神はなにを落とし賜うたか


番犬たちの反抗期(タークスとヴィンセントとティファ)


 クラウドが交通事故を起こしていたぞ。
 突然でありきたりすぎるその一報にティファは首を傾げた。悪漢やミッドガルの郊外を駆け巡る魔物たちに襲われてカーチェイスなど日常茶飯事なクラウドには、『交通事故』というあまりにも平和な言葉は似合わないにもほどがあるからだ。
「そんなこと言いにわざわざ来たの?」
「んな訳ねーだろ。来る土産話なだけだぞ、と」
 そんなお知らせを手土産に携えてやってきた珍客にティファはありったけ濃いコーヒーを出した。平日だけあってカフェ・タイムの今は客足も少なく、数十分に一度サラリーマンが訪れたりする程度だ。後味の悪い任務の後には決まってやってくるその『珍客』は着崩したスーツに汚れた革靴という会社勤めらしからぬ格好である。派手な赤毛に鎮座したサングラスに挟んだライターを取り出すと煙草を吸い始めた。
「レノ、煙草吸ってたっけ」
 灰皿を出しながらティファはサービスでマドレーヌも出してやる。
「たまにな。だがツォンさんが臭いつくからって煩いもんでね」
「隠れて吸ってるんだ?」
「そ」
 キツい臭いのそれを吹かす男はかつてティファと敵対していた男だ。ミッドガル7番街のプレートを崩落させた張本人であり、それだけではなく裏では人に言えないような悪事もたくさん働いてきたのだと自称する。それでも彼女がこうして笑顔で接客できるだけ、彼は『いいこと』もしてきている。
 先週エッジの路地裏で悪漢に絡まれていたマリンとデンゼルを助けてくれたのはレノだし、そもそもバハムート騒ぎの時に住民の避難と子供たちの回収を担ってくれたのも彼らタークスだ。仕事に私情の一切を持ち込まない彼らはまさにプロフェッショナル、仕事とあらば非人道的なことも正義の味方もやってのけるが、基本的にはブレのないそれなりに『いい人』ではある。
「臭い、服についちゃうよ」
「これからまた一仕事だ。どうせ臭いなんて消える」
「まだそういうお仕事してるの」
「そういうお仕事ばっか。特に最近はDGの後始末でな」
 ディープ・グラウンド。
 安直すぎる神羅の闇が半年ほど前に起こした大騒動はティファの記憶にも新しい。危うくミッドガルどころか星の命がなくなるところだったと言われたところで全くピンとこない騒動ではあったが、キャニオンの星命学者たちは発狂するレベルであったらしい。当事者でもなかったティファはあまりはっきりとした事情は分からなかったが、とりあえず敵を蹴散らして回ったのだ。
 確か魔晄炉も破壊したっけ、バレットと二人で…アバランチみたいだねなんて言いながら。
「まだまだ大変なのね」
「そりゃな。洗脳されたソルジャーたちが暴れてるもんで。今や魔晄炉はジェノバの魔物は減っても代わりにDGソルジャーがわんさかだぞ、と」
「この間マリンたちを襲ったのも?」
「かもな」
 ヴァイスというカリスマがいなくなった以上、彼を慕い集っていた暗き底の兵士たちは野に解き放たれてしまったのだ。WROや新生・神羅カンパニーが総力を挙げてその残党を潰してはいるもののいたちごっこだ。それこそいつになるか終わりもしない戦いだ
「昨日も似たような話をツォンから聞いたわ。ここ、いつの間にかタークスの休憩所になってるみたい」
「ツォンさんがか?」
 珍しい、とレノがコーヒーをちびちび飲んでいた手を止めた。
「その前はレノとルード、一緒に来たじゃない。前に閉店間際にイリーナが来て朝まで飲んで行ったり…とっくに常連様よ」
「悪ィね、嫌いな神羅の社員が住み着いちまって」
「…元気ないね、レノ。何かあった?」
「そう?」
「いつもよりたくさん喋るから」
「…そう かもな」
 レノはそのままぐったりとカウンターのテーブルにうな垂れた。
 後にジェノバ戦役と呼ばれる騒動の最中対峙していたティファは『おっぱいの大きいスタイル抜群テロリスト予備軍、兼元ソルジャーの幼馴染』なんていうレッテルを貼って遊んではいたがそれは撤回だ。かつて通っていたウォールマーケットのバーを切り盛りしていたママより腕前は上、だ。
「アンタのお仲間、見つかったのか と。ヴィンセント…だったっけか」
「…」
 ティファは皿を拭いていた手を止めた。
「その様子じゃまだみたいだな」
「…WROもユフィも探してくれてる。クラウドも…配達のついでだけど、探してはくれてるんだけど」
「見つからない、か」
「うん。ね、さっきクラウドが交通事故したって言ったでしょ?あれは?」
 その関連のお話ですよ。レノは寝不足気味な目をごしごしこすってコーヒーのお代わりを要求した。
「そのヴィンセントをもう一度タークスに引きずり込みたいって社長がうるさくてよぉ…WROやそちらさんより先に見つけろ、とな」
「見つけても絶対断るわよ、ヴィンセント」
「同感。失敗続けでかれこれ三年だぞ、と」
 現在行方不明中のその仲間がかつてタークスに所属していたことは周知の事実だ。そして彼が現在のタークスをひどく嫌悪していたこともまたよく知っていた。神羅の飼い犬だと、かと思えば豚だの私兵だと口汚く罵っていたのは螺旋トンネルでレノたちと出会ったときか。あくまでもクラウドたちを妨害しようとしてきたタークスに向かってそう吠えていた。
 その彼を回収したいと。
 確かに無茶苦茶なオーダーねとティファは同情しながら二杯目のコーヒーを注いだ。
「クラウドたちが先に見つけてないか確認のためにな、たまにだが尾行させてもらってんの」
「…クラウドの尾行って大変じゃない?」
「そうとも。オレたちだってそれなりに気配は隠してるつもりだが、いつもクラウドに見つかっては撒かれちまうんでな。…で、昨日偶然別の任務で外をうろうろしてたらクラウドが転んでた」
「転んだ?」
「それも派手に。魔物に追いかけられて訳でもないし、ありゃ単に転んだだけだ」
「それで交通事故、ね。単独事故っていうのかしら?明日には戻ってくる予定だけど…怪我、してた?」
「さぁ?なんせオレらはヘリから高見の見物だったもんで」
 クラウドは何してたか知らないがオレたちは別のお仕事。そんなことを言いながらもレノは頭をガリガリと掻きむしって背を逸らした。「ったくよぉ、ジェノバジェノバジェノバ、どいつもこいつもよく飽きねぇなぁ」
「飽きてるよ、皆」
「…ごもっとも」
 ティファのもっともらしい意見にうなだれたレノは相当なストレスを抱え込んでいる様子である。
 灰皿の短くなったフィルターを押し付けると胸ポケットからレノはもう一本のタバコを取り出した。LOVELESSのロゴが入った安物のマッチを擦ってそれに火をつけると、再び甘ったるい臭いのする煙が店内に広がっていった。
「まだ何か飲む?食べる?」
「うんにゃ。こう見えてまだ勤務中でね」
「だってレノ、ここ来るときいつも仕事じゃない」
「オフにまで来るほどじゃねぇ」
「…オフなんてない癖に」
「ご名答」
 最初にこの後も仕事だとぼやいていたのはレノの方だが、それは彼のプライドのために黙っておく。「疲れるよなぁ」と彼はぼやく。
「お勤め、ご苦労様」
「…昔はよ、まだミッドガルも…スラムもあった頃だ。アンタらアバランチの壱番魔晄炉よりも…ずっと前」
「昔?」
「あぁ。怠い仕事の前に…わざとスラムの教会前通って…エアリス冷やかしてから会社行って、行ったらザックスの野郎とウォールマーケットで女のコ引っ掛けて痛い目見て…稀に、エアリスと三人で遊んだもんだ」
「不思議な…組み合わせね」
 タークスと古代種とソルジャー。
 決して相入れそうにもない三人組はタイミングがあわず、なかなか揃って顔を合わせる機会もなかったとはいうが本当に片手で数えられる程度ではあるが遊んだことがあると。エアリスの護衛と監視その他勧誘全て『コミコミ』というやつが任務だったから、別に命令違反ではなかったんだぞ、と彼は乾いた笑いを漏らす。
「不思議な縁(えにし)さ。エアリスとオレらは知り合いで、エアリスとアバランチもお知り合い。そんでもってオレらとアンタらは宿敵同士ときたもんだ」
「…そうね」
「エアリスが死んでも…いや、エアリスが死んで…『あんな騒動』になったからこそ、なのかもな」
