あやとり


あ:あっという間の犯行劇


 私の下着がない!
 深夜、叫んだのは珍しくティファである。
 タイニー・ブロンコというオシャレでかわいい小型飛行機を奪取してロケット村を飛び出したはいいものの、敢え無くそれは海上落下。念願の空を舞うことも叶わずあわや海の藻屑となりかけた騒動をようやく乗り越えてはみたものの、次に向かう先は見つからず。
 ともあれどこか街で情報収集にかかろう、となぜか慌てるユフィを無視してウータイ地方へと足を伸ばした、その夜のことである。
 神羅にケンカを売るなんてバカやろうだ、だから気に入ったなんて言うクラウドにはあまり理解できない理屈で付いて来た新入りもまた、「なんだぁ、オレ様のパンツもねぇぞ!」と着替え袋を抱えて声をあげた。
 ご機嫌斜めなブロンコは西の浅瀬でひっくり返り、幸い怪我人はいなかったはいいものの頭から海に落ちたクラウドたちはこうして図らずともウータイ地方へ到着したのである。ずぶ濡れになった衣服を脱ぎ去り暖をとり、ユフィが故郷の料理を振舞い、明日は槍の雨でも降るんじゃないのかなんて話をした。
 が、記憶に残っているのはそこまで。
「一着は無事だったようだ。流石のユフィも全部は持ち逃げしなかったか」
 ウータイ鍋、食べてみて!
 数時間前に響いたあの高い声を思い出す。作った当人は先に鍋洗うね、とか、普段では絶対にしないようなことをしていたがなるほどそういうことか。ユフィだけは料理に口をつけていない。
「冷静なこと言わないで、クラウド!」
 こっちは一大事よ、とティファは何度も女性メンバーでまとめて持っていた袋をひっくり返す。が、布切れ一枚落ちてはこない。
「だが状況確認は重要だ。……まぁ、するまでもないが」
「ヴィンセントもパンツとか盗まれた?」
「……若い女性がそういう言い方をするものではない」
「で? お返事は」
「あるはずなかろう。履いてるもので全てだ」
 見ての通り、鬱陶しい前髪をどうにかしていた赤いバンダナも真水で洗ったガントレットもサヨウナラ。木の枝にくくりつけていたマントだけは何事もなかったかのようにはためいているが、あれは単純にユフィの身長が届かなかっただけだろう。
 それを取り、乾いていることを確認するとヴィンセントは「あの娘は追い剥ぎか」と力なく呟いた。
「……全員の、かぁ」
 仲間たちが共通して管理していた道具袋も当然見当たらない。錆びを忌避するために外していたバングルやブレスレットのようなもの、ネックレスやら指輪……すなわち、防具やアクセサリすら盗まれたのである。武器は重たいからか無事ではあったが、見事マテリアだけは抜き取られており。
 鮮やかな犯行である。
「やられたな」
「ユフィの奴……」
「武器だけは置いていくあたり……」
「重たいしかさばるからね」
「でもオイラのかんざし、父さんの形見だからかな? マテリアごと持って行ったほうが楽そうだったのに盗まれてないよ」
 綺麗に穴あきでレッドの頭にひょっこりと乗っているのは父・セトが残した唯一の形見だ。それをユフィは知ってか知らずか、眠るレッドのたてがみからわざわざかんざしのマテリアだけを外している。
「それで妥協のつもりか」
 ていうかそもそもなんだ、あの鍋には薬でも入ってたのか? とバレットが言うと、ヴィンセントは「だろうな」と空っぽになった鍋をしげしげと眺めてからユフィが食べずに残した椀に残っていた汁に指先をつけてぺろりと舐める。
「……」
「どう?」
 特殊な体質のおかげか彼は多少の毒はへっちゃらだと言っていたが、果たして味なんかで分かるのか。クラウドが怪しげな視線をやってみれば、ヴィンセントは小さく頷いた。
「おかしな苦味がある。相当変なものを入れたな」
 ひと舐めしただけで分かる程度の味だが、と逆にヴィンセントは尋ねた。
「だって、ちょっと苦いねって言ってもユフィってばそれがウータイ料理! って言うんだから」
「……ウータイ料理はこのような味ではなかったとは思うが」
 記憶が正しければもっと大味で派手な印象だが、と続けつつもヴィンセントは過ぎたことは仕方あるまい、と締めくくる。味覚にたいして美味い不味いの判断はとうに狂ってしまっているが、味は分かる。それをどう感じ取るかとはまた別だ。むしろ味覚を感じ取るだけならば以前より遥かに感覚が鋭くはなっている。
「アンタは食ってなかったと思うんだが」
 なんとかしてユフィが食べさせようとはしていたが彼は最後まで拒否していたようだ。
「ユフィもその場で寝たようだったから辺りをぶらついていた。……が、狸寝入りだったようだな」
 哨戒のつもりだったが、戻って来たらこのザマだったと寡黙な男は両手を挙げた。ここいらの魔物ならどうにでもなると皆と同じように防具は火のそばで乾かしていたから案の定。なんとかなけなしのピストル一丁は死守したが、普段からマテリアなんぞほとんど使っていない。
 なんて言うものだからエアリスは大きなため息をついた。
 なんでそこで気づかなかったかなぁ、という言葉は飲み込んで。
「要するに、みぃんなマテリアも防具も盗まれちゃったってこと?」
「予備も含めてな」
「……ユフィ、コスタでマテリア屋のバイトしてお金とマテリア全部盗んでたもんね」
「あぁ……」
 予兆があったどころの話ではない。
 むしろ今の今まで盗まれていなかったことが幸いなのだが、そこでシドは「犯行はウータイに上陸した途端、かよ。もう真っ黒じゃねぇか」と呟いた。
「あぁ……」
 更に、納得。
「このまま放置して行くのがベストだろうが……」
「ダメね。マテリアないとわたしたち、困っちゃう」
「換金される前に急ぐぞ」
「急ぐたってよぉ」
「ウータイならここから北だ。山岳地帯を突き抜けることになる。面倒な魔物も多いぞ」
「そうなのか? 詳しいなヴィンセント」
「……行ったことがない訳じゃない。それに風の強い地帯だ、無いものを装備しろとまでは言わんが……あるだけは厚着していけ」
 ユフィの睡眠鍋を食べた時点で夕暮れ時だった空はとうに暗い。
 本来ならば土地勘もない中で深夜の行軍など決してあってはならないが、相手は地の利を知り尽くした地元の盗人だ。そして彼女はおそらくまっすぐにウータイへ向かっている頃だろうから──本人の待ち伏せはないだろう。
「それから奴らはありとあらゆるところにトラップを仕掛けてくる。油断するな」
「そこに関しては安心してくれ。俺たちは出会ったその時に散々騙された」
「……安心していいのか?」
「……トラップに引っかかっても無事だったから安心してくれ」
 そっちの意味か。
 ヴィンセントはパチパチと赤いマントの金具を外し、寒いねぇ、なんて言っているエアリスとティファのほうへと無言で突き出した。
「ヴィンセント?」
「何かが出たら我々が対応する」
 剣すらなくともその肉体こそが最大の武器であるソルジャーを自称するクラウドならば大抵の魔物はなんとかできるだろう。それにマテリアがなくともバレットもヴィンセントも銃は所持しているし、シドも物干し竿がわりにしてはいたが槍だって持っている。
 道中の魔物に襲われてさようなら、なんてことにはならない、が。
 クラウドはじとっとした目でヴィンセントを睨んだ。
「……そういうところだぞ、アンタ」
 何気ない女性への気遣いを一切の下心なく見せたりするところが妙に腹が立つ。
 しかしヴィンセントは若輩者の嫉妬を理解できず訝しげに首を傾げた。
「?」
「自覚がないなら悪質だ」
 そういうところだ! と叫びたくなる気持ちを抑えてクラウドは俺は脱ぐものもないしな、なんて大真面目に言って心を落ち着かせる。そして「だがどうする。あの山道を超えるのは骨だぞ」と言い、海沿いの道を指差した。「あっちは?」と。
「あ、あっちにも道、あるのかな」
「ように見えるが。ヴィンセント、海沿いはまずのか」
 少なくともこんな夜中に山道を歩くよりは安全のようには見えるが、と尋ねる。
「海岸は滑落しないという意味で安全だが。視界がひらけているぶん夜盗が多いやもしれないが、回り道だ。……若干だがな」
「だがここもニブル山とは全然違う。山歩きに慣れていないと朝を待ってからじゃなきゃ危なくて全員では出られないな」
「じゃ、二手にわかれる? どっちが先にウータイ到着するか、競走!」
 いいこと考えたとばかりにピンクのリボンを揺らしてエアリスは提案した。両手をあわせ、「どう?」と。
「……エアリス」
「いいんじゃない。わたしたち、海から回り込んでみる。だめ?」
 危ないところ慣れてない人たちは海、慣れた人は山。早く着いたほうが勝ちだよ、なんてことをエアリスは口走った。
「……ならばレッド、ケット・シー。それからシドと私が山から回ろう」
 そしてその提案に乗ったのは意外にもヴィンセントその人である。
「オレぇ? おいおい、人の話聞いてたかよ」
 どう考えたって山歩きに慣れているようなタイプではない。ロケット村の近くにはニブル山もあったが、あんなところは気味が悪くて近寄れたもんじゃない。シドは「山なんてご無沙汰だぜ」と言ったがヴィンセントは首を横に振り、観念したように告げる。
「一人の面倒なら見れる。クラウドはティファたちと海から頼む」
