とがつみびと




「ボクたちはずっと咎人(とがびと)なんですよ」
 世界再生機構なんていう大それた名前を持つ組織の局長に居座る男は瓦礫に腰掛けてそんな言葉を吐いた。今となっては世界で最も権力を持つ人間にまで望まずとも上り詰めてしまった疲れた顔の中年男はしみじみと『三度目』の壊滅状態に陥ったミッドガルの空を見上げた。
 この世界を作り出そうと燃えていたのはもうずっと昔のことだ。
 若かったんです、ボクも。彼はそう言う。「魔晄都市さえ完成すれば……市民の暮らしはずっとよくなる。そのために神羅製作所はカンパニーと名前を変え、市の中心に超高層ビルを建てて……全ての市民に安定した電力供給を図るために、あれだけの魔晄炉を作り上げた」と。
「……それを罪と呼ぶのは如何なものだろうな」
「『誰かのため』を謳ったところで多くの人が犠牲になる結果を招いたことは事実です」
 よりよき世界のため、よりよき生活のため。
 歳若き頃のリーブはただひたすら理想に燃え、正義に駆られていた。最初はだだ広くひび割れた不毛の大地と荒くれ者たちが根城にしていたミッドガルエリアを故・プレジデント神羅は開拓し、最初は統一を目的とした兵器開発会社として、そして魔晄エネルギーの発見と共に電力供給で富を築き上げようと発起した。プレジデントら移住して来た人々ともともと住んでいた人々との間で起こった泥沼の生存競争は血で血を洗う凄惨な時期を経て『ミッドガル市』という唯一の街となったことは遠い歴史の話だが、ヴィンセントにとってはそれなりに記憶に新しい。
 リーブが神羅製作所から名を変えたカンパニーに入社したのはそれからしばらくしてからだ。魔晄炉の第一号が稼働してから二十年近く経過してから都市開発部門に配属された年端もいかない彼の仕事と言えば、ミッドガル・スラムの公衆衛生の改善ばかりであった。実際にスラムを見て回り、神羅が見捨てた世界を目の当たりにした彼は兎にも角にも躍起になっていったのだ。
 それが上層部に認められることは永劫なかったのではあるが。
「認められる努力など努力ではない、か」
「そうです。ボクのしてきたことなんて……ただの自己満足やったんですよ」
 残るは六番街だけ。ようやく見えて来たゴール・テープを前にして人類の楽園となるはずであった魔晄都市ミッドガルはしかし、気がつけばあっという間に崩壊の道を歩み始めてしまった。
「プレジデントがどんな意図であの街を作ろうとしたかは分からないが……」
 利益のみを純粋に求めたからか、それとも本当に心から人々に画期的な生活を与えたかったか。それは今となっては息子たるルーファウス神羅を以ってしても分からない。「少なくとも あの街を作り上げようと命を賭けた人間たちにとっては……ミッドガルは『約束の地』だった」とヴィンセントは続けた。
「あなたの時代は……そうだったんでしょうね」
「明けても暮れてもミッドガルの陣取り合戦。長引けば長引くほど苦しむのはダウンタウンに住む貧しい人々で……お互いに生きる場所を賭けて戦った」
「あなたも信じていたんですか? 魔晄都市の『都市伝説』を」
 当然だ。
 仲間内で最も古い世界を知る男は少しだけはにかんだ。表情を口元まで隠す赤いマントがないだけですっきりとした印象を見せる彼はリーブとの間に黙りこくって座る黒猫のぬいぐるみの頭を撫でてから『本体』に返却した。
「私も元はその『ダウンタウン』に住む側だったんだ。神羅が負ければ……いや、神羅が勝てば 魔晄炉による電力供給が行われれば……あんな思いをする子供もいなくなると信じていた」
 それは隠しようもない事実。だから神羅製作所という得体の知れない企業の得体の知れない部署へと入所することを望み、人々に安寧を与えるためという大義を掲げて歯向かう人々の命を奪い尽くして来た。それこそが貧困に苦しむ者たちを救う唯一の光であると信じて。
「でも 結果なんてこれですよ」
「……未来を見ないまま死んだ者たちは どれほど幸せだったろうな」
