幾年ぶりかの




 できたてのラーメンというのは時に、予想を裏切るほどに熱い。
「あっつ!熱い!熱いってばよ!」
「うるさい」
「しょーがねぇってばよ!こればっかりは…いてっ熱ッ」
 やかましい!
 サクラの怒号が飛んだ。それもそのはずである。せっかく『イイ雰囲気』となったナルトとサスケ、そしてサクラが久々に一楽に立ち寄ってみれば、もちろん店主は喜んでくれたもののナルトはラーメンが食べれず悪戦苦闘し始めたのだ。
 慣れ親しんだ右腕を失い、左手ですべての日常生活をまかなわなくてはならない。そもそも箸を持つという動作の時点でうまくいかなかったのだから、ラーメンを掴んですするという行動など夢のまた夢に近い。
「そういうサスケってばなんでそんな簡単に食えるんだってばよ!」
「慣れだ」
 習慣。
 サスケはそう言ったのだ。確かに言われてみればナルトとサクラの記憶の中では、サスケが『左利きであった』という事実は薄い。右手で箸を持ち、右足に手裏剣のホルスターを下げ、右手で刀を振るった。千鳥を扱うときは左手にチャクラを貯めていたものの、二人にとってサスケは『右利き』である。
 そうだったけ?とでも言いたそうな表情をした二人にサスケは溜息を吐く。
「…躾だ。右利きの方が何かと都合がいいしな」
 彼は右手でいつも通りの仕草を伴ってラーメンをすすった。左手がない分レンゲは使えないが、汁を飲まなければいいだけである。
「ふぅん」
 いまいち感覚がわからないのかサクラは生返事でずるずると音を立てて麺を吸い込んだ。
 そして隣でぎゃあぎゃあと騒ぐナルトを見て「仕方ないなぁ」と言うと、ナルトから箸を奪った。
「何すんだってばよ!」
「あんたがずっと騒いで食べれないからでしょ。ほら、貸して」
 レンゲに麺をとって入れ、スープとネギを乗せてやる。一口で運べるほどの量にそれらを盛ってやると、彼女は穏やかに微笑んだ。「これで食べなさい。仕方ないから毎回やってあげるわよ」なんて言う。
「サ、サクラちゃん…」
「早く食えよドベ。せっかくの麺が伸びる」
「うるせぇ!サスケってばずりーぞ!」
「あぁ?」
 サクラに甲斐甲斐しく世話されながら罵声を飛ばしつつラーメンを食べるという高等テクニックを披露するナルトをよそ目に、サスケはあっという間にラーメンを食べきってしまう。彼が早いのではなく、ナルトとサクラが遅いのだ。ごちそうさまでしたと行儀よく片手で礼をしたサスケはそれから、サクラの向こう側でせっせとレンゲからラーメンを食べる友人を眺めた。
「でも大変だったでしょう?」
 そう聞いたのはサクラだ。
「なにがだ」
「右手でなんでもするようになったの。利き手の矯正って大変だったんじゃないの」
「…別に 特に覚えてない」
 気づけば右手で箸を持ち、右手で筆を持ち、右手で手裏剣を投げていた。ただそれだけのことだと言ったサスケはラーメンの丼に浮かぶネギを器用に箸で回収する。
 相変わらずナルトは一口ごとにサクラにレンゲの上に盛ってもらっている上に喋るものだから食べるのが遅い。それに付き合うサクラのラーメンもまた、ふやふやと体積が増えてきている。
「ほらナルト、早く食べなさい!私のラーメンも伸びちゃってるじゃない」
「わかってるってばよぉ」


