卯月、紅の日


前編:家出娘と放浪男と影なるものたち


「アタシ、英雄らしいよ。国のために戦って…この星を守ったって」
 そう唐突にユフィは告白した。
 空の色は、紅。メテオの落ちてきたあの日のような血の色ではないが、どうしてもそれを想起させるような色。天を見上げればいつもそこに在り続けていたはずの青空が奪われ、夕日がいなくなり月が支配する夜の時間がやってきてもあの日は燃え上がる巨星によって天が濃い赤に染められていたものだ。
「実際お前は国のために戦い、結果的に星を守った。ならば妥当な呼称だろう」
「……そりゃ 最初はそうだったケドさ」
 神羅に負けた祖国のためにマテリアを集める。そんな今にして思えば幼稚な発想から出奔し世界を回った。様々な場所で恩を作ってはマテリアで返してもらったり、時には泥棒まがいなこともしてきた。クラウド一味に加わったのも最初はそんな理由からだった。
 それが気付けばとても大きな運命のうねりに飲み込まれ、ヴィンセントが指摘するように『結果として』旅路は星を救う旅となり天に舞い降りてきた忌まわしきメテオを破壊するに至ったのだ。
「好きに呼ばせておけばよかろう」
「そういうのはクラウドたちの方がお似合いって言うことだよ」
 後ろ盾という意味ではクラウドよりも『強い』ユフィである。リーブを中心とする旧神羅カンパニーの面々が手を回してくれたおかげもあって、荒廃したミッドガルを再建しようと立ち上がった彼らを『英雄』と呼びつきまとう者はいないらしい。
 時が経てばやがて彼らが『ジェノバ戦役』などと呼ばれつつあるあの戦いに身を投じた戦士であることは明るみに出るやもしれないが、その第一号がユフィというわけだ。
「……真の英雄とは……いま生きている私たちではない」
「……ん」
「死んでライフストリームに返った者たちこそ……英雄と呼ばれるに相応しい。最後にメテオを防いだのは 彼らだ」
 あの運命の日に遥か宇宙の果てからやってきた災厄を受け止めこの星を守ったのはクラウドたちではない。
 メテオがやって来るまでのとてつもなく、そして限りなく永い間に死んでいった者たちの──それこそ二千年前にジェノバによって殺されたセトラたちによって最後は救われた。だというのに生き残った人々が目を向けるのは実際にジェノバへ向けて刃を向けた者たちだ。「人々は今この世界に在る命しか見ようとはしない。それはメテオが落ちようとも変わりはしない」
「だけど、居た堪れないよ。アタシなんて……アタシなんかが『英雄』なんてね」
「それが世界を救った者への宿命だ。諦めろ」
「『英雄』なんて……呼ばれたくないよ。もっとうまくできたはずなのにさ」
 あれが最善な結果だったとは思えないとユフィはかぶりを振った。そこに到達するまでの旅路で喪ったものを数えてみれば両の手を使って見ても足りやしない。彼女は指折りそれらを数えようとして、やめた。
「最良の結果が常に最善の結果とは限りはしない。……我々は うまくやった方だ」
「でも最善じゃなかったじゃん」
「……もっと悪い結果だってあったはずだ。例え星が救われていたとしても」
 それこそ英雄と称されつつある彼らの誰一人として地上に残らない未来だとか、星は救われても住人が全滅していた世界だとか。挙げればキリのないほどに今よりずっと酷い世界の結末はたくさん思いつける。きっとそれは今よりもっとマシな世界よりも想像するにはクリアーで簡単だ。
「珍しいね。ヴィンセントがそんな前向きなコト言うなんて」
「お前が珍しく後ろ向きなことを言うからだ」
 地平線の向こうに見える廃墟の姿をユフィは見遣った。魔晄都市ミッドガルと呼ばれたあの街は生まれ落ちたその時から成長し続けてきた。黒猫の仲間に息を吹き込んだ神羅の都市開発部門統括が生み出した魔晄炉を有する巨大な街は六番街を未完成としたまま、大人になる前に死んでしまったのだ。
 ユフィは立ち上がり、足元の布袋を持ち上げた。
「こんだけ逃げ出したくなったの、人生二回目だよ」
「一度目は?」
「ウータイ出奔(で)た時。見てられなくなって……大好きなふるさとだったのにいられなかった。あれ以上国にいたら可笑しくなっちゃうと思った」
「……それで今は二度目の家出か」
「そゆコト」
 あの旅の後、ユフィはミッドガルでの救援活動がひと段落してから一度ウータイに戻ったはずであった。それぞれの仲間が故郷や、故郷と呼べそうな場所に戻って行く中で彼女がウータイへ帰ったことはとても自然な流れだ。誰一人として行動に疑問は持たなかったものだが、どうしたことか気付けば彼女は再び故郷を飛び出していた。
 ウータイだけでなく世界を救った英雄だと言われることに耐え切れなくなって、だ。
「父親には告げたのか」
「なんで家出すんのに親に言わなきゃいけないんだって。……オヤジだってきっと分かってるよ。前もそうだったし」
 どこかで元気にしているに違いないと。そんな軽い言い方をしたユフィではあるが、どこか物言いには影がある。
「……また喧嘩でもしたのか」
「『また』ってなんだよ」
「前回もそうだったと記憶しているが」
「……喧嘩じゃないよ。アタシは意見を言っただけ」
「したのか」
「…………ちょっとだけ」
 その議題は。
 聞かずともにユフィは答えた。「お世継ぎ問題に決まってんでしょ」と。
「決まっているのか?」
「決まってるっつーの。そりゃ、ウータイにとってはアタシが今のタイミングで長になるのがいいんだろうけどさぁ」
 とはいえ彼女はまだ十代である。その上領主となるべく躾を受けてきた訳でもない。ユフィがこの世界に生まれ落ちた時からウータイは衰退の一途を辿っており、父親は彼女を為政者ではなく戦士として育て上げた。神羅と戦っても決して腕っ節では負けないような、そんな忍にだ。
「お前はそれに反発した訳か」
「それが普通でしょ」
 英雄と呼ばれ、その称号をぶら下げたまま歳若くしてウータイを治めろだなんて言われた暁には。
「帰る予定もないのか?」
「今んとこはね。どうせ考えもまとまらないし……どっかに居着いてたくもないし」
 ってことだから、じゃあね、とユフィはひらひらと手を振った。しかしその言い草がいつもの彼女らしくなかったことに気づいたヴィンセントはそのまま見送るのではなく、とっさの判断で少女の細い腕を掴んでしまう。「わ!」と予想外の行動にユフィは叫ぶ。
「……」
「……どしたの?」
「………少し 心配なだけだ」
「…アタシが?」
「それ以外に誰がいる」
「アンタが心配してくれるなんて……変な感じ」
「行く宛があるなら構わんが……いや、私が言うことでもないか」
「ホント。そもそもアンタこそ何してんのさ、こんな場所で」
 彼女らの背後に広がる無限の湿地帯にはミドガルズオルム。セフィロスに解体された個体の子孫だかなんだかは分からないが、数ヶ月前まではまだまだ小さな体つきをしていたはずだ。それが今となっては親と同じ大きさまで成長している。
 いくら殺しても死なない巨大な蛇はやはりメテオの爆風や魔晄濃度の急上昇といった環境変化にすらびくともせず君臨し続け、ヴィンセントは「あれの退治を注文された」と言う。
「こんな状況だ、いつどこでミドガルズオルムが沼地を出てくるかは分からないのでな」
「誰に?」
「…………旧い友人だ。アレを始末して塩漬けにして届けるまでが任務だ。一部現地で蒲焼にして食べてもいいとは聞いている」
「何それ、すごい楽しそうじゃん。そゆことは独り占めせずにジョーホーキョーユーすべきだよ」
「聞いているだけではな」
 本当はその旧友と来るはずだったがそれよりも『副業』が忙しいから、と断られたともヴィンセントは言った。
「……ついでに聞くけど、今まで何してたの。誰とも連絡取ってなかったみたいだし」
 あの時ともに旅をした仲間たちは皆電話や何かしらの連絡手段を持っているが、このヴィンセントだけは別だ。携帯を持てと言おうとしてもそれ以前に捕まらないのだから仕方がない。しかし彼は肩を竦めて悪気もなく答える。
「必要もなかった」
「……ふらっと消えちゃってさ」
「解散を告げたのはクラウドだろう」
 メテオが落ちてきた直後のミッドガルでリーダー・クラウドは高らかに宣言した。旅は終わりだと、ここで終わりだと。途端に姿を消したヴィンセントはそのまま仲間たちの前に現れることがなく三ヶ月ほどが過ぎていた。こうしてユフィが偶然にもチョコボファームの様子を見に来なければ本当に世間からも姿を消してしまっていたやもしれない。
 それほどまでになんの未練もなくこの男は消えたのだ。
「元気にやってるみたいだからいいケドさ、消えられたアタシらの身にもなれっての」
「……今逃げ出しているのは君だろう」
「…………それは……まぁ そう、なんだけど」
「また宛もなくマテリアを集めに旅をするつもりか? 止めはしないが、魔晄炉周辺は人間の近づける状況ではないぞ」
 地表に現出したライフストリームは当然ながら世界に点在する魔晄炉のような箇所からひときわ強く吹き出していた。今は破落戸すら近づけない様な不毛の地となってしまった場所おにこそマテリアなんてものは凝縮されやすいが、それだけはやめておけとヴィンセントはピシャリと言いつけた。
 命に関わる様なことだけはするな、と。
「別にマテリア探し、したくないことはないんだけど……なんていうか 気分じゃない」
「ほう。いよいよお前も病気か」
「……」
 彼女は言い返さない。異常なまでにおとなしいユフィにヴィンセントは眉をひそめたが、『何』が原因かは分かりきっていた。世界には平穏が訪れた。祖国も神羅に支配されることもなく、宙に浮いた状態ではあれども近いうちに主権はキサラギ家に戻されることとなるだろう。
 領主ゴドーの一人娘でありユフィは星を救った英雄であると同時に救国の女神でもあるのだ。
 その扱いに耐えきれない。そんなところだろう。
「……逃げてしまえ」
「……ヴィンセントみたいに?」
「誰に何を言われるよりも先に、な。お前は自分自身が思っている以上に世界では大きな存在だ。重圧が煩わしいなら消えてしまえばいい」
 クラウドやティファ、そしてバレットのようにテロ組織に属していた様な輩とは違う。シドやケットシー、そしてヴィンセントのように名も無き神羅の社員でもない。ケット・シーに関して言えば背後にいる人間はユフィの様に強い権力を持ってはいるが、あの黒猫の中に居座る男の正体を知る者はまだ少ない。どうやら本人はその名声を逆に利用して世界復興の足がけにしてやろうとも画策している様子だが。
 彼もまた立ち上がると、ミッドガルの廃墟群に背を向けた。
「自分の名前が嫌になったの、初めてだよ」
 少しだけ伸びた髪の毛が彼女の表情を隠した。
「名などいつでも捨てられる」
「……アンタは?」
「別にこの名前を使う必要もない。……が、今更偽名を使う必要もないのでな」
 はじめて出会った時、ヴィンセントは己の名前を『グリモア』と偽った。その理由を改めて彼女は尋ねてみたが彼は涼しい顔をして「なんとなく」なんて答えるものだから、それ以上の真偽は聞けなかった。そんなにも本来の自分の名前から逃げたかったの? だとかそういったことは。
