ディア・フレンズ


1:ちの色をしらず(レノとルードとエアリス)


「神羅の血は何色だ!」
「は?」
「って。アバランチ、言ってたよ」
 突然エアリスが物騒なことを叫ぶものだから、レノは思わずあんぐりと口を開けた。
「んなもん赤に決まってんだろ」
「だよねぇ。こんなに赤いのにね わらっちゃう」
 エアリスはレノの傷だらけの顔を見てくすくすと笑った。
「そりゃあ。タークスも古代種もソルジャーもアバランチも、みぃんな血は赤いですよ、と」
 ひでぇこと言うよなぁアイツら。レノはうんざりしたような顔で花畑の脇に腰を下ろした。
 朝陽はまだ、昇ってこない。
「今日はなにしたの?」
「そのアバランチと追いかけっこしたオシゴト帰り。マーケットで手揉みでもと思ったんだが閉まっててよぉ」
「開いててもそんな格好で行ったらびっくりされちゃうよ?」
「だからここに来たんだぞ、と」
「だからってこんなとこ、来る?」
「……どっかの不良娘がいるかと思ってな」
 プレート内部に潜む反乱分子の排除といういつもながら気の滅入る任務を終わらせたレノであったが、最後の最後でテロリストに自爆されあわやプレートから真っ逆さま。潰れた桃だかトマトだかの仲間入り寸前だったらしい。ルードの機転で九死に一生は得たが見ての通り泥だらけの血だらけの傷だらけ。
 その、命の恩人でもあるルードはといえば柱の影に隠れてしまった猫たちを呼び寄せようと木の板に這いつくばってチッチッチ〜なんて声を出している。
「ルードは怪我、大丈夫?」
「……この程度ならじきに治る」
「ほんと?」
「馬鹿野郎ルード。ここはエアリスちゃんのケアルが欲しいでちゅ〜って言うとこだぞ」
「……レノ、そういうのがシュミなんだ」
「……いや違う。断じて違う!」
 今のはタトエバナシだ! とレノは訴えた。
 すっかり陽の落ちたスラムを歩き回るのは危険だ。特にこの伍番街は六番街スラムであるウォール・マーケットと隣接している土地柄もあって例え慣れている住人であろうと日が落ちたら家のある街に帰る。それが原則だ。しかしエアリスはどうしたことか夕食どきをとっくに過ぎたこんな時間にも教会で花の手入れをしているではないか。
 否、手入れではなく 彼女は祈っていた。
 古代種の祈り? とかつて聞いたこともあったが、はぐらかされて終わり。実際彼女自身もよくは分かっていないらしい。
「ルード、怪我見せて。治すから」
「……すまない」
「そう言う時はありがとう、だよ」
 ほら、とエアリスは立ち上がり猫から目を話そうとしない寡黙な男の隣にしゃがみこみ、泥々になってあちこち破れたスーツの上に手をかざし、祈りを込める。
「やっぱすげぇな、エアリスは」
 マテリアもなしに魔法が使えるなんて。
 レノたち『一般人』はマテリアを介さなければ魔法など使えやしない。しかも神羅の支給品である人工の合成マテリアでは大した威力も期待できないときた。ソルジャーの適正がある者は合成マテリアでもかなり上級な魔法を扱うことができるとも聞いたことはあるが、エアリスのようにマテリアもなく癒しの魔法を発動するなんて無理な話だ。
「レノたちもできるよ」
 なにもなくたって、手ぶらで。彼女は笑った。
「できねぇっつうの」
「ほんと? やってみた?」
「……やってねぇ」
 じゃあやってみよ。
 エアリスはルードの傷を癒すとレノに向き直り、彼の端正な頬に指を添えた。ス、とそこに魔力を集めれば指先に淡い緑が宿り、コンクリート片で派手に切れた傷口がなぞられるだけでピッタリと閉じ、残るのは赤い血の痕だけ。
「簡単だよ」
 お願いするだけよ、とエアリスは言った。
 確かに人によっては難しいかもしれないという部分は認めつつも彼女は「ライフストリーム、近いとうまくいくかも」とよく分からないアドバイスを挙げる。
「魔晄炉とか?」
「あそこは、ダメ。自然の中とか……こういうお花、あるところとか」
「ミッドガルに自然なんてねぇぞ、と」
「……リフレッシュルームに植物はある」
「……あれ、自然かぁ?」
 むぅ、とルードは唸った。猫がついにぷいとそっぽを向いて走り去って行く。
「だがあれはダメだろう。マテリアが生命エネルギーの塊だ。マテリアの代わりになるのは自然な生命だけだ」
「おっ」
「ルード、正解」
「当然だ」
「んなもん、理屈が分かったってな」
「今度試してみて。うまくいくかもしれないよ」
 他に怪我はない? と聞けば二人は顔を見合わせてからこくりと頷いた。本当はあるけれど、これで十分。疲れも痛みも綺麗さっぱり吹き飛んだ。
 昨日の夜中からほとんど眠れていないが、彼女の笑顔を見ればそんな疲れなど星の果てまで吹っ飛んで行く。よかった、と言ってエアリスは板張りに膝をつき花を横から見たり、下から見たり。何がそんなに面白いのかレノには分からないが、ここに来るたび彼女は長時間そうやって花ばかりを見つめている。
「……アバランチは……この星のこと、考えてくれてるのかな」
「んだぁ?」
「分かるよ、言ってること。魔晄炉が世界にたくさんあれば……星、本当に寿命よりももっともっと早く死んじゃうかもしれない」
「……」
「でもね。でも……だからって……神羅だからって 人を殺していい訳ないじゃない」
 あの過激な活動によって神羅とアバランチ双方に死者を出していることを知らぬエアリスではない。
「……お綺麗なことで」
「そうでしょう? だってみんな同じ赤い血の色をしてるのよ。……古代種なんかじゃない、同じ人どうしなのに」
 星の命を謳いながら『敵』と決めた相手の命を奪うことに躊躇のないアバランチという組織はエアリスにとって忌避すべき存在にも近かった。『古代種』と『人』を分けて考えながらも、流れる血の色が同じであることすら気づかない。そんな組織のことは。
 神羅カンパニーの肩を持つつもりはない。神羅が人々の生活を豊かにするためという大義のためにやってきたことはアバランチとさして変わらない。主張に反する者を完膚なきまでに叩きのめし、黙らせ、ありとあらゆる手段を用いて自分たちが『正義』であると主張しているだけ。
「殺らなきゃ殺されるんだよ、オレたちは」
「……それが仕事だ」
「アバランチはお仕事じゃないのにね」
 レノやルードの本心はエアリスにも分からない。なぜ神羅という会社に属し、なぜタークスという組織に属し、どんな心情で任務を遂行しているかなど。住む世界の違うエージェントたちが持つ命への倫理観はきっと、エアリスのそれとは違う。
 けれど一つだけ分かることもあった。
「連中、本気で自分たちが正しいと思ってやがるからな」
「人を殺してもいいって……思ってるのかな」
「神羅に関わった連中なら。カンパニーのオレらが言うのもおかしな話だが、魔晄炉を爆破しようなんて動きもあるくらいだ。……むやみにあんなもんに爆弾しかけて何が正義だよ、と」
