風見鶏嘶く青天の霹靂




 空高く 飛んだ。

 幼いころはよく空想に耽っては、羽根が生えたら何をしようと授業中に思案を巡らせたものだ。火影岩から飛び降りて、里を一周してみよう。両親をアッと驚かせて、それから気になる男の子に振り返ってもらいたい。
 さもなくば自分がいじめられっ子に囲まれている時、空を飛ぶ王子さまが飛び降りてきてくれて救ってくれる。
 そうやって幼稚な妄想を楽しんでいたのは一体いつのことであったか。
 落下するその間、サクラは長い長い間過去の回想に浸り尽くしていた。
 空を、飛ぶ。

 その行為が人間には許されぬものであると理解したのはいつだったのか。空を舞う鳥がどれほど自由であったと思い込んでいたことか。その足には人間様の都合で添えられた密書がぶらさがり、そんな紙切れを狙った人間によって地に落とされる。
 あの日サクラが窓の外を眺めて姿を追っていた鷹もまた、そのような哀れな運命をたどっていたのかもしれない。
 鳥が舞う大空を滑空することが人間には許されないものであると気づいたのはいつだったか。サクラはそれを覚えていない。だが、少なくとも下忍になる少し前の、十に年齢が届く頃にはその悲しい事実を真実として知っていた。