「アタシはまだただの『ユフィ』でいたいのに」
「安心しろ。仲間内の誰一人としてお前を『キサラギ家のユフィ』とは思ってないさ」
「じゃなんだと思ってんの」
「……トラブルメーカー、マテリア泥棒…ついでに着替えも全て盗んでいく困った輩。自称・マテリア・ハンターだったか?年齢の割に行動が爺臭い……あとは 寝相が悪すぎる、好き嫌いも多すぎる、それから……」
「…………」
 防御も考えずに戦闘で突っ込んでいく、盗むのに必死でフォローが間に合わなくなる、射線上に仲間がいても平気で確認せずに森羅万象を使う。リヴァイアサンの召喚に関しては天下一品だが他の召喚獣に関してはてんで才能がなくうまく喚び出せない。それから……それから。
 ヴィンセントという男にはあまりにも珍しく言葉を続けた。
「人のテリトリーに勝手に入って来る。……が、その分余計なことを考える暇をくれないおかげで助かる時もある。トラブルを持ち込むことの方が多いが……それでもたまには誰も気がつかない様な発見をする。リヴァイアサン以外の召喚マテリアには使われている状態だが、逆に言えばリヴァイアサンの召喚は誰にも負けない精度がある。……他にもまだいるか?」
「……う ううん。蕁麻疹出そう」
「もう少し話題はあったのだが」
「……よく 見て、るんだね。意外」
 彼女の一挙一動とまではいかないが、それでも注意深く見ていなければ分からないようなことばかりをヴィンセントは並べ立てた。きょとんとした表情で紅の瞳を見返したユフィに少しだけ、ほんの少しだけ口の端をあげて微笑む。
 皆見ていたよ、と。
「嫌なら逃げてしまえばいい」
 再びヴィンセントはユフィに言ってやった。「私たちはお前を特別扱いなんてしない」
「じゃ……アタシの家出に付き合ってくれる?」
「断る理由はない」
「ミドガルズオルム狩り一緒にやるって言っても?」
「一人よりは二人の方がやりやすい。何より、本当に塩漬けにするなら人手がいる。お前のリヴァイアサンで沼地ごと流してしまうのもいいかもしれない」
「派手なこと思いつくじゃん!」
「……楽しいぞ、恐らく」
「アンタそんなお茶目な性格だった?」
「楽しいことは嫌いではない」
 大人しく冷静な見た目をしているくせに時折この男はクラウドよりも幼稚なことを思いつく。ミッドガルに装備された魔晄キャノンを粉砕するためにとんでもなくバカらしい作戦を立てたのも彼だ。飛空挺ハイウインドからパラシュートをつけて飛び降りて、現地解散現地集合。『八番街で待ち合わせ』大作戦を提案した時の表情にそっくりだ。
 まだ人間としてタークスに所属していた頃は本人が言うにはもっと『茶目っ気があった』だなんて言う姿すら意外なほどにお茶目。
「でも蒲焼にしても塩漬けつってもなぁ。捌くのも大変そうだよね」
「ファームの倉庫と台所を依頼主を介して借りられるよう話はつけてある。場所も材料費もクライアント持ちだ」
「……その依頼主、友達って言ってたけど……ソイツも元タークスとかだったりすんの?」
「……逆にそれ以外に私の交友関係などないだろう、クラウドたち以外に。死んだと思っていたが……どうやら生きていたらしい。神羅の後片付けに駆り出されて狩りを土壇場でキャンセルされて相当怒り狂っていた。そして私は先日カームに立ち寄った際に捕まった」
「『死んで』も神羅と仕事してんの」
「……私も含め、『それ』以外ない人生だったから」
 タークスこそが生きる場所で、死ぬべき場所。恐らくヴィンセント自身もその言葉には当てはまるのだ。
 そういう訳で彼の旧友とやらは楽しいミドガルズオルム狩りよりも神羅の犬として尻尾をぶんぶん振る方を選んだという。
「そういうアンタにはオファー来ないの?」
「どこかに居着いてしまえば来るだろうが今は流浪を満喫しているのでな。見つからなければ……恐らくは」
「電話も持ってないしね」
「そういうことだ」
 決してそれだけが理由ではないが、理由のうちの一つだ。
 そして二人はどちらかともなく歩き出す。ミドガルズオルムと言えばクラウドたちにとってはセフィロスの圧倒的な力を見せつけられた象徴的な魔物だと言うが、二人にとっては関係ない。巨体の蒲焼というあまりにも魅惑的な響きを持つ獲物でしかないのだ。
「手裏剣と銃で勝てる?」
「勝つだけなら造作もない。……が、できれば半殺しで仕留めたい。新鮮なほうが『やり甲斐』があるだろう」
「でもあんな沼地に住んでるんじゃ、泥抜き大変すぎない?」
「味など二の次だ。タレを濃くすれば泥臭さなど消える。……それに重要なことは『ミドガルズオルムを食用にするため駆除する』こと。我々は兎にも角にもアレを生きたままに確保する」
 巨大な剣もなければ槍もない。刃物といえばユフィが腰にぶら下げている小太刀とヴィンセントがベルトに隠して仕込んでいる小ぶりなナイフくらいだ。あまりに行き当たりばったりなハンティングを目の前にして、やはり二人は悪事を企てる子供のようにニヤニヤと笑みをこぼしながら沼地へと進んで行った。



「……オイオイオイ」
「なんだ」
「なんだ、じゃないぞ、と」
「折角お土産に分けてやろうってのになんだよその顔」
「そりゃだって……なぁ?」
「……美味そうだ」
 ルードのすっとぼけた言葉にレノは思わず禿頭を叩(はた)きそうになる。
 見事ミドガルズオルムを虫の息まで追い込んだ二人は最終的にリヴァイアサンの力によって沼地ごと泥を洗い流し、ガリアンビーストに変身したヴィンセントが勝手に食べないように内側からなんとか制御しながらチョコボファームまで引きずって来たのである。そこでチョコボ車を借りてカームまで運ぼうと考えたのだが──その糞臭いチョコボファームには先客がいたのだ。
「丁度いい。捌くのを手伝え。このままカームまで運ぶと流石に傷んでしまう」
「だね。人手が足りないからキツいかとも思ったけど、これなら全部塩漬けにできそうだね」
「男手が増えたおかげでな。……と言う訳だ、手伝え」
「……だとよ、ルード」
「……興味はある」
「オレも興味はあるが……いいのか? ここチョコボの牧場だろ? 血の匂いに誘われて魔物が来るかもしれねぇ」
「チョコボに引かせていても危険は一緒だ。それにここならば拠点にして魔物狩りもできる」
 言いながらもヴィンセントは早速暑苦しい旅装束を脱ぎ去り、蛇の巨体にナイフを入れた。
 なんでもここのオーナーは『依頼主』の知り合いでもあり、更にクラウドたちが世話になったこともあってその提案を快諾してくれたのだ。世にも珍しい川チョコボや山チョコボだけではなく、海チョコボだなんて代物も繁殖させることに成功させたクラウドの仲間だと告げれば何から何までを承諾してくれるようになった。
 だからといって突然ミドガルズオルムを解体し始めるのは言葉に甘えすぎているのではあるが。
「それはそうですけど、と。ルード、そっち持ってくれ」
 ついでに工具も借りて来た、なんて。
 大きなノコギリを向かい合ってタークスの二人組は構えると、そのまま躊躇なく押し引きし長い身体を薄くスライスしていく。ユフィは倉庫の奥から樽を引っ張り出して来て、ついでに塩をもらってくると台所へと消えていく。
「レノ。任務を忘れるなよ」
「お前に言われたくはねーっつの」
「……ということだ」
「お前たちに関わるとロクでもないな」
「まだ何も言ってねぇぞ、と」
「私は神羅に協力する気などない。他を当たれ」
 どうせそういう内容だろう? とヴィンセントは冷たい目を二人に差し向けてみれば揃って閉口する。とんでもなく神羅カンパニーの残骸は人出不足に悩まされ、タークスというルーファウスの忠実すぎる『犬』たちはまさに犬でありながらも猫の手も借りたい状況だ。その『猫』が今の彼らにとってはヴィンセントであり、必要ともなればクラウドにも声をかける勢いである。
 それほどまでの人材不足ということだ。
「そこをなんとかなりませんかね。給与面は保証しますんで」
「生憎金なら間に合っている」
「父親の遺産すか」
「自分で働いた金もたんまりある」
 現役時代既に父親を含む親族の全てを喪っていたヴィンセントは己が死んだ後には資産を全てミッドガル周辺の公衆衛生改善費用に寄付するよう周囲には告げていた。道半ばにして死んだ父親から譲られた資金はそれはもう多額なものだったから、少しは足しになるはずだと。
 しかしながらヴィンセントがニブルヘイムで『死亡』した際には既に皮肉なことにその言伝(ことづて)を預かっていた仲間たちは皆殉職していたのである。
「それでもいつかは使うだけの金なんて無くなっちまうぞ、と。再就職のチャンスでもいかがっすか」
「無くなったらそれまでだ。私は人間らしい生活も必要としていない」
 紙の上に記された報告書はレノもルードも目を通している、と言うよりは二人は彼に関するレポートを以前作成した。宝条を問い詰めても何も出てこなかった上に暇つぶし程度にしか考えていなかったから何も覚えていない、だなんて言うものだから。メテオ災害の最中(さなか)ニブルヘイムの神羅屋敷までわざわざ足を運びありとあらゆるジェノバ・プロジェクトにまつわる書類を探し出しみすぼらしい報告書を作ったものだ。
 それによれば、だ。
「飯を食う必要もなければ睡眠も必要ない。損傷もすぐに再生するだの……便利なことで」
「寝食は娯楽のようなものだ。もっとも……私にとって眠ることは 娯楽とは程遠いがな」
 食事を摂ればまだ僅かにだが生きている味覚を総動員してその味を確かめることはできる。エネルギー効率があまりにも良すぎる身体では食べ物を余さず身体の動力にするものだからよほどの事がない限りは太ることもない。かといって飢餓状態が続いても体内の魔物たちはありとあらゆる箇所に溢れるライフストリームを喰らうため、この星に在り続ける限りは生存できるのだと。
「ていうことはま、予想はしてましたけどアンタを金で釣るのは……」
「無理だな」
「じゃあ会社への忠誠心とか? ……オイオイ、そんな怖い顔すんなよ、と。冗談だ」
「ルーファウスのやり方には賛同しかねる。……神羅は大きくなりすぎた。世界に手を出したのが間違いだったな」
 魔晄炉という当時は夢の発電施設と呼ばれた砂上の楼閣を作り上げるために神羅は世界の各地を侵略した。
 未開の大地があれば調査課を送り込み魔晄濃度を測定させ、炉を作るに適していればあとは一本道。そこにもともと住人がいようが、他国の領土であろうが関係ない。魔晄炉を拒否する者は力でねじ伏せ徹底的に叩き潰して来た。
 おかしくなったのはそこからだ、とヴィンセントは遠い過去を回想した。「ミッドガル開発だけにとどめておけばよかったものを」と。
「人間の欲っていうのは尽きねぇからな。逆に聞くが、例えば何があればアンタはオレらの側についてくれるんだ?」
「もう一度メテオが降ってこない限りは諦めろ」
「そいつは難易度高いことで。せめてウェポンが暴れてたら、とかにしてくださいよ」
「ウェポンがまた星に住む人々に襲いかかったら、だ。それくらいなら神羅に協力してやらんでもない」
「さすがヴィンセント・ヴァレンタイン殿。寛大な条件ありがとうございますよ、と」
 つまり答えは『NO』だ。