「……順当だな。そうさせてもらうよ」
 どちらにしたところで夜道を歩くこととなる。
 ケット・シーはレッドの頭に乗り移ると、
「了解です。ほな、デブモーグリはここでブロンコの見張りしといてもらいましょか。車上荒らしには気をつけなあかんし……盗品ですからね、持ち主が取りに来たら大変ですわ」
 と言う。白い図体はブロンコの前で座り込んだままだ。
「……マテリアがないのに動くのか? 動かないなら見張りはできないぞ」
「…………せや。忘れてましたわ」
 お得意の『あやつる』マテリアも当然ない。
 メガホンから綺麗になくなっている黄色のマテリアを確認するとあかん、やらかした! と陽気な黒猫は獣の頭上で頭を抱えてぐあー! と可愛らしい叫び声をあげた。嘘やろ、そんなバカな! このモーグリに何かあったらボクもうゴールドソーサークビですわ! とか。何やら意味をなさない言葉を叫び出す。
「……いずれにせよソイツは動かせない以上ここに置き去りだ。案山子になることを祈ろう」
「うぅっ……戻って来たときにモンスターどもに食い散らかされてないことを祈りますわ」
 白いすべすべした巨体は夜の闇に浮かび上がりとてつもなく目立つ。
 野生のモンスターたちはそれを恐怖と感じるか、それとも好奇心を掻き立てられるか。動く気配がないと分かれば間違いなく後者が勝るだろう。これが今生の別れになるやもしれへんなんてボク、思いたくないですわ……と猫は泣いてみせたが、残念ながらその表情は縫い付けられた糸によって笑顔に固定されている。
「だいじょぶ、きっと。だってデブモーグリ、食べてもおいしくなさそうだもの」
「そういう問題です……?」
 今までの旅路でかなり泥や海水で汚れ、木々にひっかけて擦り傷だらけになってはいるが、自然界には存在しない材質のデブモーグリなど確かに食べても美味しいとは思えない。最悪目玉を突かれるくらいで済むだろう。そう信じたいところだ。
「さ、そうと決まれば行こう? でもヴィンセント、寒いけどほんとにいいの?」
 これ、と先ほど渡された丈夫なマントにティファと包まりながら尋ねても彼は肩を竦めるだけだ。
「寒さには慣れてる」
「じゃ、借りちゃうね。さすがに夜、冷えるから」
「おうおう嬢ちゃんたち、じゃあオレのも……」
「あ、それはいいよ」
「なにィッ!?」  シドもまた自分のジャケットを脱いで女子に渡そうとするが、エアリスの「だってオジサン、体冷えちゃうし」という悪意なき暴言に手を止めた。
 オジサンつってもまだ32だぞオイ! という返しに彼女はくすくすと笑う。
「気持ちだけはもらっておくね、ありがとう。それより、シドたちも気をつけてね。もし途中でユフィに会ったらわたしたちのぶんまでお説教、よろしくね」
「おうよ。そっちも気をつけろよ。海からの潮風ってのはお肌パリパリになっちまうからなぁ」
 ブロンコで飛んでる時だってベトベトのびたびたのバリバリでやってられねぇしな、と言うとしかし、今度は感謝とは違う言葉が返ってくる。
「……シドがそういうこと言うと、やっぱりオジサン……っぽく聞こえるね」
 最後の味方と信じていたティファまでもがそう言うのだからシドは大仰に落胆してみせたが、すぐにヴィンセントに襟首を捕まれ引き摺られ始める。
「つべこべ言うな。行くぞ」
「あぁっオイ、もっと丁寧に扱え! このジャケットはなァ!」
「嫌ならさっさと歩け」
「チクショー!」
 どいつも! こいつも! とシドは叫び散らした。





 やっぱり髪の毛、ベトベトになっちゃうねぇ。
 エアリスは吹き付ける強い風に目を細めた。海岸沿いからは明かりもなく影すら見えないが、そびえ立つ山岳に進んだ仲間たちはどこまでいっただろう? 歩いて歩いて歩いて時折飛び出してくるクラゲをバレットが撃ち抜いて、足元を這い回る植物型の魔物をクラウドが刈り取って、かれこれ数時間。
 マテリアもなく安定して魔法が使えない上に道具もないエアリスは敵が出てくればすぐティファと揃って岩陰に隠れてしまう。
「でもユフィ。着替えまで持ってっちゃうことないと思わない?」
「ほんと。ポケットのマテリアまで持って行くつもりだったのかな」
「ついでに服、売られそう」
「それはちょっと……困るかな」
「下着とか返してほしいよね、んもう。そんなところにマテリアなんてありませんよぉ、と」
 敵影はなし。
 エアリスとティファは腕を組んで仲良く並んで歩き、裸足になってミッドガルでは味わうことのできなかった砂浜の感触に喜んだ。
「ね、クラウド。靴脱いでみたら? すごく気持ちいいよ」
「……観光じゃないんだぞ」
「でも折角だよぉ。コスタともまた違う感じ」
 燦々と降り注ぐ太陽の光のもとで絵に描いたような日差しを浴びて青い海を味わうコスタ・デル・ソルも勿論いいところではあるが。こうやって段々白んでいく海面と東の空を眺めながら裸足で湿った砂浜を歩くのも悪くはない。
 魔物が出たら危ないぞ、とクラウドが言ったって「退治してくれるんでしょ?」と言われてそれでおしまい。
 海に入って遊べるような気温でもないし、そんな時間もないが、ミッドガルから長い旅路を経てきた女子二人の気慰めにはなっているようだ。
「さっさと行くぞ。シドたちに先を越される」
「あ、競走。クラウド、もしかして勝つつもりだった?」
「……やるからには勝つ」
 ちょっと子供っぽいところがクラウドの魅力の一つだ。
 女二人は顔を見合わせ、「やっぱりね」と頷きあうと、手にぶら下げていたブーツを履き直す。湿った砂の感覚が気持ち悪いがそれもまた一興。西側にそびえ立つ断崖の向こう側で『オジサンたち』は何をしている頃だろうか。
 そろそろ飽きっぽいシドが疲れたと言い、珍しくちょっとだけやる気が出ていたようなヴィンセントに小言を言われながら引きずられ、そんな二人に先行してデブモーグリの代わりにケット・シーを頭に乗せたレッドが自慢の四つ足でぴょんぴょんと岩肌を駆け回り、崩れそうな場所を警告していることだろう。
「あっち、仲良くやってるといいね」
「仲良く……まぁ、そうだな」
 喧嘩してるよりはいい。
 クラウドは適当に相槌を打っていたが、突如ひらけた砂浜の端ににょっきり生えた木を視界に入れるや否や、「ティファ、エアリス止まれ!」と叫んだ 「えっ……」
「下がれ二人とも、誰かいる!」
「!」
 夜盗か、追い剥ぎか、それとも神羅兵か。
 相手が誰であろうと邪魔をするなら容赦はしない。クラウドは背中に手を回しバスターソードをとった、が。
「タークスじゃない。何してるの?」
「……嘘だろ?」
「だってほら、あれレノじゃない」
 やせ細った木の両腕に吊るされぶら下がっているのは盗人でもチンピラでもなく、その両者の要素は備えてはいるが、れっきとした会社員の姿。
「どうしたの、レノ。こんなところでなにしてるの?」
「……見て分からないか、と」
 離れたところから聞こえてくる気怠そうな声は間違いなくレノだ。
「レノたちもパンツ! 盗まれた?」
 と、手を口に当てて尋ねるとレノは戯けてギャハギャハ腹を抱えて笑う素振りを見せた。そして大きく手を振ると、エアリスも手を振り無様な不審者のもとへと歩み寄る。
「おうおうエアリス。若い女の子がそんなこと言うんじゃねーぞ、と。マテリア装備ごっそりやられたぜ。……ウチの『若い女の子』が早々にブチギレて走って行っちまったとこだ」
「あぁ……」
 哀れ。
 神羅のエリートだか知らないが、クラウドたちの目の前にはよく見知った顔のタークスが片足を縄に取られ無様にぶらぶらと木から吊るされているようにしか見えない。
 彼らの言う『若い女の子』はイリーナだ。金髪で短い髪の、見た目からもう中身まで想像できてしまうような堅物(を装おうとしている)の女性だ。確かにユフィに何から何まで盗まれたとなれば一番に走り出しそうなタイプではあるが、よもや先輩たちであるレノたちを置いていくとは。
「ウータイ鍋の差し入れなんて普通こんな場所で持ってくるほうがおかしいよなぁルード」
「だが……食べると言ったのはレノだ」
「おう。そりゃタダ飯は食えるときにもらっとかなきゃ損だからな」
 で、飯食ってしこたま寝て起きたらこの有様。
「……あなたちもユフィのお鍋でやられちゃったんだ」
「そゆこと。食べるって言った先輩が悪いんですよー! つってイリーナ、オレたち放置していきやがった」
 にしたって、どうしてこんなところに。
 ウータイの街影はうっすらと見えるが、この道は『正しい』道ではない。観光地であるウータイを訪れるにはミッドガルからの定期船か、ロケット村からの定期船に乗る必要がある。ミッドガルからの西航路は天候に左右されやすく、かといってロケット村方面からの定期便はそもそも『そこまで』がミッドガルからは遠すぎる。空路もなきにしもあらずだが、兎にも角にもこんな道を一般人は通らない。
 レノたち、またわたしたちのストーカー? とエアリスが聞くと案の定彼は答えない。沈黙は、肯定。
「別にもういいけど。ね、クラウド。下ろしてあげない?」
「……下ろすと面倒じゃないのか?」
「そういうこと言うなよなぁソルジャーさんよ。オレたち今日休暇なんだぞ、と」
「休暇?」
「こっちは会社員、なんで、ね、と!」
 よっ!