 敵対組織と銃撃戦の果てに死んで行った仲間たちは己の屍を越えた先に光溢れる世界が横たわっていたと信じて逝ったに違いない。例え人の命を屠る自分たちが幸せになることは永劫なくとも、彼らの愛した人々がせめて安らかに生活できる未来を渇望しながら彼らは死んで逝った。
「あなたもそう思います?」
「どうだろうな。あの頃は……そんなゆめまぼろしの未来を願えるほどの余裕もなかった」
「ではボクとお揃いですね。突っ走った先のことなんて何も考えていませんでした」
 あまりに漠然とした理想像だけを脳裏に描いた末路が、これだ。
「だがこんな世界になるとは 誰一人として予測できなかっただろう」
「魔晄炉建設に際してはメルトダウンの危険性も指摘されていたんですよ。これでもミッドガルがまだ企画段階の頃からの資料、全部読みましたから。そしたらもうなんでもかんでもいっぱい出る出る出る、見たくもなかったものばかりです」
 最初から神羅は把握していたのだ、ライフストリームを地表から吸い上げエネルギーとして加工することの危険性を。人々の生活は豊かになる。それは疑いようのない事実であったが同時に人々の命をも危険に晒す可能性を孕んでいたのもまた真実。
 ミッドガル建設前に広がっていたダウンタウンのような貧困街はプレート都市が完成しても決して消え去ることはない。むしろ、『選ばれた市民』はプレート上で魔晄の恩恵をたっぷりと浴びながら生活し、そうではない者たちは最初からプレート下に追いやることも想定されていたのだとリーブは言う。
「天上に存在する幻の都、魔晄都市・ミッドガル。その姿は最初から幻想だったということか」
「そもそも昔からミッドガルエリアに住んでいた人たち、追い出してますからね。その時点で万人の楽園じゃないですよ」
「……人間も動物だ。営巣地を求めて道具を使って殺しあっただけのことだ」
「そこまで言っちゃうんですか?」
「違うか?」
「まぁ、間違いではないですけれど」
「その殺し合いに勝ったのが神羅だっただけだ。そして居場所を得た獣の群は…」
「その群の中で再び強者と弱者に間に仕切りを造る」
 彼の言う『仕切り』がかたちを持って姿を現したのがあのプレートだ。
 世界を一つにまとめたところで、その後に待っているのは内部分裂だ。今の世の中を統一する世界再生機構もまた例外ではなく、ヴィンセントはいずれかつての神羅と同じ道を辿る、と指摘した。
「お前の軍は星を害なす者と戦うのが名目だそうだが……」
「軍、じゃないですけれど。まぁ……そう思う人も多いです」
「その銃口が人々へ向かないとは限らない。物事は常に不変だ」
 メテオという未曾有の大災害が過ぎ去った後に組織された『星の守護者』たちは各地の魔物を討伐したり災害の折に被害を受けた各地での復興活動に力を入れていた。それもようやくひと段落した頃──忘れ去られていた英雄の子供たちがやってきた。無論それはエッジが『多少』破壊されたり建設途中のハイウェイがあろうことか神羅カンパニーの手によって木っ端微塵にされ、すでに瓦礫となっていた神羅ビルが更に細かく切り刻まれたくらいで済んだのだが、それもまた 束の間。
「今はまだオメガ災害の後片付けが残っていますけれどね」
「それが終わればお前はあの軍隊をどうするつもりだ」
「どうもしません。今までと同じ……と言いたいところですが、現実はそうにも行きません。軍備を拡張しすぎたと今更ながら反省しますよ。……『敵』のいなくなった『平和』な世界では 彼らを持て余してしまいますから」
 喜んで迎え入れられるべき平穏こそがWROにとって最大の障害なのだ。
 この後片付けが終わった後に隊員たちが胸に抱いている熱い想いとやらの捌け口を作ってやらなくては、再び神羅カンパニーと似たような道を辿る可能性は十分にある。
「飢えた獣を御すのは難いぞ」
「仰る通りです。そういう訳で御者業などいかがです? あなたが正規職員になっていただければ……とまぁ、何度お聞きしてもWROには来ていただけないんですよね」
「何度同じ話をさせるんだ」