 何が?とティファが尋ねる前にレノはカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がった。「オレらがあたかも『ナカヨシ』みたいに話してるってこと。じゃ、仕事に戻るんでね」と肩をすくめて見せた。
 よれたスーツの内側からいくばくかの小銭をカウンターに残して赤毛のタークスは足早に店を出て行く。
「あ、レノお金足りてない…!」
 十ギル硬貨が数枚と五十ギル硬貨が一枚、そして百ギル札が一枚。
 お代には少しばかり足りない。持ち合わせがなかったのだろうが、これでもう何度目かは解らない。来るたびにコーヒーとサービスの焼き菓子を食べていくものの、毎回決まって数十ギルほど少ない金額を置いて帰って行く。その『ツケ』をツォンに請求してやろうかと思ったこともあったが、さすがにそれは可哀想だと思ってティファはカウンターのメモ帳を開いて常連客たちのツケを確認していく。
 ジョニー、レノ、ユフィにリーブ。呼び出しがかかって勘定を忘れて退店していくWRO局長を除けば、それなりにまとまった額で支払いが滞っているのは大抵『愉快な仲間達』である。財布を忘れただの手持ちが足りないのに酒を飲んだだの、大抵そんな感じ。あとは近所に住む街人やそれこそ七番街スラムでのわずかな生き残りである顔見知りたち。
「ティファ、レノ帰っちゃった?」
「うん」
 ばたばたと階段を降りてきたのはデンゼルだ。
 ここ一年でしっかりと背の伸びたかつての少年だった彼はこのところレノが来るたびにカウンターの様子を伺っていた。「レノと話したかった?」とティファが尋ねると彼は首を横に振った。
「そういう訳じゃないけど…」
「嫌い?」
「ううん」
 むしろ、気になる。彼はてくてくとティファの隣に立つとレノの使っていたカップを洗い始めた。「…また来るかな」
「きっとね」
「…じゃあ、今度来たら…話 聞いてくれるいいな」
「何か聞きたいことがあったの?」
「まぁね。あ、神羅に入りたいとかじゃないから」
 彼は軽く水を切ったそれをカゴに乗せるとティファに身体の真正面を向けた。綺麗な瞳の色が彼女の目を貫き、随分と大人びた声で言った。
「父さんのこと、もっと知りたかったんだ」
「!」
「レノはタークスだったし…部署、違うかもしれないけど。リーブさんは偉い人だったから全然知らなかったみたいだし。父さんのこと…知ってそうで俺がまだ話したことないの、タークスくらいだから」
 三年と少し前に死んだ、彼の父親。
 最初はどこかで生きていてずっと自分を探してくれているものだと思い込んでいたが、月日が経つにつれその薄っすらとした希望は消え去っていった。リーブの母親に匿われていた頃にも、彼女に父親の話をよくしていた。自慢の父親、スラムの人間からは疎まれる立場だった 大好きな父親。
「…そうね」
 きっと答えは分かっている。違う部署の一社員であった男のことなどレノが知るはずもないだろう。
 ツォンならば多少は知っているかもしれないが、彼がこのセブンス・ヘブンにやってくるのは稀だ。デンゼルも近頃は学校に行くようにもなりうまく出会えるかは不明だ。それでもいいから、次に来た時はと無垢な少年はティファに訴えかけた。
「俺は俺の父さんしか…知らなかったし。クラウドたちに会う前…神羅の悪口もたくさん聞いた。だから…神羅として 父さんがどんな人だったのか…それを知りたかったんだ」
「…うん。分かるよ、その気持ち」
「ティファのお父さんは?」
「八年前…セフィロスに 殺されたわ」
 ごめん。
 デンゼルは素直にそう謝った。すると彼女は優しく微笑みかけて「いいのよ」と言う。「パパ、正義感の強い人だったから… セフィロスに挑んだんだと思うの。昔は考える余裕なんてなくて…ただ、セフィロスに殺されたって思ってた。でもね、パパは…最期まで私を心配してくれていた。セフィロスを止めようと…村を守ろうとしてくれていたの。だからパパが死んじゃったことは悲しいけど、パパは私の中で永遠に英雄なのよ」なんて。
 親と言うには年が近く、姉と形容には年の離れた女が家族の話をするのはとても珍しいことだった。
 ジェノバ災害での旅路のこと、死んでしまったマリンが言うところの『おねえちゃん』の話。ぽつりぽつりと語られることはあっても、実際に彼女の仲間達に出会ったのは一年と少し前、エッジが黒い魔物と召喚獣に襲われた時が初めてだった。
「ティファは…お父さんのこと 好きだったんだ」
「大好きよ、今でも」
「なんだか不思議だな。クラウドもティファも…誰かの子供なのに、ティファのお父さんって…とにかく、不思議だ」
「うーん。確かに、そう言われればそうかもね。誰だって誰かの子供だもの。バレットにもご両親が居て…クラウドにももちろん、美人のお母さんがいたし。ユフィのお父さんは…なんていうか、そっくりなんだけど。ヴィンセントだって人の子よ」
 誰が誰やら。デンゼルは必死にぐるぐると記憶の中の顔と名前を一致させようとするが、そんな様子を見たティファはくすりと笑った。
「…笑うなよ」
「だって、面白いもの。たまに皆来てるでしょう?そういう時に一緒に騒いでれば、きっとすぐに覚えるよ」
 ひどく人見知りがちなデンゼルは飲み会だのと騒いでいる間は決まって自室に閉じこもっている。マリンはそんな彼を気にして一緒に部屋で遊んでいたりするが、時折は階下に降りてきて酒が入る前のシドやバレットと戯れている。
 だから、次から。ティファはもう一度亡き母親のように微笑んで見せた。





「ふざけてやがるよなァ、神様ってやつは 本当に」
 目の前で蠢くバラバラになった肢体をぼんやりと見つめ、レノはその場にしゃがみこみ紫煙を吹き付けた。安っぽい透明なビニール傘にバラバラと大きな音を立てて叩きつけてくる雨粒の勢いは収まることを知らず、イリーナが言うには明日の未明まで降り続くそうだ。
「…本当に恐ろしいのは神様なんかじゃなくて」
「人間だな」
「はい」
 血まみれの現場など幾度も経験してきた。
 それはタークスへの所属が一番新しいイリーナですら既に(喜ばしくはないが)慣れてしまったことであったのだが、右手の指三本に入るほどの凄惨な現場に思わず彼女は視線を逸らした。数メートル先に転がっているガントレットもまだ『中身』が詰まっているであろうし、瓦礫の隙間から覗く長い黒い髪の毛の主人の息の根は止まることなく動き続けている。
 ヒーリンへの連絡を回したイリーナは一歩その場に近づき、ぎこちない動作で握りしめたままの携帯電話を操作しようと足掻くちぎれさった右手に触れる。
「全く、天はなんてものを降らしてくれやがった」
「……天が送りし、忌まわしきもの…かみさまの、落し物」
 触れた瞬間にぴたりと動きを止めて警戒しはじめた右腕をそのまま掴み上げた彼女は、分断された『パーツ』を集めるためにその場に放り投げた。吹き飛んだ左腕、埋もれた胴体、片方だけ失われていた脚部もコンクリートの塊の中から。
 およそ人間とは、そして生物とは思えぬ驚異的な生命力と再生力を目の当たりにした三人はそれから言葉少なに作業を進めた。ちぎれた箇所をつなぎ合わせ、布やネクタイで縛り上げ手持ちの回復マテリアでケアルをかければあら不思議。ヴィンセント・ヴァレンタインという時代が違えば己たちが辿り着いていたであろうタークスの成れの果てである男が再びかたちを取り戻す。
「大先輩よぉ」
「……レ ノ、」
「冗談きついぜ。悪いがアンタの意見そっちのけでヒーリンまで運ばせてもらうぜ?あとでお仲間にも連絡しておいてやるから」
「安心してください。流石の神羅でも、今の状態のあなたをどうこうする気はありません。社長も主任と出張中ですし…しばらくは、あそこを隠れ蓑に」
 ガシャン、と瓦礫の向こう側から音がする。
 小動物でも潜んでいたのかと視線を向けてみれば、胴体諸々に置いてきぼりを食らった右足首から下が一人でに蠢き、失われたその空白へと寄って行く。「……うわぁ」と思わずイリーナは一歩退き、目を見開きげっそりとした声を上げる。
「……マジ冗談きついな」
「見なかったことにするか」
「したいっすけど、まだ『部品』が転がってるかもしれないですよ?ここは一つ、ジェノバのリユニオンを信じて…」
「しばらく様子見か。重ね重ね悪ぃな先輩様。すぐにでも運んでやりてぇところだが、完治したら膝が抜けてましたなんてのは嫌だろ?」
「………傘」
 寄越せってか?
