焦げ跡に残る




「あら」
「あ」
 一組の男女が素っ頓狂な声を出したのは、目の前に『珍しい人物』が現れたからだ。
 いのとサイ、という、ここ数日よく見る組み合わせではあったものの、二人揃って間抜け面をした姿は大変珍しい。
「どうしたの、こんなところで」
「別に…」
 サスケは素直にそう答えた。目的なく里を歩く。それが彼の『目的』であったからだ。
 そんな彼はうちはの家紋が入った黒い服を着ていた。いつも彼は家紋を入れた服を纏っているが、一体どこから入手しているのだと気になったサイは「それ、どこで買ったの?」なんていう一歩間違えれば悪口になってしまう質問を次いで投げた。
 しかしサスケもそのような物言いを気にする男ではない。単純に悪意のない悪意に気づかぬだけなのか、
「家にあったものを着ているだけだ」
 とだけ言った。
「家?」
「…うちはの家だ」
「あぁ、なるほど」
 里の郊外に林立する寂れた廃屋群。今ではかつての栄光なく子供達が肝試しに遊ぶことすらなくなった、誰からも見放された屋敷のことである。
 たった十年ではあるが、されど十年だ。雨漏りによって腐った木々はくすみ、壁はひび割れている。サイがその近くを通ったことがあるのはたった数回ではあるが、なんとも薄気味悪い家であったことは覚えていた。
「…お前らは?」
「任務帰りに会ったのよ。最近みんなチームじゃなくて単独任務ばっかりでさ、寂しいんだよね」
「人手不足だからね。しょうがないよ」
 私も野党退治で疲れちゃったーとわざとらしくいのは肩をぐるぐる回して見せた。そして、ちらりとサスケの方を見、「あのさ、そういえば聞きたかったんだけど」と言った。
「昨日みんなでネジのところ行ったらさ…花、置いてあったんだよね。ナルトもヒナタも置いてないって言ってたけど…もしかして、サスケくんが置いてくれた?」
 先の第四次忍界大戦で犠牲となった者たちの弔いが行われたのは三週間ほど前だ。無限月読がナルトとサスケの二人によって解術され、各影忍たちが和平の話し合いをしていた頃だったであろうか。木の葉の里の合同墓地には所狭しと真新しい墓が敷き詰められ、そのうちの一つの墓石には『日向ネジ』という名前が彫り込まれていた。
 年齢は上ではあるが同期らと変わらぬように接してきた仲間の一人に花を捧げたのは、紛れもないサスケであった。
 彼は頷いた。
「…オレの処遇はまだ不透明だ。合同葬に顔を出すわけにもいかなかったしな」
「……ありがと。なんだか意外ね」
 いの言葉は最もであった。サイも頷くと、「君はそういう人じゃないとおもったよ」なんていう、失礼極まりない言葉を発した。
「サイ、あんたは一言余計なのよ」
「そうかな」
「えぇ」
 たとえそれが本音でもね。
「それにしてもよく、病院から出てくるのサクラ許したわね。検査だとかなんとか言って、なかなか退院できないみたいな話じゃなかったの?」
 ナルトと異なり、サスケの身体における治癒能力は『常人並み』である。無論、一時は大蛇丸から得た白蛇の力によって尾獣とまではいかないが、かなり高い治癒能力を持っていた時期もあった。だがそれは過去のこと。今の彼の身体は『並みの人間』と同じであり、合同葬が行われていた頃にはまだベッドの住人であったはずだ。
 加えて、彼は里を抜けてからというものの里の病院に診られたことはない。大蛇丸の元で違法な投薬処置などを受けてきた彼には勿論気が遠くなるような検査が待ち受けていたし、何度も採血だと言って腕に注射器を刺されたことを彼は思い出した。
 だが、それもまた過去のことだ。
「もう検査は終わってる。病院を出てきたことは…サクラには言ってねぇが」
「あら。だめじゃないサクラに言わなきゃ」
「なんであいつが出てくる」
 バカねぇ。いのは笑った。「あの子、仮にもあなたの主治医でしょ。それにサスケくんがまたいなくなったんじゃないかって、今頃真っ青な顔して里を走り回ってるわよ」
「…知った「知ったことじゃない、っていうのはさすがに酷いと思うよ」」
 そう言ったのは、サイだ。
 彼もまた野党退治といった下級任務を一瞬で終わらせてきたのであろう。一応、暗部という特殊な組織に在籍している彼でさえも露払いのような任務に駆り出されているのだ、今の木の葉は重度の人手不足であることに違いはない。
 そんな中一人のうのうと里を徘徊しているのはサスケであれ多少の気が引けたが、目の前にいる『仲間』たちはそんなことを気にした様子ではなかった。
