命と約束が巡る この星の中で


零:天のご加護がありますように(レノ)


 お祈りするとね、みんながしあわせになれるのよ。

 それはずっとずっと昔の話。死に別れた母親に何度も聞かされたその言葉を心に描きながら女は祈りを捧げていた。排ガスにまみれたこの街では一体誰が祈りを求めるであろうか。そんな疑問を浮かべた頃もあったが、今となってはもう『どうでもいい』のだ。
 誰かのために祈るのではない。星に 祈りを捧げるのだ。
 魔晄都市ミッドガルと呼ばれる街は深夜になろうとも明かりが消えることはない。やかましいほどのネオンサインが洪水のように氾濫し、暴力のように訴えかける。何十年も昔から演じ続けられている大衆劇の看板はチカチカと現代風にアレンジされピンクの電球が灯り、そのすぐ下には神羅カンパニー御用達の武器商会の看板だ。
 女がゆっくりとした足取りで雑踏を歩けば、周囲の人々はその三倍ものスピードで慌ただしく駆けていく。何かに追われるように、何かを追いかけるように。
 既に深夜零時を過ぎた街並みに子供の影はない。ビル角では娼婦が艶かしい誘惑を持ちかけ、サラリーマン風の男がその女と共にどこかへと消えてゆく。喧騒に包まれた眠らない街、ミッドガル。女はこの街に住み始めてもうすぐ十五年になるというのに、どうしても夜の姿は好きになれなかった。
「きゃっ」
 道行くチンピラが女の持っていた花籠に衝突し、彼女はバランスを崩してその場に転倒した。お気に入りにしていた貰い物のコーラルピンクのワンピースに泥が跳ね飛び、長い髪の毛の端は地面の水たまりに着水してしまう。
 あーあ。
 慌てて立ち上がった彼女はワンピースの汚れを軽く払い、さっさと洗濯してしまうために足を速めて帰路へと向かう。
 こんな時、あなたいればなぁ。
 このワンピースをくれた神羅の社員なら、『彼』の居場所を知っているだろうか。もう連絡がつかなくなってそろそろ五年。最後に電話したのはいつだっけ、最後に携帯越しにその声を聞いたのはいつだったっけ。もう思い出せないとても大切なこと。
 たくさんの手紙を書いては友人の社員を困らせて、今もきっと 困らせている。
 黒髪のツンツン頭をしたあなたがいてくれたらきっと、わたしはこんなみっともない格好にはならなかったのよ。エアリスはいつの間にか小走りで雑踏をかき分けていた。花籠から一輪、また一輪と色とりどりの花が落ちていく。
 ミッドガルは お花でいっぱい。
 花売りワゴンを作ってくれた彼がいたらチンピラがぶつかる前に手を引いてくれたか、地面に倒れる前に体を支えてくれたことだろう。ツォンがくれたワンピースを汚すこともなかっただろうし、せっかく詰んだ花を零しながら、瞳から涙を流しながら走って帰ることもなかったはずだ。
 もう遅いから早く帰らないと義母さんが心配しちゃう。どうせどこかでツォンたちが見張っているのだろうけれどそんなことは関係ないわ。細い路地を何本も抜けて、以前ザックスに連れられてやってきた猫の溜まり場を通過して。
「……ばかだなぁ」
 深夜の裏通りに人影はない。思わず全力疾走してしまったエアリスはハァハァと息を整えながら、汚れたワンピースを握りしめて俯いた。
 この場所でザックスとどんなお話をしたっけ。たくさんたくさんお願いがあって、その全部を教えてくれなんて言ってくれたザックスは 今 どこにいるのだろう。
「よォエアリス」
「……今 話したくない」
 ほらね、やっぱりあなたが追いかけてきてたのね。
 エアリスの背後には赤毛のツンツン頭が立っていた。着崩した制服の、チンピラ風のタークス。ザックスと三人で遊んだこともあったっけ。軽口を叩き合いながら、少しアブないお遊びだって言いながらスラム街の奥まで進んだっけ。
「悪ぃな、こっちも仕事なんだぞ、と」
「嫌なお仕事」
「服、汚れてるぜ」
「分かってる。だから急いで帰るとこ」
「……ツォンさんから伝言を預かってる。アンタにこれを伝えればオレの仕事は終わり。どうする?」
「今は……聞きたくない。明日ツォンのところに直接聞きにいく。ちゃんと伝言は受け取ったから、あなたのお仕事もおしまいよ」
「了解だぞ、と。……ツォンさん、明日は午前中なら本社にいる。昼前にはジュノンに出ちまうから、早めにな」
「ん………ごめんね、レノ」
「ん?」
「わたし、いつもあなたたちを振り回してる」
 深夜にミッドガルの街を歩いて花を売ったり、突然走り出したり。ごめんねとエアリスは振り返った。泣きそうな目元は赤に染まり、数本しか残っていない花籠に鎮座していた赤い花を一輪摘まみ出すと、同じ色をした髪のレノへと差し出した。「これ、あげる」と。
「……赤いのは高かったんじゃないのか?」
 確か、一本だけで十ギルくらいした気がする。高い安いだなんて言ってもたかが知れている程度だが、エアリスは首を横に振って「いいの」と笑う。
「明日からもまた振り回すから。先にお詫びしてあげる」
「追い回して振り回されるのが俺らの仕事だからな。……ま、ありがとく受け取っといてやるぞ、と」
 萎れ始めた一輪を受け取るとレノは手をひらりひらりと振る。「ツォンさんには伝えとく。今日は退散するが、早いとこ洗わねぇとそれ落ちないぞ、と」ミッドガルの泥は汚ぇからなぁ。そう言うとエアリスも手を振り返した。
「うん。すぐに帰る。……じゃあね、バイバイ」
 あなたに今日も星のご加護がありますように。
 本人には聞こえないように小さく祈ると彼女は再び雑踏に向かって歩いて行った。



壱:縁の糸、赤く(クラウド)


 運命の糸は赤いという。
 西の大陸からやってきた伝承らしいが真偽は分からない。エアリスはジャケットから解れた赤い糸を器用に小さなハサミで切り、小指に巻きつけて「どう?」なんて聞いてみた。
「どうって……」
「もう、クラウドの朴念仁! こういう時は『似合うよ』って。そう言ってくれればいいだけ」
 鋭いくせにそう言うところは鈍いのね。がっかりした様子で彼女はさっさと小指に巻き付いていた糸くずを草原の上に投げ捨てた。謂れのない非難を受けたクラウドは納得いかないとでも言いたげなムスッとした顔で彼女を見返す。
「……なんなんだ、もう」
「なんなんだーじゃないわよ! ほんっと、危なっかしいんだから」
「は?」
 話の脈絡が再び吹き飛んだ。「一体何の話をしているんだ」と眉を寄せる。
「バイクに乗りながら剣を振り回すなんて信じられない」
「ああ……さっきのことか」
 ミッドガル・ハイウェイでのカーチェイス。彼女が指摘しているのはそれだ。とはいえ神羅ビルから脱出した上で彼らの追っ手を引き離し、その上ミッドガルからも離脱するためには手段を選んではいられなかったのだ。トラックの運転をバレットではなくティファが任されてくれていたため多少の援護があったものの、過去のことをとやかく言ったところで仕方がない。
 仕方ないだろ、とクラウドは後頭部をポリポリと掻いた。
「怪我してない?」
「あんなんで怪我はしない。それに……」
「それに?」
「あの後の妙なマシンの方が大変だっただろう」
「……それはそうかも」
 なんという名前かは知らないが、神羅の『ロクでもない兵器』のうちの一つ。伍番魔晄炉で遭遇したガード・スコーピオンだかなんていうマシンもまた然りだ。あんなものが神羅ビルの格納庫にうじゃうじゃいるのかと思うと頭が痛くなってしまう。
 きっと他にもたくさんのロクデナシ兵器があることだ。
「アンタこそ大丈夫なのか? 派手に転んでいたが」
「擦りむいただけよ。……ちょっと 大変だったけれど」
 屋根から屋根へと飛び移ったり、ちょっとした下水道に住む魔物なら一人でも片付けられるほどの護身術は身につけている。しかしながらあんな兵器を相手にしては手も足も出ず、後衛に下がって魔法を唱え続けるくらいしかできなかったのだ。「神羅を敵に回すって大変ね」と今更すぎる言葉を吐いた。
「覚悟していたんじゃないのか」
「していたし……最初から、神羅は味方じゃなかった。でも あんな風に戦うだなんて思ってなかった」
「どうやらタークスの連中はアンタに甘かったみたいだ」
「わたしが言うのもなんだけど、ゲロゲロよ。無理に捕まえに来ようとはしなかったし…むしろ 一緒に悪さもしたし」
「……」
 機嫌を損ねた顔になったクラウドにエアリスは口元に手を当て笑った。
「……でもね、わたしに戦い方を教えてくれたのもタークスなの」
「アイツらが?」
「神羅にとって古代種は大事だもの、勝手に死なれたら困るって」
「…もっともらしい理由だな」
 本当はきっと会社の命令ではなかった。流石のエアリスにもそれはくらいは分かっていた。
 どこにいても近くから監視しているとはいえ、『何か』が起きてしまっては取り返しがつかなかった。だからツォンはレノに命じていざとなったら鉄パイプでもあれば応戦できるように棒術の指南をしてくれたのだ。
 そんな日々だって、今はもう戻れない。
「そのおかげでわたし、まだここにいられる」
 それがなければもっともっと昔に死んでいたかもしれないから。彼女は言った。
「そんなにスラムは治安が悪かったか?」
「そこまで悪くないよ。わたしが悪いところまでお散歩していただけ」
「お転婆だな」
「……だって ミッドガルから死ぬまで出られないと思ってたもん。だったらその分ミッドガルくらいは知り尽くしたいでしょ?」
「そんなものなのか?」
「そんなものよ」
 ウォールマーケットのような場所には好んで近づかなかったが、それでもレノやルードのような『ボディガード』が一緒にいるときは別だ。目立たないように地味な服に着替えてエルミナに内緒で忍び込んだことも一度や二度でもない。それにあの市場も路地裏や奥まで進まなければ、薬局や安くて美味しい定食屋、そしてスラム街では数少ない服飾品を売る店だってあったのだ。
 あとは地図にもない、誰も知らないような瓦礫の山探検とか?
 エアリスはこれまでミッドガルでしてきたちっぽけな『大冒険』をクラウドに語った。
「そんな様子だったんじゃタークスも苦労していた訳だ。ざまぁみろ、だな」
「そうよね。もっともっと振り回してあげちゃおうかとも思っていたんだけど……クラウド、降ってきたから」
 それが全ての始まりで、それまでの終わり。あの日を境にタークスはエアリスが相手であっても牙を剥き、罪のない多くの市民を皆殺しにした。遥か恐ろしいほどに遠い空とエアリスが足をつけていた大地の間を遮っていた分厚いプレート一枚を丸ごと落とすことによって。たった頭上五十メートルという距離にあったそれが降ってきて、数え切れないほどの人間が死んだ。
「俺が落ちたのが教会じゃなければよかったな」
「そんなこと言ってない! それに お花がクッションになったから助かったんじゃない」
「……どうだろうな」
「素直じゃないんだから。それに わたしはあなたに出会えたこと、とても素敵な星の縁だと思うの」
「星の…えにし?」
「縁(えん)、縁故。たくさん人、死んじゃって……気がついたらこんなところまで来ちゃったけど、みんなに会えたこと とっても嬉しい」
「こんなところなんて言っているが、まだミッドガルを出たところだぞ。これから俺たちはセフィロスを追うんだ。とんでもない世界の果てであろうともな」
「果て……かぁ。楽しみだね」
「……目的を忘れた訳じゃないよな」
 当たり前よ。エアリスはくるりとその場で一回転した。
「だけど、世界のいろんなところに行けるんでしょう? ずっと悲しいことばっかりじゃなくて、せめて……そうね、夜寝る時とかは……そういうこと、忘れちゃおう?」
「……忘れることなんてできない」
「全部忘れろって言わないわよ。でも眠るときくらいはおっきな空を見て……キラキラする星を見て、綺麗なことを考えてみない?」
「…………考えておこう」
 口先ばっかり! とクラウドのそんな気の無い返事にエアリスは反論しながらも、ふと空を見上げた。
「(同じ空 見てたよね)」
 誰に対してでもなく、おそらくこの世界にはもういない『彼』に対して呟いたエアリスは視界の彼方にうっすら見える魔晄都市を一度だけ振り返った。あそこで作ったたくさんの思い出、義母との、神羅のタークスたちとの、そして大切だったソルジャーとの。それら全ては心の中へ引っ越しさせた。しばらくは帰れない『故郷』を細めで見ながら彼女は空を見上げ、早くも姿を現した一番星に微笑みかけた。
 この縁を繋いでくれてありがとう。
 そう 心でそっと感謝を述べながら。