 レノはそう言いながらも自分のそれを差し出し地面に置くと、半年もの間野ざらしにされた長い黒髪の男を労わるかのようにその場に座り込み、「ご苦労様でした、と」なんて言葉を吐いた。





 ヴィンセントが見つかった。
 翌週やってきたレノはそうティファに告げた。
「……いつ?」
「こないだの大雨の日。本人があんまり騒ぎにしたくないって言ったもんでね、ある程度快復するまではヒーリンで預からせてもらってる。社長たちはしばらく帰らないからな、上司にこっそり捨て猫飼ってる気分だ」
 なんていう言葉に彼女はなるべく平静を装いながら、しかし手の先がチリチリとする感覚に負けて洗い物を中断した。「無事 だったの」とどうにかして絞り出された質問にレノは少しばつが悪そうに視線を逸らしてから頷く。
 アレを『無事』だとは到底言えっこないがな、という言葉はしまいこんで。
「動けないの?」
「本人曰く、前よりも回復速度が落ちてるらしくてな。オレらからしてみれば十分すぎるがな、と」
「…そ っか」
「文句なら本人に言えよ。オレたちも黙ってるのは割と気まずかったんだ」
 先日の大雨の日といえば、閉店間際の夜更けになってから濡れ鼠のタークス三人組がやって来た日だ。どこか暗い表情で、やりきれない顔をした彼らがやってきたものだから、ティファはてっきり気が滅入る任務をこなして来たものだと思い込んでいたのだが。
 実際のところはヴィンセントを回収した直後だったようである。
「いいよ。ヴィンセントが…そう言ったんでしょ?私たちが変に心配するの…嫌がるから」
「ま、今回に関してはオレは大先輩様の提案に大賛成だったがな。いくらアンタらが『星を救った仲間』だとしても…冗談キツい有様だった訳だ。今はコスプレしたイリーナの看病を罵倒するくらいには元気になったもんだから、オレが口を滑らせてる訳だぞ、と」
「じゃあレノから聞いたっていうのは黙っておくね。…でも気をつけて。ヴィンセントって気づいたらすぐに医務室とか、そういうところ抜け出すの。私たちもWROもいつも困ってるのよね」
「残念ながらイリーナちゃんが真心込めて作ったお粥を食わせてやってるぜ。逃げ出すのは時間の問題だ」
「…今頃もう逃げ出してるかも」
「同感だぞ、と」
 ヴィンセントという、それこそ世界中どこを探せども見つからなかった男は灯台下暗し、ミッドガルの廃墟に埋もれていたのだ。
 崩壊した神羅ビルのちょうど真下で半年間も放置されていてよくぞ死ななかったものだというのが率直な感想だったが、よくよく考えれば彼は『不老不死』だ。まだまともに動ける状態までは身体の再生が追いついていないらしいが、いくら経っても捜索の手が及んでこないことに腹を立てたのかはたまた諦めたのか、ある雨の日に彼自身が携帯電話を使って連絡を入れたのだというからティファは驚いた。
 とりあえず神羅ビルの下で瓦礫に押しつぶされていて、身動きが全く取れない。どこの誰に電話をかけているかも分からん状態だが、これを聞いたらできれば回収しにきてほしい。
 誰にかけているかも分からない状態だって?
 最初にレノが携帯電話に入っていたメッセージを聞いた時にはどういう意味かを図りかねていたが、都合よく上司が不在であったこともありイリーナとルードを伴って電話の発信源を探して見たところ、なるほどそういうことだったのかと合点がいったらしい。
「確かにヴィンセント、私たちしか電話帳に入れてないみたいだったし…」
 メモリされている番号のどれにかけても、最終的には回収に来てくれるはず。そう思ったのであろう。
「かけた相手が忍者娘だったら今頃てんやわんやだぞ、と。…自惚れじゃないが、オレに偶然かけてきたあの人は正解だった訳だ」
「ルーファウスがいないならWROよりも静か…か」
「そういうコト。もうちょっと身体が無事なら神羅に復職迫るなりなんなりできたんだが、あれじゃどうしようもなかったからな。とにかく慌てて回収したってことだぞ、と」
「バラバラだったんでしょ?」
 身体が。
 ティファの言葉にレノは頷き、アイスコーヒーにさされたストローから黒い液体を少しばかり口に含んだ。
「なんであんな状態で留守電なんて入れられたのかが不思議でしょうがないくらいな」
 百戦錬磨(自称)のタークスであるレノも顔をしかめるくらいには。死んでいないバラバラ死体なんて初めて見たぞ、と甘ったるいそのコーヒーをずるずる吸い上げる。
 そんな身体を授けられてしまう原因となった、会社のプロジェクトではなく宝条とルクレツィアが独断で彼に行った人体改造の資料に関してはもうほとんど残されていない。似たような事例の資料と見聞きした内容で想像するしかレノにはヴィンセントの身体能力に関する知識はなかったが、「ありゃひでぇ」と思い出してもう一度呟いた。
 ジェノバ災害の折に身体の殆どがジェノバ細胞に冒されたことは知っていたが、それによって『どう』なったかなど考えたこともなかった。
 だがあの日旧ミッドガルの中心部で瓦礫の中からはみ出し転がっていた彼の右腕を拾い上げた途端に指が動いた時、その場にいたイリーナは最初とんでもない叫び声をあげたがレノとルードはどこか合点がいったように状況を理解していた。
「痛かった、よね。きっと」
「痛覚はマトモらしいしな。…難儀な身体だね、あの人は。話には聞いていたがこの目で見たのは初めてだ。アンタらは旅の途中でも見たのか?」
「少しだけ。でも…ヴィンセントはそういうの、すごく気にしてくれていたから。だから今回も私たちには黙っていてって言ったのよ」
「そりゃお優しいこと。ま、あんな身体ロクでもねぇが…化け物と戦うにはうってつけな訳か」
「悔しいけどね。私たちあの旅で…何度も助けられた。死ねないってとても辛いことだと思うし…私たちには想像なんてできない。だけどそのおかげで…ヴィンセントが盾になってくれたから、私たちはまだ生きてるのよ」
「だが死ななきゃいいってもんでもねぇ」
「でもね。死んだらそれで終わりよ」
 エアリスみたいに。
 言外にそんなことを含めたティファは美しい目鼻に影を落とした。
「……それもそうか」  今日はマドレーヌじゃなくてサンドイッチを。
 そこまで言って、ティファはレタスとキュウリ、それからみずみずしいトマトを挟み込んださっぱり味のサンドイッチがレノの前に差し出した。大して味わう様子もなく一口サイズのそれらをぽいぽいと口に投げ込みながらタークスの男は溜息を零す。
「な。あの人、『ドコ』まで生きてられる?」
「聞きたい?」
「それなりに」
「こんな場所で喋れるようなお話じゃなくなるくらい」
「曖昧だな」
 だって私はそこまで知らないから。
 ティファはそう言って、あっという間にサンドイッチを平らげてしまい、少量のマスタードしか残っていない平皿を回収する。残っていたコーヒーをからりと飲み干したレノはそして立ち上がり、ポケットに手を突っ込みじっとティファへつり上がった瞳を向ける。答えてくれ、と。
「…私もね、はっきり『どこまで』かは分からない」
「じゃあ頭が取れても平気なのか?」
「それは平気ですって。……エアリスが死んで…ジュノンで処刑されそうになったこと、覚えてる?」
「残念ながら嫌という程にな」
 これぞ覇道、神羅のやり方。それを『味方』でありながら心底思い知った頃である。
 世界に君臨するカンパニーに反逆したとしてクラウド一味を捉え、アバランチというその頃には既に失われつつあったテロ組織の名前を引っ張り出して極刑に処そうとしたのは当時レノたちの上司であった無能な男であった。あの時よ、とティファは言う。
「首が飛んで行ったの。スパーンって、脱出する時に飛んで来た瓦礫で…思い出したくは ないけどね」
「上下がパックリ?」
「パックリ。だけどくっつけたらくっついたのよ」
「ワオ」
「…人のからだって 不思議よね」
 ティファは皿をシンクに溜めた水に付けた。「エアリスは…たった あれっぽちで死んでしまった。プレジデントだって、私のパパだって あんな刀傷一筋で死んだの。私もクラウドも…セフィロスに傷つけられて、本当に死にかけた。でもヴィンセントって…それっぽちじゃ 死なないの。死ねないのよ」
