ほしのめぐりあわせ


万:万もの縁を手繰り寄せて(ヴィンセントとユフィ、レノとイリーナ)


「「あ」」
 同時に声をあげた。
 霧深いこの季節、ただでさえ地元の人間すら近寄らないニブル山は閑散そのものである。
 魔晄炉で生み出されていた異形のモンスターたちの影形は既にどこにも見当たらない。内部は破壊された卵型のポッドの残骸で溢れ、壁のあちらこちらに剣戟の跡が残っていた。それもそのはず、数ヶ月ほど前に訪れた『クラウド御一行様』の一味であったエアリスとヴィンセントがここで眠り続けていたモンスターたちを排除し、その後にトラブル・メーカー・ユフィによって僅かに生き残っていた個体すらも叩き起こしてしまい、結果的に大乱闘を演じ全滅させたからである。
 その当事者二人はお互い思ってもみなかった遭遇に顔を見合わせ、次いで溜息と共に肩を落とした。
「……なんでこんなとこで会うかなぁ」
「それは私のセリフだ」
「どーかん。会うならもっと辺境とかだと思ってたけど……どうせアンタのことじゃん。ここにいるってことはジェノバでも探してたんでしょ」
「お前のことだ、ここにいるということはどうせマテリア探しだろう」
 なんて憎まれ口を叩き合ったところで残るは虚しさのみ。
 はぁ〜と、大げさな溜息をユフィはもう一度ついた。
 『あの』災害を乗り越えたのち、ミッドガルは勿論のこと世界各地で様々な混乱が起きた。今まで数十年もの間世界中を恐怖によって統治していた神羅カンパニーという会社が物理的に壊滅し、駐在していた神羅兵たちも消えていった。そうとなれば覇権争いが起こる。ミディールやウータイといったほぼ独立を守っていた場所は兎も角として、もっとも混乱に陥ったのはジュノンだった。
 元々神羅の支社が建設されるにあたって漁村が迫害され、海洋汚染によって漁業もままならなくなった土地なのだ。それ見たことかとジュノン村に住んでいた老人たちは声をあげて神羅を追い出すものだから、今となってはジュノン支社はもぬけの殻、数ヶ月の間しか経過していないというのにモンスター蔓延る心霊スポットと成り果ててしまったそうだ。
 幸いエルジュノンとアルジュノンの商店街だけはなんとか営業してるようだが、支社ビルがもぬけの殻になってしまった以上商売が続けられなくなるのも時間の問題だ。
 そんな気の滅入る話ばかりではあったが、ユフィは騒動を集結させた反面でメテオを呼び寄せた一端もあるとして家出騒ぎを経てウータイに帰郷してまたすぐに旅に出たらしい。
「各地の様子を見て回ると言っていたな?」
「そーだよ。その道中にマテリア探しくらいしたっていいじゃん」
 ユフィは持ち前のコミュニケーション能力と明るさで各地の被害状況や住民の要望を聞く役目を、クラウドとティファ、そしてバレットはミッドガルの復興に力を入れる。シドはほぼ解雇されていたとはいえ神羅の元社員という立場から各地から逃げてきた神羅兵や社員に就職口を紹介してやる。
 ようやく被害の実態が目に見えて来たため、誰から言い出したでもなく各々が役目を見つけては忙しく飛び回る日々だ。
「この辺りのライフストリームは淀んでいる。ロクなものもないだろう」
「だね。二、三日くらい探索してるけど何もなかった。呪われてるっぽい色のマテリアなら見かけたけど」
「ほう」
「八合目の窪地んとこ。行く?」
「……いや、今は遠慮しておこう。今度の暇つぶしにでも回るさ」
 そん時は誘ってよね! と元気な忍者娘は瓦礫の山から飛び降りた。
 打ち捨てられて五年以上の月日が経っているにも関わらず、相変わらず非常灯の赤い光がぼんやりと不気味に室内を照らしている。ザックスとセフィロス、そしてクラウドとティファ。英雄と言われた男が発狂し村に火を放った後に向かった場所がこの魔晄炉であった。それを追いザックスが歪んだ英雄と戦い、深い傷を負ったティファをクラウドが迎えに来た。
 話にのみ聞くおとぎ話のような昔話を思い出しながら、ユフィは赤黒い血痕がべっとりとこびりついたポッドをなぞった。
「魔晄炉、廃炉にするのかな」
 そうと決まればこんな建物はすぐにでも取り壊されてしまうであろう。最奥に安置されていたジェノバ本体はセフィロスと共に魔晄の海へと落ち、北の果てへと流れていった。その残骸一つでも残っているかと思ってヴィンセントはこの場所に立ち寄った訳ではあるが、血液一粒すら見当たらなかったのだ。
「神羅にとっても必要なければ、な」
 誰かが拭き取ったのか、それとも持ち帰ったのか。
 蒸発したのかとも考えられはしたが、ヴィンセントは科学者ではない。「この場所は整備しなければ廃炉にせずとも人々から忘れ去られる」と空になったポッドを眺めて言った。
「だけど廃炉にしない限り魔晄、吸い上げ続けてる訳でしょ」
「徐々に出力を落とせば完全に停止させることもできるだろう。この手の仕組みはバレットの方が詳しいだろうが……まぁ、長い時間をかければ無理ではないはずだ」
「アンタが長い時間って言うってことは……相当時間、かかるよね」
「当然だ。リーブが新たな組織を立ち上げている。名前は忘れたが……あそこが世界を主導するのだろう。もともと神羅に属していた人間が頭にいるのだ、魔晄炉の問題は避けて通れないことなど把握しているはずだ」
「そうだね」
 髭面のそのリーブという仲間とユフィが初めて顔を合わせたのはメテオ災害が終わる間近のことである。セフィロスを打ち倒してすぐ超特急でカオス化したヴィンセントと共にミッドガルへ蜻蛉返りし住民避難に勤しんでいた時のことだ。
 神羅ビルの方向から運ばれてきたルーファウスの乗ったストレッチャーと共に走り寄ってきた疲れた顔をユフィはよく覚えていた。
 あの可愛げがあって愛嬌のある黒猫人形の向こう側にいた人間。神羅の都市開発部門の統括、すなわちミッドガル育ての親とも言える男は神羅ビルでのルーファウス捜索に加え、住民のスラムへの避難を促しながらケット・シーを動かしセフィロスと戦っていたのだ。
「とはいえ腐っても神羅の重役だ。一筋縄ではいかない男だが……良心は 多少なりともあろう」
「棘あるねぇ。多少なりともなんて」
「部署違いとはいえ同じ会社の上層部を嫌うのは平社員の常だ」
「そういやアンタ、タークスだったもんね。やっぱ偉い人って嫌いだった?」
 ガラス片を彼女は蹴飛ばした。「クラウドに聞いたらさ、一般兵だったからそんな偉い人と関わることもなかったから興味なかったって。でもタークスだったら偉いオッサンとかの命令聞いてたんでしょ?」と。それに対してヴィンセントは組んでいた腕を解き、懐かしがるような仕草で首を傾げた。
「好きだった訳がないだろう」
「やっぱり」
「タークスの上司や同僚はまだしも、総務の部長も無能だったからな」
 無能。
 そう言ってからヴィンセントは「いや」と言い直した。「無能というより…上層部はどこもかしこも汚職のオンパレードだ」とぼんやりこぼした。
「オショク?」
「ミッドガルに昔からいたマフィアどもとグルだった。金銭を受領する代わりにこちらの作戦を漏らしていたものでな」
「うわぁ」
「お陰でマフィアとの抗争は泥沼化。……たくさん 仲間も死んだ。ミッドガルを一つの市として統合することが目的だったはずだが……それの最もたる妨害要素が神羅自身だった」
 今の神羅の姿からは想像もつかないその様子にユフィは口元を歪めた。そして腰に手を当て、ヴィンセントの前で立ち止まる。
「今も……昔の仲間、生きてるの? まだオジサンってくらいの歳でしょ?」
「……生きては、いるが」
「会いたくはない?」
「そういう訳ではないが……」
「が?」
 ヴィンセントは顎に手を当てた。
「私も含めてだが……まともに生きている奴がいないのでな。果たして人間の言葉が通じるかも分からない」
「……あら」
「まだ人間をやめていない奴もいるにはいる。……一人はミッドガルに住んでいたが、メテオでどうなったか分からない。もう一人はお前も会ったことがあるだろう」
「アタシが?」
「ミディールでクラウドを助けた闇医者だ」
「あのお医者さん、そうだったの? てゆーか闇医者って。そんな人にクラウド診てもらってたんだ」
 初老で薄い化粧をした男の医者。年齢の割には端正な顔立ちをしていながらも、少し薄くなり始めた人工的に色を抜いた灰色の頭髪が特徴的な医者のことをユフィは思い出した。
「社の記録で死んだことになっている以上『正式』な医者ではなかったはずだ。医学の道には進んだが資格試験に落ちたとか……私が最後に知る情報はその辺りなのでな」
 魔晄中毒という特異な症状もかなり把握しており、反神羅のテロリストであったティファやバレットは勿論のこと、ウータイの忍であるユフィや神羅の社員であったシドらが皆揃って行動していることに対してさしも驚かなかった男だ。
 さぞ奇抜なパーティであり、なおかつ神羅にたてついた国際指名手配の連中に対してもその医者は物腰穏やかに対応してくれた『紳士』であった。それを思い返してユフィは妙に納得した顔で頷いた。
「言われてみれば。……只者じゃなかったもんね 間違いなく」
「だろう」
「タークスやめて医者になったの?」
「恐らくな。私がニブルに行く少し前にタークスをやめて医療部門に転属したと聞いた」
 その後どうしたかは分からないが、あの様子では神羅を辞めて粛清されたことになったのだろう。ヴィンセントは他人事に言った。
「他には? 誰かいないの?」
「他、か。いるには……いるが」
「が?」
 先ほどから歯切れの悪い言い方をしたヴィンセントにユフィは首をかしげる。
「ジュノンの地下で寝てる」
「……アンタのお友達?棺桶?」
「いや、棺桶では……ないとは 思うが」
 ユフィの頭の中にはヴィンセントとよく似た赤いマント姿のタークスがゴーストタウンと化したジュノンを徘徊している姿がちらついた。「海底魔晄炉が完成していた以上彼女もどうなったかは分からないが、少なくとも私が生きていた頃にアイツは命令違反の懲戒処分として冷凍刑になった」
「冷凍刑なんてあったんだ……。それ、もっと大昔の話かと思ったよ」
 数十年という単位でコールドスリープ状態にして眠らせるという刑罰。目覚めた頃には自らを取り巻いていた環境ははるか過去へと置き去りにされ、知る人全てが死んだその時から再び罪人のレッテルを剥がされ生きることを強制される悪夢のような刑にあたる。
 キネマや本の中でしか見たことなかったや、と年若い娘は呟いた。
「その後すぐ廃止になったらしい」
「そりゃそうでしょ。で? その人はまだ寝てんの?」
「刑期が三十だか四十年だか五十だかだったはずだ。あと十年もしないうちに出てこれるとは思うが……いや、どうだったか」
 タイマー式という非常に古典的なポッドで眠りについているとヴィンセントは記憶を手繰り寄せながら教えてやった。たとえ刑期の途中で神羅が倒産してそのまま永久に目覚めないまま、なんてことがないように一応救済措置があると彼は呟いた。
 その技術を応用したのがこのポッドだ、と魔物が入っていた卵型のそれを叩いた。
「これ?」
「一定以上の魔晄濃度になれば自動的にハッチが開き……モンスターが野に放たれる。そんなところだろう」
「ふぅん。……なんてゆーかさ、アンタが神羅のこと嫌いなのは分かったケド、タークスは嫌いじゃなかったの。すげー文句言う割には真面目なタークスだったんでしょ?」
 彼女の最もたる質問にヴィンセントは瞬間動きを止めたが、すぐに視線を逸らしながら答える。
「……タークスは……私の全てだった」
 ヴィンセントは外に開け放たれて炉内に入り込んできた外気に目を細めた。生ぬるい風が炉に入り込み、霧に塗れた白い景色が眼前に広がっていく。「お前の年頃には既に製作所にいた。……常識、価値観、世界……全てがタークスだった」
「……アタシにとってのウータイみたいなもんだね。憎んでも故郷(ふるさと)、って感じ」
 あぁ、とヴィンセントは頷いた。
 たまには嫌い嫌いって言ってみたところで結局のところは心の奥底から憎んでいる訳でもなくって。ただ素直に好きだとも言うことができない、そんな故郷。愛していた時の姿からはすっかり姿を変えてしまったが為に素直になれないのか、それともそこに住む人々に迎合することができなかったからか。
 どっちにしたって同じだ。
「今のタークスを好きになることはできんがな」
「レノたちにあたり強いもんねぇ、ヴィンセント」
 ユフィはどこか嬉しそうに言った。
「……そうか?」
「自分で気付いてなかった?」
「あれでも一応『優しい対応』をしてやったつもりだった。あたりが強いとは心外だ」
 セフィロスを追い回す旅の中で顔をあわせるたびに普段はおとなしいヴィンセントが率先して相手を殴り倒す役に出ていたのだ。
 売られた喧嘩はきっちり買い取る。聞く耳持つ価値すらないようなレノの罵声にもしっかり最後まで聞いた上で銃撃とローキックで返答してやり、襲いかかるルードの地走りは人間離れした跳躍力ではなくあたかも彼が生身の人間が悠々と『そうした』ように回避してみせる。要するに神経を逆なでするのだ。
 最終的に沈没した飛空挺ゲルニカで出会ったときにはご丁寧にタークスの制服を身につけた過去の姿に変身してから戦ってコテンパンにしめあげてやったというのだから、本人にしてみれば出血大サービスというやつなのであろう。
 うーん、と真面目腐って頭をひねったヴィンセントにユフィは遠慮せずに笑った。
「ほんっと、アンタって真面目だよねぇ」
「貶(けな)しているのか?」
「褒めてんの」
「ふん、どうだかな。……あぁそういえば」
 そこまで言って元タークスの男は階段を下りはじめる。「神羅屋敷にならば以前の同僚がまだ住んでいるだろう。……会ってみるか?」
「え?」
「インとヤン。白い化け物を見ただろう」
「まさか、あれがアンタの同僚?」
 そのまさか。
 背中に歪で身体を持ち上げるにはあまりに小さな翼を持つ、二人分の胴体を持つ一体の魔物。それがインとヤンである。
 ヴィンセントは地面まで降り切るとユフィを見上げた。自ら己の過去を語ることの少ない仲間の言葉にユフィは一瞬の時間を置いてからではあるが、こくこくと頭を上下させた。
「私よりも少し前にニブルに配属されて……彼らが別の任務に出向している間に私が死んだ。どうやらその後に彼らも宝条の餌食になったようだ。推測だがな」
「アンタに魔物仲間がいたなんてね」
 陽気な掛け声と共にユフィはその場から飛び降り、見事に一回転してからヴィンセントの隣に着地する。
「あの様子ではもう理性も残っていまい。かといってあれの再生能力はジェノバを凌ぐ。なかなか殺すに殺せなくてな」
「じゃ、金庫に住んでた化け物は?」
「あれもだ」
 小型のカプセルに押し込められていたかわいそうな魔物。部屋に散乱した宝条のメモにはロストナンバーという名前をつけられていたことは分かったが、それと同時にユフィはその魔物をクラウドたちと共に木っ端微塵に吹き飛ばしてしまったことを思い出した。
「……ヴィンセント」
「あれはお前たちが殺してくれたのだろう? 彼女の代わりに礼を言おう」
「女の人 だったんだ」
「事務員のような、な。総務課から調査課に移ってきた奴だった。調査課の資金繰りがあまりにも酷いと言ってお目付役として異動してきたが……彼女も ウータイに送られた上にニブルへ飛ばされた。金庫に引きこもって出てこなくなったから心配していたが……終わりを迎えられたのであれば それでいい」
 湿った地面を踏みしめて歩き始めたヴィンセントの歩調に合わせて少しばかり駆け足となったユフィはその隣に並び、憂いを帯びた瞳を見上げた。
 悲壮感はない。あるとすればそれは過去への寂寥感だけだ。仲間を殺された、喪ったという事実よりもきっと『死ぬことができた』という事実に対する羨望があるのやもしれない。彼は続いて「インとヤンは最初こそ死のうとして自爆ばかりしてな」と物騒なことを言う。
「じきに自分たちが死ねないことを自覚したのか……ちょうどその頃だな、彼らの自我が壊れはじめたのは」
「アンタは……平気だったの」
 魔物の身体に改造されて金庫に引きこもってしまったり、希死念慮に駆られ自らの滅びを望むあまり自爆を繰り返し理性を失った元タークス。命ある者ならば誰もが羨む不老不死の力を得てしまったヴィンセント当人に尋ねてはみたものの、彼は曖昧に微笑んだだけだった。
「私は人のかたちを保てた。幸か不幸か……な」
 毛むくじゃらの悪魔に変えられたまま狭いカプセルに押し込められたりした訳でもなくば、一卵性の双子と一つの胴体を共有する魔物に変わり果てた訳でもない。複数体の魔物と共生するようになってしまったことはヴィンセント本人の強い自我があったからこそ起こりえた現象でもある。
 そのことが幸せか不幸せかと問われれば 答えることなどできないだろう。
 不安定な吊橋は今にも落ちそうに揺れ、頼りない板をゆっくり歩きながらユフィはいつの間にか背後をついてくるかたちで歩いてくるヴィンセントを振り返ることなく手を広げて独り言を漏らす。
「アタシは 幸せだよ」
「ユフィ?」
「アタシは アタシたちはさぁ、ヴィンセントがそんな身体だったから……死ねなかったから 今も一緒にいれる訳じゃん。それってヴィンセントが人間じゃない魔物の姿で……とっくに死んじゃってたら 会えなかった訳でしょ。つーかそれこそ仲間どころかアタシら、他の人たちと同じように殺してたかもしんないし」
「……」
 彼女は吊橋を渡りきると早足であっという間に緩やかな斜面を駆け下りていく。
 昔ティファとクラウドが落ちてしまったという崖を繋ぐ吊り橋を渡ってしまえば急峻な斜面はもう終わり。緩やかな斜面が続き、少しずつではあるが舗装された階段が顔を出していく。メテオの旅路では数えるほどではあったものの、何度か繰り返し行ったり来たりをしたその階段を降りきれば迎えてくれるのは村と山を隔てる古びた黒い門。
 錆び付いてキィキィと悲鳴をあげるそれをゆっくりとあげれば、そこにはどんよりとした鉛色の曇天がどこまでも似合う、偽りの村が存在する、はず であった。