弐:危うげ釣り合い人形(ティファ)


「ね、外行こうよ!」
 エアリスは部屋で静かに紅茶を啜っていたティファにそう告げた。もう窓の外は暗い。綺麗な円を描く満月が真夜中の空に浮かび上がり、人気(ひとけ)のない大通りを窓を開けてエアリスは身を乗り出した。「この街、すっごく綺麗だもの」と。
「んと……私は……いい、かな」
「どうして? だって、明日には出ちゃうんでしょう?」
 カームの街から西へ、西へ。長い旅になるから今日はみんなゆっくり休んでくれというクラウドの言葉に従ったのか、隣の男部屋からは大きなバレットのいびきが聞こえて来る。ティファは眠れない様子であったが、エアリスは外出着のままけろりとした表情で彼女の手からマグカップを取り上げると、手首をとってぐいぐいと引っ張った。
「ちょっと、エアリス!」
「いいからいいから。暗い気分のとき外に出ると きっと気、紛れるから」
 クラウドの口から語られたニブルヘイムの惨劇。それはクラウドが憧憬の的であった英雄を失い、母親を失い、ティファが愛していた父親を失い二人の故郷を奪われた過去。ひどく辛いことを思い出してしまったであろうことは分かっていたが、エアリスはそんな様子で塞ぎ込んでしまっていくティファの姿にどこかかつての自分を重ねてしまっていた。
 ザックスからの連絡が途絶えてしばらくした頃のことだ。
 全てを諦めてしまいそうな時、日課にしていた花売りも、教会の手入れも投げ出してしまった時期があったのだ。その時はどうやって立ち直ったんだっけな、なんて宿屋の階下で女将と話をしながらそんなことを考えていた。
「でも私……」
「お出かけするとね、悲しいこと 少しは薄れるから」
 タークスたちはそう言ってくれた。エアリスは口には出さなかったものの、頭の中にいつもなにかと縁のあるタークスたちと、それからザックスと『仲良し』だった二人のソルジャーを思い浮かべていた。
 なんていう名前だったっけな、あの二人。多分、カンセルとルクシーレ。二人もザックスの行方はよく分からないことを教えてくれて以来、ごく稀だが花売りワゴンの様子を見にきてくれたっけ。とっても仲良しなんていう間柄じゃなかったけどそれでも仲が良かったって。落ち込むエアリスを励ましてくれていたのは、皮肉にも神羅の人間たちであった。
 そんな彼らもとうに連絡がつかなくなってしまったけれど。
「わたしとティファ、まだ会ったばっかりだけど…きっと、もっと仲良くなれると思う。……ね 外、行こう?」
「……エアリスが……そこまで、言うなら」
「やった! 決まりね、ほらほら靴履いて!」
「わ、待ってよエアリス!」
 慌てて靴を履き、古代種の少女が走るがままに。男部屋から聞こえるいびきなんて聞こえないフリ、先ほどまで彼女がお喋りに興じていたであろう宿屋の女将に手を振られ、女二人深夜の街へと飛び出した。
 満天の星々は満月の強い輝きによってはっきりとは見えない。街灯の光は間引かれていて、ぼんやりとした灯りが赤いレンガ作りと石畳を照らしている。
 ピンクのワンピースに赤いジャケットを羽織ったエアリスはその上にブランケット生地のマントを羽織、タンクトップのティファもお揃いのマントを着ていた。宿屋の女主人が好意で貸してくれたものであったが、秋の終わりであるこの時期にはとても暖かく心地が良い。
「わたしね こうして……知らない街で外に出るの 初めてなの」
 エアリスは足を大げさに上げながら歩く。
「ずっとミッドガルに住んでたんだっけ」
 ティファはエアリスに手を引かれるがままに街人が寝静まったレンガ通りを歩いて行った。時折酒場からほのかな灯りと笑い声が漏れては来るが、民家の灯りの多くは消えている。母親に寝物語をねだる少女がベッドで駄々をこねているのかもしれない。きゃあきゃあと暗くなった家の中からはしゃぎ声も聞こえてきた。
「うん。生まれたのは……たぶん ミッドガルじゃない。でもね、わたしの記憶 いつもミッドガルからはじまるの」
 あの日傷だらけの母親に連れられて飛び乗った列車の中の喧騒を思い出すことはできない。覚えていてもいい年頃だったとは思うが、それでもエアリスの中に眠る記憶を掘り起こしてみればハッキリと思い出せる最初の記憶は命の炎を失った母親を後に義母となるエルミナと二人で供養した日だ。
 空に昇る月は恐ろしいほどの満月だった。たぶん 今夜と同じくらい。
 エアリスはその場に立ち止まった。「カームってね、秋になるとお祭りがあるんだって」と笑った。全ては全て、『仲良し』たちから聞いたお話。
 豊穣を祈り、大地に感謝を捧げる秋祭りはいちばんの満月の日に大々的に行われる。民族衣装であるキルトスカートを纏った町娘たちが石畳を踊り、たくさんの風船が空の彼方へと消えていく。打ち上げ花火が照らす夜空はさぞ綺麗 だそうだ。
「……お祭り、かぁ。そういえばそういうこと、私も聞いたことあるかも」
「ニブルヘイムではなかったの?」
 故郷の名前にティファは少しばかり影を落としたが、すぐに顔を上げてゆっくりと首を振った。
「本当に閉鎖的な村だったから。お祭りとかは……なかったかな」
「ふぅん」
 でも、と言ってティファは逆にエアリスの手を引いた。
「結婚式はね、村を挙げてやったのよ。私が生まれる前に……パパとママが挙げた結婚式、すっごく綺麗だったんだって」
「結婚式? いいなぁ、素敵」
「私が生まれてからは……結婚式、一回くらいしかなかったけれど。ママが死んだ時も……村のみんな お墓に来てくれたわ」
「……お墓も 燃えちゃったのかな」
「分からない。でも墓地は村の郊外にあったから、もしかしたら……まだ、あるかもしれない」
「帰りたい?」
「帰れないよ、もう家 ないし」
 パパも誰もみんな死んじゃった。クラウドのお母さんも、よくお料理教えてくれたけど、みんな みんな。
 ティファは無理やり笑顔を作ってエアリスの手を握ったまま歩き始めた。冷え切った指先から伝わる彼女の体温がエアリスに恐怖とともに伝わってきて、顔を背けて涙をこらえている表情を隠しているようにも見えた。そしてはしゃぐエアリスの隣で「……私も、初めてなんだ」と告白する。
「え?」
「他の街に来るの。ニブルヘイムからミッドガルまで……ほとんど覚えてないんだ。怪我もしてたし……だから私もエアリスと同じ、初めての『外』よ」
「……じゃ、同じだね」
「うん」
「お祭りの時期、みんなで……今度また 来たいね」
「……うん」
「今日みたいな満月でね、たくさんの踊り子さんがいて、街の人が全員笑顔で……花火が上がって。一緒に 観てみたいな」
 祭りはもう一月ほど前に終わってしまっている。『次』の祭りは一体いつになるのか、どこで何をしているのか、隣に誰が座っているのか。ティファは歩きながらではあるが悲しげな表情をして振り返る。
「今度って……いつ、なのかな」
「!」
「この旅、終わるのかな。旅の終わりって……あるのかな。私たちの旅は……いつ 終わるんだろう」
 セフィロスを追いかける。
 村を焼き尽くし、大切なものを全て踏みにじり憎しみの炎で灰へと変えたあの男を追いかけ、殺す。
 旅は道連れだとは言ったものだが、果たしてその『目的』が達成されるのはいつになることなのか、それは誰にも分からなかった。きっとクラウドだって終わりがいつかだなんて考えていない。彼のうちに秘めたる殺意はティファのそれよりも大きく、セフィロスを殺すことのみに全てが注がれていた。
 薄暗い路地に向かって彼女は歩いていく。ミャウミャウと飢えた子猫が鳴き、暗がりで丸くなった親猫の元へと戻っていく。
「……わたしね」
「ん?」
 暗い路地へと入っていこうとするティファの後ろでエアリスは足を止めた。
「女の子の友達って ティファが初めてなの」
「エアリス……」
「わたし、ずっと神羅に監視されてたから。タークスの女の人に知り合い、いるけど……友達じゃない」
 ツォンもレノもルードも、勿論『お友達』ではない。「だから、ごめんね。ティファと一緒にいれて、すごく嬉しい。プレートの上でわたしがヘリに乗せられたとき、心配してくれたでしょ」
「……当然だよ」
 街の中心を流れる水路はその祭りどき、造花でいっぱいになるんだって。ティファはそんなことを言う、そしてエアリスは笑う。「私もね、女の友達ってはじめてなの」そして先ほどと同じように彼女は告げる。
「ティファも?」
「うん。だって村に同じ年くらいの女の子、いなかったし。アバランチにいたときは……ジェシーっていう仲間、いたけど……友達とはちょっと違った、かな」
 ポニーテールで赤いバンダナの活発だったジェシー。暗号の解読が得意で、爆弾をいつも作ってくれてたジェシー。たまに抜けているところがあって、トラブルメーカーな部分もあった美人のジェシー。そんなに長い時間一緒にいた訳ではなかったけれど、それでも仲が良かった女の子。
「じゃあ、はじめて同士かな」
「えぇ」
 大切な大切なお友達。
 そのアバランチの女の子がどうなったか、ティファは続けなかった。ミッドガル七番街のプレートが崩落してしまった『あの日』のことを思い出す。エアリスが心配してくれてありがとうと言ってくれたあの日、ジェシーは死んだ。
 機械塔を駆け上がる途中の非常階段で無残に力尽きていた女の顔は美人であった生前と比べるに耐えぬそれであった。苦痛に喘ぐ声、それでもティファを安心させようとする声、どこか同情をを求めたクラウドへの言葉。これが 罰。これが、報い。
 多くの人間を巻き込んだその贖いとして、怒りの鉄槌を受けたが故の終わり。
「……来年、来よっか」
「ティファ?」
 色とりどりの風船が空へと舞い上がるカームの祭りは収穫祭であると同時に慰霊祭でもあるそうだ。何年も前に起きた神羅による誤爆事件で失われた命を弔うために行われる鎮魂の意味をも込めているという。ああ、それを教えてくれたのは ジェシーだったかな。
「来年もその次も……ずっと。みんなと一緒に来て……可愛い服も買って、屋台のご飯も端から端まで食べて……」
「そんなに食べられないよ」
「二人ならね。だけどこの先、もしかしたらまだ女の子が旅の仲間になるかもしれないでしょう?」
 それは強がり、希望的観測。
 アバランチというテロ集団を名乗っていたティファもしかし、あの日神羅ビルで初めて『神の残骸』を目にしてしまったのだ。フロアにべっとりと濡れた血の跡、その先に待っていたプレジデント・神羅のあっけない死体、自分たちがこれから立ち向かわなければならない敵。
 目の当たりにした『いたいけな』女子はそれからミッドガル脱出までの経緯も含めて気落ちしていたのだ。
「……そうだね。おいしいものいっぱい食べて……綺麗なものいっぱい見て。たくさん楽しもっか」
 きっと来年の秋には。
 冷たくなってきた空気に包まれながら、お互いの体温を分け合うように二人は指を更に絡めて隣同士並んでレンガ道を歩き出した。