「やっぱり爆発すると大変?」
 停電したりする? と聞くとレノは「それで済めば御の字だぜ」と答え、ルードが言葉を引き継いだ。
「……正しい手順で魔晄炉を停止しなければ……最悪、メルトダウンが起こる」
「メルトダウン?」
 知らない言葉だ。エアリスは首を傾げる。
「ゴンガガみたいに全部吹き飛ぶことさ」
「!」
「知ってるだろ」
 それはエアリスの過去をこじ開ける名前。彼女はなるべく表情を変えないように、けれど二人の前ではそれも無意味と知ると息を吐いて「うん」と答える。
「あそこは原因不明のメルトダウン。コレルもやっぱり原因不明の大爆発。コンドルフォート魔晄炉は稼働してはいるが反乱分子が占領中で一切のメンテナンスなし。テロが起こらなくても魔晄炉なんてそんなもんさ」
「……怖いね」
「だが、魔晄炉があるから生活は豊かになった」
「それはきっと……最初はみんな、賛成したんだよね」
「恐らく」
 はじめて神羅が魔晄炉を建設した時、きっとこんな未来は思い描いていなかったはずだ。
 神羅カンパニーの内部でもアバランチのような過激な動きには反発すれど、今の経済重視の会社方針に疑問を抱く者もいる。レノたちタークスはそういった内部の『裏切り者』たちの監視業務行っている訳ではあるが、幸か不幸かそういった者たちは行動に移せるほどの勇気はない。移す行動がないのだ。
「どうして仲良くできないんだろう」
「……古代種が約束の地に連れていってくれればそれで解決。社長はそう思ってるぜ、本気で」
「無理だって言ってるのに」
「そのへんオレには分からねぇが、まぁ選ぶにはちょっとばっかし危ういチョイスだよなぁ」
 ないものを探そうたってな。
 レノがぼやくとエアリスも同調し、彼女はそこでようやく立ち上がる。そして壊れた木製の長椅子に置いてあったバスケットに先ほどまでずっとにらめっこをしていた花を摘み取って挿す。すでに家の裏庭で用意してきたであろう小ぶりな花々の中に黄色い大輪が色鮮やかに咲き誇る。
 暗がりに大きな懐中電灯一つだけしか置いていない中でもそれははっきりとした色合いを見せ、「どう?」とエアリスが戯けてポーズをとってみせれば二人は手を叩いて「イイヨー」なんてふざけてみせる。
「ゲインズブール花店、それでは出勤いたします」
「ゲッ。こんな時間からかよ」
「そうよ。レノたちみたいなお仕事帰りの人に売りつけるの」
「……マジかよ」
 古代種・エアリスの監視と護衛はタークスの最優先事項。
 どれほど他の任務が詰め込まれていてもミッドガルにいる以上は彼女の安全を確保することが求められている。つまり、ようやく長かった任務も終わり本社ビルへ帰ろうとしていた二人はまだ帰れない、ということになる。
 あからさまに顔を引きつらせた二人にエアリスは微笑んだ。
「いいよ、二人とも帰って」
「んな訳にはいかねぇだろ。ツォンさんにどやされちまう」
 マジかぁ、とレノは肩を落とした。けれど彼女は発言を撤回しようとはしない。
「ツォンにはわたしがいい、って言ったからって」
「監視は希望制じゃないんですけどねぇ」
 うーんと、じゃあ。とエアリスはしばらく考えてから、そうだ! と声をあげた。
「八番街にするね。あそこ、レノたちのナワバリでしょう? おかげでここよりもずぅっと治安がいいわ。そこならきっとツォンも許してくれるわよ」
「……ナワバリじゃなくて。いや、まぁいいや。確かにどうしてもってなら八番街が一番マシだろうが……」
 LOVELESSの劇場もある八番街はスラムとの関わりも薄い。ここから電車に乗って螺旋トンネルをぐるぐる登っていけばすぐだ。ソルジャーたちではなくタークスが治安維持を担当する八番街はミッドガルの中でも建設途中である六番街を除く全てのプレート街で最も治安がいいことでも有名である。
 それも当然、治安がよければエアリスの行動範囲をそこに狭めることができるから、だ。
「決まり。駅まで一緒にいく?」
「喜んで。でも気をつけろよ、オレらがさっきまで追い回してたアバランチの連中は囮(デコイ)、本命はそれこそ魔晄炉にいるなんて噂もあるからな」
「うん。危なくなったらちゃんと逃げるから」
「危なくなる前にな」
 さぁて行きますか、とレノはルードを促し、エアリスは懐中電灯で真っ暗な足元を照らす。
 教会の外は湿度の高い空気が充満し、循環しない空気はいつも通り淀んでいる。気をつけろ、と瓦礫の合間を避けて歩いていけば視界の片隅には花売りワゴンの姿。物置に使っているトタン屋根の下で物を言わなくなってからもうどれだけ経っただろう。それに視線が注がれていることに気づいたレノは肩をすくめた。
「いつ直すんだ、って言いたいんでしょ」
「オレらの手にかかれば今すぐにでも。な、ルード」
「あぁ」
「ダメ。あれは……あのまま。それに、お花を売るならカゴでじゅうぶん」
「やっぱ?」
「やっぱ。ダメなものは ダメ」
 タイヤが外れてしまっただけではない。手入れをしないまま置いておいたら雨風に晒されてワゴンのあちらこちらは傷み、本格的に修理するよりは作り直したほうが早いほどにボロボロになってしまっている。それでもエアリスは「あれはダメ」と言って聞こうとはしない。
「ま、エアリスがそれでいいならいいけどよ」
「お花、魔晄と同じ。限りがあるから。だからこのカゴに入るぶんだけでいいの」
 ミッドガルに花は根付かない。
 スラム街は太陽の光りを受けることができず、この教会とエアリスの家の裏庭くらいにしか自生できない。そしてプレート街には肝心の『大地』が存在せず、プランターに土を入れれば植物は渋々根を伸ばしてくれるものの、それはエアリスが言うところの『自然な生命』にはカウントされないそうだ。
 だからこの花々を全て売りさばき、買った人間が大切に根付かせようともこのミッドガルは『お花でいっぱい』になんてなりはしない。
「……頑張れよ」
「レノたちも。はいこれ、今日の報酬」
「ホウシュウ……?」
「お話、してくれたでしょ? 枯らさないでよね」
「そういう話ならありがたくいただくぞ、と。任せろ、栄養ドリンクの瓶。あれ結構花瓶にいいってことに最近気づいたんだ」
 レノにはいつもの赤い花、ルードには白い花。
 カゴに入れたばかりのそれをスーツの胸ポケットに入れてやると、二人は嬉しいそうにニヤニヤと笑みを浮かべる。ツォンさん、絶対あとでこっそり裏で悔しがるだろうぜ、なんてことを言う。するとエアリスは「じゃあツォンにはこれ」と言って黄色い花をレノの胸にもう一輪。
「みんなにあげる。今日のわたし、太っ腹」
「へいへい。ま、ツォンさん拗ねると結構引きずるしなぁ」
「同感だ」
 言っとくけどこの流れ全部オフレコだからな!