「…………うわぁ」

 本日、二回目。最初は偶然の遭遇であったが今度は確実に望まぬ邂逅だ。真っ赤な毛を逆立てた猫目のタークスに、綺麗な薄い金髪をかっちり固めた女のタークス。やかましい二人組に出会ってしまったものだとヴィンセントは思わず頭を抱えたくなる気持ちを抑えたが、その横ではユフィが髪の毛をかきむしりながら「うわぁ」と二度目の声をあげた。
「人の顔見て叫ぶなんて失礼だぞ、と」
「だって声あげたくなるでしょ、フツー」
 神羅屋敷に住み着くインとヤンの様子を見に行くつもりで下山しニブル村へ入ってみれば、だ。見慣れたくもないが見慣れてしまった黒いスーツの男女が道端で話し込んでいたのだ。
 見ないふりをして山に引き返そうと無言でヴィンセントに訴えかけ、彼もまた小さく頷いて音を立てぬよう方向転換したつもりではあったが……それでもバレたらしい。ユフィの靴底が小石を踏みしめた音で振り返った二人と目線を合わしてしまったユフィは大仰にうなだれた。「なんでアンタたちがいる訳さ」聞きたくもないけど。ユフィは諦めたような声音で尋ねる。
「見れば分かるでしょ、調査よ調査。私たち調査課なのよ?」
「それこそアタシたちも見たら分かってるって。なんでこんなとこにいるんだってば……」
「……ジェノバの調査ならやめておけ」
「!」
 ユフィと同じくうんざりした顔を隠すことなくヴィンセントは頭痛を抑えるように手を頭に添えて呟いた。
「お前たちの本当の目的なんぞ知りたくはないが……悪いことは言わん。アレには手を出すな」
「なんのことかな……と。オレらは今回魔晄炉の様子見にきただけだぞ」
「表向きは、な」
「……アンタはいつでもお見通しだな」
 レノは両手を挙げてふざけた。「仕方ないだろ? ジェノバつったら全部の始まりはここだ。神羅屋敷の地下にあったデータは既に何年も前吸い出したが……それでも調べてこいとの命令でね。実験動物のウンコ一粒でも持ち帰れとさ。クソ探しの任務だぞ、と」
「ちょっと先輩!」
 ぺらぺらと任務内容を漏らしたレノにイリーナは食ってかかったが、赤毛のタークスは「どうせバレる」と言う。
「あ、でも一応ちゃんと魔晄炉の様子を見にくるのも任務だからな、と」
「だがなぜ貴様らが?」
 そりゃあ、だって、ねぇ。
 レノは言葉を探しながら歯切れ悪く言った。
「ここでの話じゃなんだ、アンタたちもオレたちも目立ちたくないのは一緒のはずだ。続きは山の方にいってから、だな」
「……山まで行かずとも、屋敷の裏に丘があるだろう。あの上ならば人目にはつかない」
「そんなところが?」
「少なくとも以前はあった」
 花畑が広がり、大きなリンゴの樹が並んだ屋敷の裏丘。護衛として神羅屋敷に住んでいた際は隙を見つけてはしょっちゅうその丘で寝転がっていたものだった。魔晄を吸い上げすぎた今はもう花畑など残ってはいない、それでも丘自体は消し飛んではいないはずだ。
 村の出口、山の入り口から離れた道を少し歩いていくと、小高い丘になる。何か言いたそうなイリーナとユフィは見なかったことにして、黙って隣を歩いて付いてくるレノを横目で盗み見た。
「……なに見てるんだよ、と」
「……いや。つくづく神羅の忠犬だと思っただけだ」
「オレのあだ名知ってる? タークスの駄犬だぞ、と」
「どちらかというと先輩、猫ですけどね」
「お前は尻尾ぶんぶん振り回すウータイ犬だな、イリーナ」
 気まぐれで気分屋。すぐに興味をなくしてしまうところとか。感情の起伏がそれほど激しいわけではないが、ムラっ気に溢れるレノと反対側の場所にイリーナはいる。感情的、感傷的、どんな物事に対しても平坦な気持ちで任務に忠実。
 それなりにいいコンビだねぇ、というユフィに食ってかかったイリーナを無視し、彼女はレノの横を通り過ぎて先頭を小走りで歩く。
「わ、いい景色」
「こんな場所があったなんてな」
「……」
 ヴィンセントはその丘の上にたどり着いた途端、足を止めた。発狂したセフィロスが放った火はこの丘にまで及んだのであろう。神羅屋敷は多少燃えただけで済んだ様子ではあったが、村の家屋は全滅だったというティファの言葉をぼんやりと思い出しながら眼下に広がる霧色の世界を見つめた。
 昔は リンゴの樹もあった。
「ヴィンセント?」
「どこかの家の畑だったのかもしれない。……リンゴだけでなく、たくさんの樹があった」
 そして花畑が広がっていて。天気が良い日には背後にニブル山、前方には閑散としてはいるものの立派な給水塔を構えるのどかな村景色が広がっていたはずだった。
 しかしながら今やその面影などはどこにも見受けられることはない。セフィロスが魔法によって放った怨讐の炎は全てを焼き切り、魔晄が吸い尽くされた今はもう二度と命が芽吹かぬ不毛の大地としまったのであろう。死に果てた朽木が立ち並ぶ。
 丘の上からの景色に目を奪われるレノとイリーナの後ろ姿を見ながらヴィンセントは俯いた。「ミッドガルは……二度と繁栄しないだろう」
「突然なにさ」
 ユフィはその場にどっかり座り込むと、隣に腰掛けるようにヴィンセントに促した。
「星の怒り……ジェノバの怒り。怨嗟によって焼かれた大地は 二度と『正常な』生命を抱くことはない」
「メテオ?」
「あぁ。このニブルも……セフィロスに焼かれた後、いっそう不毛な土地になっているように見受けられる。ライフストリームは更に淀んだ。空気も悪い、お前も淀んだマテリアを多く見たと言ったが、それが証だ」
「……じゃあミッドガル、ずっとあのまんまかな」
「少なくとも二度と魔晄炉がまともに稼働することはないだろうな。植物も芽吹かず……定住する者は僅か。二千年後には忘らるる都になれるぞ」
「そしていずれオレたちも『古代種』なんて呼ばれるってか? そりゃ笑えない冗談だな、と」
 事実だ。
 振り返ってヴィンセントの目の前にどっかりと座り込みあぐらをかいたレノは膝に肘をつき、胸ポケットから湿気たタバコを取り出して火を灯した。先輩、というイリーナの声は無視。
「事実だ。それともお前はルーファウスが神羅を建て直した後、再びミッドガルに神羅カンパニーを作るつもりか?」
「社長はそのつもりだぞ、と。人類に繁栄を、二度と異星人どもに侵略されても負けやしない……人間の強さを 見せつけてやるんだ」
 あの日、あの時。ウェポンから放たれた強烈なビームを直撃した神羅ビルの最上部は完膚なきまでに叩き壊され、社員の多くを下層部へ避難させた上で一人居残っていたルーファウスの身体を吹き飛ばそうとした。
 結果として悪運の強い若社長は重傷を負いながらも生還したことは記憶に新しい。
 今頃何しているかなど興味はない。ヴィンセントはそう前置きをしながら「神羅がジェノバに再び手を出すようならば……世界はお前たちを許しなしないだろう」と牽制した。
「リーブが作るWROはルーファウスの目指す新しい神羅の障害となるはずだ。そして逆も然り。世論がWROに……星の再生に傾いている以上、うまくいくとは思えない」
「ご忠告ありがとよ。勿論最初からリーブさんに楯突くつもりなんてねぇ」
 レノは短くなってきたタバコを早々に湿った地面に押し付けて首の後ろに手を当てぐるぐると頭を回した。「星の再生は神羅の望むところと同じだ。だからオレらもここに来た」
「で、魔晄炉の調査なんです」
 今まで静かにレノとヴィンセントのやり取りを聞いていたイリーナは座ることなく背筋を伸ばしたまま、しかし穏やかな口調で言う。
「調査……調査か」
「えぇ。世論が求めるのは放置され続けている各魔晄炉の安全性。リーブさんがWROを動かして残留ライフストリームの濃度を計測して回ってはいるものの、ミッドガルとジュノンが大規模な魔晄炉なので、そっちに人員が多く割かれちゃって」
「だからお前たちが地方の魔晄炉の調査を請け負った訳か。よくリーブが信用したものだ」
 その言葉にイリーナは「確かに」と同調する。
「まぁ、私たちはあなたたちを追い回してた訳ですし。だけどそういう私たちだから、ニブルとかゴンガガとか、コンドルフォートとか。辺鄙な場所にはうってつけの人材です。調査課の本領発揮ですよ、未開の地だってどんと来い、ですから」
「むしろオレたちだけじゃおたくらのお仲間がぶっ潰した壱番魔晄炉の調査から八基の魔晄炉、それに零番魔晄炉。ミッドガルだけでも九基ある上にライフストリームの暴露が激しい。装備の心もとないオレたちじゃ無理な話だ。……カッコつけて下手こいて魔晄中毒にはなりたくねぇしな」
「神羅の魔晄炉なのにね」
「それを言い出したらリーブさんだって元神羅だからな。WROが魔晄炉の面倒見たっておかしな話じゃない」
 打ち捨てられた各地の魔晄炉は今のところ小康状態を保ってはいるが、いつメルトダウンを起こしたっておかしくはない。そんな状況なんだとレノは説明してくれた。
 ミッドガル壱番魔晄炉と五番魔晄炉はアバランチの手によって爆破されてしまったが、魔晄を組み上げる機構が破壊されただけで地表近くを流れるライフストリームの流向が変化した訳ではない。魔晄キャノンを放つ際に無理やり出力を上げた魔晄炉の耐久年数はあっという間に縮まり、変質した魔物たちの住みかとなった。WROは軍を所持はしていないものの、かつての神羅と同じように治安維持を目的とした隊員はいる。
 彼らが魔晄中毒を防止するための大仰な防護服を身に纏い、魔物に襲われぬようそれこそ命がけでミッドガルを調査してくれているそうだ。
「……ジュノンの海底魔晄炉は?」
 ユフィにとっては妙な機械に振り回され危うく死ぬところだったり、潜水艦に放り込まれて酔ってひどい目にあったり。そしてレノたちと煮え切れない戦闘を行った場所でもある。あまりいい思い出のないその場所の名前を出すと、イリーナは首をゆるゆる横に振りその場にしゃがみこんだ。
「海水が流入してて、あそこも私たちじゃ無理。お金はあっても……どうにもならないわよ。だからせめて地方の魔晄炉はこうして自分たちで調査してるって訳」
 聞こえはいいが。
 ヴィンセントは冷やかすように告げた。
「どちらが『ついで』だか知らないが……ジェノバは完全にルーファウス個人の命令だろう」
「! それは……そう ですけど」
「やめておけ。どうしても調べたいならば止めはしないが……少なくとも今更ここで新しい資料を探すのは無駄だ。それからジェノバはクソなんぞしないぞ」
「ションベンもしなさそうだけどな、と。だが手ぶらでは帰れねぇ」
「ならばここより本社を調べたほうがいいだろう。プロジェクトが撤退する際宝条は重要な研究書類だけは本社に持ち帰ったようだ」
「……科学部門、焼け残ってたらいいけどな」
「どうだか」
 たった一年ほど前のことだというのに。神羅ビルは見るも無残な廃墟になってしまったのだ。それこそ二千年も経てば愚かな人類が星の命を刈り取ってきた代償として未来人の立場からした『忘らるる都』と化してしまうかのように。
 魔晄、ジェノバ、古代種。
 四十年以上という歳月を遡った頃、後にプレジデント神羅と呼ばれた若者が目をつけてしまったエネルギー機構。当時はそれをドリーム・エナジーだと信じ込んでしまったのだろう。星の命を削ることを知ってか知らずか、彼はたった一人で会社を興し、魔晄という新たな力を使った消費社会を組み立ててしまった。
「魔晄があったから……」
 レノはぼんやりと視線を地面に落として呟いた。
「あんなものがあったから 世界はこんなになっちまった。ガスト博士がジェノバを見つけなかったら、プレジデントが魔晄なんて興味持たなけりゃ、古代種が……いや、セトラか。星の声なんて聞こえなきゃよかったんだよ。そしたらきっと今は違う世界だったんだよな」
「先輩?」
 珍しく弱気な男の言葉にイリーナは目を丸くした。ヴィンセントとユフィもまた、顔を合わせて同時に首をかしげた。「魔晄中毒にでもなったか?」と元タークスは尋ねる。
「全部全部悪い夢ならよかったぜ。……アンタの言う通り、こりゃとんでもない悪夢さ。魔晄、ジェノバ、セトラ。そいつを人間様のオモチャになんてしなければ今頃は…… 今頃、は」
 赤毛のタークスは大きく息を吐いた。「エアリスも死ぬことはなかった。……きっとザックスだってよ、オレたち神羅が殺す必要もなかったはずだったぞ、と」
「!」
 可愛い可愛い、誰よりも可愛らしいエアリス。
 クラウドたちにとっては死した今でも大切な仲間であり、ツォンにとっては幼少期より面倒を見てきた大切な女の子。神羅にとっては永遠に古代種で。
 それと同じように、レノにとってのエアリスも永遠であった。通勤途中にわざと回り道をしてスラムの教会を回っていけばいつだって花に水やりしている彼女に会えた。タバコのお咎めとか、朝帰りのひどい顔を笑ったり。かみさまのご加護がありますように、なんて信じてもいない神様への祈りをレノのために捧げてくれたり。
 代わり映えのないモノクロの世界を彩鮮やかな世界へと変えてくれていたカレイドスコープのような、万華の鏡が如きころころと変わる表情を見せてくれていたあの女は 死んだのだ。
 神羅が生み出した神の御子の手によって、神羅が見つけ出した絶望の箱より溢れ出した悪夢によって。
「オレたちだって結構傷ついてんだぜ?」
「レノ……アンタ、」
 たまに酒を飲んだり、たまに朝まで女の子をひっかけて馬鹿な遊びを繰り返したり。少なくとも親友ではなかったが、ただの顔見知りというよりは仲が良かった黒髪のソルジャー。いつのことだったか、エアリスからだったか、ザックスからだったか。どちらから聞いたかは忘れてしまったが、いつの間にか知り合った二人が『イイ雰囲気』にあることを知ったときは勝手にネームレス・ガールフレンドにフラれたフリしてルードと酒を飲み明かしたっけ。
 ニブルヘイムで死んだままならばよかった。
 帰らぬザックスを待ち続けるエアリスに嘘を吐き、その嘘をうっすら知りながらも弱々しく笑ってくれていた古代種。ザックスがセフィロスに殺されていてくれればきっと、苦しむ人間はもっと少なかったのやもしれない。逃げ出した彼とクラウドを追ったタークスの元同僚はひどく塞ぎ込んでしまったし、終いにはどうにかして殺さず確保しようとした調査課を出し抜いた軍部によってザックスは殺された。
 ジェノバなんていなければ。
 セフィロスという人間個人に恨みはない。宝条を呪う心算もない。
 それでも、だ。
「アンタらからしたら自業自得だけどな。どんだけ償ったって終わりはしねぇんだ」
 オレは社長ほどタフなメンタルでもねぇからなぁ、とレノは言って立ち上がる。
「……そんなものがあったから」
 ヴィンセントはレノに伴うように立ち上がった。赤いマントの裾が広がり、かつて群青色のスーツを着ていた人外者は同情するような瞳を向けた。「確かに、あんなものがなければ……エアリスも イファルナも死ななかっただろうな」
「だろ?」
 力なく笑ったレノにヴィンセントはしかし首を振る。
「それでもきっと、彼女は言うだろう」
「『そんなものがあったから、みんなと会えたんだよ』ってね。そうでしょ?」
 ユフィはケラケラと笑って見せた。エアリスとの付き合いこそ短けれ、彼女にとってもまたかけがえのない友人であった古代種の少女の声真似をしてみせる。
「違いない」
「確かにさ、ジェノバとか魔晄だとかソルジャーとかさ、宝条のことはアタシも嫌いだし、今もよく分かってないけどセフィロスもすっごい迷惑だったと思う。だけど……そーゆーのが積み重なったから本当はもうジジィのはずのヴィンセントは元気にアタシたちの仲間でいてくれるし、エアリスのこと ずっと覚えてられる。出会わなければ……アタシは古代種とかジェノバとか、何も知らないままだったもん」
 例え辿り着いた先が悲劇であったとしても。決して無駄ではなかったのだ。そう告げてユフィは勢いよく立ち上がり、レノの間近まで顔を近づける。
「……なんだよ」
「もーちょっと励ましてあげよっか?」
「ウータイの小娘に慰められるなんて、レノ様も落ちぶれたな」
「アンタきっと疲れてんだよ」
「……そーだな」
「だ・か・ら!」
 嗚呼、また 嫌な予感。
 ヴィンセントは思わず顔を背けた。「ニブルの魔晄炉は任せるけど、ゴンガガの魔晄炉もう行った? アタシちょうどゴンガガ行く予定だったから見てこよっか?」と、頭を抱えて罵倒したくなるような言葉をユフィは吐いた。
「お前らにこれ以上借りは作らねぇよ」
 冗談言いやがってとでも言いたそうな声でレノは言う。しかしユフィはにかっと歯を見せた笑顔のまま続けた。
「そんなこと言ってぇ。携帯貸して、アタシの番号登録してあげる。ライフストリーム濃度が高いか低いかわかればいいんでしょ? ヴィンセントがいれば有害か無害かくらいは分かるよ」
「……他人を計測器に使うな」
「でもすぐに分かるから手軽じゃん? どう? 疲れたタークスさんがおやすみできるように、このユフィちゃん。世界再生機構名誉職員としてお手伝いしてあげてもいいけど?」
「WROにならもーっと借りは作らねぇ。作れねぇ。社長になんて言われるか」
 そう言いながら彼は内ポケットからプライベート用の携帯電話を引っ張り出す。
「じゃあ、単に腐れ縁のユフィ・キサラギがお手伝いしてあげる。それとアンタの偉大なる大先輩が、さ」
 勝手に巻き込むなと言ったところで無意味なのだろう。あまりにも強引な、しかし拒否を許さぬその物言いにレノは思わず笑いをこぼしながらイリーナを振り返った。
「イリーナ」
「なんですか?」
「ツォンさんと社長には内緒だぞ、と」
「……はい。お言葉に甘えて……少しだけ、手を借りちゃいましょう。先輩」
 丘から広がる景色の色はあいも変わらずモノクロだ。
 楽しそうにカチカチと自分の電話番号を登録するユフィの隣でヴィンセントは迷惑千万といった顔をしてはいたが、本気で嫌がるならばこの場で消え去るはずだ。
「これも何かの縁(えにし)、か」
「そーそー。エアリスがしょっちゅー言ってた星に導かれた縁ってヤツだよ」
「星の導き、ね。そういやしょっちゅうそんなこと言ってたな」
「でしょ?」

 こうしてレノと出会ったのも、わたしがいつか他の誰かと出会うのも。全部星の導きだよ。
 どこかでエアリスがそう言った気がして、レノはニブル魔晄炉へ向かうべくイリーナを伴って山の方へと消え去っていった。



華:華のように永遠のひと(ヴィンセントとユフィ、シスネ)