参:焦げ臭い記憶(バレット)


「お父さん かぁ。いいなぁ」
「本物じゃねぇよ」
「いいじゃない。わたしだって、エルミナ義母さんは育ての親よ」
 お父さんはいないのよと言ってエアリスは眉尻を下げた。「わたしが生まれてすぐに死んじゃったらしいの」とまで言うのだからバレットは困り果てる。そんなことを言わせたかったつもりはねぇ、と巨体に似合わない小さな声で彼は謝った。
「覚えてないのか?」
「全然。母さんの話の中に出てくる父さんが……ぜんぶ、だったの」
 とってもお茶目で素敵な人だったのよと母はよく語ってくれたことをエアリスはぼんやりと覚えていた。ミッドガルのスラム駅から始まる記憶とは違う、焦げ付いて離れない──冷たい、鋼の部屋。具体的なかたちを思い出すことも今となっては不可能だが、あの空間を彼女は忘れることができなかった。
 星の話、いのちの話、父さんの話。
 幼いエアリスにとっては母の語る世界が全てであり、その物語の中に登場する無限の雪原も、明かり一つない漆黒の夜に浮かび上がる恐ろしいほどの満月も見たことがなかった。そんな世界が『外』にはあるのかとただただ驚きだけがあった。
「エアリスはよぉ、その……父ちゃんのこと どう思うんだ?」
「どうって?」
 バレットはぼりぼりと頬を掻いた。コレルの砂漠地帯をようやく抜けて休憩中の草原は風通しがとてもよく、時折ごぅ、と音を立てて山からの風が駆け抜けていく。
「俺はよぉ、いつかマリンに伝えなきゃいけねぇんだ。本当の親父のこととか……ダインが 何をしたか」
 それは今すぐではない。幼い彼女がもう少しばかり成長して世の中というものを知ってからではあるが、避けては通れぬ道なのだ。父親の善良な部分だけを伝えることはきっとダイン本人も望んでいないであろう。彼が歩んできた道を、復讐や憎悪に落ちていった旅路全てを伝えなくてはならない。
 もしもそうなった時に 彼女は父親を恨むだろうかと。巨漢の仲間は身を縮ませてエアリスに意見を求めた。
「……わたしの父さんが悪い人だって言われたら どうするかって?」
「そういうつもりはねぇんだ。でも……その、もしもだ。もしもの話だが」
 エアリスの母親が、そしてエルミナが彼女の実の父親について隠し事をしていたとする。美しい父親像を守るために真実を隠していたとすれば? そしてそれを或る日突然養母に打ち明けられたとすれば?
 気まずそうなバレットの言葉にしかし、エアリスは肯定も否定もせずに答えた。
「わたしは父さんを覚えていないから」
「!」
「もしかしたら悪いことをしていたかもしれない。母さんが教えてくれなかっただけかもしれない…でもね、それって 母さんがわたしと父さんを守ろうとしてくれていたってことでしょう? とっても素敵なことだと思うの」
「素敵?」
 思ってもみなかった言葉にバレットは首を傾げたが、エアリスは嬉しそうに頷く。
「だって母さんが父さんを大切にしているってことだもん。いつか……遠い未来でもしも、父さんだけじゃない。母さんのことで知りたくなかったことを教えられても、それは『その日』になるまでわたしを守り続けていたいと思っていたから。……わたしは どんな真実でも受け入れるよ。父さんと母さんがどんな人でも、わたし自身が……どんな生まれでも」
 マリンのように復讐鬼として、殺人鬼として怨念に飲み込まれた男が父親であったとしても構いはしないとエアリスは強い瞳で訴えた。重要なことは母親がそんな父親を愛したからこそ自身が生まれ落ち、この星に息づき今も在り続けているということ。
「……エアリスの話はたまに難しいな」
「そう? 簡単なことよ。わたしはエルミナ義母さんも本当の母さんも父さんも大好きよってことだもん」
 とっても簡単でとっても素敵でしょう?
 そう笑ったエアリスの姿に遠い未来の娘を重ね、バレットは「おう!」と浅黒い肌にキラリ光る白い歯を見せて笑った。



肆:おべんきょう(レッドXIII)


