君との約束


き:帰来を望みます(ヴィンセントとクラウド)


「携帯買うつもりはないのか?」
 瓦礫の中でクラウドは遊び疲れたとツンツン頭から水滴をぼたぼた滴らせながら呟いた。
 教会の中央に突然出現した泉は不思議なことに星痕症候群を跡形もなく消し去っていったのだ。デンゼルも、モーグリの人形を抱えた女の子も、そしてクラウドも。最初こそ心配するかのような緊張した空気ではあったが、堰(せき)を切ったように子供たちは治癒した病魔に喜びの声をあげはしゃぎ始めた。
 調子に乗ったユフィがヴィンセントの腕を引っ張って泉に投げ入れると、どうしたことかその時になって初めてヴィンセントも星痕症候群を患っていたことが判明してしまったものだからそこからが一騒動であった。大暴れし始めた彼女を収めるためにヴィンセントはシドとケットシーを巻き込み、余波を受けたクラウドもまたユフィに殴られた。子供たちにとっては楽しい時間であったかもしれないが、それが過ぎ去ってしまえば大人の身体に残るのは異常なまでの気疲れだ。
「……買うつもりはない、が……買わなければうるさい連中がいるようだ」
「それなりに皆、アンタのことは心配していた」
「心配されるようなことはしていない」
「連絡つかないから、だ」
「……」
 ヴィンセントとて別段危険を冒した生活をしていた訳ではない。住む家を持たず、拠点も持たず世界中を放浪していただけだ。ジェノバの痕跡探しという気が遠くなるような目的はあったものの、人里から離れた未開の土地を渡り歩くことがほぼ目的のようなものだった。
 もちろん魔物に遭遇することは多々あったがそれほど強いものでもない。
「一度ユフィには会ったぞ」
「知ってる。その後セブンスヘブンに一緒に来たよな」
「あぁ。どうしても会う必要があるならどうとでもなるだろう」
 心底うんざりした顔でヴィンセントは未だ泉ではしゃぎまわるユフィに目をやった。
「別に電話に出なくても……持っているだけで、たまに役に立つ」
「携帯の電波とやらは世界のどこでも届く訳ではなかろう」
「……それはそうだが」
 忘らるる都はどうだったか。マリンに携帯を貸すように言われたが紛失したために確かめられなかったが、いかにWROが情報網を発達させているとはいえどあんな場所では電波が通じなかったかもしれない。
 大空洞に行ったり古えの森に入ってみたり。そんな場所ばかりを放浪していたヴィンセントには確かに彼の言う通り携帯電話は無用の産物であるやもしれない。それでも所持しているという事実はそれなりに重要だ。
「今度俺も無くしたから買い替えなきゃいけないし、リーブに見繕ってもらえばどうだ?」
「断る。アレに頼むと発信機と盗聴器の一つや二つくらい付いていそうだ」
「嫌なオプションだ。でも否定できない」
 かつて神羅カンパニーの都市開発部門統括というミッドガルを統べるサラリーマンはいつのまにか世界再生機構なんていう大それた組織のトップだ。ケットシーという猫型のつくりものを操っていたクラウドの掛け替えのない仲間であることに違いはないが、腐っても神羅だ。やることなすことの端々からクラウドやヴィンセントといった『末端』から見れば嫌気がさすほどの『神羅らしさ』が滲み出ている。
 そのため彼に携帯の契約を見繕ってもらえばそれなりに都合がつきやすいだろうが、見返りが恐ろしい。
「クラウド」
「なんだ」
「お前は……そういえば何でも屋、だったな」
「運び屋だ。それに、面倒はごめんだぞ」
 面倒じゃないさ。ヴィンセントはそう言って立ち上がった。
「携帯を買えと言ったのはお前だが……あいにく私に住所はない。神羅の口座は凍結されてはいないから金はいくらでもあるが……お前の名前で二台契約しろ。金なら払う」
「……」
 それを世間では面倒ごとと言うんだ。クラウドは去来しはじめた頭痛に頭を抱えた。「まぁいいよ。マリンの学費もデンゼルの学費もまだまだかかる……住所と名前の貸し出し料、たっぷりとるぞ。収入はあるのか?」
「現役の時ほどではないが、それなりに。それに貯金ならいくらでもある。父親の遺産と保険料だけでも遊んで暮らせる」
「アンタの親父さん、金持ちだったのか」
「父親はそれなりに高名な星命学者だったらしいからな。遺産は自動的に私へたっぷり入ってきた」
「溺愛されてたんだ」
「かもしれん」
 あまり思い出したくはない話だが。ヴィンセントはそう言うと踵を返す。
「もう行くのか?」
「ここにいてはタークスの連中に追い回される」
「……スカウトでもされてるのか?」
「復職の勧誘だ。製作所時代の待遇より劣悪な労働環境だ、誰がなんと言おうと拒否する」
「アンタが言うってよっぽどだな。俺が入社した頃はまだ一般兵の待遇はそれなりによかったぞ」
 一般兵とタークスを比較するな。ヴィンセントは不機嫌丸出しで反論した。
 絶頂期の給料はソルジャークラス1STよりも上だなんて噂だけは聞いていたが、仕事の中身から言えば割に合わない。夏でも冬でもスーツで身を固め、午前9時出社の午後17時退社が原則ではある。だがそんな建前最初から無いほうがマシというやつだ、休暇はもちろんある訳なくどれだけ残業しようとも手当てはつかない。勿論危険手当てというやつも、だ。
「暗殺、銃撃戦、事務処理、始末書作成、潜伏任務、色仕掛け……それから出征。どんな内容だろうと給料は変わらないからな」
「現地手当ても?」
「ある訳がない。それでも当時はそれなりの高給取りっだったが……今のタークスが提示する給料はそれこそ昔の半分以下だ。身も心も神羅に売った名犬でなければ勤められはしないぞ」
「言い方に悪意があるな。だが給料出るだけマシか」
「レノは出てないらしい。以前の社員もそれなりに集まってはいるらしいが……皆考えられないほどの薄給だ」
「……つらいな。それとも神羅がもう一度再建するのを本当に夢見ているのか」
 タークスが神羅の犬とはよく言ったものだ。ヒーリンに住み込み、家賃光熱費の支払いは免除されている。そして食費と寛容な主任のおかげで様々な費用が経費として決済されている分、給料としてレノたちが手にするのはお小遣い程度だそうだ。そのためかつての半額以下であろうと給与が出ること自体破格の待遇ではあるという説明は受けている。
 だが、それとこれとは別だ。
「まぁいい。携帯の話は任せる」
「どこに行くんだ? 連絡先が分からないぞ」
「……そのうち店に行く。それでいいだろう?」
「分かった」
 ヴィンセントの脱走にユフィが気づく様子はない。目があったバレットにゆるゆると首を振り、見て見ぬ振りをしてもらう。赤マントの仲間が教会の扉の向こうへ消えていった頃、振り返ったユフィと目を合わせてしまったクラウドは大きなため息をついた。



み:見えぬものその全て(ヴィンセントとレノ)