 事あるごとにリーブはヴィンセントをWROに誘い、ヴィンセントはそれを断ってきた。理由は毎度様々だが、おおよそのところ『組織に属するのはこりごりだ』というのと『生きる時間が違う人間が馴染めるとは思えない』というのが最たる理由だ。
「安心してください。勧誘はこれが最後ですよ」
「ほう」
 一体どんな風の吹き回しだ?とヴィンセントは珍しく少しだけ嬉しそうな顔で尋ねた。
 もう鬱陶しい勧誘を受けなくて済むから、ではなく、リーブの言葉に興味を持ったから。こうと決めたことに関しては何年経とうとも決して諦めずに粘り続ける忍耐強い性格をした神羅の元・都市開発部門の統括はしかし、「あなたの熱意に負けました、と言いたいところなんですが」と前置きしてから続ける。
「……最近、少し考えが変わりまして」
「変わった?」
「あなたのご指摘通りです。平和な世界では軍隊など本来必要ではありませんから。軍組織の名を持たずとも、今の我々はかつてのソルジャーや神羅軍と同じ。やっていることは世界警察ですからね」
 各地に設置された屯所に職員を派遣し、これまで神羅統治下ではほとんど役目を全うできていなかった地元の警察組織と協力しながら街を守るのが今の主な業務だ。とはいえDGソルジャー殲滅のためにミッドガル突入を行なった大規模作戦のように『活躍』の機会が与えられる訳ではなく、死傷者は最小限に抑えたいというリーブの意向により魔物討伐にはユフィやシェルクといった『手練れ』が派遣されてしまうのが常である。
 故に地方に派遣された隊員たちはくすぶり続けているのが現実だ。
「奴らを手懐けるいい方法でも浮かんだか?」
「えぇ、まぁ。直接的ではないですが……あなたが我々の『味方』にいないことこそが、大いなる抑止力になるかと」
「……抑止力?」
「ご自身ではどうとも思っていないかもしれませんが、ヴィンセントの存在はWROではそれこそ英雄扱いですからね。ジェノバ戦役である以上に……オメガによる星の終焉を防いだ、それこそ救世主ですから」
「気色の悪い呼称だ」
 ストレートな物言いに今度はリーブが笑った。
「だからこそですよ。『英雄』のあなたが外側にいることで……あぁいや、まぁ 勝手にあなたのことを決めつけるのは大変心苦しいのですが」
「いつものことだ。物事は明快簡潔に言え。どうせ面倒なことだろう」
「面倒と言いますか。えぇ、まぁ。……その これからのことです。ボクは努力します、当然あんな組織を立ち上げてしまった以上は。ですが……ボクの制御が効かなくなるときも来るやもしれません。その結果としてボクが殺されようが何をされようがそれは構わないのですが、もしも怒りの矛先がなくなった隊員が世界に銃口を向ける時があれば その時は」
「…………面倒だな」
 どうか彼らを殺してください。
 リーブはあろうことか自分自身の抱える『星の守護者』たちの抹殺をヴィンセントに頼み込んだ。
「どれほど努力したところで、『来るべき時』はやがてやってきますから」
「クラウドに頼めばいいだろう。あれは何でも屋だろう?」
「あなたに断られたら……とは思っていますけれど、クラウドさんには家族がいますからね、巻き込みたくはないんです。あとクラウドはんは運び屋さんですよ。何でも屋さんやなくて」
 どっちも大して変わらんだろう、ヴィンセントはため息を吐いた。
「独り身の私なら頼みやすい、か」
「卑屈にならんといてくださいって。タークスにいたことを見越して、ですよ」
 総務部調査課と言えば俗にスパイ狩りと呼ばれる任務まで請け負うこともある組織だ。一介の神羅兵でしかなかったクラウドに頼むには少々ばかり荷が重いというものだ。
「一つ聞いておくが」
「受け入れてもらえます?」
「……もしもお前自身が狂った時は お前を殺しても構わんな?」
「!」
「もともとカオスを含めたウェポンは星の抑止機構のようなものだ。その役割自体は構わんが、お前の言う『抑止力』とはそういうことだろう?」
 手遅れになる前に必ず手を下してやる。それでもいいのならとヴィンセントは条件を提示した。
