人の意志


一.


 伝説の巨獣・ウェポン。
 時折ジュノンの上空を遮り、時折ジュノン海近郊を旋回し、時折地上にも現れるという、ソレ。ここ数日の間に緊急アラートが何度鳴り響いたかはもう分からない。度重なるウェポンたちの断続的な襲撃はメテオを叩き起こしたことに対する人類への怒りか、ライフストリームをエネルギーとして絞り取ってきた神羅への怒りかは分からない。なにせ、普通の人間ではコミュニケーションの取れない相手だ。
「ヴィンセント」
「……」
「……水くらい、飲んだ方がいいよ」
「……」
 必要ない、という声ももう出せやしない。
 レッドの話では『あれ』から一週間ほどが経過したという。聞きかじっただけの情報ではあるが、この赤毛の獣は応えることなく死体のように身体を投げ出しているだけのヴィンセントに知りうる全てを教えてくれてはいた。
 大空洞からジュノンへ向かう飛空挺の中でティファが叫び散らして暴れた挙句気を失ってしまったこと、飛空挺の乗組員はシドの顔見知りであったために案外乗り心地は悪くなかったこと。けれどジュノンに到着するや否や仲間たちは引き離され、レッドはこの科学部門の標本室に入れられてしまったこと。ミッドガルの本社でもこんなんだったよ、とうんざりした声音で耳を伏せ、不機嫌そうに教えてくれた。
「でも 生きててよかった」
「……」
「ヴィンセントまで死んじゃったら、オイラ……」
 どうしたらいいんだろう、とレッドは再びうな垂れた。
 レッドたちがジュノンに連れて来られてからもうじき5日ほど。最初こそ一匹ぽっちでこの牢にも似た窓のない独房に押し込められていたものの、(腹時計と眠気から考えると)3日ほど前、このヴィンセントが運ばれてきたのである。彼とは北の大空洞ではぐれてしまったはずだ。
 それがどうしてジュノンに流れ着いてきたのかは全く見当もつかないが、彼はひどく傷ついた状態で床に転がされたまま微動だにすることもなく、レッドは無言の隣人と共に区別のつかない昼夜を越え、今に至る。ただ最初にヴィンセントは掠れた、レッドのような獣の耳でなくては聞こえないような弱々しい声で「クラウドはいない」とだけ呟いた。
 唯一それがヴィンセントがまだ生きているという確信と、同時にクラウドは行方不明のままであるという絶望的な確信的事実を得る手掛かりとなった。
「……」
 それでも男は口を開かない。
 レッドはだらりと投げ出された長い手足をかいくぐり、光のないい瞳を合間から見せる黒い前髪を鼻先でどけ、魔法の攻撃を受けたであろう傷ついたヴィンセントの冷たい顔面を舐めた。武具は当然のことマテリアも取り上げられてしまった今、傷を癒す手段はない。
 不死の身体を持ち、驚異的な再生能力を持つヴィンセントがこうして死んだように転がっているのであれば状態は決していいはずもない。
「オイラたち……どうなっちゃうのかな」
 エアリスはもういない。
 神羅ビル本社で宝条が行おうとしていたような忌々しい実験は行われないはずだが、相手はあのマッド・サイエンティストたちだ。生きたまま毛皮を剥がされるかもしれない。魔物と融合させられるかもしれない。ジェノバ細胞を植え付けられるかもしれない。……あの黒マントのように、今度こそナンバーXIIIという数字が確かな意味を持つようになってしまうかもしれない。
 レッドは不安げにヴィンセントの身体に寄り添い、身を丸くする。
 息づく音も聞こえない。皮肉っぽい言葉でこの最悪にも近い状況を客観的に分析してくれることもない。
 ヴィンセント、と獣はもう一度だけ小さく弱々しい声をあげ、冷たくなった仲間を温めるように目を閉じた。





「……という訳ですよ」
「という訳って」
「信じてくださいとは言いません。言えません。ボクは……裏切り者ですからね」
 ユフィは物言わぬ黒猫を抱えていた。
 ここはアルジュノンだかエルジュノンにある神羅軍兵舎にある営倉だ。訳も分からないまま飛空挺に乗せられ、壮絶な船酔いに襲われ寝込んでいたら到着したのは神羅カンパニー・ジュノン支社。状況を把握するよりも先に飛空挺を降ろされたが、その際にハイウインドの乗組員たちがクーデーターを起こしたのである。
 いつから仕組んでいたのかは分からないが、甲板員が「火事だ!」と叫び、次いでシドが雄叫びをあげて『邪魔者』を全てハイウインドから避難させるかたちで叩き出した。
 その後彼女は仲間たちと引き離され、この狭い営倉に押し込まれたのである。
「そういうコト言ってんじゃないんだけどなぁ」
 そしてその飛空挺ハイウインドはジュノン・エアポートを占領したまま神羅軍が各地へと飛空挺を飛ばすのを阻止している状態だそうだ。
「いくら神羅とはいえハイウインドには手を出せないですよ。あれは神羅が誇る最新鋭の飛空挺ですし、万に一つ排除するとしてもあんなエアポートで爆発されたら大打撃ですから」
「じゃあシドのオッサン、アタシらが苦労してるなか悠々と籠城してんじゃん。ヤな感じ」
「……信じてくれてはるんですよ」
 そこで少女はぎゅっと猫のぬいぐるみを抱きしめ分厚い扉に背中をあてたまま、向こう側から──のぞき窓から見える『見ず知らずの仲間』を盗み見た。
 顔は分からない。けれどその声音は父親よりは若く、しかし青年というには年老いている。名乗るのだけはまだ勘弁してください、とワガママなことを言いながらも彼はその小さな窓からいくつかのカードキーを差し入れた。
「なにこれ」
「それがあれば支社のどこにでも入れるはずです。白いカードが報道陣などに配られる通行証ですけど、細工しておきましたんである程度はどこでも入れます。赤いカードが科学部門、黄色いのが全館共通のセキュリティ・カードですわ。社長室以外ならどこでも行ける、万能カードです」
「ややこしいなぁ。……黄色いやつだけじゃだめ?」
「その黄色いやつ、ボクの名前で登録してあるんですよ。白いのと赤いのは架空のデータから調達できたんですけど、さすがに最高レベルのセキュリティのほうはうまくいかんくて……。なんで、それ使うとボクが出入りした記録が残っちゃいますんで」
 だから本当にどうしてもの時にだけ使ってください。伝家の宝刀やと思って、と壮年の男は扉の向こうで苦笑いの声を漏らした。
「これ使っちゃうと、アンタはクビ?」
「にはならないですけど、ちょっとマズいですねぇ。みなさんと旅、もうできひんかもしれません」
「……じゃあ渡さなきゃいいのに」
「……ボクがいるいないなんかよりもね、みなさんの『旅』が続く方が大事なんですよ。それに、信頼していただくためにできることがこれくらいしか思い浮かばんかったのですわ」
「……」
 ユフィは膝を抱き寄せた。
 名前も知らない、声も今初めて聞いた、無機物の仲間の向こう側にいた人間の声はどことなく重い。
「ユフィさんも見ましたでしょ、あのメテオを」
「……でっかいね」
 ジュノンポートでハイウインドを降ろされた時、彼女が目にした空の姿はそれまでとは全く異なっていた。青空の中に浮かび上がる巨星の姿は絶壁の先で起きた悪夢が現実であったことを嫌でも信じられるほどの説得力を持っていた。神羅はどうするの、と尋ねた声には大きなため息。
「市民を守る義務がありますから、我々には。やれることをやるだけです。……皮肉なもんですよ、かつては対ウータイに製造した兵器が……今はウェポンに矛先が向いている。星が作り出した兵器かなんや知りませんけど、それがこの星に住む人々を傷つけようとしている。もう何もかもグチャグチャです」
「……クラウドのせい?」
「……ちょっとだけは。でも、そもそもの元凶は神羅ですから」
「アンタだって神羅なんでしょ」
「えぇ勿論。ボクの役目はミッドガルを豊かな都市にするため……あの街に住む全ての人々が安全で快適な生活を送れるようことです」
 淀みのない言葉はユフィの神経を逆撫でしたが、男の言葉に間違いなどないのだろう。だからこそ彼はいけしゃあしゃあと言ってのけるのだ。
 神羅カンパニーという会社全てをバレットたちは憎んでいたし、このケット・シーを操っていた男も『裏切り者』であることも間違いない。しかし今となってはそんな個人の立場など関係ない。些細な問題だ。
「……アタシたち バラバラだね」
 はぐれてしまったというだけでなく、心の距離だって。こうも全てが放り投げられたままでは遠く遠く離れてしまったような気分に陥ってしまう。彼はどうなったんだろう、彼女はどうなったんだろう。彼らは、みんなは?
「…………えぇ。バラバラですね、本当に」
「他のみんな、どうしてる?」
 知ってるんでしょう? と聞けば返ってくるのは男の吐息。
「ティファさんとバレットさんは……医務室に運ばれてました。……お二方の目が覚め次第、神羅は処刑するつもりですよ」
「なッ」
 ユフィは大声をあげたが、すぐに男がシーッと咎めるような声で制止する。
「アバランチに全部の罪を押し付けて事態の収拾を図るつもりなんですわ、神羅は。……ボク、それには反対なんですよ、やからこうしてコソコソしとる訳です」
「……ズルいよ」
「えぇ」
「自分でやれっての」
 それだけの権力を持っていそうな立場にいるのなら不可能ではないはずだ。しかし男は力なく返答するのみ。
「……そうですね、ごもっともです」
「いい歳したオッサンなんでしょ」
「…………オッサンはね、勇気のない生き物なんですよ」
 とはいえ彼女自身、それが不可能であることは薄々理解していた。
 ケット・シーの向こう側にいると自称する男が頑として名乗ろうとしないのも保身のためだけではないはずだ。彼には彼の守るべき立場があり、神羅カンパニーという会社に未だしがみついているにも理由がある。それを大人の事情だと、子供の自分には知ったことではないと言うには簡単だ。
「もし、アタシが……みんなが助かれば旅、続けられるの?」
「そればかりは、何も。エアリスさんがいたら言いはるんでしょうなぁ。それはぜぇんぶ、星の導きだと」
「…………アタシは旅、続けたいよ。導きとか、そんなの関係なくってさ」
 自分たちの意志で、自分たちの気持ちで、あの旅の続きを。
「えぇ。ボクもです。ボク個人としてだけじゃなく神羅としましても、旅は是非とも続けていただきたいところです」
「それ本音?」
「当然です。……神羅カンパニーにやれることは……限られすぎています。何をするにも我々は魔晄炉を使う。ライフストリームをエネルギーとして吸い上げ、星を傷つけなければ星を守れない。けれどクラウドさんたちなら。もっと違う方法、考えつくやもしれないじゃないですか」
 今までだってそうだった。
 どれだけの困難に直面しようとも、どうにかして、こうにかして、なんとしてでも力づくで解決してきたのがクラウド御一行だ。ジェノバによるリユニオン現象によってクラウドがセフィロスに引き寄せられていたからだとしても、それを旗印として続けてきた旅の途中で超えてきた数々の困難はクラウドたち自身の力である。
 その結果はとても悲しいものとなってしまいはしたが、まだ 旅は終わってなどいない。
「……レッドは」
「科学部門が引き取って行きました。あぁ、そう。それから……吉報、かもしれないです。ヴィンセントさんも見つかったんですよ」
「えっ」
「……それ自体は吉報、なんですけどね。いつもみたいに傷が治ってることもなく……浜に打ち上げられていたのを地元の方が発見して神羅に通報しはったんですよ。で、そのまま科学部門が回収していきました。…………生きてはるのか死んではるのか、ボクにも分かりません」
 徐々に男の声は沈んでいく。
 把握しきれていないことが多すぎるのだろう。ユフィは言葉を慎重に選びながら、疲れたサラリーマンに質問を投げていく。
「これからどうすんの、アンタ」
「そうですねぇ、まずは宿舎で朝ごはんでもしたいとこですが……ま、そうも言ってられないですね」
「なに、今って朝なの?」
「えぇ。あ……そこ、時計ありませんでしたね、すみません。もう朝の6時になる頃ですよ」
「…………徹夜でオシゴト?」
「はは、最近はようあることです。大丈夫ですよ、隙見て寝てますから」
 眠くなったら適当に微睡んでいたユフィとは違い、この男は今も神羅の社員としてあれこれ走り回る立場のようだ。ゴクリ、と扉の向こう側で何度か聞こえていた音は栄養ドリンクでも飲んでいた音なのだろう。
「もし……また旅、できたとしてさ」
「はい」
「その時はアンタ、またケット・シー? アンタ自身は来てくれないんだ」
 そう言われ男は「うーん」と唸り声を絞り出した。
「ご一緒したいのは嘘偽りなく本当なんですけどねぇ。ボク自身、軍人でもないんで戦うのには不向きなんですよ」
「へっ 神羅軍じゃないの?」
「治安維持部門とかじゃないですよ。……内勤ばっかり、机に張り付いてモニターとにらめっこして、人の命を数字にして戦うのがお仕事です」
「……そっか」
「そういうボクがみなさんに最大限お役に立てるかたちがそのケット・シーなんです。……不義理や言われたら、それでおしまいなんですけれど」
「そうは言ってないじゃん」
「……そのお言葉、嬉しいですよユフィさん」
 拳銃を扱うことくらいはできるが、それ以外はからっきし。
 男がそう告げたところで──突如、ユフィが閉じ込められている営倉の中にも響き渡るような警報と、真っ赤なランプが扉の隙間から差し込んでくる。
「なになに、またウェポン?」
 ここのところ時折鳴り響いていたこの警報はウェポンの襲来を告げる喇叭の音だ。
 するとすかさず扉の向こう側で男のPHSが鳴り響き、慌てた声が聞こえてくる。
「なに、なんやて? 青いの? あー……あれや、サファイアや。社長は迎撃するはずや、住民には絶対外でぇへんように言ってください。今更の避難は逆に危険ですからね。アンダージュノンにもそこは徹底するように。アル・エル共に隔壁上がるんも時間の問題です。……えっ あぁ、捕虜が。はい。じゃあ……そっちも動きますね。タークスはどうしてます? 後ででいいんで把握したら連絡ください。えぇと……まぁ、そんなとこですわ。ハイデッカー統括もスカーレット統括もお忙しそうですしね、ボクが代わりに」
 など。
 マシンガンのように用件を言いつけた男は立ち上がり、ガサガサとポケットの中を探し回る。
「どしたの」
「仰る通り、ウェポンの襲撃です。けど今回はなんや違う……このジュノンにまっすぐ向かってくる言うてますねん。いつもみたいな牽制でもない様子ですね。それからティファさんたちがお目覚めになったみたいで、忙しくなりそうですわ」
「ティファたちの目が覚めたって……」
 男の説明を聞く限り、それが意味するものは。
「えぇ。スカーレットはこんな状況だろうとパフォーマンスが好きですからね。処刑ショーは強行しますよ。……そこ、少し離れててください」
「えっ」
「戦闘状態になるとここからは出られなくなりますから。……一か八か……です、 よッ と!」
 それ!
