PASTIME WITH ...




「神羅屋敷つったらアレじゃねぇか、ド・ド・ド田舎代表ニブルヘイムの幽霊屋敷じゃねぇか。お前そんなとこに住んでたのか? うわぁマジかよ」
 ありえねぇ、オレ様そんなの耐えられねぇ!
 つい数十分前までクラウドが『今までのお話』と『これからのお話』について熱く語っていた際に居眠りしていた男は缶ビールを飲み干して騒いだ。別に話を聞いてようが聞いてなかろうが関係ねぇだろ、オレ様はついてくだけよォ、と寝言を垂らしながらヴィンセントに引きずられ部屋へ連行された時の面影はない。
「繁殖していた魔物も手懐けていたし……神羅の人間しかいない村だ、子供が肝試しに来ることもない。時折調査に来る連中のことは無視して気配を消していればいいだけだ。……それなりに快適な場所だったが」
「そりゃそんなところで何十年も寝てればそんな性格になるワケだぜ」
「……」
 シドがカッカッカ! と笑えばむす、とヴィンセントは口を曲げた。
 なるほどだから棺桶ミイラ男。ユフィがヴィンセントをそう罵った訳にも納得できる。
 宝条のオモチャにされて人体実験を受け人造人間になったから拗ねて神羅屋敷の地下で不貞寝していた。起きたのは数ヶ月前で、クラウドたちがニブルヘイムにやってくるまでは魔物たちと秘めやかに生活していた、というのがヴィンセントの説明である。
 ケット・シーはマスコットとしての『本業』が忙しいらしく解散してから姿は見えない。普段は路銀の節約に大人数でぎゅうぎゅうになって部屋を借りることが多いのだが、今回はケットが根回ししてくれたおかげでこうして快適な宿泊を楽しめているという訳だ。
「お前本当はいくつなんだよ」
「……にじゅう……なな……」
「それは前聞いた」
「……起きた時には暦が変わっていた。それで察しろ」
「…………あー……」
 真面目な顔をしてヴィンセントはそう言った。
「宝条とほとんど年は変わらん」
「へぇ、じゃあ結構年とってんだな。通りでオレ様より貫禄あると思ったぜ」
「とはいえ人生の後半部分は寝ていただけだ。アンタの方がまともな人間社会で生活してる期間は長いはずだが」
 老成しているように見えるのはこの見た目と陰鬱な空気を漂わせているからであって、コスモキャニオンの長老たちのように長い間世界の様々なものを見て来た訳でもない。隠棲していただけだ。
 受付には首つりくん、売店にも首つりくん、部屋にこしらえられたフェイクの暖炉にも首つりくん。部屋自体は豪華だが、選択肢のないゴールドソーサー唯一の宿泊施設にしてはいささか不気味が過ぎる。シドはベッドにあぐらをかいたまま、そしてヴィンセントは隣のベッドで仰向けに転がったままお互い長いため息を吐いた。
「なんでい、お前もため息かよ」
「……アンタでもため息を吐くのか」
「あったりめぇよ。……どう考えたって嫌な予感しかしねぇ」
 とりあえず神羅より先に古代種の神殿へ足を踏み入れるための『鍵』は手に入れた。
 クラウドが得意の暴力もとい武力沙汰で解決してくれたため1ギルたりとも払わずに済んだのは幸運だった。が、その先に何があるのか、向かう先に待つは希望か絶望か。それは甚だ怪しいところである。
「嫌な予感、か」
「ティファもあんな調子じゃあよう。先が思いやられるぜ」
 オレ様はどっちかっつーと部外者側だからなんも言わねぇけどよ。
 シドはヴィンセントと同じようにベッドに寝転がり、両手両足を広げ久しぶりに味わうふかふかした寝床の心地よさを味わった。
「……古代種の神殿……密林の奥地に聳(そび)える前人未到の金字塔。足を踏み入れた者は決して真の目的を達することはない……」
「アンタなんか知ってるか?」
 クラウドたちには言えないようなことでもいいんだぜ、とシドは内心期待を寄せながら訪ねたがヴィンセントは力無く首を横に振った。
「ガスト博士なら何か知っていたかもしれんが……何せセトラに関しては門外漢だ」
 詩的な表現もそのガスト博士から聞いたことがあるただのワンフレーズ。
「そうかい。ま、セフィロスが向かったってんなら何かしら意味がある場所なんだろうが……」
「ジェノバは古代種ではない。故にセフィロスも古代種ではないが……それなのに何故、古代種の神殿へ向かおうとする?」
「そりゃあ……なんでだろうなぁ」
「神殿に眠るは究極の破壊魔法。それが目的だろう」
 道中の武器職人の小屋で聞いたただの噂話ではあるが、星を憎むセフィロスが求めるものにしては御誂え向きが過ぎる。真意がどうであれ相手がたの手に渡るのは望ましくないものであることは明白だ。
 だがそれ以上は分からん、とヴィンセントは天井からぶらさがる照明を睨み付けた。
「考えても無駄か」
「無駄とまでは言わんが……考えたところで想像の範疇、理解の範疇を超えたことが起こる。その覚悟は必要だろう」
「おうおう、恐ろしいことで。オレもちびっちまわないよう気をつけなきゃな」
「ちびる程度で済めば御の字と思え」
 事実、その程度で終われば洗濯すれば終わりなのだから喜ばしいことこの上ない。
 だが待ち構えるモノはそれで済むようなことではない。
「このシド様が将来を不安に感じるなんてな。おっとろしいもんだぜ、セフィロスはよ」
「……或いは……」
「よせやい、分かってるってんだ」
 げに恐ろしき相手は。
 セフィロスという『最初から』得体の知れぬ死んだはずの英雄のことではない。あれが恐ろしいのは万人共通の事実。
 この目に見えないもやもやとした黒い霧のような不安を抱かせるのは『敵側』の人間ではなく、むしろ『こちら側』の人間だ。どこか奇妙な、どこかネジの外れた、どこか拍子外れな、と言葉で飾って自分たちを偽るのもそろそろ限界だ。
 どう考えても、クラウドの言動は『通常』からはかけ離れている。
 だがそれを口にすることは憚られる。不協和音を今ここで鳴らす訳にはいかないからだ。
「……それでも手段は講じておくべきだ」
「そりゃ、手遅れになる前にはな」
 だが今じゃねぇぞきっと。
 ほら、聞こえたか?
