嫌な雨音だ。  しとしとという音の表現をすればまだ『趣』とやらがあるかもしれないが、この状況での雨は厄介者以外の何者でもない。鉛色の空が低く広がり、遥か遠雷が耳にも入ってくる。じきにこの雨も本降りとなり、雷の嵐がくるであろう。
「…一雨、くるね」
「だな」
「やだなぁ」
 サイの墨獣が偵察から戻ってきた。
 今回の任務はサイとサクラのツーマンセルで行われていることとなっている。だが、どうしても外に出たいと言って聞かないサスケのためにカカシがわざわざ特別に外出許可を出し、外を散歩しているということにして任務に同行しているのだ。幼い頃はイタチの任務に非公式に何度か同行したこともあったため、サスケからしてみればなんの不思議なことでもない。
 それでもサスケの立場というものもあり、そのことを知った綱手が小言を漏らしていたことはもちろん知っていた。
「お前の術、雨が降るとどうなる?」
「紙が湿るとうまく描けないからね。…雨天は苦手だ」
 機密文書の護衛が彼らに与えられた任務だ。砂の国から送られた親書を持った鷹が道中で蛇に襲われたらしい。羽を休めていた際に襲われたのかは分からないが、半日以上位置探知をしてみても動かないためこうして人力で回収しているのだ。サスケの腕の中には生ぬるい鷹の屍体。
 建前上サスケは『通りすがりの一般人』であるため、親書には触れてはいけないこととなっている。彼もそれをわかっているのであろう、しかしサスケは、その場に捨て置いてもよいとされた鷹を腕に抱き込んでいた。
「あぁでも」
 と、術の弱みを見せるはめとなったサイは反撃とばかりに口を開いた。「印が結べない以上、もしかしなくても君は足手まといかもね」と。
「ちょっとサイ、そういう言い方ないでしょ」
「でもそうだろう?…君の雷遁があれば、雨天の中でも追っ手を振り切れると思ったけど…」
「瞳術があれば他はいらねぇよ、少なくとも今は な」
「サスケくんも応戦しないでって」
 バチバチ、と目に見えぬ火花が二人の眼差しの間で起こった。
「こうしましょう。木の葉まではあと半日も走れば着く距離だもの。私が囮になるから、二人で親書を運んで頂戴。木の葉にたどり着く頃に私も引き上げるわ」
「「それはダメだ」」
 サクラの提案は二人の男によって否定された。
 雨が降り始めればサイの術が弱体化する以上、天候に関係なく戦えるサクラが囮となればいいと考えたのだが、二人は断固として首を縦に振らなかった。だから なんでそうなるの。負けず嫌いの二人にサクラはため息をついた。 「じゃあどうするのよ」
「…オレが」
 そう言ったのはサスケだ。
「オレが残る。どうせこの任務は正式にはお前たち二人の任務だ。お前らが里に到着した時点で任務は終了、オレはただ『散歩』をしてから帰るだけだ」
「サスケくん、それは…」
「オレは親書を持たずに敵と交戦していればいいんだろう?敵はどの陣営かは知らないが…どうせ砂の抜け忍あたりだろう」
「君は今印も組めないんだろう?」
「忍術が忍の全てじゃない。腕がなければ足がある。…サクラほどじゃねぇが、てめぇより体術は上だ。いざとなれば写輪眼を使えばなんとでもなる」
 それはそうだけど、とサクラは心配そうな瞳でサスケを見た。
 彼の実力を心配している訳ではないが、そもそも病み上がりだ。ナルトのように高い回復力はもう持っていない。一時期大蛇丸の、白蛇の力を取り込んでいた際にはそれなりに高い回復力を持っていたようだが、今は違う。しばらくベッドの上での療養生活を強いられたせいで体がなまっているに違いない。
 サスケの提案はもっともであったが、もし彼になにがあったら、とサクラは頭を抱えた。
「…おいサクラ」
「わかってる。わかってるわサスケくん」
 心配ないということは。それでも、とサクラは言った。「ごめん、どうしても心配で…」といえば、サスケではなくサイが声を出して笑った。
「サクラ、安心しなよ。…世界中で指名手配されて、雷影様を殺そうとしたりダンゾウ様を殺したサスケが、こんなところでやられる訳がない」
「…」
 言い方にたっぷりの悪意が含まれたサイの言葉にサスケは渋い顏をしながらも頷いた。
「その鷹」
「?」
 サクラはサスケの腕に抱かれたままの動かない鷹を取り上げた。「私が、サスケくんの代わりに連れて帰るね」と言う。やはりその表情は明るいものではなかったが、ややあってから、
「サイの言う通りよね」と言った。
「サスケくんの実力、サイよりも私がわかってるもん。そのサイが言うんだから…大丈夫よね」
「当たり前だ」
「もしかしたら下忍時代のサスケくんでも楽勝かも」
「印が組めないだけだ。忍術がなくともオレには体術と幻術がある。…それに、オレの顔を見た相手は必ずひるむ」
「その自覚はあるのね」
「ない訳がないだろう」
 サスケは自信過剰な笑みを浮かべた。あぁ、この笑みだ。
 どうせ彼が木の葉に戻ってくる頃には、楽勝だったと言いながらあちこち小さな傷を作っていることだろう。見かねたサクラが治療するハメになるのは目に見えている。それでも、とサクラも笑った。
「じゃあ、サスケくんお願いね。…行きましょう、サイ。月が天井に来る頃には木の葉についているはずだから」
「あぁ。…じゃあ、サスケ。僕らは先にいくよ」
「オレは散歩してるだけだ。とっとと行けよ」
 近づいてくる忍の気配に感覚を尖らせながら、サスケは去っていく二人の背中を見ることなくその瞳に赤い巴を浮かばせた。