「…サスケ くん」
 そして彼女はいつ、人ならざるものの領域である空をもかつての『気になる男の子』が支配してしまったのかを知らない。
 ただ突如として冷水を顔面にかけられたかのようにクリアになった思考回路がたどり着いた現実は、崖から身を投げ出してしまった彼女を受け止めた愛すべき者が、空という聖域すら自由に飛び回っていたということだ。
 彼自身が飛んでいたのではない。
「あまり動くな」
「…う うん」
 一体どこから姿を現したのか。大鷹の群れを率いた彼はどこからともなく姿を現し、滑空しながら崖から真っ逆さまに落ちてきたサクラを器用に受け止めたのだ!
 ただでさえ隻腕のサスケである。身体のみでバランスをとりながら墜落する女一人をキャッチして見せた彼は、そこで、周囲を舞っていた鷹らに口笛を高らかに鳴らすことで指示をだした。巨大な鷹はそこで一気に散開し、自身の羽根を大量に周囲に撒き散らした。
「わっ」
「敵を撒く。…姿勢、低くしてろ」
 サスケはそう言うとサクラを抱え込んだまま身を鷹の背へと沈めた。彼女を崖下へと追放した忍の姿がちらりと遥か上空を捉えた視界に入ってきたが、追いかけてくる様子はない。予想外の増援(サスケ)の登場に舌打ちをし、逆に姿を消したようだ。
 バサバサと耳障りな羽ばたきに包まれながら二人はゆっくりと眼下の森へと沈んでいく。口寄せで呼び出された大鷹らは木に触れるや否や煙と軽快な音を伴って姿を消していったが、それらに付き従う鷹の群れはサスケらを最後まで羽ばたきで隠し、サクラを抱えた彼が最後に残った大鷹から飛び降りるその時まで並んで飛んでいた。
「すごい…いつの間に こんな」
「鷹舎の奴らを散歩させてた」
「…え?」
「カカシに言われた」
 何を、と言えば彼は軽い足取りで木々から地面に飛び降りると、サクラの身体を下ろした。「暇で仕方ないなら鷹舎の掃除でもしろと言われたから、ついでに散歩させていた」なんてことを言ってのけた彼の言葉には悪意の欠片もない。
 現に、頼むから里の中でおとなしくしていてくれというカカシの懇願に不満丸出しの態度をとるサスケをどう取り扱ったらいいのか、とカカシ本人から真顔で相談されたのは記憶に新しい。カカシとしてはせっかく里の中で鬱憤を少しでも晴らしてくれるであろう仕事を与えたつもりであったが、巡り巡って自分の首を絞める結果となってしまったようである。
 今頃はすっからかんになった鷹舎を見てカカシが真っ青な顔をしているか、ヤマトが真っ赤な顔をしているか、サイが土気色の顔色を変えずに「やっぱりボク、サスケは苦手だ」なんて独り言を漏らしているであろう。
「あいつらは賢い、すぐに鷹舎に戻る」
「そういう問題じゃないわよ…!」
「…勝手に里をでたのはまずいと思っている。後で始末書は作る」
「……私も連帯責任?」
「あぁ。散歩させてたら偶然お前が落ちているのが見えた」
「…」
 わかったわよ。油断して崖から落ちた私が悪かったのでしょう?サクラは深い深いため息をついた。
 処分保留となっている重犯罪者が勝手に鷹を『散歩』という名目で鷹舎から一羽残らず外へ放ち、挙げ句の果てには自身も禁止されていた忍術を使用して口寄せした大鷹らを引き連れていたのだ。
 サクラが助けられたという事実がなければ、カカシの心労が更に増えてしまうだろうことに違いない。
 巻き込まれる必要はないが、巻き込まれなければ面倒なことになるのは明白だ。
 頭痛がしてくる案件ではあるがしかし、サクラは木々の隙間から遥か遠くに広がる空の青を見上げているサスケの横顔を見ると、思わず「楽しかった?」なんて言葉で尋ねた。
「…なにがだ」
「鷹の散歩よ。空を飛んで…好きなように飛び回って、楽しかったのかなぁって」
「…」
「あ、ごめん…変なこと聞いちゃった」
「別に変じゃない」
「そ そう」
 彼もまたサクラの隣に並び、青い青い空を見上げた。
「まだ呪印があった頃は…背中に翼を持たせることができた」
「…翼」
「空を飛べると思った。鷹みたいに…自由に飛び回れると思ってた」
 サクラは彼の言う『呪印状態』を知らない。呪印から染み出したチャクラがあざとなって全身を這い回るその姿しか見たことはなかったが、ナルトが言うには『世にもおぞましい』姿に変貌することができたのだという。
 土色の肌に漆黒の白目。白銀の髪の毛を逆立てたサスケは悪魔そのものであったというようなことも聞いた。
 その頃のことを思い返しているのであろう。
「でもそうじゃなかった。オレができたのは、せいぜい落ちないように滑空するだけだった」
 鷹のように飛ぶことはできなかった。
 彼はそう言った。
「だから…あの鷹舎にいる時は鷹が哀れで仕方がなかった。自由に飛ぶ力を持つ鷹が狭い舎に押し込められている。…どうせ木の葉の鷹だ、しっかり調教されているのはわかっていた」
「だから『お散歩』したのね」
「あぁ」
 悪びれのない彼の言い方は変わっていない。根は優しい少年であるのは変わらないのだ、心の奥底から狭い鷹舎に詰められていた鷹を哀れんだのであろう。規則、常識、当たり前。そういった言葉の列を大蛇丸の元ですっかり欠落させてきた彼の言動は心のまま、悪く言えば自分勝手よく言えば純真すぎる童(わらべ)のようだ。
 気に入らないのであれば気に入らない。その結果起こした行動がどう他人に影響を及ぼし、自分の立場を悪くするかなど考えてはいない。
 気に入ったのならばそれでいい。誰が泣こうとも、誰が損しようとも関係ない。
「…あとでカカシ先生のところ、一緒に謝りに行ってあげる。始末書も一緒に作るわ」
「悪い」
「いいわよ。だって助けてもらったの、事実だし。…そのついでにじゃないけど、あの取り逃した忍、捕まえるの手伝ってくれる?」
 一度里を出てしまったのならばもはや関係ない。願っても無い申し出に、キラキラと瞳を輝かせたサスケの表情をサクラは忘れなかった。



「(サスケくん、とんだ天然タラシよ)」
 サクラは目の前で疾走するサスケに置いていかれまいと必死に足を動かしながらもそんなことを考えていた。
 早速サスケはサクラのクナイに付着していた敵のチャクラから位置を感知し、感知型でない故に正確ではなかったものの大まかな方向を定めて走り出していた。
「(まるで…白馬の王子様じゃない)」
 ピンチの時には颯爽と駆けつけて、見返りなく爽やかに命を救ってくれて。少女の頃に思い描いていた王子様とはずいぶんとかけ離れた傍若無人な王子様ではあるが、間違いなくサクラの目の前を走る男は彼女の期待を良い意味で裏切る王子であることに違いはなかった。
 サクラは頬の昂揚を隠す術を持たず、ただただ赤面し続けた。


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