 彼がタークスとしていくつも任されてきた仕事のうち、最期となったサナトリウムでの任務を思い出しているに違いない。未だ説得が有効であると思い込み、相手が既に狂気の渦に飲み込まれているなどと思いもしなかった油断によってヴィンセントは命を落とした。だから今度こそは容赦しないと。
「殺していただけるならこちらとしても幸いですが……気が重くなりませんか?」
「一人だろうが百人だろうが千人だろうが千と一人だろうが変わりはしない。ついでにお前も殺すことくらい造作もないぞ」
「……それはよかった、喜んでいいのかは分かりませんが。では お願いしていただけますか?」
「断る理由はない」
「勿論今まで通り施設は使っていただいて構いません。ただ我々はあなたを今までのように臨時職員としても雇いませんので、ポケットマネーからしか謝礼はお渡しできませんが」
「お前、私を浮浪者か何かと思っていないか?」
 貧者への施しのつもりかと問えばリーブは首を振る。「ほんのお気持ちですよ、月々の保険料と思って」と答えた。
「神羅時代の口座は凍結されているのでしょう? 生活費はどうしているんですか?」
 ミッドガルが破壊されて以来、ほとんどの銀行口座は閉鎖されたままだ。
「食うには困っていない。……神羅の外部顧問のような役割を押し付けられた分、口座ももう一度使えるようにさせた上にルーファウスからは金もしっかり毟り取っている」
「……はい?」
「そのままの意味だ。お前よりも先に神羅が私に『抑止力』になるよう言ってきたからその分金を寄越せと言ってやっただけだ」
 先を越された、とリーブは軽く笑った。
「考えることは同じなんですねぇ」
 神羅としてはかつてタークス・オブ・タークスとして内外から恐れられていたヴィンセントの身柄を味方につけておきたいらしく、多額の給料と引き換えに社員として再雇用の取引を持ちかけてきたとヴィンセントは説明した。
 受け入れる理由はどこにもなかったが、受け取るべき給料の八割以上をエッジの郊外でかつての同僚が経営している孤児院に寄付することを承諾してもらえたため、と。「神羅が狂えば神羅を、我々が狂えば我々を。……辛い立場にしてしまいましたね」なんて言うリーブの安っぽい慰めに彼は乾いた笑い声で返す。
「人とは異なる時間を生きる以上、そういう役割にはうってつけだからな」
「……私が死んだ後でも、あなたは力になってくれますか」
「お前が死のうとルーファウスが死のうと……誰が死のうとも、約束は果たす。星を守るなど豪語するつもりは露ともないが……」
「あなたはこの星に生きる人たちを守りたい。知ってますよ、ずっと」
「分かっているならばそれでいい」
 星の命を延ばすだとか神学者や過激なテロ組織の謳う理想には興味はない。
 だがどんな理由であれど何も知らぬままでただ日々の生活を営んでいるだけの一般市民に仇なすものだけは決して許しはしない。ヴィンセントの行動理由は今となっては『星を救う旅』として語り継がれる旅路の中でも一貫していた。つかみどころもなければ隠し事だらけの不審者丸出しの彼がクラウド一味に受け入れられたのも、どれほど素性を隠そうとはしても虐げられる人々を守ろうとする気概があったからだ。
「死ぬのは咎人だけで十分ですからね」
「罪なき者に銃を向けた時点でそやつらは皆罪人だ」
「えぇ。そしてボクらやルーファウスは……とうに、です」
 クラウドも、ティファもバレットも。あの旅を共にした仲間たちは共通の罪を背負っていた。星を破滅させなかったという功績の裏側に存在する、ミッドガルを壊滅させてしまったという事実。たった一人の仲間すら救えなかった罪悪。
 死ぬのはそういう人間だけでいいんです。リーブは重ねて言う。
「そのための抑止力なら……喜びはしないが、構いはしない。私がその役に最適かどうかは判断し兼ねるが……今の世界には必要だ」
