一本釣り




「…サスケくんって」
 サクラは思わず脱力した。
 かれこれ有耶無耶ではあるものの『男女のお付き合い』が始まってそれなりの時間は経った。もうキスしたの?一緒のお布団には入ったの?なんてしょうもない冷やかしを最初こそ受けていたがそんな時期も過ぎた。周囲からはすでに色々な恋人情事が終わっていると思われているのだ。
 だが、現実は違う。
 サスケが里にいる時間自体が少ないため、仕方ないとはいえたまの帰郷時に恋人らしいことをしているかと言われれば、NOである。
「もしかして…里の外に女の人、いるの?」
「は?」
 先に風呂に入ったサスケが居間のソファで新聞を眺めているところにサクラがこれ見よがしな脱衣スタイルでやってきた。
 お揃いのピンク色をした可愛げある下着がちらりと見え隠れする薄手のホットパンツにキャミソール。毛先から滴る水が控えめな胸板を伝い、申し訳程度の谷間へと消えていく。熱い風呂の方が好きだというサスケのリクエスト通りに炊いた風呂はサクラにとっては少しばかり熱く、火照った柔肌からはほかほかと蒸気が漂っていた。  その矢先の発言である。
 サスケは「お風呂片付けたよ」という彼女の声に振り向くことなく適当に相槌を打っただけでなんの反応も見せなかった。サクラにとって『いつも通り』の格好ではあるものの、男から見ればそれなりに刺激的な格好であることは自覚していたものだから彼女はそれなりのショックを受けたのである。
「だって…せっかく久しぶりに里に帰ってきても、何もしないじゃない」
「何もって…」 「あんなことやそんなことよ」
 分かるでしょう?と暗にそのようなサスケの態度を責めたサクラにしかし、サスケはため息で応えた。
「最初の問いはどういう意味だ」
「どういうって…そのままよ。もしかして里の外でヨロシクやってるから私には手出さないのかなぁって」
「…」
 ため息の次は沈黙である。
 別段サクラが女として魅力がない訳ではない。それこそヒナタと並べば胸の膨らみに大きな違いはあれど、女の魅力は(確かに胸の大きさにはかなり比重が置かれているものの)それだけではない。現に、サクラの実力を知らぬ若い男が病院で体目当てに接近してきたことはそれなりの回数があった。
 全て容赦のない拳骨で撃退してきたサクラではあるが、こうも本命に無関心を決め込まれてしまっては疑問の一つや二つは浮かぶ。
「別にいいのよ、サスケくんが外で何してたって」
 サクラはサスケの横に座った。ふかふかと柔らかすぎるほどのソファがずっしりと沈み、そのまま彼女の身体はサスケの方へと寄りかかった。
「だってサスケくんかっこいいもんね。そりゃ里の外でもモテモテよ、きっと」
「…」
「女の子なんて毎晩取っ替え引っ替えしたって引く手数多。お金なんて払わなくてもむしろお金もらえるレベルでかっこいいもん、サスケくん」
「おい」
「……ばか」
 もうやめないか、とサスケが言う前にサクラはそう言って左肩にすがりつくように手をかけ、俯いた。また泣かせてしまったという罪悪感が一気にサスケの内に湧き出てきたが、サクラが一方的な『勘違い』をこじらせた結果となれば自業自得なのでは、とも考え付く。
 嗚呼、ばかはお前だろう。
「…ごめんなさい」
「別に怒ってない」
「ひどいこと…言っちゃったじゃない。ごめんなさい」
「…」
「分かってるよ、サスケくんがそんな人じゃないって」
 これでも影から見てきた年数も含めれば、想い続けて10年以上である。ようやくこうして隣に寄り添い合うことが叶ったサクラにはしかし、目新しく発見できるサスケのプライベートよりも変わらぬと安堵するプライベートの方が多いのが事実である。
「ごめんなさい」
「なら、オレがどう答えるかも分かってるだろう?」
「…ん」
「言ってみろよ」