 ただ、そんなサスケの杞憂よりも許せないことはあるようだが。
「サスケ、君がどういうつもりで木の葉に戻ってきたかは知らないけれど…これ以上サクラを泣かすようなら、ボクは君を許さないよ」
「サイにしてはいいこと言うじゃない。そうよサスケくん。今まで散々サクラに心配かけたんだから、探しに行ってあげなさいよ」
「…」
「サクラ今、すごく忙しいから。…少しだけでいい、安心させてほしいのよ。私たちの誰もその役目は無理、サスケくんにしかできないのよ」






 最後はもはや強制された。
 サスケは二人に蹴り出されるように来た道を引き返すと、いつの間にか地面を歩んでいた足は大地を蹴り、トタンの屋根を次から次へと飛び移っていた。急ぐ用事ではないはずであったが、サクラのチャクラを感知してから彼はさらに足を速めた。
 病院を抜け出して真っ先に向った生家で探し出したのは父の着物。なんとなくではあるが、今までの人生を歩んできた中でうちはの家紋が入っていない服を着た回数は少ない。いつであろうと、たとえ大蛇丸が元であろうと家紋を入れていたサスケにとって、病院で外出用として当てがわれた安物の薄い着物は耐えられなかったのだ。
「(…大きいもんだな)」
 家の古びたタンスを開けてみれば、たった十年という時間ではあるが放置されていたため、黴臭い着物が丁寧に畳まれて入れられていた。母は決して几帳面な性格であった訳ではないが、一着ずつ皺なく鎮座する家紋入りの着物はサスケに過去を思い出させた。
 あの日大きいと思っていた父の背中は、まだ遠いままだった。
 あの日大きいと思っていた母の背中は、もうとうに小さかった。
 あの日心から憎んだ兄の背中は、もう思い出せない。
 イタチの部屋から着物を拝借することはなんとなく気が引けたので、父フガクの着物を引っ張ってきたのだが、まだ今のサスケには少しばかり大きかった。
 隻腕という状態ではうまく着ることすらままならず、なんとか形にしてみたもの、こうしてひとたび屋根を飛び移ればあわや大事故が起こりかねないほどに裾がめくれ上がった。
「…いた」
 そろそろ限界かと足を止めてみようとしたその刹那、サスケは探し求めていた女のチャクラをはっきりと感じとった。
 驚いたことに、いのが言ったその通り彼女は周囲を見回しながら走っていたのだ。「サクラ!」と姿を見失う前に慌てて呼び止めれば、ぴたりと女の足は止まった。
「サ、サスケくん!」
 振り返ったその顔(かんばせ)に浮かぶは冷や汗と焦燥で彩られた翡翠の瞳。
 彼女も病院にいたのであろう。少し伸びた髪の毛は後ろで無造作にまとめあげられ、いつもの任務着ではあったがアームカバーなどは外されている。そのままの姿で走ってきたに違いない様相に、サスケは思わず口の端しに笑みを浮かべた。
「なんて顔してやがる」
「どこ行ってたの!?私、またサスケくんがいなくなったかと…」
「…そんな訳ねぇだろ」
 サスケは彼女の目の前に降り立つと、右手で乱れた着衣を直しながらぶっきらぼうに言い放った。
 いのやサイに言われた通りサクラを探し出し、姿を見せて『安心』させるという『任務』は成功した。だが、その後のことなど彼は考えていなかった。しばし沈黙の時間が二人の合間に流れたが、サクラはややあって、「その服」と声を出した。
「…イタチ、の?」
「あいつが家にいた頃はもっと小さかった」
「じゃあ…」
「父さんのだ」
「お父様、の」
 サクラはサスケの父親と面識はない。そのため、推し量ることしかできない訳ではあるが、薄っぺらいサスケが身にまとっている着物を見て「大きいのね」と言った。存在しない左腕の先にひらりひらりと漂う裾を握りしめてもサスケは拒否することなく受け入れた。
 サクラが亡き父親の衣服をまとうサスケを見て何を思ったかはわからぬが、少なくとも喜びを感じている様子ではない。俯いた彼女はまた泣いているのかもしれない。そう思い「サクラ?」と声をかけてみれば彼女は何も答えなかった。
 ただ、顔を上げ、涙を浮かべていない目を細めてにっこりと笑っていたのだ。
「…似合ってるよ、サスケくん。お父様の、服」
「!」
「男の子って…本当に身長が伸びるの早いよね。あと何年かしたらきっと…サスケくん、私が背伸びしても届かないくらい大きくなるよ」
 だってお父様も大きかったんでしょう?