 夜も深まる中、ガニ股でケラケラ笑うレノの声が薄暗い伍番街スラムの中に響き渡った。



2:きたる命のおわり(ツォンとエアリス)


 命の数を数えてきた。
 奪った命の数を、奪われた命の数を。
 一人一人の名前を覚えておくだとか、どんなシチュエーションだっただとか、そんなことまでは覚えていない。けれどせめてこの手で自分勝手な理由で殺めてきた命の数くらいは覚えておこうと、そう思っていた時期もあったものだ。
「プレート 落ちたね」
 恐ろしいほどに静かだ。
「……」
「何人、死んじゃったかな」
「…………そもそもスラムにどれだけ住んでいたかなど 誰も知りはしない」
「プレートに住んでた人も死んじゃったかな」
「全ての避難が間に合ったとは思えない」
 こんな深夜だからな、と言うツォンはどこまでも冷静だ。
 目の前で崩れ落ちて行くプレートは間違いなく神羅だけではなく、多くの人々の血と汗によって作られたかりそめの大地だったはずだ。だというのにそれを自らの手で破壊した神羅はこうして失われて行く命を前に悠々と飛び去って行く。
 ヘリのサイドシェルでぐったりと寝転がっているレノとそれを介抱するルードがどんな気持ちでこの光景を見ているのか、エアリスには分からない。
「ツォンは 平気なのね」
「仕事だ」
「……そうだね。ねぇ 本当にわたし、約束の地が分かってると思う?」
「……それを決めるのは我々ではない」
 タークスに与えられた任務は彼女を保護し、神羅カンパニー本社いるへ輸送することのみ。
 その後のことは上が決める。ツォン自身の感情に関係はなく、エアリスが真の意味で約束の地を見つけられるかも関係ない。命じられたことを遂行するのみだ。
「もし わたしが……神羅の求める約束の地、見つけたら。もうこんなことは起こらない?」
「それを決めるのは……」
 私じゃない、と言う前にエアリスは更に質問を投げかけて遮った。
「ツォン自身はどう思う?」
「…………約束の地など、それは……夢物語だ」
「……うん」
 彼はやさしい。
 魔晄溢れる、ライフストリーム豊かな土地を見つけてもどうせミッドガルの二の舞になるだけだということをエアリスに告げた。例えばエアリスが見つけたその『神羅にとっての約束の地』に既に人々が住んでいたら? 彼らがエネルギーを自分たちのものだと主張したら?
 神羅はまた戦いを挑む。ただそれだけ、それの繰り返し。
「このミッドガルもかつては小さな街だった」
「……うん」
「神羅はこのかつては魔晄が豊かだった土地に住んでいた人々を排他し、あるいは労働力として雇うことで……ミッドガルを手中に収めた」
「それが繰り返される、だけ だね」
「そうだ」
「でもそれが神羅の望みでしょう? わかるよ、魔晄でいっぱい。お金もいっぱい、お財布 いっぱい」
 エアリスは手を花びらのように開かせた。
「……お前の花とは違う」
「同じよ。別の誰かの命を奪って、誰かに売って対価をもらう。……わたしも 同じ」
 バリバリとヘリは高度を上げていく。
 ピザのいちピースが墜落したミッドガルは黒い煙がもうもうとあがり、あちらこちらに赤い火の手も見える。凍える夜に指先を温めてくれる炎が今は多くの人々の命を奪っている。何百、何千、何万もの人々が暮らすあのミッドガル・スラムの一角が全て滅びたのだ。上空50メートルから降り注いできた無数の鋼鉄によって、誰もが寝静まるこの深夜に。
「エアリス。他人(ひと)の心配も結構だが……」
「わたし、本社に連れていかれるんでしょう?」
 十数年振りの『帰還』だ。彼女は顔から表情を消した。
「ビルに着けば我々はもう君を守れない」
「守ってくれるつもりだったの?」
「……」
「でも残念。だってレノ、コテンパンにされちゃったじゃない」
「……君のボディガードと新しい友人はいささか暴力的がすぎる」
「元気って言ってよ」
 そりゃあ、確かに、アバランチだけど。
 その組織に対してこれまでエアリスが抱いていたのは外野であるという冷めた目線だけだった。けれど彼らの声を聞き、彼らの思いを知り、彼らの闘う姿を見て考えは変わった。正義を掲げ誰かの命を奪うことを正当化するのは賛成しかねることに違いはないが、たとえそうであろうとも事を為そうという決意は分かる。
 同じだ、彼らと。
「アバランチは些か度が過ぎた。大人しくしていれば……こんなことにはならなかったものを」
「……自業自得?」
「過ぎたる行為にはいずれ罰が下る。自然の摂理だ」
「そうだね。でも……」
「我々とて同じだ」
「!」
 エアリスが言おうとしたことをツォンは先に口にした。
 誰かの命を奪って誰かの幸福を求めたのは神羅も同じ。ツォンは燃え盛るプレート街だった瓦礫をじっと見つめたまま微動だにせず口だけを動かし続ける。
「我々がこうして奪ってきた命に対し償おうとは思わない。それが仕事だからだ。……だが」
「いずれ報いは受けるぞ、と!」
「レノ」
 話を聞いていたのか、開け放たれたドアの向こう側で赤毛の男が叫んだ。
「ったく、あいつら本気でやりやがって。レノ様じゃなきゃ死んでたぞ、と」
「当たり前だよ。レノ、何したか分かってる?」
「オシゴトしただけ。そんでもってきょう報いを受けたのは連中、それだけだ」
「……」
 つまり 彼らは。
 いつの日かこうして多くの命を奪った報いを受ける番がやってくることを分かっている。
 本当にこれが『悪』の行為であるならば、星が正義の鉄槌を下す。その裁きの日が訪れるかなど誰にも分からない。セトラにだって分からない。ならば今は目に見えぬ未来の制裁なんて考えてもいられない。
「……明日は我が身だぞ、と。ったく、こんだけボコボコにされたらしばらく内勤じゃねーか」
 これ労災いけます? なんて声を上げてはいるが、レノはまだ出血が止まっていないようにすら見える脇腹を骨ばった手で掴むように押さえている。しかしエアリスはそれを見ているだけ。つい先日古ぼけた教会でしてあげたように回復なんて 今はできない。
 しないのではない。マテリアを介さず魔法を使うためには研ぎ澄まされた精神の平静が必要となる。こんなにも多くの人の命が失われ、そのレバーを引いた本人を前にしては無理難題だ。いってぇなぁ、と呻く姿を前に何もできないのは心苦しくはあるものの、レノもそれは分かっているのだろう。
「クラウドたちきっと、ビルまで来るよ」