 かつてメテオが呼び出された際に暴走状態に陥ったウェポンが再び現れれば、とヴィンセントは言うのだ。限りなくゼロに近い確率を突きつけられたレノは大きくため息を吐き出し、隣のルードが「諦めよう」と呟いた。
「今回は諦めるが……」
「次は見てろよ、と。アンタを釣れるくらい大きな餌探して来てやるからな」
「好きにしろ。……ユフィ、樽はそっちだ。後はタークスどもが引き継ぐと」
「え? なになにレノたちホントに塩漬け手伝ってくれんの? やりぃ! ユフィちゃん力仕事は不得意なんだよねぇ」
「なんでそうなるんだよ、と!」
 袋にパンパンと詰められている塩を抱えて戻って来たユフィは首を傾げた。か弱いだなんて言う女が持つ重さではない。
 しかし嫌らしい顔をしてレノたちの方を横目で見ているヴィンセントの姿を認めると、彼女もまたニンマリと笑う。
「いいねぇいいねぇ。いいんじゃないの。タークス諸君には頑張ってもらおうじゃありませんか。ね? ヴィンセント」
「以前螺旋トンネルで我々を邪魔したことだしな。後少し時間稼ぎをされていれば……」
「魔晄キャノンの発射が間に合わなくてミッドガルがオジャン、だったよねぇ?」
「メテオ以上の被害が出ていただろうな」
「……ッ 言いたいこと言いやがって、こんのっ……!」
「怒らない怒らない、そんくらいじゃヴィンセントは許しちゃくれないよ〜?」
「これだけで済んでいることを有り難く思え。とっととそれを塩に埋めてヴェルドの元まで運べ。依頼人からの報酬も丸ごとくれてやる」
 なんでそこにヴェルド元主任が出てくるんだ! とそのままの勢いでレノは叫んだ。勿論、手は動かしながら。
「あの人が依頼人なのか?」
「老後の暇つぶしをしようと約束していたが……どうやら、どこかの会社に引っ張り回されてしまったようでな」
「で、オレらにミドガルズオルムの塩漬けを樽でヴェルドさんに運ばせようって? そんなもん、カームの入り口で撃ち殺されちまうぞ、と」
「流石に……お断りしたいが」
「断るなら二度と私に付きまとうな」
「……ヴェルドさんまで配達すればまた付きまとっていいのかよ、と」
「視界に入れただけで撃ち殺すような真似はしない」
 よって、交渉成立。
 全身の筋肉を酷使しながらも巨大な蛇を解体しいくつかの樽に詰め込んだ四人はチョコボ車の荷台にをそれらを積み込み、終始渋い顔をしたままのタークス連中を御者として送り出す。あとはどうにでもなってしまえ、とヴィンセントは少しばかり意地の悪い笑みを浮かべているのをユフィは見逃さなかった。
 スーツ姿をした神羅の社員が樽を引いてチョコボに乗って行けば新手のテロリストか運動家かといって街の入り口で問い詰められることは目に見えている。
「恐ろしい先輩だねぇ」
「どうせここに来たのもルーファウスの差し金だ。それにヴェルドなら私の性格もよく知っているし……精々小言を食らうだけで済むだろう、奴らは」
 むしろ下手にツォンやそれこそルーファウスに勧誘失敗の上ミドガルズオルムの塩漬け作りを協力してきただけだと言った方があとが恐ろしいに違いない。かつての旧友がどんな顔で大量の塩漬けを運んでくる部下を出迎えるのかを楽しみにしながら、ヴィンセントは蛇口いっぱいに水を出して汚れた手を洗い始める。
 それに倣いユフィもジャバジャバと手を洗い、血まみれの床にホースを流しながらせっせと上着を脱いで作業をし続けるタークスに視線をやった。
「……可哀想だし、蒲焼作ってくる?」
「だな。手土産に持たせてやるか」
 せっかく洗った手を汚したくないとヴィンセントはそこらに置いてある使い捨てのビニール手袋を嵌め、レノとルードらが丁寧に切り開いた身のうちの一部をトレイに取り分けて行く。「何してるんすか」という言葉には答えないまま。
「お弁当作ってあげるよ」
「ウータイ娘のかよ。頼むから食えるもんにしてくれよな、と」
「アタシはそれなりに料理できるっての! 問題なのはアンタらの先輩だよ。コイツ、目離したらなんでもかんでも黒焦げなるまで火通すんだからさぁ」
「腹を下すよりはマシだろう。なんでも焼けば死ぬ」
「……タークスってみんなこうなの?」
 呆れた声にルードは小さくだがしっかりと頷いた。「焼けば大抵のものは食べられる。火を通しても食べられないものだけを覚えていればいいからな」という言葉を添えて。
 嘘か誠か非常に疑わしい言葉に再び彼女はがっくりと気落ちしたような仕草を見せた。天下のタークスというのはどいつもこいつもアホなのか? と。
「ま、確かに焼けば死ぬっていうのは真理だからなぁ」
「そういうことだ。ではユフィ、蒲焼は任せたぞ」
「えぇ? 手伝ってくれないのかよ」
「私がいれば隙を見て何でもかんでも黒焦げにするのだろう? なら台所に近づかない方が得策だ」
 そう言ったのはお前だろう、と意地悪な視線をヴィンセントは投げつけた。そしてちょうどいい大きさの切り身だけ取り分けると、あっというまにビニール手袋を投げ捨てて壁に掛けてあるマント類を身につける。立てかけたったライフルまで手にし、裾のほつれたそれを翻した。
「……どこ行くの?」
「血の匂いにつられて魔物が来る。どうせ雑魚だが、群で来られるとチョコボを驚かせてしまうからな。先に牽制してくる」



「それで、明日はどうする」
 すでにたっぷりと陽は落ちた。レノとルードという予想外の戦力が頑張ってくれたおかげでなんとかチョコボは日暮れと同時にファームを出立し、早ければ深夜になる前にカームへ辿り着けるはずだ。夜道をチョコボで行くのは危険だと言ってヴィンセントはクラウドが飼い慣らしていた獰猛な川チョコボと山チョコボを『護衛』につけ、ユフィはアルミ製の弁当箱がギッシリパンパンになるまで詰めた白米の上にミドガルズオルムの蒲焼をたっぷり乗せた夜食を二人分持たせてやった。
「そうだなぁ、特に何もないけど。ヴィンセントは何か用事あったりすんの?」
 弁当に入れても尚余った蒲焼のかけらを二人は机に向かい合って座り、行儀悪く箸とフォークでつき合う。ファームの主人グリンや孫のグリングリンとクリンにも蒲焼をご馳走したため残された取り分は少ないが、濃いめの味付けのそれは少量でも満足いく味に出来上がっていた。
「私とて宛てのない旅だ」
 血の匂いにつられてやってきたウルフたちを蹴散らした彼は戦闘をこなした直後とは思えないほどに涼しい顔で蒲焼を味わった。
「ですよねぇ。っていうかアンタなにいつの間に酒飲んでんの」
「……少し前にシドと酒を飲んだ。あれだけ飲んだのは久々だったが……どうやら、酒の美味さを思い出したらしい」
「ちゃっかり飲んでんじゃん、オッサン同士仲いいねぇ。昔もしょっちゅう飲んでたの?」
「殆ど飲まないさ。潜入任務の時は口をつけることもあったが……基本的には禁酒だ。昔とあるタークスが酒でハメを外しすぎて社内で問題になったらしい。以来敷地内は『表向き』は禁酒だった」
 少なくとも神羅製作所では。カンパニーと名を改めビルも新築した後では分からないが、彼がまだ会社員として働いていた老朽化したコンクリートの本社内では至るところに禁酒・禁煙の張り紙があったという。
「よっぽどのことやらかしたんだね」
「酔って社長室まで行ってプレジデントにビールを頭から掛けたらしい」
「うっそ」
「真偽は分からん。私が入所した時からある都市伝説だ」
 そのタークスはヴィンセントが入った頃にはすでに殉職しており、そのおかげで彼に席が回ってきたとも聞いた。ユフィ自身が亡きプレジデント・神羅の姿を見たことは写真の中でしかないが、あの魔晄炉を有する大企業を作り上げた男だ。そりゃ確かに禁酒になるよねぇ、と呟いて自身はウータイ産の茶をすすった。
「アタシの知ってる神羅なんて……ロクでもない話ばっかだけどヴィンセントの話聞いてたら更にロクでもなかったってよく分かるよ」
 プレジデントの頭からいくなんて。
「昔と今じゃロクでなしの方角が違う」
「はいはいそーですか。明日二日酔いで起きれなくなっても知らないよ?」
「こんな身体だ、酔うはずもないだろう」
「……やっぱり酔えない?」
 飲む酒は味を楽しむもの。アルコールによる酩酊状態まで望むのは馬鹿げている。
 ヴィンセントは頷き、コップの中身をくいと飲み干した。そして唐突に「ミディールかコスタかアイシクル・ロッジか。どこがいい?」と声をかけた。
「確かに行く先の決まっていない旅路だが……どこかには行こうと思っていた。どこもいずれ行かなければいけない場所でな」
「アタシは……どこでもいいけど。連れてってくれるの?」
「お前が付いて来るんだ。……気が済むまで精々私を逃避行に利用するといい。厄介な件に首をつっこむのは御免だからな、私の旅はマテリアもウータイも何も関係ない放浪だ」
 それこそユフィの望むような。
「そうだねぇ。ミディールの温泉も魅力的だけど、あそこライフストリームの被害大きかったでしょ? ちょっと大変そうだから今はパス。他の場所の用事って?」
「ミディールならジャングルの中で秘境の温泉探しの手伝い、コスタは……海開きに向けて巨大クラゲどもの駆除。が、むしろお前はマテリア屋で売り上げを盗んだのだろう?ク ラウドから聞いている。消去法でアイシクルか」
「あの時はバイト代いただいただけだよ! ちなみにアイシクルだとどういう『手伝い』な訳?」
「……旧い知り合いを尋ねるつもりだ。ついでに竜巻の迷宮見学だが」
「なんだよそれ、超楽しそうじゃん」
「私一人ならともかく、お前も行くなら装備を整えろ。流石に二人で踏破するとなるとそれなりに骨が折れるぞ」
「でも迷宮なんて行って大丈夫? ジェノバとか残ってない?」
「生物の帰巣本能からすれば残っていたとしても行き先は本体の死んだ大空洞だ。精々ウェポンの残骸がある程度だろうが……マテリアもあるやもしれないな。興味がないならやめるか?」
「やめる訳ないじゃん! 竜巻の迷宮なんて一人じゃ行けないし、ちょっとだけマテリアハンター復活させちゃおっかな」
「以前は急ぐばかりで『見学』もできなかったことだしな。私もあの迷宮には興味もある」
 アンタが興味あるだなんて珍しいね、とユフィは空っぽになった皿とフォークや箸をまとめて持ち立ち上がる。「これでも放浪癖のある科学者の息子だ。嬉しくもないが、それだけはバッチリ遺伝したようだ」と言うヴィンセントの言葉に思わず手を止めた。
「そっか。そういや言ってたね」
 メテオが落ちてきた日のことだ。お互いに父親嫌いだと言って笑いあったことが随分と昔のように思われる。
「……あの男をいい父親だとは思わないし……私の命が遠い未来で尽きるまで思えはしないだろう。が、彼の抱いた夢を追いかけるのも悪くはないと思った」
「お父さんの……夢」
「具体的には聞いたことはないが、父親の考えることくらい分かったさ。あの男が研究していたことも含め……私には理解の及ばないことも多すぎたが、それでも世界の真理を 星の理(ことわり)を知ろうとしていた」
 実の父親が生涯をかけて研究しようとした対象はどういう運命の皮肉か、実子であるヴィンセントの内側にある。それにまつわる研究を引き継ごうという気などヴィンセント自身には毛頭ないが、その軌跡を辿ることくらいはできる。