 エアリスは微睡んでいた。
 赤い炎を尾に灯す獣の胴体に寄りかかって、人間よりも少しだけ早いトクトクとした鼓動を心地好さそうに耳に受けながら。
「寝ちゃった?」
「ううん まぁだ」
「最初から好きだったよね、こうするの」
「だってレッド、すごくあったかいの。安心するのよ」
 彼の種族を特別視するつもりはないが、少なくともこの毛並みとぬくもりは二本足で立つ生き物には与えられていない。宿屋のベッドで申し訳なさそうに毛を撒き散らすナナキという名前を持つレッドという獣はしかし、身体に寄りかかったエアリスをどかすことができないままである。
 宿屋の主人に怒られるのはきっとエアリスではなくレッドの方だ。
「このまま寝ないでよね」
「うーん どうしようかなぁ」
 古代種の女は甘えた。
 夕食のキャニオン料理は食べたことのないはずだというのにどこか懐かしい味わいでエアリスの舌を転がりながら嚥下されていき、胃袋をたっぷり満たした。険しい峰々に囲まれた地形で育つ植物は少ないが、その代わりに高山帯の獣はたくさん住みついている。魔晄の影響を受けていない魔物の方が最近では少なくなってきているが、このコスモエリアでは未だ食用になる獣の方が多い。
 脂の乗った狼の香草焼きに、芋のポタージュ。新鮮な果物はなかったが、南国ミディールのフルーツを乾燥させたものはあった。ヨーグルトにたっぷりの蜂蜜とドライフルーツの乗ったデザートは長い野宿生活の疲れをあっという間に吹き飛ばしてしまった。
「寝るならちゃんとベッドで寝てよ」
「うん。でもね、お勉強したらもう眠くなっちゃったの。お腹いっぱいで本読んだら あっという間」
「オイラには分からないことが多すぎだよ。ページめくれないし」
 長老や老師の語る言葉が彼の知る全てだ。
 しかしこの谷にはレッドが伝え聞いていないたくさんの神話や星にまつわる逸話が残されていて、それらは全て膨大な書物として収納されている。全てを読むことは不可能だが、一部を読むことは可能だ。調べ物をしたいというエアリスやバレットたちに先立ってクラウドはティファと黒猫を伴ってニブルヘイムへ行ってしまったが、数日中には戻るらしい。
 彼らが戻ってくるまでにある程度の知識を得てしまわねば。その決意は硬かった、はずだ。少なくとも半日前までは。
「わたし 今まで何も知らなかったんだなって……思ったの」
 うとうとしていたはずのエアリスはそこで寝返りを打ち、仰向けになって高い天井を仰いだ。
「……仕方ないよ。ミッドガルで育ったんでしょ?」
「母さんも小さい頃に死んじゃった。……きっと、神羅の人の方がたくさん知っていたと思うの」
 古代種について、約束の地について、星の命について。
 彼らの解釈がどうであるか以前だ。様々な古文書などの文献から得られた純粋で客観的な知識を神羅は数多く知っていた。それが捻じ曲がった解釈として伝えられたがためにアバランチは神羅を『間違っている』としたが、知識量だけで言えば圧倒的に神羅が勝るのだ。
「今からたくさん勉強するんでしょ?」
「ん。……わたしに 分かるかな。父さんは古代種じゃなかったし」
「血筋は関係ないよ。知識だけなら……古代種じゃなくてもたくさんある。じっちゃんはセトラじゃないけどなんでも知ってるじゃないか」
 レッドは大長老の名前を挙げた。確かにあの老人はセトラではない。だが、それはそれでまた謎が謎を呼びはするのだが。
「あーあ。クラウド、お勉強はサッパリって最初に逃げちゃうんだから」
 一番に逃げ出しそうなバレットはしかし、細かい話は苦手だ! と言いつつも今頃は別の部屋で星命学の本に噛り付いているはずだ。既に壊滅状態となってはしまったが彼は『アバランチ』のリーダーである。反神羅を掲げる以上、そして星命の尊さを語る以上この土地は切っても切り離せないのだから。
 一応、そんな彼が可愛らしい絵柄の子供向けの教書を抱えていたのは見なかったことにしてある。
「クラウドたち、大丈夫かな」
「……戻ってきたら、おいしいもの作ってもらおっか。きっと 疲れて悲しくなって帰ってきちゃうわ」
 だってもうニブルヘイムは失われているのだから。
 彼らが故郷だと言う村は五年前のあの日セフィロスに焼き払われた。しかしながら数名のみしかいないキャニオンに出入りする神羅に雇われた科学者はニブルヘイムから来たのだと言ったのだ。クラウドらが問い詰めれば『言ってしまった』という顔をして話を濁しその場から逃げてしまったものだから、彼らはキャニオンを離れ真実を確かめに行くと告げた。
「賛成だね。そういえば、昨日新鮮なアスパラが届いたらしいよ。オイラは食べられないけど」
「本当?」
「さっき受付で聞いたんだ。……それよりもオイラ、チキンステーキが食べたいな」
「いいわねぇ。わたしはアスパラだったらソテーがいいな。今からお願いしにいく?」
「いいけどエアリス、勉強するんじゃなかったの? いっぱい本も持ってきてるのに」
「するわよ、するけど それとこれは別よ!」
 がばりと彼女は身を起こした。
 書庫から部屋に持ち込んだたくさんの分厚い本がサイドテーブルに積み上げられ、ところどころにピンク色の付箋が彩っている。禁書の類でなければ好きに読んでいいという長老の好意はエアリスをとても喜ばせたが、同時にまず『選ぶ』という作業が立ちはだかった。
 あまりにも大量の書物の中から自分にも分かるような初歩的な──しかし、バイアスがかかっていないようなもの。
「別でもなんいいけど、後悔するのはエアリスだからね」
「意地悪ぅ」
 最初の勢いは何処へやら。
 彼女はレッドに頭を預けたまま一冊の本を引き寄せて開いてみせた。たくさんの文字列、たくさんの図表。数十年前に書かれたという書籍は『あまり他の人には見せられない類』のものらしいが、長老ブーゲンハーゲンは彼女ならばいいであろうと言って渡してくれたものだ。
 禁書ではないが、おおよそ禁書。
 一体なぜこの本が読むことを禁じられていたかもエアリスにとっては分からない。
「それは誰の本?」
「……グリモアさんっていう人。グリモア・ヴァレンタイン」
「……ずっと前に聞いたことがあるよ。オイラはあんまり覚えてないけど……ガスト博士みたいに昔、この谷に出入りしていた科学者だ」
「ふぅん? でもこの人の本は読んじゃダメなんでしょ?」
「破門されたんだって、その人」
「はもん?」
「この谷は神羅の人間も受け入れてきたけれど、その人は……『手を出してはいけないもの』を研究しようとして谷から追放したって 聞いたことあるよ」
「手を出してはいけないもの? ジェノバとか?」
「さぁ。そこまではオイラも分からないよ。詳しいことはじっちゃんも教えてくれなかった」
 だが、この寛大なコスモキャニオンを追われるような事案である。クラウドがカームで打ち明けてくれた『ジェノバ・プロジェクト』たるそれには出てこなかった科学者の名前だが、そのグリモアという人間は別に神羅の科学者ではなかったらしい。神羅から資金援助を受けて研究を続けていたフリーランスだとか。
 名前も顔も存在も知らなかった一人の科学者が作り上げた著書をエアリスは退屈そうに眺めた。
「とっても難しいな、この本」
「専門書でしょ? バレットみたいに簡単なのから読んだら?」
「うーん それはそうんだんだけど……」
 大事なことは知識を得ることよりも星命学には幾万もの考え方が存在し、人によって言うことがまるで違うということを知ること。ブーゲンハーゲンが彼女に求めたのはこのことだったのやもしれない。生命の循環と同じように星もまた宇宙に浮かぶ無数の命のうちの一つでしかなく、それすらも循環すると言う理論。
 現在世界遍く知られている理とはあまりに違いすぎるその考えは危険すぎるとして封印されたのだが、決して長老はその内容を『悪しきもの』として捉えた訳ではないだろう。
「…………世界にはね 考えの違う人がたくさんいるの。まずはそれを知らなきゃ」
「神羅みたいに?」
「神羅だけじゃない。きっとわたしもクラウドも……ティファも、同じ道を目指していても、別の考え方を持っているの。きっと それを知らなきゃいけないと思うの。同じ心を持つ人なんてこの星にはいないから」
「……オイラ、エアリスの言ってること難しくて分かんないや。オイラたちは仲間じゃなかったの?」
 同じ考えじゃないの? と不安そうな顔をしたレッドの頭をエアリスはもふもふと撫でた。犬扱いしないでよ! と彼は怒るが、まんざらでもない表情だ。
「仲間よ。でもこの世界に一つとして同じ命はない、星に対する考え方も……世界に対する想いも、この本みたいにたくさんあるの」
 クラウドの抱くそれとバレットの抱くもの。良くも悪くも大きな差異が横たわっているのだ。クラウドは『興味ない』と物事を両断し、魔晄を吸い上げられるこの星の未来を憂くのではなくセフィロスを殺すと言う。そしてバレットは星の痛みを取り除くためにセフィロスを妥当するという。小さな違いだが、大きな違い。
「想いの違い?」
「そう。想いを伝えられるのは……言葉だけじゃない。でも 星に想いを伝えることができるのは……セトラだけ。だから私はたくさんの人の声を聞いていつか、星に言葉を返さなきゃいけないの」
 それがセトラの使命だから。
 大層な専門書を再び閉じてベッドの脇に寄せると、エアリスはクエスチョン・マークを浮かべ続けている獣の腹に再び身を寄せて今度こそ寝息を立て始めた。



伍:怒りの日(ヴィンセント)