「む」
「厄介な足音だぜ、これは」
 そんな近い将来よりももっともっと直近に訪れる『厄介ごと』の音。
 シドの言葉の意味を理解したヴィンセントは諦めたように瞼をおろし、そして勢いよくノックもなしに開けられた扉とともにもたらされた、

「ヴィンセント! 覚悟しろ!」

 という予想通りの声に虚無の息を吐いた。
「……鍵をかけておくべきだったな……」
「……どしたぁ、ユフィ」
「はっはーん、残念ながらそっちの冴えないオッサンには興味ないんだよねぇユフィちゃん。ヴィンセント、ほら立て、来いって。デートだって!」
「…………悪いものでも食べたか?」
「そういや今日ナマ肉食ったしなぁ。カルパッチョ美味かったが、なんか中(あた)ったか?」
 それとも部屋でコッソリなんか食ったか? 腐ったエリクサーでも隠れ飲みしたか? だとか。ベッドに二人は寝転がったまま突如として現れた来訪者に容赦のない言葉を浴びせかけた。
「バッカじゃねーの! この格好見てなんとも思わないのかよ!」
「…………ノーコメント」
「おう。オレ様もだ。……サイズ合ってねぇんじゃないか?」
「バッカ野郎! どの口がノーコメントだ!」
 海の底のような深い青色のミニドレスを彼女は身に纏っていた。
 ユフィほどの年頃の少女なら確かに着ていてもおかしくはないが、どこからどう見てもサイズが合っていない。特に上半身の──具体的に口にすればリミット技でも飛んできそうな──バランスがおかしい。「ティファに借りたのか?」と尋ねればユフィは元気よく頷いた。
「なんでぇ、そういうことかよ」
「折角のデートだからって言ったら貸してくれたんだよ。ほら行こうぜ」
 小さな頭にはヒヤシンスのオーナメント。ドレスと同じ色で揃えられたそれは短い彼女の黒髪の中で可憐に咲いている。
「……シド」
「行って来いよ、萎びたオッサン予備軍にはまたとないチャンスじゃねぇか」
「そうじゃない。お前も来い」
「は? ヴィンセント、アタシは今デートだ、つったんだけど」
「目的は?」
「そりゃ……デートだよ、デート」
 しどろもどろとし始めたユフィにヴィンセントはうんざりしたような視線を投げ、反動もつけずに上半身を起こしシドにも「起きろ」と言う。
「尾行だろう、クラウドとエアリスの。誤魔化せるとでも思ったのか」
「げ」
「んだ? どういうこった」
「さっきホテルから二人が出て行くのが見えた。今夜はカップル限定のイベント目白押し、マジカル・ナイトだそうだ」
 ヴィンセントらしからぬ単語がぽんぽんと薄い唇の合間から繰り出される。そしてなんだよそういうことは早く言えよ! とシドは慌てて窓際に駆け寄るが、当然姿は見えない。
 つまりクラウドとエアリスは今この時、仲間の目を盗んで二人っきりのデートを楽しんでいる。それに気づいたユフィはもっともらしい理由をつけてティファの服を借りアリバイを作ってまでこの部屋に共犯者を探しにきたのだ。
「バレットはどした。クラウドと部屋一緒だろ?」
「すげーイビキが廊下まで聞こえてるから寝てるんじゃないの? もう、ヴィンセントはほんと面白くないな」
「面白くなくて結構だが……人の恋路を邪魔しないほうがいいぞ」
「こいじ?」
「どういうつもりかは知らんが……大人しく見守ろうとはできんのか、お前は」
「だって気になるじゃん」
 ケロリとユフィは言ってみせた。
 デートなんてただの口実、でもゴールドソーサーでカップルを一人きりで尾行するなんてつまらないしサミシイじゃん? と真顔で彼女は続ける。
「ま、気にならねぇことはねぇけどな。行って来いよヴィンセント」
「お前もだ」
「なんでオレもなんだよ」
 とりあえずヴィンセントはユフィの誘いは承諾したらしい。立ち上がり室内履きに足を引っ掛け、古臭い作りのクローゼットを開けた。
「…………気にならないのか?」
 二人がなにをしているか。
 ヴィンセントは意味ありげな視線をシドに送る。
「そりゃ…………」
「我らが『リーダー』が風紀を乱していないか心配はしないのか?」
「なんでぇ、お前も興味津々じゃねぇかよ」
「興味がないとは一言も」
 ただのコスプレ用だがせっかくだ。
 そう言いながらヴィンセントがクローゼットの中からシドに投げて寄越したのは『いかにも』ゴーストホテルらしい吸血鬼が着てそうな燕尾服だ。シャツがベストと一体化した作りはなんとも粗雑だが、雰囲気だけはある。
「……これをどうしろってんだ」
「せっかくの姫君からのお誘いだぞ、着てろ」
「んだ、今日のお前ちょっとヘンじゃねぇか?」
「いつも通りだ」
 いつも通り、ヘン。
 ヴィンセントはそれをシドへと投げ捨て、もう一着も手に取った。
「フロントで待ってろ。すぐに行く」
「もう片っぽのオッサンはお呼びじゃないんだケド」
「……一度にオッサン2人とデートできるのもなかなか貴重な体験だぞ」
「なんの話だよ」
 それともオッサンどもの着替えを見たいのか、お前は? といううんざりした言い草にユフィは「んなワケねーだろ!」と言い、肩をプリプリと怒らせて部屋を飛び出し扉を乱暴に閉めて行く。
「なんでぇなんでぇ」
 どういうこった、とシドが投げつけられたコスプレ衣装を抱えたまま首を傾げれば、
「……邪魔をするのも野暮だろう。クラウドの挙動は確かに気になるが……尾行の共犯者になるつもりはない」
 とヴィンセントは息を吐いた。
「…………あー……」
「私だけでは彼女を御しきれん。手伝え」
 別に誰と誰が恋仲だろうが、誰と誰が懇意であろうがセフィロスを追いかけるにあたり支障がないなら興味はない。
 むしろゴールドソーサーなんていいう世界随一のテーマパーク、その人気ホテルに知り合いのツテでセミ・スイートルームに宿泊しているのだからこんな機会を逃すべきではない。それにヴィンセントとしても男二人でこんな部屋に一晩眠れもしない夜をイビキに悩まされながら過ごすだけの時間を過ごしたくはない。
「でもこんなコスプレよぉ、お前はともかくオレ様は似合わねぇぞ」
「似合う似合わないは知らん。私だけで行く訳にはいかんだろう、こればかりは」
「はぁ?」
「未成年の小娘をこんな夜中に連れまわすつもりはない」
「…………おめぇのそういうとこ、ちょっとズレてるよな」
 言いたいことは分かる。
 仲間内では互いの年齢をどうこう意識して言うことはないし、ユフィ一人が夜のゴールドソーサーで遊びまわるのであれば別段気にもとめはしない。だが『デート』となると別だ。本人たちがどう思っていようともこんな屈指のデートスポットで男女二人が──浮かれた格好で──練り歩いていれば誰がどう見てもそれは恋人同士。
 しかしヴィンセントはそれを『よろしくない』と判断した。とはいえだからといって同室のシドまで誘うのもどうかとは思うが、ティファを誘うよりはいい。女性二人に夜のテーマパークを闊歩するのはさらなる誤解を招く。
「……売店で買えるコレルビールは美味いらしいぞ。世界各地のビールが売っていた。アイシクルワインもある」
「お?」
「無事に任務を遂行したら一杯。……どうだ」
 乗らないか? とベルトだらけの服を隠すことなくぽいぽい脱ぎ捨てながらヴィンセントは問いかけた。
 誤差程度の年しか離れていないはずなのに、何かがおかしい。シドはその誘いには答えず競うようにくたくたによれたシャツのボタンを外していく。その時点ですでに『負け』てはいるが、向かいで怪訝そうな顔をしているヴィンセントを他所に神羅いちのパイロットはシャツも脱ぎ去り鼻息を荒くしながら「でぇい!」と叫んだ。
「どこが違うってんだ、そんなひょろひょろよりオレ様みたいなほうがいいに決まってんじゃねぇか!」
「……何の話だ」
「…………」
「…………」
 半裸の男が二人、無言で向かい合う。
「いや…………やっぱ……ちょっとたるんでやがるな……」
 オレの腹。
 沈黙を破ったのはシドのほうである。バレットのような鋼のような筋骨隆々か、それともクラウドのように筋肉はついているか締まっている、要するに『若者らしい』肉体かであればこの目の前の男と戦えたかもしれないが、今は同じリングに上がることすら許されていないようだ。
 ヴィンセントは右手の指でシドの腹をツンツンと無言で触り、むに、と弾力ある肌から指先を離したかと思えば表情変えずに言い放つ。
「酒の飲み過ぎだ」
「……村にいたときより減ったもんだぜぇ、これでもよぉ……」
 それに今はタイニー・ブロンコでの移動もあるとはいえ多くは徒歩だ。ウータイの浜から街まで険しい山岳地帯を歩き回り、今だってそう、ブロンコが接岸できる場所からコレル村までせっせと歩いてきた。というのに、だ。
「槍に重りでもつけてみるか?」
「おう、振り回してりゃそりゃいい運動に……ってなァ! そんなことしたら飛べなくなるだろうが!」
「そうだな」
 そうだな、じゃねぇ!
 さして体重など感じさせないようなアクロバットを連発する割には中身のないスカスカな身体でもない。そりゃあ神羅のエージェント様だっていうならそれなりにデキた身体でしょうけどよォ〜とシドは諦めたように『コスプレ衣装』に手を伸ばした。
「やってらんねぇ、やっぱ酒だな酒。ヴィンセント、付き合ってやんだ、ほんとに奢れよ」
「アンタがちゃんと姫君のエスコートを達成できればな」
「結構なご依頼じゃねぇか」
「酒ならいくらでも奢るがそれ以上太っても責任は取らんぞ」
「うるせぇ、どうせお前あれだろ、どんだけ食っても飲んでも太らねぇってクチだろ」
「当然だ」
 口にしたものは全て身に住まう魔物たちがエネルギーとして奪い去っていく。
 空腹を感じることはないが、満腹を感じることもない。喉の渇きも覚えはしないが喉を潤すことで幸福感を得るのは難い。五味を感じ取るだけの味覚が生きていることがまだ幸いだ。
「ま、それも不便な話だろうけどよ。オラ、これでいいか?」
「上出来だ」
 行くぞ、とてきぱきと向かいで着替え終えたヴィンセントは確認もせずにそろそろ待ちかねたユフィの我慢が限界な頃だろう、とフロントへ向かう。待ちくたびれた彼女なら再び部屋に乱入して来ないとも限らない。
 クラウドとエアリスが本当にデートをしているのかは知らないが、眠らない遊技場で裏番組が秘めやかにスタートした。





 オラァ! 行けェ! そこだ、突っ走れ!