 ここをね。
 ティファは水に濡れた手を己の腹に沿わせた。
「ジェノバの再生能力?だがクラウドはそうでもねぇよな。…ザックスも そうじゃなかったはずだ」
「うん。ヴィンセントの能力は…ニブルヘイムで受けた実験の結果だって言ってた。本人が言うには…ジェノバだけじゃなくて、たくさんいるから『うるさい』んだって」
「…は?」
「なんだったっけなぁ。天然の魔物と…ウェポンが一体と、それからジェノバ。とにかく大所帯で困ってるって」
 それはそれは大層混雑しているご様子で。呆れてレノはものが言えなくなった。
 同時にこれ以上ティファに何かを聞いても有益な情報が得られないということも理解した。彼女が隠し事をしている訳ではない。少しばかり理解の範疇を超えてしまっているだけだ。レノは鋭い視線を逸らすと、「なるほどな」なんて言った。
「ジェノバ本体の再生能力は異常に高い。クラウドやザックスみたいな程度じゃその恩恵は受けられねぇが…そもそも不死のヴィンセントに多量のジェノバ細胞を埋め込むことで…能力の底上げを図った、ってあたりか。クラウドも小さな傷くらいならすぐ治るだろ、確か」
 魔晄トンネルで取っ組み合いをした時を彼は思い出す。渾身の力で食らわせたパンチの痕が戦いが終わる頃には消えていたはずだ。
「そういえばそうかも」
「だろ?きっとそういうことだぜ。そのうち本人に聞いてみろよ。同じこと言うぞ、と」
 以前ヴィンセントから聞きかじった説明では最初に魔物の因子を植えつけられ、その後に別の魔物、さらにジェノバ細胞が付け加えられたのだという。レノの推測はおそらく概ね正しいはずだ。「とはいえあの人、そんな状態でも電池切れの携帯をマテリア使って充電したって言うから驚きだぞ、と。…ジェノバってのは頑丈なもんだ。リユニオンだかなんだか知らねぇが…胴体掘り起こしたらあっという間に手足も集まってきた上にちょっとくっつけといたら継ぎ目が綺麗さっぱり」
「…意識もあったの?」
「ほとんど死んでたみたいだがな。オメガ爆発の衝撃で粉々になった上から更に瓦礫に埋まったらしい。内臓もほとんど焼き切れてた。…本当に、なんで生きてたのかオレは不思議でならねぇ」
「それが ジェノバだもの」
「だな。まぁいい、あとは本人が来たら聞くのが一番だぞ、と。こっちからは以上だ。…ところで」
「……いいわよ。情報量ってことにして、お代はツケておいてあげる。ヴィンセントを助けてくれたのは事実だし…伝えておいて。具合がよくなったら顔くらい見せなさいって」
「了解っと。しかしツケにはするんだな、と」
「そりゃそうよ。こっちも経営ありますからね。神羅関係者の未払金、どれだけあるか聞きたい?」
「…………次にツォンさんが来たら一括請求でお願いしますよ、と」
 少しばかり恐ろしさを含んだティファの笑顔と視線を合わさない様に、レノはいそいそとセブンス・ヘブンのドアから出て行った。






「あら」
 てっきりこの時間にやってくるお客なんて、レノだけかと思ってた。
 ヴィンセントが生きていたという報告を受けて三日ほど経過したある日、開店前のセブンス・ヘブンに客がやってきた。
 こんな曇りがちなお天気ならきっとあのタークスは気分が沈むだの言ってお子様用のメロンフロートを頼むに決まってる。そう思ってアイスの用意をしていたティファが振り返った先にいた本日の珍客はタークスであることには違いないが、レノではなかった。
「飲み物は?」
「いや、いい。まだ…飲めない」
「ヒーリンから逃げてきた?」
「当たり前だ」
 御愁傷様、レノ。そして予想通り。ティファは内心そんなことを呟きながらカウンター席に腰掛けた男に笑いかけた。
「元気そうでよかった。皆心配してたのよ」
「昨日ユフィに襲われた」
「あら」
「ようやく動けるようになったのでな。連絡しないままも悪いと思って電話をしたら…半日後にはウータイから文字通り飛んで来た」
 そう言ってヴィンセントはカウンター席に腰掛けた。
「ってことはシドも一緒?」
「ナナキもだ」
 それは賑やかしいことで。「鉢合わせたイリーナと喧嘩を始めるわ…ルーファウスの不在をいいことにシドは好き放題レノに文句を言うわ、やってられんな」と彼は漏らす。そしてガラ空きの店内を見回して客は?と尋ねた。
「まだオープンじゃないわよ。表の看板見なかったの?」
「すまない、まだ視力がほとんど回復していない」
「……全然元気じゃない、じゃない」
「手足が動けば問題ない」
「どうやってここまで来たの?」
「密室から脱出すること自体は造作ない。それに、エッジは歩き慣れている。ほとんど見えなくとも、この店までならなんとか辿り着ける」
「…つまり、今日の寝場所もないってこと?」
「……すまない」
 ヒーリンを抜け出しなんとかヒッチハイクでエッジに到着したはいいものの、その後行く場所が無くてここに。
 ヴィンセントの話をつなぎ合わせて行くとどうやらそんな結論となる。彼が間借りしているWROの本部に行けば最後、リーブに文字通り『捕獲』されるに決まっている。そうでなくば彼が向かう場所はここしか残っていなかった。
「別にいいわよ。この間シドが泊まって行った後だから、マットレス臭いかもしれないけれど好きに使って」
「床でも構わないのだが…気遣い感謝する」
 飲みつぶれて帰れなくなった仲間たちを泊めるため、ティファやクラウドが生活しているセブンス・ヘブンの二階は大規模な改装が開店直後から行われた。それまでは一人一室だった部屋が客室となり、キングサイズのベッドが増えたのだ。
 そこでいいなら、とティファは優しく告げる。
「そういえばイリーナがコスプレしてたって聞いたけれど」
「思い出したくもないことを聞かないでくれ」
「本当だったんだ」
「……趣味の悪い冗談だ」
 瓦礫の山で無事に発見され気が緩み意識を失った後、目が覚めてみれば眼前には『白衣の天使』を装った金髪の女タークスに、ソファでだらしなく仲良く眠りこけているレノとルードがいたのだ。それだけならばまだいい。そもそもイリーナの『コスプレ事件』の発端はかつての旅路でエアリスがレノに告げ口したある出来事が関わっているのだという。「昔同じ様な…いや、同じではないが。似た様な状況があった」と、珍しく彼は自らの過去について口を開いた。
「コスプレした女の人が看病してくれたの?」
「仮装ではなく本職だった。…要するに、単に任務で負傷し搬送された医務課で看護婦に看病されただけなのだが」
「だが」
 そこからが重要なところ。
「……当時担当していたのが エアリスの母親でな。どうやら彼女は幼い頃にイファルナから聞いたらしい」
「へぇ!そうだったの」
 まだヴィンセントがティファよりも若く、ユフィ程度の年頃だったはずだ。旧ミッドガルの西側一帯を陣取るマフィアと三日三晩に渡る過激な銃撃戦の後に勝利を掴み取ったはいいものの、ヴィンセントは任務完了とともに昏倒した。
 そんな彼を介抱したのが当時から既に神羅に軟禁されていた後にエアリスの母親となる女性、イファルナであったという。そんな昔話がエアリスへ、そしてレノへと知らぬ間に伝わってしまっていたらしい。
「どうしてあんな馬鹿らしい真似をしたのかとレノを問い詰めたらアッサリ吐いた」
「それじゃあ真犯人はエアリス?なんだかんだで仲良しだったみたいだもんね、レノと」
 友達ではないけれど、知り合い、顔見知り。
 そうとだけぼかしてレノとの関係を打ち明けたエアリスではあるが、きっとそれはティファらの心情を配慮してのことだ。今にして思えばエアリスはレノに対してかなりフランクな態度を取っていたし、なによりレノはアバランチの面々を殺しただけでなくプレート崩落という悪魔の所業も実行したのだ。そんな彼にティファは当時いい感情など一切持っていなかったため、エアリスはそうやって繕ったのだろう。
 だが。「でもね、レノたちもレノたちでなんとか明るく振る舞っていたのよ」とティファは常連客をフォローした。
「コスプレ女をけしかけることをか」