 暑い!
 ユフィはたまらず叫んだ。隣を歩くヴィンセントは襟元まできっちりと隠し、赤いバンダナを巻いた姿で見るからに蒸し暑そうではあるが、本人の言うところによれば魔獣かカオスの影響により寒暖は特に感じないという。以前の旅の頃にも同じようなことがあったっけな。
 ミディールの温暖な気候の中であろうとも、吹雪が叩きつけるような極寒のアイシクルでも変わらない格好をしていたクラウドとヴィンセントはいつだってユフィによる非難の対象だった。
「そういやさぁ、アンタなんでニブルにいたんだっけ。やっぱジェノバ探し? 神羅と一緒?」
「奴らと同じにされるのは心外だが……否定はしない。肯定もしないがな」
「でも百点満点の正解じゃないんだ」
「……」
 答えたくないことになるとそうやって黙るよねぇ。ユフィはケラケラ笑った。彼女は昨晩の雨でぬかるんだ足元に気をつけながら、石の上を飛び移ることで白いブーツが汚れてしまうのを避けた。そんなことを気にせずばちゃばちゃと泥沼の上を突き進むヴィンセントは彼女に視線をくれてやることもない。
 言いたくないんだ、本当に。
 どこか合点がいったようにユフィは横目でその無表情を盗み見たが、これで引き下がるような女でもない。
「ルクレツィアさん?」
「ユフィ」
「あ、当たりだね」
「……お前はデリカシーという言葉を知らんのか」
「知ってるけど、あんまし気にしないかな」
「だろうと思った」
「だって別に隠すようなことでもないじゃん。みんな知ってるし」
 アンタが誰のことを好きだとか、アンタの行動原理だとかさぁ。誰のためにまだこの世界に人間らしくしがみついていてくれてるのかとかさぁ。ユフィは少し高い位置の岩場にやすやすと乗り移り、「いいと思うよ、アタシ」と言った。
「……」
「で? 進展あったの?」
「……ジェノバはジェノバを感知することができるのは知っているな?」
「うん」
「ルクレツィアは胎児のセフィロスに植えつけられたジェノバ細胞を……へその緒を介して体内に取り込んでいる、はずだ」
 少し話しづらそうにではあるが彼は話し始めた。「だから私が持つジェノバと呼応するとは思ったのだが……気になる場所へ行ったところで、魔物だらけだ」
「それで魔晄炉とか巡ってたの? 確かにあそこもジェノバ、まだ残ってるかもしれないもんね。ライフストリームが吹き出してる訳だし」
 ニブルヘイムではジェノバ細胞と魔晄を用いた人体実験が行われていたためもちろんではあるが、この数ヶ月の間彼は各地の魔晄炉や未開の地を回っていたのだと言った。
 可能性が最も低いであろうミッドガルの魔晄炉を軽く見て回るだけで何ヶ月もかかってしまったのだとも言う。「WROの仕事を奪う訳ではないが……ミッドガルの魔晄炉はどこもまだ魔晄の濃度が高い。あれでは魔物の繁殖も止まらないだろうな」
「それ、リーブのおっちゃんに教えてあげたら?」
「……私はどこの組織にも肩入れしない。どうせすぐに知れることだ」
「ほんと真面目。で? 他の魔晄炉は?」
「ニブルが最初だ。それが終わったらウータイの龍脈でも観に行こうかと思っていたところだが……」
「あそこ? 魔晄炉ないけど」
 されど建設予定となった場所。名前こそ違えど、ウータイ北部には水神を祀る祠があり、その近くをライフストリームが脈々と波打っているのだ。それに目をつけた神羅が魔晄炉建設に反対する神羅との戦争を開始し、長らくの間泥沼状態に陥ったのはユフィにとっても、ヴィンセントにとっても記憶に新しい。
 最終的にはソルジャー投入によって二十年にも渡る戦いが『終戦』を迎えたその場所は現地の人間でも滅多に脚を踏み入れることはない。
「魔晄炉がなくとも行く価値はある」
「ふぅん。水神様の祠でしょ? 失礼ないようにね。リヴァイアサンの怒りを買うと怖いよ〜」
「それは身を以て知っている。……が、忠告痛み入る」
「優しいでしょ」
「そうだな」
 岩を飛ぶ。跳ねる。
 しなやかな少女の肢体が華麗に舞い、鬱蒼と生い茂る原生林を掻き分ける。タッチミーと呼ばれるクラウドが大嫌いなカエルの魔物を回避して、襲いかかってくる野犬は威嚇し返して。
 そして開けた視界に飛び込んでくる廃れた村の景色はどこかニブルヘイムに似ている。
 彼方に見える赤錆びた夢の跡はゴンガガ魔晄炉。多くの人々の命を一瞬にして奪い去った、神羅の作り出した災厄の建物。爆発事故の後のゴンガガは神羅に見捨てられたが故に周囲に生い茂るジャングルはほぼ手つかずのままなのだ。
 大した保障も行われないまま住民たちは心に傷を抱いて生き続けなければならないのだ。
「……リーブのおっちゃんさぁ、この村、どうするんだろ」
「今はWROで手一杯だ。言っただろう、奴は腐っても神羅の重役だ」
「それは……そうだけど」
 ゴンガガだけではない。コンドルフォートも、名もなき村に設置されたが稼働しなかった魔晄炉の廃墟。たくさんの負債を抱えたまま神羅は破滅の道を辿り、新たに生まれ変わった世界を再生する機構は未だ軌道に乗らず燻り気味だ。
 かつてプレジデントが傷つけた世界を癒すことができるのはWROか、それとも神羅の残党か。
「責任の所在を押し付け合うだろうな」
「……なんか 悔しいカモ」
「だが現実は甘くない」
「うん」
「世の中全てカネとチカラだ」
 ヴィンセントはユフィが立ち止まった切り立つ崖の上に並ぶと眼科に広がる災禍の爪痕を見つめた。「神羅は成長することだけを考え……踏み潰してきたものを見ないふりしてきた。のどかな村を襲い、魔晄炉を世界中に建設し……エネルギー権の全てを掌握しようとしていた」
「アンタの頃から?」
「あぁ。そうやって地図から消えた村や街はいくらでもある。……実際に魔晄炉建設が行われるのはその中でもほんの一握り、稼働するのは更にその中でも何箇所かだけだ」
「……そんでもって稼働しても、うまくはいかないよね」
 住民の命を巻き込みメルトダウンを起こしたゴンガガに抵抗勢力が何年間にも渡って徹底抗戦してきたコンドルフォート。
「ウータイとて、神羅の領土とはいえ実質はキサラギ家が統治しているだろう」
「名前だけさ」
「……本当にウータイを支配したければ五聖強など解体しソルジャーにしていたはずだ」
「……」
「魔晄炉も建てられず、観光地という姿にすることを強要したのは神羅だが……奴らとて、ウータイの忍を軽く見ていた訳ではない」
「アンタ……そういえば戦争 参加したんだっけ」
 もうずっとずっと前。ユフィが生まれるようりもずっと前のこと。
 彼女の父親であるゴドーがまだ青年か少年と呼べる年頃という数十年も昔の話だ。血気盛んであった当時のキサラギ家当主は娘を一人神羅へと密命とともに送り出し、間者として動くように命令を下した。そのタークスの女は何年もの潜伏期間を経て、いざ神羅とウータイとの戦争が開始したかと思えばウータイ側の人間として神羅に刃を向けた。
 その女が、とヴィンセントはユフィに聴かせてやる。
「ゴドー頭領の姉」
「アタシの叔母さん、になるのか。一応」
「一応な」
「……前にも聞いたし……なんていうか、確かにアタシの親戚かもしれないけど……会ったこともないから、なんか変な感じ」
「だろうな。奴も自分の姪と私が並んでいることなど想像だにしないはずだ」
 そびえ立つ崖を二人は同時に飛び降りた。むき出しの大地を滑り降りるかのように二人は数メートルはある草原へと華麗に着地してみせる。「あの頃は私もそれなりに若くてな」と彼は黒いレザーの服に舞い上がった砂が付着したのを手で払いのけた。
「彼女はただ故郷のために戦っただけではあったが……私は 裏切られたと思った」
「……事実 じゃん」
「アイツの事情など考えてやれなかった」
「後悔、してるの?」
 また見つかった新しい後悔の種。ヴィンセントはそこで少しばかり足を止め、小さく頷いた。
「私はタークスとして正しいことを……『内通者』の抹殺を試みた。キサラギ家としての奴を殺し……降伏させ 神羅に連れ戻す心算(こころづもり)だった」
 その選択がどれほど間違ったことであったかに気付いたのはそれからずっと先のことであった。当時の想定以上だったウータイの軍事力に押され、神羅側は壊滅。
 リヴァイアサンという召喚獣を相手にしながらヴィンセントは彼女と文字通りの殺し合いを演じ、仲間を殺し殺されたどり着いた一騎打ちでもお決着がつかぬ長き戦いの果てに辿り着いたのは和解でもなくば死別でもなかった。
 その先にあったのは、終(つい)ぞその心を明かし合うことはできなかった『別れ』だ。「あの女はウータイ人としての籍を奪われる代わりに処刑を免れた。それがコールドスリープにされた奴だ。近い将来きっとお前も晴れて叔母と対面できるぞ」
「対面、ね。趣味悪い刑罰だね」
「まったくだ。私はウータイでの任務に失敗し……多くの部下を失い、主任の座を奪われた」
 彼は再び歩き出す。
 村の入り口はもうすぐそこだ。周辺のジャングルを大回りしてくれば密林を突っ切ってくることもなかったが、迂回しないままニブルヘイムから一直線で来たためユフィたちは緑の森を抜けてくるハメとなったのだ。廃れた魔晄炉に合わせた色合いの煉瓦造りが立ち並び、人影は少ない。
 何人かの村人が入り口近くにある墓場に集まっているようにも見えた。「責任を取るかたちで……逃避するように任務に明け暮れたが……その度に己の誤った選択を自覚し 更に逃避した」
「その頃から逃げるの得意だったんだね」
「……悪かったな」
 まぁいい。彼は村の入り口に建てられた解放され続けている門に触れた。「製作所の上層部はそこで私は最早不要と判断したのだろうな。最終的にニブルヘイムへ左遷された」
 あの運命の 場所へ。
「神羅屋敷の魔物にされた人たちも?」
「そうだ。彼らもまたウータイ戦争で負傷し……療養のためにニブルヘイムへ送られた。が、実際は……」
「宝条の実験サンプル」
「そういうことだ。最初からそのつもりだったのだろう」
 あの村は死の村、終わりの村、絶望の果て。
 ヴィンセントはそんなことを言った。キィキィという音が鳴り、ゴンガガの開け放たれた門から二人は村へと入っていく。村の入り口にいた人々はその風来坊(ストレンジャー)たちを振り返りはしたものの、すぐに興味なさそうに日常へと戻っていく。外部からの人の出入りは少ないのであろうが、メテオ後となっては魔晄炉調査の神羅社員が多く出入りしているのだろうか? 奇妙な男女二人組を歯牙にも掛けない様子の村にユフィは小さく息を吐いた。
「……相変わらず辛気臭い村だね」
「仕方あるまい。ニブルヘイムだって似たようなものだろう」
 打ち捨てられた魔晄炉を抱き続ける辺境の村。ゴンガガのように爆発事故が起きている訳ではないが、ニブルヘイムという一度消え去った村を再びそっくりそのまま作り直すという狂気の沙汰の末に蘇ったあの絶望の果ては確かに『辛気臭い』村ではある。
 仲間の故郷だからというフィルタをかければ多少はその暗澹とした空気は薄まるというものだが、ゴンガガが纏うそれとニブルのそれは、ほぼ同じだ。
「何年だっけ、ゴンガガ 爆発したの」
「お前の方が詳しいはずだろう、ごく最近だ」
 ニブルヘイムの世界で初めて稼働した魔晄炉が建設され、もう数十年という年月が流れている。ヴィンセントがまだ人間であった頃にはじめて動き出した夢の発電所は数年前に建設されたコレル魔晄炉と比較しても基本的な構造が変わっていなかったという。その地のライフストリームが突如活性化すればすぐにメルトダウンしてしまうような構造。
 ミッドガルを支える魔晄炉だけはずいぶんと耐久性を底上げしていたようだが、地方魔晄炉はお粗末そのものだ。
 そんな魔晄炉が抱える問題の一つが炉内でのマテリア生成だった、とヴィンセントは口を開く。
「マテリア?」
「私がタークスだった頃に聞いた話だ」
 それを教えてくれたのはルクレツィア。ヴィンセントは丁寧な口調でユフィに語りかけた。「以前ヒュージマテリアというものがあっただろう。あれが生成される魔晄炉はライフストリームの量が非常に多い。よって純度が高ければ『質のいい』天然マテリアが生成され、それは軍事的な利用が可能になる。しかしニブルのような淀みの多い場所で生成されるヒュージマテリアは悪性のものが多く、『ロクでもない』ものの場合が多い」
「ロクでもないって?」
「召喚獣、あるいはその力を中途半端に持つ制御不能な魔法マテリア。ライフストリームに溶け込んだ魔獣の力がマテリアとして分散し、地上に析出する」
「あぁ、そゆこと」
 制御できない召喚マテリアなど災厄以外の何者でもない。ユフィはうんざりした顔で理解した様子を見せた。
 その筆頭であるクラウド自慢の『円卓の騎士』様たちを思い描いた。己たちが悪と決めた者を討つものだから、一度クラウドの命令に背いて勝手に出てきて大変な目にあったことがあったな。ユフィは大空洞の真っ暗闇の中でセフィロス目前にして起きた円卓の騎士戦を思い出してぶるりと身を震わせて見せた。
「だからお前が見つけたというマテリアもいい予感はしないな」
「……でもマテリアって古代種の智慧? なんでしょ。召喚獣も古代種の力だって言うなら……なんで実体があるの?」
「あの幻影は古代種の夢。かつて古代種が思い描いた番人たち……ジェノバに冒されるよりも昔にこの星に住んでいたいわば守り神の幻だ」
「守り、神……。水神様もってこと」
「あれはウータイを守り続けてきた龍神だろう。ジェノバに殺されたか滅ぼされたか……それとも本当に実体のない夢だったか。なんであれ、かつて古代種が『知って』いた土着神の姿が……ライフストリームから滲み出し、リヴァイアサンの召喚マテリアとしてウータイの祠に生み出されたのだろう」
「そういうカラクリだったんだ」
「神羅が魔晄炉を作ろうとした場所はどこも魔晄が濃く……逆に言えば、そういったマテリアが生み出される可能性が非常に高い。ジェノバを憎む神々を秘めたマテリアでも見つけてみろ、あっという間にクラウドや私は大空洞の二の舞だ」
 星にとっての悪、それは異星より飛来したジェノバ。
 それを内に秘める者たちを屠ろうとしたあの円卓の騎士たちに『悪気』はない。ただ古代種が描いた邪を打ち払う者としての責務を全うしたに違いはないが、ああいった召喚マテリアは世界中にどれほど転がっていてもおかしくはない。
「なんていったっけ、あの召喚獣たち」
 剣、斧、杖。
 いくつもの武器を携えた勇猛なる戦士たち。恐らくはその各々に名前があったのであろうが、クラウドたちはまとめて一人の名前で呼んでいた。誰だったっけ? と聞くとヴィンセントは伏し目がちに告げた。
「ナイツ・オブ・ラウンズ。古の王神に使えた十数名の騎士たちだ。ずっとずっと昔……それこそ私が子供の頃に何度か寝物語として聞かされたことがある」
「……なーんか、長い名前」
「円卓の騎士。そう呼べば短くなるだろう」
 それを聞いたユフィは何気なく共同墓地の中へと入っていき、無人となった墓場を見渡して名もなき足元の墓碑の前にしゃがみこんだ。
「あだ名、つけてあげよっか」
「……?」
 だってその名前、長いじゃん。
 ウータイの忍者娘は軽やかにそう言った。「クラウドもティファも短いけど、ナイツ・オブ・ラウンズ? もヴィンセントも名前、長いでしょ。だからアタシが短い名前つけてあげるって言ってるの」
「召喚獣と一緒にするな」
「でもケット・シーのことは皆ケットって言うじゃん」
「……」
 あれは獣だ。無機物だ。
 そう言い返してやろうかと思いはしたものの、目の前で人の話を聞かないユフィはすぐに腕を組んで頭に浮かぶ名前をぽんぽんと口に出していく。磨り減った墓碑銘は誰かがいつも指でなぞったからか、それとも単なる風化か。どちらにせよもう名前が読めなくなったその石塊にユフィは手を添えた。
「ヴィンセント……ヴィンス、ヴィニー……ヴィー、フィンってのもアリかなぁ。あ、フィーってのもかわいいかも」
 途端、ヴィンセントは立ち止まった。