 レノは身体を起こして足に絡まりついていたロープを器用にナイフで切り落とす。ルードもまた長い身の丈を窮屈そうに折り曲げて足首を解放させると、砂だらけのスーツを手で払う。
「お休み、珍しいね」
「おうおう。でもよぉツォンさんも勝手だと思わねぇか? こんなとこでトラップ引っかかってぶら下がってたら突然お電話で有給消化お願いしまーすだとよ」
 やってらんねぇ! という声は本音だろう。
「ひどいねぇツォン」
「エアリスもそう思うだろ? そりゃぁクリーンなカンパニーでございますからぁ ある程度休暇使わなきゃ怒られるのはツォンさんですけどぉ」
 一年で最低五日は取らなきゃならなくてねぇ、とレノはぼやいた。
 書類をいじって適当に休暇にしてくれればそれで万事解決するのだが、本来休みであるはずの日にもクラウドを追い回して怪我をしてもそれは『業務外』だ。手続きがややこしくなる、故に休暇中は決して、特にクラウド共とは戦闘行為にならないように。それがツォンからの『命令』であった。「なぁーんで休みの日の過ごし方まで決められなきゃなんねぇんだ。オレはスクールのガキかよ、と」と言って彼はゴーグルの位置を微調整して頭をかいた。
 口を開いていれば開いているだけ不満がどれだけでも溢れ出てくる勢いだ。
「……レノ」
「ルードだって思うだろ? せめてミッドガルにいるうちに休暇使いたかったぜ」
 かわいそう、と言ってエアリスは背中についた砂を丁寧に落としてやる。
「ウータイ、もすうぐなの?」
「あと1時間くらいってとこかね」
「じゃ 一緒に行く?」
「そりゃ却下だ。オレはエアリスと一緒にウータイまでピクニックできるなら歓迎だがそうもいかねぇ。……お前も一緒に行きたい気持ちだけは同じだよなぁルード?」
「ノーコメントだ」
「お前だってティ……あいだだ、あいだだだ痛いぞルードぉ!」
「ノーコメントだと言っている」
「暴力反対! ……という訳だ。プライベートに仕事は持ち込まない主義なんでね。ここは有難くも見逃してやるぜ」
 宙吊りにされた上に後輩に放置されたタークスどもがカッコつけても何一つも響かない。プライベートだの仕事だの言われたって彼らはいつものスーツ姿だし、何よりこちらに指差して歯を見せて威嚇する様は泣く子も黙る神羅の番犬なんかじゃない。負け惜しみを吠える負け犬だ。
「ケッ! 行こうぜクラウド! コイツらにちんたら付き合ってたらユフィにマテリア全部売り払われちまうぞ!」
「……そうだな。先にユフィを捕まえればコイツらのものもいただけるかもしれない」
 流石は元ソルジャーを自称するテロリストである。
 腕を組んでしみじみと言えば、バレットも「そうだな!」と同調し、ティファとエアリスも借り物のマントを羽織ったまま「ねー」なんて顔を合わせて言う。
 可愛らしいナリの成人女性たちだが、やっていることは物騒そのもんである。タークスなんていうならず者集団筆頭であるレノたちが言えたものではないが、タークスですら言いたくなるような悪党どもだ。
「こりゃあ取りつく島もございませんことで。ルード行くぞ。とっとと行かなきゃうちの姫君はうるせぇからな」
「あぁ」
 そっちの姫君とどっちがうるさいもんかね。
 そう言うとクラウドは「ユフィは姫じゃないぞ」と言うが、レノはどうだかねぇと笑うだけ。
「タークスにもお姫様いるんだ。あっ、あの金髪のひと?」
「そ。イリーナちゃん。入社したてほやほや……ってほどじゃねぇが、タークスほやほや。お前らを追い回す任務のせいでアイツ、タークスのなんたるかを知らねぇお姫様だからな」
「……アンタがポンコツだから人手不足になったんじゃないのか?」
「誰のせいだと思ってんだテメェ!」
 クラウドの挑発にレノは牙を剥く。
 そもそも七番街のプレート上でよってたかってボコボコの袋叩きにされた上に気が全く乗らないプレート落としなんてことをして病院送りにされたレノの代打だったのが、イリーナだ。実戦訓練もまだ短くエージェントとしては未熟ではあるが、彼女以外にタークスへ上げられる人員がいなかったのも確かだ。
 お前のせいだからな! と暴れるレノにルードは冷静に「落ち着け」と投げかけた。
「ここで争っても仕方はない」
「……そだな。あのときの仕返しはキッチリ任務んどさくさに紛れて今度やってやるから覚悟してろよ、と。……ところでお仲間さんたちはどうした? シド艇長まで抱え込んだって噂だがもう仲間割れか?」
「アンタに言う義理は……「競走中なの」」
 エアリス、と咎める声もどこ吹く風。
「山の中、通ってる人たちとわたしたち。どっちが先にウータイに着くか」
「山、ねぇ。そりゃ大変なことで。普通はどう考えたって直線距離考えてもこっちのルートのが先に到着できるぜ。あんな山道、近道だろうがそこらの普通の人間じゃすぐ脱落するぜ」
「……普通はな。エアリス、行くぞ」
 やってられない、とクラウドが促せば彼女も頷き、預かりものの赤いマントをティファと二人で分け合ったままレノにひらひらと手を振って「じゃあね」なんて言う。が、方角は一緒だ。レノたちもじゃあねぇ〜と猫撫で声を出しはしたものの、クラウドたちの十歩ほど後ろをついていくだけ。
 ついてくるなよ! とバレットが叫び、ティファは「無理だよそれ」と苦笑い。するとエアリスはまた「じゃあ競走!」とか言い出して走り出すのだからたまったものじゃない。夜明けは近く、周囲は白み視界は明るくなってくる。その朝霧のなか彼女はティファと手を繋いだまま海岸沿いを風を全身で浴びながら走る。
「あっおい、エアリス! ティファ!」
 魔物もいる、二人で飛び出すな! と言ってももう遅い。
「オレたちも行くぜクラウド! タークスの連中に負けるのはいい気分じゃねぇからよ」
「お前も止めろ、バレット! あぁくそ!」
 止まる気配のないスラム出身とお転婆幼馴染を追い、クラウドとバレットは足場の悪い砂浜をひぃこら走り始める。防具はないとはいえ武器を背負ったまま走るには砂浜は泥沼のように重く足腰が明日の筋肉痛を予告する。
 前方をいく女子二人を追いながらちらりと後ろを振り返れば、あの憎たらしいニヤついた顔でレノは大きく手を振っている。口の動きはハッキリしないが、「お先にどぉぞぉ」とかなんとか言いながらガニ股で裸足になっているあたり、彼らが言う通り今このタイミングで襲ってくることはなさそうだ。
 そこに関してはほっと一息、ではある。
「クラウド、バレット遅いよ!」
「バッカ、オレは体が重いんだよ!」
 巨体をゆさゆさ揺らしながら走るバレットをクラウドは追い抜かす。
「砂漠生まれじゃないのか?」
 とわざとけしかければ、
「砂漠と砂浜は違ぇよ!」
 と喚く。
「そんな声を出す元気があるなら足を動かすんだな」
「てめぇこの、クラウド! やっぱお前ほんっとうにいけ好かないな!」
「鍛え方が足りないんじゃないのか?」
「チクショウ! どうせオレはソルジャーでもなんでもねぇよ!」
 それを言ってしまえば軽やかな足取りで先を行くエアリスやティファもそうだが、今のバレットの耳には届かないだろう。
「おうおう、青春だねぇ」
「……年寄り臭いぞ、レノ」
「だってオレたち年上のお兄さんたちだし? ま、さっさと行かなきゃオレたちも先に行っちまった『若いコ』にどやされちまうな」
 つい最近タークスに入ったばかりの金髪の紅一点はもうウータイに到着して先輩たち遅い! とか一人で喚いている頃か。それとも初めて訪れる異国情緒溢れる街並みに興奮してツォンへの土産でも探しているか。後者の場合、ウータイなんぞ腐る程任務で訪れているツォンにとっては目新しいものないだろうことは容易に予想がつく。
 とはいえ、レノとルードもウータイ戦争の幕が閉じた後、観光地として生まれ変わったウータイを訪れるのはとてつもなく久しぶりだ。任務がらみでしかこんなミッドガルから離れた場所に来ることもないし、折角与えられたあってないような休暇をどう有意義に過ごすか──勿論、奪われた装備品はクラウドをうまく利用して取り返してもらうことを考えつつ──裸足となった足裏にちくちくとつきささる砂粒の珍しい感触をのんびりと味わっていた。



や:やや雨足模様のおもいで


 空は青いが、雨は降る。勢いが強まる気配はないが、弱くなる気配もない。
 傘も持たずにヴィンセントは墓地に佇んでいた。名もなき墓石たった一つ、ウータイの外れだ。
 結局山岳ルートか海沿いルートかの『競走』は予想通りほぼ引き分けであった。エアリスたちは途中ユフィに装備を見事盗み取られたタークスと遭遇したなどと言っていたが、どうやら休暇を謳歌するためにウータイまでやってきたらしい。どこまでが事実かはわからない、が。
「聞き取り、終わったぜ。やっぱユフィの奴、ウータイのお姫様で間違いないらしいな」
「ユフィ……キサラギ……」
「だな。タークスの連中も同じこと言ってたしまず間違いねぇ」
 大昔のそのまた大昔、アイシクル地方には王政が敷かれていた時代もあったなんてことも聞いたことはあるが、今でもそういった政治体制を取っているのは世界広しといえこのウータイのみである。そのキサラギ家というウータイの全てを(建前の上では)統治する由緒ただしき家系の一人娘。それがユフィなのだと。
「亡国の姫君、か」
「詩的じゃねぇか」
 道筋的には近道となる山岳地帯を突き抜けて来たシドたちがさしてクラウドらと変わらぬ時間がかかったのには訳がある。