 これは 裁きの鉄槌。
 薄暗い魔晄炉の内部に散乱する砕け散った硝子の破片をエアリスは強く踏みしめた。
 黒ずんだ血の跡、縦横無尽に刻まれた刀傷。ティファが隠す、胸の傷。夜更けに宿屋を抜け出したヴィンセントの後を追いかけてきたエアリスはそのままニブル山に入ってしまい、そのヴィンセントに小言をぶつけられながらもこうして魔晄炉まで辿り着いてしまったのである。
 はじめこそ「お散歩どこ行くの?」とか、「あんまり奥まで行くとみんな心配するよ?」と優しい声をかけていたエアリスも、それらを全て無視して黙々と山歩きをするヴィンセントのうしろを追いかけているうち、ようやく到着した頃には口がきけないほどに疲れていた。
 エアリスは非常灯によって真っ赤に照らされたポッドルームのところどころでハッチが開く蒸気音と、ついで聞こえてきた唸り声に目を閉じた。
「……ヴィンセント。神羅はずっと……こんなことをしていたの?」
 そして開かれた魔晄炉に足を踏み入れた彼女は再びその表情を大きく変えた。
「私の知る限りでは、『最初』から。君とて見たことない訳はなかろう」
 ヴィンセントが軽く言うとしかし、エアリスは首を横に振った。
「見たよ。本社でも。……でも、……ひどい、ひどすぎるよ こんなの」
「フン。どうせそんなところだろう。……だがこれでも一部だ」
「もっと あるの?」
「たくさんな」
「助けて……あげられないかな?」
 エアリスはロッドを胸の前で握りしめ表情を硬くした。彼女の願いが無理難題であることは彼女自身も理解はしているのだろう、ゆるやかに首を横に振ったヴィンセントを見て顔を下に向けると、「そっか」と、寂しそうに呟いた。
「死なせてやるのが彼らのためだ」
「そんなのってないよ」
「彼らはもう何年もあの中だ。とうに不可逆的な変異が身体に起きている」
 そう言ってヴィンセントはうごめき悶えるような動作を繰り返す怪物に向かってハンドガンを抜き、躊躇なくバン!バン! と何発かを放った。確実に急所を撃ち抜く無慈悲な銃弾は猛烈なスピードで銃身を突き抜け、煙を噴き、硝煙の臭いを撒き散らせながら人間であったモンスターに埋まっていく。
 一体、また 一体。
 次から次へと無数に並ぶポッドからは途切れることなくモンスターが生まれ落ち、無言で一番の新参者である無口なガンマンは表情一つ変えず頭部を吹き飛ばし始めた。
「ヴィンセント……」
「目覚める前に眠らせてやる。それが慈悲だ」
 それが唯一の安らぎ、唯一の救い、唯一の平和。
 眉一つ動かさないであっという間に辺りにいた『神羅の闇』を始末したヴィンセントは倒れ伏した身体から流れる赤黒い液体を青白い指先で掬った。血液にしてはおどろおどろしく、しかし魔物の血液にしては人間のそれと似通っている。匂いを確かめ、舌の先に乗せ、親指と人差し指をすり合わせて感触を確かめる。
「……」
「私を非難したければそうすればいい」
「……そういう つもりはないわ」
「魔物だけではなく、私は必要であれば人を殺すことも躊躇いはしないような人間だ」
「……なんだか印象、違うね。『どっち』が本物?」
 嫋(たお)やかな物腰、男性にしては美しく女性にしては凛々しすぎる、嘘にまみれた偽名の男。鋼のような無表情は文字通り鉄面皮で一切の感情変化を持たないのに『優男』を演じてみせていた男は遂に本性を現したのだ。どこか影のある印象の顔立ちは今や一層青白く生者らしさを失っている。
 返り血一滴浴びずに『救い』とやらを与えてやった男はエアリスに向き直ると長い髪の毛の奥で深い赤の瞳を光らせた。
「さぁな。私は自分のことすら何一つも分かっていないのでな」
「さっき自分がどういう人が教えてくれたのに、分からないの? じゃあわたしとお揃いね」
「……前向きなことだ」
「悲しいことよりも……分からないことよりも、こうありたいとか 嬉しいことを考えた方が素敵じゃない。でもねヴィンセント、こういうのってあんまりよくないと思うわ」
「……このままにしてやった方がよかったか? もはや自我もほとんど残っていない状態で」
 そういうことじゃないわよ、とエアリスはその場に屈んで人の顔を失った姿に目を落とした。「決して触れるなよ、それは人体に有害すぎる」という言葉を無視して手をかざす。指先に祈りの力を集めてケアルを発動してやればあら不思議。
「せめて、人のかたちで眠らせてあげて」
 朽ち果てた魔物の姿は徐々に人間の姿を取り戻していく。死して命を失ってしまえばその骸はただの容れ物だ。そうして死んでいく傷ついたライフストリームを癒すことくらいは彼女にもできる。
「……それがセトラの力か」
「セトラは関係ないよ。ほら、ヴィンセントも。魔法が使えたら誰でもできるから」
「断れば?」
「わたしが全部やるだけよ」
 祈りを捧げ、穢された魂を癒し、星を巡るライフストリームへと還してあげるだけ。失われた命を取り戻すことはどうあっても不可能だが、失われてしまった命を不死者(アンデッド)として望まぬ二度目の生へと昇華されてしまうのを防ぐことは可能だ。
 淡い黄緑色の光が溢れ、暗がりの中でエアリスの甘茶色をした髪の毛が照らされる。
「エアリス」
「ん?」
「見てみるか?」
「……なにを?」
 次から次へと祈りを捧げて行くエアリスにヴィンセントは腕を組み、相変わらず無表情で尋ねた。
「神羅の闇。……そこの奴らと同じようなものを 今ここで私は君に見せることができる」
「まだ……ここにあるの?」
「山を降りてみろ、ニブルヘイムの民家にもいるだろう。アレもいわゆる『神羅の闇』だ」
「黒マントの男……」
 不気味な動きをする人間のような生き物を彼は例えに挙げた。
 誰かを探すような、何かを探すような。そんな動きをする黒マントの男たちはこのニブルヘイムに所縁があるのか、動き出す様子はない。偽りの村に暮らす住民たちは彼らの存在を視界から消し、何事もなかったかのように生活し続ける。「むしろ、あの村自体が神羅の闇……そう言った方が正しいだろう。本来のニブルヘイムは既に失われている」
 だが私の言う闇はそれではない、とヴィンセントは魔晄炉の出口へと向かって行く。
「そこから見ていろ、例え本意でなくとも君を傷つけるようなことはしたくはないのでな」
「?どういうこと」
「『身近』な神羅の闇だ」
「ちょっと、ヴィンセント」
「いいからそこで見ていろ」
 訳が分からず、しかし繰り返し忠告を受けたエアリスはきちんと魔晄炉の壊れたドアの影に隠れ、階段をスタスタと降りて行くヴィンセントの背中に目をやった。これ以上何があるというの、と声をかけようとした その時。

「神羅の…… 闇」

 獣の唸り声が聞こえる。
 赤いマントを羽織った男の後ろ姿は徐々に輪郭を失っていき、やがて二足で歩いていた人間のかたちは完全に消えてしまった。その代わりに階段を降りた先で毛を逆立て、頭部に鋭い角を持つ獣が在った。それがあのヴィンセントと同じ命を持つ存在であるとは俄(にわか)には受け入れられないほどの変わりようにエアリスは言葉を失う。
 咆哮は獣ではなくモンスターのそれ。長い爪を伴った手指は鋼であろうとも人のからだであろうとも容易く斬り裂けるような輝きを持ち、引き裂かれた大きな口の中に並んでいるのは鋭い歯。
 これが、神羅の闇。「あなたが抱えていたものは……これだったのね」とエアリスは言い、恐る恐る階段を降りる。
 危害を加えたくないという言葉の意味はそのままだ。来るな、と声のないヴィンセントの叫び声が頭に響いたような感覚もするが、それでも彼女は歩みをやめない。グルグルと警戒するような音を立てる獣の真正面まで行くと、先ほどと同じようにエアリスは右手に魔力を集めてやった。
「ッ」
「だいじょぶ。だいじょぶだよ、わたし」
「エア、リス」
 宥(なだ)める声音に獣は一歩後ずさり、再び一歩近づいて来るエアリスから逃れようとした。しかし彼女が指先に纏った淡い暖かな光に当てられるとどうにも弱いのか、その場で魔獣は己の頭部を抱えて苦しむような素ぶりを見せ──
「ヴィンセント!」
 再び身体の輪郭がぼやけ、数度エアリスが瞬きをするうちに面妖な獣は一人の人間へと巻き戻っていた。
「そこから見ていろと 言ったろう」
「……だいじょぶ?」
「判断は任せる」
 息遣いは荒い。膝をつき苦しげな呼吸を繰り返すヴィンセントは曖昧な返事をこぼす。
 見た所目立った外傷はない。それは当然と言えば当然ではあるが、エアリスはその姿勢を崩した男の元に座り込んだ。黒い衣類の隙間から見える右腕の生肌に手を沿わせてみればそれは死人のような体温。僅かにトントンと指の腹を叩いてくる血流の鼓動は幸いなことに生者のそれ。
「この人たちとは……違うの?」
「神羅屋敷に残されていたレポートを読む限りでは……ほとんど同じだ。まだ可逆的であるというだけで」
 高密度の魔晄に『漬け込んだ』上で絶えずそれを照射し続け、ほんの少しのトッピングとしてジェノバ細胞。ソルジャーと魔晄の照射時間以外同様の製法で『作られた』魔物たちと同じ。「これが 私の正体だ」なんてさらに言うものだから、エアリスは次に言おうとしていたフレーズを次から次へと失っていく。
 わたしは大丈夫だよ、とか。
 神羅はひどいのね、とか。
 持ちうる手札が驚くほどにバラバラ落ちていく。
 この男にはどんな言葉を投げかけても意味を持たないのであろう。慰めも憐れみも励ましも。「他言するかは君次第だ。いずれ知れる」とヴィンセントは至極冷静に告げた。
「……全ての物事には…きっと 報いがあるって。本当の母さんはそう言っていたわ」
 絞り出すように出てきた言葉はエアリス自身もまた予想だにしていない言葉であった。
 おぼろげにしか思い出せない母親の物語に、確かそんなフレーズがあったはず。誰も見ていないところで悪事を働こうとも、本当に誰にも見られることがなかったとしても。全ての行いは星の上で行われることだから星は知っている。逃れられぬ星の力によって悪いひとには裁きが下るのよと。
「いずれ神羅には裁きが下る」
 セトラに伝わるその話を知ってかしらずか、目の前の男もそう言った。
「……それは プレジデント神羅が殺されたこと?」
「あんな男の命一つで終わるほど星は優しくなかろう」
「……星、怒ってるかな」
「きっと。相当にな」
 遠い未来か近い将来か。
 どちらにせよ怒りの日は来るのだ。詩的な男の言い回しにエアリスは悲しくただ頷くことしかできなかった。