「…言わんこっちゃないでしょ、もう」
 新任ほやほやとなるカカシは盛大なため息をついた。親書は無事だ。サクラとサイが敵と遭遇することなく木の葉に持ち帰ってくれたおかげで外交的には事なきを得た。だが、敵を足止めすると言って残ったサスケには日中のみの外出許可が与えられていたと知ったのは彼が小さな傷をたくさん作って戻ってきてからであった。
 処分保留の彼が外出期間を破らずに放浪していたのだ。カカシは理由書を兼ねた始末書をサスケに突き出した。
「お前のそういうところ、変わってないねぇ」
「別に直す気はねぇ」
「褒めてないの、わかる?」
「当たり前だ」
 追っ手の忍は全て蹴散らした。刀も持たず、ただその残された拳と足だけで撃退したのだというのだから、『体の鈍り』とやらは大したことではないようだ。だが、やはり左腕が丸頃ないぶんバランスを崩しやすく、何度か反撃されたとは言っていた。
 早くサクラに見てもらいなさい、と恩師はもう一回ため息を吐いた。
「一応お説教はしたよ」
「一応聞いた」
「…じゃあ、本音だ」
 七代目は姿勢を直して口布に隠された口元には笑みを浮かべ、わずかに見える目を細めた。
「ありがとう。…安心したよ。お前が…二人を助けようとしてくれて」
「…」
「外出したまま帰ってこなかったらどうしようかと…思わなかった訳じゃないからね」
 お前を信用していない訳じゃない、信じているからこそとカカシは言った。
 サスケが里を出ようとしていることはすでに知っている。そのための手続きをするために重役を説得するのは彼とナルトの仕事だからだ。
「あの鷹を殺したのは…」
「うん?」
「親書を運んでいた鷹を食い殺したのは、大蛇丸のアジトから逃げた蛇だった。…剥がれた鱗にチャクラが残っていた」
「あらま」
 そんなこと報告されていない、とカカシは首をかしげたが無理もない。蛇の鱗を見つけ、そのチャクラをたどったところでサイやサクラにはわからないであろう。サスケだからこそ分かった事実だ。彼は視線を窓の外にやり、遠くを見た。
「アジトの近くには蛇が多くいる。…よく、手紙を運ぶ鷹が食い殺されていたからな」
「…そうなの。それで責任感じちゃった訳」
「そういうことじゃねぇが」
 それでも、任務を果たすために羽根を休めた鷹が不憫に思ったから。気まぐれのように蛇に殺された鷹に同情してしまったのだ。サスケは「話は終わりだ」と言うと、白紙の理由書を睨みつけながら執務室を出て行った。


「…ごめん」
 その外で待っていたのはサクラその人だ。サイは鷹を埋葬しにいっているという。
「…」
「サスケくん、夜までに戻らなきゃいけなかったんでしょう…?」
「おかげで次の外出許可願を出せるのはずいぶん先だ」
「……ごめんなさい」
「なんでお前が謝る?」
「だって…私が、最初に残るって言い出したから」
 アホか。
 サスケはそう言って歩き出した。後を追うサクラは終始気まずそうな顔をしていたが、火影邸を出た途端に聞こえた雨足にため息をついたサスケの隣に並ぶと、少しだけ彼と距離を縮めた。
「でもありがとう。おかげで親書も無事だったわ」
「…ならいい」
 ぶっきらぼうで不器用でわかりづらい。
 文句を言いながらも助けてくれるところは変わっていない。サクラは「傘、ないなぁ」と言って困り顔をして見せた。するとサスケは手に持っていた理由書をサクラの頭の上にかざしてやると、「これでいいだろ」なんて言い出した。
「雨の中こんな紙を持たせる七代目が悪い」
「もう、サスケくんったら。本当に里からでれなくなるよ?」
「そうなれば勝手に出て行くだけだ」
「やめてよ。追いかけるの、すごく大変だったんだから」
 サクラは笑った。
 『笑えない』冗談ではあったものの、サスケが口元に笑みを浮かべて言うものだから彼女もつられてしまった。もうすぐ朝日が昇る頃だ。七代目となったカカシは今日もまた眠らずに朝を迎えてしまうことになってしまうだろう。デスクワークで徹夜続きとなれば、若くもないカカシには辛いであろう。
 カカシ先生のためにもこれ、ちゃんと書いてよね?
 とサクラがすでに雨粒を受け始めている理由書を指せば、サスケはフン、と声に出して笑った。
「お前たちの任務を手伝ったんだ。…これを書くの、手伝えよ」
「…お安い御用よ。さ、帰りましょ」
「あぁ」
 二人は雨粒が大きくなってきた帰路を、真っ白な紙を申し訳程度に頭にかざしびしょ濡れになりながら歩いた。


inserted by FC2 system