 男が声を上げると同時に、扉の端からドン! と大きな音と白煙が立ち上がる。
「ちょっと!」
「さっきのカードあったらどないかなります。お願いですユフィさん、他の人を頼みます!」
「はァ?」
「いやぁ、ほんますみませんならせっかちなご主人で。せやけどど〜しても、猫の手も借りたい状態でして」
 答えたのは人間ではなく、抱きかかえていたケット・シーだ。
 ぱちぱちと何度か糸目を動かし、目をこすり、まるで眠っていたかのように両腕を伸ばした猫は「今がチャンスですわ」と言った。
 バタバタとぐらつく扉の向こう側では人の気配が去っていく音。やられた、とユフィは緩くなった扉を思い切り蹴飛ばし、真っ暗な中に入ってくる室内灯の強烈な眩しさに視界を奪われながらも廊下に躍り出ると、去っていくスーツ姿の背中に向かって大きな声を投げつける。
「コラ! 今度会ったらただじゃおかないからな! コンニャロー! ……気をつけろよオッサン!」
 顔も名前も知らないが、話が本当であればユフィに託したジュノン支社のカードキーはせめてもの信頼の証なのだろう。
 仲間たちが捕らえられているであろう場所に入るためにはこの黄色いカードは必要ないはずだ。それでも彼自身の所持品であるカードを渡して来たということは、神羅カンパニーの社員としての命を預けたにも等しいということ。
 出し抜かれたという苛立ちと、けれど同じくかつて裏切り行為を働いたユフィにすらこうしてリスクを冒してくれたのだという小さな喜びに彼女は口の端を持ち上げた。
 ケット・シーはそんなユフィの肩に乗る。
「まず装備の回収行きましょ。ここの地図はボクが全部把握してるんで、ナビゲーションはおまかせでっせ」
「……言いたいことはいっぱいあるけど、それは全部後回しにしてやるよ。任せるよケット・シー!」
 狭い独房に押し込められて凝り固まった体をほぐすようにユフィはその場で膝を曲げ、伸ばす。
「はいな。ティファさんたちはボクがどないかさせていただきます、ユフィさんは……」
「科学部門。で、待ち合わせは……シドがいるエアポート! でしょ?」
「その通りですわ。いやぁ、お話がはようて助かります」
 ケット・シーに導かれ、ユフィは軽やかな足取りで非常等に照らされた廊下を進む。
 そこを右、左、突き当たりは右に曲がってまっすぐ。奥から二番目の部屋に没収した武具類は、と猫は指差した。
「あった! ……よし、みんなのぶんもあるね」
 グローブに義手用のマシンガン、戦闘用のコームに……それから手裏剣、バングル。ピストルは見当たらなかったが、ユフィはそれらを持ち上げようとして──やめた。
「ユフィさん?」
「これ、アタシが運ぶの無理じゃない?」
「あー……やっぱそうです?」
「やっぱって、アンタねぇ」
 バレットの銃器が何せ重い。
 するとケット・シーは荷物の中からガサガサと緑色のマテリアを取り出し、それを肩からかけた可愛らしいメガホンの穴へと押し込む。
「僕がバレットさんたち助けにいきますんで、これはお預かりしますわ」
「持てるの?」
「そりゃ、そのままでは無理ですさかい……これを こうして、こうして、っと!」
 はいオッケー!
 ケット・シーは先ほどのマテリア──重力属性のそれを用い、バレット愛用のマシンガンを頭上に浮かばせた。重力魔法はヴィンセントの十八番だったが、どうやら見よう見まねでケット・シーが練習していた成果が花開いたらしい。
 猫だって芸覚えるくらいできまっせ! と胸を張るケット・シーにユフィは首を傾げた。
「それ、ずっと維持できんの?」
「……ボクがぺしゃんこになるまでにバレットさんと合流するプランなんですけど……」
「だよね。ま、頑張って。アンタはご主人様の手回しがあればカードキーとかいらないの?」
「嫌な言い方しはりますなぁ。でもその通りですわ。ボクはうまいことご主人と潜入して処刑、どうにか止めてきますんで……」
 任せてよ。
 ユフィは腰に最低限の回復薬が入った雑袋をぶら下げ、レッドのコームをその中にねじ込んだ。左腕にいつも装備している大振りな装甲をベルトでしっかりと止める。幸いキサラギ家から持ち出して来た高価な小太刀も無事だ。あまり武具に頓着はないが、自身の過失で失くしてしまうと夢見が悪い。
「で? 科学部門、どっちいけばいい?」
「メインストリートに出たら、シスター・レイの……でっかい砲身ある方角に行ってください。非常口さえ見つけられれば白いほうのカードで通れます。あとは普通の会社ですから、表示がありますんで。確か……科学部門のフロアは半地下です、入ってすぐの階段降りてください」
「オッケ。ここは名誉挽回のためにもユフィちゃん、頑張っちゃうからね」
「ボクもこういうとこで点数稼がなきゃいけませんからね。では、お気をつけて」
「そっちもね。……『オジサン』も、バレないよううまく立ち回りなよ!」
 誰に何をかは知らないが。
 重たく不釣り合いなほどに大きい武器袋を頭上に浮かせたままケット・シーは小さな歩幅でドタドタと走り去っていく。その後ろ姿をしっかりと見送ったユフィも後を追うように身を屈めて走り出す。
 身体はバキバキだ。
 長時間同じような体勢でいたからだろう、肩を回し、屈伸すれば関節が可愛らしい音をあげる。ここでポイント稼ぎしてマテリアかっぱらったぶんどころか上乗せで点数もらえないかな、なんて。
 全くもって根拠のない自信を抱きながら、警報鳴り響く鋼鉄の廊下をユフィは走り始めた。





「……おかしい」
 レッドは微睡みから覚醒し、身を揺らす地響きに頭を惑わせた。
 ここに連れてこられてから何度もアラートを聞き、その度に外を兵士が慌ただしく走っていく足音は感じていた。だが今回は些か様子がおかしいようだ。騒がしい兵士たちの声と共に、ガタガタと建物全体が音を立てている様子もある。
 ヴィンセント、と相変わらずものも言わない隣人の方に視線を投げてはみたが反応はない。
 立ち上がり、四つ足を踏ん張ってレッドは身体をほぐす。
「……」
「……実は起きてる……とか、ない よね?」
「……」
 返事はない。
 レッドは前足で勢いをつけるような動きをし、喉を反らせ高らかに叫ぶよう天を仰ぐ。
 これが神羅の予期しない大きな混乱だとすれば、なんとしてでもこの機会を逃さず脱出しなければならない。何をどうすればうまくいくのかなんて分からない。何せ、仲間が今どうしているのかもレッドには把握できない状態だ。辛うじて緊急配置につく兵士たちの雑談を拾ってなんとか状況を把握するのが精一杯。
「出るなら……出るなら…………ってオイラ、ここ 出れるのか……?」
「んな訳ねーだろ、と」
「…………誰?」
「いや誰、って」
 ひっでぇな。
 レッドはピーッという電子音と共に突然開かれたドアの先にふてぶてしく立っていた男を見上げた。
 見覚えがある。
「レノ……?」
 立っていたのは不敵な笑みを浮かべる『敵』である赤毛の男。神羅の社員証を首からぶら下げたサラリーマン・総務部のレノだ。
「そ。ほら早く出るぞ。さっさとしねぇとどさくさに紛れらんねぇよ」
「……どういうことだよ」
「どういうこともクソもねぇって。……ところでコイツまだ生きてんのか?」
 レノは疑問に満ちた瞳でこちらを睨みつけてくるレッドを無視し、床にへばりついたままの身体を無理やり引き剥がした。死体のように重たい上背のある男を背負うのは骨だが、この際文句は言ってられない。よ、と勢いをつけてレノはヴィンセントの薄っぺらい身体を両方の肩に担ぐと、その焼けただれた顔を見て「うえっ」と声をあげた。
「ひどい怪我なんだ。でも……」
「分かってるぞと。こんなことで死ぬような奴じゃあないだろ。……走れるか?」
 その声に獣は喉を鳴らし応える。
「当然」
「なら話は早い。つべこべ言わずに行くぞ」
「……信じて……いいん、だよ ね」
 数歩歩いてから立ち止まり、確かめるようなレッドの言葉にレノは息を吐いた。
「そりゃ、お前らなんぞ神羅の邪魔ばっか。これを機に全滅していただくのが一番ではありますけ、ど、ね」
「けど?」
 でも。
 でも、と赤毛の男は呟いた。そうしてやりたいのは山々だ。会社としても彼ら一行の存在は障害でしかないし、個人的にも恨みがある。ミッドガルで何度も叩きのめされ、短期間であろうともイリーナという新人にエースの席を譲る羽目になったのも彼らのせいだ。のんびりミッドガルで古代種のお姫様を観察する日々を壊したのも、あのソルジャーを自称した正体不明の男。
 そもそもこの未曾有の大混乱を引き起こした諸悪の根源でもあるあの男。その仲間御一行ならここで退場していただくが世界のためだ。
 だが。
「ここでお前ら見殺しにしたら……エアリスに怒鳴り散らされちまう」
「!」
「お前らだけのお姫様じゃないんだぞ、と」
 理由はそれだけで十分、それ以上は必要ない。
 レノは一度ヴィンセントの身体を背負い直すと、ドアの外に置いてあったアタッシュケースを片方の手にぶら下げて走り出した。科学部門のフロアは地下一階。余計なことに気を取られなければすぐに脱出できるはずだ。
「レノ」
「ん」
「……ありがとう。オイラたちのためじゃないって分かってるけど……お礼は言わせて」
「…………今日のレノ様は慈悲深いからな。受け取っておいてやるよ」
「でもレノ、お酒臭い」
「じゃあれだ、こりゃお酒に酔っ払ったオレの気まぐれ、ってことで」
 どうとでも、とタークスの男は曲がり角に遭遇するたびに兵士の影がないかを確認し、それから移動する。
 右、左、それからもう一度右。
 何度目かの角を曲がり終え、ようやく階段まで辿り着いたレノはそこで足を止め、ゼーハーとあがりきった息を整えようとした。段に座り込んだ彼は「やっぱ重てぇな」と呟いた。いくら身長にしては細身とはいえ力の抜けた人間を一人担いで走れる距離には限度がある。タークスとして特殊な訓練を受けてきているとはいえ、ソルジャーのように生体強化されている訳でもない。
 あと30秒だけ休憩させてくれ、と彼が言おうとしたその時のことだ。
「いた!」
「ッ やっべぇ見つかっ……た…………なんだ、忍者娘じゃねぇか、と」
「は? なんでアンタがいる訳?」
 レノたちの前に現れたのはユフィである。
 ちゃっかり自分の武器防具は奪い返したのであろう、フル装備の彼女は目を見開き、へ? と何度も素っ頓狂な声を上げた。
「ユフィ。レノが手伝ってくれるって」
「なんで」
 はい、これ。
 ユフィはレッドのたてがみにコームを突き刺した。
「なんでもいいーだろ。……ところで、いい加減狸寝入りは終わってもらえませんかね、と」
「……は?」
「……いつから 気づいていた」
「そりゃあ最初から。アンタのお望み通りここまで連れて来てやったんで、後はご自分でよろしく頼めませんか」
 レノの芝居掛かった言葉にユフィとレッドは顔を見合わせたが、赤毛のタークスに先ほどまで背負われており、今は階段にだらりと転がされていた男が目を開けた。バサリと長い髪の毛が顔面を横切り、いつも以上に細くなったようにすら見える腕を支えに上体を起こす。
 端正な顔は魔法による攻撃を受け大きな傷が残り、いつものような涼しげな表情の面影はどこにもない。
 アンタ起きてたのかよ、とユフィは思わず叫び声をあげそうになるが、レッドが「ユフィ」と声を上げる前に窘(たしな)めた。
「……外は」
「お祭り騒ぎ。軍はウェポン相手に四苦八苦、ハイデッカーのオッサンもケツに火がついたのか既に火だるまか、オレらにはなんの命令も下されてなくてね」
「……」
「……誰の命令された訳でもねぇよ。勘違いするな、と」
「まだ 何も言ってないだろう」
「言いたそうだったんで。……それから、これ」
 するとレノはアタッシュケースを一つ、ユフィの目の前に差し出した。レッドを迎えに来た際から持っていたものだ。
「なにこれ」
「持ってけ」
「?」
「そこにいるアンタのお仲間さんの荷物だぞ、と。やるこたぁやった。そこのドアを出れば晴れて外の世界。……オレの役目もここまで、だ」
 どうやら役者も揃いつつある。ならばレノの出番はこれでおしまい。ルードは今頃ケット・シーとその中身がうまいことスカーレットが行うアバランチ・メンバーの処刑を発表する記者会見場へのルートを確保しているはずだし、イリーナはあれやこれやと持ち前のハッタリには向いているハキハキした『それらしい』口調でエアポートまでの道に待機している神羅兵を散らしている、はずだ。