「人にバラバラの身体くっつけさせといてそれ言う?ちょっとくらいの不便は我慢しなきゃ」
「それとこれとは別の話だろう」
「もう、相変わらずタークスには厳しいのね」
「後輩には厳しくいこうと思っていてな。どんな状況でも甘やかさん」
 はいはいそうですか。少しだけ熱っぽくなったヴィンセントを諌めるようにティファは適当に返答してやった。よっぽどこの男はかつて所属していた組織に対して偏屈な感情を抱いているのか、タークスを話題にした時だけは驚くほどにコロコロよ表情を変える。
 それを見ている分には楽しいが、あの組織がどうあるべきかを語られるのはたまったものではない。
「それで?他の皆には連絡したの?」
「クラウドには連絡がつかなかったのだが…」
「あぁ それは、」
 先日派手にバイクの事故を起こし、携帯電話をダメにしたらしい。新しいものには変えたそうだが、ヴィンセントはその番号を知らないと言った。
「バイクの事故か。それは災難だな」
「本人は自分が怪我したり携帯壊れたことより、バイクが傷ついたことがショックだったみたいで」
「クラウドらしい」
 フェンリルと名前をつけた愛用のバイクは弾丸の雨にもびくともしない移動型の小型要塞と形容しても構わないほどの強度を持つが、傷がつくものはつく。
「それにしても珍しいわね。ヴィンセントが自分からちゃんと連絡しようだなんて」
 確かにかつて旅した仲間たちは彼のことをひどく心配していたが、ヴィンセント自身といえば、周囲が驚くほどに自分自身に興味がない。そのためあまりに頓着のなさすぎる彼を叱りつけるのが恒例のパターンであったはずだ。
 ところがどうしたことか今回は違う。
「悪かったとは思っている」
「!」
 反省もしている。
 ヴィンセントは視線をそらしてそう呟いた。その言葉にティファは思わず目を丸くする。
 三年と少し前初めて出会った頃のヴィンセントはこんな顔をする男ではなかった。どこまでも冷徹で、冷酷で、感情の全てを自ら殺した元神羅。タークスに所属していたと教えてくれたのはミディールでのことだったか。エアリスの母親であった古代種との約束を守るためだけに旅に同行していたヴィンセントはそれはもうとっつきにくい仲間であった。
 馴れ合うつもりはないし、目的はエアリスを守ることと宝条を追うこと。エアリスが旅に同行するから共に行く。全ては彼女の意志。古代種の神殿から忘らるる都まで仲間の元を離れたエアリスを道中守ったのも彼であった。
「生きていたにも関わらず…誰にも連絡しなかったことは」
「入れられなかったんじゃなくて?」
「倒れていたら死ねるか試してみたくなった」
「…ヴィンセント」
「だから反省していると言っただろう」
「そういう笑えない話はやめてよ」
 突然の告白にピシャリと彼女は言い放った。
「安心してくれ、死ねなかったからここにいる」
 体をバラバラにされたまま放置されていても全く死ねる気配がしなかった。男はそう告げる。
 人間と同様の痛覚は持っていたはずだが、最初の数日で全ての感覚が麻痺して何も感じなくなった。身動きが取れなくてただ暇な時間を過ごしている間余計なことを考えてただその身が朽ちるのを待ってみたが全く駄目だった。幸いマテリアは持っていたから、電池の切れた携帯を充電することは容易かった。
 飲食店でするような話ではないことをヴィンセントはぽつぽつと漏らしはじめた。
「わざと連絡しなかったのね」
「…」
 それでも、ひどい、とも、なんで、とも言えなかった。
 ティファは死ねる生き物なのだ。死ねない生き物の苦痛を知りはしない。どれほど身体を刻まれても死ぬことはないからと言って『命を粗末』にするようなヴィンセントの戦い方に何度怒りを覚えたかは思い出せない。だが同様に何度彼がその身を投げ出して普通の人間ならば死ぬような傷を負いながらも仲間を守ってくれていたかも分からない。
 だからティファは彼を真正面からは咎めることなどできなかった。
「……その話、ユフィにはしないでね」
「する訳がない」
 できる訳が。
「泣いてた?」
「…」
「ユフィね、あなたが電話した日 すごく泣いて心配してたのよ」
 ヴィンセントが電話してきた、ヒーリンにいたって。ハイウインドでの移動中ずっと泣きながら彼女はティファに電話していたのだ。「胸に穴が開いても生きてたから今回も大丈夫って。そう言ってるのに死んだらどうしようってずぅっと泣いてたの」
「…ヒーリンでも同じことを言われて散々泣かれた」
「私、怒ってるの」
「だろうな。じゃあ記憶を書き換えておいてくれ。半年間意識を失っていたと」
「ヴィンセント」
「…」
 子供の様に言い訳する仲間にティファは大きくため息を吐く。
「…嘘よ。そこまで怒ってない。少し…寂しいだけ。せめて私たちの誰かが生きてる間には…もうこんな馬鹿げたことはやめてよ」
「夢を」
「ん?」
「夢を見ていたんだ」
「夢?」
 そう、夢。ヴィンセントは小さく頷いた。
「悪夢ではない、ただの…夢だ」
 満足に眠ることさえできなかった日々に訪れていたあの悪夢とは全く違ったものだった。魔物やウェポン、ジェノバによる再生や変身といった能力を使用した後に襲い来る睡魔に従えば決まってひどい悪夢を見たものだった。故にどれほど身体は疲弊していても滅多に眠ろうとしなかったヴィンセントが夢の話をし始めたものだから、ティファは食器の片付けを中断してそっと彼の隣に座り話に聞き入った。
「どんな夢か、聞いてもいい?」
「…きっと 夢ではなかった」
「さっき夢って言ったじゃない」
「意識がない間に見た。夢というよりも幻覚に近かったのだろう」
 どこか客観的に呟いた彼はくしゃりと長い髪の毛を左手で抑えてティファの方を向いて弱々しく微笑んだ。「彼女の…ルクレツィアの姿が 見えた」
「ルクレツィア、さん…」
 ジェノバをその身に宿したセフィロスの母親であり、ヴィンセントの永遠の想い人。その女性について多くを知らないティファにとってルクレツィアという人間に対する感情は無に近い。セフィロスをなぜ産んだのか、なぜ姿をくらませたのか。それらがヴィンセントの口から語られることは今まで殆どなかったし、おそらく彼はこれからも言うことはないだろう。
 そのファム・ファタルの名前がヴィンセントの口からこぼれ出た。過去を、とりわけジェノバに関する事柄を語る際にいつも辛そうな顔をしていたが、今は違う。儚げに笑みを浮かべるその姿は過去へと想いを馳せるたった一人の男にしか見えない。不老不死の悪魔を住まわせた殺し屋の姿ではない。
「彼女に伝えたいことがあったことを思い出したら…死のうと思うのをやめた。いてもたってもいられなかった」
「それを伝えるためにヒーリンを抜けてきたの?」
「手段もないくせにな。体が勝手に動いていた」
 心が身体を追い越してしまったのだ。五感が再生されきっていない状態でも体が動いてしまったものだから。
「場所は……分かるの?」
「あぁ」
「でも、きっと皆止めるわよ。怪我が良くなってからにしてって」
「だから君にしか言っていない。君は…不用意に皆には喋らないだろう?」
 ことに『デリケート』な事柄に関しては。
「喋らないわよ。でも私まで共犯にするのはやめて?…しばらく家にいていいから、少なくとも目がちゃんと見えるようになってからにしてちょうだい。ルクレツィアさんは…きっと 逃げないんだから」
「……」
 年下の女性に言われヴィンセントは反論できずに押し黙る。寝床を借りるならば、彼女の意見を突っぱねることはできないからだ。
 それに彼女の言う通り、ルクレツィアは逃げ出したりはしない。何十年も昔から『そこ』に在り続けるだけであり、一歩たりとも動こうとはしないのだから。星を救う旅の後にようやく見つけ出した彼女は硬いクリスタルの内側でヴィンセントと同じ様に永劫の眠りに閉じこもり、外からの声を全てシャットアウトしていた。
 先のオメガ騒動では彼女の思念とは幾度か交わることはできたが、おそらく本体は今もまだあの滝裏にあるはずだ。
「返事は?」
「…善処は、する」
 善処じゃなくてしっかり守りなさい!