 既に酒をたらふく飲んだ男の叫び声がチョコボ・スクエアに響き渡った。とはいえ喧騒に包まれた会場の中ではさして珍しいものでもない。曲がりくねったコースを最後尾で抜けるのはトウホウフハイ。前方のチョコボたちを追ってはいるが、差は大きい。
「あれじゃダメじゃない?」
「……まだ逆転のチャンスはある。これも想定内だ」
 首位集団があれだけの全速力を維持することは難しい。ここ数ヶ月分の戦績を見ていてもそれは明らかで、最後にトウホウフハイに勝とうとムキになった集団が丸ごと失速するのは目に見えている。ヴィンセントはやってくるであろう『その時』を目を細めて待ち続けた。隣ではユフィが至極退屈そうに行儀悪く植木の上にあぐらをかいている。
 ヴィンセントはその隣に座りモニターを睨みつけつつユフィにポテトフライを差し出した。
「アンタたち好きだねぇ、こういうのってソーサーが儲かるようにできてるんじゃないの?」
「んなこたぁ知るか、オレはこのいっときを楽しめればそれでいいんだよ!」
「……その意見を全面支持するつもりはないが、否定もしない」
「ヴィンセントまで?」
「娯楽施設とはもとよりそういうものだ。が、負け続けで路銀を使い込まれるのだけは困る」
「だよねぇ」
 ユフィの要望通り『デート』に洒落込んだ3人がまずやってきたのはレース場だ。最初はクラウドたちどこ行ったんだろ、と興味津々だった彼女を2人してうまいことこの賭場まで誘導したのである。あそこのチュロスが一番美味いとケット・シーがそういえば言っていたな、とか、揚げたてのポテトフライは最高だぜ、とか。
 彼女は差し出されたポテトフライをつまみ、美味しそうに頬張った。
「ヴィンセント、いつもそうしといたら? その方が鬱陶しさ減るよ」
「まるで普段が鬱陶しいような言い草だな」
「見てる方からしたらそりゃぁね」
 髪の毛、とユフィは笑った。
 再びシドは2人の前で拳を振り上げる。
「昔は短かったぞ」
「マジで?」
「マジだ」
 ミニドレスのユフィはフロントに降りてきた2人を見て最初こそ笑っていたが、どうやら待遇は満更でもないらしい。売店に置いてあった首つりくんの小さなマスコットのついたヘアゴムで長く伸びっぱなしだったヴィンセントの髪の毛を編んだあたりから楽しくなってきたようだ。
 ポテトはヴィンセントに持たせたまま、彼女は指先についた塩をぺろりと舐めてから再び彼の遊び甲斐のある髪の毛に向き合った。
「エアリスってさぁ、あの髪の毛どうしてるんだと思う?」
「……我々に聞くな。君の方こそ夜は同じ部屋だろう?」
「そりゃそうだけど。気づいたらするーんって解かれてて、朝は起きたらもうバッチリセットしてあるんだもん」
 それはユフィが朝早く起きて待ち構えてみればいいだけでは。
 ヴィンセントは言葉を飲み込んだ。
 予想通り失速したライバルを引き離しトウホウフハイがゴールを跨ぎ、それを祝うファンファーレが聞こえる。しかし劣勢から逆転するのはいつものこと、大した倍率にもなってはいない。シドは大きな息を吐いてヴィンセントとはユフィを挟んで反対側にどっかりと腰を下ろした。
「ダメだな、もっと冒険しなきゃ面白みがねぇな」
「そうやってギャンブルにドハマりすんだぞ、オッサンども」
「勝てばいいのだ勝てば。最後に勝ったものが真の勝者だ。おいシド、次のレース、一位はミスターシンで間違いない。もう一頭はお前が決めろ」
「おっ」
 間違いない、とヴィンセントはキラリと死んだ目に光を灯した。
「アンタもそっちのクチかよ」
「サラリーマンの嗜みだ」
「……ミッドガルのサラリーマンってみんなそうなの?」
「サラリーマン関係なく賭け事が嫌いな奴などおらんだろう」
「アタシとしてはアンタが元サラリーマンって方が驚きだけど」
「内勤のサラリーマンがどうしてこんなことになったのかとでも?」
「気にならないワケないでしょ」
「……神羅では事故にでも遭って助かる見込みがなくなれば宝条の実験台にされる。それだけの話だ」
「じゃあアンタ事故に遭ったの?」
「事故……まぁ、建前はどうでもいいが。あのままならポックリ死んでいたはずが気づけばこのザマだ」
「へぇ。神羅ってコワい会社なもんだね」
「72時間闘いましょう、ってか」
「なにそれ」
「そりゃァ……あれだ、ひと昔前に流行った宣伝文句だな」
 3日3晩、不眠不休で働いてみせろという圧力にも似た標語だ。
 神羅が掲げたそんな人権のない──実際はそれくらいの心算(こころづもり)でやれ、という意味でしかないが──言葉を社内に流行らせたのはシドが生まれた頃まで歴史を遡らなければならないが、面倒なので彼は黙っておく。ひと昔であることに間違いはない。
 内勤だろうが外勤だろうが関係ない、とヴィンセントは口の端を上げてみせた。
「常に闘う者たちだ、我々サラリーマンは」
「へぇ? なんか意外。神羅の軍隊じゃない会社員ってもっとこう……ビルで踏ん反り返ってるのかと思ってた」
 クラウドやティファ、そしてエアリスたちから聞いた話から彼女が作り出したイメージからは程遠い。
 俺たちみたいなスラム暮らしとは違う、アイツらは毎日空調の効いたビルでスラムの人間を数字でしか表さない、ぴかぴかのトイレで用を足して、清潔な食堂で毎日食事が摂れることが保証されていて、家に帰ればあたたかなベッドと途切れることのない温水シャワー。アイツらはスラムの上で優雅にコーヒー飲んでるような連中だ、とか。
「(うまいもんだ)」
 シドはそんなことを言うユフィに面白おかしく、そして更に興味を惹きつけるような語り口で答えてやるヴィンセントを見て眉を上げた。
 自分の出自を探られないよう、そこから少しだけ外れた場所へと興味の的を誘導していくのは見事な手口だ。彼が現役だった頃は恐らく今の神羅ビル本社は建設前か、建設途中であったろうから事実とは多少の齟齬はあるだろうが、そんなことは誰も気づかないくらい鮮やかな語り口。
 寡黙だが決して口下手な部類ではない。だが彼が生前していたことを考えれば妥当だ。タークスという奴らはそれぞれ得意不得意はあろうとも、無知の相手を騙るのは得意技だ。
「ソルジャーのような外勤とは違う。我々内勤には内勤のプライドがある」
「へぇ、じゃあソルジャーとナイキンって仲悪いの?」
「……かもな」
 かも、ってなんだよ!
 ユフィが頬を膨らませ曖昧な言葉にぷりぷり怒ってみせると、シドは思わず吹き出した。今度ばかりは思わせぶりではない。ヴィンセントは神羅軍という存在が出来る前の時代に生きた人間だ。もしもクラウドに彼女が同じことを聞いて話の辻褄が合わなかったりしてみろ、面倒なことになるに違いない。
 シドはへへへ、と笑ってから、
「オレ様からしたら外勤も内勤もそんな大差ねぇけどなぁ。ミッドガルでひとくくりだ」
「……そっか。シドはずっとロケット村?」
「それこそニューシャシケンで一度行っただけだぜ、ミッドガルは」
 ありゃあ暑い夏の日だったかな、と彼は床に置いていた缶に口をつけて残っていた酒を飲み干してしまう。
「へぇ。神羅にも色々あるんだね」
「全部一緒なはずはないだろう」
「アタシから見りゃ全部一緒だっての」
 あぁほら、次のレースがスタートするよ。
 すっかりユフィは当初の目的を忘れてしまったかのように電光掲示板に目を向けた。カップルよりもどちらかといえば男性の方が多いこのチョコボ・スクエアの中で青いミニドレスを着た少女は隣でぶつぶつとまた中途半端に興味を惹くようなヴィンセントの豆知識に耳を傾けつつ、やれーーッ! というシドのやかましい声に便乗して楽しそうな声を上げ始める。
「見ていろ。絶対ミスターシンだ」
「でも4位だよ」
「他のチョコボはカーブで失速するが、あれはしない。カーブのたびに徐々に詰めていけばスタミナもあるミスターシンは……」
「お」
「っしゃあ!」
「……ということだ」
 快走、逆転、ぶっちぎり。
 後半になればなるほど順位を上げたチョコボはそのまま一気に2位以下との距離をぐんと伸ばし、首位でゴールラインを飛び越える。上位ランクのようなトウホウフハイ一強でもないクラスではそこまでペイ・バックは大きくないが、それでも楽しむ範囲でならば十分に『勝った』と言えるポイントだ。
「さっすが、神羅のサラリーマン。ヴィンセントも新聞読みながらベンキョーしたの?」
「お前の賭けレースに対するイメージが一体どこからきたのかは知らんが……」
 それも否定はしない、と言う。するとユフィはやはり笑いながら、
「なんだぁ、ヴィンセントってほんと面白いよね。いつもそうしてりゃあいいのに」
 と多方面からしょっちゅう言われることを彼女にまで指摘される。