 その目に見えるもの全て、灰色だった。
 会社の命令に従ってターゲットを抹殺し、時に毒を盛り、時にベッドに連れ込んでから殺した。言われるがまま、命じられるがままに感情を殺してただひたすらに人の命を奪っていく。タークスはそんな仕事ばかりだとレノは呟いた。
 ウータイの夜は長い。
 幸いにしてクラウドたちはユフィの実家に泊めてもらうことができたが、親娘揃って寝相も悪く、シドたちの大いびきに耐えかねて脱出してみたところ会いたくもない後輩に鉢合わせてしまったのだ。夜のお散歩を称する赤毛のタークスはレノといい、制服を着崩したラフな格好で冷え切った饅頭片手に川縁に座り込んでいた。
「……アンタもタークスだろ」
「元、だ」
「死なない限りタークスだぞ、と」
「……」
 あの様子じゃクラウドたちには黙ったまんまだろ。くつくつとレノは喉の奥で笑った。
「オレは知ってるぜ、アンタのこと。ヴィンセント・ヴァレンタイン。ついたあだ名はタークス・オブ・タークス。アンタの記録は今この時にも誰一人として破れなかった。セフィロスがソルジャーの英雄なら、アンタはオレらタークスの英雄だぞ、と」
「嫌な言い方だ」
 その英雄セフィロスがどうなったかなど知っているくせに。
「嫌味で結構。明日の夜までは休暇なもんでね、安心してくれ」
「……フン、こんな時期に休暇など贅沢な身分だな」
「アンタだって休暇くらいあったろ」
「あってないようなものだ」
 ヴィンセントがタークスとして調査課に身を置いていたのは未だ神羅製作所と呼ばれていた頃だ。魔晄炉というドリーム・エナジー計画に躍起になり世界各地に炉を建設しようという最中であった。ミッドガルすらまだ完全なかたちになっていない状態のままそんなことをしたものだから、ソルジャーがまだ存在していなかった当時のタークスといえば一番過酷な部署であった。
 毎日毎日人殺し。風俗嬢を唆してギャングを解体させたり、神羅に反対する地元のマフィアを実力を持ってして壊滅させてみたり。「だが……お前たちも面倒な任務を押し付けられたようだな」とヴィンセントは軽装のまま桟橋の手すりに座るレノの隣に背中を預けた。
「面倒?」
「クラウドの追跡だろう? ミッドガルではバレットのテロ組織を潰すため……いや、報復だかなんだか適当な理由だか知らんが、七番街のプレートとやらを落としたとも聞いたが」
「……」
「何人死んだ?」
「知らねぇよ。スラムに何人住んでるかなんて……誰も気にはしねぇ」
 良心が痛まない訳ではない。できることならば罪のない人々を巻き込んだ虐殺紛いの行為はお断りしたいところだったが、タークスである以上拒否権はない。たったスイッチ一つ、レバー一つでミッドガルのプレートは墜落し、レノはスラムに暮らしていた無数の住人たちを圧し殺したのだ。
「嫌な職業だ」
「仕事だからな、と。アンタだって相当クラウドたちにバレるとイケナイ仕事してたんだろ」
「否定はしない」
 理不尽な理由で一家皆殺しだとか。家族は無関係だがマフィアの構成員がいる以上口封じに全員始末しなきゃいけないだとか。魔晄炉建設に反対する連中に裏で資金を横流ししていたウォールマーケットに蔓延るマフィアのファミリーを惨殺したりだとか。
 挙げればキリはないが、ヴィンセントは少し考えるそぶりをしてから「だが、今のお前たちのように一方的な虐殺はしなかった」と言った。
「一方的、ね」
「ソルジャーもいない。神羅に楯つく奴らが街に溢れてた時代だ。お互い撃ち合いばかりで……腕のいいやつは片っ端から調査課に吸収していった。だが次の任務では吸収した人数よりも多く死んでいく。何年も生き残れるやつは少なかった」
「そりゃ嫌な時代だ」
「今よりはマシだ。少なくとも私はプレートを落とす任務はご免だな」
「でも刺激的だぜ?」
「……だろうな」
 ヴィンセントはぼんやりと川を泳ぐ鯉を眺める。
 隣でくつろいでいる真っ赤に燃えるような髪色をしたタークスの男は、『敵』だ。眉毛もまつ毛も赤いが、その生え際だけがぼんやりと黒ずんでいた。どこか懐かしいその色合いに想いを馳せながら彼は虚ろな目のまま彷徨う鯉の行方を追いかけた。
「私が」
「んあ?」
 冷えた饅頭にレノはかぶりつく。
「私がタークスだった頃の同僚は……皆、揃いも揃って死んだようだな」
「……よくご存知で」
「ケットを締め上げた」
「成る程ね。リーブさんが嘆く訳だ」
「やはり中身はリーブ・トゥエスティ……だったか。都市開発部門の統括で違いないようだな」
「……失言。オレからはなんも言えねぇよ」
 名前と役職を知ったとしても顔も知らないが。ヴィンセントはそこで鯉から視線を外して星々の輝く夜空へと顔を仰いだ。
 何人もの仲間がいたはずだった。今のタークスは数年前の『騒動』でその数を激減させてしまったらしいが、ヴィンセントが現役だった頃はそれなりの人数が在籍していたはずだ。調査課でひとくくりにせず、更にその下に班分けされていた。尋問専門の特務A班に情報部門のB班、そしてヴィンセントが所属していた制圧専門のC班。キナ臭い情勢になるにつれ仲間は次々と死に、離脱し、失踪しいつしか調査課という一つのくくりになってしまった。
 嗚呼、どう死んだんだろうな。
 ヴィンセントは誰に対してでもなく呟いた。
 ダウンタウンで物盗りや脅迫で食いつないでいた少年時代のヴィンセントを『スカウト』してきた赤毛のタークス。任務で知り合った護衛対象の女と駆け落ちするために脱走し、ヴィンセントが『始末』したことにした記憶がある。
「ヴェルドは一つ前の主任だったか。長く続いたな」
「いつから主任だったんだ?」
「三十年ほど前に主任になったはずだ」
「……そりゃ相当長い間、だな。ヴェルドさんの前はアンタが?」
「あぁ」
 任務に失敗して主任の座を追われた上に左遷されたがな。ヴィンセントは自虐気味に笑って視線をレノの饅頭に移す。よこせ、と腹も減っていないというのに最後の一口を奪い去る。
「アンタが『死んだ』後……アンタと同僚だったやつはヴェルドさん以外ほとんどすぐに死んでいったぞ、と」
「そもそも左遷される直前に何人も辞めたな。少なくとも私の他に三人はニブルヘイムで宝条のオモチャにされた」
「初耳」
「当然だ。私の死後死んだことになっているだろう」
 インとヤン。それからなんといったか。ニブルヘイムの神羅屋敷に徘徊する双子の化け物と金庫に住み着く魔物が『彼ら』だ。ヴィンセントと同じ時期にニブルヘイムへ派遣されたことになってはいるが、あっとう間に姿を消した。
 それからウォールマーケットのギャング上がりの同僚は親友とも言えるような仲だったが、些細な出来事が発端で仲違いをした上、ヴィンセントが長期任務に出ている間にとっとと調査課を辞任して医療課に回ってしまった。その彼も今や行方不明、死んだって噂だとレノは教えてくれた。
「アンタもいなくなって……何年かの間、調査課がヴェルドさん一人だった」
「……」
「どんだけ苦労したかオレらには分からねぇし……アンタに何があったかも 正直詳しくは知らねぇ。知りたくもねぇ」
 神羅に切り捨てられたタークスの行く末など。
 不用品としてレッテルを貼られた調査課たちは多くの社秘を持っているため辞表を受け取ってもらうこともできない。配属を変えるか、死ぬかだ。だが元来人殺しを常としてきた調査課が別の部署に流されることなど滅多になく、秘密裏に『始末』されるのが常だ。
 レノは大げさに震える仕草をした。「オレらも死にたくないんでね、スラムの人間殺してでも生きるぞ、と」
「それほどまでの命だというのか」
「命に価値なんてねぇ。そんな頭のいい話はご免だぞ、と。単にオレらはまだ死にたくないだけだ」
「……フン。お前も宝条に改造されて不死身になるといい。やりたい放題だ」
「笑えないな」
 つい数時間前、ラプスというコルネオが呼び出した魔物によって生み出された攻撃からエアリスを守るためにヴィンセントが身を投げ出した場面をレノはしっかり見ていた。身体をズタズタに引き裂かれてはいたものの、たった数秒のうちにそれらが全て修復され何事もなかったかのように反撃に出たのだ。そんな『大先輩』の姿をレノは思い出す。
 まだ人間してぇ、と胸ポケットからくたびれた煙草を取り出して火を点けた。
「なぁ先輩さんよ」
「……」
「答えてくれ。アンタがオレの立場だったとしたら……アンタは七番街のプレート、落としたか?」
「時と場合による」
「だよなぁ」
「間違ったことをしたと思っているのか?」
「人道的にアウトだぞ、と。会社の命令には従ったけどな」
「ならよかろう」
「……いいのか?」
 少なくとも。
「少なくともお前はタークスとして生き延びた。それで十分だ」
「……敵に慰められるなんて、レノ様カッコ悪いぞ、と」
 鯉が、跳ねる。
 彼の相方である禿頭(とくとう)の男は今頃酒場で延々と自棄酒にいそしんでいるらしい。今回は休暇中だし、何より胸糞悪い騒動でもなかったはずだとヴィンセントが告げると、レノは笑って「フられたんだよ、アイツ」と言った。
「勝手にだけどな。ルードはティファちゃんにゾッコン。だけどそのティファちゃんはクラウドにゾッコン、クラウドはエアリスにゾッコン、エアリスは死んだ恋人にゾッコン。悲しい恋のお話だ」
「馬鹿らしい。タークスがまともな恋愛できるとでも思ったのか」
「まさか。俺もルードも女運がなくってね」
 本気にしろお遊びにしろとことん女には痛い目合わされてきちまってさぁ、とレノは欄干から飛び降りるとその場にしゃがみ込み、ヴィンセントと同じように川を縦横無尽に蠢く鯉を見つめ、指先にこびりついた饅頭のかけらを落としてやる。
 途端、群がる魚たち。
「人生を捨てるべきだ」
「最初から捨ててるぞ、と」
 タークスになったその時から。真っ当な人間として生きることはとうに諦めている。それは現在の主任である冷徹な男もであるし、もちろんルードもだ。新人であるイリーナは何を考えているかは分からないが、少なくとも夢見た幸せな未来とやらはもう喪われた。
 後は『どう』かっこよく生きて、かっこよく死ぬか。
「精々みっともなくタークスとして生きることだな」
「じゃ、人生とタークスとしての大先輩のアンタは『タークスとして』真っ当に生きたのか?」
 群がる鯉たちはそれ以上レノが餌をくれないことを察知したのか、あっという間にその場から捌けていく。
「……私は ある任務に失敗して以来……死んだも同じだった」
「ウータイ出征?」
「仲間殺しの任務に失敗した」
「そりゃ、残念なことで」
 どうせ調べようと思えばすぐに手に入る情報である。別段隠すことなくヴィンセントはレノと同じようにしゃがみ込み、鯉が消えていった川面を見つめた。
「そのままニブルヘイムに左遷され……まぁ、そこで人生捨てたものじゃないと思ったこともあったが……最後は人間様の道徳心を訴えたら殺された」
「タークスが道徳だって? 冗談きついぞ、と」
「きついだろう。だから死んだ」
 まるで他人事のようにヴィンセントは告げた。レノは予想だにしなかった言葉にガリガリと頭を掻き毟り、「あ〜〜」と声を出した。
「せいぜいアンタみたいに無様な終わり方しないようにやるしかねぇな」
「そうだな。足掻けよ、人間」
「…次に会う時は敵だぞ、と。容赦はしねぇ、オレたちはタークスだ」
「それでいい」
 死ぬ気で殺しにかかってやる。
 最後の休暇を謳歌するはずであったレノは立て続けの厄介ごとに頭を抱えたままであったが、ヴィンセントは彼に一瞥をくれてやるとそれ以上何を言うこともなくその場を立ち去った。



と:隣に立つは望み持たぬ者たち(ヴィンセントとティファ)