 誰も言わずともその時がくればクラウドも剣を抜いてくれるであろう。『こんな世界』を作り上げてしまった責任は皆それぞれ同様に持つが、責任の取り方は仲間ひとりひとりによって違った。魔晄炉廃絶を掲げた仲間は代替燃料を探すために荒野を駆け抜け、ある者はリーブが作り上げた世界再生機構に属するかたちで世界を守り、どこの組織にも所属しないまま行く末を見守り。
 方法は違えど、同じ道を行くことは許されずとも同じ未来を見つめていた。
「それぞれの役割、ですね。あなたの出番が来ないように努力はしますから。安心して世界を放浪してください」
「……やはりお前は浮浪者だと「まだ言っていませんよ」」
 思ってはいるけれど。
「ですが、それも大切だと思いますよ。……この世界にセトラがいなくなってしまった以上、『誰か』が星の声を辿らなければいけませんから」
「あまりに大それたロールだが、それこそ押し付けられた以上は仕方あるまい」
 世界を歩き続ければ何か見えるはず、とヴィンセントが判断したのは星を救う旅を終えたその瞬間からだった。
 あの日星からの答えはかたちとなって現れ、かつて理想郷としてもてはやされたミッドガルを完膚なきまでに叩き潰すことによって神になった心算だった人々を罰した。ヴィンセントは破滅の後では古代種を失った世界は行く先を見失ってしまう、とどこか直感したのである。
 人々の営みを感じながら、定住地を持たず世界を旅して周り、足元に咲く一輪の花のように小さな命の息吹を感じ取る終わりのない流浪。それがヴィンセント自身が己に課した次なる『贖罪』であったのだ。
「煙草は?」
「もらおう。……吸わないのに持ち歩くようになったのか」
「あなたと話をする口実になりますので」
 レノから巻き上げた、だとか、シドから預かっただとか。様々な理由をつけて煙草を回収していたリーブはどうやら自分自身で持ち歩くようになったらしい。売店で局長が買っている姿を観られればどんな噂を立てられるかは知ったものではないから、買い物はシャルアに任せているだとか。
 古びたオイルライターでヴィンセントは火をつけた。「ヴィンテージものですね」と、ポケットから出していた安物のライターをリーブは元の場所へしまいこんだ。
「製作所時代の遺品入れから出てきた」
「……残っていたんですか?」
「現役時代の主任が秘密裏に取っておいてくれたそうだ。それをレノどもが……以前寄越して来た」
「彼らがわざわざ持って来てくれるだなんて。大事なものだったんですか?」
「……どうだったかな」
「大切なものだったから、遺品にしてくれたのでしょう」
 しらばっくれたヴィンセントにリーブは言った。
「昔……仲間と持ち物を交換した。元々は私のものではないさ」
 元の持ち主は誰だったか、きっとエッジ郊外の孤児院でこき使われている壮年を通り過ぎた男のものだ。くじ引きをして、誰かが死んでも思い出が残るようにと形見を交換しあったのだ。
「あなたは何を渡したんです?」
「……ポケットティッシュ…………蜜蜂の巣で配られていた……」
「うわ」
「冗談のつもりで渡したら……先日ご丁寧に今まで取っておいたのを見せつけられた」
 とても言いづらそうに口元を押さえて語る口はセトラの真似事をする流浪の旅人と言うよりは、リーブよりも若い普通の青年のようにすら見えた。
「……それは なかなか」
「過去の自分を殴りたくなったな、流石に」
 その場で渡せるものがなかったからと、ポケットに入れっぱなしにしていた洗濯機に回されたあとの紙くずだらけになったティッシュを仲間に渡した。ティッシュの中にはご丁寧に蜜蜂嬢の連絡先まで書いてある仕様だ。行ったんですか? というリーブの言葉に彼は小さく頷いた。
 行ってはいけない、というルールはない。
 現にタークスであるレノやルードもそういった店に通っていたこともあるらしいが、生真面目が服を着て歩いているようなこの仲間にもそんな時期があったのかと彼は驚いた。
「意外ですね」
「馬鹿、何を考えている。調査に決まっているだろう」
「……あ、そういうオチなんです?」
「それ以外何が……いや、他の用事もあったが……別にやましいことはしていない」