「ユフィもそう思うよなぁ? いつも連中の中じゃだ〜んまりしてやがるが、喋るときは結構喋るぜ」
「やっぱ部屋でも?」
「オウ。下世話なオッサン話から何でもかんでもよ」
「シド。嘘を吹き込むな」
「いいじゃねぇかよ、大体間違ってねぇだろ」
 ガッハッハ、と景気良く笑うシドは間違いなく酔っている。
 その気に当てられたのかユフィもまたキャッハッハ! と大げさに声をあげ、「次行こうぜ次、アタシ行ってみたいとこあんだよねぇ」と騒ぎ始める。
「……ワンダー・スクエアか」
「行こうよ、今夜はマジカル・ナイトだって言うじゃん? しっかりチョコボで稼いだし、パーッとやろうよ!」
 決定! と二人の返事を待たずに彼女はダッシュでそのまま走っていく。
 慌ただしい奴め、とヴィンセントは見事『当てた』チョコボ券を交換所に持っていく。
「流石タークスってか。お手の物じゃねぇか」
「それが仕事だ」
「にしたってよ、ほんとに新聞読んでたのか? 調査課の連中ってのはそういうのも仕事なのか?」
「……まさか。昔はグラスランド地方に牧場と大きなレース場があってな。同僚がそこの出身だったからよく通っていた」
 レースに強いチョコボはこう、スタミナがあるチョコボはこういう走り方をして……カーブで失速しないようにはこんな訓練と育て方。
 今のグラスランドにそういった施設があるのかは知らないが、少なくともミッドガルがまだプレート都市と呼ばれるより以前、周辺地域にも多くの集落や小さな街が存在していた頃はそうだった。
「へぇ、そりゃあいい趣味じゃねぇか」
「それに私はアイシクルの出身でな。あの辺りはどうやら今もいいチョコボの繁殖にはかかせないそうだ」
 雪深い山岳地帯を駆け回るようなチョコボは強靭な脚力を持っており、レース用としてもかなり人気が高いらしい。
「………あ」
「どうした」
「なぁんでも。やっぱそういうとこなんだよなぁ、お前」
「…………」
 ヴィンセントは答えない。ただ交換によって手に入れたポイントとマテリアを手で弄んでいるだけだ。
 彼の口車に乗せられているのはユフィだけではない。今まさにシドも自分自身が彼の巧みな誘導にひっかけられて本当に聞き出そうとしていた質問から遠ざけられたことに気づき、天を仰いだ。
「ったく、いつになったらテメェの本心は見せてもらえるんだかな」
「その内にでも。……時が来れば、な」
「またそれか」
 二人はユフィが消えた方へと向かって並んで歩き出す。
 すでにシドは酒を飲んで暑くなってしまったのか、首元のタイを取り去ってだらしなくジャケットの前も開けっ放しだ。
「私の本心などこの旅に関係はないだろう」
「……そうかぁ?」
「何を思おうが何を感じようが……旅の行く末を決めるのはクラウドだ」
「…………ま、それもそうか」
 敵対していないという事実さえあればそれでいいだろう? と彼はいつもよりしっかりと見える顔全体で思わせぶりな表情を作ってみせた。仮面のように張り付いた、決して本心からなどではない、あり合わせの表情だ。それも職業病か? と少しばかり嫌そうにシドが聞けば静かに頷くのみ。
 シドもヴィンセントもただクラウドたちについていくのみで、旅の『主体者』ではない。
「だがクラウドたちの逢瀬を邪魔すべきではない。それは本心だ」
「……あっそ」
 逢引に水を差すな、と涼しい顔をしてはいるが言葉の選び方が古めかしい。シド以上に『オッサン』のような言い草だがそれがまたヴィンセントの謎を呼ぶ。そうやって幾重にも謎が謎を導き出し、彼が吐く嘘と真実の境界線をあやふやにする。そして本人は真に正しいことを話すつもりはない。
 クラウドはクラウドで謎が多いが、相変わらずヴィンセントも底が見えない不気味さを持ったままだ。
「アタシ酔っちゃうからさぁ、コースターとかゴンドラって全然キョーミないんだよね」
 階段の中程で待っていたユフィはちらりと背後の移動用チューブに目を移す。
「あぁ、そっか。お前乗り物ダメだったな」
「そ。アタシからしてみりゃシドみたいなロケットオタクの気が知れないよ」
「んだと。オレ様だってロケットだけが全部じゃねぇからな!」
「へぇ?」
「よっしゃ。ワンダー・スクエアだつってたな。オレ様のバイク捌きを見せてやるぜ!」
 こう見えても車にバイクに飛行機に乗り物ならなんだって得意だからな、とシドは豪語して勢いよくワンダー・スクエア行きの移動用チューブに走りこむ。
「……変なとこで火ついちゃった?」
「つけた責任は取れ」
「うげぇ。オッサンがバイク乗ってるのなんて見ても楽しくないっつーの」
 そう言ってやるな、とヴィンセントはユフィの細い手を取ってシドが消えた先へ向かおうとする、が、突然の行動に彼女は驚いて声をあげた。
「どうした」
「どうした、って アンタ……」
「?」
「…………アンタ……はぁ〜……アンタそういう奴かよ。クラウドとおんなじタイプかよ……」
「……何の話だ?」
「なんでもないよーだ、この朴念仁!」
 解せぬ、とヴィンセントは首を傾げた。
「何を怒っている」
「怒ってないっての! ほら、次行くよ!」
 耳まで真っ赤にしたユフィはぷんぷんと頭から湯気を放つ勢いで喚き立てると、逆にヴィンセントの骨ばった手を握り返してずいずいとワンダー・スクエア方面へと歩いて行く。
 うら若き乙女の手を握っておいて何の他意もないだなんて信じられない! と彼女の独り言がぐちぐちと前方から風に乗ってヴィンセントの耳に入ってくる。
「ユフィ」
「……アンタさぁ、絶対モテたでしょ」
「何の話だ」
 さっきから一体全体。
「アンタ彼女とかいたことあんの?」
「……だから……」
「何の話って聞かれたから答えただけだよ。やけに慣れてんじゃん、こういうの。……前から思ってたけどさ」
「……」
 初めて顔を合わせたときはなんともまぁ陰気で薄暗くて得体の知れないいいのは顔だけのような男だと思ったものだったが。
 険しい山道では女性陣の後ろを守り、クラウドたちが悠々と飛び越えて行く段差は手を差し伸べ引っ張ってくれたり、時には身体ごと抱き上げて地割れを飛び越えてくれたこともあったはずだ。最初こそ『やりすぎ』にも見える行動に驚いたものだが、今ではもう日常茶飯事だ。
 これは最近になって発覚したことだが、よくよく観察してみればヴィンセントがそうやって『エスコート』するのは何も女性だけではない。相手がバレットであろうがシドであろうが本人すら気づかないようなささやかなフォローは欠かさない。
「で、彼女いた?」
「……どうしてそこに繋がる」
「いや彼女じゃないな。ほら……一方的に勘違いした女からラブレターもらったりとかさ、絶対あったっしょ」
 どちらかというと『ありがたくない』ほうのモテ方をしたに違いない。
 ユフィのニヤついた顔はなかなか神経を逆なでしてくるが、ヴィンセントは否定できなかった。過去の記憶は既に曖昧で不確かでどうにも思い出すという動作は苦痛を伴ってしまうが、彼女の簡単な問いの答えはすぐ思い出せてしまう。
「残念ながら……心当たりはある、が。あれは私のせいだったのか?」
「お」
 それでもヴィンセントはユフィと手を繋いだまま。
「カミソリを……」
「お?」
「社内郵便で送りつけられたことがある。女性の髪の毛が入っていたことも……」
「うわ」
 典型的なヤバいやつだ。
 ギラギラと目を灼くネオンが出迎えるのはワンダー・スクエア。そこから階段を登り、ガラス張りの通路を進めば目的地はすぐそこだ。
「二人ともおせぇぞ、ヴィンセント! コインくれよコイン、あっちにバイクあったぜ!」
「……少なくともこっちの『オッサン』よりはモテたでしょ、アンタ」
「…………それはそうやもしれん」
 アルコールで顔を真っ赤にして、ヴィンセントと同じような服を着ているはずなのにあぁもガニ股で走り回っている姿は大して年代が変わらないとしても印象は大きく異なってくる。
 ヴィンセント! とシドに急かされそこでようやくユフィの手を離すが、不思議なことに彼女の指先に人のぬくもりは残っていない。
「(むちゃくちゃ冷たかったじゃん……)」
 ともすれば死人のような。
 恐ろしいほどに体温のないヴィンセントの手指が描く仕草はシドのそれとは正反対で、粗雑や乱暴といったものとは全くの裏側にある。バイクゲームの筐体にしゃがみこんでコインを投入してやる姿すら品があるようにすら見えるのだ。
「だぁ、見てろよオレ様の勇姿を!」
「……ユフィ」
「……行こっか。アタシ手前んとこのキャッチャーやりたいんだよねぇ」