「タークスに神羅兵にウータイの姫。厄介な面子が勢揃いだ」
「こんなところまで神羅兵が来る、ってことは……」
「十中八九面倒ごとだろう。タークスに関しては……まぁ、こちらの先回りだとは思うが」
「神羅兵はハイデッカーのオヤジが管轄、タークスもそこの命令系統だが実際はツォンが仕切ってるからな。違う任務だろうぜ」
「そういうことだ」
 山地の至るところには誰かを探す神羅兵の姿、そして武装した現地人。観光地周辺とは思えない物騒な光景を彼らは見て来た。
 あれは恐らくウータイ・レジスタンスの一派だ。シドもヴィンセントもウータイの内政を深く知る訳ではないが、あのミッドガルですら反神羅組織はアバランチだけではない。名前のない組織も多く存在していたのだからウータイにそういったものがないはずがない。
「戦いは終わりはしない、か」
「んぁ? どうした。顔色悪いぞ、いつものことだけどよ」
 雨水を長い前髪の先から垂らす姿はどんな角度から見ても非の打ち所がなく、しかしどうしようもなく哀しげにも見える。
「……アンタ、ウータイ戦争のことは?」
 唐突な話題にシドは「はぁ?」と言いながらも、視線を落とした黒髪の仲間がひどく憂鬱そうな顔をしていたものだから訝しみながらも腕を組んだ。
「おめぇもあれか。オレ様のロケットは……戦争を食い物にしたって言いたいクチか」
 否定はしねぇけどよ、とシドは露骨に嫌な顔をした。宇宙開発部門の人間に対してその話題をふっかける奴は大抵そういう輩だが、と首を傾げる。
 しかしヴィンセントは「そうじゃない」と言い、少しばかり表情を崩す。寂しそうな、悲しそうな、笑みというにはあまりに脆い顔だ。
「……そう聞こえたなら謝ろう。そういう意図はない」
「なんでぇ」
「逆に聞くが、そんなことまで言われるのか」
 予想外の返しにシドは目を丸くした。
「そりゃあ……ウータイ戦争があったからよ、神羅は魔晄炉みたいな電力部門だけじゃなくて兵器開発も進んだんだぜ。クラウドみてぇなソルジャーたちも最初の発案はウータイ戦争の初期だって聞くしな」
 誰かを殺すために開発された銃弾が、爆薬が、ミサイルが、宇宙への夢を抱いたロケットとなる。
 魔晄エネルギーが発見されるまでは宇宙に向いていた目はすぐさま地上に戻り、その大地で多くの人々を巻き添えにした戦争が終われば再び宇宙へと視線は戻り、今はまたロケットなんてものは封印され、再び人を殺す兵器としての側面ばかりが輝いている。
「戦争があったからこその発展……か。間違いではないな」
「飛べなくなったロケット村にはよ、そりゃそこまでいい思い出なんてねぇ。……でもミッドガルに戻ってみろ、オレらも反神羅の……バレットには言うなよ。それこそアバランチの恰好のターゲットだぜ。それならまだ都会じゃねぇが、壊れた夢が転がってる村の方が何倍もマシさ。家も買っちまったしな」
 もともロケット発射場なんてものを建設する場所だったのだ、土地はいくらでもある。
 破格の値段で夢の一軒家、ミッドガルやジュノンでは絶対買えないような豪邸をこしらえて好き放題にカスタマイズした家を捨て去ってわざわざ命を危険に晒してまでプレートに引っ越す意味なんてどこにもない。
「否定はしない」
 今のところバレットの頭がそこまで回っていないのか、それとも考えていないのか、さてはて確率は低いが全てを承知した上か。
 なんにせよシドが糾弾される状況には幸いにして陥ってはいない。
「で? お前、そんなこと聞くなんてウータイ戦争に縁でもあったのか? つかなんだ。……これ、慰霊碑か」
「……神羅側のな」
「!」
 石とほぼ変わらぬほどの冷たい体温でヴィンセントはそれに指で触れた。
 遠い遠い昔のこと。もしかすればシドが生まれるよりも前のこと。ヴィンセントは「ここで仲間が眠った」と力なく零した。
「最初こそ神羅が優勢で……都市部にまで攻め込んでいた。が……じきにウータイの忍者兵たち円月輪隊が盛り返し……そこからは一進一退だった」
「……だが事態収拾を図ったソルジャー投入により圧倒的に神羅が優勢になり、ウータイが降伏して終戦、だろ。お前神羅兵だったのか」
 戦争が『終結』したのは10年近く前のことだ。見かけはシドやバレットと同年代か、少し下にも見える見慣れぬ男はしかしゆるゆると首を横に振る。
 残念だが死体は見つからなかった。
 何度そんな言葉を口にしたことだろう。
 命からがらウータイを引き上げ、多くの死傷者を出しながらも大局的に見れば『引き分け』にしかならなかったあの日も昼下がりは雨だった。しとしと冷たい雨が降り注ぐ中、山岳地帯を必死に乗り越え浅瀬で待機していた引き上げ船に転がり込んだ。傷ついた仲間たちの中には途中で力尽き、崖底へと落ちてしまった者もいれば、山間部に潜んでいた北方部族に襲撃された者も少なからずいた。
 そして。
「死体すら……この地に残したまま 撤退せざるを得なかった」
「……」
 いつの時代だそりゃ。
 シドは言葉を飲み込んだ。確かにウータイへ辿り着くまでの道中、荒涼とした山岳地帯の中にはぽつぽつと名もなき石碑がいくつか在った。もしかせずともこの男はどうやら、それらを確認することを目的にあんなルートを取ったのだろう。
 するとシドが次なる疑問を口にするよりも先にヴィンセントが口を開く。
「タークスだった 過去に。まだ神羅が兵隊を持っていなかった頃の話だ。名前も……まだ カンパニーではなく製作所だった」
「!」
 あまりに突然すぎる告白にシドは固まった。
 恐らくそれはクラウドたちには口外していないのだろう。シド自身この男について多くを知っている訳でもないし、この男は多くを語ろうともしない。しかし常人ではない身のこなしと、神羅の宝条によって人体改造を受け人ならざるものへと変貌する体質となってしまったこと、そしてタイム・スリップしてきたかのような古めかしい価値観と常識。かつてタークスに所属していたとなればそのあたりの合点はいく。
「クラウドには告げるなよ。話がややこしくなる」
「そりゃいいけどよ。……でもタークスなんてアレだろ? 死んだことにして実は生きてましたー! つうのが常套手段じゃなかったのか」
「誰の入れ知恵だ」
「レノ」
「……あとで説教せねばならんな」
「怖い先輩だねぇ。面識は?」
「あるはずなかろう。どこのどいつか知らんが、そんな名前の輩はどうせロクデナシだ。それに私は書類上死亡扱いになっているし……タークス側の名簿でも『きちんと』死亡したことになっている。故に今は神羅とは関係ない」
 関係ないが、素性が知れるとややこしい。
 シドはなるほどね、と言いながらその場にしゃがみこみ両手を合わせた。
「お前にとっちゃ因縁の場所ってか」
「ユフィにも言うなよ」
「クラウドより厄介そうだな。いいぜ。……の代わり」
「タバコと酒ならいくらでも奢る。神羅のキャッシュコーナーはあったか?」
「お、あるぜあるぜ。かめ道楽つったっけな。居酒屋の隣に。意外だな、お前ちゃんとキャッシュカードも持ってるのか」
「失礼なことを言うな。これでも人間生活をするに必要なものは一通り持っている。長らく口座は触ってないが……好き放題飲み散らかす程度の金ならいくらでもあるはずだ。……それで、ケット・シーはどこへ行った」
「アイツはそのタークスと一緒だぜ」
「…………タークスがミッドガルで何をしたかお前は知っているか?」
「うんにゃ」
「アバランチは」
「七番街のプレート落としたって聞いたぜ。怖くて聞けねぇけどよ、魔晄炉も爆破し放題、とんでもねぇテロリストらしいな」
「なるほどな」
 彼らがこれまで歩んできた旅路をシドは知らない。
 どうやらミッドガルでの『騒ぎ』の噂はロケット村まで届いていたようではあるが、ヴィンセントはコスモキャニオンでエアリスがかいつまんで説明してくれたことをぼんやりと思い出し、口にする。「プレート落としは神羅の自演だそうだ」と。
「なんでぇ」
「アバランチの仕業に見せかけた、と。エアリスはそう言っていた。……お前と同じ、バレットに直接は聞いてはいないがな」
「聞いてない、じゃなくて。聞けねぇって言えよ」
「……興味がなくて聞かなかった」
「……マジか」
 浮世離れしているからか、それとも元々の考え方かは分からないがヴィンセントは真顔でそう答える。
「どちらにせよ意味などないからだ」
「意味だ?」
「死んだ人間にとっては結果だけが全て。……誰の仕業であろうと、死んだ者にとってはそれだけだ」
「……そういうもんかよ」
 彼の言葉は正しい。
 感情的な論を排すれば、とても。
 責任の所在だとか、憎しみを向けるべき相手だとか。そういったものに違いはあれど死人となった当事者からすれば何一つ変わらない。誰がレバーを動かそうが、誰が命じようが、誰がそれを阻止しようがこの星で生きていたはずの己の命が奪われたという事実は揺るがない。
「そういうものだ。ちなみにプレートを落とした実行犯はそのレノどもだ。……タークスなんてそんなものだ」
「アイツがねぇ」
「死者の人数すらまだ定かではない、ともな。……まぁいい、ケット・シーを探すぞ」
「おうよ。クラウドたちも何か掴んでるかもしれねぇからな」
「ユフィの行方に関しては彼らに任せていいだろう。だが、我々とて働いているフリのひとつくらいはした方がよかろう」
 サボりか?