「ねぇヴィンセント。あなた強いんでしょう? 少し相手をしてもらえないかしら?」
 そんな言われ方をされて黙っていたり、断れる訳はない。盛大な煽り文句であることは分かってはいたが、苛立ちを隠そうともしないティファの様子はピリピリとした気を放っており、どこかで発散しなければ女子部屋が悲惨なことになるであろう。ヴィンセントは無言で頷くと、宿屋のロビーで行儀悪く読んでいた本を机に積み上げて立ち上がる。
 蒸し蒸しとしながらも比較的寒冷なニブルヘイムの気候は夜ともなれば霧に包まれその不気味さは増す。
 一日中神羅屋敷を探し回り少し汚れた服のままティファは手甲を嵌め、腰を下ろして構えた。
 可哀想に。
 セフィロスとの邂逅がクラウドとティファの心に何をもたらしたかなどわかりはしない。ただ、エアリスと比べて少し引っ込み思案で気の利く女性という印象から正反対の姿を見せるようになった。眉間に皺を寄せ、ただ無言で日が暮れるまでセフィロスが消え去った後の地下室を荒らし回った。
 ティファは「はっ」という短い掛け声とともに地面を蹴り、強烈なパンチを繰り出してくる。細腕の女から繰り出されるとは想像もつかない膂力がヴィンセントの手のひらに吸い込まれていき、隙のない豪打ラッシュが叩きつけられる。
「……言っただろう、踏み込みが甘い」
「ッ!」
 最後の一発を放つ時に生まれる隙はあまりにも大きい。
 ヴィンセントは初めて出会ったときと同じようにその一撃を受け止めると、軽々とティファの身体を放り投げた。
「やめておけ」
「……何をよ」
「アレは 神の御子だ」
「……」
 どれほどまでに人間を殺す術を身につけていたとしても。年頃の女が青春という甘ったるい時間の全てを捧げて技を磨き、素手で人を殺す力を手に入れたとしても。
 5年前の惨劇で父親を殺され、自らも重傷を負わされたティファは心に重く暗澹とした復讐心を掃き溜めのように抱いたまま生きてきたのだろう。ヴィンセントの言葉に返すこともなく、再び躍りかかる女の姿は野蛮で見るも哀れな復讐者そのものだ。
「君は神を相手に拳で戦うつもりか」
「神になろうだなんてどうでもいいわ、セフィロスは 仇なの。村の人全員の……父さんの仇なの」
 蜂のように鋭いパンチも、海豚のようにしなやかなアッパーも。サマーソルトキックもその全てを童のお遊びが如く回避し、受け止め、投げ返す。「私、は」
「アレはいずれ神に成り代わるつもりだ。神となり この星を殺す。……母親の仇討ちとして」
「上等よ。私だって父さんの仇討ちよ」
「……君が直接手を下す必要はない。君は矮小な人間だ」
「だとしても、よ!」
 フェイントを織り交ぜた足払いは軽く飛び上がって回避、裏拳は軽く受け流し、まっすぐ飛んできた拳は手のひらで勢いを殺す。
 確かにティファはそこらに蔓延る破落戸(ごろつき)や神羅の一般兵たちよりは十分強いやもしれない。アバランチというテロ組織の一員として神羅と戦い続けてきただけある度量だが、あくまでそれは『人間にしては』の部類に入る。
 勿論その言葉は他の同行者たちにも共通するが、ティファは己の拳のみで戦う近接戦闘を主とする女だ。脆い防御のまま突っ込めば、近い内に取り返しのつかない怪我を追う可能性もあるだろう。
 だとしても。
 ティファは再びそう言って渾身の一撃を繰り出してはみたものの、それらも無造作にすら見える手さばきで流されてしまう。
「…私は セフィロスを殺すわ」
 これ以上は無駄と知り、少し息が上がりながらも拳を下ろしたティファは悔しそうにそう呟いた。
 表情の一切を殺したようなそれではなく、どこか泣きそうな顔。拳をぎゅっと握りしめた彼女は内に秘めたる呪詛のようにつきまとう柵(しがらみ)を吐露した。「殺されたっていい。刺し違えたっていい。……ううん、今の私は弱いから……きっと私の命なんて賭けたってどうにもならないわよ。でも 無駄死にでも……それでも私は 強くならなくちゃいけないの、仇を取らなきゃいけないのよ。じゃないともう、私生きていけないの」
「復讐は絶望を呼ぶ。君のように仇に囚われ……堕落し、無駄死にしていく者を多く見てきた」
「なら分かるでしょう? そういう愚か者って、本当に死ななきゃ理解できないの。……復讐が無駄なことだって」
「私は無駄とは思わないがな」
「!」
 ヴィンセントは数歩歩み寄り、ティファの瞳をまっすぐに見返した。ヘーゼルの色をした彼女は強い瞳を持ったままだったが、不意に頭に乗せられたヴィンセントの手がさわさわと動くとそれを丸くし、頭を撫でられているという感覚に対して途方にくれた。「ヴィンセント?」
「君は強い」
「さっきと言ってることが違うわ」
「人間としては、だ。ただのテロリストどころではない。どこかの格闘家に師事したのか?」
「……ザンガン流よ。知らないと思うけれど」
「いや」
「知ってるの?」
「昔の知り合いがその流派だった」
 年老いた老師によって受け継がれていくその格闘術は年齢のこともあってか、数える程度の人間しか習得していない。そのうちの一人を知っていると新参者の不審者は言った。「今は生きているかは知らんがな」
「でも……私は弱いんでしょう? セフィロスと戦うには」
「あぁ。だが……君は 一人ではないはずだ」
「……」
「新入りの私が言ったところで何も響きはしないだろうが……君たちの旅の目的はなんだ? セフィロスへの復讐か? 君の目的が、皆の目的ではないだろう?」
「……そうよ。きっと セフィロスを殺そうだなんて思ってるのは……私とクラウドくらいよ」
「君の目的すらそれを同じくする同志がいるならば……一人で戦う必要もなかろう。そのための仲間だ」
 皆それぞれ理由があり、中には人に言えぬ野心を抱く者もいるであろうが。「戦わずにアレが消滅するのを待てばいい。静かに、命を落とすこともなく……ただ 待つだけでいい。セフィロスは……この私が殺すべき悪夢だ」
「え?」
「違和感を持つだろう? 君が言っているのは、それと同じだ」
「あなたも……セフィロスを殺す気なの?」
 ふわりとヴィンセントの手がティファから離れた。
「アレを殺すことが直接的な目的ではない。……だが、必要であるならば……邪魔立てするならば 殺す」
 そもそもあなたの目的ってなんだっけ。すっかり毒気を抜かれたティファは首をかしげたが、スタスタと何事もなかったかのように宿屋に戻っていくヴィンセントの背中を慌てて追いかけた。



「私には……きっと セフィロスを殺せない」
「ようやく気づいたか」
「気づいてたわよ、ソルジャー相手に私なんかが敵う訳なかったし」
 傷だらけの二の腕に包帯が丁寧に巻かれていく。ジュノンでそれなりに長い時間拘束されていた彼女は体力こそ消耗してはいたが、大きな傷はないように見える。スカーレットとシスター・レイの砲身でビンタ合戦をはじめてしまった為彼女の痩けた頬は真っ赤に腫れ上がっていたが、指先にケアルの魔法を集めてやってそっとなぞればそれらはすぐに消えていく。
「相変わらず上手いのね」
「エアリスほどじゃない」
「……うん」
 同じように監禁されていたヴィンセントはティファの目の前に座って手当てをしてはくれているが、彼もまた酷い怪我だ。ユフィに巻かれたのであろう、雑な包帯によって包まれた彼は仮装をしているようにすら見える。そのユフィは乗り物酔いでダウンしているらしいが、彼女も擦り傷だらけだ。
 ボロボロだね。ティファはそう言って俯いた。
 いちばん会いたい人はこの場におらず、つぎに会いたい人はもう死んでしまった。絶望に叩き落されたような感覚のままティファはぽたぽたと膝に涙を落とした。
「あんなにセフィロスを殺したいって言ってたのに……もう 私駄目みたい」
「クラウドなら きっと見つかる」
「慰めないでよ、あなたらしくない」
「……」
 指の先まで丁寧に巻かれた白にティファは「ありがとう」と言った。皆傷だらけ。ハイウインドという移動手段を手に入れたのはいいが、行く宛はない。空に浮かび上がる巨星は全てを滅ぼす悪夢そのもの。それを断ち切る戦士(ソルジャー)は消え去り、星の祈りを聞く古代種(セトラ)は死に果てた。
 もう無理よ、とティファはヴィンセントの白い手を握りしめて肩を震わせた。冷え切った体温とぷるぷると小刻みに震える恐怖がヴィンセントの鈍くなった感覚に訴えかけてくる。
「私……クラウドがいなきゃ 何もできない。皆がいてくれるから戦えるって……そう 思ってた、のに……皆いるのに……もう 戦えないわ」
「……仕方あるまい」
「ごめんなさい」
「どうせ私も……あのユフィでさえもこんな有様だ、元気なのは飛空挺を手に入れたシドくらいだろう」
「……」
「この先どうするにせよ、2、3日は体を休める必要はある。何も考えなくていい、ただ……休むといい」
「……うん」
 最早これまでなのやもしれない。セトラを失い、ソルジャーをも失った先に待つのは天を穿つ流星。
 だと、してもだ。
「今は何も考えず……眠れ」
 傷ついた美しき復讐者にせめて僅かであれど安寧が訪れますように。哀れな女にヴィンセントは小さな祈りを捧げた。



の:望み無き希望(ヴィンセントとみんな)