陸:そらのかなた(シド)


「ラードって飲み物に入れるものだったっけ?」
「どーだろな。少なくともオレは入れねぇぞ」
「蜂蜜なら入れるんだけどなぁ、わたし」
 エアリスはタイニー・ブロンコの横にしゃがみ込んで計器を弄り回しているパイロットの隣に腰を下ろした。汚れるぞぉ、と忠告がすぐに飛んできたが知らん顔。
「姉ちゃん、案外おっかねぇな」
「エアリスよ。早く覚えてちょうだい」
「悪ィ悪ィ。クラウドは元ソルジャーだか言ってたが、エアリスはそうじゃないんだよな」
「うんとね、スラムの花売り」
「そりゃたくましいこって」
 シドがミッドガルへ行ったのはもうずっと前のことだが、既に裾野にはスラム街が広がっていた。縮めることのできない経済格差に神羅は目を向けないままここまでやってきた。あの頃はまだそれなりに平和だったんだけどなぁと彼はぼやく。
「今も平和よ、多分……きっと」
「そうかい? そりゃあよかった。レンチ取ってくれ」
「……これ?」
「似てるけどソイツぁ違う。その隣の……おぉ、それそれ」
 無理な扱いをしたものだから機嫌を直さなきゃ、と彼が言ったのは朝一番のことだ。浅瀬を渡り適当な海岸沿いで身体を休めたのちの朝日と共にシドは食事当番のことなど忘れて昼下がりのこの時間までつきっきり。手が汚れないように、と紙にくるまれたサンドイッチが減っていなかったものだから、見かねたエアリスが『お邪魔』しにきたわけである。
 とりあえずご飯食べて、お茶飲んで、そういえばラードって飲むもの?
 少しでも他愛のない会話で休んでもらおうと思っていたのだが大失敗。食事を口に投げ入れたシドはすぐにまたブロンコに向かって行ってしまったのである。
「叩くと痛そうね」
「バールよりはマシだがな。喧嘩しても絶対コイツで殴っちゃいけねぇ。取り返しのつかねぇことになるぜ」
 大振りのそれは確かに殺傷能力が高い。しかしだからといって魔物相手に殴りかかるにはリーチが短すぎて使い物にならない。人相手くらいにしか武器にはならねぇな、と物騒なことを言いながらシドはブロンコの側面を開いた。
「すごい、こんな風になってるの」
「そこまで難しい作りはしてねぇが、なにせ河口とかになると海水に浸っちまうからな。しっかり見てやらねぇとすぐにダメになっちまう」
「そっか。もともと飛行機だもんね。空、飛ぶんだもんね」
「その通り。……できれば、もう一度飛ばしてやりてぇんだがよ」
 翼を持って生まれたのだから。
 本来空を飛ぶための翼を持たない人類が鳥と同じように舞うことを夢見て作られた夢の機体。それがタイニー・ブロンコである。ルーファウスが気に入っていたという派手な塗装の機体はシドが『ゆりかご』から『はかば』まで面倒を見ると言って整備し続けてきたものだ。
「……空って 気持ちいい?」
「おっ エアリスは飛んだことがねぇか?」
「ないよ。わたしたち、みんなない。クラウドはソルジャーの頃に……あったかもしれないけれど」
 少なくともクラウド以外は。あ、それからよく分からないヴィンセントも例外かな。
「気持ちいいぜぇ、空っていうのはよ。嫌なことも面倒なことも全部忘れさしてくれる…恋人みてぇなもんだ」
「シエラさんじゃなくて?」
「バッカ! なんでアイツが出てくるんだよ!」
 いいか? とシドは機体から離れ立ち上がるとモンキーレンチを握りしめて力説し始めた。「空っていうのはよ、無限なんだ。そのままずっとずぅっと飛んでいけば、宇宙に辿り着く。宇宙の先に何があるかなんて誰も知らねぇ、無限の世界に繋がってるんだ」
「宇宙のその先……かぁ」
「どうした?」
 不意にエアリスは曇り始めた空を見上げ、雲に隠れてしまった太陽を探すように目を細めた。
「……ちょっと前までは わたし、空が怖かったのに」
「怖いだァ?」
「高くて、遠くて……プレートの間からしか見えない空。ミッドガルを出たら、ずっと頭の上 そんな空なの」
 まだ怖いかという質問に彼女は曖昧な返事で答えた。
 その言葉にしかし、シドは落ち着き払った声で教えてやった。きっとその意味は違うだろうけれど、と。
「オレたちだって怖いぜ」
「シドも怖いの?」
「ブロンコなんかに乗ってるとな。ちょっとしたミスで死んじまうんだよ。鉄の塊に乗って空を飛ぶって言うのはそういうことだ」
 たった一つの小さな間違いで鋼の翼を持つ機体はバランスを崩し、あっという間にそれは空を舞う近代的な乗り物からパイロットを包み込む棺桶となってしまう。空は自由でどこまでも続いていて……誰も見たことのない宇宙のその先まで連れて行ってくれる滑走路でもある。
「それでも空を飛びたいのね」
「男の飽くなき浪漫、人類の果てなき欲求さ。それが神羅26号を作らせたんだ」
 結局彼方まで飛んで行くことはできなかったが。「ロケットていうのはよぉ、最初は兵器だったんだ」そのままシドは続けた。
「…………」
「人を殺す道具さ。対ウータイで兵器開発部門が作ったミサイルが平和になった途端、宇宙へ飛んで行くのさ」
「……神羅の機械が撃ってくる、あれが」
「命を奪うものが原点だなんていうのはいい話でもねぇけどな。例えロケットが開発されなかったとしてもミサイルは作られていただろうぜ」
 兵器というものはエアリスが忌むものだ。人々が同じ人類を傷つけるために作り上げたもの。彼女が花の世話をしていたスラムの教会にも裏側には墜落したロケットがあったし、シドの話を聞いていれば、ミッドガルだけでなく多くの場所でロケットの発射実験が行われたくさんの死者が出たようである。
「このブロンコも『そう』なの?」
「最初はどうだったか知らねぇが、神羅にはいっぱい飛空挺があるだろ? ……そういうこった」
「それでもシドにとっては……空を飛ぶものは、だいじなのよね」
「…………おう」
 生まれた理由がどうであれ要は使い道。シドは再びブロンコの横っ腹に向き合った。
「また飛べるといいね」
「……おう」
「応援、いる?」
「おう」
 せめてこの子だけは人を傷つけることがありませんように。
 エアリスはブロンコの外壁にそっと手をついて、既に海水で変色しつつある鉛の飛行機に額をつけた。



漆:女の子会議(ユフィ)


