泥酔者の襲撃




 乾いた地面に一縷の希望として落ちた水滴のように。
 偏に祈りを捧げ、その身を捧げ、命を捨てるすら厭わぬ愛のように。
 巨大な甕(かめ)に湛えられた清水に一粒落とした瀝青炭のように。

 清純としていた真白の心に、ただただどこまでも黒い情念が垂れ落ちた。


 時刻は午前三時三十分。
 誰もが寝静まり、老人たちが起き出す頃合いでもある。突如として襲撃してきた泥酔状態のサクラは相変わらずにゃあにゃあとふざけた声を出しながら甘えてくる。一度は衝動的に押し倒してみたものの、上気した頬を持つサクラはきっと今宵何が起こったところで眠れば記憶がリセットされてしまうのであろう。
 そうとなれば襲ったとしても一方的にサスケのみが記憶を残して『負け』るだけだ。
 ベッドのしたで座り込んで自身の疼きを抑え込むように眉間に深い深い皺を刻んで無表情を決め込むサスケの髪の毛をサクラはベッドの上に転がっていじりまわしていた。
「サスケくん、」
「寝ろ」
「私、酔っ払ってないわよ」
「黙れ」
「本気よ。…ここに来たところまでは確かに覚えてないけれど」
「…」
 サスケは無言である。
「……私のこと、酔っ払いだと思ってる?」
「それ以外に何なんだ」
「……そうねぇ」
 サクラはそう言って綺麗に揃えられた爪をサスケの髪の毛から頬に添わせ、そっと薄い唇をなぞり始めた。
 女特有の丸みを帯びた肌が触れた瞬間、彼はびくりと思わず肩を跳ね上げた。大蛇丸のように生理的な嫌悪感を伴わないそれは紛うことなくサスケの加虐心を共に撫で、ようやく落ち着いてきた心のざわめきを再び呼び起こす。
「酔っ払いのフリして…好きな男の子にイイコトしようと思う 悪いおんな  とか?」
「はぁ?」
 酔っている。
 酔っていないと訴える人間ほど酔っ払っている奴はいないとよく言ったものだが、まさしく今のサクラはその言葉の通りである。部屋に侵入したことはあまり覚えていないと言っていたから多少の酔いは覚めたのかもしれないが、それでも素面とは程遠い。
 やめろ、と右手でサクラの手を払いのけようとしたが身体は動かない。
 理性が本能に負け始めているのだ!
「サクラ…」
 頼むからやめてくれという言葉も喉に詰まる。
「なぞなぞよ、サスケくん。ここで取り出したるは…これ。なんだと思う?」
 ごそごそと音がしてみれば、サクラはズボンのポケットから小さな小瓶を取り出してきた。中には無職の液体が漂っているが、目の前に差し出されたその瓶からは鼻の奥を通り脳みそまで届きそうなほどに甘ったるい匂いが染み出している。
 顔をしかめたサスケはようやくそこで振り返ってサクラを見上げた。
 うるうると湿度を保った唇、濡れた睫毛、少しばかり乱れた髪の毛。ずり落ちたカットソーから見える桃色の肌。あられもないその女の姿を視界に収めてしまった瞬間にサスケは思わず自らの身体の異変を察知してしまったが、気取られぬように慎重にサクラと目を合わせ離さぬようにしてみせた。
「ロクなものじゃないだろう」
「ただの香水よ。サスケくんってば…ナニを想像したのかしら」
「…おい」
「なぁに……きゃっ」
 我慢の限界だ!やってられるか!
 サスケは思わず内に住む理性という奴に心中で、ではあるが怒鳴り散らしてやった。食わぬは男の恥とはよく言うものである。そもそも妙齢の酔っ払った女が深夜に乱れた服装で一人暮らしの男の寝室へ侵入してきた時点でやることは一つである。
 何を躊躇していたのだ、酔っ払った彼女が悪い。
「サクラ…お前言ったよな。酔っ払ってるフリをしてると」
「ん…」
 マウントポジション、再びである。
「酔っ払ったお前が悪いんだ…どうせ寝れば全部忘れるんだろう?」
「サスケ くん …?」
 本当に行動に移されてしまうとは思っていなかったのか、サクラの頬の赤みがさっと引いていくのが見て取れた。
 だがもう遅い。サスケはにやりと口を弓なりにしならせると、むき出しの汗ばんだ首筋にそっと顔を埋めて舌を這わせて見せた。
「ちょっと、サスケ くんっ…!」
「煽ったお前が悪い」
「ダメよ、ダメ…!」
 一度決めた道は変えられない、変える気はない。まっすぐ己の道は曲げないとどこかのバカは言っていたが、今の限りはその言葉を借りてやろうとサスケは暴れるサクラを腕一本でたやすく押さえつけながら首筋をなぞった舌をそのまま顎へ、耳朶へと這わせる。
 言ったはずだ。
 お前が悪い。
 しっとりといやらしい湿度を帯びるサクラの瞳をふと視界に入れ、サスケは翌朝襲いかかるであろう後悔のことなど忘れて己の本能のままに愛撫を始めた。


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