「だろうな」
「だいじょぶよ、わたし。ツォンたちが守ってくれなくても……ボディガード、いるから」
「今度はうまくいくといいな」
「ばか いじわる」
 こんな光景を見せつけられて、エアリスに自己犠牲のつもりはなかったがそれでもマリンの身の安全と引き換えにビルへ向かうことを承諾した。それを知れば彼らはきっと黙っちゃいない。どれほど警備を強化しようとも、例え螺旋トンネルを封鎖し、電車を全て止めたとしても、どんな手段を使ったって彼らはやって来る。
 アバランチとはそういうものだ。それをエアリスはこの短時間ですっかり理解していた。
「……不自由にはさせないつもりだ」
「今さら。そんなこと、言う?」
「不自由な中でも最大限な自由を与えること。それが私にできることだ」
 ミッドガルにいれば、アバランチに関わらなければ──スラムの『空』から降ってきた男となんて出会わなければ。タークスや彼の友人ソルジャーたちに守られ、見えない檻と鋼鉄都市のゲートに囲まれていればよかったものを。
 ツォンの預かり知らないどこかで運命の歯車は動き出してしまったのだ。何がきっかけかは分からない。けれどもエアリスと微妙な関係を続けてきたかりそめの平和はとうに終わってしまった。お遊戯の幕は下りたのだ。
「自由だよ わたしは」
「……」
「こんなにも自由。ツォンのおかげで、義母さんと……綺麗なお花と、あなたたちと、このミッドガルで ずっと自由だったよ」
「……君は……」
「このスカートだって。ツォンが選んでくれたんでしょ?」
「……」
 或る日突然送られて着たピンクのワンピース。プレート街のブティックの箱に入った、上等なそれ。差出人のない贈り物にエルミナは困惑していたものの、エアリスはすぐに分かった。それが誰からの贈り物で、どんな意味を持つものか。
 ワンピースに似合うジャケットをくれたのも友人、の友人。ソルジャーだったはずだが、今はどうしていることだろう。行方は分からないが、きっともう彼女の道と友人として交わることはない。『彼』と『彼女』を繋いでいた星の縁はもう切れてしまったのだから。
「自由よ わたし」
 それでもエアリスは何度だって言った。
「君は今から監禁されるんだぞ」
「それでも 心は自由」
 このまま神羅に鎖されてしまったとしても、彼女の生きてきた道には確かに自由があった。それをくれたのはあなた、と彼女は笑った。
 その笑顔がナイフのように突き刺さる。もう『これまで』のようにはいかないね、というエアリスなりの別れの合図だ。
「……そういえば 先日の礼を言っていなかったな」
 ツォンはそれを拒否するように、受け入れ難いとでも言うように話題を変えた。
「お礼?」
「花を。レノから預かった」
 任務しゅうりょぉ〜と言いながら上機嫌で帰ってきた部下たちの手土産のことを思い出す。あれは今もツォンの机の上で綺麗に開いてくれているはずだ。
「……うん。ツォンには特別に黄色いお花。レノには赤で、ルードには白。……大事にしてね」
「二人ともきちんと面倒を見ている」
「よかった。今度 見にいってもいい?」
「当然だ」
 今度なんて来ることはない。
 エアリスにも世界が、運命が、新たに結ばれた──或いは、過去から繋がっていた──星の縁が走り出したことくらい分かっている。これは過去の終わり、未来のはじまり。真っ暗闇の中で燃え盛る炎に包まれ終りゆく命を見ながら、その中できっと生き延びたに違いない新たな縁の者たちを心に描きながら、そしてついに失神したレノに小さく「ごめんね」と呟きながら。
 この狭い鋼鉄の城で守られ続けた世界に別れを告げた。



3:ゆるやかな 死を(レノとルードとイリーナ)


「……死んだ、らしいですね。古代種の子」
 兵舎は臭い。控えめに言っても、ミッドガルとどちらがマシかと言われても返答に困るくらいには。
「…………」
「私もう、どうしていいかわかんないです」
 潮と油の強烈な臭いが海風に乗って吹き付けるアルジュノンはちょっと通りを歩いただけで髪はベタベタ、肌はギトギト。それに上空には不自然な肉色の巨星、海にはウェポン。空にもウェポン。世界のどこかしらにはやっぱりウェポン。ウェポンだらけ。
 ジュノン支社内の調査課拠点は閉鎖されて久しく、やむなくレノたちは一般兵にも解放されている兵舎へやってきた次第だ。
「……ここにいる全員同じだぞ、と」
 そこに加わるはタバコの臭い。
「……先輩」
「おう」
「臭いです」
「おう、そうか、そうだな」
 心ここに在らず。レノの言葉は空虚だった。
 ツォンが生きていた、という報せはアイシクル・ロッジに腕まくりして向かったイリーナが腰を抜かすほどの大ニュースだった。てっきり本社に帰投したレノやルードの様子から帰らぬ人となってしまったのだと早合点しタークス付きの神羅兵を引っ張って北の大地まで飛んだのだが、それは徒労だったらしい。
 とはいえツォンを斬ったとイリーナが勘違いしたクラウドに見舞った渾身のパンチは外してしまったので、無実の相手に暴力を振るったことにはなっていない。
「なにイライラしてるんですか、レノ先輩」
「……自己嫌悪だ。放っておけイリーナ」
「はぁ」
「ルードぉ」
 そういうこと言わないの、とレノはお行儀悪く泥だらけの軍靴をテーブルに乗せた。
 飛空挺ハイウインドによってジュノンへ輸送されたクラウド一味の一部は今日の午後、処刑される。おそらくシドが焚きつけたのであろう、ハイウインド内で起きた反乱沙汰は解決しておらずエアポートで籠城してもう五日。そんな時こそタークスの出番ではあるのだが、いかんせんあのハイウインドの操作は熟練のテクニシャンでも難しい。そんな彼らを全員無傷で捕らえ、神羅に再び協力するよう説得するのは労力に対するリターンが小さすぎるのだ。
 かといって飛空挺ごと爆破するのも勿体無い。そのため、保留。よって調査課もずっと待機。今日もこんな朝焼けの時間から待機だ。
「社長、なにを焦ってるんでしょうね」
「この状況で焦らないほうがおかしいだろ」
「そりゃそうですけど」
 クラウドが叩き起こしたウェポンの後処理をするハメになっているルーファウスはさぞご機嫌斜めであろう。レノたちの報告を聞いた限りでは、あのメテオも各地を荒らすウェポンもどうやらツォンを斬ったセフィロスも、全部クラウドのせいらしい。
 やっぱりあの時ぶちのめせばよかった……と彼女はぐったりと机に突っ伏する。