 行方をくらませた仲間の居所を探す時には便利だったと彼は言う。「彼女たちは誠実な対応をすれば真摯に応えてくれる。神羅の社員よりもずっと丁寧だ」なんて。
「今も昔も同じな訳ですね」
「ウォールマーケットで神羅の社員がふしだらな真似をしてみろ。寝首をかかれるからな」
「それも昔から?」
「当然だ。今のようなスラムはなかったが、あそこは昔から随一だ」
「その言い方、やっぱり行ったことあるんじゃないですか」
「お前はないのか?」
「ボクは健全ですので」
 一体どの口がそんなことを。再びヴィンセントは笑った。
「そのスラムの連中はどうなったんだ」
 メテオ襲来によってミッドガルのプレート都市の大半は崩落し、住民が避難先としていたスラムもライフストリームによって甚大な被害を受けた。中には天空から落ちてきたかつての自身のすみかによって押し潰され、瓦礫に埋もれたまま最期を迎えた人も少なくはない。富裕層の人間は神羅のミッドガル本社で住民名簿をドミノ市長が保管していたこともあり、生死や行方不明といった状況はそれなりに管理されている。
 しかしながら元々プレート下に住んでいた人々がどうなったかと問われれば、推して知るべし。リーブは両の手を空へ掲げて首を振った。
「ティファさんやエルミナさんに手伝ってもろて、色々調べてはいるんですけれどね」
 プレート都市に住んでいた住民たちとは異なり、スラムの人たちは横のつながりが根強い。どこに住んでいたあの店の主人はどうなった、噂ではミッドガルから逃げ出した、コスタで恋人と同棲していたはず、いやでもエッジに戻って来た。
 根も葉も無い噂話から尾びれ背びれで三倍以上に膨らんだ噂話までリーブはありとあらゆる話を聞き集め、タークスたちの助けもあってなんとか住民名簿を復元しようとしているらしい。それでもまだ犠牲者の正確な数を把握することはできていない。
「エッジも街の形を成してはいるが、あそこも無法地帯だろう」
「誰が作った訳でもないですからねぇ。神羅に牛耳っていただきたいとは思いませんが、リーダーは必要です。厳格な法整備はともかくとして……ある程度、みなさんが同じ方を向いている今のうちに」
 人間が集まれば貧富の差は生まれる。それが権勢を謳う者と支配される者へと分けられてしまうのはもはや自然淘汰にも近い。
「それこそWROの出番だろうに」
「ボクらは支配したい訳じゃない。そんなことをすれば、うちの中にも勘違いする輩も出て来ますから。あくまで治安維持の『お手伝い』です」
 一体どこまでが本音か悟らせない物言いである。食えないやつだとヴィンセントは言い、その場から立ち上がった。こんな瓦礫の山がかつての夢か。
 西方の言葉には『二度あることは三度ある』というものが存在している。メテオという大災害を乗り越えたミッドガルにはその平穏もつかの間、再びセフィロスの影が忍び寄り、魔晄キャノンに向かって放たれたウェポンのビームによって木っ端微塵にされていた神羅ビルは続いて英雄の幻影によって切り刻まれた。あれが最後であってくれ、と誰もが思ったことだろう。
 ところがそんな願ったこと全てが叶う世の中でも無い。
「またミッドガルが破壊されれば平和になるやもな」
「やめてくださいよぉ、そんな縁起でもないこと」
 災害の後に訪れる平和の中では誰しもがまずは己を生きることに必死で、他人を支配しようという考えには及びつかない。
 セフィロス再来からしばらくして。WROが更に軍隊めいてきたその時──『彼ら』は牙を剥いたのだから。元はと言えば神羅が作り出した闇、身から出た錆であることに違いはなけれども関係のない一般市民からしてみればなんだって同じだ。
「人類の危機に陥らない程度ならよかろう」
「よくないです。一応ミッドガルの開発に関わった側から言わせてもらいますとね、いくらもうこんな瓦礫の山だからってどれだけ壊しても傷つかないつもりはないんですよ」
 ああ、せっかく作ったビルの足元が! ああ、せっかく苦労して会社に意見を通した鉄橋が! ああ、せっかくスラムまで走らせることができた電車が!