 衝撃波が襲う。
 不安定な足場から吹き飛ばされ、クラウドの体は宙に舞った。他の仲間はうまく着地したようだったが生憎彼の下には運が悪いことに虚空しか存在しない。あの化け物のような姿に変わり果てたセフィロスに殺されるのもご免だが、直接手を下されるのではなく墜落死なんて更にご免だ! 格好悪いたらありはしない。
「くっそ!」
 喚いたところで仕方がない。せめてこの形見のバスターソードだけでも地上に返してやりたいとクラウドが剣を投げ捨てる構えをした瞬間、一気に墜落は止まる。
 一瞬何が起きたのか全く把握することはできなかったが、なにやら首の後ろを掴まれて落下だけは避けられたらしい。一寸先すら見えぬ暗闇の中聞こえるのは遥か上方に居るであろうバレットとシドの罵声と、銃撃音。そして魔法による爆発音。
「黙ってないでなにか言え。まだ死んでいないだろう?」
「ヴィンセント、アンタなのか?」
「私以外に誰が空を飛べる?」
「セフィロス?」
「……笑えないな」
「言ったこっちも全く冗談じゃないとは思ってる。……だが助かった。危うく死ぬところだった」
 ふ、と笑ったような声が聞こえる。そしてすぐさま思い切り引き上げられるような感覚がクラウドを襲い、一気にヴィンセントが高度を上げたことが分かった。そしてライフストリーム渦巻く足場が近づくにつれてそのシルエットに色が付き始める。魔晄キャノンで大暴れしていた悪魔と同じすがたをした彼はボロボロになった翼を羽ばたかせてクラウドを戦場の真上まで運ぶと、セフィロスに向かって大きく振りかぶった。
「おい、やめろ!」
「行け」
「馬鹿な!」
 助けられたと思った矢先にこれだ! 何を考えているか分からないヴィンセントは時折こうして『ふざけている』としか考えられない行動に出る。せめて一度着地させてくれというクラウドの願いは完膚なきまでに叩き伏せられ、真上から降下せざるを得なくなった彼は大ジャンプをしてきたシドと二人揃ってきりもみ回転をしながらその異形を貫く。
「おう、無事だったかクラウド!」
「……まぁな」
 赤黒い巨大な翼により生み出された真空の刃を軽々と回避してクラウドはようやく足をつく。セフィロスの背後ではヴィンセントがカオスの姿のまま巨大な雷雲を呼び出し、耳を劈(つんざ)くほどの爆音を伴った雷鳴を巻き起こした。
 ミッドガルで見かけた際には理性のかけらを失いつつあった彼ではあったが、今は頗(すこぶ)る調子がいいらしい。サンダガ、ブリザガ、そしてコメット。様々な魔法を次々に詠唱してはセフィロスを牽制し、傷ついたティファの拳を癒すために流れ作業のようにケアルガを唱えた。
「シド、大勢を立て直すぞ。ユフィ、ヴィンセント! 援護は任せる!」
「任された!」
 後列に下がって手裏剣を投げていた少女が前に飛び出す。隣には猫と狼を伴って、小さな三人組は各々魔法を唱え、忍術を呼び起こし、遠吠えで星の力を引き出した。
「遍(あまね)く普遍たる万物よ、集え! 森羅万象!」
 大きく広げた腕、胸の前で交差する巨大手裏剣ときらめく小太刀。ユフィは飛び上がりヴィンセントの手を足がかりに大きく飛び上がると、身体を海老反りにさせてそう叫ぶ。
 それはウータイに伝わる秘術。マテリアを用いた魔法とは全く異なる系統の力によって生み出されるエネルギー波はユフィの小さな身体から発射されたとは思えぬほどに高密度な直線となって神になれなかった哀れな男へと降り注ぐ。
「星よ、降り注げ!」
 次いでクラウドが周囲に浮遊する足場にならないような礫(つぶて)を魔力で持ち上げ、バスターソードを振り下ろすと同時に流星群のように降らせる。
 その攻撃にタイミングを合わせてバレットが渾身の一撃を放ち、レッドが反撃として放たれた魔力の塊をウォールを詠唱することでダメージの軽減を図る。ミッドガルを出発する時から使っているというティファのかいふくマテリアが光り輝き、安物で売られていた人工マテリアとは思えぬ威力で癒しの力が発動した。
「ボクもいきますで〜!」
 神羅の黒猫はメガホンを片手に飛び上がると、肩に縫い付けられてぶら下がっていたケット・シーサイズの革カバンから何体もの機械仕掛けの銃撃兵が飛び出してきた。トイソルジャー言いますんや! と黒猫を彼方ミッドガルから操る中年男が自慢げに言うと、30センチほどの小さな兵隊は一斉に手にしたマスケットを放つ。四次元カバンやからな! と言って続いて彼は神羅特製の栄養ドリンクをカバンからぽいぽいと引っ張り出すと、魔力を振り絞ったティファにそれをパスしてやる。
「ヴィンセント!」
「分かっている……消え去れ!」
 低い男の声とともに星の力を持つ悪魔は翼から空気圧を圧縮した刃を投げつける。それらはセフィロスが同様にして作り出した真空波と衝突し、見えない刃がかみ合うことで周囲に大きな衝撃をもたらした。その刹那、僅かに鈍ったセフィロスの懐にヴィンセントはアクロバット飛行しながら突っ込むと、ほぼゼロ距離で掌に圧縮した純粋な魔力そのものをぶつける。
「効いてるじゃん! さっすが!」
「油断すんじゃねぇぞ!」
 バレットはそう言って効果が消え失せたウォールの魔法をレッドから引き継いで発動させた。「ヴィンセント、近づきすぎだ!」
 魔法攻撃を与えたカオスはしかし、そこから離脱せずにぶんぶんと振り回されるセフィロスの凶器をギリギリで回避しながら何度も攻撃を繰り返していく。破壊力はほぼ皆無に近いが、セフィロスは邪魔な小蝿を払うがごとくヴィンセントを叩き落すのに必死だ。クラウドは捨て身の牽制に歯がゆさを覚えながらもその合間に強大な召喚魔法を発動させるために一度剣を収めた。
「クラウド!?」
「ラウンズの召喚をする。全員、それまで耐えてくれるか?」
 円卓の騎士らを呼び出すためには膨大な時間が必要である。それを承知でクラウドは一撃必殺の攻撃を行おうというのだ。考えている時間もなく、リーダーは仲間の返答を待つよりも先に目を閉じて精神の集中に入った。
「どーすんだよ!」
「クラウドに従いましょ! わたしたちも時間を稼ぐの!」
 飛び出したのはティファだ。ウォールの恩恵を受けているとはいえ心もとない防御での彼女の突進に続いてバレットも雄叫びをあげながら続く。ケットとレッドがクラウドの前に立ちはだかりセフィロスから飛来する流れ弾を撃ち落していく。
「クソッタレ!」
 口汚い叫びと共にシドが真っ逆さまに落ちていく。上昇し始めたセフィロスを引き摺り下ろすように彼は脳天から重たい一撃を食らわせ、続いて再びヴィンセントを足場にして飛び上がったユフィがくるくる回転しながら小太刀を振り回す。まるでリズムに乗るように斬撃に合わせてフリーズの魔法を放った直後にそれを打ち砕くシドの二撃目。下方からケット・シーが従えるトイソルジャーたちが一斉掃射を行い、バランスを崩したセフィロスにティファが水面蹴りから続くメテオストライクをお見舞いした。
 これで 終わり!
 右手にありったけの闘気を込めたティファの最後の一撃がセフィロスの中心に吸い込まれ、ほぼ同時にクラウドが「みんな下がれ!」と声をあげた。
「きたぞきたぞ〜! ズラかるぜ!」
 クラウドの召喚魔法が発動星の核に所狭しと広がる緻密な魔法陣は幾重にも広がっていき、術者であるクラウドの周囲をライフストリームの渦がぐるぐると立ち上る。
 そして現れるは、魔を蹂躙する力を持つ円卓の騎士。
「アーサーよ、悪夢を斬り裂け!」
 最初の騎士が姿を表す。
 そして、二人目。
 三人目。
 巻き込まれないように後退した仲間たちはしかし、その場にいるはずの仲間の一人が見当たらないことに気づいた。
「ヴィンセント!」
 シドの叫び声が上がる。クラウドが呼び出した円卓の騎士らはセフィロスに狙いを定め、尚も周囲で飛び続けるヴィンセントをも巻き添えにして敵を切り刻み始めたのだ! 「ヴィンセント、戻れ!」と二度目の呼びかけでカオスは斬撃を掻い潜ってなんとか魔力の渦から逃げ出しては来るが、召喚に巻き込まれた彼は失速しその場に墜落した。
 カオス化しているとはいえ、ここは星の中心である。ジェノバの力が非常に不安定な中再生能力はすぐに働かず、駆け寄ってきたユフィの呼びかけにも応える様子はない。
「ヴィンセント、ちょっとちょっと!」
「ユフィ、彼を連れて下がれ!」
「分かって、……あ……」
 騎士らの斬撃が目まぐるしく続き、瞬きをするごとに代わる代わる現れる十三人の騎士、そして彼らを統べるアーサー王が最後の剣を振り下ろしたその時…倒れ伏したヴィンセントの周囲に魔力の渦が巻き上がり、召喚の気配が生み出された。
 マントを翻した騎士らが消え去っていくのと同時に、暖かな光に誘われて真紅の身体を持った巨鳥が大地より姿を現した。
 豊かな毛並みと命の輝きを併せ持つ鳥は紛れもなく不死鳥そのものであり、美しい巨体は大きな嘶きを伴ってその翼を堂々と黄緑色をしたライフストリームの海を背後に広げた。
「フェニックスじゃねぇか! ……ったく、ヒヤヒヤさせやがって!」
 彼なりに保険をかけていたのか。致命傷を負った宿主に呼応して彼が唯一持つコンドルフォートで生み出されたフェニックスが呼び出されたのだ。転生の炎はヴィンセントだけではなく、全ての仲間にもたらされた多くの傷を癒していき、ラウンズの攻撃によってうめき声をあげるセフィロスに向かって最後は突進し、火だるまとなりあっという間に消え去ってしまった。
「……うまくいったようだな」
「うまくいったじゃねぇ!」
 心配させやがって! シドの罵倒など聞く耳持たぬように変身の解けたヴィンセントはすくりと立ち上がると、腿にぶら下げていた3つの銃口を持つハンドガンを構えた。
「もたもたするな、一気に攻め落とすぞ!」
「お前が言うな!」
「ほんとにね!」
「……フッ それもそうか」
 一度に3発の銃弾を発射するケルベロスはおぞましい威力を持つ。そこらの魔物ならば肉塊を撒き散らせて破壊するほどのそれではあるが、やはりジェノバそのものとなれば話は別な様子である。ラウンズの攻撃でも完全に屈することのないセフィロスはクラウドが呼び起こした魔法陣よりも何倍も巨大なそれを中空にいくつも描き始めた。
 明らかに『ヤバい』奴がくる。だが奥の手を使ってくるならばそれは勝利が近いというしるしでもある。
「さぁみんな、後少しだ!」
 その前に防御体制をとってくれ。幾重にも折り重なるようにウォールが発動し、シールドマテリアが光り輝く。
 終わりは 近い。
 彼女との約束が果たされるその日は、悪夢を断ち切り全てを終わらせるその日は 今日この日なのだ。
 各々がとびきりの防御魔法を詠唱する中、星に還ったはずの9人目の仲間が スラムの花売りが、星の力を用いた守護魔法を発動する気配を8人は揃って感じていた。



や:やっぱり騙された!(ヴィンセントとケット・シー)