「……だがよルード。お前もつくづく運がないな」
「言うな、レノ」
「なんでです?」
「よく考えてみろよ、処刑されるのはバレットとティファだ。……惚れた女が殺されちまうなんてな」
「あー……」
 なるほど、そういうこと。
 イリーナは身を起こしてグラスに揺蕩うすっかり氷の溶けた水に口をつけた。
 待機中の飲酒などご法度そのものだが、レノとルードの前には缶ビールが置いてある。それから厨房に忍び込んで冷蔵庫から拝借してきた味玉とメンマ。誰のかは分からないが名前が書いたスナック菓子。それらを並べて三人は窓の外を眺めた。
「……惚れた女が死ぬのははじめてじゃない」
「おう、そうだったな」
「私だって惚れた男が死にかけましたし」
「おっ 言うねぇイリーナ。じゃオレも」
「レノ先輩、人間のこと好きになるんです?」
「いやその言い方は流石にねぇだろ」
 もうちょっと言い方を変えろ、と文句を言いながらもレノの口元はニヤついたままだ。
 確かに誰か一人の女にのめりこむタイプではないが、それにしたってひどい言い方だ。レノは未開封だった最後のビールを開けて口をつけた。
「で、誰なんです?」
 その『好きな人』って。そうイリーナが興味津々に尋ねるとしかし、レノは表情一つ変えずに呟いた。

「エアリス」

 と。
「先輩……」
「アイツのこと、嫌いなやつなんていねぇだろ」
「……敵、でしたけど。大して関わりもなかったですけど。召喚魔法でぶちのめしてきましたけど」
 あ、タークスだ! どうしようクラウド、召喚魔法使ってもいい? いいよね!
 コスモ・キャニオンの入り口で盛大に焼き払われた時のことを思い出す。
 クラウド一味が身を寄せているという情報を元に乗り込んだはいいものの、キャニオンへ神羅関係者が無許可で入村することは許されていない。それは遡ることプレジデント時代、遥か過去に取り決められた盟約だから勝手に破るのは許されない。だから外から覗くだけ……とあの手この手でクラウドたちの様子を伺おうとしていただけなのに。
 だというのにあの古代種の少女は容赦無くイフリートを召喚したのだ。
「ありゃ痛かったなぁ」
「流石に あれはひどかった」
「だよな。ったく、誰があんな自由奔放に育てたんだよ」
「……今からミッドガルに戻ってツォンさんに聞きに行くか?」
「賛成。こんなとこいても退屈なだけだからな、と」
「先輩たち、待機も任務のうちですよ」
「待機待機待機待機って。メテオが落ちてくるまで待機か? 星が先に死ぬか、オレたちが退屈で先に死ぬか。我慢比べでもしろってか」
 酔っているのか本当にイライラしているのか。
 レノは一気に缶の中身を飲み干し、ガタリと椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。
「どこいくんですか?」
「便所」
「……レノ」
「うるせぇ便所だ便所。ついてくんなよ」
「レノ」
 もう一度レノ、と三度目のルードの声で彼は大きく息を吐いて両手をあげた。
「主任はミッドガルで療養中。ハイデッカー統括は神羅軍すら扱えきれない無能でてんやわんや、ルーファウス社長は当然ながらメテオ対策でてんてこまい。……オレはデキた社員なんでね。自分で考えて自分で行動しますよ、と」
「……待機は命令です」
「ハイデッカー統括のな。だが今からミッドガルの医療課に電話してくたばってるツォンさんに聞いたっていい、オレたちにはもっと『やるべきこと』があるはずだ」
 レノにしては珍しく彼の目は真剣そのものだった。
 襲いくるウェポンの波状攻撃により神羅軍はとうに疲弊し、このジュノンにも各地で目撃されている青いボディを持つ海洋生物型のウェポンか、それとも深海に潜り気配を殺し続けている緑色のウェポンか、それともまた別のウェポンか。いずれにせよ『どれか』が襲撃してくるのも時間の問題だろう。
 ハイウインドさえ使用可能になれば空中戦に持ち込むこともできるはずだが、それも全て後回し。
 頭の回らないバカな統括に、その統括を制御する暇すらない社長。なら取るべき手段は一つ。
「ハイウインド、始末するんですか?」
「そりゃ無理だ。シド艇長の信頼は厚いからな。あそこはノータッチ。でもエアポートを占拠してる限りゲルニカすら発進できないから追い出すのには大賛成」
「はぁ」
「……おかしいと思わねぇか?」
「はぁ?」
 レノは窓際に申し訳程度の慰みとして飾られている花瓶へと目をやった。
 兵舎の誰が買ったのかは知らないが、萎れた花がくったりと首を折って窓の外へと顔を向けている。ミッドガルの調査課の部屋にあった、あの日エアリスにもらった花はとうに萎びてしまったがツォンが機転を利かして給湯室の電子レンジで押し花にしてくれたはずだ。それらは各々の引き出しに大事にしまわれている。
 ウータイでエアリスに会ったとき伝えればよかったな、アンタがくれたお花はこれで永久保存だぜなんて。
「先に報いを受けるべきはオレらだろ 普通に考えて」
「……ツォンさんが斬られたなら、次は俺たちだ」
「そ。イリーナはいいぜ、まだイエローカードは溜まってねぇからな」
「なんの話してるんですか、先輩」
 萎れた花に指を伸ばし、レノは彼女に言われた通り星に『お願い』とやらをしてみる。が、音沙汰はなく。
「そりゃあクラウド御一行もとんだ悪党だがよ、だが……アイツらより人殺してる悪党がここにいるのにな」
「……私たち、悪なんですか」
「そりゃあ星に仇なす悪徳カンパニーのエリートですから」
「先輩!」
 茶化さないでください! とイリーナは叫んだがレノは至ってって真面目だ。
 おかしいだろ、こんなの。
「プレジデントが死んで、ツォンさんがやられて……エアリスだって死んじまった。のにオレらはまだ生きててクラウド御一行は処刑ね」
「……でも それが会社の命令です」
 誰がどんな順番で死に、星へと還っていくかだなんて選べやしない。
 悪事を重ねてきた者が生き残り、善行を重ねてきた者が死んでいったとしたって誰かを恨めば覆されるジャッジでもない。投げられたサイコロが二度と手のひらへ戻ってくることはないのだ。死神の旗を向けられた者は善き者も悪しき者も全て星の掌の上。どんな基準で選んでるんだか、とレノは再び萎れた花びらへと祈りを込める。
 どうしたらいいってエアリスは言っていた?