 今度こそティファは呆れた様に声をあげた。「どうして私のまわりには手のかかる男の人ばっかりなのかしら」なんて、遠い地で傷ついたバイクを駆る幼馴染の姿を思い浮かべぼやきながら。
「色々黙っておいてあげるから、今はしっかり休んで…皆に帰ってきてくれたことを祝われてよ。出発するのはそれからでも遅くないでしょう?」
 有無を言わさぬような彼女の提案に、ヴィンセントはただ黙って頷くことしかできなかった。





 そこは静謐とは無縁の世界だった。
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ仲間たちは好き勝手に酒を飲み、たらふく飯を食い、大声で騒ぎ立てる。
 一体誰の何のためのパーティであったかなど誰も気にはしていない様子にすら見える。せっせと飲み物を用意するティファをバレットが捕まえるものだから、シェルクとケットシーが彼女に替わって酒を次から次へと持って来る。
 心配かけやがって。なんで連絡しなかった、連絡できなかったなら仕方がない、生きててよかった。どこからともなく開催されたヴィンセントの『帰還パーティ』は療養中の当人が知らないままに企画され、セブンス・ヘブンでの居候はたった一週間で突如閉幕してしまった。
 仲間たちは身勝手な言葉を並べ立て、ともあれ文句を言いながらも長らく不在であった世界を救った仲間の生還を馬鹿みたいに祝い始めた。
「お、じゃ、ま、し、ますよ、と!」
 そんな祝いの席に無遠慮に押し入ってきたのは、『いつもの』三人組である。
「うわぁ」
「ちょっとちょっと、表の看板見なかった?今日は貸切だよ!」
「ここは空気を読んで乱入なんて野暮なことしねぇと思ったがよ」
「仕方ないでしょ、タークスだし」
 一応、乱入したことを悪いとは思っているらしい。
 手土産に高級なジュノンワインを手にした渋い顔のイリーナと、カームの焼き菓子を抱えたルード。そしてけろりとした表情でヒーリンから勝手に消え去ったヴィンセントに罵倒でも叩きつけそうな表情のレノは並んで戸口に立ち、既に出来上がっている店内を見回した。
 そして三者三様にワインやマドレーヌの袋を机に叩きつけたが、サングラスで表情を隠したルードが「シド、レノがアンタと飲みたいらしい」なんて言葉を突然吐き溢す。
「あ、お前、相棒売るのか!」
「んだぁ?確かにレノの野郎とはまだ飲んだことねぇしな…丁度いい、オラ!イリーナおめぇもだ!」
「ちょっとちょっと!私たち、別にお酒を飲みに来たわけじゃ…」
「…レノ、イリーナ。すまんな」
「ルード!」
 背後から伸びてきた毛深い男の太い腕にひっかけられてレノは後方へと倒れ込む。とうにできあがってしまったシドは顔を真っ赤にしながらウータイの酒を抱え、げらげらとその光景を指差して笑うバレットといつの間にか酒をたらふく飲んでしまった様子のクラウドにより確保される。
「レノ…俺はアンタに聞きたいことがたくさんあるんだ。今夜は付き合ってもらうぞ。お前、この間俺がバイクで転んだのを見てたらしいじゃないか。ストーカーとはいい趣味だ」
「俺はてめぇと話すことなんてないぞ、と!それとバイクの件は別に見たくて見た訳じゃねぇ!コラ離せ!好きで野郎のストーカーなんてするかよ、と!」
 魔晄中毒の次はアルコール中毒か!?
 真顔ですっかり酔いの回ったクラウドもそこに加勢するものだからどうしようもない。流石に我慢の限界を超えてリミット・ブレイクしそうなほどの表情をしたレノを助けてやらねば不憫とヴィンセントはカウンターで決め込んでいた傍観を中断し立ち上がろうとしたが、その前にはサングラスの禿頭が立ちふさがった。
「あなたに話がある」
「…レノはいいのか」
「あまり他には知られたくない話だ。レノには悪いが…これも 仕事だ」
 やめろ!お前できあがってんぞ!うるせぇ俺はザックスのこともエアリスのことも知らねぇ!離せ!