 あっお前ら見ろよ、このシド・ハイウインドを! とバイクに嬉々として跨った中年男が騒いでいるが二人は目を細くして息を吐いた。完全に出来上がったパイロットは楽しそうに身体を左右に傾けてバイクを走らせてはいるが、スタート早々障害物のコーンに正面衝突してスコアがマイナスされていく表示が見えた。
 見てらんね、とユフィはさっさと入り口側のフロアに戻り、色とりどりのカラフルなマテリアが景品として転がっているクレーンゲームにコインを投入しはじめた。
「取れるのか?」
「まぁね。見てろよ〜。ちょっとこっち、こっちこっち〜……いけ、いまだ! ……よっしゃ、一丁あがり」
 赤いレバーをたった2回動かすだけ。それだけの動作で彼女は見事に景品をアームで掴み上げ、カランと小気味いい音を立てて取り出し口まで鮮やかな手さばきで運んでくる。
「それは?」
「単なる安物のマテリアだよ。これは……れいき、かな」
「お前の鑑定眼には恐れ入るな」
「それほどでも。でもここのマテリアって全部神羅の人工マテリアなんだよねぇ。前来たときはこんなことしてるタイミングなかったしさ、しょーもないマテリアだとしてもやっぱ押さえときたかったんだ。ほら、レアなマテリアが入ってきたの予行演習にさ」
「……ここの出資はほとんどが神羅らしいな」
「バレットとかは嫌がりそうだけど。でもアタシは嫌いじゃないよ、こーゆーとこ」
 ごく稀にチョコボ・スクエアやバトル・スクエアでは景品として神羅が試作品に合成した特殊なマテリアも陳列されているらしいが、それは全て時の運。
 延長のディオがタイミングよくミッドガルに出張するか、ミッドガルから社員が出張にくるか。そのタミングで入荷するらしい、というのがユフィがこれまでの調べだ。今は彼女曰く『なんの面白みもない』時期だそうだが、それでもユフィは続いていかずちのマテリアをコロコロと器用に運んできた。
「流石だな」
「そりゃ、アタシは若者ですから」
「来たことがあるのか?」
「いーや。これがほぼ初めてだよ」
「……一人旅をしていたと聞いていたが」
「してたよ。してたけどここ、いつもはこーんなどこでも買えるようなマテリアしかないし、貴重なマテリアだっていつ入ってくるかも分からないのに待ち構えてるなんて効率悪すぎるでしょ? だから寄らなかったんだ」
「……意外だな」
「そう?」
「褒められたことではなかったが……お前はいつも目的には一直線だな」
 信頼させておいていざとなったら身ぐるみ全部かっぱらって逃走してみせるだなんて並大抵の度胸では不可能だ。
 それをこの10代の少女は味方一人いない、単独犯でやってのけたというのだから事の善悪は兎に角として、ユフィが胸に抱いていた信念に歪みはない。するとユフィは褒められることに慣れていないのか、それともヴィンセントにそんなことを言われるとは思いもよらなかったのか、目を丸くしたまま動かなくなる。
 どうした? と聞けば慌てて首をぶんぶん振り、
「なぁんでも。そういうとこだぞヴィンセント!」
 とやはり訳の分からない言葉を吐く。
「またそれか」
「また、だよ。そんなんだから包丁送りつけられるんだって」
「包丁は流石にない。それは断じて」
「ホント?」
「……多分」
 カミソリ、髪の毛、一方的な結婚指輪、ホテルの利用券、その他諸々。性別問わず様々な『求愛の品』を贈られた覚えはある。が、包丁といえば廃墟で見つけたトンベリが振り回しているべきものだ。本当になかったよな? とヴィンセントはそこで真剣に考え込み始めた。
 流石に……流石に。
「そんなマジになるなって」
「…………銃弾なら」
「贈られてきたの?」
「マフィアのボスから」
「……それはなんか……ちょっと アタシの言ってる意味と違わない?」
「残念ながら恐らくお前の言う意味で、だ」
 口紅のベットリついた美しい装飾のシルバー・バレットが一つ。お前の心(ハート)と命(タマ)をもらいにいくぜ、なんてメッセージと共に哀れな警察課の頭と一緒にギフト・ボックスに詰められて。愛の告白にしては些か刺激が強すぎた。ヴィンセントはもやもやした記憶の中からその光景だけがハッキリと浮かび上がり、彼は眉根を寄せた。
 あれはいただけない。
「なぁに一人で顔芸してるのさ」
「……お前も気をつけろよ」
「は?」
 3つめはぜんたいかのマテリア。
 やはりこれもまた大した利用価値はない、神羅兵にも広く一般的に使われているものだが彼女は「あたり!」と嬉しそうに叫んだ。
「これがか?」
「そ。しっかり育ててあげると高く買い取ってもらえるんだよねぇ」
「……売るのか」
「売るはずねーじゃん。でもいざとなったらそれなりのお金になるってやっぱり大事じゃない?」
「案外お前は商売に向いているのかもな」
「そう?」
「やーめとけやめとけ。おめぇら、一つもオレ様の勇姿見てなかったじゃねぇかよ。おかげで酔いが醒めちまった」
「そりゃ……」
「飲酒運転でガードレールに激突する姿は勇姿とは言わんだろう」
「あってめぇ、言いやがったな!」
 ドカドカとうるさい足音を立てて戻って来たシドをヴィンセントはそう突っぱねた。
 出来上がった自称・神羅いちのパイロットは脱いだジャケットを肩にかけ、シャツに縫い付けられたベストを引っ張りながら「コイツも脱いじまいてぇよ」なんて言う。同じ人間のかたちをして同じ服を着ているというのに上品さは天と地だ。しかしシドはユフィが入手したマテリアを見ると、ニカッと笑い、その大きな手でティファによって小綺麗に整えられていた彼女の頭を無造作に撫で回した。
「うわ、何すんだオッサン!」
「すげぇじゃねぇか」
 折角イイカンジに整えてもらった髪の毛も、ティファから借りた花飾りもくしゃくしゃ。
 けれどシドは気にした様子もない。
「子供扱いすんな、っての!」
「実際ガキだろガキ。オレ様がお前の年の頃なんてそりゃあクソガキだったからよぉ。お前はそれに比べりゃ立派なガキだな」
「……褒めてんのかけなしてんのかどっちだよ」
「褒めてるほうだぞ、ユフィ」
 ヴィンセントは横から助け船を出す。
 彼女はまだ齢16だと言う。シドのちょうど半分程度の年だが、その頃何してたかなんてよ、と彼は笑った。
「しょうもねぇことで親と喧嘩ばっかさ。パイロットになりたいなら勉強して神羅に入れ、って言われて……当然のことなのに勉強したくねぇって言ってよぉ」
「シドってそんな若い時あったんだ」
「バッカ。当たり前だろ。ヴィンセントにもあったろ、なぁ?」
「まぁ、それなりに」
「そういうアンタは何してたのさ」
 2つめのぜんたいかマテリアを彼女は器用に発掘した。
「……もう神羅にいたとは思うが……」
「ゲッ あんたそんな頃から会社員?」
「クラウドもお前より年下だろう、入社した頃は」
 彼らの話から逆算するに。そう言うとユフィは大きく肩を落とす。
「はぁ〜。みんな好きだねぇ、神羅」
「給料はいいからな。悪くはない」
「……クラウドみたいにセフィロスに憧れて、とかじゃないの?」
 英雄になりたいとかじゃなくとも、例えば夢とか希望とか。シドにはパイロットという夢があって、クラウドも確かソルジャーに憧れて、みたいな理由だったはずだ。しかし彼女の問いにヴィンセントは首を傾げて「さぁ」と答えるだけだ。
「ミッドガルで一番安定した会社だった。理由はそれだけだ」
 膨れ上がりつつある巨大都市の蛹であった当時のミッドガルでも神羅製作所は危険と隣り合わせに安定した収入と住まいを手に入れることができる最短距離。ただそれだけが理由だ。
 ヴィンセントは転がってきた青いマテリアを手に取るとユフィの手に乗せる。
「夢も希望もねぇじゃん」
「そんなモノで飯は食えん。それで金が稼げるなら話は別だがな」
「……夢も希望もありません、か。…………そだよね。そんなんにしがみついてたってどうにもなんないよね」
「……しおらしいな」
「べっつに。ただ……ううん、なんでもない」
「どした。ユフィが元気ないなんて明日は隕石でも降ってくるんじゃねぇのか?」
「バッカ。ちょっとは気を使うとかしろよ、オッサン!」
 怒っているのか落ち込んでいるのか一体なんなのか。瞬きするたびに変わるユフィの表情に男二人は顔を見合わせ、首を傾げる。
「わからん」
「オレ様に聞くなよ」
「うっせ!……あっ そうだ、プリクラ! プリクラまだ撮ってないじゃん、忘れてた!」
「……は?」
 一番大事なやつ!
 とユフィはその場でくしゃくしゃになった髪のまま跳ね上がった。つくづく百面相が似合う娘だ。
「ぷりくら? なんでい、そいつは」
「オッサンどもは知らないだろうねぇ〜ほらこっちだよ! 折角来たんなら一回くらい撮らなきゃ!」
 撮る、何を?