 死んでもう何十年にもなる父親に対する親孝行にしては遅すぎるが、神羅屋敷で永劫の悪夢を見ることをやめたヴィンセントにとって永すぎる刻の中を漂うには御誂え向きの目的になる。
「それで竜巻の迷宮ね」
「生前の記録を調べたが……まだあそこには足を踏み入れていないようだったから」
 勿論昔の知り合いに会うという用事も忘れてはいないが、どちらかといえばメインはそちらだ。
 星を救う旅路の中で訪れた古代種の神殿や忘らるる都は世界の星命学者がこぞって行きたがるような場所であり、父グリモアが生涯訪れることのなかった場所でもある。今度は目的もなく火急の用でもなくそこをさ迷いたいのだとヴィンセントは言う。
「だけどさ、それってお父さんは行っててもヴィンセントは行ってない場所もあるんでしょ?」
「だろうな。あの男の手記には知らない地名ばかりだ」
 特にカオスの泉だなんてあまりに不吉すぎる場所の位置を息子は知らない。
「……羨ましいな」
「何がだ」
 再びユフィは皿洗いを始めた。
「ブレない目的があるってさ。アタシもブレてないつもりだったんだけどなぁ」
 今となっては目的を見失ってしまったのだ。ははは、と情けなく笑うユフィにしかし、ヴィンセントは立ち上がるとその真隣に並び、すっかり酒を飲み干したコップを洗う。
「目的が揺らぐほど心に余裕ができたのだ。いい方に物事を捉えるのはお前の得意技だろう」
「……心の……余裕」
「メテオは落ちてこない。セフィロスを追う必要はない。クラウドが正気を失うこともなければ……エアリスが死ぬこともない。神羅カンパニーの搾取も略奪もない。精々の心配事といえば……カームの人々にとっては重大やもしれないが、ミドガルズオルムくらいだ。それも蒲焼と塩漬けにすれば解決する」
 世界は平和そのもの、だから余計なことを考えて足が止まってしまう。止めることができるのだとヴィンセントは言いながら洗剤を含ませたスポンジでコップを軽く洗い、水切りかごへ置く。「悩んだり逃げたりする時間があっても悪くはないと……そう 私は思う」と彼は続けた。
「いい、のかな」
「どうせそのうち気が変わって元の道に戻るだろう、お前は。ならば多少の回り道くらいどってことない」
「…………ん」
「世界が再び混乱すれば 否応なく我々は戦うことになる。そうならないことを祈るが……『余計なこと』ができるこの時間を『余計なこと』に有意義に使え」
「ウェポンが暴れ出すとか?」
 ユフィは数時間前にヴィンセントがレノたちに投げつけた言葉をなぞった。再びウェポンが星の敵となるようなことがあれば神羅に協力してやる、だなんてことを。隣でコップを洗い終わった男は気づいているのだ。これが仮初(かりそめ)の平和でしかなく、いずれまた歴史は繰り返すと。
 星が存在する限り、人間が存在する限り、神羅が存在した限り。
 だからそうなった際には同じ神羅の人間として手を貸してやらないでもないという意味で。
「ただの思いつきだが可能性はゼロではない」
「そうなるまでの余計な時間、かぁ」
 少女の日に焼けていない素肌を蛇口から落ちる水滴が滑っていく。
 これまで十六年と少しばかりの人生を全力疾走してきたユフィにとって、『立ち止まる』という行為は悪しきもののように思えていた。だからニブルヘイムの地下で悪夢の荊に包まれて眠り続けることを贖罪としたヴィンセントを糾弾し、クラウドがいなくなって総崩れとなった仲間たちにケット・シーと一緒になって発破をかけた。足を止めてゆっくりそれまでの軌跡を見返してみよう、だとか先に広がっているいくつもの可能性を調べてみようという気にもならなかったのだ。
「悪いことではないぞ」
 私は長く逃げ続けたが、なんていう自虐をきちんと付け加えながらもヴィンセントの顔には小さな笑みが浮かんだままだ。
 改めて何年ぶりか二度目の家出中たる少女を伴って、目的あれど宛てのない旅路を往くために二人はどちらからともなく荷物を用意し始めた。



後編:竜巻警報


「仲間たちのうちに真に星を救おうとした者はいたか?」
 ヴィンセントはいつだって唐突に物を言う。
 英雄であることを拒否したユフィを連れた旅は予想していたよりも賑やかなものとなった。チョコボファームで海チョコボを借り、そこから復興最中のミッドガルや魔晄濃度の急上昇により立ち入りが制限されている魔晄炉エリアを通り過ぎる。チョコボは時折二人分の体重に抗議するようにクエクエと鳴き叫んだが、そのたびにヴィンセントはタイミングよく野菜を食わせてやる。
「…いないね、多分」
「誰も彼もが自分のためだけに戦っていた。お前も私も」
 駆け抜けるチョコボの脚は逞しく、ミッドガルの北側から海へと向かって駆け抜けていく。海面を撫でるように弾き、服やマントの裾に海水をあてながらもその鳥はスピードを緩めることなく彼方の大陸へと向かう。
「そりゃ、星を救いたくないってことでもなかったけどネ」
「結果的に星を救う旅になっただけだ」
「ヴィンセントは最初からその気じゃなかったの?」
 クラウドたちよりもうんと多くの物事を知っていて、セフィロスやジェノバに対してはまるで当事者のように振舞っていた。事実彼は核心に近い場所に立っていたのではあるが、ヴィンセントは密着した前方からの声に「そんな訳ないだろう」と答えた。
 明け方の空はまだ春先といえどかなり冷え込む。そう言って彼はいつも身につけている赤いマントをユフィに着せ、代わりにいつもは額で長い髪の毛を押さえつけているバンダナで首元を覆い隠している。
「ただ……あのプロジェクトが引き起こした悪夢を見届ける。それだけだった」
「星を救うつもりなんてなかった?」
「最初はな。ただ……『あの』セフィロスを殺したという元ソルジャーにイファルナの娘、それにキャニオンの戦士セトの息子。役者が揃いすぎていた。星の導きというものが実在するというなら、私がクラウドに会ったことがそれだったのだろう」
「星の巡り合わせ、だね」
 生前のエアリスがよく口にした言葉だ。
「そういうことだ。出会ったことも何かの縁、ならば最期まで旅に付き合おうとな」
「でもそのクラウドだってサ 星を救おうなんて微塵も思ってなかったよ」
「最も目的が近いのはバレットか」
「意外だけど、間違いなくそうだね」
 反神羅を掲げるテロ組織『アバランチ』の残滓たる彼だけが唯一『星を護る』という初志を貫徹させた人物だろう。故郷を焼き払ったセフィロスを殺そうとする者、あまりに不確かな自身のルーツを確かめようとする者。長命な種族に生まれ落ちたがために見届けることを選んだ者。『楽しそう』だと笑い夢を追いかけた者。
 そして己が過去に捨て去り背を向け逃げ出した罪悪に真っ向から立ち向かおうとしたのはヴィンセントであり、弱体化したかつての武術国家たる祖国を立て直すために盗賊目的に旅に同行したユフィ。三者三様、十人十色。様々な言葉で仲間たちの行動は表された。
「エアリスもそんな大それたことを考えてはいなかったはずだ」
「……うん。エアリスはさ 星に自分の『声』を届けたかっただけでしょ?」
 古代種でありながら声を聞くことができても星へその返事を受け渡すことができなかった。だから彼女は旅を続け、忘らるる都へと祈りを捧げに行った。星からの答えが彼らへと戻ってきた時既に彼女は亡き者となっていたが、きっと星のどこかでそれを聞いていたはずだ。
 星が救われたという事実は全てにおいて結果論でしかない。
 そんな偶然のように辿り着いた末路を最初から目的として胸に抱いていたかのように彼らは『英雄』となってしまったのだ。
「真の英雄はあの旅で死した者たちだとも思った矢先だが……そう思うと、それも違うか」
「少なくともエアリスは自分のこと、そうとは思ってないよね」
「彼女にとっての『英雄』はただ一人だからな」
「ボーイフレンドでしょ? アタシにはアイツ、別に好みじゃないんだけどなぁ」
 ヴィンセントからしてみれば彼女は今もまだ『子供』だが、自称・子供の頃にユフィはザックスに会っているという。それも何度かマテリアハンターの名を騙りちょっかいをかけていたというから驚きだ。よくよく話を聞いてみれば、ユフィだけでなく仲間たち全員が多かれ少なかれあの陽気なソルジャーと関わり合いがあったというのだから驚きだ。
 彼こそが、真の英雄。
 全員がその意見を共有したのは奇しくもエアリスが死した後のことである。全ての真実が明るみに出てから気がついたことだったのだ。ああ、あの男が。と皆が口を揃えてザックスの名を紡いだ。
「そういう話はしていないだろう」
 手綱をクイと引けば、チョコボは左折する。全速力で駆け抜けるチョコボは真っ直ぐにボーンビレッジを越え、アイシクル地方の険しい山々を軽々に乗り越え、西に未だ悲しみ溢れる忘らるる都を見ながら雪景色へと突っ込めば、アイシクルロッジまではあと少し。
「でもさでもさ、イケメンだったと思わない?」
「イケメン……お前の言う単語の意味は分からんが、明るく誰にでも好かれそうな男だったことは確かだ。能天気なだけか、浅はかなのか。それとも全てを分かった上での立ち居振る舞いだったかは……今となっては何も分からないが」
「……いいやつ だったね」
「人のいい奴ほど先に死んでいく。いつもそうだ」
「じゃあ生き残ったアタシらは『悪い奴』?」
「『英雄』の言葉の上に胡坐をかくならな」
 周囲からの呼び名に傲り高ぶればの話だ。ヴィンセントは一旦チョコボの脚を緩め、アイシクルエリアの入り口でもある険しい雪山の麓で立ち止まらせた。
 このまま走らせ続ければ夕暮れにはロッジに辿り着けるだろうが、朝一番からチョコボは走り続けだ。有能な海チョコボではあるがそこまで急ぎの用事でもないのだ。彼はユフィに「ここで降りるぞ」と言い、黄昏色の毛並みをしたチョコボから降りる。
「降りるのはいいんだけど……この辺り、何もなくない? 野宿? それなら少し戻ったところに集落が──」
「言っただろう。旧い知己を訪ねると」
「……この辺に住んでるの?」
「……住んでいた、だ」
 春先の現在は勿論のこと、真夏でも深い雪に閉ざされた不毛の大地であるアイシクルエリアには魔晄炉は存在しない。かつては魔晄試験採掘場があったモデオヘイムという廃村があったとも言われているが、詳細な場所はユフィは勿論ヴィンセントも知りはしない。
 チョコボを引いてヴィンセントはコンパスを片手にざくざくと雪道をかき分けていく。マントをユフィに渡してしまった彼の姿は見ているだけでも寒々しいが、本人は寒さを感じていないらしい。確かに口元から吐き出される息も白んではいない。
「こんなところ……何かあったっけ」
「今は何もないに等しいが……ロッジへ行く前に立ち寄りたかった」
 それは別に構わないけれど、とユフィは大股でヴィンセントの後ろをついて行く。見渡す限りの白をズンズンと突き進むヴィンセントは今までもずっとそうしてきたかのように迷いがない。チョコボの足跡を辿り彼女は無言で歩き続ける男の背中を追って行く。いつも以上に寡黙な仲間はそのまま雪で覆われた丘を軽々登り、その眼下に隠れるように広がっていた盆地に丘の上から視線を落とした。
 見えたのは、廃墟。