 ヴィンス、ヴィニー、ヴィー。フィンにファリアにヴィンセント。
 ユフィが並べたたくさんの名でヴィンセントはかつて仲間たちに呼ばれていた。神羅製作所というちっぽけで汚らしいオフィスで、毎週のようにメンバーが死んで入れ替わるような坩堝(るつぼ)の中で。
 あまりにも多くの呼び名があったが、それぞれの名を呼ぶ主人はどれもが違う人間だった。
 薄汚くとにかく狭いオフィスで彼は仲間に色々な名前で呼んだ。いくらやめろと言っても男だか女だか分からない性別不詳を装った元マフィアはヴィニーと猫なで声でその名を呼んではからかって、耳元で気持ち悪いほどに色気を出した声で囁いたのはファリアという名前。初めてその男と出会った時に女装せざるを得ない状況であり、偽名として使っていたそれを彼はあだ名としても呼んだ。
 あの男はミディールの医者になった。嗚呼、クラウドを探しにミディールへたどり着いた時には久しくその名前で呼んでくれたかな。とヴィンセントは数ヶ月前を回想した。
 総務課から調査課へと移ってきた経理係の女はヴィンスと呼んでくれてはいたが、彼女はニブルヘイムでロストナンバーという魔物と成り果て、死んだ。最も常識的な思考回路を持っていたはずの彼女は身体の左右を全く違う性質の魔物へと変えられてしまったのだ。
 そしてヴィンセントはユフィの声など聞こえていないかのように、彼女が挙げたあだ名の数々から押し寄せてくる寂寥に目を閉じる。
 どう見ても年下の、書類上は年上だったウータイの双子たちはインとヤンと言い、自分たちが短い名前だからといってありとあらゆる仲間に一文字の名前を与えていった。レノという名前を持っていた赤毛の男にはエルと。アイシクル地方出身だった違う部署の後輩は何度言ってもフィンさんと呼んで聞かなかった。
 めまぐるしく記憶の華が咲いては消えて行く。泡のようにかつての思い出が眼前にちらつき、しかしヴィンセントは慌てて意識を現実へ引き戻そうと首を横に振った。
「ヴィンセント?聞いてる?」
 そして、誰もいなくなった。
「……虚しいな」
「え?」
「お前は……私が人のかたちをした人ならざる者でよかったとは言ったが……それでも、人としてあの時死んでいればと思わずにはいられない」
「…………やっぱり、知ってる人がいないって寂しい?」
「もしも今が私が生きた時代から百年先で……誰一人として私を知る者の痕跡すら残っていなければ 幸せであっただろう」
「それは……そう かもしれないけど」
 例えばこの墓碑の下にかつての仲間たちが眠っているのであれば。
 タークスとして命を全うし任務で命を落としていたとしても、『普通』の暮らしを求めてタークスを逃げ出して死んだのだとしても。それこそ魔物の姿に変えられた末に自我を失い苦悶の果てに力尽きたのだとしても。
 どんなかたちであれ、もう二度と会うことができないと分かっていれば。
「全てを諦められたならば 楽だっただろうに」
「また逃げる?」
「逃げても追いかけてくるだろう、お前たちは」
 もう一度神羅屋敷の地下で眠ろうものならば神羅の最新式目覚まし時計と釘バットを持って乗り込むくらいのことは容赦なくするだろう。そういう集団だ、彼らは。冷静を装ったクラウドも、他人の意思を尊重しそうなシドだって。ヴィンセントは小さく笑うと墓碑の前から立ち上がったユフィを伴ってその場を離れた。



「あら、奇遇ね」
「……誰だっけ?」
「覚えてないのも無理ないわ。シスネよ。見ての通り、タークス」
 螺旋トンネルで会ったんだけど、と彼女は言った。
 人工的なパーマでウェイブした赤茶色の髪の毛に人懐っこい目元。ウータイ人らしい顔立ちをしたその女は動かぬ黒猫の人形を腕に抱えたまま村の奥、寂れた家屋から出てきた。
「それケット?」
「えぇ。このあいだリーブさんのところに行った時にもらったの」
 無機物ながらどこか生物らしい毛並みの黒猫は少し汚れていた。それを愛おしそうに撫でたシスネは「もう引退なんですって。だから、譲ってもらえたの」と少し幼い表情で言った。
「ふぅん。タークスってことは、アンタも魔晄炉調査?」
「私『も』っていうことは……誰かに会った?」
 彼女は少し遠くに見える魔晄炉を背景に首をかしげた。
「レノとイリーナ。ニブルヘイムで会ってさ。色々あってアタシらが代わりにゴンガガの様子見に来た訳なんだけど……」
 アンタがいるんだったらアタシたち来なくてもよかったかも、とユフィは肩をすくめた。しかしそれに対してシスネは弱々しく首を振る。
「いいえ。レノたちと三人で行く予定だったの。私は……用事があって早めに来ただけ。流石に魔晄炉の中がどうなっているか分からない以上、単独行動はできないわ」
「じゃ、アタシらはアンタと一緒に行けばいい感じ」
「アンタじゃなくてシスネよ」
 ティファよりも少し上の年頃であろう見た目の女タークスはそう言って歩き出した。村を抜けたジャングルの更に奥まった場所に魔晄炉は聳え立っている。「少し待ってて。話をつけてから行くから……先に村の出口で待ってて頂戴」
「話?」
「私が居候してる家の人に言ってこなくちゃ。それにこの子も連れて行ったら汚れちゃう」
「居候? 知り合いいるんだ」
「……ザックスの家よ」
「…………ザックス……」  どこか諦めたような悲しい笑顔でシスネは告げた。
 人気のない村の中へと彼女は消えていき、ある民家へと入って行く。あの煉瓦造りの家が恐らく、ザックスの生家だ。広がる景色に立ち並ぶ同じような建物に区別はない。
「私じゃ駄目なことは 分かってるわ」
 それからたった五分ほどで戻って来たシスネは右手に機能的な手裏剣をぶら下げてやってきた。ユフィよりも小柄な彼女は最初こそ儚げな印象を受けたものの、それは幻覚だったようだ。ゴンガガの周辺に広がるジャングルに一度入ってしまえば、彼女がタークスの制服を着ていることにも納得の動きであった。
 蔓延るツタや垂れ下がる木の枝をマチェットでばさばさ切り倒して進む女は革靴が泥で汚れることも気にせず前進する。「だってザックス、エアリスのこと……好きだったから」タークスである彼女が割り入る隙間などなかったのだと。
「……ふぅん」
「馬鹿なことをしてるって、理解はしてるわよ、流石に」
 こうしてザックスが『行方不明』となり、そのあと『死亡』してからもずっと彼の両親の元を訪れることが。
 謝罪をする訳でもなく、真実を伝える訳でもなく。ただいつもお茶の時間頃に現れては、ゴンガガの暖かい酸味のあるコーヒーをいただいて、老いた彼の母親が作ってくれたクッキーを頬張る。たまにこうして魔晄炉調査のときはベッドを借りる時だってある。神羅ビルでシスネがザックスと過ごした時間は大して長くはない。だからたった一つの出来事をゆっくり、丁寧に大切に両親へと聴かせてやる。
 せめて英雄を夢見た息子の僅かな思い出を両親に渡してあげるために。
「悲くないの?」
「悲しいわよ」
 シスネはそう言った。「彼のこと、好きだったような気がするから」と。
「……アンタには悪いけどさ、エアリスもザックスのこと 好きだったと思うよ。少なくともアタシはそう思う」
 ごく稀にしかしなかったけれど、俗に言う『コイバナ』で盛り上がったっけ。ジュノンの宿屋で夜中に騒いで怒られたり、ニブルヘイムで落ち込んだティファを励ますためにバカみたいにエアリスと騒いでやっぱり怒られたっけ。ユフィは目の前を横切る蔓を小太刀で切り落とした。
「大丈夫。私もそう思ってるから。エアリスにはザックスがいて……ザックスにはエアリスがいて。とってもお似合いだった」
 二人でスラムの教会に入り浸って花売りワゴンを作る姿はなんとも可愛らしいものであった。レノと三人で夜のスラムを遊びまわってた時は朝方エアリスを家まで送り届けてあげたわ。古代種たる彼女の『タークスの知り合い』の一人程度であったシスネは小さく笑う。
 私の入る場所、今もないわ。
 二人は永遠だったから。
 彼女の笑顔はどこまでも悲しげだった。
 そんなシスネが手裏剣を投擲する姿は、ヴィンセントのよく知るユフィの姿勢によく似ていた。
 ウータイ人の血筋ではあるが戦闘スタイルは神羅で一から教え込まれたというシスネはしかし、それでも身体に流れる血筋に色濃く刻まれているのかユフィと鏡写しの動作で赤い手裏剣を魔物へと投げつけていく。それがくるくると回転して大きな弧を描く間にユフィは小太刀を、シスネは短銃を取り出して敵へと撃ちまくる。
「ヴィンセント!」
 その後ろから放たれた一発はほんの少しの歪みすらなく真っ直ぐに魔物の頭部を貫いた。
「こっちは終わりよ」
 それから三人はせっせと魔晄炉へと押し進み、あっという間に崩れかけた瓦礫の山にそびえるかつての発電施設の目の前までやってきた。魔晄炉周辺に徘徊する魔物はさほど強い変異種はいなかったが、それでも明らかにジェノバの影響を受け強い再生能力を持つ魔物ばかりであった。
 魔晄炉にジェノバが集まっているのか、それともジェノバがライフストリームに混入したまま魔晄炉に流れ込んでいるのか。
 ヴィンセントは破壊された建屋の隙間から見える強い蛍光色の魔晄を身を乗り出してまじまじと見つめた。
「どう?」
「……村で人間が生活するには問題なかろう。だが魔晄炉周辺は危険だ。幸い建屋の中で滞留してはいるが、内側は人を害する濃度の可能性もある。……それにジャングルにもいつジェノバの変異種が侵入するかわからん」
「じゃやっぱり、しばらくは魔晄炉、立ち入り禁止だね」
「ここの村民はそもそも近寄りはしないだろうが……それが賢明だ。ついでに周辺のジャングルも一般人は封鎖してしまった方がいい。……神羅も『モノ探し』はほどほどにな」
「あら、なんの話?」
 軽やかに『知らないふり』をしてシスネは微笑んだ。
「……まぁいい。魔晄炉の調査は継続しておいた方がいい。ゴンガガが魔物に食われるようなことがあれば……ルーファウスの立場も悪くなる。神羅の再建など夢のまた夢になる」
「社長は……いいえ、確かにそうね。大丈夫よ。ゴンガガは私の担当になってるから」
「なら安心だね。じゃ、アタシらはこれにて解散?」
「えぇ。助かったわ。一人では心もとなかったから」
「レノたちより役立ったでしょ」
 それはどうかしら? クスクスと女は笑った。魔晄炉から村へと伸びる道は舗装されてはいるものの手入れはされておらず伸び放題の雑草が足元に絡みつく。泥だらけになった革靴でシスネは背後から突然襲い掛かってきたタッチミーを素晴らしい後ろ回し蹴りで吹き飛ばすと、小ぶりの手裏剣を振り返りざまに投擲し物陰から様子を伺っていたカエルの集団をけん制した。
 続いてユフィがその横をすり抜けて狼を刀で追い払う。背後から追いかけようと迫っていたジェノバを持つ魔物の足元に銃弾を打ち込んで散らせたのはヴィンセントだ。
「村までは裏から回ればすぐそこよ。どこに行くのかは知らないけど……気をつけて。世界の魔晄炉の周りはどこもあんな魔物だらけよ」
「ご忠告ありがと。アタシらはWROに戻るよ。リーブのおっちゃんにはケット、可愛がってもらえてるって伝えとく」
 今頃お家でお留守番しているあの万能ロボットのことを。
 よろしくね。
 シスネは最後まで悲しそうな笑顔のまま手を振ってぬかるみの道を一人軽やかに飛び進んでいった。