「……は はじめまして」
 煙だらけ、煤だらけ。髭を生やしたスーツ姿の中年男が崩れかけた廊下で鉢合わせた男に頭を下げた。
「お前がリーブか」
「えぇ。ケットの方がお世話になってます」
 もうもうと立ち上る埃から喉を守るためハンカチで口元を押さえながら、リーブという名の冴えない神羅社員は周囲を慌ただしく動いていた神羅兵の邪魔にならないようヴィンセントを隣の会議室へと誘導した。
 ミッドガル上空から降下した仲間たちは八番街で現地集合という非常に曖昧な待ち合わせの約束を交わして各々単独行動をしている。おそらく数名で固まってはいるだろうが、ティファとクラウド、バレットとシドとレッドがそれぞれまとまって降下していく姿は確認した。ユフィだけわざと皆から離れていたため、道中マテリア集めをしてくることであろう。そうして残り物となった哀れな物言わぬ猫型ロボットと共にこの神羅ビルまでやってきた訳、だが。
 本体が忙しいのでと言って沈黙したその『本体』とやらを拝みに来てはさぁ大変。ウェポンの攻撃を受けた神羅ビルはあちこで火の手が上がり、出払った一般兵たちを呼び戻すのに手一杯だ。
「それで? 状況は」
「状況も何も、見ての通りです。社長が生きてるのか死んでるのかも分からへん。救援もこんな状況じゃ望めないでしょうね」
 廊下の喧騒とは打って変わって静寂に包まれた赤いカーペットの会議室に設えられた大きな椅子にドッカリと重役は座り込んだ。「申し訳ないですけど、しばらくケットはお休みですわ。……神羅がどうなろうともこの際どうでもいいですけど、このままじゃどないもできません」
「……何をすればいい?」
「はい?」
 ヴィンセントはそう尋ねるとリーブの向かいに腰掛けた。決して社員であった頃は座ることなど許されなかったであろう席だが今は関係ない。黒い革張りのそこに座った途端、ヴィンセントのつま先から頭の先、髪の毛に至るまであっという間に黄緑色の光に包まれたかと思えばそこにはタークスの制服を身にまとった男が尊大な様子で座っていた。
 肘掛に肘をつき、真っ直ぐと諦めかけているリーブを見つめた。
「何をすればいいかと聞いた。神羅がどうなろうが知ったことではないが……死者が増えることは避けたい」
「……そう、ですね」
 リーブは顔を上げる。「人手が圧倒的に足りません。ガハハとキャハハが出て行ってくれたのは混乱せんで済んだからよかったのかもしれないですけど……生憎、あいつら兵士みんな連れ行きましたわ」
「クラウドの邪魔をするつもりだな」
「えぇ。魔晄キャノンがどうこうっていうよりあれはどう見ても私怨ですわ」
 髭面で恰幅のいい治安維持部門の統括と兵器開発部門の統括たる化粧の濃い『オバサン』の二人は新兵器だかとありったけの兵士をかっさらってミッドガルの街へ繰り出して行ったという。
「ルーファウスだったか。社長の生死も分からんようだな」
「ですね。階段から先が潰れてしまって手出しができません。人がいればなんとか瓦礫撤去して死体でもなんでも回収できるんですが……」
「が?」
「それよりも大事なことがあるので」
 そう言ってリーブは再び背もたれに身体を預けた。
 小火騒ぎは鎮静化しつつあり、科学部門の逃げたサンプルたちを今は兵士が追い回している途中だという。だがそれもむしろ逆効果だ。宝条が作り出したサンプルは凶悪な魔物であり、中にはジェノバ細胞を植え付けられた者たちもいる。そんな暴走状態の魔物を相手に一般兵が太刀打ちできるとは到底思えなかった。
 だから。リーブは乾いた笑い声をあげた。
「欲言うなら、タークスあたりが欲しいですわ。ソルジャーはジェノバ細胞を植え付けられとりますからあてにはできません。ほぼ混乱状態でミッドガルを徘徊してクラウドさんに引かれてるんちゃいましょうか」
「リユニオンか。厄介だな」
「えぇ。それも含めましてやっぱりタークスですわ。一般兵には社長の捜索と……市民の安全確保。富裕層はシェルター持っとる家もありますけど、ごく一握りですわ。それにスラムの方は整備なんてなんもしてない。それこそこのままじゃ魔物とソルジャーで魔晄キャノンやらメテオの前に全滅です」
「……そのタークスはどうした」
「社長はタークスに指示出せる状況じゃなかったんで、ガハハの命令で動いとるはずです。それこそクラウドはんたちの邪魔ですわ」
「なるほどな。忠実に無能な上司の言うことを聞いている訳か」
「えぇ」
 それを、なんとか。リーブは無言で訴えかけた。何日も家に帰れていないのであろう、しわくちゃで埃まみれのスーツの上着を彼は脱ぎ去ると、シャツを肘まで捲り上げた。「僕もここで一般兵と一緒に最後まで頑張ります。その……申し訳ないんですが、タークスとまでは言いません。どうかヴィンセントはん。ミッドガルにおるギャハハ管轄の兵士たちを呼び戻してもらえませんか?」
「……呼び戻すだけでいいのか? 命令は誰が出す」
「……贅沢言ってもいいですか」
「言うだけなら。聞いてはやる」
 踏ん反り返ったタークスの男はその場に立ち上がった。すらりとした長身の男はどこからどう見てもケットシーという玩具を通して見てきた赤マントの怪しい優男ではない。纏う空気、オーラ。瞳に浮かぶ意志の強さ。それらは全て今のタークスたちが持つそれと同じだ。
 リーブも立ち上がるとネクタイを緩め、思い切り頭を下げた。
「その格好ならタークスでも通ります。……後生です。魔晄キャノンへ行かなあかんのは分かってます。その道すがらでいいんで、タークスとっ捕まえて……彼らに一般兵に指示出してもろてください。おらんかったらヴィンセントさんが出してください」
「……」
「無茶やて分かってます。でも、どうしても…僕はこのミッドガルを守らなあかんのです。大勢の市民を……スラムに住む人も、一人でも多く救わなあかんのです」
「……で?」
「?」
「どこに誰を配置すればいい。一番状況を把握しているのはお前だろう」
「ヴィンセントはん……」
 リーブは顔を上げると口早にまくし立てた。「タークスにはソルジャーとサンプル回収を主に頼みたいんです。優秀な兵士もおります、各自でピックアップして連れて行って貰えばえぇと思います。できれば一人は兵士連れて他の兵士たちを回収しながら避難補助をお願いしたいんです。とりあえず魔晄キャノンが爆発してもえぇようにプレート上の連中をスラムへ誘導してください。文句は言われますけど、それしかあらへん。それから……」
「もういい」
 ヴィンセントは早口で告げられたオーダーに頭を抱えてそれを遮った。「要するにタークスのうち市民の避難誘導に一人、神羅ビルの救援に一人、それ以外はソルジャーとサンプルの始末。これでいいか?」
「えぇ。それでお願いします」
「……善処はしよう。だが期待はするな」
「いいえ、期待させていただきますよ。何せ……タークス・オブ・タークス。伝説じゃないですか」
 古すぎる通称がリーブの口から出てき、ヴィンセントは動きを止めた。任務達成率、器物損壊率。その他諸々を含めた総合成績から算出された「ランク分け」によってヴィンセントはかつてその頂点にまで上り詰めた。だがそれも今となっては遥か過去のこと。三十年はゆうに昔の情報に大きなため息をついた。
「その話はやめろ」
「……知ってます。ヴィンセントはん、クラウドさんの旅でご一緒させてもろて……誰よりも状況をすぐに把握してくれてます」
「……旅はまだ 終わっていない」
「終わりました。少なくとも、僕は。皆さんのスパイが目的でしたから。神羅がのうなってしまえば、僕の価値も無くなります」
「馬鹿め」
 ヴィンセントは少しばかり眦をつり上げ、会議室の扉を荒々しく蹴破った。
 外側にいた兵士たちは驚いた表情をしていたが、会議室から出てきたヴィンセントの姿を見てどこか安心したような顔になる。タークスの救援がきたとでも思ったのか?おめでたい奴らめ。苛立ちを隠すことなく元タークスは兵士たちに向かって「手を止めるな、救援が来るまで死ぬ気で動け」と指示する。
 ぽかんとした表情のまま部屋に取り残されたリーブに向かって彼は振り返る。
 馬鹿め。
 ヴィンセントはもう一度言った。
「お前はとうに……私たちの仲間のはずだ。目的など関係ない。……この旅は……途中下車など存在しなかったはずだ」
「!」
 それはバレットの言葉。
 離脱を許さないのではない。諦めを許さないのだ。かつて時を止め、過去に、死に逃げ込んだヴィンセントに激怒してくれたのは他ならぬケット・シーであった。そして全てを諦めかけたティファを鼓舞したのも猫の人形であったし、緊張気味の空気となればいつだって黒猫は場を和ませてくれていた。
 それが、もう無価値だと? 笑わせるなよ。
「いいか。お前も死ぬ気でここを持ち堪えろ。ミッドガルはどうにかしてやる。タークスどもの尻に火をつけてやる。魔晄キャノンも……宝条も 殺す。私たちはメテオを防ぐ。ホーリーを解放する。エアリスの……仲間の想いを 裏切りはしない」
「ヴィンセント、はん……」
「ここでお前が我らの仲間でないと言うならお前の望みも聞かなかったことにしてやる。ミッドガルがどうなろうともう知らん。他人の言うことを素直に聞く性格ではないのでな」
 どうする。選ぶのはお前だ。
 ヴィンセントはたった僅かな間ではあるが永遠ともとれるほど感覚的には長い時間リーブを見つめていた。片手には抜け殻となった黒猫のぬいぐるみをぶら下げて。
「すみません。なんか僕……勘違いしてたみたいですね」
「そうだな」
「古代種の神殿ときも思ったけど、嬉しいわぁ。ご迷惑かけましたけど、そうですね……『今後とも』『よろしくお願いします』」
 リーブは人懐っこく笑うと、不意に物言わぬ抜け殻に手を伸ばした。「この子を……連れて行ってもらえますか。余裕ができたらまた動かします。タークスのみなさんには、僕からも言ったほうがわかりやすいとは思うんで」
「……無理はするなよ」
「無理しろ言うたのはあなたですよ、ヴィンセント」
 弱々しく髭面の会社員は笑む。
 では、と彼はもう一度頭をさげるとヴィンセントの前を颯爽と通り過ぎ、小走りで瓦礫の撤去作業に終われるスーツ姿の社員に紛れ込んで行った。