「ユフィ、髪の毛伸ばした方が可愛いと思うんだけどな」
 ウータイの夜風は肌寒くもあるが心地良くもあった。キサラギ家の屋敷に迎え入れられたクラウド一行はとてつもなく久方ぶりに柔らかな布団で眠ることのできるチャンスを得た。隣の部屋から聞こえる大いびきはその温もりに抗えなかったバレットとシドのいびきだ。
「長いと邪魔じゃない?」
「わたしはずっと長かったから。慣れたら気にならないよ?」
 窓の外から見渡せる街の全景は全体的に明るいが、ミッドガルのような無秩序な光ではない。赤い雪洞(ぼんぼり)、赤い提灯、赤い橋。中央を流れる川を泳ぐ赤い錦鯉。長く伸びたエアリスのふわふわとした髪の毛が風に攫われていく。
「でもサでもサ、慣れるまで面倒じゃん」
「そりゃ……そうだけど、 あ」
「あ?」
「あそこ。ほら見て、レノとヴィンセントだ」
 エアリスは指差した。
 彼女が指し示した先に佇むのは赤毛のレノと黒髪のヴィンセント。明らかに現地人ではない二人は橋の中央にもたれかかって何事かを語り合っている。あの二人に接点あったっけ? とユフィが尋ねてもエアリスは首を横に振るだけ。
「……二人とも髪の毛、長いよね」
「しかも揃ってサラッサラときたものね」
「レノも?」
「あぁ見えてね。わざとツンツンにしてるんだって言うのよ」
 クラウドみたいに。エアリスは指で自分の前髪をつまみ上げて真似をして見せた。言うに、以前ミッドガルの土砂降りに遭遇して整髪料が全て流れてしまったレノと遭遇したことがあったが、驚くほどのストレート・ヘアだったという。実際彼が願掛けのように一部のみ伸ばしている後ろ髪はまっすぐに垂れ下がっている。
 ともあれゴーグルを額に装備しても崩れないように『アレ』は計算尽くめにセットされているそうだ。
「髪の毛に時間かける暇あったら……アタシはその分寝てたいなぁ」
 そう言うユフィは毎朝出立ギリギリまで睡眠を貪っている。ティファが一番に起きて、エアリスが次に起きせっせと三つ編みをこさえる間も彼女は腹を出して眠り続けているのだ。目覚めた彼女がやることといえば、手櫛で流れを揃えて鉢金で寝癖を押さえつけることのみ。
「そういうガサツだと好きな人ができたときに困っちゃうよ?」
「すすす、好きなやつとかいないし! ていうか余計なお世話だし!」
「別に誰とは言ってないわよ。でも、好きな人の前ではかわいくありたいじゃない?短いままでも手入れできることはたくさんあるよ?」
「…………だって アタシが何したって相手の方が何万倍も『上』なときだってあるじゃん」
 ユフィは視線の先をヴィンセントに合わせた。レノから饅頭を奪い取り小さな口でかじる姿が見える。黒いライダースーツを身にまとった痩身の男は男と思えぬほどに美しい黒く長い髪を持つ。男部屋の様子を知らない以上どんな手入れをしているかをユフィは知らないが、腰近くまで伸びたその髪の毛が絡まっている場面など見たことない。
 野営続きで何日も水を浴びられなくたって不潔なイメージもない。
「あ、ユフィああいう人がタイプ?」
「違うよ! たとえ話だって、たとえ話!」
「ふぅん?」
「本当だよ。好き嫌い以前にアタシ、ヴィンセントのこと何も知らないし」
 名前は流石に知っている。けれど彼はファミリー・ネームを名乗ろうとはしないし、今まで何をしていたかも教えてくれない。ただ神羅と関係を持っていたことがあり、彼女らの目の前で繰り広げられている様子を見ればそれは裏付けられる。レノと語らいあうヴィンセントの口元には不敵な笑みすら浮かんでいるのだ。
 ジェノバ、魔晄、セトラ。そしてセフィロス。
 クラウドたちの旅における重要なことを幾つも知っている癖に、もったいぶるかのように真相を全て語ろうとはしてくれない。
「何も知らないのはわたしたちみんなよ。…………不思議よね、あの人」
「うん」
「でも悪い人じゃないとは思うの」
「……アタシが言うのもどうかしてるけど、悪い奴じゃないよ。多分」
「ね。……それにしてもほんっと髪の毛、綺麗よね。ティファと張るんじゃない?」
「でしょ? なんかアタシが突然色気付いたって絶対勝てないって感じ。だからアタシはこのままでいーの」
「何言っても無駄みたいね」
「そーゆコト」
 言い切ったユフィにしかし、エアリスはそれを強制しようとは全くしなかった。きっとこのざっくばらんな性格こそがユフィの魅力なのだろう。ミッドガルのガラクタみたいに機能していない信号よりも色鮮やかに顔色を変えて、空を飛び回る渡り鳥よりも軽やかに感情をくるくると変化させていく。『上』の世界にやってきた移動遊園地にあった回転木馬のような。
 にっこりと満足そうな笑みを浮かべて窓の桟に肘を付くエアリスにユフィは目を丸くして「なんだよ」と頬を赤らめた。
「ううん。ユフィのそういうところ、わたし大好き」
「はぁ? 突然なに言い出すんだよエアリス!」
「え〜? だってそう思ったんだもん。ユフィはわたしのこと嫌いだった? だったらごめんね」
「バッカ! そんなこと誰が言ったっつーの!」
 そりゃアンタはちょっとどころかむちゃくちゃお人好しですぐに人を信じるし欲もないしアタシと違って男にモテるかもしれないけどさぁ! と彼女はまくし立てた。
「……わたし、お人好しじゃないよ」
「このユフィちゃんから見ればお人好しだよ! 誰でも信じちゃうし……何も欲しくないって顔してるしさぁ」
「ユフィにはそう見える?」
「うん。違うの?」
「違うよ。わたしはね……すっごく 欲張りなの。きっとみんなの中で一番」
 エアリスのいうそれはあれもしたいこれもしたい、そういう欲ではない。
 ユフィは彼女の口から小鳥のような声で次々と囀(さえず)られる願望に耳を傾けた。「ミッドガルに帰るのよ。この旅が終わったらエルミナ義母さんのところに帰らないといけないし、マリンにも会わなきゃ。それからね、カームのお祭りにティファとユフィと行くの。それから……それから、」と。
 それはユフィの抱く物欲とは全く別方向の、しかし彼女が言うように誰よりも欲張りな願い事。
「……そんなたくさんお願い事があるとサ、ボーイフレンドは大変だよね」
「!」
 少女の純粋な感想にエアリスは身を固まらせた。
「もしかしてその反応、いる?」
「い……いないよ、もう…多分」
「……訳アリな感じじゃん」
「…………もう……会えないと思うの。死んじゃったの。なんとなく、そう思う」
 この世界の何処かにいるあなたへ。エアリスは電話をかけ続け、手紙を出し続けた。何枚だっけな、八十九枚出したのよ。一枚も返って来なかったけれど。普段の溌剌(はつらつ)とした様子からは考えられないような弱い声で彼女は少しだけ教えてくれた。
 エルミナの夫がウータイ戦争で死にもう二度と戻って来ないことを『視て』しまった時と同じだと言う。この世界のどこにもその人はもういないということが彼女には分かってしまっているのだ。誰一人としてその真実を教えてはくれなかっただけで。
「……ごめん」
「いいの。悲しいけど……わたしは あの人と一緒にいて楽しかったから」
「その人といて?」
「うん。あと、ボーイフレンドなんかじゃなかったのよ わたしたち。ちょっと仲が良くて……よく 遊んだだけ」
「それを世間ではボーイフレンドとか言うんだって」
「そうなの?」
「……適当に言っただけ」
「もう、ユフィってば!」
 再びエアリスは高い声ではしゃいだ。
 スラムという狭い世界で育ったエアリスのことを古代種ではなく彼女自身として認識してくれる人は少なかった。そんな数少ない理解者の一人で、いつもスラムの教会に遊びに来てくれていたお調子者。「ちょっといいなって 思ってただけだから」と。
「いいねぇ若いねぇ、恋だねぇ」
「ユフィの方が年下じゃない。それに恋、してるくせに
「だぁかぁらぁ! アタシは別に変な元ソルジャーもオッサンも暗い男も好みじゃないっつーの!」
「じゃあどんな人が好み? ほら、言いなさいよ〜!」
 キラキラと輝いていて無限の可能性を秘めていたティーン・エイジ・ドリーム。その思い出があればそれだけでいいと言ったエアリスはユフィに身体を寄せて問い詰めた。わたしだけ言いっ放しなんて許さないんだからね、なんて言いながら。
「アタシが一途なのはマテリアだけだっつーの!」
 あまりにも騒ぐものだから、隣の部屋からパンチの音が壁伝いにやってきて、そんな話聞かされる身にもなってくれなんていうクラウドの無言の訴えのように鳴り響き二人は再び笑った。



捌:君と秘密を、この愛の証として(ケット・シー)