 そんな罵声が次々に背後から上がり、ルードの名前が口汚く叫ばれる。仕事だ、レノ。大柄なタークスは表情を隠したままそう言い放つが、明らかに口の端がいやらしくにやりと上がっている。キィキィと金切り声でわめくイリーナはセクハラだという声を完全に無視したシドであり、もう片方の腕にレノの首が、そして彼の利き手である左手はクラウドによって固められている。
「てめ、覚えてろよコラァ!」
「すまん。今度おごろう」
「おごる気ないでしょ先輩!」
 嗚呼、哀れサラリーマン。
 会社の命を受けたスリーマンセルは早い者勝ちと言わないばかりに一番『オイシイ役』を求めて互いを貶め合う。意外にも普段は寡黙なルードが今回はその役を力づくでもぎ取ったというのだから驚きだ。余程酒に飲まれるのはごめんだったのだろう、ギャイギャイ騒ぐ同僚に背を向け、彼はヴィンセントにカウンターへ向き直るように促した。
 テーブルの上に置かれていたのは常温の水が入ったグラスのみ。一応飾り程度にピクルスが皿に転がされてはいたが、手はつけていない様子だ。
「面倒事はごめんだ」
「…調査をお願いしたい」
「調査?人の話を聞いていなかったのか」
 それは面倒という奴だ。心底嫌そうな表情をするヴィンセントにルードはそう告げた。
「あなたに調べていただきたいことがある。面倒事だが、重要な事だ」
「私はもうタークスじゃない。神羅の仕事は神羅で片付けろ」
「…あなたは生きている。ならばまだタークスのはずだ。それにきっとあなたも断らない」
 その命失った時にのみ脱退が許される。それが規則であるというならば確かにルードの言葉に従うより他はない。だが神羅製作所は勿論、神羅カンパニーという会社も今は存在しない以上、それもまた無茶な言いがかりであることに違いはない。
 これを言ってきたのがあのレノやイリーナであれば一刀両断していたところだが、一応(相対的にではあるが)まともなルードの話とあっては問答無用で切り捨てるのも忍びない。
「……仕方あるまい、言うだけ言ってみろ。場合によっては協力してやらんこともないやもしれんが、見ての通り病み上がりだ。ロクに動けんぞ」
「あなたでなければならない仕事だ。…ジェノバを感知することができると ツォンさんに聞いた」
 ずばり単刀直入にルードはそう言った。
 それは体内に存在するそのジェノバ細胞が共鳴することによって。故にしばらく前に起こったセフィロス復活の騒ぎではカダージュら三兄弟がジェノバに通ずるものたちであると最初から見抜いていたはずだと禿頭のタークスは言う。「ジェノバの首のような大物はないだろうが…世界にはまだ、ジェノバ細胞を持つ生体が点在している。それはあなたも分かっているだろう」
「当然だ。少なくとも魔晄炉の辺りはまだジェノバの魔物がいるだろう。…それを神羅のために回収しろという話なら 断る」
「そうではない。…その、逆だ」
「逆?」
「この話は神羅から依頼する訳ではない。あなたの不出来な後輩どもの…我ら『タークス』からの頼みと思っていただきたい」
「…どういうことだ」
「ジュノンにいるツォンさんにあなたのことを報告した。依頼人はツォンさんだと思ってもらって構わない」
「助けた見返りに働けと?」
「そういう言い方はしたくないが…あなたが拒むと言うなら、我々は見返りとして要求する。二度とジェノバが人類史に現れぬように、あなたの力を借りたい」
「!」
 あれは災厄、悪夢そのもの。ルードは背後で酒を飲まされべろべろに泥酔し大きな声で名前を呼び始めた相棒を完全に無視して続ける。
「天が送りし、忌まわしきもの。驕り高ぶった神羅が生み出した悪魔。ジェノバ災害の時…あなたはそう言った」
「かもしれん」
「その悪夢を終わらせるのもまた、我々神羅でなければならない。社長はそう考えているようだ」
「…終わらせる、か。ジェノバが手に入れば再びソルジャーを生産することも可能だろう。あの若造は負債の返済と称して覇権を狙っているだろうに」
「正(まさ)しくツォンさんが懸念しているのはそれだ」
「まさかとは思うが、ルーファウスを疑っているのか?」
「疑っている訳ではない。疑いようもなく、社長は再び神羅を世界企業にするつもりだ。ソルジャー再生は考えていないであろうが、ジェノバを自らの管理下に置こうとはしている」
「正直で結構だな」
 こうまで部下に『信頼』されているとは。
「社長はジェノバを滅ぼすために欠片一つすら残さず回収しなければならないと考えている。だが、今の神羅にはジェノバを抹殺する技術が存在しない」
 かつての科学部門統括であった宝条あたりならばその知識を持っていたやもしれないが。
 ヴィンセントは肘をつき、ルードの言葉を待つ。「社長もそれは理解はしているだろうが…かといってジェノバを放置している訳にもいかない。しかし我々がジェノバの残滓回収に成功したとしても、どうにもならないのだ」
「…だから私に『処分』させるために、私をクラウドたちより先に見つけて恩を売ろうとした訳か」
「結果論ではあるが、話が早い。あなたが偶然連絡した相手がレノでよかった」
「私にとっては災難だったがな。…ならばそれこそ何故ルーファウスを出し抜いてお前たちがそれを私に頼む?お前たちの大切な『社長』はジェノバを悪用するつもりはないのだろう、一応?」
「社長ならあなたにジェノバの『回収』を依頼する。…そして、あなたはそれを断る」
「あぁ」
「我らタークスはあなたに…『回収』ではなく、ジェノバの『抹殺』を依頼する。手段は問わない。ただ、この星からジェノバという生物の存在を可能な限り抹殺してほしい。一片たりとも残さず、神羅を含めた第三者の手に渡ることのないように」
「…」
 神羅を含めすべての人類が二度と『それ』に手を伸ばしてしまわないように。
 ジェノバが持つ特殊能力であるリユニオンの力を用いれば世界中に散らばるであろう図らずともジェノバ細胞を持ち逃げして神羅を脱走したソルジャーは勿論、突然変異したモンスターに憑依したそれらも感知することはできるであろう。そしてヴィンセントの体内に巣食うジェノバを『本体』として擬似的なリユニオンを行えば、世界に残るジェノバの残党を一箇所に集めることができる。
 神羅の手には渡らないほうがいい。ルードは言う。
「クラウドではリユニオンを使いこなすことはできないだろうし…そもそも絶対に断られる。誰がどう頼もうとも」
「当たり前だ。彼と私ではジェノバの質が違う。…それに奴ほどジェノバを嫌う人間はいない」
 なんといっても大切な仲間であったエアリスの命を奪った生物なのだから。振り返ってみると、店の端でバレットの酒に付き合わされているチョコボ頭と目が合ったがすぐに目線を逸らしてテーブルに肘をつきうな垂れた。
「…本当にルーファウスの息はかかっていないのか?」
「勿論。それから…」
「まだあるのか」
 苛立ちを隠そうとしないヴィンセントにしかし、ルードはひるむことなく頷いた。「DGの後始末だなんて言わないだろうな」という言葉にはしかし、首を横に振る。
「この半年間、WROと我々でかなりの残党狩りは終了している。そちらはあなたの手を借りずとも完全に沈静化できるだろう。それではなく、人の捜索も依頼したい。宝条博士が死んだ以上、ジェノバに関する知識が圧倒的に我々…人類には足りない」
「…ジェノバは滅ぼそう。私が一時的に取り込み、表面上この星からジェノバの存在消せばいい。そうすればジェノバに関する知識など無用の産物になるはずだが」
 対象がなければ知識があっても無駄なだけ。ヴィンセントはそう告げた。
「あなたにジェノバが集約されることにはなる」
「言っておくが私は死にもしなければ…余程のことがない限り魔晄中毒も発症しない。お前も見ただろう、バラバラになって野ざらしで転がっていても死ねなかったくらいだ」
「それも分かっている。だがジェノバ細胞が増えれば…その能力も本体に近くなる。魔晄中毒にならずとも、何らかの悪影響はあると 思うが」
「本体に能力が近づくならば…フン、それこそ木っ端微塵に吹き飛んでも生きていられるやもしれないな。それで?集めたジェノバでジェノバそのものになる私を殺す方法を探せとでも言うのか?」
「あまり言いたくはないが…セフィロスやクラウドのように、あなたがどれだけ言おうともあなたの自我がジェノバに乗っ取られる可能性もゼロではない」
「正論だ」
 恐らくタークスは星の守護者であるウェポンが未だヴィンセントの体内に宿っていることをまだ知らないのであろう。オメガを打ち破ったカオスもまた、ジェノバによる変身能力の一つだと思い込んでいるに違いない。
 だがヴィンセントも実際のところ、カオスがオメガとの衝突で随分と沈静化している以上、ジェノバ細胞を過度に取り込めばどうなるかは分からない。それでもカオスという絶対的な存在がある限り、少なくともルードたちが懸念する『ジェノバそのものへの変化』は起こり得ないはずだ。ヴィンセントという人間の意志がジェノバとカオスという相反する力に挟まれて消失する危険はある、が。