 白く分厚い雪の隙間から微かに見えるのは紛れもなく家屋のカケラであり、吹き溜まりは何も見えないほどに雪が埋もれてはいるものの逆に風上側には木造りの家が未だかたちをとどめていた。
「村、あったんだ」
「…………今のお前よりも子供の頃だ」
「?」
 赤い瞳に感情はない。
「住んでいた村が焼けた」
 郷愁もない。
「……ここ?」
「アイシクルエリア中でも辺境で……ごく短くても夏はあった。たった一、二ヶ月のうちに冬ごもりの食糧を集めるのが子供の役目だった」
 彼の口から語られたのは北方の『田舎』で繰り返されて来たごく普通の生活であった。夏に男たちは猟銃を担いで山へと獣を狩りに、女は家で毛皮を加工し、男たちが仕留めてきた獣を日持ちするように干し肉にした。銃の腕は子供の頃に父親や村の大人たちに教わった頃に磨いたものだと。
「何があったの」
「……何の変哲もない、いつもの夏だと思っていた。だがその年の夏はいつも以上に短く……草木が芽吹くよりも先に 枯れた」
 俗に言う冷夏というやつだ。
 ウータイにもそういった環境変化はたまに訪れるが、アイシクルでのそれは意味が大きく違う。「餌が取れなくなった獣の大群が村まで降りて来た」と彼が告げた時、ユフィの中で点と点が線で結ばれる。
「だから……火を放った?」
「既にどうにかできる状況でもなく……多くの村人が食い殺された後だった。せめて被害を最小限に止めるため 村長は家という家に火を放ち、故郷を捨てた」
 それが十六よりも若い頃だと言う。哀れにの言葉をユフィがかけるよりも先に、ヴィンセントは「当時はよくある話だった」とフォローした。
 だから特別なことでもなかったし、後に聞いた話では周囲の村も同じ年に地図から消え去っていた。村を捨てた近隣の人々が集まって獣すら近づかないようなさらに過酷な環境に作り上げた街こそがアイシクル・ロッジ。もともとは冒険家や古代種を信奉する人々がひっそりと隠れ住んでいたその場所はその冬を境にして人口が激増したのだとも彼は説明してくれた。
「前の旅の時は……教えてくれなかったよね」
「それどころじゃなかっただろう」
 ちょうどその頃といえばエアリスが命を落とした直後だったのだ。
 皆が無口を貫いて命の温度を奪って行く吹雪の中をひたすら歩き続いていた時。ヴィンセント自身も当時はあまりにも激しい動揺ですっかり忘れていたと告白する。
「……アンタの家族は?お父さんは無事だったんでしょ」
「世界中を放浪していたからな。そもそも村に不在だった」
「だから憎んだんだ」
「きょうだいと……母親が死んだ。末の妹も生き延びはしたが、永くもなかった。父親があの場にいたからといって何か変わっていたとは思わないが……それでも、私はあの男を心から憎んでいた」
 その蟠(わだかま)りが雪解ける前に父親は死んだ。
「でも神羅に入ったんでしょ? アイシクル・ロッジには?」
「親族もいなかったから行かなかった。貨物船に何人かの同じような者と一緒にミッドガルへ密航した。父親に再会したのはその何年も後、製作所に入ってからだ」
 これで私の話はおしまい。
 とでも言いたそうにヴィンセントはそこで踵を返すと、丘から離れて麓まで降りて行く。「ロッジに当時の墓碑があったはずだ。それを見に行くのが目的の一つだ」と言い、再び海チョコボに跨ってユフィへと右手を差し出した。
「……挨拶 したかったんだね」
「ミッドガルへ行ってからはそれきりだったからな。さて、お前の言う通り少し引き返した場所に集落がある。今夜はそこで休むぞ」
 優しくチョコボの嘴を撫でたヴィンセントは再び鳥を走らせ始める。
 先ほどまでとは打って変わって黙りこくってしまった前方のユフィは時折何か言葉を発そうとして──飲み込むような声が鋭敏になった鼓膜に届いてくる。そこまで気を使う必要もないと言ってやりたかったが、それはそれで気を使われること間違いなしだ。
 二人は無言のまま、小さな集落へ到着するまでひたすらチョコボの背に揺られていた。



 初めてガイアの絶壁を目にした時、こんな場所を登るのかと絶句したことをユフィはよく覚えていた。
 集落で宿を貸してくれた老婆に礼を言った二人はロッジへとそこから一心不乱に進み、ヴィンセントの次なる用事である墓碑見学も済ませた。どうやらミッドガルに行ってしまったヴィンセントはそれを見たのが今回が初めてであったらしく、昔をよく知る老人からの説明を(彼にしては)熱心に聞き入っていた。どうやらその老人は以前隣の集落に住んでいたガキ大将だったらしいが、当然のことながらヴィンセントの正体を老人が見抜くことはなかったようだ。
「バカみたいだったよね あの時はさ」
 意気消沈なんて言葉で表すことができないほどに気落ちした彼らがようやくたどり着いた雪の街で見たものは、更なる絶望へと落ちて行くに易い光景であった。廃家となった科学と自然が一体化した不自然な家屋に残されていたビデオ・テープによって語られた『彼女』の物語。
「最初からこうしていればよかったと?」
「人数的には無理か」
「そうだな」
 ガリアンビーストの背中にしがみついたユフィは以前のように凍死寸前という酷い目に逢うことなく絶壁内部へと辿り着くことができた。
 相変わらず麓のホルゾフは絶壁に向かうことにいい顔をしなかったが、どうだと言わんばかりに目の前で魔獣の姿に変身したヴィンセントの姿を見て閉口してくれた。そのおかげでユフィは赤いマントを借り受けたまま獣のざらざらとした毛皮に包まれて絶壁登頂を達成できたのである。
「……あの時は寒かったね。って アンタに言っても通じない?」
「多少ならまだ寒さを感じる。確かに『寒い』と認識できていたということは相当だったということは覚えているが」
 吹雪に叩きつけられようとも眉一つ動かさない男である。現にライダースーツ一枚だけで絶壁内部といえど氷点下の環境で苦痛一つ見せない彼はごつごつとした岩場を軽々と渡り、ひょっこりと顔を出した不運なモンスターを目にも留まらぬ速さで抜いたハンドガンの銃弾で吹き飛ばした。
「半袖で寒さを感じるって言われても、ね ェッ!」
 膨らんだグレネードにユフィは小太刀を片手に飛びかかり、爆発されるよりも先にその命を奪う。この絶壁を登りきった先にあるのが 竜巻の迷宮。ありとあらゆる方面から心身を揺さぶられた極限状態の果てにたどり着いた、最果ての場所。外気に晒された途端そこは今までのように生気を奪い去る吹雪はなく、ただ猛烈な風が吹き荒れているだけ。太古の昔にジェノバが墜落したという箇所はメテオが落ちて来た後にも星の傷として在り続け、それにめがけて周囲のライフストリームが集まって行くのが目視できるほどだ。
 あの時は何も見えてなかったね。ユフィは何度目かになる同じ内容の言葉を告げてようやくヴィンセントにマントを突き返した。
「全員が自分のことだけで精一杯だったな」
「アタシはお気楽なもんだったけど。ま、でも思い返してみりゃそうだったかもしれない」
 初めて直面した『仲間の死』を乗り越えたつもりになって、クヨクヨと弱音を吐きそうになるティファを励まして、怪しげな言動が増えたクラウドを冷やかして。難しい顔をするシドとヴィンセントの尻を蹴り上げはしたが、ユフィもまた当時は惑っていたのも事実。
「全て過ぎたことだ、考えすぎるな」
「アンタに言われるとか心外なんですケド! あ、ちょっと 待ってよ〜」
 腰に手を当ててむくれて見せたユフィになど目もくれず、ヴィンセントは急な傾斜を頑丈なブーツで滑り降りて行く。岸壁の所々には種々の色をした鉱物が顔を出しており、一見してすぐにそれが希少な天然マテリアの原石だることが分かる。
 勿論ユフィもそれには気づいているのだろう。ヴィンセントを真似て坂道を降るなかあちらを見たり、こちらを見たり。中には今まで見たこともない色の原石まであるものだから、宝石箱いっぱいに溢れるルビーやエメラルドを見た淑女のような瞳で彼女はワクワクした感情を顔いっぱいに浮かべた。
「……言っておくが」
「まだちゃんと精製されてないマテリアは危険、でしょ。アタシもそんくらい分かってるって」
「お前が生きているうちには外れないぞ」
「……成長、し続けるんだよね」
 片手で扱えるような小ぶりのそれではない。ものによっては顔のように大きいマテリアの子供が岩場で眠っている。
「あの傷が完全に癒えるまでは……恐らくは。吹き出し続けるライフストリームによって。だが、二千年経ってもまだあの大きさだ」
「天然もののマテリア、通りで高い訳だよね」
 神羅が作り出した既製品の(ヴィンセント曰く)ガラクタマテリアなどとは比べ物にならない破壊力を持つのが天然マテリアだ。
 召喚獣をはじめとする古代種の叡智が宿されたそれらは世界各地で未だに発見され続けてはいるものの、扱いが非常に難しいため使いこなすためには相当の魔力と技能、要するに才能が必要とされる。幸いにしてユフィはリヴァイアサンのマテリアに関してのみは自由自在に扱うことができるが、他はてんでダメ。しょっちゅう暴発させて味方を巻き込んでいたことは記憶に新しい。
「売り払おうとしても価値の分かる人間も少ない。……色々な意味で手元に置いておくのが順当だ」
「そうだね。ウータイの水神様を売っ払うつもりはないけど、大切にするよ」
 イフリート、ラムウ、シヴァ。それからオーディーンにアレクサンダー、そしてリヴァイアサンその他諸々。
 クラウドたちが旅の途中で手に入れた召喚マテリアは多岐に渡るが、それらをうまく使いこなせたのはエアリスくらいだ。誰かしら大抵は『苦手』な召喚獣がいた。ユフィの場合はリヴァイアサン以外、ヴィンセントの場合はリヴァイアサンのみ。
「それこそリヴァイアサンを売れば祟られるかもしれんな」
 坂道の一番下まで到着するとヴィンセントは周囲を見渡し、魔物の影が見えないことを確認する。ジェノバの気配が消えたためか、それともメテオによってライフストリームのホット・スポットがミッドガルに大量発生したためか。以前よりもモンスターに遭遇する機会は減っていた。
「リヴァイアサンを悪く言うなってーの。自分がうまく召喚できないからってさ」
「……仕方なかろう。私はどうせリヴァイアサンに嫌われている。それに……こちらもリヴァイアサンだけは勘弁したい」
「召喚獣に個人的な恨み?」
「組織的な恨みだ」
 彼はむき出しになっているマテリアに手を添え、そこからライフストリームの流れを全身で感じ取り始めた。
 エアリスが『次』のセトラに選んだのはクラウドでもなければ、マリンでもなく、不老不死の身体とジェノバ細胞に冒された身体を持つヴィンセントであった。星の声を聞き、星の意志を受け取り、星へと声を返す。それら全ての能力を持つのは純血のセトラのみであり、エアリスは声を届けることができなかった。あの忘らるる都で祈りを捧げることでのみ達成はされたものの、その一度だけで終わったのだ。
 そんなものだから、ヴィンセントにできることといえば微々たる行為のみだ。
 ライフストリームそのものであるマテリアから得られるのは星の叫び声、星の笑い声、星の泣き声。言葉にならない感情だけが感情を失いつつある身体へ流れ込んでくるのだ。それを解釈した上で星へ言葉を返すなんて芸当はもってのほか。