 一流の忍たればなんとやらとはよく言ったものであるが、今回は少しばかり事情が違う。だが要は同じだ。気持ちが繋がりあった相手のことならば言葉一つすら要らぬ。サクラは身体を反転させ、サスケが右手で握りしめていた新聞を奪い去るとローテーブルの上に投げつけた。
 ソファに膝立ちになり彼の左足をまたいで長い前髪に隠された眼差しを見下ろした。
「私を…私だけを見ていてくれるって言うなら、態度でも示してよ」
「言葉だけじゃ不満なのか」
「サスケくんはこと恋愛に関しては言葉だってないじゃない」
 親友カップルのように愛を囁き合うような仲ではないということはわかっている。シカマルのように言葉足らずとも誠実な態度でエスコートするような器量をサスケが持ち合わせていないことも、承知である。
 それでも少しばかりの言葉か態度を求めることすら叶わないのかと思えば寂しいものであった。
「サクラ」
「なによ」
「そういうことがしたいなら他を当たれ。…お前こそ引く手数多、だろう」
「!」
 新聞を投げ捨てられたからか、サクラの返答が気に食わなかったのか。サスケは少し声音を強めてそう言い放った。  しかしその行動は真逆である。邪魔者扱いされた新聞には一瞥もくれずに空いた右手でサクラの細い手首を掴んで不安の色をにじませて見下ろしてくる瞳を真っ直ぐと見つめ返してやった。
「サ、サスケくん…?」
「お前はオレと『こういうこと』がしたいのか?」
「それは…」
 そうだけどそうじゃない。義務のように、促されて行為に移りたい訳ではない。「ばかだな」とサスケは今度は口に出して声に乗せて言った。
「お前が今すぐ寝たいって言うなら付き合ってやるが」
「…意地悪」
「そういう話だろう?今の流れだと」
「ロマンチックのかけらもないじゃない、そんなの!」
 せっかくの初夜っていうやつよ!?サクラは高鳴る鼓動を抑えようと必死に取り繕った、が、へなへなと力が抜けてサスケの膝の上に座り込んでしまえばもはや勝敗はついたも同じ。
 ふにゃりと女性特有のやわらかい感触が太ももから伝わり、サスケはひときわ大きなため息をついて表情を隠すように大きな右手を額に当てて目を背けた。
「今すぐ降りろ、サクラ」
「なによ」
「いいから、頼むから、降りてくれ」
「もしかして…」
「…」
「……はい」
 誠に失礼いたしました。欲情させるつもりはありませんでした。サクラはソファから降りると礼儀正しくぺこりとお辞儀をした。途端にひどく自分の行為が恥ずかしくなり、頭を下げた視線の先に入った見事な股間は見なかったことにする。
 …またやってしまった。
 毎度のことといえばおかしな話ではあるが、よくよく思い出せばこんなやりとりをしょっちゅうしている気がしてならない。一体いつになったら私たちちゃんと『恋人ごっこ』を卒業できるのかしら、とテーブルに投げつけた新聞をサスケに正座して差し出した。
「今日はもう…寝ます。明日、朝から夜まで仕事だから…ご飯は適当にお願いします…」
「…あぁ」
 最後の一歩が踏み出せない。
 どうか仲間たちからはこのまま『ヨロシクヤレテルカップル』のレッテルを貼られたままであってほしい、と前屈みでうなだれるサスケを視界にはなるべく入れないようにそそくさと寝室へと退散していった。


 ばかは どっちだ。
 サクラがいなくなった後の居間でサスケは新聞を頭に乗せてショート寸前の思考回路をどうにか修復しようと悪戦苦闘し始めた。
 別に性欲がない訳ではない。むしろ、いい年した男女が一つ屋根の下で一つの寝室、一つのベッドで暮らしているというのに一度も睦言をしたことありませんという方がおかしいのだ。
 踏み出してしまえば二度と引き返せないという若干の恐怖心とやはり、『うちは』である自分の里内における微妙な立場がサスケのその一歩を踏みとどまらせていることに違いはない。だが、前者の方が大きいのでつまるところはサスケが臆病なだけだ。
「ばかは…こっちだろうが…」


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