く:久遠の願い(ヴィンセントとグリモア)


 帰っておいでなさい。
 父親はいつだってそう告げた。縁を切ったと大見得を切ったあの本社での再会を経ているはずなのに、一月にいっぺんはそんな手紙を寄越してきた。その消印は田園地帯ののどかな街、南国常夏温泉郷、極西の島国、よく分からない北の街。世界中を放浪する科学者といえば聞こえはいいが、故郷を持たず彷徨う父親に帰ってこいと言われてもピンと来るはずもない。
 今こうして建設最中真っ只中の本社ビル内のカフェでテーブルを挟んで面と向かって座る初老の男はやはり、いつも通り「帰っておいでなさい」なんて言うのだ。
 ふざけるなと罵倒してやろうか。
 あの美人看護婦に巻き直してもらった真新しい包帯の下で疼痛がジンジンと熱を訴える。「どうしてそんな仕事を続けるんだ。言ってくれればどうとなりとも住まいは用意できる」と父親は言う。コスモキャニオンの学術塔で星命学を嗜(たしな)んだという彼の父はそこでもう一度勉学に励むのであれば寮に入れてやることだって可能だと。
 それも嫌だというのならば構わない。望むのであればいくらでも金を見繕ってやる。だから命に関わる危ない真似だけはしないでおくれ。
「……親父」
「頼むよヴィンセント。お前を放っておいた僕にも責任があることはわかっている。……けれど、せめて せめて息子の君の身を案じさせてくれ」
「……」
「勉強が嫌ならキャニオンじゃなくてもいい。働きたいなら製作所の事務職でもいい。なんだっていいんだ」
 ただお前の命が危険に晒されるような仕事だけはやめてくれ。父親はそう告げた。
 人を殺す仕事をやめろと言うことはなかった。殺生が必要であるならばそれも止む無し。されどどうかお前が殺されるような真似だけはやめておくれ。多くの社員が一喜一憂しながら慌てて昼飯を胃袋にかき込む時間だというのに、かれこれ注文したサンドイッチが運ばれてきてから三十分は経過した。「親父」と、昼休みとしてとられた時間が超過してしまった息子は苛立ちを隠すことなく貧乏揺すりをしてようやく乾燥しはじめたサンドイッチに手をつけた。
「心配してくれるのは……嬉しい。でも、次の赴任地も……その次も決まっている」
「……ヴィンセント」
「帰ってくれ。おれが……タークスに居座り続けるのは おれ自身の意志だ」
 ウータイ出征での傷が癒えた直後から、また気の滅入るような任務の連続に塗れた毎日が続いていた。次から次へ、渡り鳥のように人の命を奪い去っていく。ヴィンセントはそう言ったのだ。なぜそうまでして死に急ぐ必要がある、叫んだのは父親だ。歓談華やぐ小洒落た喫茶店の中で声はあっという間にかき消される。
「お前は、僕の……僕とお前の母さんの間に残された、最後の一人なんだ。四人もいた子供たちはみんな死に、妻も死に……もう 僕の家族はお前だけなんだよ」
「だとしてもアンタにおれの人生を左右する権利なんてないだろ。もうずっと前からおれは自分の力で生活してる。アンタに頼る義理もない」
 それこそとても小さい頃から。建設途中であるこの神羅製作所の本社が聳え立つ都市の裾野に広がる汚らしいスラム街で。幼少期に兄が熱心に教えてくれた読み書きの能力もいつの間にか忘れ去り、大人たちに混じって強盗まがいのことをして生きてきた。必要とあれば人を貶めることに良心の呵責はなかったし、命を奪うことにも躊躇いはなかった。
 それを今更。
 今更彼は父親面をするのか。
 ヴィンセントの心中はひどく荒れ果てていた。ウータイ出征で亡くした同僚たちの分まで任務を背負う羽目になり、毎日毎晩のように憂鬱極まりない任務を達成するだけの日々を送っている。それが会社から下された指令であり、仲間から『仲間殺し』のレッテルを貼られたヴィンセントにできる贖罪であった。そんな落ち込んでいるときに父親に仕事をどうのこうのは言わるのはたまったものではなかった。なるべく穏やかな口調を心掛けながらも、息子は不機嫌を隠すことなく続ける。
「迷惑なんだ。さっきも言ったけど、心配してくれるのは素直に嬉しい。でも、だからといってアンタに口出しされたくはない」
「ヴィンセント」
 話は終わりだと席を立った息子に父親は縋るような声音で呼びかけた。「すまないが父さんまたフィールドに出るんだ。……色々な場所を巡る予定だから……連絡がつきにくいと思う。けれど、お前の次の任務が終わったらでいい、また……一緒に食事でもしないか?」
「……もう来るなよ」
 うんざりとした声音でヴィンセントは食べかけのサンドイッチと伝票を残したまま、一度も振り返ることなく昼休みを終わらせた。



そ:そして廻る運命の輪(ヴィンセントとユフィ)


 小太刀を構える。
 全速力で突進してくる一つ目の魔物を、一撃。
「ヴィンセント、そっちいった!」
 取り逃がした一羽がユフィの真横を通り過ぎていくが、その一体は正確すぎる銃撃によってあっという間に墜落する。
 折り重なるように積み上げられた魔物の死体たちは丸一日以上放置されたため悪臭を放ち始めている。魔晄炉に生成されつつあるヒュージマテリアを守るという重大な任務を帯びてはいるもの、実際に襲いかかってくるのは神羅兵というよりも魔物たちだ。「ったく、いつまで湧いてくんだ!」
「奴らは魔晄炉の出力に引かれている。神羅を追い返してマテリアをどうにかしない限りいつまでも来るぞ!」
 普段使っているリボルバーではなくマシンガンを掃射し狼型の魔物達をヴィンセントは蹴散らした。不安定な足場の中彼は器用にライフルとマシンガン、そしてハンドガンを使い分けて的確に迫り来る魔物たちと神羅兵を打ち倒していった。
 流石に疲労の色が濃いユフィは軽口を叩く余裕もなくなってきた様子である。
「ヴィンセント、変身してアイツら一気に片せないの?」
 巨大手裏剣を投げ、空中を飛び交う鳥を撃墜する。
「できるものならやっている。残念だが今変身すれば制御が効かん。暴れ始めた私を殺してくれるなら構わんが、それこそ厄介だぞ」
「確かに、それは却下!」
 ユフィはそれでもどこか上機嫌にアクロバットを魅せながら今度は小ぶりな手裏剣を幾つも放り投げた。「神羅の連中、まだまだ来るかな」と、手裏剣の雨を受けた神羅の一般兵が退散していくのを見て華麗にヴィンセントの隣へ着地すると彼女は汗と泥で汚れた顔を拭った。
 虚勢を張っているのは明らかだ。ミディールにいてはティファの陰鬱な気にあてられてこっちまで悲しくなっちゃうと飛空挺で漏らしていた彼女ではあるが、ユフィとてクラウドの状態を楽観視している訳ではない。『とりあえず』神羅のヒュージマテリア回収を阻止するという当面の目標を得たからいいものの、クラウドの状態が好転しない限りどこか無理のある笑顔のままであろう。
「そろそろ焦れて指揮官が出てくるはずだ」
 マシンガンを置き、再びリボルバーを手に取る。コンドルフォートの兵士たちも多少は戦線に残ってはいるが、今となってはユフィとヴィンセントの二人がほとんどの敵に対応している事態だ。数で押されればなかなかにつらいものがあるが、有象無象の一般兵たちにやられるほど弱い二人ではない。
「一気に攻め落とす気かな」
「あぁ」
 少なくとも私ならそうする。小屋の中で仮眠を取っている兵士たちに目をやり、「彼らの出番もなさそうだ」と言った。
「アタシらだけでやっちゃう?」
「彼らがいるとかえって邪魔だ。こちらの攻撃に巻き込みたくはない」
「変身は今回ナシなんでしょ? ……そんな派手にやるつもりなの」
「相手がその気ならこちらもその気だ。完膚なきまでに叩き潰せば……もう手出しはしまい」
「相変わらず物騒だね、ヴィンセントって」
「そうでもない」
「アンタそれで正体不明の元神羅なんでしょ? 茶番っていうんだよ、それ」
「茶番で結構」
 そんなやり取りをしながら二人は再び見えてきた兵団にうんざりした視線を移した。先ほどよりも人数は比較できないほど多く、魔物よりも人間の方が多い。途中でその魔物に襲われて脱落していく兵士も見受けられるが、総攻撃に出てきた様子に見えた。
 ヴィンセントは立ち上がると銃をくるくると器用に回す。
「アタシはどうする?」
「撹乱しろ。魔法でケリをつける」
「どういう魔法?」
「メテオ」
「……笑えないよ、それ」
 安心しろ、冗談じゃない。ヴィンセントは言いながら銃に嵌め込まれたマテリアに意識を集中させ、銃口からいくつもの氷で作られた鋭い刃を撃ち出した。それらは米粒ほどの大きさにしか見えない神羅兵たちに一寸の狂いもなく直撃し、叫び声が聞こえてくる。
 メテオなんて使える訳ないじゃん、とユフィは言いながら地面に突き刺してあった小太刀を拾い上げた。
「セフィロスが使うようなものではない。別に星を喚ぶ訳でもない」
「じゃあどういう魔法なのさ」
「砦の岩があるだろう。それを降らせる」
「……隕石(メテオ)じゃないじゃん」
「原理は同じだ。術者の指定した空間に物体を呼び集め、落とす。黒マテリアは対象とする物体を星にまで及ばせるためのものだ」
「よく分かんないけど、アンタに任せればいいんだよね」
「そういうことだ。回避行動は任せる」
「得意分野だよ!」  次は炎を、雷を。様々な魔法を撃ち出しては兵士たちを牽制するヴィンセントはユフィに軽く指示すると、彼女は弾かれるように飛び出して砦を駆け下り始めた。岩から岩まで。しなやかな肢体を持つ少女は四肢を目一杯広げて軽やかに岩場を下りていく。銃弾の雨は左腕の手甲で防御し、右手に握りしめた大きな手裏剣を投げつける。
 左手には小太刀を。手裏剣が戦陣を駆け巡り次々と兵と魔物を蹴散らす間に彼女は踊るような仕草で敵をなぎ払い始めた。「邪魔だっつーの! マテリアなんて諦めろ!」と叫びながらユフィが叫び声を上げる。
「ヴィンセント、早く頼むよ……」
 詠唱にどれほど時間がかかるやは知らないが、ユフィがこの場を持ちこたえる時間も限られてくる。
 流石に総攻撃ともあって敵の数は多い。持ち主のもとへ戻ってきた手裏剣をキャッチすると同時にそのマテリアを発動させ、ウータイの守り神たるリヴァイアサンの幻影を呼び寄せる。「全てを飲み干せ、大海嘯!」高々と宣言された言の葉に応えたのは虚空より出でし海龍である。
 ごうごうと音を立てながらその幻は圧倒的な質量の魔力によって生み出された幻想の津波を巻き起こし、兵士たちを混乱させた。