 ここでレノたちが選んだ道は神羅カンパニーへの裏切りには他ならないやもしれない、が。
「……礼を言うべき、やもしれないな」
「……アンタからはいらねよ。……お前らは……チッ。やっぱやってらんねぇな」
「レノ、さっきから何言ってんだよ」
 ぐったりとしたヴィンセントに向かってレノは大げさに舌打ちをする。
「ハラタツ、ムカツク、お前らなんか大嫌いだぜ、散々邪魔しやがって。……クラウドのヤツも放置しやがって。その結果がこのザマだ」
「……」
「ちょっとレノ、」
「言わせておけ ユフィ」
「でも……」
「そういうところがハラタツんだよ、テメェらは。……ったく、誰かから命令でも受けてりゃこんなこたぁしなくてよかったのにな」
 あーあ、と苦虫を噛み潰したような表情は得意げないつもの表情からは遠い。
 指揮系統が無能なハイデッカーに移されてしまった今、どう考えたって緊急事態である今現在にもタークスたちには待機命令が敷かれたままだ。捕虜を監視しろとも、神羅軍のバックアップしろとも、たったその一言すらも命じられていない。
「……命令がなければ 何をするにも迷うのか」
「ッ んだと」
「……帰って社訓でも読み返していろ、新入りが」
「……あん?」
「迷った時は……立ち止まれ。足元を見ろ 答えは……すぐ そこにある」
「…………そりゃ、ありがたいお言葉で」
 ピクリ、とレノは眉毛をひくつかせた。
 ヴィンセントという男がタークスとして生きていた時代が今よりも血生臭かったことはレノも知っている。が、だからといって『新入り』扱いされるのも釈然としない。この男が一体いくつの頃から神羅に身を置いていたかなど(調べれば分かるであろうが)興味はない、知りもしない。だが十代半ばの頃から既にタークスとして腕を磨いてきたレノと、二十代後半にして人間としての命を落としたヴィンセントではタークスとして走り回った年数とてそこまで変わらないはずだ。
 その後数十年もただ眠っていただけの男にこんな非常時ですら先輩ヅラをされるのは気に食わない。
 しかしレノはこれ以上聞いても無駄であることは理解しているかのように追求は避けた。聞いた相手も、聞いた内容も間違いだ。そんなことは誰かに教えてもらうようなことでもないのだから。
「でも、こんなことしてレノは大丈夫なワケ?」
 そんな心情など知りもしないユフィは無邪気に声をかけた。
「……監視カメラは細工した、誰も映ってないはずだぞ、と。ここに来る前どうやら宝条博士のモンスターが脱走したやらで警備配置の兵士はてんやわんやだしな」
「……宝条のって……普通のモンスター? それとも……」
「考えたくもねぇ。ともかく、ここにて俺はおさらばだ。この後テメェらが死のうが生きようが知ったこっちゃあないね、義理は通したぞ、と」
「義理?」
 ユフィはアタッシュケースの中身を開こうとしたが、ダイヤル式のロックに引っかかり「ちぇっ」と舌打ちした。
「今はどうでもいいだろ。……忠告しとくぜ、クラウド一味」
 するとレノは歩き出す。
 重たい非常扉に手を掛け、息を吐きながら。「例えここから出られたとして……お前の仲間たちが全員無事だったとして……そんでもってクラウドが見つかったとしても、もうどうにもなんねぇぞ」と。
「……どういうことだよ。っていうかクラウドは?」
「残念ながら嘘偽りなく答えると、神羅も行方を掴めちゃいねぇ。……意味は分かるだろ、なぁ 先輩サンならよ」
「……もう神羅にクラウドの利用価値はない、か」
「ご名答」
「だから、それがどういうことだって」
「言葉の通りだ。クラウドはもう用済みってことだぞ、と。じゃ、助けたからにはここでは死んでくれるなよ。……寝覚めが悪くなる」
 心配してくれてんの? と聞くとレノは思い切りあっかんべと真っ赤な舌を出した。
 それくらいが精一杯の強がりだ。これ以上ボロを出して先輩サマにあれこれ嫌味を言われるのも満更御免被りたい。
 やるべきことはやった。レノはそのままヴィンセントを助け起こすこともせず、踵を返す。本当にただの気まぐれでしかなかったのか、レッドが耳にしたようにエアリスへの罪滅ぼしのつもりか。神羅のいち社員として責任を感じたのか。いずれにせよ、ここまできてユフィたちを罠に嵌めるつもりはなさそうだ。
「いっちゃった」
 トボトボと背中を向けて去っていくレノを見送り、ユフィは肩を竦めた。本当に懐が読めない男だ。
「放っておけ」
「……お歳暮くらいは送ってやってもいいカモ」
 なにそれ、と尋ねたレッドの鼻をユフィは撫で、ヴィンセントに「立てる?」と問いかけた。
「なんとか」
「ナントカね。とにかく外、出よう。ここにいてもどうにもならないし」
「オイラも賛成。とにかく地上へ行こう」
 ユフィの声に彼は弱々しくも頷いた。先ほどの『死んだフリ』だって、いつもならば敵を騙すなら味方から、なんてことを言うが今回ばかりは『それ』を選ぶ理由もない。つまるところ、ヴィンセントがどうしようもなく弱っているのは紛れもなく事実だ。
 彼女はヴィンセントの身体を引っ張り上げ、たった数段、されど数段の地上階への階段を上がる。
「……重いんだね」
「悪かったな」
「ううん、そうじゃ なくて……」
「ユフィ」
 人の身体がこんなにも重いなんて。
 ユフィはヴィンセントの方を見ることなく、前を向いて彼を引きずりながら口を開いて続けた。
「ちょっと 安心した」
 彼女は言う。「アンタも……空っぽ、とか 言ってたじゃん、自分のこと。覚えてる?」と。
「……さぁな」
 この命などとうに喪われたに等しきもの、虚(うつろ)の身体に抱くはただ虚のみ。そこには人間の心もなくば、魂もなく。人間の生皮を被っただけの魔物か、或いは腐り膨らんだ肉の詰まった塊か。
 彼は己の命に対してそう定義した。
 見た目からしてちょっと強風にでも煽られればポッキリ折れてしまいそうな細い体躯の男が自分でそう言うのだから、さぞヴィンセントという仲間は軽いものだと錯覚していた。体重などないように自由自在に空を駆け回り、時として人ならざる跳躍力であちらこちらを飛び跳ねる。
 だというのに。
「ちゃんと中身。詰まってるよ。だって こんな……重いもん」
「重ければ捨てていけ」
「バカ」
 そんなこと絶対にするもんか。
 額をつう、と一筋の汗が流れていく。細腕の少女が成人男性一人を抱えて移動するのはたった数十メートルが限界だ。ぜぇぜぇとすぐに息は上がり、肩を上下させながらもなんとか10段にも満たない階段を登りきったユフィを、ドアを開けた瞬間に湿った潮風が迎え撃つ。
「地上だ!」
 鼻先で重たいドアを押し開け、久々の外気に声をあげる、がそれもたった一瞬のこと。
 すぐさま異様なまでに赤黒い空色に気づいた獣は思わず一歩後ずさった。
「……メテオだよ あれが」
「……うん。夢、じゃ なかったんだね」
 どこかあれは悪い夢でしかないと思い込んでいた自分がいた。最悪の状況の中に放り出されたレッドが自分自身に見せた、ただの幻覚だと。だからあの狭い科学部門の一部屋から出れば──もうちょっとマシな世界が広がっているのだと思っていた。メテオが召喚されたことが事実だろうが、クラウドがこの世界からいなくなってしまったことが真実であろうが、いずれにせよ。
 旅の果てにあるのがこんな世界なんて、望んでなんていなかった。
「赤いよね」
「……うん」
「でも ここで考えたって仕方ない。だから……まずは生きてここを脱出する。いいねレッド」
「……うん」
「よっし、いい子いい子」
 ユフィはヴィンセントの身体を半ば引きずりながら軍用車の影に隠すと、息を整えた。ケット・シーが言っていた通り、既に彼女が最初に放り込まれていた営倉のある兵舎には全てシャッターがせり上がり、爆風から守られるように人っ子一人はいれないよう鎖されている。
 つまりそちら側に逃げ道はない、ということだ。
「そういえばユフィ、他のみんなは?」
 レッドは軍用車にもたれてぐったりとしているヴィンセントの頬を容赦なくべろりと舐めた。およそ人肌とは思えぬ冷たさだ。
 その隣でユフィは再び装備を確認し、道具袋に入っているポーションの数を数え始めた。ここからは白兵戦の可能性も十二分にある。彼女は次いでマテリアをバングルに嵌めながらレッドの質問に首を傾げた。
「さぁ。でもケット・シーは無事。中身のオッサンもジュノンにいるらしくてさ、そっちがティファとバレットをどうにかしてくれるって」
「会ったの?」
 ケット・シーの本体と。
 そう聞くとユフィは首を振って否定した。
「声聞いただけ。結構自信アリって感じだったけど、自分は戦えないって言ってたからね。ケット・シーだけじゃちょっと不安だし、アタシ見てくるよ」
「見てくるって……」
「そっちはエアポート。シドの飛空挺があるから、それに乗せてもらって。そこまで行けばなんとかなるって猫のオッサン言ってた」
「でも……」
「私のことならどうにでもなる。……ユフィ、そちらは任せるぞ」
「任せるなんて言えたクチじゃないっしょ。ま、生きてたのはありがたいケド……後で聞きたいこと山ほどあんだからな!」
「…………」
「都合悪くなったからって寝たフリしても意味ないからな!」
 ビシッと彼女はヴィンセントの鼻に指先を突きつけた。
 誰の責任かなんて追求する心算(こころづもり)はない。誰が悪いか、なんて。そんなことを今更言い出しても仕方がない。喪われた命は──死んだエアリスは──還ってきたりなんてしないのだから。過去に起きたことを追求するより、未来に起こるであろう惨事を食い止めることのほうが先決。
 ならユフィはもう一度だけヴィンセントの襟首を鷲掴みにし、ぐいと顔を引き寄せてから「逃げんなよ」と脅しをかけた。
「ユフィ、やめなって」
「……アタシだってもう……逃げる気、ないから」
「……いいだろう」
「言質、取ったからね。レッド、ちゃんとコイツが変なことしないか見ておいてよね! じゃ!」
「ちょっと! もうユフィってば」
 返事を待たずに走り去っていったユフィの背中にレッドは声を投げかけたものの、彼女はもう待たない。
 そして困ったものだ、なんて言うヴィンセントにレッドは「誰のせいだよ!」と思わず文句を垂れた。彼女は彼女なりの考えがあって、きっとヴィンセントにも彼の考えがある。要するに、頑固者の集まりだ。柔軟に相手の主張を聞いてくれているように見えるティファだって、亡きエアリスだってそうだ。話を聞いてはくれるが、意見に取り入れてくれるかはまた別。
 そんな自我の強すぎる旅の仲間たちをひとまとめにしてくれていたのがそう、いちばんの頑固者だったクラウド・ストライフという元ソルジャー。
「放っておけ ユフィならうまくやるさ」
「誰のせいだって、もう。でもどうしよう、オイラ流石にヴィンセントは運べないよ」
「言ったろう、どうにでも……なる、と」
「それって…………そう、いう こと。だよね」
 レッドは地面に視線を向けた。はぁ、とため息をこぼしながら。やっぱり今回もこういうパターンだ、いつも通り、無茶苦茶の行き当たりばったり。
 彼の隣で一度見を丸めた仲間は苦悶の声を上げ、嫌な音と共に姿を変えて行く。
「ガァアアアッ」
「……ヴィンセントって……案外人の話聞かないよね」
 はぁ、とレッドは今日何度目かになるため息を落とした。
 全身に雷を纏った巨人の姿へと変貌したヴィンセントは喉を震わせ、身を隠していた軍用車から飛び出していく。どいつもこいつも好き勝手ばかりだ。なんだか真面目になったのかと思えばユフィは勝手に目標を見つけて走り去っていくし、残されたヴィンセントは何を言うよりもまず変身して暴れようというのだから。
 諦めたようにレッドはゆるゆると首を振ってから、地面を弾きのろまなデスギガスと並走し始める。「エアポートだよヴィンセント、そっちでみんなと合流だ!」と告げれば、怪物はこくりと首肯する。一応認識はしてくれているようだ。
「ウガァッ」
「分かった。オイラじゃあ反対から回り込むよ」
 こうなってしまえばもう退くことはできない。騒ぎに気付いた神羅兵の一人に頭突きを食らわせて彼方まで吹き飛ばすと、レッドは景気付けの遠吠えを高らかに響かせた。


二.