 過激なテロ組織に魔晄炉を破壊されたときの怒りなどもう思い出したくないくらいだ。リーブはうつむいでガリガリと頭をかきむしった。
「もう少し肩の力を抜け」
「今が踏ん張りどころですんで。それに……ボクがしっかりしてへんと、いつ寝首かかれるかわかりませんから」
「……二十四時間警護でもつけたらどうだ」
「直接的な意味だけじゃないですよ」
「そんなことは分かっている」
 命が狙われているのではいくらでも守りようはある。WROに所属するユフィやシェルクをはじめとする優秀な戦士たちが彼を文字通り命を張って守ってくれることだろう。しかし肩の力を抜きすぎて腑抜けになってしまった局長など一体誰がついていくというのか、それは神羅という大組織に属していた彼自身がよく知っていた。
「それに、これも言わせてもらっておきますけど……ボクは総統(プレジデント)になったつもりもありませんから」
 こればっかりは少しだけ語気を強めて。
 金と恐怖で世界を支配しようとした神羅一族の衰退と同じように並べられても困る。実現不可能に近い理想であるとはいえ、リーブはWROという組織を『星に住まう一員としての責務』という想いの旗のもとに集まった人々の組織でありたいと願っていた。『仲間』として生身で肩を並べることは終ぞ叶わず終わってしまったが、「きっと彼女だってボクが天狗になっていたら怒るでしょうね」と小さく笑った。
 星に愛された、あの少女は望むまい。
「自分の行動の理由づけに死者を呼び出すな」
「いいじゃないですか。ヴィンセントだって似たようなものでしょう?」
「私は自分自身の人生などとうに失った。ただ生きているだけの行動原理だ」
「屁理屈って言うんですよ、そんなこと」
「……それこそ彼女は怒るだろうな」
 自分の人生がもうとっくに終わっているだなんて! バカみたい、そんなの。なに勝手に決めてるのよ、世界は目の前にずっとあるんだから それを見ようとしないなんて!
 過ごした時間は僅かではあったはずだというのに、エアリスの声はいつ思い出しても鮮明ではっきりと胸の中に響いてくる。天真爛漫なおひさまのような女の声が天から降って来たような錯覚をおぼえる。
「今の僕たちを見たら全員がお説教されちゃいますね」
「下手すれば手も出てくるぞ」
「間違いないですね」
 ふんわりと大人しそうな顔つきをしていた彼女だが、なんだかんだと仲間内でもっとも手が出やすいのもまたエアリスだ。仲間内で手を出されたことのない者はいない。バレットでさえぽかぽかと可愛らしい抵抗を受けているのだ、こんなみっともなくダラダラと悩んでいる二人の姿を見たら一体どんな言葉を全力投球してくるか分かったものじゃない。
 だとしても、とヴィンセントは空を仰いだ。
 ずっとずっと昔、気が遠くなるほどの太古に異星からやってきた旅人が降りて来た空である。不老である限りその『気が遠くなるほど』の時間をヴィンセントは生きていくことになるのであろう。
「我々が我々を罪人だと言うことには反対せんだろうな」
「奇遇ですね。ボクもそれに関しては同じ考えです。……きっと エアリスなら彼女自身も咎を背負った人間だと言うでしょうね」
「ホーリーを呼び寄せようとしたのだからな。その魔法が……今のこの瓦礫を作り上げたことを知れば」
 卵が先か鶏が先か。
 古代種の神殿で手にしてしまった究極の破壊魔法・メテオを呼び寄せる黒マテリア。それが発動されるよりも先に彼女は星へと祈りを捧げ、究極の防御魔法となるもう一つの禁術を発動させていたのだ。それは抑止力、それは最終防衛線、それはメテオを呼び出した者への罰。
 皆が罪人だって言うなら、わたしも同じだね。
 彼女はそう言うはずだ。
「決して私たちを無罪とは言わないだろうな」
「同じく無罪なのではなく……同じく有罪だと 言うでしょう」
「お前の覚悟も受け入れてくれるだろう」
「覚悟?」
「人生と命そのものを賭けて星を償うことだ」
「……そんな大それたものでもないですよ。ボクはやれることをやれるだけです」
「それを覚悟と言うのだ」
 男二人は同時に目を合わせてははは、と小さく笑った。
 こんなくだらない話にすら死んだ仲間を持ちだなければならないほどの感傷を抱いていることに気づいてしまったからだ。ほとんど口をつけないままですっかり短くなってしまった煙草をヴィンセントはコンクリートに押し付け消火すると、瓦礫の狭間へと投げ入れる。
「ポイ捨てはいけませんよ」
「瓦礫掃除でもするか?」
「いずれは着手したいですけどね。置き場所もないので」
「世界警察以外にもやることは山積みだな」
「モチベーション的には不評でしょうけどね。口には出さずとも……ここは 全員の傷口みたいなものですから」