 巨星よ。
 メテオよ。
 星よ。
 どんな文言だったか。
 リヴァイアサンの消え去った戦場に佇んで遠く離れたユフィの耳にもその叫び声は聞こえてきた。普段耳にすることなどなかった仲間の男が高らかに叫んだその言葉は砦に配置されていた大岩をいとも容易く浮かび上がらせ、正気のない赤い瞳が光り輝いたかと思った途端猛烈なスピードでユフィの方向へと飛んできたのだ!
「ヤバいよヤバいよ……!」
 確かにこれは『メテオ』だ。たとえ大地に転がる岩であろうとなんであれ、大空から降り注ぐ流星たちを人はメテオと言うのだろう。茜色の空に浮かび上がる惑星と等しい力に違いはない。
「ユフィ、避けろ!」
「わぁーってる! いっくよ……血祭ッ!」
 詠唱を終え息を整えるよりも先にヴィンセントが砦の急な斜面を滑るように駆け下りてくる。降り注いでくる岩の着地点は砦の入り口。兵らの退路を断つつもりであろう。ユフィは地鳴りの中飛び上がると急速に落下してくるそれらを回避すべく包囲していた混乱の神羅兵たちを切り裂き駆け上がる。
 背後ではなんども爆発音が上がり、小さな流星たちが着弾し始めたことをユフィの耳に届けた。
「星よ、降り注げ!」
 二度目の詠唱。ヴィンセントは滑るように崖を駆け下りながら再び指先を虚空へ向け突き上げると周辺の岩たちを浮かせ、放つ。
「岩石固めか! さっすが!」
 駆け上がるユフィとヴィンセントはその交差地点で手を組み合ってお互いに勢いを殺しながらその場で二回転ほどする。
 神羅兵たちの悲痛な叫び声は第二波を受けてしばらくすると聞こえなくはなってきたが、時折うめき声と共に未だ前進しようとしてくる気配を見せた。
「……まだ来るのか。優秀な社員だ」
「ホントにね。どっかのロケット親父も見習えばいいじゃん」
「違いない。……だが、楽観はできないようだな」
「へ?」
「見ろ。あの檻にはどうせ碌なことはない」
 ヴィンセントはそう言うと遥か眼下に見える巨大な檻を指差した。慌てふためく神羅兵がその扉を開けようと悪戦苦闘しているのが見える。
「あれが切り札かな」
「だろう」
「宝条のモンスターとかじゃないの? この流れって」
「……違いない。上まで戻るぞ。ここれは足場が悪い」
 くるりと踵を返した彼は再び飛ぶようにデコボコの山道を軽々登っていく。置いていくな! と叫んだユフィもまた四つ足でその後を追った。
「どうすんの? ギリギリで迎え撃つのも危ないんじゃないの?」
「上から狙撃して体力を減らす。生憎さっきの魔法で魔力は空だ。直接戦闘に持ち込むしかない」
「そりゃあれだけ派手な魔法打ったらね! それでスッカラカンじゃなかったら驚きだよ」
 ユフィは足を速めてヴィンセントの隣に並んだ。赤マントの男はエアリスほどではないものの無尽蔵に近い魔力を持ってはいるが、流石にメテオに近い魔法を打ってしまうとしばらくは魔力が回復しない。手裏剣に嵌め込まれたマテリアにも遠距離攻撃ができるものはあるが、ヴィンセントに比べればユフィの放つ魔法など微々たる攻撃力だ。「ヴィンセント、アンタが狙撃してる間アタシ小屋の中の人たち叩き起こすよ!」
「そうしてくれ。出てこられると邪魔だ、できるだけ裏側へ誘導しろ」
「了解っ」
 木の板一枚向こうでガァガァといびきをかいて眠る兵士たちがいては戦闘もしにくい。最悪小屋くらいなら壊れてもいいだろうとヴィンセントは平坦な頂上まで戻ると狙撃スコープのついたロングライフルを構えた。うず高く積まれた魔物の死体を足場に身を隠すと、低いうめき声と共に駆け上がろうと急斜面を登ってくる獰猛な魔物に照準を合わせる。
「一撃では……無理だな」
「でかい?」
「相当」
 やはり何発かダメージを与えた状態で直接殴り倒すしかないらしい。
 勢いよくドアを蹴り飛ばした「起きて!」と叫び声を上げるユフィを横にヴィンセントは引き金を引き続ける。
「起きて起きて、危ないよ〜裏口から避難して! あ、大丈夫! マテリアと魔晄炉は絶対守るからさ!」
 ガンガンと殴るような音は聞かなかったことにして、ヴィンセントは二発目を放った。しかし着弾したにも関わらず大型の獣は銃撃などものともせずに突進してくる。「ユフィ、急げ!」と声をかければ小屋から一瞬にして少女が飛び出してきた。
「思ったよりも移動速度が速い、このまま突進してくる」
「……嘘でしょ」
 慌しく動き始めた小屋の中と魔物をユフィは交互に見比べた。
「本当だ」
「どうすんだよ」
 三発目の鉛玉を撃ち込んだヴィンセントは死体の隙間から脱出すると腐臭に顔をしかめながらライフルをその場に置いた。
「魔物には魔物を、だ。もし私の制御が効かないようなら……その時は任せる」
 ヴィンセントの意図を察したユフィははたと動きを止め冷静に言い放つ。
「アタシ、仲間を殺すつもりないよ」
「殺したところで私は死なない。議論の余地はない、いいな」
「……よくない」
 駄々をこねるな、とヴィンセントは背後で膨れ面をしているであろう少女に背中を向け、意識を研ぎ澄ませる。
 徐々に近づく地鳴りと足音の主人が突っ込んでくるようならば砦を守るどころではない。よくない! ともう一度叫んだユフィの声を無視し、ヴィンセントは内に潜む魔獣たちを叩き起こした。何が出るかはお楽しみ。ガリアンビーストと出るか、デスギガスとでるか。ないとは思いたいところだが下手をすればカオスのご登場。
「躊躇うなよ」
「ヴィンセントっ!」

 さぁ、覚醒(めざめ)だ。



く:繰り返す命の鎖の中で(ヴィンセントとイファルナ)