「聞こえる?」
「何を言っているかは分からないがな」
 分かったことといえば、彼女がよく言っていた『星の声』が特定人物の声ではないということくらい。子供の声のようにも聞こえ、大人のようにも聞こえ、女にも男にも、老婆にだって聞こえるそれ。そもそもライフストリームという存在自体がこの星を巡り続ける人々の命なのだから当然といえば当然ではある。
「アタシも頑張れば聞こえるかな」
「さぁな。試してみるか?」
「遠慮しとく。……聞こうと思って聞くものじゃないんでしょ? 星の声』って」
 エアリスからたくさん聞いたおとぎ話のようなセトラの話を彼女は思い返した。
 耳をすませば聞こえてくるの。心を空っぽにして、星の中にいる自分の姿を思い描けばスルリと声は勝手にやってくる。だから例えば神羅に捕まったとしても星の声なんて聞こえないのよと。
「あれだけ召喚マテリアを使いこなせるなら素養はあると思うが」
「アンタに言われると嫌味みたいだよ」
「純粋な感想だったのだが」
「そういうところがね。アタシがリヴァイアサンを召喚できるのは……アタシが『ウータイのキサラギ家』だからだよ。そうじゃなかったらきっと、どの召喚獣だって呼び出せないよ」
「……リヴァイアサンが応えるのは主人の声のみ、か」
 ヴィンセントは指先を離し、冷えきったマテリアの表面に視線を落とした。色は、紅。
 きっとこの原石の内側にも星を守るために生み出されたセトラの守護者たちが眠っているに違いない。中でも水神と呼ばれるリヴァイアサンの気性はとてつもなく荒く、ウータイの洞窟に祀られていた。あれは国の守り神であると同時に愚かな行為にでも走れば国を一飲みにする大海衝を呼び出す裁きそのものでもあるのだと。
「随分知った口聞くじゃん」
「昔あの召喚獣には痛い目に遭わされたものでな」
「あぁ、だから『組織的な恨み』って訳?」
「ウータイに出兵した時、『アレ』に部隊を壊滅させられた」
「あらま」
「ウータイ側からしてみれば当然だがな。先に攻め込んだのは神羅だったのだ……あちらを恨むのは筋違いではあるが」
 今からもう何十年も昔、ユフィだけでなくバレットが生まれるよりも前だったかもしれない。それくらい過去のことをヴィンセントは少しだけユフィに教えてやった。
 魔晄炉建設を名目として独立国家であったウータイに攻め入ったのはプレジデント・神羅のあまりに愚かな策であったと。当時戦力となったのは警察課の連中たちだけで、水面下で進められていた私兵団は誰一人として出兵しなかった。せいぜい銃を持った破落戸としか戦ったことのない烏合の衆を率いたのはタークスであった若き日のヴィンセント。おかしなことに戦力となりそうな優秀な同僚は招聘(しょうへい)されることもなかった。
 おかしい、と分かったのは全てが終わってからだったと。
「最初に神羅が攻め込んだ時、ウータイが勝ったってアタシは教えてもらったよ。……リヴァイアサンが守ってくれたって」
「自発的に召喚獣が現れるはずもない。あの時は……ウータイの戦力も何一つとして分かっていなかったのだ。だから神羅は『捨て駒』として最初に警察課を投入した」
「……じゃあリヴァイアサンが全部呑み込んだっていうのは……」
「兵士でもない、ただの治安維持の警察だ。……私たちも戦争屋ではない。それでもプレジデントは我々に可能な限りウータイ側の戦力削減とその実情偵察を命じてきた」
 数多くの歳若き社員が死んでいった。
 当時の領主がリヴァイアサンを呼び出し、全てを流し消してしまったあの戦いのことを忘れたことはないとヴィンセントはゆっくり立ち上がり、朝か夜かの判別すらつかない靄がかった空を見上げた。「あの敗走を機に神羅は軍備を増強し……同時にソルジャー計画を発案させた」
「ソルジャー計画って……つまり」
「後にジェノバ・プロジェクトと呼ばれることになる計画だ。ガスト博士がジェノバを発見するまでは魔晄の照射のみであったが、その後はお前もよく知っているだろう」
「……神羅が軍隊になって攻めてきてからは二十年以上は防戦一方。最終的にはセフィロス様の登場で終戦、だよ」
「その最初の捨て駒が我々だった訳だ」
 だからリヴァイアサンは好かん、と最初の話題に戻ってくる。
「アタシが聞いた話だと……神羅の奴らは負けが決まってるのにリヴァイアサンに突っ込んできたってことになってるよ」
「部隊の撤退が終わるまで大海衝を起こされる訳にもいかなかった。時間稼ぎでもなければ真正面から戦おうとはしないさ」
 それこそ数日前に仕留めたミドガルズオルムよりも巨大な体躯を持つ海龍に立ち向かおうだなんていう無茶はよほどではない限り思いつかないはずだ。滑らかな鱗を持つ海の覇者は星を救う旅において何度か世話になってはいるが、どうしてもあれが現出した瞬間には身の毛のよだつ感覚が身体から離れないと彼は言った。
「珍しいね。……ヴィンセントにそーゆーのがあるって」
 好きとか嫌いだとかいう感情からは程遠い男だ。
「リヴァイアサン以外の召喚はできるが、それでも私にも得手不得手はあるぞ」
「そうなの? どれも一緒かと思ってた」
「バハムートの類はクラウドに懐いているだろうし……テュポーンはシドを気に入っている。私が不自由なく扱えるのはアレクサンダーとオーディーン、あとはせいぜいチョコボだ」
「だけど最後はフェニックス使ってたじゃん」
 星の体内にてセフィロスとジェノバが融合した面妖な魔物を相手にした時、ヴィンセントは俗に言うファイナル・アタックにフェニックスを選んだ。それまではむしろあまり使おうとはしないその召喚獣のおかげでクラウドたちは形勢逆転のチャンスを掴んだことは事実だが、ユフィは首をかしげる。
「戦況的にあったほうがいいと思っただけだ。そうでもなければ選ばない」
 相手を屠り攻撃するだけであるならば、それこそ斬鉄剣で十分。「オーディーンならリヴァイアサンを相手にしても互角以上に渡り合える」という言葉に彼女は何度か瞬きしてから、合点がいったという表情を作った。
「それも戦争で?」
「それくらいしかリヴァイアサンを食い止める方法が思いつかなかった」
 ユフィ自身はニブルヘイムの神羅屋敷を探索していないが、クラウドが言うところによればヴィンセントが己を封印するために選んだ地下室の鍵が隠されていた金庫にオーディーンのマテリアも隠されていたそうだ。まるで金庫自体を封印するかのように、宝石箱を彩るきらびやかな飾りのように。
「あのマテリア、アンタのだったんだ」
「私物ではない。所の備品だったが……ニブルヘイムまで持ち逃げした」
「うわ、不良所員じゃん」
「どうせ天然の召喚マテリアを使いこなす人間なんぞ数えるほどしかいなかった。なくなったところで特に問題もない」
 神羅製作所の時代にはいくつかの天然マテリアが保管されていた、と彼はその場に腰を下ろした。自然と隣にユフィも座り込む。
 空に浮かぶオーロラの色は、紅。
 靄が風に誘われて消えていった中から顔をのぞかせた血色のようにはっきりと赤く輝く極光に混じって魔晄の色をした光の帯も現出する。捻れ、唸り、交わっていく。幾重にも漂う色鮮やかな極域の光は光のカーテンとって、月のカーテンとなる。
「……クラウドにあげちゃっていいの?」
「どうせお前が管理するんだろう」
「別に誰が持つとかじゃなくてさ、アンタのマテリアだったんでしょ」
 旅の途中で拾い集めたものではなく、もともと彼が持っていたもの。
 それはユフィにとってのリヴァイアサンであり、エアリスにとってはホーリーを呼ぶ白マテリア。ケット・シーにとってあやつるのマテリアだとか、そういった類の私物だ。しかし物への執着を人間としての肉体と一緒に捨てて来てしまったヴィンセントは軽く首を横に振るだけだ。
「召喚マテリアが必要にはならんさ。そうなった時に……借りにいく。売らずに預かっておいてくれ」
「売る訳ないって言ってるじゃん。ヴィンセントがそれでいいならいいけど」
「私が持っているよりは役に立つはずだ」
 彼が持っているマテリアといえば、人工マテリアばかりだ。内なるモンスターの力によって溢れる魔力を持つ彼にとってはマテリアの質など大した問題ではない。魔法を発動するだけならばどんな質の悪いマテリアでもいいが、逆に人ならざる魔力にマテリアが耐えられなくなることもある。咄嗟の判断で魔法を放つと大抵魔力を籠めすぎてマテリアを木っ端微塵に粉砕してしまうものだから、彼はガラクタをたくさん持ち歩いていた。
 それらのうちの一つを取り出し、くすんだ輝きの冷気を纏う珠玉を月光にかざした。
「並べると全然違うね」
「色も輝きも何もかもだ。……紛い物とはいえここまで『似せた』方が賞賛すべきことだろう。神羅の技術は大したものだ」
「っていうかそれ、もうヒビ入ってるじゃん」
「あと一回は使える」
 物持ちがいいのか悪いのか。床に落としたビー玉のようにピシリとヒビが走り回るマテリアはそれだけで独特の美しさも持つ。無傷のままでは輝きの足りない贋作でも死にかけた姿ともなれば鑑賞には耐えうる。
 男は再びそれをベルトに繋がった小さなポーチに押し込み、膝に手をついて立ち上がった。「行くぞ」という声でユフィも立ち上がるが、数瞬してから口を開く。
「帰るの?」
「まだ来たばかりだろう。先に進む」
「……あの壁は?」
「突破できるか試してみる価値はある」
 吹きすさぶ強い烈風によって形作られた障壁は人間一人の体重など物ともせず彼方へ吹き飛ばす力を持つ。
 ヴィンセントがそれを覚えていないはずもない。それでも彼は命をも切り刻む突風の方へと歩いて行く。お前はここで待っているか? なんて聞かれたユフィも大人しくしてなどいられない。
「フェニックスの尾でも持って待機しといてあげるよ。流石にアタシ、あの壁もう一度越えようとは思わないし」
「失敗すれば魔物が寄ってくる。気をつけろ」
「はいはい。じゃ、チャレンジいってらっしゃい」
 あの時クラウドはどうやって風の壁を通過していったかはあまり覚えていない。ごく稀に現れる風の隙間を狙って転がり込んでいたような気もするが、目の前に聳え立つ障壁には一寸の余白も見えない。メテオ飛来によってアイシクル・ロッジが寒冷化したこともあり、この極域もまた当時から少しばかり環境が変化しているのであろう。
 気流に混じって入り乱れる雷もかつてより激しくなっている。
「…………これは……」
「無理じゃない?」
「……試してみる価値は……ある、と思ったのだが」
 どこからどう見ても隙はない。あんまりすぎる難易度の高さにヴィンセントも口を半開きにしたまま、むき出しとなった傷を守ろうとする星を少しばかり恨んだ。しかし星が侵入者を拒んでいるのならばそれを無理に突き破る必要もない。
 鼻の先数十センチにまで差し迫った壁を前にし、不老不死の男は溜息を零して諦める。星の意志に背いてまで己の好奇心を満たせばどうなるかは自分の父親がどう死んだかを思い返せばすぐに分かることだ。
「無理だね」
「そのようだ。…………む」
「……あ」
 踵を返そう。
 そう試みた瞬間のことである。
 息を一つつく間よりも早く風の障壁は近づいて来た侵入者に対して防衛本能を震わせてきたのだ!