 シドとヴィンセントは二人揃って頭に疑問符を浮かべたが、彼女が指を向けた先の筐体を目に入れても何のことだかサッパリ分からない。が、どうやら写真を撮る機械のようだ。それを彼女はやたら現代語で表現しただけで。
「ティファとエアリスと撮ったら楽しそうなんだけど、ま、今日はオッサン二人で勘弁してあげるよ。デートなんでしょ? オンナノコのワガママには付き合ってもらうからね」
「…………」
「ヴィンセント。言っておくがよ……」
 シドは真面目な顔して隣で青ざめたヴィンセントをちらりと見た。
「写真を撮られたからといって魂は抜かれない。それくらいは心得ている」
「そうじゃねぇよ! ここに来て一人だけ逃げるなんてぜってぇ許さないからな」
 絶対、絶対にだ!
 シドはヴィンセントのジャケットを握りしめ決して逃さないという強い意志を見せる。
 フレームどれがいいかなぁ、と一人楽しそうに何やら選んでいるユフィは中身を知らない他人が見れば年相応の可愛らしい娘ではある。ちょっと背伸びしたドレスを着て、ちょっと背伸びしたハイヒールを履いて、ちょっと年上の男2名を好き勝手自由に目一杯振り回して、お転婆なんていう言葉も似合うかもしれない。
「…………付き合うさ」
「お、珍しいな。あぁいうの苦手かと思ったぜ」
「得意なはずないだろう」
 第三者に写真を撮られるという行為自体、むしろ避けてきたことだ。
 職業柄どこで誰から闇討ちを受けるか分からないような時代だったのだ、蜜蜂嬢とツーショットでも撮ってみろ。あっという間にウォール・マーケットじゅうに顔が知れてしまったこともある。
「写真なんか撮って何が楽しいんだか分かんねぇがま、オネエチャンの気が済むならいっか」
「さっさと済ませるぞ」
 諦めたようにヴィンセントは息を吐き、カーテンの向こう側で踏み台に乗ったユフィの隣から画面を覗き込む。何をしているのかはサッパリ分からないが、とにかく彼女が楽しそうだということだけは伺い知れる。
「アタシさぁ、同い年の友達っていないんだよね」
 やっぱゴールドソーサーならケット・シーの枠がいいよね?
 彼女はシドのヒゲがチリチリと当たることに非難の声をあげつつも両隣の『オッサン』どもにそう問いかける。正直花柄だろうがケット・シー柄だろうがディオちゃんのフレームだろうがどんな違いがあるのかは何も分からない。が、重要なのは意見を述べることではなく──共に楽しんでやること。
 こっちがいい、と二種類あるケット・シーのフレームのうち片方をヴィンセントは指差した。
「だな。枠なんてちっちゃくていいんだよちっちゃくて。写真なんて被写体がメインなんだからなぁ」
「写真じゃなくてプ・リ・ク・ラ! ほら笑えってー」
「ヴィンセントお前……それで笑ってるつもりか?」
「善処は……」
「善処じゃねぇよ、気張れよ!」
 狭いブースの中でユフィは飛び跳ね、ヴィンセントはここぞとばかりにモニタの片隅に逃げ出そうとする。あっコラお前、この陰険! 棺桶暮らしなんてしてるからそんなんなるんだよ! なんて笑いながら声をあげて。
「撮るよ〜ほら、3、2、1!」
 機械から流れる無機質なアナウンスに次いで、パシャリとわざとらしいシャッター音。
「……もういいだろ」
「あっヴィンセント!」
「勘弁してやれユフィ。あれはマジで参ってる顔だ」
「情けないなぁ〜もぉ」
 もう一枚くらい撮りたいんだけど、と彼女は口を尖らせた。
「シド。今何時だ?」
 いつも以上に血色の悪い顔でヴィンセントは頭を押さえながらギャンギャンやかましい筐体から這うように脱出する。
「もうじき22時だな。どうした?」
「いや。そろそろ花火が上がるのではなかったか?」
 時計の針はあっという間にそんな頃。
 閉園時間を間近にしたスターライト・スターマイン。次から次へと絶え間なく打ち上がる美しい炎のきらめきを是非ご堪能あれ、だか、なんだか。毎日花火は上がるようだが、今日はまた特別マジカル・ナイト仕様。
「花火? マジで? アタシ見たい!」
 恐ろしい体験だった。
 ヴィンセントはどうにかして彼女の興味をこんな得体の知れない魂を抜き取られかねない装置から引き離さねばならなかった。
 カーテンの中にはいればファンシィでポップな音楽が鳴り響き、何の因果かは知らないが己の顔を可愛らしいフレームで囲んで撮影した上に印刷せねばならないのだ。何の罰だ、何の報いだ。あまりにもヴィンセントがゲッソリとした表情をしたためかシドは若干愉快そうな顔はしているものの、そんな彼の顔面もまた引きつっている。
 げに恐ろしきは若者文化か。二人はどうやらユフィの興味が思惑通りプリクラから剥がれたことに安堵し揃って溜息を零した。
「ゴンドラから見るのが一番景色がいいそうだが……」
「それならアタシはパス」
「だろうと思ってな。もっと花火がよく見えそうな穴場なら既に目はつけてある」
「やるじゃん。さっすが」
 そういったことの下調べには余念のない男だ。
 ウキウキした表情のユフィと更に嫌な予感をおぼえたシドの前をヴィンセントはてくてくと歩いていく。先ほどのプリクラはシドが胸ポケットに預かり、マテリアもズボンに押し込んだ。来た通りの道を戻り、とうに人がまばらになった通路を歩いていけば階段手前で彼は立ち止まる。
「こっちだ」
「へ」
 くるり、と身を翻し侵入した先は非常扉の向こう側。
 足音も立てずヴィンセントは緑色のランプが点灯する非常口へ通じる扉をくぐり、今度こそ人っ子ひとりいないひらけた空間におどり出る。非常事態が実際に起きたときこんなとこからどうやって逃げるのか甚だ怪しいが、表のきらびやかな装飾とは裏腹に3人の前には遥か下界の砂漠地帯へ続いているのであろう、錆びた階段が伸びている。
「おいおい、まさかこんなとこかァ? コースターの方角は反対側だぜ」
「分かっている。人目につきたくないだけだ」
「あ?」
 それは、どういう、意味、だ。
 と。
 シドが聞き返すよりも先に目の前でヴィンセントの姿は真っ黒い影となり溶けていく。
「ちょっとヴィンセント!」
「……マジか」
「行くぞ」
 現れたのは獰猛な獣の姿ではなく、もとの身長とさして変わらない、けれどたった一瞬見るだけで『異様』だと分かる姿。首つりくんのヘアゴムは千切れ、サラリと流れていた長髪は逆立ち黒光りする角となる。真紅の瞳は黄金のそれとなり、身体を覆うのは飴細工にも似た、しかし触れるもの全てを切り裂くようにすら見える鋭い皮膚。
「乗れるの? 定員何人?」
 しかしユフィは気にしていないらしい。彼女は『元』のヴィンセントとあまり変わらない細腕をぺしぺしと叩いた。
「重量制限はない。シド、アンタも捕まれ」
「マジかよ」
 シドにとってそれは初めて見る姿だ。それも同居人か? と尋ねるとおとぎ話に出てくるような悪魔そのもののかたちをしたヴィンセントは静かに頷いた。いつも以上に死人の色をした肌は硬くなり、およそ生物らしい柔らかさは存在しない。
 そして慣れた手つきで腕にユフィがよじ登ると、反対側の空いた手でシドの胴体を掴み上げる。
「おわっ」
「口を閉じろ。舌を噛んでも知らんぞ」
「乱暴なこって。だがこいつでひとっ飛びとはな。粋なことしてくれるじゃねぇか」
 背負った翼に2人ぶんの余計な体重を運ぶ力があるようには見えないが、驚いたことに翼が羽ばたくことなくふわりとヴィンセントの身体はその場で浮かび上がる。
「前から思ってたんだけどさ、ソレは言うこときくんだよね?」
 他の魔獣はおおよそヴィンセントの命令を聞いてくれることもなく、彼ら自身の意志でとにかく大暴れする。燃やすなと言われた魔物に火を吐き散らし、壊すなと言われた巨石を破壊して岩雪崩を起こす。亡霊のような姿になれば見た目こそ人間に近しくはなるが、一切言葉を発することなくやはり敵意を向ける者が生き絶えるまで暴れ散らすのみ。
 しかし今ふたりを抱え上げてゴールドソーサーの夜に舞った魔物は間違いなくヴィンセントの声で喋り、彼の意志に沿って動く。というよりも彼が意志の全てを支配しているように見える。
「……他の魔物とは違う、ようだ」
「ようだ?」
「詳しいことは知らん。だがあのビーストたちとはまた別の種類の魔物だ。身体への負荷も少ない」
 身を裂かれるような痛みもなく、身を砕かれるような痛みもなく、変身を遂げたところで疲労感は他に比べて随分とマシ。翼の骨格が突き破る背中は違和感こそあれど、その程度だ。
 するとユフィは腕の中で身を起こし、魔力の満ちた金の瞳を覗き込んだ。
「じゃあいつもこれじゃダメなの?」
 あんな疲れる獣に変身したりしなくてもさ。と問えば、ヴィンセントは「邪魔だ、前が見えない」と首をぶんぶん振ってから答えてやる。
「力の使い方が分からんのだ。飛べる上に魔法も扱いやすくなるが……何が起こるか全く分からん。戦闘のような不慮の事態が起きやすい場面ではあまり使いたくない」
「なんだそれ。じゃあデリバリー専用?」
「しばらくはな」
 こうして人を運ぶだけならば安定して動ける。
 そのうち本来の性質は確かめねばならないが、『事故』が起きるとあまりに厄介だ。ヴィンセントはそんなことを言ってやりながら誰の目にもつかないよう建造物の陰を抜け、ユフィが揺れを訴えない程度の速度で急降下もしないようそっと『お姫様』を特等席へとエスコートしていく。
 ゴーストホテルの横を抜け、バトル・スクエアの建物を眼下に広げそしてコースターの線路沿いに高度をあげていけばそこが終着点。
「お」
「わ」
「ここでいいだろう」
「おぉおおお! こいつぁいいぜ!」
「さっすがヴィンセント。これ最高じゃん!」
 ゴールドソーサーで最も高い場所。噴火する山を模したモニュメントの上にヴィンセントは到着すると、狭い足場にそっとシドの身体を下ろす。ユフィはヴィンセントに抱き上げられたまま目一杯伸びをしてもっともっと高いとこ! と騒いだ。
 落ちたらひとたまりもない高所だが眺めは抜群だ。そして直後、タイミングを見計らったかのように上がるのは色とりどりの花火たち。赤・黄・コーラルピンク。ケット・シーのかたちをした花火に、ボムの顔まで打ち上がる。
 あれ、あれ!