「御煙草は身体に毒ですよ、主任さん」
 ガラリとした病院のベランダ、人気(ひとけ)のない寂れたその白いセメントの上にぱらぱらと落とされた灰を見て女性はくすりと笑った。愛らしい栗毛の女性は痩身の患者である男の隣に立ち、白いナース服の裾をひらひらとはためかせた。
「……主任はクビになった。今は平社員だ」
「あら。じゃあ次期主任はヴェルドさんかしら」
「あぁ。あいつも晴れて出世だ」
 友人の名前に男は頷いた。意識不明の重傷などと散々騒がれていたらしいが、当人としては意識を失っていた間の記憶はもちろん無い。そのため、たくさんのチューブに繋がれた状態で目が覚めたときにはなぜ看護婦の女が泣きそうな顔をしていうかも理解できなかったのだ。
 驚異的な自然治癒力のおかげか、それとも白衣の天使が魔法のおかげか。生死をさまよっていたと称されていた男はしかし、目覚めた三日後にはこうして紫煙を吹かすほどにまで回復していた。無論傷は深く、しばらくは入院生活を余儀なくされるであろうことは明らかである。長い髪の看護婦はイファルナといい、かつてこの世界に住んでいた古代種と呼ばれる種族の生き残りだった。遥か過去にその数を激減させた古代種は今や彼女一人となっており、星の声を聞くことができるという特異すぎる能力故にこの神羅製作所で軟禁生活を送っているのだという。
「そんな言い方はないでしょう? みんな心配していたわ」
「……どうだかな。戦争だったんだ、ただの任務とは違う……罪のない一般人を大勢殺した」
「だけど……それはあなたが望んだ道だったんでしょう?」
 少しばかり強めの物言いにヴィンセントは苦笑した。
「違いない」
「あなたが寝てる間、お父様がいらっしゃったわ」
「……」
「絶対安静です。面会謝絶ですって言ってもなかなか納得して下さらなくて。しばらく本社に滞在しているから……あなたの容体が安定したら連絡するように言われてる」
「……それなら一生面会謝絶だ」
「どうして? お父様でしょう」
 父親だから、と男は言った。「私がこの人殺しの仕事をしていることを……親父はよく思っていない。それは人の親なら当然かもしれないが……親父はいつだって私にコスモキャニオンの学術塔に行けとばかり言う。科学者じゃなくとも星命学者になれと言う。そんなもの、私は興味ないね」
「いいじゃない、キャニオンの学術塔。あそこには世界の知識が全部集まってるのよ」
「学者なんて私の性格には合わないさ。そもそももうこんな年だ、今更生き方を変えるには遅すぎる」
 今年で二十三になる。星命学者を目指す者は年若い頃からキャニオンに入り浸り、世界を旅して『星の声を聞く』なんて胡散臭いことをしている。そんな怪しい旅を繰り返して得られた新しい知見を論文として発表し、学会に受け入れられることによって学者としての一歩を踏み出せるのだ。成人をとうに過ぎたヴィンセントにとっては縁のない話である。「……それに、キャニオンの学術塔には一度学籍を置いていたことがある。今更戻れはしないさ」と彼は続けた。
「……学術塔にいたの?」
「ずっと昔に。製作所に入ってすぐの頃だから……十年より前じゃないが、それでも結構昔のことだ。父親に言われて……一度総務部から抜けてキャニオンに行った」
「でも……」
 今この場にいるということは、学術の道を放棄してきたことになる。優男は力なく笑い、頷いた。
「長らくダウンタウン暮らしをしていたせいで読み書きを忘れてしまっていて。それを思い出しながら……片っ端から論文や学術誌を読み漁って論文を書いたよ、一応ね。その上で星命学の道を行くことはできないと思って一年で学位はとったがすぐにこっちへ戻ってきたんだ」
「……勿体無いって言われなかった?」
「言われなかった訳ないさ。仲間にも散々どうして帰ってきたんだって言われたけれど……けれど、こっちの仕事の方が私にはあってるから」
 人によっては五年十年とかかるキャニオンの学位をたった一年ぽっちで取得してしまったという男はしかし、その有能さを人殺しの才へと昇華してしまっていた。先のウータイ出征ではプレジデントの私兵と化している警察課の連中を率いていたなんてこともイファルナは聞いていた。
 戦況が耳に入ってくることはない。ただ、仲の良い調査課の人間から少しずつ聞きかじった情報をパズルのように組み合わせていけば、自ずと真実に近いかたちが見えてくるというものだ。いずれ世界中に魔晄を用いた発電施設を建設するために神羅は会社でありながらまるで国であるかのような振る舞いで侵略戦争を仕掛けていった。昨年はグラスランドを、今年の春には抵抗を続けるジュノンの対岸を抑えた。既に魔晄炉と呼ばれる新たな発電施設が建設されることが決定されているゴンガガには広報部がしょっちゅう赴いているし、コンドルフォートでの魔晄炉稼働は秒読みが近い。
 コスモキャニオンも神羅の侵略に無関係ではない。
「それに、キャニオン出身の人間が神羅に関われば……破門される」
「……そう、なの」
「親父もキャニオンで学位は取っているが……神羅お抱えの科学者だからな。今ならまだ間に合うかもしれないが、じきに親子揃って戻れなくなる」
「ヴィンセントは……それで幸せ?」
「……」
 スラムやダウンタウン、ウォールマーケットに蔓延るマフィアと抗争を繰り返し、一般人を巻き込まないように自らを犠牲にしながら命を奪いつづける毎日が。戦争ともなれば日陰の仕事を捨て去り、兵士紛いの格好で兵士崩れの警察課を引き連れて罪なき人々を虐殺し、裏切り者の仲間を粛清して。
 あなたは幸せなの? とイファルナは悲しそうに問うた。
「わたしには……あなたが死にたがってるようにしか見えないわ」
「死にたがり?」
「傷が治ったら……また人、殺すんでしょう?」
「……」
「あなたは自由のはずよ。わたしなんかと違って……望めば どんな未来だってあるじゃない。どうしてこんな道を選ぶの?」
 すっかり短くなったタバコの燃えかすをヴィンセントは床に投げ捨ててぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。踏んで火を消そうとしたがあいにく裸足だ。代わりにイファルナが白いサンダルでそれを踏みにじり、その場にしゃがみ込んだ。「……ごめんなさい」
 彼女はうなだれた。
「どうして君が謝る?」
「あなたの気持ち、なにも考えずに言っちゃった。ごめん」
「君の言ってることは正しいよ」
 世界的に注目されているキャニオンの学位を持っているというのに。父親もまたそれを取得し、学籍に戻る道も存在するのに自らそれを拒否した。人殺しを生業としてギャング同士の抗争に首をつっこむだけではなく、島国の侵略戦争にも加担してしまったのだ。
 一度手を血で汚してしまった以上、もう戻ることはできない。
 ヴィンセントが考える理由は言わずともイファルナにも伝わっているはずだ。彼女は「ごめん」ともう一度呟いた。
「次は……いつ行くの?」
「ウータイは暫く膠着状態だ。現当主が死んだとはいえ……血筋の者は生き残った。国民の怒りも増し、神羅が押されるだろうな」
「じゃあ、もう戦争には行かないの?」
「……私は任務に失敗した」
 裏切り者のウータイ人を、当主一族を皆殺しにしろと。もう二度と反抗などできなくなるほどに戦意を挫くという目標を達成することはできなかったのだ。
 その上多くの仲間を喪った。彼が部隊長として率いた治安維持課と警察課の連中は勿論のこと、同じ調査課タークスとして共に死線をくぐり抜けてきた三人の同僚と総務課の女を喪った。
 自らも大怪我を負い、裏切り者の抹殺も一族皆殺しも達成できずに生還してしまったヴィンセントへの風当たりは強く、主任の座を剥奪されたのは勿論のこと、いなくなった調査課が受け持っていた任務の全てを引き継ぐ羽目になってしまったのだ。「戦争には行かないが、それでも人殺しばかりだ」と彼もまたイファルナの隣に座り込んで少しばかり伸びた髪の毛を鬱陶しそうに掻き上げた。
「死にたがりと言うならそれでいい。私は……多分、きっと……いや、本心から ウータイで仲間と共に死んでしまいたかったよ」
「……」
「仲間殺しをしてまで生きるつもりなんて……なかったのにな」
「わたしは……あなたに死んでほしくないわ」
「イファルナ?」
 顔を上げたヴィンセントに古代種の女は優しく微笑みかけた。
「わたしを知ってる人、この世界にいないから。古代種じゃなくて……イファルナっていう、ひとりのわたしを知ってる人が……この世界からいなくなってしまうのは かなしい」
「……私は 人殺しだ」
「でもわたしは人殺しじゃないあなたを……女の子に優しくて、素敵で、かっこいいヴィンセントっていう男の人のことを知ってるわ」
 古代種だとか、タークスだとか。
 外側を社会的な身分などで塗り固められた人物像など重要ではないのだ。ただ一人の女として星に生きるイファルナという人間と、伝説並の記録を残してきたタークスではなく、真面目すぎる青年であるヴィンセント。たったちっぽけな命二つを知ってくれていればいいのと女は優しい笑顔のまま続けた。「じゃあ、そんな死にたがりの困った患者さん、わたしと約束しませんか?」と。
「約束?」
「そう。死にたがりのあなたにずっと生きていてほしいから、そのための約束」
「……」
「わたしはきっと、近い未来……子供を産まされる。わたしが『神羅の望む』約束の地を見つけられないのであれば……いずれ 寿命が尽きる前に」
 彼女が誰を愛していようが、いまいが。
 女であるイファルナは誰かの子を孕み、混血児ではあるが新たな古代種を産むことを強要されるであろう。一人か、二人か、それ以上か。具体的な計画が進行してるかは分かりもしないが、彼女は肘を膝についてどこか他人事のように続ける。「わたしが死んだら……その子に、わたしのことを教えてあげてほしいの」
「君、は……」
「ずっと長い間、古代種は近親婚を繰り返してきたんだって。だからみんな短命で……星詠みを継承してくれるセトラが現れればじきに死んじゃうの」
「子供を産めば君は死ぬのか?」
「さぁ。ずっと元気かもしれないし……駄目かも。だから、もしわたしが死んじゃったら……子供が 寂しがってたら遊んであげてほしいの。セトラなんて……神羅の言う『古代種』のことなんてどうでもいいわ、ただ、その子を守って欲しいの。そして母親が……わたしが、どんな人だったかを教えてあげて?」
 お転婆、天然、どこか頑固。
 嫋(たお)やかな女性かと思えば童女みたいな言動を繰り返してみたり。決して神羅の誰もが知らないような母親のほんとうの姿を教えてほしいのとイファルナは言った。
「……しあわせだったのよ、わたし。あなたに出会えて」
 本当に楽しかったね、あの頃は。
 いつか好きな人ができたときのために。その予行演習を手伝ってとイファルナがいたずらっぽく言い出したのはもういつのことであったか。たった2、3年の間だけであったが、ヴィンセントとイファルナはまるで恋人のようにダウンタウンに繰り出し、屋台の大しておいしくもないサンドイッチを食べてLOVELESSを観劇しにいったりしてみた。
 まるで恋人のように。
 決して互いに愛の言葉なんてものを囁くこともなく、あくまで二人は友人であり続けながらも愛し合う二人のような遊びを繰り返した。
 人を殺すタークスと星の祈りを聞く古代種。何度生まれ変わろうとも相入れることのできないほどに遠い二人は『運命の相手』ではないことをはっきりと感じながらもそんなごっこ遊びを続けた。ウータイ情勢が悪化していくたびに、ヴィンセントと仲間のすれ違いが増えていくたびにその関係は疎遠となり気づけば解消されてしまった遊びだが、それでも楽しかったのと彼女は身体を伸ばしながら立ち上がった。
 心地よい昼の日差しがベランダに注ぎ込み、白い陽光を背に受けたイファルナは右の小指を差し出した。
「約束。しよう?」
「私は……明日死ぬかもしれないような人間だ」
 例えば、かつて殺したマフィアの仲間が復讐に来れば。
 例えば、神羅に潜伏するウータイスパイの残党が暗殺に来れば。
「だから約束、するの」
「もう誰かとの約束を破りたくないんだ。すまない」
「……」
 絶対に仲間を連れて帰る、絶対に仲間と共に生還してみせる。そんなふざけた夢想じみた約束をヴェルドと交わしたことをヴィンセントはひどく後悔していた。まだ顔を合わせてはいないが、罵声を浴びせられるか殴られるか。守れない約束なんてしたくないよ、と彼は眉尻を下げてイファルナを見上げた。
「君と私は……生きる世界が 違いすぎる」
「……ばか」
「そうだよ、私は馬鹿だ」
 古代種の女は大きな瞳から大粒の涙をばらばらとこぼし始めた。
「守れなくても……忘れてもいいから……約束 してよ」
「……約束の意味 ないだろ」
「ばか」
「……」
「ばか、ばか……もう ヴィンセントなんて知らないわ」
「……」
 涙の筋が頬を伝わって、鼻水が顔を出し始めた女は最後にもう一度だけ大声で「ばか!」と叫ぶと制服の裾が翻るのも気にせずに踵を返し個室を走って出て行った。


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