 シドの言葉にヴィンセントは肩をすくめて墓石に背を向ける。しとしとと降り続いていた雨も気づけば雫が落ちる程度となり、彼方にはうっすらと虹の姿さえ見える。
「ケットの奴、タークスからの情報なんか持ってないもんかね」
「……あれは神羅の回し者だぞ」
「!」
「ただのぬいぐるみだが、あれはどういう訳か知らんが他者の意識が宿っている。……神羅の誰かの、な」
 これもまた話に聞いただけだが、と前置きしてヴィンセントは歩き出す。
 ミスリルマインやゴンガガだけではない。このウータイだってそうだ。気づけばクラウドたちの旅で訪れる場所にはタークス或いは神羅の影がある。神羅もまたプレジデントを殺害し、ジェノバを持ち逃げしたセフィロスを追っているならば『偶然』遭遇することはおかしな話でもないが、それにしたって都合が良すぎるのだと。
「内通者か」
「誰も怖くてそんな話など出さんがな。薄々気づいてはいるだろう」
「じゃあアンタはなんで犯人がケットだって言うんだよ」
「あの猫は神羅で昔飼われてた猫……をモデルにしたぬいぐるみだ。製作所時代に見たことがある」
「その猫をか?」
「社内で放し飼いだったからな」
「そりゃあ可愛がられてたご様子で」
 記憶さえ正しければその猫は都市開発部門の重役が飼っていたはずだ。
「で、その後ケット・シーと同じ顔した猫のぬいぐるみを作るようになったらしいが……目的は知らん」
「なるほどなぁ。でもおめぇのことだ。クラウドたちには言ってないだろう?」
「その必要はまだなかろう」
「でもオレたちの行動、筒抜けじゃねぇか」
「……ならばあの黒猫だけを『裏切り者』として吊るし上げるか?」
「……」
 お前も、私も元神羅。
 自分たちもかつては憎しみの対象と言っても過言ではない敵対組織に所属しておきながら、もう知りません、だなんて。「それは無責任だろう」と生真面目なことを言った。墓地のある高台の麓にはレッドが尻尾をぶんぶんと勢いよく振り回して待ち構えており、中途半端に降り続いていた雨がようやく止んだことが嬉しかったのかニコニコとした笑顔を浮かべている。
「二人ともどこ行ってたの?」
「……便所」
「ヴィンセント。おめぇたまに変なこと言うよな」
「……」
「そうだよ。そんなシドみたいなこと言わないでよ」
「誰がオッサンだ!」
「ほらほら。ケット・シーが何か掴んだみたいだし。居酒屋行ってきてよ。……オイラ、ペットだからって店に入れなかったんだ」
「そりゃぁ……」
「災難だったな」
 そこらに四つ足で這う犬や猫なんぞより、そこいらの人間よりも高度な知能を持つのがレッドだ。
 しかしながらいかに人の言葉を理解し口にしようとも、人類の叡智が集まるコスモキャニオンで生まれ育った者であろうとも、見てくれで弾かれるのだ。このウータイにおいてはそんな理屈は通用しない。ワンチャンはお店の外で待っててね〜なんて言われたそうだ。
「クラウドたちは?」
「なんかユフィの実家に行ったみたい」
「へぇ」
「で、お父さんと大げんかしてまたどっか消えたから探してる」
「……へぇ」
「父親……つまり当代の頭領か」
「うん。ヴィンセントたちはなにか分かった?」
「ケット・シーを捕まえる」
「うん?」
「アイツがタークスのこと嗅ぎ回ってるらしいからな。なんか知ってんだろ」
「……じゃあ二人はサボってたの」
「そうとも言う」
「ひどい!」
「……いいかレッド。これも大事な戦略だ。ウータイは今となっては観光地で……外国人の往来も多い。が、クラウドたちを見てみろ。国の姫を探し回っているソルジャー服の男がいれば快く思わない連中もいるだろう」
「……うん」
「ならば我々は息を潜め、万が一に備えるべきだ」
 下手な聞き込みをしてウータイの地元民に顔を覚えられるとまずい。
 神妙な顔つきでヴィンセントはわざわざレッドと目線を合わせてそう言い聞かせる。単純に聞き込みを放棄し油を売っていたことへの言い訳だが、不思議なことにヴィンセントという男が真顔でもっともらしいことを言うと、なんとなくそんな気がしてしまうのだ。
 レッドも例に漏れず「そっか。そうだね」なんて言うものだから、シドはタバコを噛み締め笑いを押し殺す。
「ようレッド。ケットの奴は俺らがきっちり締め上げ……じゃねぇ。報告は聞いとくからよ、お前はクラウドたちに合流してくれねぇか?」
「それは……いいけど」
「ここで顔割れてねぇのはオレらだけだ。こっちはこっちでコソコソ動かせてもらうぜ」
「分かった。ヴィンセント、ちゃんとシド見張っててよね。目を離すとすぐサボるんだから」
「……よかろう」
 その『サボり』を最初にやりだしたのはヴィンセントに他ならないということはシドも黙っておく。
 真実がどうであれ、ケット・シーの正体やらこの得体の知れない棺桶ミイラ男(と、ユフィが以前罵っていた)のちょっとした素性が分かるかもしれないという誘惑の方が大きい。レッドには申し訳ないところではあるが、無垢なこどもが知るべきことでもない。
 裏切り者の尋問、など。





「おい 猫」
 そう。尋問、である。
「へ?」
「私の凍結された口座をどうにかしろ」
「どうにかって……ヴィンセントさん、一体なにを……」
 ずかずかと不機嫌を丸出しにしてかめ道楽に入店してきたヴィンセントはレッドとは違い、「かわいらしい猫ちゃんやねぇ」なんてことを言われながらカウンターで店主に愛でられている姿を目撃したのだ。
 店外のキャッシュコーナーで大昔のカードを突っ込んでみても、口座が凍結されている始末。「こりゃ、ほんとにおめぇは死んでたみたいだな!」とかシドが耳元で腹を抱えてゲラゲラ笑うのだからさらに不機嫌は加速する。そんな状態で堂々とぬいぐるみを気取っているケット・シーを視界に入れてしまったのだから仕方ない。
「その口縫いつけられたくなければさっさとしろ。私はティファのように裁縫が得意ではないがな」
「……あのォ」
「安心しろ。レッドはクラウドたちのところへ向かわせた」
 元タークスを自称する男がぬいぐるみを脅迫しているという意味のわからない構図だが、シドは相変わらずケラケラ笑いながらとりあえずなけなしの手持ちでヴィンセントに買ってもらった酒に口をつける。
「気をつけた方がいいぜぇケット。オレ様も裁縫はからっきしだからよぉ」
「……言っておきますけど。神羅銀行の管理については……ボクの仕事じゃないですよ」
 隠し通せる男ではない、と観念したかのようにケット・シーは店主の腕の中から脱出すると、今度はユフィにガントレットまで盗まれ珍しく素肌をあらわにしているヴィンセントの左腕に飛び乗った。
「管轄じゃなくともツテくらいあるだろう」
「そないな無茶言われましてもなぁ」
「ならば口を縫い付けるだけだ。シド。針と糸はあるか?」
「ねぇな。でもちょっと待ってろ、ホッケが来たら魚の骨は手に入るぜ」
「糸は……気乗りはせんが、髪の毛でも構わんだろう。喜べ、魔晄でタップリ汚染された私の髪で縫いつけてやる」
「……このままボクをどないするつもりですか。クラウドはんの前に差し出して開きにでもしはるんですか。腑(はらわた)だってワタしか出て来ませんよ、ぬいぐるみですから」
 猫の口調は神妙だ。『向こう側』にどんな人間がいるのかは知らないが、いつものニコニコした表情のまま黒猫の姿をした神羅のスパイは「何が目的なんですか」と再び問うた。
「シドに奢る金がない。神羅の口座から引き出そうとしていたら凍結されていた。それをどうにかしろ。……私の要求はそれだけだ」
「……それだけ?」
「そうだぜぇケット。そいつはよぉ、オレ様がクラウドにてめぇの正体口外しない見返りにたんまり酒を奢ってくれるらしいからな」
「はぁ……はぁ?」
 何がどうしてなぜそうなった、とケットは素っ頓狂な声をあげる。
 吊るし上げるためでもなく、ネコ質にするでもなく、ただ単純にヴィンセントは「金が欲しい」とあまりにストレートな要求を口にする。
「何もないものを出せと言っている訳ではない。私の銀行口座をどうにかしろ」
「口座番号と名義、その他諸々……個人情報、聞かな流石にボクでもいじれませんけど……」
「ヴィンセント・ヴァレンタイン。あとは神羅の職員名簿から探せ、本社ビル移転で紛失していなければ人事には残っているだろう? 給与の振込先にしていた口座だ」
「えらい猫遣いが荒いですけど……少々お待ちくださいな。その間この子は動きませんので、どうか口縫うんは勘弁ですわ」
 仕方ありまへんなぁ、と不満をむき出しにケット・シーから気配がふと消え去り、彼が宣言した通りくったりとぬいぐるみは動かなくなる。
「なんでぇ、本物のぬいぐるみかよ」
「だから言っただろう。……もっとも、王冠とマントはコイツの趣味だろうがな」
 腕を掴み、ぷらぷらとしてみても目覚めの気配はない。
 適当な無茶振りを投げてみたものだが、それでも応じてくれるということは下っ端一般兵の仕業ではないということは分かった。そして口座の管理はミッドガル神羅銀行というカンパニーの子会社ではあるが本社の人間がとやかく言える相手ではない。だというのにどうにかしてみせる、少なくとも『無理だ』とは言わないあたり、それなりの地位にいることも分かる。
 都市開発部門の関連か、それとも別か。
 少なくともあの黒猫のぬいぐるみは市販もされておらず、社内の誰かが好き好んで引き継いでいるに違いない。
「しっかし、こんなことして大丈夫なんかよ」
「神羅にとって古代種は重要な『情報源』だ。妨害を食らうことはあろうが、命を奪われることはなかろう」
「その取り巻きだぜ、オレらはよ」
「エアリスがなんとかする」
「……図太いもんで」
「それにこちらは人質にとられて困るような近親者はとうに死んでる。今更奴らに報復されるようことはなかろう」
 本当に図太いもんで。
 行儀悪く机に肘をつき、マントもなければガントレットもない。黒いライダースーツ一丁の長髪たるこの男はどうにも普通の人間にしか見えない。が、中身は神羅によって手を加えられたいわば『宝条のオモチャ』なのだという。
 そうは見えねぇがなぁ、とシドが独り言を漏らせば、ヴィンセントは喉の奥でくつくつと笑った。
「そんな顔もするんだな」
「……そんな顔をしていたか?」
「お前、自分がどんだけいつも辛気臭い顔してんのかさては分かってねぇな?」
「鏡を見るのをやめて久しいものでな」