 黒猫が宙を舞った。
「ちょっと、何するんです!」
「チェックよチェック。ふぅん、あなた 最初の子と全然変わらないのね。ごめんねケット、驚かせちゃった」
「投げて確認なんて、そんなひどいことってないですよ〜」
「だから謝ってるじゃない! ……ねぇ、モーグリは?」
「……あれは あの子だけなんです。ボクがマテリアで操ってましたから」
 数時間前に黒マテリアとともに『折りたたまれ』てしまった相棒の名を黒猫は悲しそうに紡いだ。背中にたくさんのひみつ道具を詰めた巨体のモーグリはゴールド・ソーサーの備品なのだとも言う。「園長に怒られちゃいますね。今度……また会ったら、謝りましょ。『ボク』はいくらでも替えがいますけど あの子はあの子だけやったんですから」
「っ バカっ!」
 ケットシーの言葉にエアリスは声をあげた。クラウドにひどく殴られた頬の痕はとても痛々しいが、彼女自身は気にもしていない様子だ。
 ちっぽけな猫を抱きしめて古代種の女は顔をマントの襟に埋める。ちくちくとした人工毛の感触、布の毛羽立ち具合、ヒゲの長さ。空を舞うように投げ上げてみれば『前』と同じような軽さをしていたというのに、こうして一つ一つをとってみれば違うのだ。前の子よりも汚れは少ないからまだ肌触りはいいのね。エアリスは目尻に小さな涙を浮かべた。
「エアリスさん……」
「替えがいるなんて言わないで。あなたは……あなたしかいないのよ。わたしたちと今まで旅した子は 死んじゃったの、マテリアになっちゃったの」
 命のない命がマテリアになるなどという話は聞いたこともないが、彼女の比喩表現を『新しい』ケットシーは否定できなかった。
「……ボクは つくりもんですよ。ぬいぐるみの向こうには冴えないオジサンがいるだけで」
「じゃあ、わたしオジサンを抱っこしてる?」
「感覚は共有していませんから。大丈夫ですよ、ボクはケットに命を与えているだけなんです」
 いつの間にやら黒猫は黒猫ではなく、今は遥かミッドガルの地からともに旅を続けている神羅の役員の言葉となっていた。リーブといいます、都市開発部門の。彼はそう自己紹介して黒猫は首肯する。
「リーブさん?」
「呼び捨てでもいいですよ。ケットみたいに」
「うん。じゃあリーブね。でも初めましてじゃないのよきっと。……お髭のオジサンよね? 前にレノとお話ししてたの、見たことある」
「ボクもあなたを見たことがありますよ。よく……タークスとか、昔は ソルジャーと歩いてましたよね」
「!」
 当時はまだクラス・1STではなかった黒髪のツンツン頭と。「クラウドさんには内緒でしょ?」という優しい言葉にエアリスはそれからすぐに表情を戻し、俯いた。
「あの人が目が覚めてどうなるかは……ボクにも分かりません。色々と関連してそうなことは調べてはいるんですけど、あちこち嗅ぎ廻りすぎてちょっと怒られちゃいまして。ハハハ」
「怒られたの? 大丈夫?」
「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です一応、これでもボクはそれなりに偉い人なんで。手荒な真似はされません」
「偉い人なのね」
「ミッドガル作りましたって言うと、発注先の人とか、下請けの人とか、それこそ死にはった先代やらいろんな人たちに怒られそうですけれど。あそこはボクの子供で……先代統括やった、ボクの叔父の孫、みたいなもんなんですよ」
 腐ったピザだとか、汚らしい権力の街だとか。
 様々な言われ方をする魔晄都市ミッドガルでも愛する子供であることには違いない。「最初はすごく綺麗な街だったんです。作られたときは世界で一番だったんですけどね。…………ま、あの子をあんだけ汚したのも、親のボクらなんですど」
「優しいパパね」
「お褒めに預かり光栄です。……バレットさんたちには、この話まだ黙っといてもらえます? いくら神羅の人間やいうんはバレてても、統括だってことが知れたらちょっと大変ですからね」
「どうしよっかな」
「そこ悩むんですか」
「そりゃそうよ。だって、わたしがバレットたちに嘘をつかなきゃいけないってことじゃない」
 小さな可愛らしい嘘であろうとも、真実を隠蔽するという意味に変わりはない。意地悪ですなぁと言ったケットシーの頭を撫でてやる。嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしているぬいぐるみの向こう側にはヒゲのオジサン? 以前から事実は知っていたが、こうして目の当たりにするととてつもなく不思議な感覚である。「ね、リーブって どうやってこの子動かしてるの?」と興味本位で彼女は聞いた。
「どうやって、ですか」
「ロボットじゃないんでしょう? だって、この子ただのぬいぐるみだもん」
 愛玩用にしてはやけに頑丈だが、どこにも電気部品はついていない。腹を割けば綿が出て、耳を木の枝に引っかければ糸が飛び出してくる。正真正銘のぬいぐるみなのだ。何度かティファの手による『外科手術』も受けている。
「ボクは……そうですね、なんと説明したらいいか」
「操り人形?」
「その子の『黒幕』は私ですが、操ってはいませんよ。ケットのメモリはケットだけのものです」
 曰く。
 生まれた時からこの力を持っていて、いじめられるからと言って両親から隠すように強く躾けられていたのだと。動くからだと意志、そして心を与えるちから。難しい話は聞いてもエアリスには理解できなかったものの、少なくとも目の前の黒猫がただのぬいぐるみであるという事実が変わらない、ということだけは分かった。
「この子って、何匹もいるの?」
 続いての質問にリーブは意識越しに笑う。
「いますよ。そもそもその子はあなた方にお共させていただく為に特注した子ですからね。いつもの子たちよりもうんと頑丈なのが、世界中あっちこっちに」
「あっちこっち?」
「えぇ。いつどこで動けなくっても、すぐに『また』合流できるように。神羅あるところにケットあり、ですわ」
「なぁにそれ、とっても可笑しい」
 くしゃりと彼女は笑う。すると歪んだ頬に鈍い痛みが走ったのか、「あ」と小さい声を上げる。
「…………回復、しましょか。女性のお顔は髪の毛と一緒で命や言いますし」
「……ううん いいの。このままで」
「クラウドさんが起きたら……」
「きっとビックリしちゃうよねぇ」
 目覚めた彼が『誰』なのかは誰にも分からない。けれど抱く少しの希望通り、以前と変わらないクラウドが目覚めたとすれば。
 きっとエアリスの顔に残る青あざを見て己の所業を思い出し傷ついてしまうことだ。「だから クラウドには見せられないの」とどこか矛盾する言葉をエアリスは言う。
「…………エアリス さん」
 それは一体どういう意味です?
 訝しげなプラスチックの瞳を向けた黒猫の口に、エアリスは白く細い人差し指をそっと押し当てた。
「ひ、み、つ!」



玖:Home, sweet home


 水の音が聞こえる。
 満たされた杯いっぱいに溢れる青い青い透明な水がざぁざぁとこぼれ落ちるような、静謐な水面を滑っていく枯葉が奏でる音のような。その音は今までエアリスが聞いたことのない類のそれだった。母なる海を満たす水は生命の源であるとはよく言われてはいるものの、この都全体を覆い尽くす澄みきった水には命の息吹一欠片すら感じられなかった。
 すべてのいのちが生きられますように。
 だいすきな人が これ以上傷つきませんように。
 神羅が思い描くような大層な祈りではない。エアリスが胸に抱き続けてきた想いは至ってシンプルで、そして叶い難い代物であった。この忘れられた古代種の都に辿り着くまでの間、たくさんの痛みを彼女は知ってしまってきた。セフィロスを追いかけよう、たったそれだけのつもりだった。
 星の命をどうしようだとか、バレットが率いていたアバランチの面々が目指していただろう未来にはぼんやりとしたイメージしか湧かなかった過去はどこかへ置いてきてしまった。監視と護衛を任されたタークスたちと戯れた昔を置いてきぼりにして、少し危なっかしいクラウドの後ろを歩くようにした。
 旅の途中からはずっと落ち込みがちなティファの隣に寄り添いながら、親友の娘を我が子のように可愛がるバレットに少しの羨望を覚えながら。元気いっぱいのユフィと時には並んで走り回って、ナナキの毛繕いをしてあげて。いつも辛そうなヴィンセントが抱く悲しみを分かち合ってみたりした日々。中身は少年そのもののシドをからかって、それからケット・シーにだいすきだよ、っていっぱいいっぱい言ってあげたそんな大切な時間。
 それら全てを振り切ってしまったのはエアリス本人だというのに、ずっとずっと昔のことだったような錯覚に彼女は郷愁を感じていた。
 こんなことになるんだったら。
 エアリスは祈りを捧げる祭壇をじっと見つめ続けるヴィンセントと目を合わせた。彼はこの場所に到着してから何時間もの間、エアリスが祈りを捧げ続ける向かいで何一つ言葉を発することもなくじっとしていた。
 仲間の元から離脱したエアリスをこの場所まで連れてきてくれたのは、彼だった。
 時折赤いマント姿ではなく群青のスーツに姿が変動するヴィンセントはまるで別人のようにすら見えたが、悲しみを秘めた瞳の色が変わることはなかった。
 あなたのしあわせも願うわ。
 ヴィンセントは微笑みかけられて少しばかり戸惑った表情をして見せた。祈りを邪魔してはいけないと思っていたらしい。だいじょうぶ、とエアリスは声に出さず口の形だけを動かした。
 こんな ことになるんだったら。
 今頃クラウドたちはどこにいることだろう。ちゃんとエアリスたちを探しにやってきてくれるだろうか。この場所で捧げる祈りを知っていてくれるだろうか。嗚呼、嗚呼。こんなことになるのならば、全てを知らぬ少女でありたかったと古代種の女は目をそらして俯いた。
 亡き母親から譲り受けた白いマテリアに祈りを込めながらもどこかエアリスはありもしない世界を夢想し始めた。何も知らぬまま、たった一つの行動を起こすことなくプレート崩落に巻き込まれて死んでしまっていたら、どうなっていたことだろう? あの日クラウドが教会に落ちてこなければ、今頃何をしていただろう。
 舌を噛み切って死んでやれば どんな世界になっていたのだろう。
 神羅カンパニーが最後の古代種を喪い、古代種の叡智そのものである聖なるマテリアすら砕け散っていれば? ジェノバに、メテオに対抗しうる手段が世界から消え去ってしまっていれば?
 死にたかった訳ではない。そんなことは今まで一度も思ったことはない。この祈りが星に届くのならば、クラウドたちが迎えに来ても来なくてもエアリスは皆の元へ戻るつもりだ。このかなしい旅路を乗り越えるために、もう一度皆と一緒にこのかなしい星を歩くために。

 レノたちに今までありがとうって言わなくちゃ。
 ティファにずっと一緒だよ、大好きだよって伝えないと。
 それからバレットにはマリンと幸せになってね、って。
 後でナナキの毛繕いを降参するまでしてあげよう。
 もっと笑って。ヴィンセントにはそうお説教しなくっちゃ。
 シドに禁煙しなさいって強く言わなきゃ、服が臭いわ。
 ユフィと二人でマテリア探しに行く約束も果たさなきゃ。
 何号機になってもケットは変わらない猫ちゃんでいてね。

 まだまだやることがあるのよ。
 こんなところで死んでなんていられない。星詠みによって視たあの未来はもっとずっと先。いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい悲しんで、いっぱい いっぱい一緒にいて。飽きるくらい星の縁で繋がったみんなとの旅を味わったその先に、わたしの死はあるの。
 わたしは ここにいるよ。
 思わず口に出してしまいそうになり、エアリスはふと顔を上げて瞼を開けた。
 そこに映ったのは  たいせつな人たちの姿。
 あのね、みんな。
 嗚呼。
 エアリスは上空より光臨する悪夢の気配を感じ取ってしまっていた。ジェノバはきっとこの時を待っていた。心のどこかでは己の死に場所がこの都であることは、エアリスにもわかっていた。その前にどうか皆の顔を見たいなんていう幼稚な願いは叶えられてしまったのだ。
 左様ならば。
 クラウドの不安そうな瞳がはっきりと見える距離まで彼が近づいてくる。駄目よ、ここは 危ないから。
 古代種ではなく、エアリスというちっぽけな人間その一人としてい愛してくれてきた仲間の姿が星色の瞳に映り込んでいく。網膜に焼き付けるように、二度と消えてしまうことのないように愛する人たちの姿を見つめながら、

 エアリスは微笑んだ。


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