 ユフィが叫んだ方角にはカボチャの花火。
「なんでい、はしゃぎまくってんじゃねぇか」
「だって花火さ、ウータイでも見たことあるけどこんな派手じゃないんだよ」
 夏になれば、秋になれば。
 豊穣を祝い願う祭りと共に海辺では花火が上がり、幼い頃には家族でも線香花火をパチパチ囲んで遊んだこともある。
 けれどそれはこんなネオンに囲まれてギラギラした場所で見る花火とは全く違うもの。こんなのはじめてだよ! と彼女は足をバタバタ揺らす。ヴィンセントの顔は彼女の健康的な足で幾度となくキックを入れられ膝蹴りまで食らっているが、彼は無言ではしゃぐ彼女をただ支えるのみ。
「こればかりは神羅の技術に乾杯だな」
「だねぇ。人を喜ばせることだってできんじゃん、神羅」
「……全てものごとには表裏がある」
 魔晄炉によって間違いなく生活が豊かになった人もいれば、生活する土地そのものを奪われた者もいる。どちらか一方の立場にのみ肩入れし『それ以外』を知ろうとしないことは罪悪だと彼は断言した。
「今の、バレットに聞かせてやりてぇな」
「やめろ」
「そーだよ。ヤヤコシイのはアタシ反対」
 危うい一本橋にぎゅうぎゅう詰に行列を作っているような現状では輪を乱す行為はほんの僅かであれど全員の命取り。するとヴィンセントは「特定のことについて述べてるのではない」と涼しい顔して言うが、それはただの理屈だ。
 次から次へと花火は炸裂し、慣れない化粧が落ちてきたユフィとシドの無精髭づらを赤く染める。
「お。これで最後か?」
「らしいな」
 マジカル・ナイトを締めくくるにはもってこいのいろどり豊かな打ち上げ花火が砂漠地帯のど真ん中、暗い夜空に大輪を咲かせた。
 このゴールドソーサーの麓に広がる貧しいコレル村やコレル・プリズンでも同じような光景が見えてしまっているのかと思うと若干の申し訳なさもあるが、それはそれ、これはこれ。
「すんごいもんだねぇ。アタシ感動しちゃったかも、ちょっと」
「オッサンどもも捨てたもんではないだろう」
「……もしかしてヴィンセント、オッサン呼ばわりされたの怒ってる?」
「お前ほどの年からすれば我々などオッサンでひとくくりだろうが……」
「ユフィよぉ、例えば……そうだ、アイツらはどうだ。タークスのレノとかルード。あのへんは?」
「あれはオッサンじゃなくてチンピラっしょ」
「……だとよ」
「……心外だ」
 見た目だけの年齢ではほとんど大差ないであろう名前を挙げられヴィンセントは変身した後の顔ですらわかるほどのしかめつらを作ってみせた。大げさなリアクションではなく、恐らくは本心から。
「じゃあルーファウスの奴は?」
「イケスカナイボンボン」
「あー……じゃあツォン」
「見たことないけど。レノとかのジョーシならチンピラのボス?」
「コルネオのとっつぁん」
「ヘンタイジジイ」
「……お前さんの親父さんは?」
「クソ親父」
「じゃあヴィンセント」
「オッサン2号」
「オレ様」
「オッサン3号」
「バレットは……」
 言わずもがな、オッサン1号。
 ユフィほどの年頃からすればクラウド以外の男性陣に大差はないのだろう。
「もうやめろ、シド」
 彼女に悪気はない。ただただ感性が『若い』だけだ。
「……じゃあよぉユフィ。クラウドはどうなんだ」
「…………」
「アイツいくつだっけ? 21だかなんだか言ってたような気もするが、あれくらいは……」
「クラウドはねぇ……」
「クラウドは?」
「エイリアン」
「……は?」
「思わない? だってアイツ、何考えてるのかぜんっぜん分かんないじゃん」
 花火が終わり、残ったのはライトに照らされた真っ白な煙だけ。
 風下にいてはマズいとヴィンセントはシドを再び抱え上げてそれらの風上側にまわり、空中散歩のつもりか湿気のない夜の空に浮遊する。
「……分かんない、んだよね。アタシとしてはクラウド行くところにお宝ありのマテリアあり、でいいんだけど」
「妙にガキっぽいとこもあるが……まぁ、あんくらいの年じゃそういうもんじゃねぇのか?」
「私に振るな」
 そろそろ花火客もいなくなってきた頃だろう。
 ヴィンセントはシドの話を拒否しながらゆっくりと翼を閉じ、やはり重力など感じさせないように今度はゴーストホテルの方へと降下していく。あのホテルはコンセプトが幽霊屋敷だ、ちょっとくらい悪魔のような人影が空から降りてきたところを目撃されようとも騒がれることもないだろう。
 ぐるぐると円を描きながら墓場を模した案内表示の陰に着地し、ユフィを地面に下ろした途端姿はこのホテルを出たときと同じ、安っぽいコスプレ用の絵に描いたような吸血鬼姿となる。
「よっしゃ。じゃあこれにて解散! おらヴィンセント。飲みに行こうぜ」
「オッサンたちまだ飲むの?」
 最初っから飲んでたくせに、というユフィの瞳は侮蔑すら含まれている。
 おそらく彼女の基準では酒やタバコを嗜んだり、いびきがうるさいという日々の生活イメージから3人の男性に対して年齢関わらず『オッサン』という呼称をつsけているのだろう。そこに年齢など関係はなく。
「飲むぜ飲むぜ〜。これからはオトナの時間ってやつだ。オコチャマは部屋帰ってシャワー浴びて寝ろ寝ろ。次の日起きれねぇぞ」
 明日は朝食を済ませて朝8時にロビー集合。ロープウェイが直っていれば神羅に先を越されないよう古代種の神殿へと直行、遅刻は厳禁! とか、確かそんな予定を数時間前に共有したはずだ。
「アンタたちも二日酔いで潰れてても知らないよーッだ。……ま、楽しかったし今日は多めに見てやってもいいケド?」
「お姫様はお優しいこって。ほらよ、持って帰れよ」
「サンキュ。……って、なんだこれ、マテリアがオッサンのケツであったまってんじゃん!」
「うるせぇ、荷物持ちしてやったんだぞ!」
 プリクラも端折れちゃってるじゃん、と叫びユフィにシドは知らん顔。
 そしてよ、よ、よ、と掛け声とともにガニ股で石段を登って行くシドの後ろ姿を見て、ヴィンセントは隣を歩くユフィに小声で「なるほど、あぁいうのが……」と聞けば、彼女は諦めたように静かに頷く。
「間違いなくオッサンっしょ」
「よく分かった」
「アンタの場合はその喋り方とアタシの扱い」
「……扱い?」
「子供扱いすんなっての」
「…………だが嫁入り前どころか成人前だろう」
 そういうとこがオッサンだよ、とユフィは諦めたように息を吐いた。
 シドが正面玄関で腕を組んで待ち構えているが、アレもオッサンポイントだよと彼女は耳打ちする。
 エントランスには遊び倒してきたのであろうカップルやグループが多少たむろしてはいるが、時間もあってか大騒ぎしている者はいない。隣のバーでシドは一杯どころか何杯でもやるつもりだろうが、どうせやかましくて退店を迫られるのが関の山だ。
「じゃ、また明日の朝ね」
「部屋まで送ろう」
「……だからさぁ」
「どうした」
 そういう、そういうところが!