 荒れ果てた光景を目にするたび、破壊され尽くした故郷を見るたび、触れるたび。「ここを片付けたとしても、また住みたい人間なんていないでしょうしね」とリーブは付け足した。
 夢の都、光の都、夜のない常昼の都。魔晄に溢れた貧困など存在しない理想郷(エリュシオン)。かつて年若きヴィンセントが心の奥底から渇望し、年若きリーブが心の奥底から格差の消滅を願っていた都はこうまで何度も蹂躙されたのであれば、人々はもう見向きなどしないのだ。
「今となっては瓦礫の山だが……兵士どもの夢の跡 か」
「これが人の飽くなき夢の果てですよ」
「…………人の夢と書いて…」
「儚い? それはあまりにベタな話ですよ、ヴィンセント」
 むぅ、と長い黒髪の男は押し黙った。「ですがあなたの言う通りですね。大きな希望を抱けば抱くほど……絶望の裏返しとなる。以前、ティファさんに言ったのを覚えてますか?」とリーブが聞けばヴィンセントは頷いた。
「……クラウドを探している時にな」
「その時はえらい冷たいこと言うもんやとも思ったもんですけど 今にして思えば……全く仰る通りですよ。それも経験論でしょう?」
「ノーコメント」
 それはイエス、の意。たった三年、されど三年。密な付き合いを経てリーブはこの寡黙な仲間の性格をしっかりと把握していた。
「あなたは優しい、ヴィンセント。そんなあなたに抑止力となるお願いをするのは些か心は痛みますが…」
「白々しいことを言う」
「ちゃんと思っていますよ。しかしこればかりは他の誰にも頼めませんからね」
「お前が最期まで舵取りしきればいいだけだろうが」
「……善処はしますよ」
 それはノー、の意。
 リーブが命ある限りWROという組織を存続させ、星を守るものの側に立ち続けることができるかという問いに対する答えだ。だからこそ冗談にもならない『お願い』を投げつけたのだ。
「お前を殺せば私の罪がまた増える」
「一人殺そうが二人だろうが変わらないと言ったのはヴィンセントでしょう」
「……やはりお前は私に平然と仲間殺しをさせる根性の持ち主だな、リーブ。流石はあの神羅で統括をやっていただけのことはある。その手腕は賞賛に値する」
「あなたに言われずとも嫌味なら間に合ってますよ。そりゃ、ボクは聖人なんかじゃないですから。神羅の良心でもありません。会社の暴走を止めることもできず……あなたたちに縋っただけだというのに今ではこんな顔して世界の玉座に腰を下ろしている。イイトコドリばかりです」
「素直に褒めたつもりだったのだが。お前の『それ』は私には決してできない芸当だ。才能だと思え」
「だといいんですけどね。……あなたは為政者には向いてないですよね」
 妙なところで情に篤く、どんな事柄においても率先して自分から乗り込んでいくような性質だ。
「不向きどころの話じゃない。お前のような人間の手足……いや、武器になって戦うのが一番性に合っている」
 大義なんてものを考えるのは二の次で、兎にも角にも目の前に立ちはだかる敵を片っ端から血祭りに上げていくような。そこに超・客観的な正義があろうとなかろうとも関係のない立ち位置こそがタークスという組織に属していた自分にはふさわしい、と。
 時には他人の武器でありながら反逆して見たりもするが、基本的には意志を持たない殺戮の道具でありたいと。
「流行りませんよ、今のご時世」
「流れている時間が違うものでな、私には私の流行がある」
 またそんなこと言っちゃって。
 リーブはそこで話をやめると立ち上がった。延々とこの仲間内で最も不可解な男と話をしていたいところではあるが、勝手に仮設本部としているトレーラーから抜け出してきている以上あまり長くはいられない。隊員が探しに来る前にお暇しますよ、と言うとしかしヴィンセントは「もう一本煙草を寄越せ」と言って来る。
「人の話、聞いてました?」
「聞いていたから言っている。その隊員とやらに捕まればまた仕事詰だろう。……あと一本分ほど付き合え」
「……気を遣ってくれてます?」
「さぁな」
 差し出された箱からもう一本の煙草を抜き、火をつける。
 やがて大慌てで姿を消した局長を探しにやってきた隊員に発見されて小言を漏らされるまで、二人はボソボソと下らない堂々巡りの話をずっと続けていた。


「ボクらは罪人です。一生それを背負って生きて行くんです」
 隊員に連れられて駐車場まで戻って行くリーブは最後にヴィンセントにそうとだけ言い残し、寂しそうな笑顔でその場を去って行った。


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