 うんざりしたような声、気怠げな表情。アンニュイと表現すればなんとなくそれっぽく聞こえるが、心底面倒臭そうな顔はそんな褒め言葉になり得る表現にはならない。むしろ、顔はいいからその態度をどうにかしろと言いたくなるような。
 お行儀良い、けれど悲劇の沼に頭の先までどっぷり溺れてしまった男かと思えば。
「そういう顔、もうちょっと見せたほうがいいぜぇ? 嬢ちゃんたちも喜ぶだろうよ」
「どうして彼女たちの話が出てくる」
「バカヤロウ、イケメンはイケメンらしくしてるだけ、生きてるだけで褒められる生き物なんだよ」
「はぁ……?」
 訳が分からない、とその小さな口が動きかけたとき。
「はいはい黒猫なんでも屋、ご要望通り手続きしてもらいましたわ。もォ〜銀行の連中、こっちがなんや社長直属で動いてる言うても全然信じてくれへんし上に問い合わせいきそうになるの止めんの必死やわ最後はツォンに連絡いってしまうわ堪忍…………あッ」
「ツォン」
「あ……」
 やば、と猫が白い手袋で口を覆う。失言を隠すのではなく、縫い合わされないように。
「タークスの主任だな」
「あぁ、ひぇ……」
「おいヴィンセント、お前今すげぇ顔してるぞ」
「悪巧みしてるレノさんと同じ顔、してまっせ」
「……アレと同じにするな」
「仕方ないじゃないですか。社長に話通すの、ボクでも嫌なんですから。ルーファウスに言わんかっただけ褒めてほしいとこですよ」
「で?」
「ヴィンセント・ヴァレンタインさん。ちゃんと残ってましたよ、記録は。とっくの昔に事故死してはりましたわ、口座が使われへんくなってたのも当然。むしろもうすぐ30年ですからね、カンパニーに入ってたお金が流れる寸前でしたわ」
「お前もう死んでそんなになるのか」
 また余計なことを口にしよって。
 ヴィンセントの表情からそんな言葉を察したのか、猫は慌ててピンッと両耳と尻尾を伸ばした。しかしすぐにくにゃりとそれらは曲がり、テーブルの上に力なくケットは座り込んだ。
「すいません、てボクが謝っても……何にも関係ないし、意味もないですけど。せやけど神羅は……よくもまぁそんなひどいことをしたもんですわ」
 記録は30年近く前のある夏の日で途切れている。
 ジュノン発13時45分のコスタ・デル・ソル行き定期便。海流に異常なし、秘匿性の高い任務に関わる研究者たちが移動するため、神羅関係者のみの貸切で運行されたその船上で一人のタークスが死亡した。
 原因は不明。
 医師は同乗していたが、機関室で発見された際にはすでに死亡が確認されていた、だとか。
 死因も不明、その後調査された形跡もなし。そして一人の護衛を欠いたままコスタへ到着した神羅の研究員たちはカーゴヘリに乗り換えてコレル山地を越え、ニブルヘイムへと向かった。
 ヴィンセント・ヴァレンタインという神羅製作所に所属していた男の記録はそこまでだ。
「……てっきりニブルヘイムで死んだことになっていたと思ったが」
「途中、船の上で亡くなりはった、みたいですね」
「…………そうか。赴任前に『殺して』おけば外部との接触もなくなり……ミッドガル本社もジュノン支社からの関わりもなくなる。通りで給与明細がいつまでもニブルに届かなかった訳だ」
「知りはれへんかったんですか」
「合点がいった。……ニブルヘイムでの任務に際しては……外部へコンタクトをとることは禁じられていたが……」
 名簿ではもうその時点で『死亡』していたこととなる。
 死人から連絡が来れば面倒なこと間違いなし。ああなるほど、なるほどとヴィンセントは他人事のように腕を組んで納得した様子を見せた。
「そっから先のことは……どこにも」
 彼がなぜ当時のままの姿でいるのか、面妖なモンスターへと変化する能力を持つのか、それらは神羅の歴史上には存在しない。
 すいません、と意味のない謝罪をケット・シーが再び告げるとヴィンセントは自虐的な笑みを浮かべた。
「兵士など使い捨てだ。バケモノの心配なら放っておけ」
「……でも 宝条博士は……止まりませんよ」
 ニブルヘイム郊外の神羅屋敷で過去、何が起きていたかをケット・シーはこの短時間では調べ尽くすことはできなかった。そもそもヴィンセントという存在は『その任務』には参加することなく死亡したことにされていたのだ。探しようもない。
 だが、現在ミッドガルだけでなくジュノン支社の研究施設、そして各地の魔晄炉で行われている人体実験を鑑(かんが)みれば誰の仕業かなど想像に易い。
「だろうな」
「……無意味ですね、ここで何言うても」
 お互いの真の正体は決して自ら告げることはない。相手が『誰』であるかおおよその見当はついているが、それは口にすることなく。
「我々はただクラウドがセフィロスを追うという旅に同行するのみ。……本懐のみを成し遂げたければこんなところにはいない」
「殺しますか」
「さぁな」
「あなたは……あなたには 軍法会議にかけられるべき余罪があったとも記録には残っています」
「心当たりは……まぁ、なくもないが。死んでしまえばこっちのものだ。……それに軍なんぞまだ編成されてもいなかったのに軍法とはな。笑えて仕方がない」
 一体どこまでが真実でどこまでが虚構か。
 ケット・シーはしかし、この黒衣の男からは何を言おうとも何一つ教えるつもりはないという断固とした意志が滲み出ていることをはっきりと感じ取っていた。ならばこれ以上深入りをしても無駄だ。「ま、どうでもえぇですわ」と開き直ったような、朗らかな声で机にころりと転がった。
「お互い様、ですね」
「そういうことだ」
「……どうせこの際です。何かあなたが『亡くなった』あとに起きたことで知りたいことあれば、コッソリお調べしておきますよ。ボクのお仕事、社長とタークスしか知らんのですわ。やからタークスしか知らんことでも、どないかできます。社長のお耳に入れないようにもなんとかしますし」
「どういう風の吹き回しだ」
「そりゃ、ボクはヴィンセントはんたちの言う通り神羅の回しもんやし……レノたちがここに来たのも、ボクがチクったからです」
「おうおうケット、お前開き直るのかよ」
「いずれこんなこと隠し通せなくはなりますから。それならさっさとお二人巻き込んで共犯にしたほうがえぇですわ」
 聞いたでしょ、裏切りものはこのボク。
 あなた方はそれを今その耳で聞いた、その目でしかと見た、だからもし取り返しのつかないことが起きたとしてもシドとヴィンセントの二人はケット・シーが神羅の内通者であり、今まで神羅に行動を読まれていたのは(便宜上の表現として)彼のせいであると。それを知っていながら黙っていたのだという既成事実をここに作れば、少なくともケット・シー一匹だけが糾弾されることはないだろう。
 小賢しい猫め、と言いつつもヴィンセントは再び肘をつき喉を鳴らす。
「そりゃ、タークスにパイプがあるならそれなりのお偉いさんだろうよ。神羅勤めが長いんじゃ、そうもなるわな」
「同感だ。我々下っ端には想像もつかん世界だ」
「そういう嫌味の中で生きなあかんですからねぇ」
 だらりとした猫はそこでぴょんっと身を跳ね起こし、「そいや、ユフィさんのこと忘れてました」と言った。
 ウータイなんて秘境までやってきたのは他ならぬそのユフィからマテリア装備道具諸々を奪取しなければならないからだ。
「……父親と言い合いしてどこかへ逃げたとレッドは言っていたが」
「そうなんですよ。そんでボク、気になってクラウドさんの後ろこそーっとついてったら……」
「ストーカーもお手の物か」
「尾行言うてください! 全くもう……。いちいちとやかく言うてたら埒があかへん。で、そっから色々あってとりあえずユフィさんのとこには辿り着いたんですけど……」
「けど?」
「罠にかかってましたわ」
「……」
「ガチャッとレバー引いて上から檻がドスン! ですわ」
「銀行口座の話なんてしてる場合じゃねぇな……」
「せや言うのにヴィンセントはんったら出会い頭に金を出せだのなんだの……あっなんでもないです。兎に角行きましょ、レッドさんもどうしてはることやら……」
「それを早く言え、ドラ猫」
「あっひどい! ひどい!」
 いいから行くぞ、と非難するケット・シーの首根っこを引っ張り上げるとヴィンセントはおよそ人肌とは思えぬほどに冷えた腕でそれを抱え込む。
「安心しろ、お前の思惑通りここにいた全員が共犯だ」
「……優しいんですねぇ、ヴィンセントさんは。手が冷たいからですかね」
「冷感があるのか? ぬいぐるみに?」
「ありますよォ。痛覚だって。……『この子』が痛い思たり、冷たい思ったり、『ボク』は感じることはできませんけど……あぁ今こんな気持ちやな、っていうのは ちゃんと伝わるんですよ」
「どういう仕組みなんだ、それ」
 二匹と一匹は何食わぬ顔をして居酒屋を後にする。
 腹の探り合いなどそこにはなかったかのように、雑談混じりに『サボり』の時間を切り上げてくるかのように。
「ボクも分かりません。でもご主人の考えてることとか、思てはることとかぜぇんぶボクに流れて来るんや。せやから……なんて言うんでしょ、超能力やと思っててください」
「超能力、ねぇ」
「サイキッカーは宝条の餌食にならんのか?」
 怖いこと言わんといてくださいよヴィンセントさん、と黒猫は腕の中で飛び跳ねた。
「やから、ボクのお仕事は社長とタークスしか知りはれへんのです。他の統括は何も知らんのです、これは ほんまに」
「……なるほど」
 どちらがどちらの見返りかは分からないが、ケット・シーはルーファウスやタークスの密命を受け取り、その代わりケット・シーの『操縦者』の身を保証する。逆であれどちらであれ差異はない。
「ったく、神羅っつぅのは一枚岩じゃねぇな」
「二枚舌だな」
「クラウドは三枚おろしにしたがってるけどな」
 一、二、三。
「みなさんそないなこと言って。ひどいお方たちですなぁ。おまけの情報もちゃんと探しときますから、ここはもう許してくださいよ」
「おまけ?」
 ヴィンセントは立ち止まる。
「……とっておき、じゃないかもですけど。ボクの権限で調べられる範囲はそんな広くはないですけど……昔の同僚はんたちのこと、お調べしておきます」
 今この時、どんなに仲間になんて興味がないようなフリをしていたって無駄だ。
 ケット・シーにはタークスという組織が何よりも仲間を大切にする人間の集まりであることを知っている。そして黒猫の思惑通り、ヴィンセントは小さく
「口を縫い付けるのだけは勘弁してやろう」
 と、ほんの少しだけ。
 ほんの少しだけ口の端を持ち上げて小さな笑みを作った。



と:時として正義は悪となり悪は正義となりて