「……可哀想なひと だったね」
 彼女は一人、蒸した太陽の光を浴びながら人気のないのゴンガガ村へと消えていった。行き先は、帰る先はきっとザックスの生家なのだろう。英雄を夢を見て故郷を飛び出して夢を叶えた悲劇のソルジャー。クラウドの朧げな記憶の中で彼は最期まで微笑んで死んでいったというのだから、悲劇ではなくあるべくして訪れた『終わり』だったのかもしれない。
 そんな決して再び見(まみ)えることもできず、そして運命の相手とやらでもなかった男の実家に通い続ける女に対してユフィは可哀想、ともう一度言った。
「仕方あるまい」
「ん。それは……そう、なんだけどサ」
「彼女は 死ぬまで『それ』を背負わなければならない」
「『それ』?」
「後悔」
「……アンタと同じ?」
「あぁ」
 少しばかり種類は違うかもしれないけれど、だいたい同じだ。
 仲間殺しを強いられ躊躇ったがために仲間を殺されたヴィンセントと、仲間殺しを命じられ躊躇ったがために他人に殺されたシスネ。どちらにせよ同じなのだ。「自分の選択が違っていれば……仲間を失わずに済んだ。あの女の場合、それが想い人だったというならば 一入(ひとしお)後悔していることだ」
「後悔、か」
 ユフィは足を止める。もうもうと未だに煙を吹き上げるゴンガガ魔晄炉は黙したまま、されど内にいくつものマテリアを孕んだまま、だ。
「何か言いたそうだな」
「……だって ザックスを殺したのは神羅兵なんでしょ?」
 クラウドから聞いた話では。
 後日レノから締め上げた話と統合してみたところでザックスを殺したのは神羅であることに違いはない。抹殺命令を下されたシスネらタークスはその任を放棄し、むしろ彼らに移動手段であるバイクを譲渡するなどの命令違反を犯していたとはいう。しかしだからといってそれ以上積極的に逃走を手助けした訳でもなかった。
 一応、対象を抹殺するでなく捕獲することを目的として奔走はしていたものの、最終的には暴走した軍部がタークスの到着を待たずしてザックスらを発見し戦闘にもつれ込んだ末に射殺した。「悲しいのは分かるけど、アイツだってザックスを殺した神羅じゃん」とユフィはどこか意地悪く呟いた。
「だからこそ後悔しているのだろう」
「後悔できる立場じゃないよ」
「手厳しいな」
「だって……好きだったんでしょ。アタシ一回しかザックスと会ったことないからあんま分かんないけど、好きな人のためだったら……全部 捨てられなかったのかな」
「……ユフィ」
 ヴィンセントは足を止めていたユフィの手を引いた。歩こう。彼は言葉では告げなかったがずんずんとぬかるんだ泥道を歩き続ける。
「捨てられなかったから 死んだんでしょ、ザックス」
「もういい」
「なのに今更後悔なんてさ! 都合よすぎんだよ、甘ったれてんじゃん」
「ユフィ!」
「!」
 珍しいヴィンセントの大声にユフィは肩をびくりと震わせた。心なしか掴まれた手首には力が込められていて、長い髪の毛に隠された元タークスの表情は伺い知れない。それでも少しばかりの怒気が含まれた声は彼の『地雷』を踏んでしまったことをハッキリと示していた。
「ならばお前は エアリスが殺された時……何をしていた?」
「何、って……」
「彼女の代わりに死ねた、はずだ。躊躇せずに……彼女とちがって 死ぬことのない体を持つ私は ジェノバに殺されようとも死にはしなかったはずだ」
「……ヴィンセント、アンタ……」
 ぴたり、と。彼は足を止めて振り返った。
 普段は無表情という言葉そのもののような静謐な顔をしているヴィンセントは今、怒りなどではなくどこまでも悲しそうな顔をしていた。遣る瀬無さを噛み締めたような、エアリスが死んだときだって見せたことのない顔だ。
「それを後悔する私も……お前からしてみれば 甘いのだろうな」
「ヴィンセント、アタシは、別に……」
「人は……誰しも選択を間違える。何度も……何度も」
 シスネの肩を持つ訳ではないが、と彼は続ける。「あの女も分かっているはずだ。彼を殺したのは神羅……もし二人の逃走を手伝っていれば、命は助かっていたかもしれない。タークスの連中がもっと早く動ければ……軍部より先に ザックスたちを確保していれば。過去の仮定を考えたところで意味もないことすら 彼女は理解しているだろう」
「それは 同じタークスとして? それとも……大事な人を殺された人の意見?」
「どちらも」
 タークスとして幾度となく選択を誤ってきた。
 私は仲間殺しを拒んだことすら間違いだったのかもしれないと今では思っている。ヴィンセントはひどく小さい声で俯いて、苦しそうに言葉を紡いだ。「手遅れになる前に説得できていれば……彼女の事情を 知っていれば。もう二度と違えはしないと誓いはしたが……私はニブルヘイムで再び道を誤った。科学者として……女として セフィロスにジェノバ細胞を埋め込み出産することを望んだルクレツィアを 私は止められなかった」
「……」
「それが彼女の望みだったから。彼女の願い……彼女の夢だった。私は彼女に拒まれたのなら……彼女の道を 邪魔などできないと。私の願望を押し付けることなどできない。かつて『そう』して間違えたのだから……今度は 彼女が望むがままにあるべきだと」
「だけど、それは……」
「結果は知る通りだ。私は私が殺されたこと自体は後悔していない。私は自分の意見をぶつけた、確かに油断していたことは悔やまれるが……それでも 私はもう引き返せないほどに間違えた道にいることに気づき、最期に足掻き殺された。だからもう どんなことがあろうとも……間違えはしない。『何もしない』ことで 誤りから逃げ、選択すら拒んだ」
 悪夢の中に逃げ込むことで現実から、命から目を背け続けることで。
 最初から感情など殺し武力をちらつかせれば、それとも言葉を発することもなくただ宝条やルクレツィアの命を奪い、それで全てを終わらせることのできる勇気があれば。
 それらは全て過去に対する無い物ねだりだ。
 そして決して他者と関わることのない永遠の苦痛を味わうことで他者を失う恐怖を味わうことが無くなるのであれば、そして選択を後悔しなくてよいのなら、と。ヴィンセントはそんな身勝手な結論に辿り着き神羅屋敷の地下で『死に』続けることを選んだ。人間としての心はかつて幾ばくか残っていたかもしれないが、死の夢に逃避し続けたことで確実にそれは失われていった。やがてセフィロスという名前を持ったソルジャーが神の御子としてニブルヘイムを焼き払ったあの日に ヴィンセントは全てを諦めた。
「彼女の夢は世界を恐怖へ陥れた。多くの命を奪い去った。……最早 私は身動きが取れなかった。何を選ぼうとも……何を選ばずとも 私は後悔し続ける」
「……ごめん」
「構わん。お前の言葉は正しいのだから」
「でも、アタシだって……エアリスのこと、後悔 してる」
「……」
「もっと早くアタシらが追いついてたら、ってさ。アンタを責めるつもりはないよ。だけどきっとアンタはエアリスを連れ出したことを後悔してる。アタシはそのことは……別に怒ってないし、エアリスが選んだことだから仕方ないって思う。でも……アンタみたいに 自分が殺されればよかったとは思わないけど、もっと もっと何か……エアリスが死なないで済む道があったんじゃないかって 今でも思うよ」
「……ならばもうあの女のことは悪く言わぬことだな」
「……ごめん、本当に」
「言っただろう、お前は正しい」
 人は自分を最も愛する。ヴィンセントは前を向いて再び歩き出した。「最後の最後には……誰しも己の命を選んでしまう。あの時……エアリスの代わりに死ねればと そう思ったとしても……過去の私はそれができなかった」
「当たり前だよ。死ぬのは……誰だって怖いもん」
「だが『代わり』に誰かが死ねばエアリスは死ななかっただろう」
「でもエアリスは死んだ。そんで『代わり』の誰かが死ねば、エアリスはきっとむちゃくちゃ怒ったよ。……それがたとえアンタとか、ケット・シーでもね。何考えたって、何思ったって、何後悔したって 生き返ったりしないんだよ」
 古代種の神殿でケット・シーが滅びとは無縁の身体だとして黒マテリアそのものになってしまった時もエアリスはひどく怒ったものだ。
 するとヴィンセントはあの猫と一緒にするな、と苦い笑みを零してから、 「……そうだな」
 と言う。声音はもう優しい。
「死んじゃった人、もう戻らない。だから後悔したって……悲しいだけだよ。きっとザックスだって、ああやってシスネがずっと悔やんで苦しんでるの知ったら……つらいと思うし、エアリスだって 今のアンタとかアタシも……クラウドも、皆のこと見たらすっごく悲しいと思う」
「……」
「だからさ、くよくよすんのもうおしまいにしない?」
「……」
「ルクレツィアさんのことも。エアリスのことも。すぐにとは言わないし、時間かかってもいいけどさ。……いつかは 後悔しなくていい日が来たら アタシは嬉しい」
「私は……」
「そうでしょ? アンタがエアリスの立場だったらどうする?」
「……彼女なら、きっと今の私たちを怒鳴るだろうな」
 穏やかな顔に反して彼女はしょっちゅう怒った。リボンが耳のようにピンと立つような、前髪をはねあげるような勢いでぷりぷりと怒りを振りまいた懐かしいヴィジョンが二人の脳裏に同時に描かれた。
「アタシもそう思う。じゃ、次の『選択』ってのは決まったよね」
 二度と後悔しないだなんてことは無理、だ。これから先の未来で逃げることをやめたヴィンセントは幾度となく選択を迫られ、その度に捨て去った道を悔やむはずだ。
 にっかりと笑った彼女にヴィンセントは優しく微笑みかけてやった。
「……ユフィ」
「ん?」
「ありがとう」
「ヴィンセントがお礼言うと……変な感じ。でもどういたしまして」
 そして男はぼつぼつと続ける。
「私は……これからも生き続けるだろう」
「……そう だね」
「お前たちの全員が死んでも、どんな未来になろうとも……きっと五百年先でも 私は人間の形をしてはいるだろう」
 だけど。ヴィンセントは少しだけ笑った。「その時の私は お前たちの死と喪失を嘆く訳ではなく……こうして旅をして 同じ時間を共にして…同じ星の上を歩き、痛みを分かち合い、世界を愛せたことを 誇っているはずだ」と。
「ヴィンセント……」
「お前の言った通り、今は無理だろう。私はルクレツィアのことも……エアリスのことも まだ割り切れはしない。これからも後悔し続け……それが私の罪だと私に押し付けることで考えることから逃避するだろう。だがきっと エアリスならこう言う。『逃げたっていい』と」
 えらく饒舌なヴィンセントは切り開かれたジャングルの道を引き返し続ける。次はどこへ行こうか。電波が通じる場所に出ればまずはユフィからレノへ連絡をすればいい。シスネは元気そうだった、魔晄炉もきっと大丈夫。
 それからどこへ行こう?
「逃げても……悲しんでも 悔やんでもいい。けれど自分を見失ったりはしない。私はたくさんの選択を間違えてきたが……今のこの世界を生きていることを お前たち仲間に出会えたことだけを 後悔してはいない」
「少しは……前、向いてくれる?」
「善処はしよう。期待はしないでくれ」