「何人かの科学者や星名学者…キャニオンの学識者に目をつけてはみたが…誰もジェノバを専門にはしていない。ほとんどがセトラとライフストリームの学者だった。…だが、ただ一人だけ…恐らく存命のある科学者はジェノバを専門にしていた」
 嗚呼、そういうことか。
 ヴィンセントは深い深いため息をついて身体を起こすと首を横に振り「もういい」と告げた。
「ルクレツィアを呼び戻せ。そう言いたいのだろう」
「分かって頂けないか」
「…確かに彼女は今も生きていて…恐らく誰よりもジェノバに詳しい。それに私個人としても 彼女には用事がある。ジェノバの件に関しても、神羅に邪魔されず処分できる建前ができるならばこちらもやりやすい。利害は一致してはいるが……彼女に会ったとして どうするつもりだ。また神羅に連れ戻すのか」
 男が持つ深い赤色の瞳には一瞬にして怒りが浮かんでいた。地雷を踏んだ、とルードは頭を抱えたくなる気持ちを押し殺して「そんなことはしない」と言う。
「ルクレツィア博士の件に関しては失踪後に事故で死亡したことになっている…はずだ。タークスとは違い、あの人はもう過去の人だ。神羅とは関係ない。既に死亡した人間を追い回すほど神羅も暇ではない」
「ルーファウスはそれでいいのか?」
「社長はルクレツィア博士のことまでは考えてはいない。思いついてもいないはずだ。ただ…あなたにジェノバが集まる以上、専門家がいたほうがいいと、我々が考えただけだ」
「専門家、か」
「ルクレツィア博士に関してはただのレノの提案だと思っていただきたい。あなたがもしジェノバを集めることに同意してくれるというならば…それなりの知識は必要だと言っていた。あなたは我々タークスの知らないことを多く知ってはいるが…それでも、科学者じゃない」
「…違いない」
 無茶苦茶な依頼に多少は罪悪感を抱いているのか、せめてもの優しさか。
 タークスという組織はヴィンセントが所属していた頃から大きくそのかたちを変えてしまっているのであろうが、絶対主であるルーファウスを出し抜いてくるとなると今回の彼らにはそれなりの覚悟があるように見受けられる。どちらにせよ神羅カンパニーが崩壊した後もルーファウスを見捨てることなく細々とここまで活動を続けてきたのだから、タークスが依頼してきたこの事案の根幹には間違いなくルーファウスの身を案じている心があることは明白だ。
 親心か、疑念か。しかしそのどちらにしてもヴィンセントには関係のない話ではある。
「これ以上ジェノバの被害を増やさないことが…あのプロジェクトの後始末にもなろう」
「では…」
「だがお前たちは本当にそれでいいのか?これだけ勝手に事を進めていれば、いずれルーファウスにことは知れるぞ」
「我々のことは問題ない。全てツォンさんが責任を取るそうだ」
「寛大だな。だが…主任はさぞ大変だろうな」
「もっともだ」
「それで?」
「?」
 ヴィンセントは立ち上がった。盛大に飲みつぶれている仲間たちの声が少しばかり収まったかと思えば、あっという間にシドが大いびきを掻いて眠り始めたのだ。隣ではユフィが飲めるはずもない酒の瓶を抱きかかえてスヤスヤと船を漕いでいる。
「移動するにしても私には足がいる。今の状態ではカオスに変身することも不可能だ。しばらく休ませろと言ってうるさいのでな。無理に変身すれば私自身への負荷が大きすぎる」
「乗り物なら手配しよう」
「この件、ルーファウスは勿論WROの連中にも嗅ぎ回られると厄介だ」
「それなら問題ない。表にレノのバイクがある。あれは神羅ではなく…レノ自身の私物だ」
「…相棒の肝臓のみならず足をも売るとはいい度胸だな」
「こちらとしてはジェノバの回収が第一だ。そのためなら協力は惜しまない。レノもイリーナも最初からそのつもりだ。消耗品もこちらからWROを通じずに渡すことが可能だ。タークスの物品管理は全てイリーナが行っているからな」
 最初から断られる気はなかったのか。思わずヴィンセントはクスリと笑った。
 ルーファウスという絶対的な存在を裏切る形となってまでこれだけの話をまとめるのはさぞ大変なことであっただろう。セブンス・ヘブンへやってくるには相当の覚悟があったのであろうが、後輩たちのそんな可愛らしい努力に見た目の歳は変わらない『先輩』たる彼は妙な愛おしさを覚えた。
「準備がいいことだな。流石メテオとオメガを乗り越えただけある」
 と精一杯の皮肉と称賛を込めてヴィンセントは言い放つと、次々に沈黙し始めた酒盛りの集団を横目に立ち上がった。







「いってらっしゃい?」
「…」
 話を聞いていたのか、店の扉に手をかけるとヴィンセントの背後にはティファが立っていた。ソファで飲みつぶれている男たちと、自棄になって喧嘩を買ったレノと飲み比べを始めてしまったクラウドの世話は諦めたようだ。最初から仲間たちの気をヴィンセントから逸らせるために彼らは飲み会に乱入してきたのだということに合点のいったヴィンセントは小さなため息をつくと、バレットに飲まされていたのではないのか?とティファに聞いた。
「イリーナに任せてきちゃった。油田開発がどうこうって話になって、私にはわからなかったし。…それより、気をつけてね。体調まだまだ万全じゃないんだから」
「君は引き止めるのかと思った」
 このまま仲間に何一つ告げず去るつもりであった。「皆になんて言っておけばいいのかな?」とティファはヴィンセントとドアの合間に立ち、彼のそんな心を見透かしたのか少しばかり困った顔をしたルードにビールの空瓶を投げつける。そして今度はわずかばかり怒りのこもった声音で「ねぇ」と答えを催促する。
「…慈善活動に目覚めたとでも言っておいてくれ」
「滅茶苦茶ね」
「どこまで話は聞いていた?」
「別に。聞いて欲しくなかったんでしょ?盗み聞きするつもりはないけれど…わざわざレノたちが来るんだもん。あなたに無茶なお願いをしたっていうことは分かるわ」
「無茶苦茶では…」
「ルードは黙ってて」
 腰に手を当て、彼女はヴィンセントを問い詰める。
「ジェノバを探して始末する。別にありのままを伝えてくれて構わないが…ルーファウスとWROに話が伝わると今は迷惑だ。それに、どうせジェノバを探すのは今までと同じだ。ならばきっと世界のどこかで鉢合わせはするだろう。前だってそうしていた、今は電話も持っている。…死出の旅に出る訳でもない」
「それ…今のあなたが言うと 笑えないよ」
「すまん」
 エアリスの、旅。
 古代種の神殿から忘らるる都に至るまでの旅路を彼女はそう表現していた。それをティファに教えたのはいつだったか、きっとミディールだかジュノンだか、だ。死ぬつもりはなかったけれど、死は避けられないと分かりきっていた彼女の遠い旅路。
 ヴィンセントは「今度ばかりは死にかけたときにはすぐに助けを呼ぼう」なんて、反省のかけらもない言葉を告げる。
「…反省 してないでしょ?」
「それなりにしているさ。もう勝手に死ねるか試すつもりはない。死ねないことが分かったんだ、もう十分だ」
 あれだけやっても死ねなかったのだから。
「WROからも神羅からも逃げるのね。タークスには協力するくせに」
「戻ったつもりはない。…私なりに あのプロジェクトの後始末ができる道を選んだだけだ。それにDGの後始末もWROと神羅に任せきりでは心もとないからな。自分の目で見て回るつもりだ」
「本当、タークスって死ぬまで『そう』なのね。何言っても 聞いてくれないんでしょ」
「好きに言え」
 どうせ君には理解できない話だろうから。怒気を含めたティファの言葉に対してヴィンセントも少しばかり語尾を荒げて応戦した。
 たとえ社会的に死のうともその命がこの世界に残るうちはタークスなのだ。「君たちは確かに良き友人ではあるが…だが、私のやり方に口は出さないでもらいたい」と、突っぱねるような言葉を並べ立てた。
「…嘘つきだよね、ヴィンセント」
 しかしそれに対してティファは怒りを見せることはなかった。小さく笑って、ルードに投げつけた瓶を回収するとバーの扉を開けた。途端に生ぬるいエッジの風が入り込み、すっかり沈み込んだ夜空がビルの隙間から見えた。
「ティファ?」
「いってらっしゃい。いいわよ、恨むならツォンも…ルードも、レノも道連れにしておくから。…ほんと、誰かさんにそっくり」
「…」
「誰も巻き込みたくないんでしょう?誰も 傷ついてほしくないんでしょう?だから一人で行こうとするんでしょう? 残される人たちのことなんて考えもしないで」
「君は…君こそ 誰かと同じ言い草だ」
 ヴィンセントの脳裏にはふわりと今は亡き古代種の少女が浮かび上がった。
「それはどうも。…ヴィンセントが自分で決めたことでしょ?だから私は止めないよ。でも…もし、何かあったらいつでも呼んで。私たち あなたの力になりたい」
 皆が起きる前に、ほら。
 店先に無造作に停められたレノのバイクがうっすらと黒光りする。ヴィンセントは一度だけルードに目配せすると、完全に酔いつぶれたレノとイリーナによる断末魔のうめき声をバックグラウンド・ミュージックに夜の街へと出て行った。


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