「…サスケの父ちゃんと母ちゃんって…どんな人だったんでばよ」
 ナルトとサクラが伸びきったラーメんを食べ終える頃には、すっかりサスケの目の前に置かれた空の丼が冷えてしまっていた。帰路についた三人は誰から言うことなく、それぞれの家に直帰せずにわざと遠回りをして帰っていた。
「…」
 サスケは答えない。
「ちょっと、ナルト」
 彼女は知らないのだ。
 サスケが愛してやまなかった両親こそが、木の葉に住み着いた毒の正体であったことを。彼女の思い込みは事実とは異なる方向ではあるが、何にせよサスケにとって両親の話はフェイタルであることに違いはない。
 だが、ナルトはそのまま続けた。
「オレってば…前は父ちゃんも母ちゃんも知らなかったから、なんもわかんなかったけど。父ちゃんと母ちゃんに会えて…すげぇ嬉しかった」
 ナルトは笑っていた。「二人とも死んじゃったけどオレ、父ちゃんと母ちゃんの子供で本当によかたって思った。…だから、サスケはどうだったのか聞きたいんだってばよ」と。
 里にとっての『悪』として処理された愛すべき両親は。
 二人はうちはという名前によって命を落としたと言っても過言ではなかったが、サスケはしばし考えるそぶりをしてから、拒否の言葉を発するのではなく曖昧にはぐらかした。
「オレはてめぇと違う。…親を厭う子供なんてごまんといるが、親を尊敬する子供の方が多い」
「…どういう意味だってばよ?」
「ナルト。それくらいにしなさいよ」
 今日はもう遅いんだし。
「じゃあさ、じゃあさ、サクラちゃんは?」
「私?」
「そ。サクラちゃんってば、サクラちゃんの父ちゃんと母ちゃんのことは好き?」
 そんな当たり前すぎる質問を振りかけた愛しき友人に彼女ピンときて、そして笑った。当然でしょ。
「そりゃ、それこそアカデミーの頃はたくさん反抗したし…今でもたまに喧嘩しちゃうわよ。でも嫌いな訳ないでしょ。…パパとママがいてくれたから、今の私が在るもの」
 ついこの間も大げんかしちゃってナルトに八つ当たりしたっけ。サクラは苦笑した。
「…そっか。そりゃあいいってばよ」
「でしょ。自慢の両親よ」
 かつて彼女のうちにあった気まずさはもうない。彼女の両親は生きていようが死んでいようが彼女だけのものだ。ナルトもサスケもすでに両親は落命しているが、以前はそのこともあってサクラは自分の両親のことを二人に話すようなことはあまりしなかった。
 ごめんなさい、私の両親だけ存命で。
 そんな見当違いな遠慮があったのは間違いない。だが、もう彼女にその遠慮はない。サスケが今まで犯してきたすべての罪は親を愛していたからこその行動だったのだから。ゆえに彼女は続けた。「悪いけど、ナルトのご両親にもサスケくんのご両親にもきっと負けないから。…ママのご飯はすごくおいしいし、パパは…ちょっと変わってるけど、優しいもの」
「サクラちゃんってば!オレの父ちゃんと母ちゃんだってなぁ!すんげぇ優しかったんだってばよ!」
「へぇ〜?」
「あんま詳しくはそりゃ知らないけど、エロ仙人もカカシ先生も父ちゃんのことゼッサンってやつだったし!」
 若き天才であるという外向きの評価だけではない。少し間の抜けた先生だったと笑ったのはカカシ。優秀で心優しかったがもちろん失敗もたくさんしてきたと教えてくれたのは自来也だ。
 どれだけ後世まで語り継がれる英雄であったとしても、ナルトにとってはただの父親である。
「母ちゃん、怒るとすげぇ怖かったけど…でも、オレを愛してくれてた。父ちゃんのことも、この里のことも」
 だからオレだって自慢の両親だってばよ。
 今となってはもう二度と会うことはないであろうし、そもそも自然の摂理にかなった状態で顔を合わせた時のことをナルトは覚えていない。全て人づてや幻、穢土転生といった人ならざる存在としての対面であった。
 それでも彼の表情は明るい。
「だからさ、今は無理でも」
 そう言って彼はサスケの方を向いた。「…いつか、サスケが喋りたくなったら教えてほしいってば」
 お前の両親のこと。
 ナルトは悪意なくそう言った。それがたとえ十年後でも二十年後になってもいい。明日でもいいし、来月でもいい。シワクチャのじいちゃんになってからでも、死ぬ間際になってからでもいい。
 いつかお前の口から聞きたい。
 そんな言葉にサスケは一度だけ立ち止まり、足元に視線を落とした。
 子供を身ごもったことを契機として、母親はあまり任務に参加しなくなったという話は聞いたことがあった。上の子が、イタチが生まれたのちに続いてサスケを身ごもり、子育てに追われていた頃にはすでにずっと家にいたことを覚えていた。
 ナルトやサクラのように自慢したい両親だったか?
 と自問してみれば、内なる自分は間髪入れずに首肯している。しかしそれを二人に対して言葉にし、音を乗せて告げる勇気はまだ存在していなかった。口にしてしまえばあっという間に心が瓦解してしまいそうな危うさがあるのだ。
 だからサスケは否定はしなかったが、肯定もせず、
「気がむいたらな」
 なんていう曖昧な言葉を残した。
「…じゃ、私楽しみにしてようかな」
 そう言ったのはサクラだ。
「ほら、サスケくんのお家のことって…あんまり知らないから。すごい人だった!っていうのしかわからないもの」
 いったいどんな人だったのか。料理はうまかったのか…厳しかったのか。お父さんは駄洒落を言ったのか?聞きたいことは山ほどある。
 それら全てを語ってくれる日は来ないのかもしれないが、サクラも、ナルトもいつか遠い未来でも構わないからと告げる。それでも死ぬ前には聞かせてね。
 サスケの両親のことが知りたい訳ではない。
 きっと、彼の口から語られる両親への愛情を知りたいだけなのだ。

 そんな二人に挟まれて、どこか居心地悪そうにサスケは「そのうちな」と答えた。




「…そういえば、ラーメンは…うまかったな」
「だろ?一楽ってば、やっぱ…」
「そうじゃない」
「え?」
 サスケは歩き出した。夜道にぼやりと浮かびあがた街灯の光が三人の長い影を地面に映し出す。すっかり夜は冷える季節だ。じきに冬が来て、いずれ春が来る。また、アカデミーを卒業した頃と同じ季節やがってくるのだ。
 うまかったのは、と彼は呟いた。
「…母さんが作ってくれたラーメン、うまかったんだよ」


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