鏡:鏡を見ても過去の姿はなく(ヴィンセントとレノ)


 赤くて細い糸を互いの指に巻きつけて、指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ます。
 そんな馬鹿馬鹿しい幼稚な約束を交わしたことがあった。相手は誰だったか、タークスの仲間であったかそれともイファルナであったか。もうずっとずっと昔、たくさんの思い出と悲しみの中に埋もれてしまった些細な一瞬の出来事であったことは覚えている。
 一緒に死にましょうなんて。
 ヴィンセントはコスタを出航した定期船から水平線の先を見つめていた。げぇげぇとひどい音をさせてユフィは今頃トイレでくたばっていることだろう。タークスだった頃からこの定期船は揺れがひどいという話で有名であった。コスタとジュノンを隔てる海は流れが複雑であり、さほど風が強い日でなくとも気味の悪い揺れ方をして多くの人々を船酔い地獄に叩き落とすことで評判だ。
「流石、酔わないんだな」
「レノか」
「ゴンガガは助かりましたよ、と。おかげでオレもイリーナも過労死せずに済んだ。魔晄炉調査連チャンはつらいもんでね。あの魔晄酔い連発するくらいならコスタ定期船5往復のほうがマシだっつーの」
「……礼ならシスネにでも言っておくんだな」
「そーだな。オレらだけ休んじまって悪かったとは思ってる」
「…………なぜ」
「ん?」
「なぜお前は 未だ神羅に付き従う? タークスであろうとする?」
 バタバタと海風が赤いマントとバンダナを外して軽装になったヴィンセントの長い髪の毛を攫っていく。ジュノンが近づくにつれ潮の匂いには油が混ざり込み、コスタ側では澄み切っていた空気も淀み始める。
 海底魔晄炉と呼ばれる世界で唯一の海底発電所があったジュノンは最早、打ち捨てられていた。人々はまだ生活している。メテオ災害が起こる前と同じようにかつて蹂躙された漁村に住む人々は同じように油で汚染された海からわずかばかりの魚を陸揚げする。むしろ以前神羅支社に勤務していた人間が丸ごといなくなったものだから、俗に『ジュノン』と呼ばれる高層エリアがゴースト・タウンとなってしまったのだ。
「各地の支社も支部も壊滅したまま。ルーファウスはまだ身動きも取れず……リーブはWROを立ち上げた。このままついていったところでロクな道にはなるまい」
「……そんなもん 分かってるさ」
 でも残念ながら。レノはヴィンセントの隣で海に背を向け、サングラスを透かして燦々と降り注ぐ光の主人である太陽を見つめた。「オレもルードもイリーナもシスネも……きっとツォンさんだってそうさ。タークス以外の生き方を知らねぇ」
「……意地が悪いことを聞いた。どうせそんなとこだろうとな」
「アンタもだろう?」
「……」
 声がかき消されそうになる風の中ではあったが、不思議とレノの声はまっすぐにヴィンセントの耳に入ってきた。
「メテオは……セフィロスが呼び寄せた。そのセフィロスを生んだのは神羅。社長も社長なりにメテオをどうにかしようとはしたが、できなかった。負債ってやつさ」
「あの男が本気で罪滅ぼしをしていると?」
「んな訳ねぇだろ」
 なにせルーファウスだから。レノはからからと笑う。「社長は社長なりに色々考えてるだろうさ。……でも、世界を傷だらけにした責任を感じてない訳じゃない。だからこうして全部WROに丸投げできるような仕事でも、少しはオレらが手を出すのさ。アンタだって 同じだったはずだ」
「同じ、か」
「ジェノバ・プロジェクトに参加していながらも……宝条の暴走を止められなかったんだ」
「……返す言葉はない」
「アンタは一度死んでタークスを殉職した気になってんだか知らねぇが……オレらはまだ生きている。だからまだタークスにいる。そんだけだ」
 気まぐれ、暇つぶし。それとも憐れみ?
 どんな言葉で飾り立てようとヴィンセントの行動原理は解き明かされないことであろう。レノ以上に彼は複雑な感情を入り乱れさせた結果、ユフィの魔晄炉調査手伝いを承諾したのだ。その内の一つが気まぐれであり、暇つぶしであり、レノと同じ『世界への贖罪』ではあった。
「笑いたけりゃ笑えばいいぞ、と」
「お前をあざ笑うことはいくらでもできるが……一つ 聞く」
 多くの人々の生活を奪い去って築き上げられてきた文明社会。世界を統べる神が如く身の丈高き俗物の王となったのは神羅カンパニーその社長。まだ製作所という名前を持ち超高層ビルも持たず、魔晄炉建設に力を込めていた時代。あまりに大きく変わりすぎた神羅の姿に『最初』はよく驚いたものであった。
 その中でも様々な部署の内、総務部調査課という曖昧な部署の存在だけは数十年という時間を経ても変わることはなかった。
 ならばこそ。
 そうであるならば。
「お前は……そこまで言うならば神羅と心中できるか?」
「はぁ?」
「タークスは神羅の犬。いずれ神羅が死したとき、お前はともに死ねるかと聞いた」
「…………そりゃ 随分と飛躍したお話のことで」
「ならばメテオの時は?」
「メテオ? そりゃ…」
 様々な意味で暴走した神羅周辺を叩き潰すために突入したミッドガルの中でのやりとりをヴィンセントとレノは同時に思い出していた。
 螺旋トンネルと呼ばれるミッドガル中央の巨大な柱を渦巻く暗がりの戦い。あの頃はオレらも若かったなぁ、とレノはけらけら言う。神羅の命令系統が崩壊し『一応』『建前』とはいえ直属の上司であるハイデッカーに従いクラウドたちを足止めしに来たレノらを怒鳴り散らして叩きのめして退散させたのは他ならぬヴィンセントだったのだ。
 愚か者め、考えることをやめたタークスなどただの家畜だ、豚だと。
 きっとクラウドたちも彼のそんな罵倒を聞いたことはなかったであろう驚いた顔も一緒に思い出してレノは「あん時がむしろ、最高だったのかもな」とぼんやりつぶやいてその場にしゃがみ込んだ。
「お前たちは神羅と心中する気は勿論……『己』を捨てていたな」
「耳が痛いね」
 考えることをやめただ立ちふさがったタークスに『タークス失格』だと告げたのは元タークスの男。「でもオレらだってよ、アンタ様に怒られるとは思ってなかったぞ、と。あのあとメテオの直前まで便所に篭って考えてたらちゃんと立ち直りましたけどな」
「私もまさかあれほど自分がタークスに未だ執着しているとは思ってもいなかった」
「じゃ、やっぱりアンタも未練タラタラじゃねぇか、と」
「……否定はしない」
「復職いかがっすか」
「それは断る」
「あ、そ」
 それはもはや定型文のやりとりだった。
「外から口出しするだけで十分だ」
「それされるとアンタはいいかもしれないけど、オレらしんどいんすよ」
 社長と主任と大先輩。
 目上の人間複数名からそれぞれ違うことを言われた暁にはストレスで死んでしまうのではないかとも思う、とレノはうんざりした口調で漏らした。現に彼らが一度全てを諦めかけた螺旋トンネルではルーファウスとハイデッカー、そして当時は死んでいたと思っていたツォンの遺言という三者三様のリクエストに翻弄されたのだから。
 最終的にはその上突然現れたヴィンセントという『大先輩様』の言葉に従い、結果的にルーファウスやツォンの求めたオーダーに沿えた訳にはなるが。
「ならばまた無能な上司に従うだけになってみるか?」
「それもお断り。まぁ正直な話、アンタみたいに外からなんでも言ってくれる人間がいると オレらもありがたいのは嘘じゃねぇ」
「迷惑なのか有難いのかどちらかにしろ」
「……有り難迷惑?」
 それではまるで意味が違う。ヴィンセントはわざとらしくため息をついて見せた。
「だがそれも 悪くはないだろう」
「あぁ。悪くはないね」
 それからさっきの話だが、と元タークスの男は身体を反らせて運行船から身を乗り出した。
 アベコベで天の邪鬼な言葉を漏らしては言葉遊びを楽しんでみたり。くるくると表情を変えるように見せかけながらも本音は全て隠し、表情はとって付け替えて、着脱万能道化の仮面。
 そんなこのレノという赤い髪の毛の男は悲しいほどに彼の『父親』に似ていた。名前は息子と同じ、否息子が同じレノと言ったその父親。任務で知り合った女と駆け落ちするためにタークスを逃げ出し、それでいながらもミッドガルのボロアパートに住み続けていた不思議な道化で、ヴィンセントの『兄』のような『先輩』のような『友達』だった男。
 飄々として他人を嘲るのかと思えば誰よりもタークスという組織を愛し、そして憎み続けた男。
 目の前にいるレノが自身の父親のルーツを知っているかは不明ではあるし、ヴィンセントにとってその情報は至極どうでもいい。知ろうが知らまいが関係ないのだ。何であれその男はタークスから姿を消し、ヴィンセントは会社からの命令通りにその男を愛人もろとも『抹殺』したのだから。その子息(仮定)がこうして同じ名を名乗り存命ならば答えは自(おの)ずと知れてくる。
「私がタークスだった頃」
「ん?」
 ジュノンの影がぼんやりと見えてくる。廃墟となったビル群に、砲身を失ったシスター・レイ。竜巻の迷宮で神羅に捕らえられた『アバランチ御一行』が全員まとめて処刑されそうになったのもあのビルだ。ガス室、銃殺、絞首。趣味の悪すぎる公開処刑を命じたのもルーファウスであったが、ヴィンセントは「私は神羅を憎んでいた」と言った。
「……そりゃ、随分と矛盾したことで」
 赤毛のレノはつぶやいた。別段驚いている様子もない。
「タークスは誇りだったさ。ミッドガルは未完成だったが……スラムは既に存在した。そこにいる家なき者たちが職にありつけたからな」
 事実、神羅製作所は技能さえあれば出自を問わず次から次へと採用していった。
 タークスのような特殊工作員としてだけでなく、電力安定供給へ向けた技師や魔晄炉が本格的に稼働してからはメンテナンス要員として多くの者が製作所へと入社し、職員宿舎という『家』を手に入れ、ヴィンセントは終ぞ見届けることはなかったが、ミッドガルが完成してからはプレートに居を構えることすらできたのだから。