 てっきり泣いて罵倒されると思っていたサスケであったので、彼女の反応はあまりに意外すぎた。狼狽した様子を見せまいとサスケは彼女を見つけたときに浮かべたままの笑みをそのままにしていたが、サクラがあまりにも柔らかな笑顔で見上げてくるものだからサスケは耐え切れずに顔をそらした。
「誰かに言われたんでしょ。私を探せって」
「!」
「そうでもしないとサスケくん、探しにくる訳ないものね」
「…いのとサイに言われた」
 あっさりと犯人の名を告げると、やっぱりあの二人?とサクラはくすくすと声を上げて笑った。
「それでも嬉しいよ。…私が一人で怖がってただけなのに…探しに来てくれて」
「悪かったとは思ってる」
「そうねぇ。主治医の許可なく勝手に徘徊されたら、困ったものよ」
「だから悪かったと…「いいわよ、別に」」
 サクラ、とサスケは名を呼んだ。
「主治医の春野サクラが許可するわ。サスケくん、別にいつだって病室から出て行ったっていいわよ。もう…もう、慌てないよ」
「…」
「だって私、知ってるもの。サスケくんが…こっそり病室を抜け出して、いののお店で店番がいのじゃない時を狙って花を買って…ネジのお墓に供えてたことも。サスケくんが里抜けしたあとにできたお店を見て回ったり…」
「お前、ストーカーか」
「そんな訳ないでしょ。みんな心配してくれるのよ…私の。いろんなところでみんなはあなたを見てる。だから、よく聞くのよサスケくんのこと」
「暇なやつらだな」
「えぇほんと。みんな任務で忙しいはずなのに…本当にね。暇人のサスケくんを追いかけて、見つけて…私に教えてくれていたわ」
 みんな大好きよ。  サクラはそう言った。
「サスケくんはきっと…これだけ優しいみんながいたから、里を出たんだよね。優しいから…心地よかったから」
「サクラ…」
「でも、これだけ優しい里だからこそ…ナルトは強くなれた。みんな、みんな強くなれたのよ」
 サスケ自身、誰かに監視されていることは分かっていた。だがその視線は監視役としてよこされた暗部のものだと思い込んでいたし、サクラに何も言わず外出しても公には咎められたことがなかったのだ。どうせ里中に暗部を張り巡らせているのだろうと思い込んでいた彼は大間違いを犯したようであった。
 彼を見ていたのは、仲間たち。聞けば新たな火影となったカカシはサスケに特に監視をつける訳でもなく、好きにさせていたという。無論里の外に出られては困るが、里に生きる者である限り病舎を出るのは自由だと判断したそうだ。
 そこまで聞くと、サクラは言った。
「捨てたものじゃないでしょ、この里も」
 馴れ合いと愛に満ち溢れたこの世界が。
「…そう かもな」
「そうよ」
 さても心地よい泥沼であることか。サスケは一刻も里から出ねば沈んでしまう。そうある種の危機感を覚えてサクラに笑み返した。


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