 どうすれば星に届くって?
 ちゃんと聞いておけばよかったと後悔したってもう遅い。
「ウェポン相手に生身の人間がどこまでやれるかね」
「……そのためのソルジャーですよ」
 一般兵やタークスのような『人間』には不可能なことも、彼らなら。
 そのためにつくあられ、強化されたソルジャーたちをここで使わずどこで使う。ウータイを戦火に染めるくらいしか歴史に残る仕事はしていないソルジャーがようやく『星のため』という会社の建前通りの仕事ができるというのに。
 イリーナの言葉にレノはようやく振り返り、花びらを弄ぶことをやめた。
「そのソルジャー、どうやって作られたか知ってるか?」
「魔晄を照射された……んじゃないんですか? 適性さえあれば 誰でもなれるって」
 逆に適性がなければどれほど強い人間でもソルジャーにはなれない。それは天より与えられしタレントであり、後天的に与えられるものではない。イリーナが知っているのはそんなところだ。するとレノとルードは顔を見合わせてから少しだけ笑い、皮肉げに優秀な後輩に教えてやった。
「魔晄を照射した上にジェノバ細胞を植えつけた。それがソルジャーだ」
「!」
「適性がない者は魔晄中毒を発症するだけじゃなく……植えつけられたジェノバ細胞に気づかないうちに自我すら奪われる。クラウドみたいにな」
「クラウドが……?」
「ソルジャーの名簿にクラウド・ストライフなんていねぇ。ただの一般兵だった奴が……何をどうしてか、適性もないままソルジャー処置を受けた。その結果が ほらよ、あれだ」
 メテオ。
 召喚したのはセフィロス、ジェノバ。それを助けたのはクラウド。けれどクラウドをそうさせたのは──
「誰が悪いんだろうね、本当はよ」
「……だとしても、私は反対です」
「まだ何も言ってねぇ」
「テロリストの脱走を手引きするなんて 私にはできません」
「……まだなーんも言ってねぇっつーの。俺は今から便所に行くだけだ。ルードお前は?」
「俺も行こう。酒を飲み過ぎた」
「ってことだイリーナ。残念ながら男子便には連れてけねぇ」
「…………ツォンさんを助けたのは エアリスだって、先輩たち言いましたよね」
「おう」
 古代種の神殿にツォンを送り届け密林の外で一服していたときのことを思い出す。
 突然クラウドたちと行動を共にしているケット・シーから『コジンテキナオデンワ』が着信し、ツォンガ斬られたと聞いたのだ。今すぐ死にはしないがさっさと回収してミッドガルへ運べ、と。訝しげに感じながらも神殿へ撮って返してみれば、言葉の通り血塗れでぐったりとした主任の姿。簡単に話を聞くに神殿内でセフィロスに斬られ、エアリスの応急処置によって一命はとりとめたのだと。
 そのおかげかは知らないが、ツォンは今も身動きは取れないもののミッドガルで医療課のベッド上で入院生活を送りながら書類仕事に追われている。
「借り、返してないです。私」
 彼をミッドガルへ輸送した後に別行動を取っていたイリーナに連絡したのがまずかった。彼女は頭に血が上り仔細を聞く前に怒り狂ってクラウドたちの後を追い回し、アイシクル・ロッジなんて世界の果てまで追いかけ回していたのだから。
 訂正しようにも聞く耳持たなかった彼女は猪突猛進そのもので冷静さが求められる調査課としては叱責されるべき行動ではあったが、仲間思いという点では──結果としてクラウドたちが理不尽に殴られた訳ではなさそうだったので──合格だ。
 レノは部屋の片隅に設置してある受信機のダイヤルを適当にぐりぐりと回す。確か周波数は、と。
『ガガ、アバランチの捕虜が目覚めました。統括、医務室まで起こしください、ガガ』
「ビンゴ」
「……見つかったらマズいですよ」
「神羅兵に見つからなきゃいいんだろ? そういうの、お得意じゃねーか オレらは」
 命だけは助けてやる。それ以上のことはしない。
 それが主任の命を助けてくれたエアリスに対する──返せなかった恩のかわり。
 イリーナは「私今だけ男でいいですか?」と聞きながら立ち上がる。先輩二人の言い分を完全に納得したつもりはないが、それでも会社からこんな非常時に下され待機命令という馬鹿げた言葉よりはよっぽど信頼できる。個人的な善悪判断はこの際後回しだ。ツォンの命を助けてくれたことはまぎれもない事実だ。ならばその借りはさっさと早いうちに返してしまうべき、それも相手がクラウド一味という明日の命すら知れぬ連中が相手だというのならなおさらだ。
「男子便も一つくらい個室はあんだろ。いーぜ、来いよ」
 男子便に行くのは今日だけですからね。
 朝からビールを飲んだ酔っ払いと素面の三人組はそうして緊急アラートがワンワンとやかましく喚きはじめたジュノンの油臭い街へと躍り出た。



4:うたう愛はたからかに(レノとシスネ)


「これ全部飛んできた瓦礫かァ? 気が遠くなるぜ」
「ほんと。魔晄炉のほうも大変だってね」
「都市開発がてんやわんやだ。技術者もほとんど避難したドサクサで逃げちまったみたいだしな、リーブ統括がさっきすげぇ顔してた」
「やっぱり」
 ほとんどのプレートが崩落したミッドガルの損害は未知数だ。
 亡きプレジデントの得意文句、経済的損失とかいうものも全く分からない。なにせ、ミッドガルのほとんどがなくなってしまったのだから。スラムへ、そして地下へと避難した人々は幸い命だけは無事だったようだが、住む場所もない。仕事もない。これからどうしていいのか途方にくれる人々ばかり。
 大気汚染、水質汚染それに土壌汚染。自然というものを蹂躙し続けて完成間近だった魔晄都市・ミッドガル。それが失われてしまえば残されたのは汚れた大地のみ。整備されていたはずの水道はめちゃくちゃ、道端から溢れ出る水はどんなものか知ったもんじゃない。口にすれば最後、あっという間にライフストリームの仲間入り。
「ま、せめて休憩場所くらいは作らなきゃなぁ」
「そうね。体を横にする場所とまでは言わないけど、落ち着いて座れるくらいは欲しいわよね」
 ルーファウスは瀕死の重傷を負ったそうだが、さすがの強運と言うべきか幸い命に別条はないという。指揮系統を失った神羅の社員たちは散り散りとなってしまったが、リーブ・トゥエスティの呼びかけによって階級や部門の分け隔てなく瓦礫の撤去作業に従事している。
 調査課であるレノたちも関係なく、だ。