「ったく、なんでこんなところにコイツが、いるんだ、よッ! クソッタレ!」
 一体誰の差し金だ!
 シドは無闇矢鱈に槍を振り回した。飛び上がり、急降下し牽制してみても、あまり得意でもない魔法攻撃を当ててみても、相対する魔物はびくともしない。戦闘訓練を受けていないハイウインドの乗組員たちは皆下がらせはしたが、シド一人で太刀打ちできる相手でもない。
 ジェノバ、と。
 その魔物の名前をシドたちはあの旅の途中で呼称してきた。
 見上げるほどの巨体は彼が今まで見てきた如何なる生物とも異なるフォルムを持つ宇宙生物。気色の悪い体色のソレは事あるごとにクラウドたちの前に立ちはだかり──或いはクラウドが呼び寄せていたのか──命のやり取りをしてきた。不気味なソレは寄ってたかって挑んで辛くも勝利したほどの力を持つ。それを分かっているからこそ、シドは下手に動くことはできなかった。
「艇長!」
「てめぇら、いいから引っ込んでろ!」
 パイロットであろうと甲板員であろうと乗組員を一人として危険に晒してはならない。
 ジェノバの巨体を挟んだ向こう側からは神羅兵の慌てふためいた声や、ソルジャーらしき男の怒号も聞こえてくる。つまりこの魔物は予定外に放出されたか、それとも逃走してきたか、或いは天より飛来したか。
 出現方法はどうでもいい。兎にも角にも重要なことは、今のシドにとってこの局面を一人の力で乗り切るのは非常に困難であるということだ。
「なんなんだアレは!」
「科学部門の宝条博士のフロアから脱走したと報告が!」
「そんなことはどうでもいい、『アレ』はなんだと聞いている!」
 と。
 あぁでもないこうでもないと叫び散らす声が聞こえ、そして。


 天翔けるは、雷(いかずち)だ。


 天を切り裂き無数の剣のように降り注いだ高エネルギー体は空を裂き、音を裂き、そしてジェノバのボディをも切り裂いて行く。
 曇天の気配すらない赤い青空の元突如として鳴り響いた霹靂(へきれき)はシドたちの目の前で炸裂し、強烈な白い稲光とともに高温が宇宙生物の身体を灼いた。
「なっ……」
「ガァァアッ」
「てめッ ヴィンセント!」
 無事だったのか! と口にするよりも先に、仲間の魂を抱いた生物は咆哮を上げてドラミングしながら再び頭部に大量の電気を溜め込み始めた。
 全身にボルトが埋め込まれた魔物はゆったりと動きをやめ転回するジェノバに向かって大きな拳を振り上げながら突進すると、容赦なくそれで殴りつける。ほとんどの魔物は『アレ』の直撃を食らえば跡形もなく焼き切れるはずだが、驚異的な再生力を持つジェノバとなればそうもいかないようだ。
 のっぺりとした顔のない頭部がぐるりとボディとは反対方向に回転し、ねじられた先端から細い光線が放たれ、無闇矢鱈に周囲を焼き散らす。
「ヴァァッ」
「やべやべやべやべぇ! リフレク! リフレクリフレク!」
 ヴィンセントはともかくとして、これ以上一般兵たちに被害を出す訳にはいかない。シドは槍を振り回してひたすらに反射魔法を詠唱すると、腰を抜かしてしまっている兵士たちにシールドを張る。なけなしの魔力ではエアリスのような強固なバリアは張れないが、直撃を受けても死なないくらいにはなるだろう。
「シド艇長!」
 言いつけ通り軍用コンテナの陰に身を隠していた船員たちが引火しそうなドラム缶から距離を取ろうとビームが縦横無尽に走るエアポートを逃げ回る。
「だァッ! もちっと考えて動けよ!」
 その巨体を動かしているのがヴィンセントか、はたまた魔物そのものかは知らないが。
 思わず声を上げたシドにそれは応えるように再び飛び上がると、ねじれたくびれに組み付き見ていろと言わんばかりにそれをギリリとねじり切った。
「ガァッ」
「あーはいはい分かりましたオレさまが悪かった……って 後ろだ!」
「艇長!」
「お前らはハイウインド戻れ! 離陸の準備だ! すぐにでも飛べるようにしとけ!」
「りり 了解であります!」
 デスギガスが放り投げた肉片がかたちを変え、槍のような鋭利な形状となって宙空を飛んでいく。
「ヴィンセント!」
 くるぞ!
 そうシドが次いで叫んだ途端、デスギガスは身体を震わせ大きな咆哮をあげた。そしてジェノバの本体に組みついたまま向かってきた槍を片手で受け止めると、あろうことかそれを大きな手のひらの上でもみ転がすように弄ぶ。粘土細工のおもちゃのようにコロコロとそれをあっという間に再び肉塊へと変えた魔物は徐々に手の中で小さくなっていったジェノバの成れの果てを握り潰し、同時にふわりとその場で浮き上がった。
「……脆い」
「ヴィンセント!」
 面妖な巨体の口から漏れたのは間違いなく、ひび割れた仲間の声。「無事だったなら言いやがれコラ!」というシドの声にしかし、ギョロリと向けた目玉は血よりも紅いながらも黄金を帯びており、彼の知るヴィンセントのそれではない。
 恐ろしいほどに低い声は北の絶壁で登った氷壁よりも冷たい。
「本体でなくば意味などない、ただの紛い物だ」
「……なッ」
 口を半開きにしたまま、シドは次いで言葉を紡いだ魔物がジェノバの頭上で再び姿を変えていくのを目の当たりにした。
 質量保存という言葉を完全に無視した現象はあまりにグロテスクで、思わず目を背けたくなるような変化。『ソレ』が変身するたびに身体に起こっているのはかつてはシドと同じ一介の人間にすぎなかったヴィンセント・ヴァレンタインという名前の男。
 あれが 人の為すことか。
 これまで見てきたどの変身よりもおどろおどろしい音を──ありとあらゆる骨と肉が砕け、再び繋がるような──響かせ、無限にすら感じられる長い長い、けれどたった数度の瞬きの合間にデスギガスの姿は悪魔のシルエットとなる。
「……」
 それは仲間と同じかたちをしてはいるが、纏う空気の色は別人のそれ。
「誰だ アンタ」
「混沌(カオス)。人は我をそう定義した」
 くしゃりと握りつぶした長い指をひらけば、そこにあるは虚無。
 ジェノバの肉塊は跡形もなく消え去った。耳を擘(つんざ)くバリバリと破壊オンのする羽ばたきと共にカオスと名乗ったモノは戸惑うジェノバに向かって軽く手を振るった。ほんの一振り、魔術師がそうするような簡単な手の動きから生まれるのは灼熱のフレア。
「……すげぇ」
 思わずタバコを取り落としてシドは感嘆した。
 膨大な魔力が膨らみ、ジェノバの身体はその場で発火する。ファイガのように燃やすのではなく、魔力によって直接内部から灼かれた宇宙人(エイリアン)は為すすべもなくその場で焼き切れていく。人間など一捻りで殺せてしまうような魔物を一瞬で葬り去った翼をもつ悪魔はそして、優雅とも言える動きで朽ちていく魔物に白眼を送った。
「他愛もない」
「カオス……」
「覚えておけ 人間よ」
 カオスと名乗った悪魔はシドを指差した。
 長い指と爪は人間ならざるもの。それで引き裂かれればシドの身体などたった一振りで切り裂かれてしまうほど鋭きもの。いつかゴールドソーサーの花火を見るために特等席まで運んでくれたのはこの悪魔の皮を被ったヴィンセントだった。その時はまだ若干のあたたかさのようなものを感じたはずだが、今シドの目の前に浮かぶソレは違う。
 氷よりも冷たく、炎よりも残酷で、どんなに深い闇よりも更に悍(おぞ)ましい淀みだ。
「……てめぇ ヴィンセントは『どこ』いった」
 負けじとシドは脚を踏ん張り、仲間の何所(いどこ)を問いただす。
「アレは 愚かだ」
 そして長い指をパチンと鳴らす。
 途端にフレアによって黒焦げにされつつあったジェノバを取り囲むように出現した赤い火球が次々に炸裂する。次いで火柱が上がり、シドとカオス、そして神羅兵たちはジェノバを焼き尽くす火柱が立ち並んだ炎の壁によって遮られた。
「愚かだぁ?」
「アレは とうに心など喪われていると信じてやまぬ……愚者」
「……」
 アレとは。ヴィンセントのことだ。
 シドは押し黙り、言い返すことができなくなる。
 カオスの言葉がそのままの意味であるなら、それはシドがこれまでずっと抱いていたモヤモヤした違和感と等しいからだ。ヴィンセントはすでに己の心など壊れてしまったと自称してはいるが、そんなはずはない。シドはそう──シドだけではない、仲間たちはそう思っていたからだ。
「どれほど器たる肉体が壊れようと……我が力を以ってすればいくらでも修復できよう。だが 我は壊れた心と魂を呼び戻す術を知らぬ」
「……アンタはよう、何者なんだ」
「我は 星だ」
「星ィ?」
「天より飛来せし災いによりこの星が終わりを迎える刻……それまでこの器の中で眠るモノ」
 分かり易い言葉で言ってくれねぇかなぁ、とシドはボリボリと後頭部を掻きむしった。
 災い、それはメテオかジェノバか。どちらにせよこのカオスと呼ばれる魔物には独立した高い知能を有した自我があり、星の力を自称する。そしてヴィンセントを『器』と呼び示す。ってことは? と彼は首を傾げた。
「……でも今、アンタ起きてるよな。バッチリ」
「我が完全なる覚醒を迎えれば 器はもう必要ない」
「げ」
「安心するがいい、今はまだ……『その時』ではない。それまで精々この器を殺さぬことだ。器が壊れれば……我は目覚める。それは……」
「星の終わり、かよ」
 星の終わりに目覚めるのであれば逆に。カオスが真の意味で目覚めるその時、星は終わる。
「それは貴様たち次第だ」
「ったく、とんでもねぇこと聞いちまったな。……でもよ、助かったぜ。ありがとよ」
「……なぜだ」
「なぜって、お前さんも心配してくれてんだろ? ヴィンセントのこと。……オレさまたちとなぁんも変わらねぇ、アイツをちゃんと見ててくれる奴がいるって分かったんだ。そりゃあ礼だって言うぜ」
 ケラケラとシドはどこか吹っ切れたように白い歯を見せて笑った。
「……」
 ぷつりと。
 そこで悪魔は口を閉じ、瞼を閉じる。
「うおッ! 逃げやがって、あんにゃろう。そんなとこまでヴィンセントそっくりかよ」
 糸の切れた人形のように上から降ってきたヴィンセントのやたらめったら細い身体を慌てて抱きとめる。途端、再びの遠い地鳴り。
 ジェノバの次はなんだ!
 カオスが消え去ったからか、ブスブスと音を立てていた炎の壁が徐々に姿を失い、ドロドロの塊となって崩れ落ちていくジェノバの向こう側に見えた神羅兵士たちに驚愕の表情を見た。そして数秒の後、エアポート自体がガタガタと大きな音を立てて揺れ始める。ドン、ドンという破裂音、爆発音、閃光、衝撃、叫び声。多くの音が順序を問わず激しく鳴り響く。
「艇長!」
「クソッタレ! ウェポンの攻撃だ、離陸すっぞ! 準備できてんだろうな!」
「シド!」
「あン!? ……ってレッド、お前いたのか!」
「いたのか、じゃないよ! オイラこっち側で頑張ってたんだからね! ヴィンセント、一人で勝手に走り出すし追いかけてたら神羅兵と鉢合わせるしさァ!」
 神羅兵を助ける義理はないが、無意味に命を落とす姿を見ているだけという訳にもいかない。慌てふためく神羅兵の前に立ちはだかって魔力の障壁を詠唱し続けていたのだ。幸いにして背後から撃たれるようなことはなかったが、ヒヤヒヤしたことに違いはない。
 シドの腕の中でぐったりとして動かないヴィンセントの首元に鼻を突っ込んでスンスンと匂いを嗅ぎ、ぺろりと冷たくなった頬を舐めた。
「そりゃ悪かったって。……で?」
「大丈夫。ヴィンセントは気を失ってるだけだと思う」
 少なくとも脈はある。
「じゃああとで説教だな。さ、とっととずらかるぜい」
「他のみんなは?」
「まだだ。だが、待ってられるのにも限度があるからな。いつでも出れるようにとにかく乗り込んでくれ」
 楽天家なシドにしては珍しく、声を落とし、周囲を警戒しながら後ずさった。
 ジェノバの次はウェポン。なら、ソルジャーたちが襲いかかってきたっておかしくはない。当然バラバラになった仲間たちを見捨てる魂胆など最初からありはしないが、それでもこのエアポートに籠城できるリミットはどうやらそう長くはなさそうだ。ミッドガル本社にはほとんど勤めたことのないシドだが、このジュノンとなれば別だ。
 所属こそ宇宙開発部門となってはいるが、このジュノン支社において有事が発生した際の防衛作戦の立案に関わってきた。空の達人ならどう攻め、そしてどう守るか。そんなシドにとってジュノン支社に散らばる仲間たちを回収して離脱するのはお手の物。
「ケット・シーと連絡取れればもうちょっと楽なんだがよ」
「ケット? ユフィが連れて来るって……あ、ほら」
 あれ、そうじゃない?