 問答無用でユフィたち女性陣が使っている部屋の前まで送り届けようとするヴィンセントにそう叫び倒す。しかし彼もまた動じることはない。シドに「すっきなだけ酒を買っておけ、部屋で飲むぞ」と言って財布を投げてよこすとユフィに階段を登るように顎で促した。
 しかし騒ぎつつもユフィもまた大人しくヴィンセントに連れられ階段を登っていく。試しに差し出してみた小さな手は彼女の予想通り彼の大きな手で取られ、慣れないハイヒールで靴擦れを起こしたのもきっとお見通し。段差の中程で彼は断りなく彼女の身体をひょいと持ち上げた。
「……オッサンだけど紳士なのは認めるよ」
「それはありがたい。……その足はあとで看てもらえ。明日はジャングルを歩くぞ」
「お気遣いありがと、さん!」
 でもここで大丈夫!
 ユフィはヒールを脱ぎ、裸足でヴィンセントの腕から脱出して部屋の前でポーズをとった。
「いい夢を、ユフィ」
「……アンタも、って。言っても意味ないかもしれないけど。おやすみヴィンセント」
 すると彼もまた穏やかな顔でおやすみ、と彼女に声をかけてやる。
 すぐに彼女は思い出すはずだ、当初の目的から意図的に遠ざけられていたことに。ドアをくぐり、「ただいまティファ!」と元気な声を発したことを確認したヴィンセントはそのまますぐに引き返しシドが待つ自室のほうへと早足で移動する。足音も立てず、まさに瞬間移動する幽霊のように。
「ったく、これで任務は完了か?」
「概ねな。飲むぞ」
「おうよ」
 コレルビールとゴンガガビールと、アイシクルワインと、グラスランドワイン。それからウータイ酒。
 シドは首つりくんの売店で買い込んだ酒を腕に白い歯を見せる。人の恋路を邪魔する忍者娘の興味を逸らすだけならバトル・スクエアにでも放り込んでしまえばそれで終わりだったかもしれないが、彼女の機嫌を取ってやるのも悪くない。そう考えたのが運の尽きだったやもしれない。
 自覚するはずのない疲労感をおぼえるのはそのせいだ。
「……肴は」
「ウータイ鮭とニブルウルフのジャーキー。あとはミディールピクルス。お前好きだったよな?」
「上出来だ」
 どうやらシドもヴィンセントと同じ疲労感を抱いているようだ。
 既にシャツのボタンを上から3つほど外したパイロットの男はやはりガニ股で部屋のドアを開けると、酒! と叫び散らしながらベッドの方へと全速力で走り出した。





 安物のマテリア、一世代前のプリクラ、それからチョコボレースの参加賞。そしてかたちには残らない、あの夜空に広がる満天の花火。それらの手土産を抱え、ユフィはドアを開けた。
「た、だ、い、まぁ〜」
「あらユフィ、おかえり。どうだったデート。なんだか楽しそうだし、うまくいった?」
 ヴィンセント、ちゃんとエスコートしてくれた? とティファが尋ねるとしかし、ユフィは裸足のままその場で固まり、しばし思考を停止させる。
「……あ」
 そして。
「?」
「あぁ……あー……信じられない、嘘、そっか……あのオッサンども、そういうことか!」
 ふざけやがって! とユフィはガニ股で頭を抱えて部屋の入り口で喚いた。せっかくの青いドレスも、せっかくのハイヒールも、せっかくのオーナメントも。デートを尾行するための偽装デートのためだったのに。
 うまいこと言いくるめられて、うまいこと乗せられて、うまいことヨイショヨイショとされてティファの言う通り楽しくゴールドソーサーを満喫することはできた。できのだた、が。
 完敗だ。
「どうしたの?」
「オッサンども、絶対次は負けねぇからな!」
「……はぁ?」
 こんな予定じゃなかった。
 結果としてとてつもなく楽しい一晩を過ごせてしまったのだから余計に腹が立ってしまうが、そもそもの予定はサッパリドッキリビックリするほどに覆された、それもユフィが気づかぬうちに。上手いことヴィンセントを手玉にとってデートを称して、カップルたちに紛れ込むはずがこれでは立場が逆転している。
 最初の時点でシドを誘ったヴィンセントにはお見通しだったに違いない。
「これ見てティファ。これで全てを察して」
 戦利品の一つをユフィはティファに差し出した。
「これって……プリクラ? ……あれ?」
 シド? とティファが聞くとユフィは小さく頷いた。
「オッサンたちと……デートしてた……」
「……どうして?」
「分かんない。……気付いたら……コスプレしたオッサンたちと……」
「でもいいじゃない。これ、すごくよく撮れてるよ」
 ケット・シーが踊るフレームの中で満面の笑みを浮かべるユフィと、真っ白な歯を見せる酔っ払ったシド。そのふたりにほとんどを占領されてはいるが、隅の方にこっそり入り込んでいるヴィンセントの苦虫を噛み潰したような表情は珍しい。
 本気で嫌がってる顔じゃない、とティファは苦笑した。
「アイツ、写真撮られると魂抜かれるって思い込んでるタイプだよ」
「なにそれ。おばあちゃんみたいね」
「……エアリスは? まだ戻ってない?」
 オーナメントを外し机に置き、ユフィは疲れた! とベッドにダイブする。そしてティファは首を横に振り、「まだ」と答えた。
「もしかしたら一度戻ってたのかもしれないけど」
「みたい、って……。ていうかティファ、それは?」
 ずっと部屋にいたのかと思えば。
 部屋の机にはフェニックスの尾に万能薬、神羅製の物騒な手榴弾に──チャンピオンベルト。いくつかのマテリアもある。
「あぁ、これ? ユフィが行ったあと、なんだか私も折角だし憂さ晴らしがしたくって。レッドも仲直りのつもりで誘って、バレットと3人で闘技場に討ち入りよ!」
 フン、とティファは鼻息荒く腕に力こぶを作って見せた。
「……酔ってる?」
「……下のバーで一杯……いっぱい飲んでからいっちゃった……」
 どいつもこいつも酒ばかり、という訳だ。
 きっと上機嫌になったティファは勢いで闘技場に乗り込むことを思いつき、イビキをかいていたバレットを文字通り叩き起こし『ペット用スイートルーム』を贅沢に一人で堪能していたレッドを引きずっていったに違いない。酒の力が入るとそれなりに大胆なことをする女性だ、このティファは。
「で、成果は上々ってワケ」
「だってエアリスはいないし、ユフィも遊びに行っちゃうし。私だってパーッとしたくなっちゃって」
「いいよいいよォ。こんな旅だもん、人生息抜きも大事だよね」
「……そう、よね。そうだよね。次にソーサー来たらその時は3人で遊ぼっか、エアリスとユフィと、私で。……今度ジュノンでユフィのワンピースも買わなきゃね。私のじゃサイズ、合わなかったみたいだし」
「…………うん」
 足も痛い、肩のストラップも痛い、なにより胸は布がたくさん余っているし、全体的にティファのミニドレスはユフィにとって少しサイズも大きく不恰好。
 エアリスと選んであげるよという年長者の提案にユフィは珍しく首肯する。
「こんな旅だもん。遊べる時には目一杯遊ばなきゃ」  ティファは精一杯の笑顔を浮かべるが、顔にべっとりと塗りたくられた不安の色は消えてはくれない。。
 これからのこと、これまでのこと、それからエアリスやクラウドのこと。多くの考えるべき事柄があって、多くの考えても無駄な事柄があって、一人酒を飲んでいた。おおよそそんなところだろう。
「エアリス戻ってきたら早速聞いてみよ。アタシ何色のドレスが似合うかさ」
 ベッドに転がって来たユフィの肉刺だらけになった赤い足に手を当て、ティファは優しくケアルをかけてやる。これで今は違和感があっても明日の朝には綺麗さっぱり、歩いて走って暴れまわっても痛くはないはずだ。
「……確か、このホテル大浴場は24時間営業だったわよね?」
「えっ……うん」
「じゃ、『息抜き』の先取り。エアリスが戻って来たらみんなで行こっか」

 賛成!
 どうせ明日の朝は二日酔いで潰れたシドが半分も目が開いていないままヴィンセントとクラウドに引きずられてくるに違いない。なら私たちだってちょっとくらい、ね? と。2人はエアリスが何も知らずに戻ってくるのを談笑しながら姦(かしま)しく待ち構えた。


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