「あ」
「お」
「レノじゃねぇか。ユフィたち見つかったのか?」
「シド艇長もお元気そうで何よりですぞ、と。見ての通りだ。クラウドたちはさっさと行っちまったみたいなんでな、こっちは適当に後から合流するつもりだったが……よぉ黒猫チャン」
「は、ははは……」
 出るはずもない汗が黒猫の毛並みを伝う。
 レノとルードはダチャオ像の麓でゆうゆうとタバコをふかし、首が痛くなるくらいに顔を見上げて目を細めた。神羅兵の制服を身にまとった男と、ウォール・マーケットにいそうなチンピラ風の男がぐるぐる巻きに縛り上げた女を抱えているのが見える。
「……随分高いところまでいったな」
「そりゃあ……」
「バカだからな」
 目立ちたがりのバカ、かつ葉巻をくわえて煙をふかしているという高いところを好む条件はバッチリ揃っている。
 ウォール・マーケットは常にプレートに覆われ『高いところ』ではなかったことへの反動かは知らないが、ウータイを一望できるところを陣取って犯罪行為をアピールしているだなんて、どう考えたってバカ丸出しだ。
「コルネオの奴、神羅兵を買収してやがってよォ。……おかげであのザマだ」
「あっちの金髪がイリーナか」
「おう。部下のはずが逆に誘拐されちまったらしいぜ」
「……本当にタークスなのか」
「クラウド一味の新入りさんよ、その通り。あれでも神羅のエリート、総務部調査課だぜ」
 嫌味ったらしい意味ありげな視線。
 ツォンに素性が知れてしまったということは恐らくこの赤毛の耳にもヴィンセントの正体は入っているだろうが、今はそれにこだわっている時ではない。
「お姫様二人揃って誘拐されちまうなんざ、お互いツイてねぇなぁ」
「あのバカタレはそっちの忍者娘がホンモノのお姫様って分かっててやってんのかね。……流石に、神羅がウータイの姫を誘拐した上にその身に何かあれば……」
「神羅としてはよくねぇよなぁ。まったく、人さらいはお前らの得意技なのにな」
 痛いこと言うねぇ。レノは笑った。
「しっかしあの下っ端ども、コルネオなんぞについて行ったところでなぁ。そこまで嫌かね、一般兵の待遇はよ」
 どうにも話が読めねぇなと言いながらもシドはレノとルードに立ち上がるように促し、ダチャオの森へと入っていく。
「で? なんだってあんなことになったんだ」
「……山中にいた神羅兵は……あの男を追っていた訳か」
「ありゃ誰だ?」
「ドン・コルネオ。艇長サンは知らねぇか。ミッドガルじゃ有名人だぜ、六番街スラムの支配者だ」
「なんでぇ。そんなとっつぁんがウータイまで来てんだ。……さてはやべぇことしたな?」
「ご名答、と。ま、なんでもやりたい放題で色々知っちゃイケナイことまでお耳に入れたまま旅行しちまったもんでな。ミッドガルで大人しくしてりゃまだ命だけは助かっただろうになぁ」
 具体的な罪状はオレも知らねぇわ、とレノは言い放った。
 二人はシドやヴィンセントを待っていたのか、そのまませっせと森を進む。緑溢れるダチャオの森だが、切り立った岩肌のダチャオ像が近くなればあっという間に木々の姿は見えなくなっていく。隠れる場所もなくなるが、紺色のスーツを着た二人は森が途切れる直前で立ち止まった。
「うわぁ…」
「派手なことするなぁ」
「……スマートではないな、やり方が」
 先ほどまで抱えられていた女子二人が今度はダチャオ像に吊るされているのだ。
 クラウドたちを釣る餌なのか、それともクラウドたちの存在を未だ知らないコルネオがただの『趣味』としてやっているのか、追っ手の神羅を、タークスを釣る餌なのか。理由は不明だが、どのような理由であれ趣味がいいとは到底言えはしない。
「外からは丸見えだが、ルートを選べば上からは見えないように近づけるはずだぞ、と」
「……いつから我々はこいつらと共同戦線を組むことになっているのだ」
「かてぇこと言うなよヴィンセント。ここはその方がお得だろ」
「そーそ。今は停戦しとくのが得策だぞ、と」
 せーの、と四人とぬいぐるみは気の抜けたレノの号令でダチャオの岩肌にぴったりと張り付き、ちょうど切り出されたダチャオの手指からは死角となるように身を屈めて登り始める。急峻な崖だろうが、切り立った岩だろうが関係ない。とにかく相手に気づかれないようにレノとルードが先導する道筋を二人はひたすらに付いていく。
 時折シドがおっ、とか。あっ、とか言うたびにヴィンセントが無言でスカーフを掴み上げるものだから潰れたカエルのような声が喉の奥から轟いた。
「ヴィンセント、お前もうちょっと優しくできないのか」
「男に優しくする趣味はない」
「バッカ野郎。年寄りを敬えってんだ。オレ様をマダムだと思え」
「……」
「……オレのが年上、だよな? こないだ27だとか言ってなかったか」
「かもしれん」
「あぁいや、でもそっか。そうでもねぇのか。……まぁいいや。とりあえずオレ様を敬え。もっと優しくしろ」
 そこでシドは先ほど彼が見た目通りの年齢ではないと言っていたことを思い出し、バツが悪そうに頭をかきむしった。
「おたくら、老人ごっこもよろしいけどよ。行かなくていいのか? 案外ピンチだぞ、と」
 そんな気の抜けたコンビにレノはため息をこぼしつつも『アレ』と指差した。
「ふむ」
「お なんだありゃ」
「……ラプス。コルネオは悪趣味な魔物を複数ペットにしていると報告は受けている」
「そういうこったぁ。アイツ、ミッドガルの下水道にも変なの飼ってたからなぁ」
 一体どんなルートで仕入れてくるのか、そもそもブリーダーなんてものがいるのかは知らないが、よくもまぁやはりこんな辺境まで連れてきたことだ。
 ようやく追いついたのであろうクラウドたちが空中を自由に飛び回り黄緑色の翼竜に遊ばれている。翼のない人間をあざ笑うかのように旋回してはエアロを散弾銃のようにばらまき、風で煽られたバレットは慌ててダチャオの太い指にしがみついていた。
「オレはイリーナが無事ならいいけどよ」
 お仲間、アブないんじゃね? というレノの言葉にヴィンセントはしかし、
「……エアリスはいいのか?」
 と皮肉をたっぷりとこめて質問を質問で返す。
「……ずりぃ質問」
 神羅にとって『最後の古代種』の役割を果たすであろうエアリスの生存はネオ・ミッドガル計画においては絶対条件だ。ある程度は好きに泳がせておきつつ、その命が危機に晒されるような脅威は排除。とはいえエアリスは今セフィロスを追うクラウドに同行しているため、果たしてセフィロスが導く先に古代種が思い描く約束の地が待っているのかだとか、そのエアリスにも上層部は見切りをつけているだとか、考えることは山ほどある。
 が、それはレノの仕事ではない。
 今の段階で神羅がエアリスを喪うのは惜しい、というヴィンセントの探りは大当たりだ。
「なんでぇ、じゃあこんなとこに隠れてコソコソやってる場合じゃないじゃねぇか」
「まだコルネオはオレたちの存在に気づいてない。なら……」
「このまま機会を待つのがベスト だ」
 厄介な魔物退治はクラウドたちに任せてしまって、いいところを掠め取っていく。それこそが神羅の、ひいてはタークスのお家芸だ。
 我慢大会のようなかたちになってしまった状況にケット・シーは気まずそうに「意地はってる場合ちゃいますやろ……」とぼやく。が、誰も聞いちゃあいない。濡れて悪くなった狭い足場であれやこれやとおしくらまんじゅうしながら宙を舞うラプスに遊ばれ、飼い主のコルネオは少し離れた場所で高笑い。
 今すぐ狙撃してその下品な刺青ごと頭を吹き飛ばしてやりたい気持ちでいっぱいだが、飼い主のいなくなったラプスを相手にするのは御免被りたい事態だ。


「あっ」


 それは誰の声だったか。
 そこから先、スローモーションに時は流れていく。
 足を踏み外しダチャオ像から滑落しそうになったエアリスの細い手首をとったのはヴィンセントの青白い手で、ぶん、と振り回すように彼女はクラウドの胸元へと投げ込まれる。飛び出そうとしていたレノは背後からルードが羽交い締めにするかたちでなんとかダチャオ像の影にとどまったままだ。
「なッ!?」
「ッ……」
 エアリス、と名を呼ぶよりも先に。
 不意に軌道を変えたラプスの突進が直撃する場所に立っていたエアリスは本能的に射線上から退避しようとしたが、それがまずかった。雨上がりの岩肌に足を取られバランスを崩した彼女はラプスの突進こそ回避したはいいものの、底知れぬ森の中までまっしぐら。
 クラウドが走るよりも先に突然岩陰から飛び出して来たのはヴィンセントである。
「(嘘だろオイオイオイ!)」
 しかしここで飛び出しては作戦が水の泡。
 レノはとんだ無茶をしでかした相手のことなど見向きもせず、とりあえずはエアリスの無事を確認すると胸を撫で下ろす。隣で身を潜めていたシドの姿は消えている。援護に回ったのだろう。
「……無茶苦茶だ」
「…………大昔のタークス、ねぇ」
 ケット・シーからの報告では素性不明だと言われてはいたものの、つい2時間ほど前に鳴り響いた携帯電話からは──休暇中は決して電話を取らないつもりだったが──ツォンからの連絡だった。その『素性不明』についての情報を、対処する必要が出るよりも先に知れと。
 何せ昔のことだから情報は不十分なものも多い、正確ではないがそれでも伝えておく。
 慎重派の主任らしからぬ言葉にレノとルードは顔を見合わせたものだが、聞いてみればそれも納得いく内容ではあった。
「だが、彼は完全に『死んで』いたはずだ」
「ツォンさんの調べではな。秘匿任務を受けてた形跡は一切ないし……そもそも何歳だって話、だけど」
「本名はヴィンセント・ヴァレンタイン。……ジェノバ・プロジェクトに赴任するための道中、ジュノン連絡船にて突然死」
「タークス・オブ・タークスの死に関しちゃ都市伝説みたいな噂ばっかだったが……」
「これで結論はついたな」
 ジェノバ・プロジェクトに本来赴任するはずだったヴィンセント・ヴァレンタインというタークスの男は現地に到着することなく死亡している。だが、ニブルヘイムの神羅屋敷でクラウドと遭遇後旅に同行している様子からすると、少なくとも海上で死亡したというのは間違いなく虚偽の報告だ。
 だからといってニブルヘイムでの任務が死を偽装してまで隠蔽する必要のあるプロジェクトであったかは定かではない。
 なにせそのプロジェクトがトンデモナクアブナイ案件だったからだ。
「ま、ここで議論しても仕方ねぇか。……しかしその上に不老不死、ときた」
 八つ裂きにされる姿が、見える。