 ヴィンセントを肩に担いだシドが眼を細めると、確かにエアポートへ向かう出口から見知った小娘が走って来る。その後ろにはこれまた見慣れた日焼けした肌の巨漢。
「よっしゃ。バレットに……ケットもいるな。あとはティファか」
「おーいシド! 大変だ、ティファが……!」
「だァってる。こっからじゃ回収できねぇ、全員乗り込め!」
「でもよぉ」
「バレット! 今はシドに従おう。ティファもきっと助けられる!」
「お、おう……っておい、それヴィンセントじゃねぇか!」
「おう、そのヴィンセントだぜ。説明はとっととあとだ、ほらさっさと走りやがれ! ……クラウドはいねぇよ、ここにはな」
 それが答え。
 更に何か疑問を口にしそうになったバレットはしかし、パイロットの神妙な面持ちを見て「分かった」と短く答えるだけに済ませた。
 そして彼がかついでいる放心したヴィンセントの身体を奪うように預かり、
「パイロットさんよ、信じてるぜ」
 と、やはり眼を合わせることなく告げる。
 直情的に行動することの多いバレットだが、今回ばかりは心のままに暴れたところで事態が好転することなどないということは理解している。シドが口にしたクラウドはいない、という言葉に込められた意味も分かっている。
「出航だ、とにかく出せ、出せ!」
 ソルジャーたちが来る! とユフィの腕に抱かれていたケット・シーが声を上げるのと先ほどバレットたちがやってきた通用口に姿を現したのはえんじ色の制服を身につけた兵士たちである。
「あかん、あれ2NDや! 逃げるが勝ちやで! あ〜いや、待ってちょぉ待てよ。それならボクが……」
「なんだぁ、ケット・シー壊れたのか?」
「……オッチャン、なんとかなるの」
 タラップなんてものはない。縄ばしごを次々登って行く中、仲間や乗組員が全員ハイウインドに乗り込むのが先か、それともソルジャーたちに追いつかれるのが先か。魔法の射程距離に入ってしまったらそれで終わりだ。
「どうにかします。ちょーっくら命令系統壊してきますんで、ボクの体はどうか……」
「分かってる。ちゃんと連れていくよ、絶対」
 ユフィは静かに告げ、黒猫のぬいぐるみを抱きしめた。
 顔を見せないのは卑怯だとか、言いたいことはあったはずだ。だがこのぬいぐるみの向こう側にいる男は少なくともユフィに対し誠意は見せた。それが彼自身の利益につながるためだとか、理由はどうだっていい。とにもかくにも今は。
「いいか、逃げて逃げて生き延びることだけ考えやがれ!」
 威嚇するようにレッドが吠え、牽制の魔法をソルジャーたちへ向かって打ち上げる。
「レッド、いくよ!」
「でもソルジャーが! ……あっ」
「早く!」
 このままでは確実に追いつかれてしまう。
 レッドはそう危惧したが、どうしたことかこちらへ向かっていたソルジャーたちは動きを止め、周囲を確認し始める。
「今のうちですみなさん、長くは保たへん!」
「ほらオッサンたち急いで!」
「バレット、そのヴィンセントよこせ!」
 片腕が砲身であるバレットに人間一人背負ったまま縄ばしごを登ってこいというのは酷な話だ。先に甲板に登っていたシドが身を乗り出し、目一杯腕を伸ばしてぐったりしたままの黒髪を引き上げる。
 そしてティファ以外の仲間が乗り込んだことを確認すると、ユフィは縄ばしごを掴まれないように一度引き上げる。
「ティファは!」
「シスター・レイの方だ! このまま旋回だ、全員捕まってろよ!」
 トランシーバーを握りしめたシドがブリッジへと指示を飛ばす。振り落とされぬよう仲間たちは柵にしがみつき、そこでようやく意識を取り戻したヴィンセントもバレットに押さえつけられながらもゆっくりと身を起こそうとした。
 処刑は免れた、しかしそれはガス室での公開処刑のみ。ケット・シーの口からもたらされるのは『彼』らしくない事務的な言葉の数々。あぁちょっと待ってください、だとか、今忙しいからそれ後でお願いします、だとか。時折挟まれるのはどう考えても『どこにでもいるオジサン』ではない。バレットの視線にも気づくことなく業務連絡を繰り返す黒猫は、
「ということで、このまま外壁沿いにシスター・レイまで行ってティファさんには飛び降りていただくっていうのが……」
「飛び降りるだァ!?」
「……よしなよバレット」
 レッドは両足を突っ張りながら仲間を窘(たしな)めた。
 今はあれこれ議論している時間はない。軟禁され処刑を待つだけで情報の一切を持ち得ないバレットと、正体こそ決して明かそうとはしないが神羅内部の事情に詳しい男と。どちらの判断がよりこの場を切り抜けるの的確かなど分かり切っている。
 少しばかり身を起こしたヴィンセントは状況を把握したのか、無言でレッドを招き、手元に引き寄せる。
「魔法の準備を」
「え?」
「重力のマテリアは?」
「えっと、それなら……」
「ボクが。これ、ご入用です?」
「ハイウインドではあの砲身に接近するには限度がある。魔法で重力の渦を作って足場にさせろ」
「……それ、オイラが?」
「他に誰がやる」
「ヴィンセント……は無理、ってことか」
「できるものなら言わずとも」
 つまり、今は無理。
 ただでさえデスギガスに変身し巨体の内側からなんとか制御しようとすりへった精神を更にすり減らしていたというのに、その上カオスだのが自我を食い破って現出してきたのだから消耗はあまりに激しい。魔法の制御なぞできるはずもなく。
 そう言えばレッドは頷き、やがて見えてきたシスター・レイと呼ばれる砲身の上を一人の女性が走っているのを視界に捉えた。
「ほなこれ、お渡しします。タイミングはお任せしましたで!」
「うん。……オイラ、やるよ」
 人影は徐々に鮮明になっていく。
 間違いなく、ティファだ。
「ティファ走って!」
 ありったけの声を振り絞ってユフィは叫んだ。
 シスター・レイの砲身を一直線に全力疾走してくる女はその褐色の瞳いっぱいに涙を浮かべ、「ユフィ!」と声をあげた。
 あの日、あの時。
 北のクレーターでクラウドを残し離脱しようつするハイウインドからティファは身を乗り出してその場から逃れようとした。クラウドがいないのなら意味なんてないと、このままクラウドを置いていくだなんてできない、クラウドが死んじゃう、と。
 それが今、彼女は死に物狂いで走っていた。死にたくない、まだ死にたくないと叫び散らしながら。
 ユフィの足元で獣が吠え、ホバリングを始めたハイウインドへと至る『道』を重力魔法で作り出す。そんな余力はないと言いながらもヴィンセントがレッドのかんざしに手をかざし、魔力のコントロールを行い、神羅兵たちに終われるティファに向かって「飛べ!」と叫んだ。
「みんな!」
 長い長い髪を振り乱し彼女は走る。
 恐ることなく、躊躇もなくシスター・レイの砲身から飛び降りた彼女は何一つ存在しない虚空に生まれた小さな重力の渦に着地し、膝を沈ませて次から次へと飛び移っていく。はじめてこの『空中歩行』をした頃にはこんな未来なんて想像だにしていなかった。少なくとも、世界が壊れてしまおうとも──そこには、ティファの前でうまく魔力の足場を跳ね回るエアリスの姿があって、「怖くないよ」と笑ってくれているはず。
 そう 思っていた。
 彼女が愛してくれたイルカの尾に似た長い髪が中空を泳ぐ。
「いいぞ、そのままだ!」
 レッドが揺れる甲板で魔力を均一に送り、それをヴィンセントが足場として現出させる。
 一人と一匹はバレットに押さえつけられながら額に脂汗を浮かべ、数十メートルぶんもの重力渦を作り出す。シスター・レイの先端までやってきた神羅兵たちが闇雲に撃ちまくるマシンガンの弾はシドの魔法が作る火球によって撃ち落とされ、爆炎を背後に背負ってティファがひときわ大きくジャンプすると、ユフィが縄ばしごを勢いよく甲板から降ろす。
「捕まって!」
「ユフィ!」
 手を伸ばし、踏ざんに足を引っ掛けた彼女は不安定ながらもそれにしがみつき、ブラブラと大きく揺られながらなんとかジュノンの大地から離脱する。
「離岸しろ! いいから早く、火器が届かないところまでだ!」
「ティファ、絶対離すんじゃねぇぞ!」
 魔力を絞りきったレッドたちを休ませると、バレットとユフィが目一杯の力でゆっくりと縄ばしごを上げ始める。神羅兵たちの射程範囲からさっさと離れなければ安心などできるはずもない。
「ティファ!」
 ユフィの伸ばした小さな手をしっかりと掴み、ティファは一気によじ登る。
 拘束され、有毒ガスを吸い、全力疾走したかと思えばビンタ合戦。見たこともない様な悪い顔色のティファはそれでも、ぜぇぜぇと肩で息をしながら応えることなくガバリとユフィの一回り小さな身体に思い切り飛びつき、抱きしめた。
「ッ……」
「ティファ……」
「ユフィ、ごめん ごめんね、私……」
「感動の再会はあとだ、しっかり捕まってろよォ!」
 ぐい、とハイウインドは突如として大きく傾いて旋回する。行き先はどこだっていい、とにかく今は『逃げること』が先決だ。ピストルの弾が届かなくてもまだロケットランチャーは届く。シドの嫌な予感通り、シスター・レイという円筒の上にいながらも兵士たちはRPGを構え、こちらにその矛先を向けている。
 旋回、旋回だぁ! と彼は叫び散らし、こちらを見ている砲身から逃れようとする。
 ハイウインドは優秀な輸送艦であれど、戦艦ではない。
「シド、あれ!」
「んだ……ッ、全員掴まれ!」
 あれはダメだ!
 シスター・レイから離れつつあるハイウインドの目の前に現れたのは──大破した星の兵器。シスター・レイによって身体のほとんどを失ったサファイア・ウェポンが突如として大波を伴い海面を突き破ってきたのである。
 いくつもの鋭いヒレを携えた星の使者は半分以上欠損した顔面に威嚇の表情を貼り付け、開かない口を無理やり開き、バリバリと崩壊する音を伴いながらもハイウインドの向こう側、追撃する神羅兵に向かって襲いかかろうとする。このままではウェポンの体当たりが直撃する、それだけは勘弁だ。シドは大声でコクピットに指示を出した。
「わ、わ、わわ!」
「誰でもいい、なんかどうにかしやがれ!」
「えぇっと……えっと」
「マイティガードだユフィ!」
「そうそれ、マイティガード!」
 ヴィンセントの声に弾かれるようにユフィはエアリスがかつて使っていた黄色いマテリアを引っ張り出し、もう一つをヴィンセント当人に投げつける。ガス欠だと言ってるだろう、とでも言いたげな瞳はこの際無視だ。
 放心し脱力したティファをバレットに預け、椅子替わりに手すりにロープでしっかり固定されたビールラックに乗り移る。
「アンタもこっち!」
 バレットの体のしたでマテリアを受け取ったヴィンセントはそこから這うように出ると、長い腕を伸ばしてユフィがしがみつくビールラックを掴む。その手は、魔物のそれ。指先の爪から肘の方へと稲妻のように走る赤い傷跡は生々しく、暴風と海水しぶきで長髪に隠されていた顔面が露わになるとそこには腕と同様に走る傷跡と魔法による攻撃の無残な痕。
 そこではじめてユフィは北のクレーターで起きた出来事を思い返し、ふと 力が抜ける。
「……ユフィ!」
「えっ……あっ」
 男の数回りも大きいひび割れた表皮の手がマテリアごとユフィの指を包み込み、ふたつぶんのマテリアで魔法を発動させる。直接生身で触れ合っているならば、魔力自体はユフィから吸い上げられるはずだ。
「くるぞ!」
 甲板を波打つロープを体に巻きつけ、バレットはティファとレッドと──それからぬいぐるみを──抱きかかえ、やってくるだろう衝撃を迎え撃つ。
 ウェポンが跳躍し、最期の咆哮を伴い海面へと身体を叩きつけた! 途端、吹き上がった巨大な水しぶきが大波となりシスター・レイへと向かっていく。バランスを失いながらも飛空挺は大きく旋回し、星の魔力に満ちた鋭い海水をユフィの魔力で作り出した船体を包み込むほどの巨大な魔法障壁で防ぐ。
「何が何でも逃げ切れ!」
 最期の力を振り絞ったウェポンは事切れ、巨体はそのままジュノンの海底へと沈んでいく。
 大量の海水が頭上から降り注ぎ、シスター・レイの上に陣取っていた神羅兵たちは魔を孕んだ波にあっという間に飲み込まれる。ワンテンポ遅れてハイウインドにも降り注いだ水のほとんどはヴィンセントが精巧に作り上げた障壁によって船体を傷つけることなく流れ落ちてきたが、側面から入り込んだ濁流が猛烈な勢いで甲板を洗った。
「う わッ」
「くっさ、くさッ なんだこれ!」
「……オイラ、鼻がひん曲がるよ……」
 ジュノン海を汚す大量の重油に、ウェポンが撒き散らした体液の混ざった海水は鼻腔を刺し、強烈な痛みとなり瞳から、口から、ありとあらゆる表皮から毒となって人体へと染み込んだ。
「いてぇ、なんだよコイツは!」
「全員じっとしてろ、今水かけてやっからなぁ」
 おそらく脅威は、去った。
 シスター・レイの上にはもう誰もいない。あの兵士たちは任務を遂行しようとしただけな哀れな被害者だが、そんなことは言っても仕方がない。太いホースが蛇のようにくねくねと動き、やがて錆をたっぷりと含んだぬるま湯を吐水する。
「うえぇ、最悪……」
「デッキ掃除までしろたぁ言わねぇんだ、ありがたく思いやがれ」
「……文句、言うならウェポンにだろ……」
 ざぶ、ざぶ。
 べっとりと粘性のある有害物質がゆっくりと落ちていく。
 危機は去った、遠景に見える神羅による追撃の気配はなく、完全に事切れたウェポンは今度こそ海底へと進んでいった。ジュノンの海底には魔晄炉があると聞いてはいるが、それがどうなったかなんて今は知らない、知りたくもない。
 油っぽいそれは獣脂のような臭いでもあり、「こりゃあちゃんと洗わねぇと落ちねぇな」なんてシドがため息一つ。
「アタシ もう、限界……」
 魔力を一気に吸い上げられた上に汚染された海水でびしょ濡れにされ、さらに大量の真水をかぶり加えてこの揺れ。ガタガタと不規則に振動する甲板でぐったりとビールラックにしがみついていたユフィはそう告げる。
 同じ様に疲れ果てだらりと脱力しているヴィンセントを前に、彼女は「うぇっ」と嫌な音を口から漏らす。
「……ユフィ」
「えっ……あ、ユフィ……」
「あっ……」
 無理、と再び呟いた彼女は再び口を大きく開く。
「こっちはだめ!」
 慌ててティファがユフィの顔を外に向け、柵の外側に体ごと押しやった。百歩譲って甲板ならともかく、仲間の顔になんてやられたらたまったもんじゃない。その服、誰がお洗濯すると思ってるのよ、なんて。
 そして16歳のうら若きウータイ国の姫は全速力で大空を駆け抜ける飛空挺ハイウインドの甲板から身を乗り出して吐瀉物を赤い空へと垂れ流した。「助かった、礼を言う」というヴィンセントの小さな声と、あーあ、というレッドの声。それらを環境音としながらホースに残っていた錆臭いぬるま湯が吐出しきり、冷たく気持ちいい水が勢いよくではじめる頃──甲板には控えめに虹がかかった。


三.