 レノはそんな言葉に眉をあげた。
「アンタもそういう出自かよ」
「私だけではない。今はどうか知らんが、昔のタークスなんて全員そんな奴らだ」
 貧困街を牛耳っていた赤毛のチンピラに、グラスランドの落ちぶれた元御曹司でウォールマーケットの若頭。ウータイのスパイ御一行三名は例外として、カーム出身の田舎者。本来ならば当時急成長の只中であった神羅製作所などという大会社に就職することは愚か、彼らはどちらかといえば『搾取される側』の人間たちばかりであった。
 そんな出自の人間ばかりが集まった集団が治安維持を担い、肩書きだけが違うようなチンピラどもと戦い続けた。
 ヴィンセントはレノに向かって、「お前は仲間と死ねるか?」と尋ねた。さきほど神羅と心中できるかと問うた声よりもずっとずっと優しく、どこか懐かしい音だ。
「……仲間、ねぇ」
 例えばあのスキンヘッドとか、あの口やかましい金髪とか。レノの脳裏には今まで文字通り『苦楽』を共にし、辛酸を舐め屈辱の中から這い上がってきた仕事仲間たちのことを思い描いた。
「例えば互いに潜入した敵地で窮地に陥ったとする」
「それ実体験か、と」
 例え話だ。と言いつつヴィンセントは「マフィアの巣窟に突っ込まれて敵に包囲されたことは?」と言った。
「マフィアじゃねぇけど、アバランチとかいうテロリストに囲まれたことはそれなりにあるぞ、と」
「ならば想像も易い。そんな時……いつだってこう思ったものだ。『神羅のために死ぬのは御免だが、隣に共に死んでくれる仲間がいれば悪くない』とな」
 赤い糸で指切りしましょう。
 それは心中の約束。共に死ぬのではなく、死なば命果てるまで戦い続けた上で諸共に無様な姿で死のうという泥臭い言葉。
「美しい仲間愛だぞ、と」
「綺麗な話でもないさ」
 ヴィンセントは縁に肘をついた。「奴とならば共に死ねる。私が死ぬその時まで……きっと 命に食らいついて、私と共に最期を迎えてくれそうな唯一だった」そう言い、既に記憶の奥底、あまりにたくさんの新たな記憶に押しつぶされて圧縮され根雪にしたに埋まってしまったそれを妄想まじりに思い出し脳裏に描いた。
「アンタの相棒?」
 明らかに特定の人物に対して告げられている言葉にレノは首をかしげる。彼にとってのルードのような人物が恐らくタークス・オブ・タークスとしてかつて恐れられた男にもいたのだろう。するとヴィンセントは首をゆるりと振った。
「そんなところだ。大規模な作戦くらいでしか任務を同じくしたことはなかったが……それでも 仲間だった。だが 彼も家族を神羅に奪われた」
「……タークスはロクな『終わり方』ができねぇ。耳にタコができるくらい言われたぞ、と」
「私からも言ってやろうか?」
「いいや。見てたら分かる」
 仲間と死別し、離別し、自身までも人ならざる者として再臨してしまったのだから。
 ソルジャーとして死んだザックスも『ロクでもない』死に方をしたのやもしれないが、レノは目の前にいるこの男の他にも自分の主任たちの末路を知っていた。娘のために、そしてタークス存続のために『処分』された前主任。そして冷徹の仮面をつけざるを得なくなった現主任は仄かに淡い恋心のような親心のような優しい感情を抱いていた古代種の少女を救うことができず、セフィロスに殺されかけた。
 二人とも命はあるが、そういう話ではない。それでも、とレノは言う。「だがオレはタークスやめる気ねぇな」と。
「タークス以外の生き方を知らん癖に」
「……アンタには言われたくないね」
 クラウドのモノマネをして言ったレノにヴィンセントは再び小さく笑う。
「それは……そうだな」
「自覚あるのか、と」
「なければ重症だ」
 こうして星を救った『クラウド一行』やら、『ジェノバ戦役の英雄』だという立場にありながらWROに肩入れせず、むしろタークスに助言を落としていくような自分を。これでまだタークスに未練などないと言うならばよっぽどだ。馬鹿馬鹿しいのは分かっている、ヴィンセントは身体を反転させ俯き波立つ海面に視線を落とした。「英雄などと我々は呼ばれるが……むしろルーファウスの望み通り、真の英雄は神羅なのやもしれないな」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、と」
「皮肉だ馬鹿者」
「分かってるぞ、と」
 そのクラウドたちを生み出したのが誰であったか。おそらくプレジデントが行った数々の後に暴挙と呼ばれる策がなければ英雄が生まれることもなかっただろう。
 全ては星の導き、全ては星の縁、全ては 星の巡り合わせ。
 エアリスの言葉がじわじわと蘇る。甘い茶色の髪の毛をして、星の瞳を持っていた可愛い女の子。
 彼女に言わせてみればきっと、この世界に英雄などという存在はありはしないのだろう。全ては星が選んだことで、星が人々の羨む『英雄』としてセフィロスを選び、悪夢を終わらせる『戦士』としてクラウドを選び、星の声を聞く古代種(セトラ)の役割をエアリスに担わせた。ただそれだけのことだと彼女は言うに違いない。
 その全てのカードが、役者が揃ったのが今この瞬間であっただけ。きっとザックスもまた『戦士』となる可能性を持っていたであろうし、イファルナでもよかったはずだ。それでもどこか重要な『役割(ロール)』が欠け続け、ようやく現れた英雄は星の意思を捻じ曲げ悪夢を作り出し、星は悪夢を切り裂く戦士を選び出す。その導き手こそが最後の古代種エアリス。
 ただ それだけのことだった。
「ライフストリームより出でし命、生と死の狭間を行きつ戻りつ……その繰り返しが命の運命(さだめ)だとすれば、偶然に生まれたいのちが偶然の果てに巡り会い、別れ……気が遠くなるほどの未来で 再び出会う。それが理(ことわり)だと言うならば、全ての出会いも別れもまたその運命。何を悔やむことも、何を恐れることもない」
「……古代種の言葉?」
「セトラ。イファルナのな。例え愛する者が死のうとも自然の摂理に導かれればまた会えるそうだ」
「だがジェノバは自然じゃねぇ」
「そうだ。だから私は人間としての命を捻じ曲げ生き続けるであろうし、クラウドもどうなるかは分からない」
 外見としては少しばかり大人っぽい顔立ちになったような気もするが、出会った頃には21だという自己申告の年齢には見えぬほどに幼かったのだ。神羅屋敷の地下でジェノバ細胞を埋め込まれ5年もの間魔晄漬けにされた身体が将来真っ当な人間として年をとるのかも、ヴィンセントのように永遠を彷徨うのかも分からない。星に還ったエアリスに導かれそこは平穏無事に人生を終わらせて欲しいとは切に願うものの、ヴィンセントはゆるゆると首を振った。「だから悪いことは言わん、ジェノバに関わるのはやめておけ」と、そこに着地する。
「そこに戻ってくるのか」
 これ以上魔晄炉調査という名目でジェノバを嗅ぎ回るのはやめろと。
 不幸になるが自身のみであれば勝手にしろの一辺倒でもよいが、実際はそうではない。世界に対する大きな負債の返済だと言いながらもこれ以上『ロクでもない』ことをされてはたまったものではない。ヴィンセントが指摘するところの中心は、そこだ。
「神羅が今度こそ滅びようがルーファウスが死のうが知ったことではないが……『善良』な市民までもを巻き込むような真似はやめるんだな」
「……ありがたいお説教で」
 残念ながら軽口とともに聞かなかったことにできるような言葉でもない。タークスという組織に属しジェノバに手を出した結果そのものが今のヴィンセントという存在なのだから。人の形を失い、人の心にどうにかしがみ付く滑稽な生き物。
 ジェノバという存在に関わろうとした面々を思い出しながらレノは大きなため息を漏らした。
 クラウド、ザックス、ヴィンセント。ツォンにエアリス、宝条博士。そしてプレジデント神羅親子。
 レノが顔を合わせてきたその人間たちは不幸として片付けるに難い憂き目に遭い続けてきた。命をただ落とすだけならばそれでいい。そういう意味ではただ死んでいったザックスはまだマシだ。そういえばアンジールとジェネシスなんてソルジャーも昔いたなぁ、あれもだ。ラザード統括とか、名もなき実験体その他諸々。挙げればそれこそキリがない。
 数えきれないほどの人間がジェノバに関わり、そして地獄へ落ちていった。次は誰の番? オレ? ルード? イリーナ? それとももう一回ツォンさんとルーファウスの番? 誰だってごめんだ。「例え地獄行きだろうと オレらは命果てるまで『タークス』だぞ、と」
 死にたくなんてないし誰かにこれ以上死なれるのも拒否したい事案ではあるがタークスとして生きる以上は覚悟しなければいけない。
「地獄にすら行けないぞ」
「それアンタのこと?」
「未来のお前や……タークスどもかもな」
「……カクゴはしてる。オレたちは人様の命を奪いすぎた。いつ奪われたって不思議じゃねぇよ」
 奪われるものが命でなく人生だとか、人間としての心だとか。
 きっと想像に難いものを奪い去られる未来が待っているのだ。スラムの人間を大勢殺し、悪党だと言って人間を平気で見殺しにする。世界の危機であろうと、人道から逸れていようとも、ただ社命がままに己を貫いてきた代償はいずれ払わねばならない。
 そんなときに共に死んでくれる仲間ならいる、レノは薄く笑った。「アンタと違って、オレらは道連れ仲間がまだいるからなぁ。まだ幸せだ」
「だな」
 全てを奪われるという点では同じでも過程がことなるならばそれはある意味で別の形を持った勝利でもある。レノは大あくびを一つして、身体を思い切り伸ばした。そして腕を天に伸ばしたところで、ぴたりと動きを止めて「あ」と忘れていたことを思い出したような声を出した。