「地下に閉じ込められた避難民の救助に住宅街の確認・カンパニーの兵器回収。やること多すぎだな」
「文句ばっかり言わないでよ。そういえば伍番街のほう、人手が足りないって連絡よ」
「了解。じゃ合流すっか」
 統括の半数以上が死亡した上に社長も不在である以上、誰かが指揮をとらねばならない。主任であるツォンはしかしそれを頭から拒否し、都市開発部門の統括であるリーブにその役目を押し付けた。役職から考えればツォンよりも先にリーブである、だとかそんなことを言って。
「六番街との道路が不通で住人が足止めされてるそうよ」
「そりゃタイヘン。暴動が起きる前にどうにかしねぇとなぁ」
 どこもかしこも人手が足りない。ケット・シーの手を借りたってまだ足りないくらいだ。
 そういえば宇宙開発は? とシスネが尋ねればレノは肩をすくめて「知らね」と。他の部門はそれぞれやるべきことがあると言ってミッドガル中に散っていったが、そういえばそこの話は聞いてない、とシスネは訝しんだ。
「パルマー統括は無事だったんでしょ?」
 クラウド一味にコテンパンにされた上に車で跳ねられたのに無傷だったという伝説を作り出したパルマーがこんなところで死ぬはずもない。
「あの人はずっとロケット村だ。メテオ落下による……つーか。ホーリーやらとの衝突ですげぇ塵が舞ったろ。あれの計測やら環境評価やらでてんやわんやらしいぞ、と」
「仕事してるのね、珍しい」
「そりゃ楽しいだろうよ。久しぶりに紅茶飲む以外のお仕事だからな」
 神羅26号はメテオへと飛び去り、ドゥームズ・デイをちょっとだけ先延ばしにしてくれた。
 そのことに感動したのか、それとも凍結されていたロケット計画が一瞬であれど復活したことに喜びを感じたのか、それからの仕事ぷりは(本社は見向きもしなかったが)目を見張るほどだったとか。独自にコスモ・キャニオンと連携しメテオ墜落までのタイムリミットの試算をしたり、被害範囲の予測をリーブに横流ししたり──もっとも、それらは全て周到に手回しされた上での成果だったが──とにかく統括たちの中ではリーブに次いで仕事をしていたらしい。
「でもロケット村ってそんなに設備があったかしら。ジュノンの方が整ってるんじゃないの?」
「そりゃそうだが、こんな状況だ。ジュノンもメチャクチャらしいぜ」
「へぇ?」
「今までくすぶってた反乱分子が大爆発」
 レノは片眉を上げてシスネのほうを見た。
「……嫌な予感」
「漁業組合がモリ持って大暴れ、ジュノン支社でクーデター、ついでにウータイレジスタンスも便乗祭り。そんでもってイルカの大群が浜に押し寄せてる」
「それ、どうなってるの。私何も聞いてないわよ」
「誰も何もしてないから聞いてなくて当然。これはオレの独自ルートによるマル秘情報だぞ、と」
「嘘でしょ……」
「嘘じゃねぇんだよなぁ……」
 生き残ったタークスが対処しているとかいう言葉の一つでも聞けたらなんと幸せだったことであろう。
 シスネはため息を吐いた。
「彼らもよくやるわね。こっちはこんな状況だっていうのに」
「そんだけ鬱憤溜まってたんだろ、神羅によ」
 今ここで遠いジュノンのことを心配したってどうにもならない。この惨状を投げ出してまで様々な思惑渦巻くジュノンに向かう訳にもいかない。せめて西の方角へと消えていったハイウインドに乗った連中がなんとかしてくれたらなぁ、なんて。
「ったく、にしてもよ。ライフストリームだかぶつけるならもうちょっと丁寧にしてくれてもいいと思わねぇか?」
「それ誰に言ってるの」
「エアリス。……と、ザックス」
 シスネはレノの答えに息を吐いた。
「……そうね。でもザックス、そういうの苦手じゃない」
「そりゃそうか」
 遅すぎたホーリーを支えるようにミッドガルへ集まった命の奔流、ライフストリーム。その中にザックスやエアリスもいたかは定かではないが、ザックスが大雑把に「とりあえずメテオが落ちるのは阻止したぜ!」と言う姿は容易に想像できてしまう。
 レノたちタークスが殺した七番街スラムの人間もそこにいたのか、それともいなかったのか。遥か二千年前に滅びたセトラたちの命だったのか。ウータイ戦争で散って言った兵士たちは? ウェポンに蹂躙された神羅兵は?
 いずれきたる命の終わり、その先に待つはライフストリーム。
 星の一部となり、再び星の一部として生まれ変わる。宗教じみた星命学者の言葉が脳裏に蘇る。
「二人とも……また一緒にいられたら いいな」
「ロマンチックだねぇ」
「お似合いだったから。空の果てまで白い翼で飛んでいって……星に還って、一緒に星の一部になれてたら。そしたらいいのにね」
「そりゃ欠点ナシナシの若人カップルだからなぁ」
 運命の出会いでお互い一目惚れ。帰ってこない恋人は天から降ってきたそっくりさんに淡い恋心、そして星を守るために命を散らせ──先に帰らぬ人となっていた愛する人と星の中で巡り会い。二人揃ってこのミッドガルを、星を破滅から救っただなんてできすぎたストーリーだ。
 きっとそれは。
「私たちには絶対に用意されない未来よ」
「……オレも一緒にすんな、って言いたいとこだがよ。そりゃそうだぞ、と」
 白い翼なんて生えやしない。
 人間に翼が生えるのはモンスターになった時くらいだ。エアリスやザックスに羽根なんて生えてみろ、トンデモナイ。あんな翼がなくたって、そう。
 シスネは翼を自由の証と呼ぶが、きっと当人たちはそれを否定するだろう。
「レノ?」
「翼がなくたって……なーんも、全部なくたってよ、自由だって」
「……誰が言ったの?」
「エアリス」
「…………そう」
「オレらに追い回されても……クラウドの奴が頭おかしくなっちまっても、この先どうなろうとも 自由だとよ。そんな自由、自由なんて言わねぇのにな」
「それは……残された私たちの勝手な言い分よ」
「おう」
 しかしきっと彼女は言葉にした通り、最期まで自由だったに違いない。
 やがて終わりは来ると予期しながらも、セフィロスを追う旅の結末が決してハッピー・エンドではないことを確信しながらも、滅びの道を進んでいたとしても、それでも彼女は自由だと高らかに謳った。それを自由なんかじゃないと断言する権利はレノにもシスネにも、誰にもない。
「死が自由なら……星に還れなかった私たちは生きて苦しめ、ってことかもしれないわね」
「なんでオレらはしぶとく生きてんだろうかと思ったが、そういうことかね」