「ッ!」
「ヴィンセント! うわ、ちょっと うわッ」
「ユフィ、離れろ!」
 彼方から声がする。
 弾かれるようにその場から飛び下がっていくと、突然蠢き始めた風の境界線に巻き込まれたヴィンセントが遥か上空へと吹き飛ばされて行く様が視界に入った。心配すべきなのだろう。が、しかし彼女の口から溢れたのは驚きと呆れが半分半分に混じった間の抜けた言葉だった。
「あちゃあ……」
 だから言わんこっちゃない、と。
 しかし文句を言ったところで状況は変わらない。あの障壁に自ら突っ込んでいなくとも触れてしまったのだ、どこからともなく鳥型の魔物が飛来する。真上に吹き飛ばされていったヴィンセントの姿はユフィの視界から消えてしまい、どうやら折り重なった風の渦の中へと巻き込まれていってしまったようだ。
 たったこの程度で死ぬはずもないが、援護は期待できそうもない。
 吹き飛ばされた際に落としたのはヒビの入った使い物にならない冷気マテリア。それを急いで拾い上げたユフィは冷たい珠の感触を右手で味わいながら、ブリザガを詠唱し始める。下手に森羅万象など使ってみろ、風に向かって撃てばどんな魔物が追加で襲ってくるかが分からない上に──今は彼方空へと飛ばされたヴィンセントが戻って来た暁には小言をもらうのは必至だ。「一撃で十分、だ っつー の!」
 エアロガなんて使われる前に氷漬けにしてやる!
 彼女はマテリアのヒビが球体全体に走っても詠唱をやめず、右手にマテリアを握りしめたまま器用に左手で手裏剣を投擲する。くるくると美しい円弧を描いて空を切り裂き、魔物の翼を裂く合間にユフィは詠唱を完成させた。
 砕けろ!
 叫び声と共にマテリアは砕け散り、宝石のように周囲にカケラを舞い散らせる。安っぽいガラクタと引き換えに発動された強力な冷気魔法は飛行型の魔物を完全に凍りつかせ、手元に戻ってくる軌道の不倶戴天が木っ端微塵に粉砕した。
「……ふむ」
「あ、おかえり」
「助けはいらなかったようだな」
「そりゃこっちのセリフだよ。ボロボロじゃん」
 一体どこまで上空に吹き飛ばされたのかは分からないが、ようやく空から降って来て無様に地面へと叩きつけられるように着地したヴィンセントは身体じゅうを泥だらけにして仰向けに倒れた。
「なかなかいい眺めだった」
「あのねぇ!」
 ヴィンセントでなければ確実に死んでいた。
 服のあちらこちらが引き裂かれ血の跡は見えるものの負傷の形跡は残っていない。ライフストリーム溢れる土地柄のおかげもあってか回復速度はかなりのものらしい。
「悪いがしばらく動けないぞ」
「すぐ動ける方が気持ち悪いっての。とにかく風の来ないところまでは引きずってくけど、いい?」
「頼む」
 急速な肉体の修復は精神に大いなる負担をかける。
 以前の旅では休んでいる暇などなかったため覚束ない足元を隠していたが、今は関係ない。全身を弛緩させ、細い崖道だと言うのに容赦無くユフィに引きずらせた。
「女の子にこんな、こと、頼むな、って の!」
「運ぶといったのはお前だろう」
 口を動かすことすら気怠いくらいだ。マントの裾を引っ張られて首元からずるずると砂利道を背中で味わいながらヴィンセントは低い視点から先ほど彼を吹き飛ばした風の障壁を見遣った。
 あの先には何が広がっていたのか、最早この目で確認することは叶わない。ユフィがこの場にいなければ魔物にでも変身して強行突破できたやもしれないが、それは彼女がいなければという前提だ。いかに臨機応変に動き回れるウータイいちの忍であろうとも少女を危険な目に巻き込むことはできない。
「……不満そうな顔じゃん」
「……見てみたかった、と思ってな」
「怖いとは 思わないの」
 吹き飛ばされた際に見えたヴィンセントの表情は眉ひとつ動かさぬ、氷のように固まっていた。恐怖のひとつも浮かんでおらず、どちらかといてばバナナの皮を踏んで滑った時のような単純な驚き。普通の人間ならば一瞬で命を奪われていたような衝撃でも彼は気にしないのだ。
 最初に滑り降りたマテリアの原石に囲まれた岩場でユフィは足を止めた。
「なぜ?」
「だって痛いじゃん」
「……痛覚もほとんどない」
「そういう意味じゃないよ、このアホヴィンセント」
「アホ……アホで悪いか」
「はぁ?」
 予想していなかった切り返しにユフィは目を丸くした。
「私には守るべき故郷もない、求めるべき財宝もない、ただ……生き続けるだけが旅の目的。その『生存』すら私自身の否応なく定められているのなら……何をしたところで 自由だ」
「……そんなのが自由なの?」
「柵(しがらみ)のないという意味では」
 ユフィにとってのウータイのようなふるさとは遠い昔に燃え尽きた。あの雪に埋まった村の名前ももう忘れてしまったし、同じように滅びた村はたくさんある。そのうちの一つでしかなかった。野へと降りて来た獣たちによって襲われたことすら自然淘汰の結果やもしれないのだ。少なくとも明確に『誰か』によって傷つけられてはいない。
 きらきら輝くマテリアのような財宝を追い求める理由もない。
 あるとすればまだ見たことのない世界の景色を網膜に焼き付けてみたいだとか、太古に古代種がそうしたように生命の慈しむことはできないが、生命の育みを確かめながら歩き続けるか。
「自棄になってるって言うんだよ、それ」
「全てを投げ出せるほどには強くない。……私はまだ 全てから逃げ回っているだけだ。今のお前と同じでな」
「!」
 命を落とす方法ばかり考えて来た。神羅屋敷の地下で殺してくれと声なき叫びを上げ続けたインとヤンの自爆に巻き込まれてみたり、ジェノバに串刺しにされてみたり、(不慮の事故とはいえ)飛んで来た鉄板で首を落とされてみたり。これまで様々な『命を落とすタイミング』があったにも関わらずヴィンセントは星から拒絶され続けて来た。
 だから動きも大胆になる。
「何をしても死なぬなら何でもするだけだ」
 ミドガルズオルムを蒲焼にするだとか、竜巻の迷宮に丸腰で突っ込むだとか。
「そんな自由ならアタシはいらないよ」
「……『自由』の物差しは人によって違う。お前はお前の求める自由であればいい」
「……こういう旅が……アンタには自由、なんだよね」
「お前にとっては違うだろう」
「うん」
 全てから目を背けて歩き続けることを彼女は自由とは言いたくなかった。
「私に付き合う必要はないぞ」
「…………アタシが好きで付いて来てるんだよ。逃げたかった、から」
「そうだったな。……それで、感想は?」
 たった数日間だけの逃避行。
 それだけでもユフィはあまりに十分すぎるほど己の責務から目を背けることができたし、何より彼の旅が彼女にとって未来から目を背けた子供の家出にしかならないことを思い知った。ユフィはヴィンセントの横に転がった。
「……ウータイ帰る」
「そうしたらいい」
「ヴィンセントは?」
「私は私で居付く場所が無いこともない」
「野宿の拠点?」
「そんなところだ。探してくれるなよ」
「……どうせ国に帰ってもアタシはまた世界を見て回るつもりだし、どっかで会えるよ」
「……だろうな。マテリア探しはほどほどにするといい」
「余計なお世話だよ。アンタこそ竜巻に突っ込むのはほどほどにしなよ」
 彼の魂胆は見透かされていた。「そりゃアンタのことだしぶっ飛ばされたあとに魔物に襲われても平気かもしんないけどね」と言い、ごろりと寝返りを打ってつくりのいいヴィンセントの顔に鼻を寄せる。外見上の年齢は三十手前だが、見ればみるほどに長いまつ毛や郷愁を孕んだ目元は歳を惑わせる。
 エアリスのようにパッチリとした瞳ではない。ティファのように美しく滑らかな瞼を描いている訳でもない。クラウドのように凛々しさもなければ──最も似ているとすれば、それはセフィロスだ。切れ長のなかに浮かび上がる濃い紅はまるで清浄なる真水の中心にポツリと落とされた一粒の召喚マテリアのよう。
「リヴァイアサンに宜しくな」
「伝えておくよ。オーディーンと仲良くしろって言った方がいい?」
「揉めると厄介そうだな」
 素直にはなれないだろうが父親という生き物はあまりにも突然ポックリ死んでしまうこともある、だからなるべく孝行をしたほうがいい。私にはできなかったから無理強いはしないが、後悔しないようにしろと。ウータイ大陸には本国以外にも山間部にはまだまだ戦闘民族が住み着いている。ウータイへの帰化を拒むような輩もいるから動向に注意しろ。ヴィンセントはいくつか彼女に『心配性の父親』のように語りかけてやった。
 ユフィの知らない彼女の国の様々なことを彼は教えてやる。
「ほんと、なんでも知ってるね」
「……攻め込むべき国のことは……調べ尽くしたつもりだ」
「そういうこと」
「そういうことだ。だから知識は古いぞ」
「古い分アタシが知らないことの方が多いよ。……そのうち……アンタの気が向いたらでいいからさ。ウータイ来てみなよ」
「……」
 マテリア泥棒だなんて事件がなければ決して近づきたくもない場所だったそこへ誘われ、ヴィンセントは押し黙った。
「あの国を好きになってとまでは言わないよ。親父にも……誰にもアンタのことは黙っとく」
「気が向けばな。……それこそウェポンが「星の敵になったらって?」」
 しばらく前にタークスの連中にへと言い放ったセリフにユフィはくすくすと笑った。
 国へ戻った彼女に待ち受けているのは父親のしみったれた説教と、それからいずれ直面するはずのお世継ぎ問題というやつの前倒しだ。ずっとずっと先の見えない将来にしかないと決めつけている来るべき問題から目を背けたくなってこんな世界の果てまでやってきた。
 そうして逃げても結局何一つとして変わらなかった、それがユフィの結論である。
「やっぱ逃げるの、アタシには似合わなかったな」
「そうだな。……とはいえ今決めつける必要もなかろう。また逃げたくなれば逃げればいい」
「その時はまた付き合ってくれる?」
「ミディールとコスタにも用事があると言っただろう。それに急ぎはしないが……調べたい場所も世界中にいくらでもある。どうせ私に与えられた刻限は長すぎる、星が死ぬまでに達成できればいい」
「アタシが生きてるうちは『用事』、たっぷり残しておいてよね」



終編:あるはれたひに故郷にて


 時節は卯月、聳え立つ塔の色は紅。
 ユフィはヴィンセントにオーディーンのマテリアを手渡した。
「……君が持っていろと言っただろう」
「この国にはいらないものだから。アンタに返すよ」
 ウータイの守護神であるリヴァイアサンに剣を向けた死者の神はこの地に不必要だと。
