラは気付き始めていた。シャイ、優しい、仲間想い、負けず嫌い、ナルトと同じくらい幼稚なときがある。
 それらはクールだといった第一印象に上乗せされた印象である。
「…怒るぞ」
「ごめんって。じゃあ、また明日ね」
「あぁ。じゃあな」





 サスケの姿が遠くなっていくことを確認して、サクラはアカデミーの建屋を見上げた。イルカはまだテストの採点をしているだろう。夕方くらいまでなら、中庭を借りていても問題ないはずだ。
 彼女は誰もいなくなったその場で分身の術を発動し、均等に自らのチャクラを分身に与え始めた。


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