 空気は重い。
 どんよりとした雰囲気はあまりにも重たく、誰一人として口を開こうともしない。脱出劇で抱いたあのささやかな希望も高揚感もほんの刹那の出来事。
 カタカタとただヴィンセントが無言でキーボードを叩く音と、ゴウゴウというエンジン音くらいしか聞こえない。誰も言おうとしないのだ、誰も聞こうとしないのだ、誰も提案しようともしないのだ。

 これからどうする? と。

 やるべきことは多くあるはずだ。
 数えるほどしか選択肢はないが、どれか一つだけを選べるような状況だじゃない。選びたいものを一つだけ、その他の選択肢を切り捨てることもできやしない。責任と逃避の間で揺れている時間も大して用意されていない。
 だからこそすべきことは決まっている。
 ゆえに。
 これからどうしようという、たったそれだけの言葉があまりにも重たいのだ。
 どうせこの星は滅ぶ。何もせずに手を拱(こまね)いていれば、確実に。空を覆い尽くす赤紫の災厄が──否、災厄によって呼び寄せられた石くれが──この星を押し潰す。それを見過ごし他の道を選んだ先の未来は破滅でしかない。そうやって奪われた命すら、ライフストリームとしてジェノバに吸い上げられて養分となるのだから。
 しかしだからといってあの巨星の軌道を変える手段も思いつかない。
 つまり、このままでは滅びを待つだけだ。
 神羅カンパニーはその戦力を以って世界各地に出現しては破壊の限りを尽くすウェポンを相手にするのに精一杯。お陰様でハイウインドを奪取した今現在でも追撃の気配はないが、それほどまでにあの世界を牛耳る組織もが追い詰められているということだ。
「……」
 カタ、と唯一の音を発していたヴィンセントの指が止まる。
 華麗なる脱出劇は盛り上がり、放水によって作られた小さな小さな虹は確かにこんな現実のなかでは小さな小さな、さらに小さな慰みにはなった。しかしそれは目を喜ばせてくれただけで、事態は好転していない。
 傷跡に染み込んだ海水が痛むのか、ヴィンセントは時折眉根を寄せながらも膝に乗せてレッドを抱き寄せ、身じろぎした。
「ヴィンセント?」
「……ティファ」
「ん」
 女は俯き長い髪で表情を隠し、貝のように口を閉じたままだ。
 クラウドはいない。
 みんなこの艦にいるよ、と教えたのは誰だったろう。悪意なんてない、心からの慰みを口にしたそれはしかし、ティファを傷つけた。みんながいるなら、クラウドも? と芥子粒(けしつぶ)ほどの希望を一瞬でも抱いたティファを叩きのめすには十分すぎる言葉だった。
 そんな反応をしてしまった自分をも嫌悪しているのだろう、「どうしたの?」と力なく見せた表情には疲労の色は濃く、げっそりとやつれた女の顔(かんばせ)があった。
「君は どうしたい」
「……」
 まるで言葉を拒むかのようにティファは目を丸め、それから押し黙った。
 何がベストな選択かなど彼女にも分かっている。頭上には天空を赤く染めるメテオ、足元は魔晄によって奪い尽くされた不毛の地。北の大地でバリアに包まれ眠るは、セフィロス。あきらめなきゃいけないのかな、なんて。目覚めた彼女が思わず口にした言葉は真実だ。
 どんな疑問も、どんな疑念も、どんな希望も。口にするのはとてもこわい。あれからどうなった? あのあと、彼は。
「ティファ……」
 ヴィンセントの膝の上で獣が心配そうな声をあげた。
「…………私……」
 あのメテオをどにかしなくちゃね。
 どうしたらいいだろう?
 星が降ってくるって、考えたことなかったなぁ。
 でもだいじょぶ。みんなで考えたら、きっと解決するよ。
 ここにはいない『彼女』ならそう言ってくれるに違いない。
 そんな言葉を選んで口にしようとするのに、おかしなことに自分の身体ながらティファはどうしてもそれを音にすることができなかった。
「……選べ、という意味ではない」
「……」
 ただただ単純に言葉を聞きたいだけ、と言われても尚ティファは口ごもった。
「……辛いなら……言わなくとも構わない」
「…………」
 答えないティファにヴィンセントの膝で丸くなっていたレッドが身を起こし、行儀悪く大きなテーブルの上に前足を乗せて彼女の方を見た。
「ねぇティファ。クラウドがいないとダメかい? オイラたちだけじゃ……星を 救えないのかな」
「……レッド そうじゃねぇんだよ」
 答えたのはバレットだ。
 ミッドガルでクラウドと彼が初めて出会ったのはたった数ヶ月前でしかないが、たったそれだけでもティファがクラウドに対して特別な感情を抱いていたことは分かる。それは恋愛感情のようなものでもなく、思慕の情ではあれど薄っぺらい性欲でもない。5年前のニブルヘイムで何が起きていたのかはもう今となっては部外者であるバレットには分からない。
 だが確かに『何か』があの場で起き、クラウドとティファの人生に大きな楔を打ち込んだ。けれどそのクラウドはここにはいない。
 ティファの人生全てを変えてしまった『あの事件』に隠されたものがあるとすれば──『いないはず』の旧い知り合いがまるで経験したかのように語るあの惨劇の──その底に真実が眠っているのだとすれば。
「メテオが迫ってきて ウェポンが暴れていて……何をすれば、一番いいのかな」
「え?」
 レッドは思わず聞き返した。何をすればいいかなんて明白のはずなのに。
「こんな時、何をすればいいのか……私、もう分からない。ううん、最初から……私には何も決められなかった」
「ティファ……」
「クラウドがいればね、全部解決するような気がするの」
「…………おう」
 それにはバレットも頷いた。「……いつからそんな弱い女になっちまったんだって……言いたいけどよう、気持ちは分かるぜ、ティファ」と。
「私もびっくり。がっかりだね。……でも、クラウドがね。こんな時はいつもそう。ちょっと気取ったポーズで……いつもみたいに言ってくれるの、『だいじょうぶだよ、ティファ』って」
 ソルジャー服に身を包んで、身体に似合わないくらいでっかい剣を抱えて、ニブルヘイムで『最後に見た』時よりもうんと大人になったような……でも生意気そうなところは変わらない声で、かっこつけて言ってくれればそれだけで十分。どれほど絶望的な状況であろうともなんとかなりそうだという楽観的な気持ちになれる。あれはきっと、魔法の言葉。
 ティファは数少ない確かな思い出に入り浸るように表情を崩した。
「でもティファ、オイラたちがクラウドだと思ってたのは……」
「……うん」
 どこまでが真実かは分からない。
 ここにいる誰一人としてあの5年前のニブルヘイムで何が起きたのかを知りはしない。そしてあのクラウド・ストライフを名乗った元ソルジャーの男本来の姿を誰も知らないのだ。きっと知っているのは──ティファだけだ。
「オレ様はよ、アイツのことキライじゃなかったぜ」
「シド」
 それまで話をじっと聞いていたシドはようやく口を開いた。この旅路でシドは一番の新参者であり、バレットやティファが抱くような郷愁の念とは程遠い場所にいる。故に今後については口を出す立場にはないと腕を組んで静観していたが、彼は「変なヤツだったがよ、今にしてみりゃ全部納得いく話だ」と言った。
 自称する通りクールで冷静な元ソルジャーかと思えば、ティーンエイジャーのように間の抜けたこともする。神羅の内情や世界情勢など物知りな部分もあるかと思えば当たり前すぎる常識すら知らない姿もあった。動きも話し方も全てチグハグ。
 全てにおいてアンバランスなあの男をしかし、シドは嫌いではなかったと言った。
「頑丈なんだろ? なら、生きてたらそのうち会えるさ。元気だせよ、ネエちゃん」
「会える……よね」
「居場所さえわかれば、このハイウインドでひとっ飛びよ」
「その場所が分からないんでしょ、シド」
「それはそっちのニブチンが見当つけてくれてんだろ」
「……呼称についてはともかく……」
 私は最初からそのつもりだったが、と言う。
「ヴィンセント?」
「試すようなことを言ったのは謝ろう。君が探さない、と言っても探すつもりだった」
「!」
「そーそ。クラウドにはさ、責任とってもらわなきゃね」
 会議室のドアが開いて姿を現したのはユフィである。
 外で風に当たってきたら結構楽になったよ、と言いながら入ってきた彼女は当然のようにレッドをヴィンセントの膝の腕から追い出すと、「ここアタシの席」と言って膝上を陣取った。
「ユフィ」
「文句言わない。アンタにも言いたいこといーっぱいあるんだから。大人しくユフィちゃんの椅子にされてろって」
「……」
「……ま、ユフィさんの冗談はともかく。ここにいる皆さん、同じ考えですよ」
 やるべきこと、は皆分かっている。
 ケット・シーはかわいらしく追い出されたレッドの頭に飛び降り、両手を広げた。この際、今までの裏切りはチャラに、なんてことは言わない。けれど同時に今はそれぞれの立場にしがみついたワガママを言える状況なんかでもない。
 メテオをどうにかすべきであることは誰だって分かっている。
 星を見殺しにはできない。できないからこそ、と。
「そゆこと。あんなメテオ呼んだ責任だけじゃないよ。こんなかわいいウータイのくノ一・ユフィ様が監禁されるだなんて祖国に知れたらさぁ大変! キサラギ家に婿入りくらいしてくれなきゃ、許してくれないね」
 なぁんて。
 彼女は心底邪魔そうにユフィをどけようとするヴィンセントの上でにっしっしと笑った。
「ま、なんだティファ。プレートの上から50メートルも下のスラムに落ちたって無傷だった奴がよ、こんなことでくたばるはずもないぜ」
「……落ちたの?」
「おう」
「嘘でしょ」
 ユフィは絶句した。
「プレートの上から落ちて……あぁそうだ、エアリスのいた教会に落ちたって。クラウドそう言ってた」
「……なら、死ぬはずないネ」
 ユフィは呆れたように息を吐いた。見ず知らずのミッドガルでの出来事がどんな意味を持つかなんて知らないが。
「同感だ。……それに、もしクラウドが見つからなければ星が滅び、みな死ぬだけだ。あまり気負うなよ、ティファ」
「ヴィンセントよぉ。そういうのを『空気読めないニブチン』って言うんだぜぇ」
「む」
「そーだそーだ! クラウドが見つからないなら、メテオなんてアタシらだけでホームランで打ち返してやるよ!」
「おう。そんで全部平和になってからクラウドを迎えに行ってやろうぜ。ちゃんと仕事しろよな、ソルジャーさん! ってな」
 バレットは不器用な慰めを口にした。
「……うん。ありがとう みんな」
「ということでだ。ヴィンセント、どっか心当たりはねぇか? てめぇはジュノンに流れ着いてたって話じゃねぇか。クラウドも同じように落ちたんだろ? 一緒じゃなかったのか」
 バレットもまた頷き、「オウ、一緒に落ちたならクラウドもジュノンとかに打ち上げられてねぇもんなのか?」と尋ねる。
「それが、そう簡単な話でもないんですよね」
 答えたのはヴィンセントではなくケット・シーだ。
「そうなの?」
「そうなんです。ちょっと失礼しますね……と。ヴィンセントはん、大丈夫です?」
「こちらの準備はできている」
「ほな、これをこうして……っと」
 黒猫のぬいぐるみはヴィンセントの前に置かれた随分といかめしいパソコンから伸びていたケーブルを机に据え付けられた端子に挿し込む。
 そして前方のスクリーンに映し出されるは、大きな大きな世界地図。これまで何度も見てきたあの擦り切れたマップを引き伸ばしただけのようにも見える。「これがなに?」と言うユフィにケット・シーはパソコンモニタの方へと這い寄ると、上から画面を覗きこんだ。
「わ」
「地図自体はなんの変哲もないんですけど……こうして上から重ねれば……」
 次いで画面に表示されたのは数々の矢印だ。細い線が幾筋も伸び、あちらこちらへ、東西南北へと地図の上を走り回る。
「なんだぁ、これ」
「ライフストリームの流れだ」
「!」
「この地図自体を作ったのは神羅だ。……都市開発部門が調査課をこき使って作成させた。遥か昔、魔晄炉を建設するために世界中の地脈を調査した結果だが……こんなところで役に立つとはな」
「……なるほど」
「海流とは全く異なる流れがライフストリームにもあり、海底・地底関わらず星の深層を巡っている。魔晄炉の建設予定地はこのライフストリームが星の表層近くを流れる場所が選定されているはずだ」