 あぁ、それから。


 赤毛はわざとらしく呟いた。
「今からはオレの独り言だからな」
「?」
 レノは唐突に思い出したように、しかし明らかに図った声を出した。
「本当は社長にも主任にも黙ってろって言われたが……それこそこれも星の巡り合わせ。アンタをタークスにもう一度引き込むための切り札ってやつだが、構いはしねぇ」
 俯いたまま赤毛は言う。その表情はバサバサと風に靡いて隠されている。その口調はとても乾いていて、感情の一つも乗せていないようなそれだ。「『ソイツ』と引き換えなら……きっと アンタも神羅に戻ってくるなんて言ってたけど、オレはそうは思わない」と一人感想を呟く。
「回りくどいな」
「独り言だっつーの。アンタ、ルクレツィア女史がプロジェクトの後どうなったか知ってるか?」
 独り言の問いかけにヴィンセントは息を止めた。
 ジェノバに関わったもう一人の哀れな科学者。報告書や資料でのみ知る彼女についてレノは特に思うところはないが、目の前の元タークスにとってその女はいわばファム・ファタルというやつだ。全ての運命を狂わせ、全ての命を悪夢へ陥れた張本人の一人でもありながらセフィロスという英雄の母親だった女。
 その名前に元・タークスは眉をピクリと動かした。
「独り言で返してくれてもいいぜ?」
 目を合わせようともしないレノにヴィンセントは俯いていた顔をわずかにあげ、身体の向きを変えて随分と年下の後輩の横に行儀悪く座り込んだ。そして数秒間のことではあるが、ガリガリと頭をかきむしり何かを思案するような仕草を見せた後に何度めかのため息をついた。
 ただの、独り言。
「……神羅が屋敷を放棄しミッドガルへ引き上げる際、コスタで定期船に乗船せず失踪したとは聞いた。ジェノバに当てられ発狂したか……最後の良心が残っていたか。どちらにせよ彼女の消息はそれ以降神羅は掴んでいないはずだ」
「アンタはどう思う?」
「……」
「失踪でも発狂でも理由は何でもいい。それなりに神羅も手を尽くして調べてたんだけどな。全然足取りが掴めなかった。……アンタの意見を聞きたい。別にそれを社長にチクるつもりもない」
「お前に聞かせる意見はない」
「じゃ、独り言でもいいぜ。クラウドの得意技だ」
 それならば、とヴィンセントは口を開く。
「……まず前提として明らかなことは 彼女がまだ死んでいない。そして……『人間』として正常に歳を重ねているとも思えない」
 タークスとして尋ねている訳ではない様子のレノにヴィンセントはため息をこぼしてから口を開いた。
「同感」
 何せジェノバだ。
 直接体内に植えつけられたではないとはいえ、セフィロスを通して胎内にジェノバ細胞を持ち込んだルクレツィアが『通常の人間』と同じような歳の取り方をしているとは思えないし、あのセフィロスの母体である。魔晄炉に落ちようとも串刺しにされようとも平気で生きていたのだから、ルクレツィアもまた多少のことでは死ねないはずだ。
「私もジェノバの相互感知能力を使って探しはしているが……ジェノバに冒された魔物と区別がつかない。魔晄炉のライフストリーム濃度が下がらない以上、手当たり次第に回るしかない」
「……この間、ニブルヘイムのずっと南……大昔の神羅が魔晄炉建設の予定地にしていた場所に行ってみた」
「……」
「アンタだって言ってたろ。社長はジェノバを探している。流石に大空洞まで行く決断はまだできねぇが……まずは地上の魔晄炉をはじめとした場所の調査からだ。今ある魔晄炉だけじゃない。ツォンさんは製作所時代に建設予定だった場所も含めて虱(しらみ)潰しに探させてる」
 レノの独り言は続く。「あの大滝は足場が不安定だかで初期の内に候補から外れたんだが……驚いたことに、ミッドガルの魔晄炉に負けず劣らずジェノバ性の魔物がわんさかいた。恥ずかしい話だがルードと二人じゃ太刀打ちできなかったんで逃げたがな、と」
「……強いジェノバの力を持つ生物の周囲にはジェノバ細胞を持つが……その影響力は弱い魔物が集まる。無意識下のリユニオンだ」
 あぁそうだ。レノはくつくつと笑ってそこでようやくヴィンセントの方へと顔を向けた。
「オレの独り言はこれでおしまいだぞ、と。流石にジェノバの本体ならあんな程度じゃ済まないだろうし、本体じゃないならオレらに用はない。『正体不明の強いジェノバを持つ何か』がいるだけだからな。俺らには急務じゃねぇ、関係ない場所だ」
「……」
 とっておきの、餌。
 なるほどそういうことかとヴィンセントは悪戯っぽく笑って見せたレノの顔をちらりと横目で見て、同じようにニヤリと口の端を上げた。「ならば 私も独り言だ」
「どうぞ」
「この借りは必ず返す。……タークスに恩を売られたままでは気色が悪い」
「……そりゃありがたい。大先輩のお返し、心からお待ちしてますぞ…と」
 レノはそう言って立ち上がって振り返ると徐々にはっきりとしてくるジュノンの街並みに眼を細めた。太陽が昇り、また落ちていく。その繰り返しが永遠に続くことによって人間の営みは積み重ねられていくのだろう。ヴィンセントはそれを命の運命(さだめ)だと言った。
 ヒーリンで療養するルーファウスもまた、似たような言葉を以前吐いていたことをぼんやりと思い出したレノは今頃ユフィと一緒に船酔いで潰れているであろう後輩を迎えにいくため甲板を離れていった。


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