 平穏は戻りつつあると彼女は教えてくれた。あの竜巻の迷宮からアイシクル・ロッジに戻る最中でユフィはずっと「早く帰りたい」と言い続け、雪の中で待ちぼうけを食らわされていた海チョコボの機嫌を取りながらあっという間に消えて行った。その後のヴィンセントと言えば、言葉の通り再び世界を彷徨った。宛てもなく道もない道を。
 やはり死ねない、というのが結論だったがそれ以外にも収穫はあった。その土産話を持参してのウータイ訪問である。
「リヴァイアサンがそう言ったのか?」
「……戦争のこと、爺さんたちに聞いてみた。そのオーディーンのせいで……死んだ人もたくさんいたって」
「当然だ。コレは命を刈り取る王だ」
 考えて見れば至極当然のこと。仲間を殺そうとするリヴァイアサンに立ち向かうために召喚されたオーディーンが誰一人傷つけることなく大海衝を食い止めたとは到底思えない。斬鉄剣を振り回し、グングニルの槍をそれこそ雨のように降らせた。召喚獣自身の意思ではなかったとはいえあの王はこの大地を蹂躙した悪魔でもある。ヴィンセントは素直にユフィからマテリアを受け取り、さっさとポーチの中へしまいこんでしまう。
「……ウータイに戻って分かったよ、やっぱりアンタとアタシの『自由』は違うんだって。あん時家出、付き合ってくれてありがと」
「お前が勝手についてきただけだと言っただろう。……だが、見えたものがあるなら……無駄ではなかったということか」
「逃げたのはアタシなのに、いざ逃げちゃうといてもたってもいられなくなったよ」
「それで? ゴドー殿とは話がついたのか?」
 そもそもの発端は世継ぎだとかそういった類の話だったはずだ。尋ねてやればユフィは曖昧にだけ笑みを浮かべ、「結論から言っちゃうと、ついてないんだよ」と言う。
「……でもサ、だからといって別に何もなかったんだよ 何も」
「何も?」
 小さな桟橋にさしかかって彼女は立ち止まり、手すりに尻を乗せて足元に視線を落とした。手に溢れるのは色とりどりのマテリアたち。人工マテリアなどではなく世界各地で見つけた秘密の力を持ったそれらは一つとして同じ輝きなどない。
 コロコロと手の中でそれらを弄(もてあそ)び、
「アタシは結婚しないって言っといた」
「……そうか」
「少なくとも今は親父の跡を継ぐ気もないっても言っといた。そんなことしてる暇があったら……もっと世界を見ていたいってね」
 主になりたくない、なんて声高に叫ぶつもりなどユフィには毛頭ない。キサラギ家のもとに生まれた以上それは最初から宿命づけられているのだから、それこそ『逃れること』はできない。しかし時期は今ではないとあの父親に真っ向から意見を述べたらしい。
 それも叫び声でまくし立てたのではなく、正座して真正面から。
「……お前がそれで満足ならいい」
「遠い未来のこの国のことだけじゃなくてさ、今は……目の前で苦しんでる世界のこと、見過ごしてられない」
 なんとも優等生らしい言葉にヴィンセントは目を丸くした。
「マテリア泥棒がとんだ改心だ」
「アンタだって素性不明の暗いガンマンからは卒業したんじゃない?」
「言ってくれる。……が、私は今も陰湿で陰険のままだぞ」
「そーやってすぐ自虐すんなっての!」
「お前が言うからだ」
「アンタが先に言ったんじゃん! アタシをそこんじょそこらのチンケなコソ泥と一緒にしないでよ」
 怒ったような言葉を並べるがその声音はとてつもなく優しい。
 いつもなら手の一つや二つ、拳骨や行儀の悪いキックが飛んで来そうな勢いのはずだ。しかし彼女にその兆候はなく、むしろ笑っている。変なものでも食べたのか?とばかりにヴィンセントは首を傾げた。
「……何かあったのか?」
 よくぞ聞いてくれました! とユフィは答えた。
「『英雄』なんて柄じゃないって言ったじゃん」
「あぁ」
 真に星を想い戦ったのは死した後のライフストリームであり、今息をして星の上に立っている彼らではない。だからそうした虚構の呼称がどうしても受け入れられないと。世継ぎ云々と共に家出の理由になったことに彼女は言及した。
「でもさ、アタシがどんな呼ばれ方してたって……アタシがクラウドたちと エアリスとしてきたことは変わらない。良くも悪くも過去なんて変えられないよね」
「……変えられる過去など存在はしない」
 それは仲間内できっと彼が一番身に沁みている。
「起きた嫌なことは変わらないけど、嬉しかったことも……変わんないよ」
「……」
「感謝されたんだ。ウータイ戻ってきてから……戦争で家族を亡くしたって人に。神羅のせいで親を亡くしたけど……メテオで子供を失うことはなかったって」
「!」
「昔神羅の召喚したオーディーンに……だってさ。アンタには悪いけど、アタシは……英雄なんて呼ばれて嫌だとかそういうことより 誰かに感謝される。それだけで十分なんだって」
「……ユフィ」
「アタシら いいっぱい傷つけてきたよね」
 神羅だから、邪魔立てするからという理由をつけて。
 誰一人としてその手を他人の血で汚さず駆け抜けてきたなんて幻想だ。ヴィンセントもユフィもジュノンから脱出する際には一般兵を直接手にかけずとも海へ突き落としたり、魔晄キャノン発車阻止のために大暴れしたミッドガルでも取り返しのつかないようなことをした。
「それが分かっているならいい」
 誰かに感謝されるだけでいいと彼女は言うが、誰かに感謝されるだけの存在では決してないのだとヴィンセントは言った。「あまり気負うなよ。能天気な方がお前らしい」
「誰が能天気だよ、って言いたいケド。確かにユフィちゃんがウジウジ悩んでるなんてキャラじゃないよね。そういうのはアンタの専売特許だっていうのにさ」
「……専売特許……言っておくがクラウドもお前の言うところの『ウジウジ』だぞ」
「嘘、マジで?」
「この間シドから聞いた」
「シド?」
 唐突に紅い仲間の口から紡ぎ出された『もう一人』の名前にユフィは驚いた。
「……ロケット村の近くを通りかかったら捕まってしまってな」
 この広い星の中でよりにもよってあの飛空挺パイロットに捕獲されてしまうとは運がない。散々どこに行っていたんだという説教を食らった後(シドが)呑み潰れるまで酒に付き合わされただとか。
「それでクラウドの話が出て来たんだ」
「ティファも苦労しているらしい。あと……あの子供も」
「子供?」
「バレットの養子の……」
「あぁ、マリンね。あの子もしっかり者だよね〜。流石、って感じ」
 そうそう、確かそんな名前。
 何度か顔を見ただけの幼女だった彼女はもう少女と言って差し支えのないたくましさを身につけ、ティファとクラウドを良く助けているらしい。ケット・シーの中身とは会ってはいないものの、カームでミドガルズオルムの塩漬けをきっちり元・部下から受け取ったヴェルドの話では聞いた。蒲焼弁当は美味かった。塩漬けはたんとあるから街中の非常食にできる。泥臭さはあまりなかったがどうせリヴァイアサンで泥を洗い流すなんてバカをしたんだろう、だとか。
 ヴィンセントがユフィに持ち帰った話はどれもこれもがちょっとした『家出』の旅路で起きた些細な出来事の延長戦にあるものだ。
「……そういえばロッジの老人には流石に見破られた」
「ガキ大将だったって人?」
「説明するのも面倒だったので雪崩に巻き込まれてタイムスリップしたと言っておいた」
「なんだそれ! それ、相手は信じちゃった訳?」
「信じる信じないにせよ目の前にいる私はこの外見のままだからな」
 帰られようのない現実を納得するためにかつてのガキ大将はそんなヴィンセントのたわ言を飲み込んだそうだ。「彼も感謝していた、ジェノバ戦役の英雄たちに」と彼は続ける。
「え……」
「ロッジにもウータイと同じような人間がいるということだ。彼の家族は……神羅がイファルナとガスト博士を襲撃をした時に巻き込まれたと聞いた」
「……宝条に、だね」
 彼は頷く。
「それでも彼自身は生き残り……喪った家族のことを誰かに語り継ぐことで『生き延びて』いけると。メテオが落ちてくればそれすらできなくなっていたから……英雄にいつか出会えれば 感謝を述べたいと」
「顔も名前も知らない英雄に感謝、か。……イイネ、そういうの 悪くない」
「個人を特定されない分にはいい響きだ」
 寒村のあの老人も目の前に立っていた時を超えて来た男がその『英雄』だとは露とも思わないことだろう。
 それから、それから。
 竜巻の迷宮を越えてみた。同伴者がいないことをいいことにカオスに変身して星の作り出した防御壁を無理やり突っ切って、立ちふさがる魔物たちは全員谷底へ突き落としてやった。そうして好奇心を満たすために星の力を利用して突き進んだ先に広がっていたのは──
「お前の言葉を借りれば。『何もなかった』だ」
「あの向こう?」
「ウェポンが出て行った時の穴が空いたままだった。当然といえば当然だが……あそこにライフストリームが収束しているらしい」
「中まで行った?」
 星の体内にだって? ヴィンセントは呆れた声を出した。
「流石に私もそこまで愚かではない。魔晄中毒になってミディールに打ち上げられるのは勘弁だ」
「だよね」
 あれは流石に笑えない。
 クラウドのように自我を喪失して車椅子生活になるとまではいかないだろうが、明らかに『面倒なこと』になる結果が見えていることには首を突っ込まなかった。死ねるか死ねないかという意味ではライフストリームに飛び込むことなど無意味だ。死ねない上に厄介なことになること間違いなし。
「……ウェポン探しに古えの森にも行ってみたが、あれは迷うな」
「クラウドも散々迷子になったもんねぇ」
「奥までは行けなかったのが悔やまれるな」
 じゃあそのうちまた行くの、という問いに彼は小さく頷く。
 なんだかんだと後ろ向きな言葉を端から端まで並べ立ててはいるが、彼なりに『旅』とやらを楽しんでいる様子だ。そしてユフィはヴィンセントがウータイの領土に踏み入れたその瞬間から胸に湧き上がった疑問を投げかける。
「……ていうかウェポンが星の敵にもなってないのにホントに来てくれたんだ」
 そんなシンプルな問いに、ヴィンセントは「うるさい」とどこか照れたように彼女の頭に手を置くことでごまかし応えた。



 卯月、紅の日。
 かつて召喚獣たちが人々を蹂躙したウータイの空の下、『英雄』と称される男女は下らない話に花を咲かせ続けた。

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