 それはそれは遠い昔の話。
 ヴィンセントは「神羅に保管されていた資料だが、私の記憶とも合致する。情報は正しいはずだ」と付け加えた。
「そりゃ、ボクが腕に選りすぐって……でもないですけど。昔のデータ引っ張り出してきましたからね。人海戦術でやってた時代の遺物ですよ」
「おめぇが?」
 神羅なのに? とでも言いたげなバレットの言葉にケット・シーの向こう側にいる男は「だからこそですよ」と真面目な声で返答した。
「言いましたやろ、ガハハやキャハハみたいな……あぁいうやり方、ボクは好かんのです」
「好き嫌いでつく側を決めるのか」
「嫌な言い方しますなぁ、ヴィンセントはん。幸い、ボクにはまだ選ぶ権利が残ってるみたいなんで。ほんまにアカンようなるまでは、『こっち側』にいさせてください」
「……ま、どっちでもオレさまはいいけどよ。クラウドだけじゃねぇ、オレもケット・シーも。ヴィンセント、てめぇだって元神羅だ。大して立場は変わらねぇよ」
「そうだよ。アンタも神羅だったんでしょ? 何してたの?」
「内勤」
 ソルジャーでも兵士でもなく。
 ユフィの言葉にはそう即答した。
 ピシャリとそれ以上の深追いを拒むような言い方をしてから、「分かった。悪気はなかった」とケット・シーの襟首を掴んでユフィの腕の中へと投げつけた。
「ほぉら、アタシからすりゃみんな同じようなもんだよ。さ、次いこ次。で? この地図がなんだって?」
「……」
 ヴィンセントは諦めたように何度かキーを叩く。
 すると世界地図の上にいくつか赤い丸印が浮かび上がる。ミッドガル、コンドルフォート、ジュノン、コレル、ニブルヘイム、そしてゴンガガ。ついでにウータイとミディールもだ。そして、北の大地。
「魔晄炉があるとこ?」
「いや、そうとは限らない。ライフストリームが地表近くまで流れている場所だ。……魔晄炉がある、というのはその狭義の意味だ」
「なんでぇ、つまりどういうことだ」
「じっちゃん言ってたよ。ライフストリームが地面まで溢れてくるからって、魔晄炉を作れるかとはまた別なんだってさ」
 単純に地面の裂け目から地表までせり出してきた魔晄が流れ見えているだけでは魔晄炉を建設することはできない。『どういう』吹き上げかたをしているかが重要で──と言いかけ、ヴィンセントは口をつぐみ、「ともあれ」と続ける。
「北のクレーターから落ちたのであれば……他の力が働かない限りは流れに乗ってどこかへ辿り着くはずだ。地上に打ち上げられている可能性に賭けるなら、おのずと候補地は限られてくる」
「どこか……か。ヴィンセント、お前はどうなんだよ」
「……」
「さっきも聞いたよな。どうやってジュノンまで流れてきた? まさか泳いできたなんて言わねぇよな、クラウドじゃあるまいし」
 追及するバレットとシドの言葉に彼は「推測でしかないが」と前置きをつけた。
 あの時クラウドに滅多斬りにされた上に魔法で焼かれたヴィンセントにほとんど意識は在らず、確証のようなものは一切ない。
「私の体はカオスが運んだはずだ。なぜジュノンを選んだのかは知らん、アレに聞けとしか」
「カオス?」
 聞きなれない単語にユフィは首をかしげたが、机の向こう側でシドが「アレか」と納得いったように呟いた。
「ほれ、あれだ。お前も何度か見ただろ、あの羽根の生えた……」
「あ、あれ。カオスっていうんだ」
 確か夜の花火を特等席で見るためにヴィンセントは『ソレ』に変身しシドとユフィを高所まで運んでくれた記憶がある。それ以外にも何度か緊急事態に直面した際に見たことがあるあの悪魔のかたちをした魔物がカオスという名前であることは分かった。
 ジュノンを脱出する際に魔物自身と会話したシドは意味を解したが、その場にいなかったメンバーは首を傾げるばかりである。
「あー 要するにあれだ、ヴィンセントと同居してる魔物がクレーターからジュノンまで運んでくれたってことだろ?」
「助けたというよりは容れ物を運搬したくらいだろうが……まぁその認識で間違いはなかろう」
「……じゃあ……」
「本来の流れでは……北のクレーターから落ちただけではジュノンへ流れ着かない」
「…………そっか」
 ティファはあからさまに残念そうな声をあげた。
 だがジュノンが候補地から外れただけ。即ち、探すべき場所が一つ減ったとも取れる。
「じゃあよ、とりあえず魔晄炉を探してみるってのはどうだ? 何度か入ってるが、魔晄炉の中なんてライフストリームがじゃぶじゃぶだぜ。あそこにぷかーっと浮いてきたりはしないのかよ?」
 尋ねたのはバレットだ。彼は破壊が目的だったとはいえ、ミッドガル魔晄炉には複数回侵入しており、それこそ開閉バルブのある最奥部まで何度も入っている。それに故郷・コレル魔晄炉の内部だって嫌になる程見てきた。あぁいう感じじゃないのか? という言葉にヴィンセントはなるべく分かりやすい言葉を選んで口にした。
 彼自身も魔晄炉内部に明るい訳ではない。
 なにせ神羅にいた頃、ミッドガルには魔晄炉こそあったが彼らの仕事はまさに『都市開発部門にこき使われて各地の建設予定地の調査』に赴くことであったのだから。
「あれは圧力弁で調整されてた後内部に流入してきている魔晄だ。大地に穴を穿ち、そこから溢れるライフストリームがそのまま魔晄炉に流れている訳ではない」
「そういうもんなのか」
「そういうものだ。つまり、万が一魔晄炉にクラウドが流れてきたとしても……内部弁がいくつもある。魔晄炉内から探すのは不可能だ」
「でも」
 と、ティファは顔を上げずに疑問を口にした。「セフィロスはニブルヘイムで 魔晄炉に落ちた後、北まで流れていったんでしょう?」と声をあげる。
「あそことコンドルフォート、それからゴンガガの魔晄炉はミッドガルに比べてかなり構造が原始的だ。そのぶん出力も低いが……中身が非常に単純なぶん、メンテナンスも易い。それに……」
「それに?」
「……ニブルヘイムは最初から実験施設を建設する予定だった。そのため未加工の魔晄……ライフストリームを汲みあげることができるようにもなっている。逆に北のクレーターからライフストリームに突入した人間を魔晄炉で探すならニブルヘイムかコンドルフォートくらいしか意味はないだろう。ゴンガガ魔晄炉の様子は以前見たが、あれでは探せまい」
「……そっ、か。詳しいんだね、ヴィンセント」
「……」
「……あのね」
「……」
「知ってた、よね。あのひとのこと」
「……」
 雪山での出来事を思い出す。
 ティファは怯えながらもヴィンセントに真実を知っているか否かを問い、そしてヴィンセントは優しい嘘をついた。何も知らない、と。
「知ったらきっと私は……そう、思った。だからヴィンセント、教えてくれなかったのよね」
「恨むなら私を恨め」
「……ううん。私は 安心が欲しかっただけ。あなたに嘘をつかせたのも私だよ」
 答えを誘導するように問いを投げた。それは事実だ。
 ティファは俯き、膝の上でキズだらけの手を動かす。「だから……教えて欲しいの、ヴィンセント」と再び彼女は問う。
「答えられる限りのことならば」
「彼は……生きてると思う?」
「!」
「……だって、あんなところに……落ちて、今もきっと 一人で……」
 率直な意見を彼女は欲した。優しい嘘などいらない、しかし確かな言葉が欲しい。そんな言い様だ。
「……最初から望みなどなければこんな回りくどいことはしない」
「じゃあ……」
「生きてはいるはずだ。この通り私も生きている以上、彼が死んだと考えるほうが難しいだろう」
 とはいえ、このザマだが。
 そこでヴィンセントは不器用な笑顔を見せようとした。ズタズタに引き裂かれた傷跡は白い肌を駆け巡り、皮膚は裂け、身頃のしたにはバスターソードで真っ二つにされた痕。それでもこうしてひび割れてはいるものの声を発することができるのだ、ほとんど無傷でクレーター内部に落ちたクラウドが死ぬはずもない。
「……会える、かな」
 ティファはほんの少しだけその言葉に安堵した。
「そのためのハイウインドだ」
「おうよ。この船はどこにだって行ける。北の果てだろうが、南の果てだろうが。……行こうぜ、アイツを探しによお」
「んなこと言ってもさ、結局どこ探せばいいの? 魔晄炉は探しても無駄なんでしょ? ニブルヘイムとコンドルフォート?」
「それを考えるのはオレさまの役目じゃねぇよ。だが一度腰を落ち着けて焦らず急いで考えるってなら、コスモキャニオンあたりをオレは推すぜ」
「キャニオン?」
 唐突に出てきた故郷の名前にレッドは首を傾げた。
「おう。離岸するときに無茶苦茶なことしちまったからな。長期航行になるんなら一度チェックしておきたいことがあるんだ。……確かキャニオンは緩衝地帯。違ったか?」
「こちらが完全に武装を放棄すれば……問題はないだろう」
「そうだね。……オイラもじっちゃんに話したいこと、たくさんあるし」
 これまでの旅のこと、エアリスのこと、クラウドのこと、それから メテオのこと。ヴィンセントもその言葉に同意する。
「大老師様ならこの件に関してもなにか知見をお持ちやもしれん。とりあえずの目的地にして構わない、と思うが」
「おう。オレもそれでいいぜ。ティファもいいな?」
「……うん」
 そこにクラウドはいない。それでも僅かな蜘蛛糸でもいい、彼に繋がる何かが見つかるのやもしれないのなら。
 やはり重苦しい空気のまま、しかし流れかけていた諦観を含んだ空気の様なものは若干、和らいだ。





「こんなところにいたのかよ。部屋にいねぇからびっくりしちまったぜ」
 夜風がびゅうびゅうと吹きすさぶ中甲板に顔を出したのは艇長シドである。朝一番、日が昇る前からあれやこれやの大騒ぎ。ジュノンを脱出したってそれでもやはり大騒ぎ。長い1日だった、と仲間の多くは簡単な夕食すら手をつけずに眠ってしまった。
「アンタか」
 ちょっくら聞きたいことがあって、と作業の手を止めて部屋に戻っても同居人であるヴィンセントの姿はなく。どこ行っちまったもんだと探してみればこんなところときた。ビールラックに腰を下ろしてぼんやりと外の景色を眺めているではないか。
「おうおう。怪我人は休んでろ」
「休んでよくなるならな」
「……ったく、含みのある言い方しやがって」
 既に夜の帳(とばり)は降りた。優しい闇が深い眠りへと誘う時間帯であるはずだが、空に浮かぶは美しき月よりも大きな大きな、赤い死の凶星。月夜どころの騒ぎではない、そんなものよりも真っ赤に光り輝いて大地を燃えるように照らしているのだ。
「アンタこそ休んだほうがいい。ずっと起きているだろう」
 あれやこれや、理由をつけて艇長たる彼は眠るつもりなど毛頭ないらしい。そもそも司厨員すら他の乗組員がローテーションを組むような人員不足の中、交代制で船を動かそうというのだからハードワーク極まりない。
 その手に持ったレンチは? と聞けば、シドは「うるせぇ」と返す。
「お前にそんなことぁ言われるとはな」
「ハイウインドに何日も籠城していたと聞いたが」
 嬉しそうに武勇伝を語る船員に言わせれば、北のクレーターからジュノンに移動しているその最中に彼は籠城を思いついたのだと。
「まぁな。だが、この飛空挺はもともと長旅向けでよ。水も食料もたっぷりある中で、のんびりエアポート占領してただけだからよう。それに、旅を続けるなら飛空挺が必要なら、って訳だけじゃねえ。……取り返したかったんだよ、この艇(ハイウィンド)をよ」
 彼にしては珍しくしおらしい言い方をする。大変だったんだからな! と騒ぐユフィの話を聞いてきたからか、それとも仲間たちの多くに漂う閉塞感を悲壮感を感じ取ったからか。いずれにせよ、少しシドらしくはない。
「…………シド」
「……それによ、礼を言うのはこっちだっての」
「?」
「ティファに。言ってくれたろ、お前さん」
「私は……」
 どうしたい? 君は、どうしたい。
 彼女に選択肢を差し伸べた。答えなどわかりきっている、仲間たちも『それ』を選ぶに決まってはいたけれど、それでもヴィンセントはティファに『選ぶ』ことを許した。
 君の望みのままに動こうと、言葉にしてはっきりと伝えたのだ。