 たくさん命を奪ってきたんだからどうせ『次』はオレらの番だ。あの日七番街のプレートを落とした時からじわじわとレノの心を蝕んでいた『次』への見えない恐怖はもうとっくに昇華された。
 ここまできて生き延びてしまったからには身を粉にしてでも世のため星のため働けというお告げなのかもしれない。
「償え、か」
「ロマンチックな言い方だが、オレらがまだ生きてる理由にはちょうどいい」
 どうにかして納得できる理由を探すくらいなら死んだ他人のせいにして理由を作る方が楽だ。
 二人は瓦礫の山を乗り越え、あちらこちらで上がる煙を避けて迂回しながら伍番街を目指す。外周側から回れば落下物の被害も少なく、スラムも発達していないはずだ。
「あ……」
 そして、シスネは足を止める。
 スラムという今までプレートによって自然の光が遮られた場所に立ちながら、『それ』はやってくる。
「朝陽じゃねぇか」
「……不思議。もう 朝なのね」
 東の空が白み、再び朝がやってくる。およそ24時間に一度見られる光景だというのに、この朝は特別だ。
 もしかしたら二度とこの目で拝むことができなかったかもしれない、特別な朝陽。プレートから解放されたミッドガルに差し込む朝陽は疲れ切った二人の瞳を焼き、思わず目をそらすほどの強さだ。
「時間感覚狂っちまうなぁ」
「本当。でもメテオが落ちてからもう何時間も経ったってことよ。急ぎましょう」
 時間が経てば経つほど救助は困難になる。
 二人は再び足を動かし、水道が破裂しぬかるむ地面を飛び越え、やがて見えてきた伍番街の光景に目を細める。立ち尽くす巨漢と金髪の女がそこには立っており、レノは大きく手を振りおーい! と叫ぶ。
「なんだ、解決してんじゃねぇか」
 どうやら六番街を繋ぐ道路は開通したらしい。あちこちから避難してきたのであろうスラムの人々やプレート街の人らがゲート近くに集まり、魔物から守られる最後の壁の内側で身を寄せ合っている。
 ミッドガルの中はいつ完全な崩壊がはじまるか分からず危険な上、魔晄炉が知らずのうちにメルトダウンしている可能性もゼロではない。が、このミッドガルと外界を隔てるゲートをくぐればそこはもう大自然の中。魔物から守ってくれるボディガードもなしに外へ出るのは命を捨てるのと同じだ。
「あっ 先輩」
「そっちはどーだ」
「どうにもこうにも。スラムの自警団、結構まとめてくれてるみたいです。私たちはもう用無しです」
 ここぞとばかりに。
 確かに神羅の残党よりも地の利があるのはあちらの方だ。体格のいい男たちだけではない。スラムの住人たちであろう人々がスーツを着た神羅の社員にあれこれ迂回ルートや裏道を教えているらしい。
「そりゃ結構結構。オレらはじゃあお役目ごめんかね」
「ジュノン、行ってみる?」
「ジュノンがどうかしたんですか?」
「……だな。いいかイリーナ。これはまた……」
「男子便ですね。ハイハイそうですか。じゃあ私も男子です」
 もう詳しく聞くことはやめた。
 イリーナは諦めたように片手を挙げて、個室入りまーすなんてことまで言った。
「なんの話?」
 話が読めない、とシスネは腕を組んで怪訝な顔をした。
「このイリーナよ、オレらが男子便に行くって言うと付いてくる自慢の後輩だぜ」
「……はぁ?」
 もう、やめてください! とイリーナは耳まで赤くして叫んだ。
「それだけ元気なら大丈夫そうだな」
 談笑する四人の背後には壊れかけた古い教会。
 あの子が愛したこの場所はミッドガルが建設される前からあったそうだ。ロケットだかミサイルだかの発射実験失敗の憂き目に遭いながらも、こうしてメテオ襲来の傷を負っても尚その姿は神神しいほどに残っている。
 彼女が愛した花畑も無事なはずだ。それを土足で入って確認するのはナンセンス。
「軍用回線ならまだ使えるな。軍にヘリくれつったら来るかね」
「調査課のヘリはどうなったんですか?」
「そんなもん屋上のヘリポートでメテオどころかウェポンにドカン! だ」
「あー……ツォンさん、怒りそうですねぇ」
「そういえばツォンは?」
「社長の付き添い。オレらは適当に自分で考えて行動しろっていうご命令さ」
 散々神羅の犬だの呼ばれてきた番犬・タークスたちにもう首輪はない。
 権力に繋がれた鎖もない。心を殺し理不尽な任務であろうと道化になってこなす必要もない。全てが破壊され、滅亡し、失われてようやく解き放たれた犬たちに訪れたのが、自由。
「そう。じゃあいってらっしゃい。私はここでお別れね」
「行かねぇのか?」
「まだ私はやること、こっちであるから」
 そ。
 シスネはタークスであるが、レノたちとは違う。彼女は明確に足元に線を引いた。
「じゃ、元気でな」 「あなたたちこそ。……また会いましょう、世界が終わらなければ」
 ルードがレノの背後で携帯電話に向かって何かを話している。どうやらヘリを捕まえることもできたようだ。片目のレンズが割れてしまったサングラスに朝陽を反射させながら右の親指をビシッと持ち上げる。
 世界の危機はとりあえず通過した。
 なら、きっとまた会える。
「おう。……ちょい待てよシスネ」
「まだ何か?」
 じゃあ、と言って背中を向けたシスネをレノは呼び止めた。
 今ならきっと。
 土埃に塗れた頬のぽつりと浮かぶ赤い切り傷にレノは割れた爪先を添える。なに? と目を丸くしたシスネの言葉は無視し、レノは何度目かになる彼女の言葉を思い出す。お祈りするの、だいじなひとへ。お願いするの、ほしへ。
「ほ、ら、よ」
「……もしかして、治してくれた?」
 他にもあちらこちら傷だらけなせいで痛くも痒くもないような切り傷だったが、シスネは自分の肌にあたたかな光を感じ、そして触れた先に傷の凹凸が無くなっていることに気づく。
「一回限り、レノ様特別な魔法だぞ、と。じゃあな」
 なにそれ、と真意を図りかねたシスネの背中を優しくトンと押す。もう振り返らなくていいとでも言うように。
 電磁ロッドもマテリアも既に失ったレノが使った魔法は全ての始まりの日、エアリスから教わった秘密のおまじない。上機嫌に鼻歌交じり、レノはルードとイリーナの肩を持ち、「さーて出勤だぞ!」とバリバリ近づいて来るヘリの音に心躍らせながらニッカリ笑った。


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