「らしくもねぇことしやがって」
「……口に出さなければ伝わらないこともある」
「……おう」
「あのメテオを喚び起こした責任があるとすれば……クラウドだけではない。ここにいる全員、エアリスも含めて。罪の所在は我々にある」
「お、お前もそう思うか。珍しく意見が一致したな」
 シドはゲラゲラと笑った。
 あなたにだけは教えておくね。
 お願い、クラウドには言わないで。
 てめぇには言っておくけどよう。
 ティファには言うなよ。
 ま、これはクラウドさんたちに知らせるもんでもないですけど……。
 たくさんの言葉を使って仲間たちは情報を共有しないまま抱えこんでここまでやってきた。
 最初に彼の言動に違和感を抱いたのはきっと、ティファ。それからエアリス、ケット・シー。ヴィンセント、シド……それから、それから。
「タークスの連中も知っていたはずだ」
「だろうな。神羅が知らないはずもねぇ」
 それでも尚クラウドたちを泳がせたのはルーファウス神羅の失策だった。
 よって、この星の危機は誰のせいでもない。この星に生きる全ての人々に下された試練。星の命を糧としてきた報い。やがて来たる怒りの日に向けた世界からの啓示、それがメテオ。
「だから一度情報を整理するのも悪い案ではないだろう、ある程度洗いざらい情報は吐き出すべきだ」
「自分の首を絞めることになっても、か」
「切腹するなら介錯人がいたほうがいいだろう」
「ケッ 縁起でもねぇこと言いやがって」
 当事者たちだけで話し合っていてはどこにも終着しない。あぁでもないこうでもないと傷の舐め合いをして終わるだけ。ならば、第三者を巻き込んででも話を進めた方がマシだ。
「若い長老でも巻き込めばいいだろう」
「長老、って。てめぇらあのキャニオンともナカヨシだったとはな。元ソルジャーがよく入谷許可されたもんだ」
 コスモキャニオンと言えば世界が羨む学術塔。そこで学問を修め、学位を持てば一流星命学者の仲間入り。
 しかし、然ればこそコスモキャニオンでの学位をとった者が神羅に組することは許されない。それは学位を放棄することを意味する。それほどまでに『お堅い』集団なのだ。当然、シドも彼らにとっては忌むべき相手であるはずだが──
「エアリスには随分と助けられた」
「あ、そ。そっか、そうだよな」
 この星最期のセトラを自称するハーフ・ブラッドの少女。
 キャニオンが喉から手が出るほど欲していた神羅の宝物。それがひょっこりと姿を現したのだから、素性の知れない自称元ソルジャーがボディ・ガードだと主張しようが、反神羅組織アバランチを名乗るならず者どもが一緒にいようが関係ない。
 レッドがセトラを連れて帰郷したのであれば、誰一人として断ることはできず。
「とはいえ我々はエアリスを喪った。逆に銃を向けられるやもな」
 くつくつとヴィンセントは嫌味ったらしく喉の奥で笑った。
「……もしやヴィンセント、お前キャニオンが嫌いだな?」
「好く理由もない。大老師様にはお世話になったが……学者は嫌いだ」
 あんな身勝手で傍若無人で驕り高ぶった無知どもは、と言う姿はとてつもなく人間臭い。
 常々人間ではないことを自称し自嘲する仲間の姿にシドは少しばかり嬉しそうな顔を作った。なんでぇ、やっぱりそういう顔もできるじゃねぇか。カオスが言った通りだ。
「ともあれ、コスモキャニオンなら神羅が早々に攻撃を仕掛けてくることもねぇしな。いい選択肢だ」
「時間はないが、だからといって闇雲に動かないほうがいい。あまり気乗りはしないが、仕方あるまい」
「リョーカイ。で、オレさまは? 何すりゃいいんだよ」
 飛空挺はある。
 足はある。
 それなりに物資を揃える手段はある。
 どうしたらいい? と尋ねたシドにしかし、ヴィンセントは細い指を細い顎に当ててしばらく考えたあと、
「タバコ」
 とだけ。
「は?」
「くれ」
「……ったく、怪我人がよく言うぜ。ほらよ」
 ほい、と口の悪いことを言いながらもシドはヴィンセントに自分の口に咥えていたそれを手渡した。
 それを受け取った男の左手はやはり人間らしさを完全に失っており、陶器のような脆さを持つひび割れた表皮をしている。触れた指先はおよそ体温といったものを感じられぬ氷よりも冷たい生肌。
 手当てを受けた場所から見え隠れするのは不細工なパッチワークのような肌。
 それは大丈夫なのか、とシドが口にするよりも先に彼は口を開く。
「…………ライフストリームに当たりすぎた」
「それが、か?」
「体内のジェノバやそれに準ずる魔物たちの因子が弱まった。……しばらくは戦力にカウントしてくれるなよ」
「分かりやすいように言えやい。オレさまは科学者じゃねぇからな」
「……ゾンビになった」
「へへっ。なるほどそうかい」
「歩いて喋る死体だと思え」
「……戻るのか」
「…………さぁ」
 そればっかりは。
 何せ、自分の身体のことを知らなさすぎる。
 戻れば万々歳、戻らなければもはやそれまで。できれば『元』に戻ってほしいし、第六感のようなものを働かせてみれば、近いうちにどうせ元には戻るだろう。そういう直感はあれど、論理的に説明する術はない。
「クラウドも……そうなってんのか」
「……さぁ」
 そればかりは分からん。
 ヴィンセントは表情を曇らせ、「ティファは私を恨むだろうな」なんてことを呟いた。
 手元のタバコはジリジリと減っていく。
「恨むつったって……ティファだって分かってるだろうよ」
「頭で理解していても納得はできまい」
「……ま、それもそうか」
 何故、どうして。
 どうして二人共が同じようにあの北のクレーターでライフストリームの海に落ちたというのに、ヴィンセントはこうして仲間と合流できたのか。そしてその彼は口にする、例えクラウドが見つかったとしても、そこに居るのはきっとかつての彼ではない。自我を守るため魔晄に包まれ、外界との接触を拒絶する虚ろな骸となっているはずなのだ。
 それは未だ口にしていないが、皆分かっていた。北のクレーターで彼が見せた奇行の数々を思えば、『今まで通り』の姿で再会できるだなんてこれっぽちも思ってはいない。
「……いっそ 助からなければ よかったとも思う」
 星がそれを許さない。
 だからまだ生きながらえているだけの骸。既に自我を人ならざるものたちに食われているという自認があるだけの、リビング・デッド。ヴィンセントの自虐的な言葉にシドは思わず声をあげた。
「! ヴィンセント、てめぇ……」
 しかしぼんやりと男は呟き、うな垂れた。
 常に冷静さを失わないヴィンセントのしょぼくれたその姿に驚いたシドは、それ以上の言葉を発することはできなかった。
「だが……過去は変えられない。ならば……私は 私にできる、最善を尽くすのみだ」
 知りうる知識を、知りうる手段を、知りうるもの全てをもってして事態の解決を──例え廃人となっていようが、クラウドを見つけなければならない。
 それだけがティファの生きる意味だからだ。
 エアリスという、大きすぎる、けれどたったひとつの小さな命を失いクラウドまでも失いつつあるこの状況でできることは少ない。手を差し伸べようとも、そのクラウドがどこにいるのかも分からないのだから。どのような状況であれ五体満足の彼の身体さえ見つかればきっと、星がなんとかしてくれる。
 だからその舞台まで運んでやることがヴィンセントにできる唯一の罪滅ぼしだ。
「ったく、そうお堅く考えるなよ。……それに、最善を尽くさなきゃならねぇのは……全員、だ」
「……」
 お前だけのせいじゃない。お前だけの重荷じゃない。
 シドはヴィンセントの半開きになった口の先で無為に燃え尽きていくタバコに視線をやった。背負うな、という言葉はこのパーティ全員に対して無力だ。それはシドもよくよく分かっていた。
「なぁヴィンセント。オレはよぉ、オレさまたちは……何をすりゃあいいんだ」
 再びの言葉。
「それを私に聞くのか」
「……クラウドはどうなる」
「……」
 本物、じゃない。
 ヴィンセントは慎重に言葉を選んだ。「彼の記憶は既に改ざんされている」と言い、ややあってから顔を上げた。傷だらけの端正な顔が夜風に晒される。
「改ざん……それもジェノバの力か」
「厄介なのは彼の場合、恐らくだが……記憶の改ざんが無意識下で行われている」
「つまり?」
「どこまでが本物の記憶か、私とは違い、クラウド本人には分からないということだ。『確か』だと信じている記憶すら……作られたものである可能性も十分ある」
「お前も記憶がイカれてるのかよ」
「さぁ」
「……言っても仕方ねぇか」
 どうしてそこまで己の身に頓着がないのかと責めたてようとも、今は全て無意味だ。
「無駄だ、諦めろ」
「ここにはそういう奴らばっかかよ。ま、クラウドの件に関しても……アイツの記憶がどうなってるかなんて、それを確かめるのはオレらの役割じゃねぇな」
「当人の問題だ。それに……それはあくまで本人が見つかってからの話だ。魔晄の繭に包まれ……羽化を待つ蛹となっているか。それとも蛹のまま死に至っているか。星の記憶の中で揺蕩い続けているか……地表に投げ出されているか。神のみぞ知る話だろう」
「……神、神か。そいつぁアレじゃねぇか。セフィロスが為ろうとしてる奴じゃねぇのか?」
「やもしれないな」
 もはや北の大地で眠っている存在がジェノバであるのか、セフィロスであるのか。それは世界にとって些事でしかない。
 だが、その存在は確かに為ろうとしているのだ。メテオをこの星に呼び寄せ傷つけることによって発生する命を、我が物とする存在に。それが神であるならば、とんだ死神だ。
「で、その神様のおかげで命は助かってたとしても……それだけじゃあ終わらないな」
「ジェノバ細胞を移植されたのであれば身体は並大抵のことでは滅びない。……死ぬなら精神が先だ」
「……お前と同じか」
「そうだ。どれほど身体が壊されようとも、アレがある限り肉体の死は程遠い。私と同じ……心と記憶の壊れたただの器と成り果てるか、或いは」
「器、か」
 シドはカオスの言葉を思い出す。
 アレは信じているのだと。
 既に彼は己の心を、精神を、魂を壊れてしまったものと定義しているのだ。
「そいやカオスがよ」
「アイツ、おめぇのこと心配してたぜ」
「……は?」
 素っ頓狂な声を発するヴィンセントにシドはなんでぇその顔! と声をあげて笑った。
「素直じゃねぇのはお前そっくりだな。だが悪い奴じゃあねぇ」
 その言葉にヴィンセントは口を尖らせてとてつもなく不満そうな表情を作った。
「ふん、どうだかな。私はただの器魔物の因子によって無為に引き伸ばされただけの命だ。そんなものはどうでもいい」
「どうでもいい、って……」
「場合によってはティファを降ろすことも考えておけ」
 またも口出ししそうになったシドの言葉をしかし、ヴィンセントは断ち切った。
「!」
「……もしクラウドが見つかったとしても……以前のような旅とはいくまい。何せ彼女が望むようにやらせればいいだろう」
「メテオはどうすんだ」
「我々でどうにかする」
「どうにか、できんのか」
「さぁ?」
「さぁ、って……」
「……ならば諦めるか?」
 望みなき希望だと絶望して?
 空に浮かぶ凶星を滅ぼすことは不可能だと決めつけるなんて、アンタらしくもない。ヴィンセントはタバコを口につけ、煙を肺腑いっぱいに吸い込んだ。味など分からなくなって久しいが、この感覚は『まだ』覚えている。
「諦めるはずぁねぇ」
「神羅はウェポン撃退に成功した手前、調子に乗ってロクデモナイ次の作戦でも考えているところだろう。横取りしてしまうのも悪くはない」
「へっ そういうことならお任せだ。何せこっちには世界最強の飛空挺・ハイウインドがあるんだからな」
「……期待してるぞ、艇長」
 任せとけ。
 シドは赤いメテオの月光を背負って白い歯を見せ、拳を突き出した。力なくヴィンセントもそれに己のものを当てる。
「見せてやろうぜ、人の意志っていうのをよ」
 メテオにも神羅にもジェノバにもセフィロスにも。どれだけの苦境であろうとも可能性にしがみつく無様な姿を。
 二人の男はもう一本ずつタバコに火をつけた。


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