 エアリスの救出には成功した模様だが、獲物を奪われたラプスは怒り狂いターゲットを変更したようだ。宙を舞ったヴィンセントのペラペラに薄い身体に向かって枯葉色の魔物は錐揉み回転しながら突っ込んで行き、そのままスピードを緩めることなく空中で彼らは衝突した。
「負傷しないのではなく傷を再生、しているように見えるな」
「ロケット村での報告は寝ぼけてたんじゃねぇかと思ったが……」
「十中八九、ツォンさんの言う通り宝条博士の仕業だな」
 タイニーブロンコを奪取される際に突然現れた白銀の毛並みを持つ獰猛な獣はクラウド一味の一人だった。なんていう信じられるはずもない報告が上がっていたことをレノたちは思い出す。そんなバカなことあっかよ、とどこのどいつだと聞けば名前はグリモア。そんな名前の人物は神羅のデータベース上には存在しなかった訳ではないが、年代があまりに違いすぎた。
 故にニブル山から迷子になって降りて来たはぐれビーストだろうよ、というのがタークスたちの結論であった。
 しかしケット・シーから先ほどもたらされたロケット村で起きた事件の詳細ではやはり報告に間違いはなく、『アレ』は人間の姿をしていたのだという。そしてグリモアなんていうのは当然のように偽名だとか。
 当時の人間しか知らない、死を偽装する必要のある秘匿任務が本当に実在しているのか、それとも神羅とは完全に縁を切りたいという意思表示か、はたまたタークスなんていう組織に頭の先まで漬かってしまっていたが故の職業病か。いずれにせよあの神羅に歯向かうテロリスト一行と旅をする男は、無数に存在しているであろうレノやルード、そしてイリーナやツォンが辿る末路のうち『だいぶ最悪に近い最悪』だ。
「……よぉルード」
「同意見だ」
 まだ何も言ってねぇよ、とレノは嗤う。
「オレ、あんな『終わり』は嫌だぞ、と」
「……同意見だ」
 そう願えども決めるのはレノたちではない。
 あのルーファウス神羅がタークスを突然切り捨てることはないとは思いたいところだが、それは誰にも分からない。近い将来、遠い未来、それとも明日か明後日か、50年後か。やがて来たる命の終わりはどうか人間らしくありたいと願わずにはいられない。
 身体を引き裂かれようとも命が果てることなく、『何事もなかった』かのように宙を舞い、ダチャオの掌へと戻ってくるその姿はおよそ人間からは程遠い。
「むしろあれじゃ 『終われない』ってやつか」
 自らの意志で生と死を操っているようにも見えやしない。そこに最初在ったはずの人間の意志など置き去りにしたまま暴走する生命は決して止まることな駆け続ける。それを止める術などない。
 殺し損ねた獲物に苛立ったラプスの頭頂にふと、人影。
 先ほど姿を消していたシドはどうやらここより数段上のほうへとよじ登っていたようだ。美しいフォームで見た目だけは中年の男が槍を抱えて落ちていく。真っ逆さま、垂直に。
「……決まったな」
「よっしゃルード。行くぞ」
 美味しいところはちゃんといただいていく。それがタークスの『仕事』だ。
 休暇中の緊急任務となればナントカ手当の一つや二つあってもいいところだが、事の発端はレノたちが調子に乗ってユフィのお手製ウータイ鍋なんか食べるからだ。それを指摘された瞬間レノは膝をついて許しを請うことしかできなくなるのは目に見えている。
「レノ」
「おう。オレはこっち、お前はそっち」
「了解した」
 ダチャオの指先側からはレノが、肩からはルードが。
 大暴れする瀕死のラプスにここぞとばかりにクラウドがバスターソードを振り回しその翼を切り落とし、エアリスがロッドで特大ホームラン。最後はバレットのマシンガンで蜂の巣だ。ぎゃあぎゃあぶぅぶぅ醜い太った男がまくし立てているのが見えるが、そんなことはどうでもいい。バラバラとなったラプスの死体が森の中へと落ちていくのを見送りながらレノは薄ら笑いを浮かべた。
 それにしても、と。
 今にして思えば最初から『これ』が目的だったのやもしれない、とぐるりと身体が上下逆さまに吊るされた忍者娘と後輩というダブル・プリンセスの悲鳴を耳に留めないように右から左へ筒になったつもりで聞き流しながらレノはタイミングを伺った。街中で遭遇したレノたちとは初対面の──治安維持課直属の──兵士たちはウォール・マーケットから姿を消したドン・コルネオの追跡を続けていた。
 どこまでがシナリオ通りかは知らないが、今回も『また』うまく手のひらで踊らされたようだ。主任の骨ばった手か、それともルーファウスの血まみれの手かは知らないが。
 恐らく神羅兵の中にはプレジデントの死に際してクーデターを期待する声もあったため、コルネオに出撃した一部が買収されることも織り込み済みだったはずだ。裏切り者のあぶり出しには絶好のチャンスだ。
「ったく、嫌になっちまうね」
 だからといってクラシックを聴きながら神羅ビルの最上階で優雅に下界の民らの悲鳴を浴びたいなんて趣味もない。
 つまるところ、こういう考えることをやめた手足というロールが一番性に合っているという悲しい現実だ。
「ひっ おま、お前 タークス!」
 逃げ出そうとしたチンピラと裏切り者の神羅兵はレッドに押さえつけられ、バレットに銃を向けられ、ティファに「すり潰すわよ」と脅され、ダチャオの片隅で縮こまっている。
「そこまでだぞ、と」
 だから外道と言われたとしても人でなしだの神羅の犬だの聞くに耐えない罵詈雑言の数々は無意味だ。
 殺さないで、と豚は喚く。
 金と女と権力なんていう贅を求めた腐ったピザの下で踏ん反り返った醜聞の王もここまでだ。
 ウータイのダチャオ像なんていう由緒ある信仰の対象がその死に場所になることに関しては若干の後ろめたさはあるが、悪逆非道の神羅がやることだ、むしろ『それらしい』からいいのやもしれない。
「レノ」
「おぉっと。上の空になっちまってたな。さて……と。教えてやるぜドン・コルネオ。これはサービスだぞ、と」
 ジリジリと指先から力が抜け、絶望の顔色となっていくでっぷりとした男とレノは視線を合わせる。
 この脂ぎった顔も、気色の悪い刺青も、場違いな毛皮のコートも、全部スラムの人間から搾り取った血でできている。レノたちと、同じで。
「ほひ……ほひぃ……」
「オレはな お前みたいな奴が大嫌いなんだぞ、と」
 まるで自分を見ているかのようで。
 傷跡だらけの指でレノは己のこめかみに指をあて、バン! と戯けてみせる。
「……レノ」
 そして、後方からはルードの咎める声。
「はいはい。お仕事はちゃんと完遂しますよ と。休日手当ももらえることだしな。……多分」
 これで おしまい。
 力尽きて滑り落ちるのはいくらなんでもかわいそうだしなぁ、と彼は言う。せめて利用されるだけされて捨てられた、とか、いつか食ってやろうとしていた相手に殺された、とか。そんな恨み言の中で死なせてやるのがせめてもの慈悲だ。
 ぎゅっとつま先に力を込めるだけ。
「ギャァッ」
 なんていう醜い悲鳴とともにドン・コルネオは喉から叫び声を振り絞りながら潰された指の痛みと、そして最後の慈悲とやらなんてものとは関係なく己の手汗で指を滑らせ真っ逆さまに落ちていく。暗くて深い、ラプスの肉塊が落ちていったダチャオの森へ。
 死んでしまえ、お前みたいな醜い奴は。
 もう一つスパイスを加えるならば萎れたタバコに火をつけて一服したあとそいつも投げ落としてやるんだが、なんてことを考えてレノはやめた。万が一に森林火災でも起きてみろ、シャレにならない。
「……相変わらずタークスのやり方は汚いな」
「スマートって言えよ、と。だがこれでお互い厄介ごとは解決だろ?」
「まぁな」
 神羅が追っていたコルネオの始末は完了し、『ついで』に拉致されたユフィとイリーナの安全も確保できた。更なる『ついで』には、ユフィに奪われた装備品もこれで戻って来るであろう。目的は達した。クラウドは肩を竦(すく)めつつもそれ以上レノたちに追求することなく、逆さ吊りになったままのユフィに「盗んだものを返せ」と問い詰め始める。
 これにて一件落着。
 ダチャオ像の影から随分と膨らんだ布袋がクラウドの仲間たちによって引き摺り出され、あんな重そうなものを持ってウータイまで全力で逃走していたのかと思うとある種の尊敬の念すら抱く。
「休暇もあと半日……もねぇか」
「だが、まだ終わってはいない」
 居酒屋で酒をたらふく──既に到着直後に一杯やったが──飲んでミッドガルでは食べられない魚介やウータイ珍味を味わうくらいの時間はあるだろう。
「だな。悪ぃルード。お姫様おろしといてくれや」
「あぁ」
 しかしよくもまぁあんな器用に拘束してみせたものだ。ダチャオの両目を覆うように吊り下げられた女子2名のうち、ルードは金髪のスーツ姿を回収する。「コラッ! アタシのことも助けろよ!」というなんとも図々しい声が聞こえるが、ついでクラウドから「甘やかさないでもらおう」なんて言葉も飛んで来る。
「頑張れルードぉ」
「レノのパンツって何色? みんなの、全部混ざってる」
「オレらはパンツ盗まれてないぞ、と! 神羅の刻印入った支給品の防具だ、それオレたちのだ」
「……なんだ、つまらないな」
「逆にパンツまで盗まれたお前らのマヌケ具合に尊敬するぞ、と」
「履いてたぶんまでは盗られてない」
 これはバレット、シド、それともヴィンセント?
 可愛らしい声で男物の下着を発掘したエアリスとティファが首を傾げているが、クラウドが慌てて「頼むここで出すな、風で飛ぶと最悪だ」というズレた叫びをあげた。
「……履いてるもんまでパクられてたらかなりやべぇな」
「だろう。俺たちもそこまでバカじゃない」
「いや そうじゃなくて……」
 どうにもこの元ソルジャーの話には調子が狂う。
 感情の起伏は少ないが、その割には突然変なことを言い出すおかしなやつだ。
「おいユフィ。本当にこれで全部か?」
 ガチャガチャと袋をかき回し、レノたちのと思われる防具を乱暴に取り出していく。
 アタシが悪ぅございました! そちらのものは全部クラウド様にお渡しいたします! だから早く、早く降ろして血がのぼる! なんて反省のかけらもない様子で暴れるユフィにクラウドはため息をつきながらも、エアリスに装備を返してやるように促した。
「はいこれどうぞ、お礼」
 タフネスリング、ザイドリッツそれからミネルバブレス。神羅のロゴが入ったそれらは当然ながら非売品の高価な品だ。身体を強化されたソルジャーたちとは違い、あくまで生身のまま、防弾チョッキも着用せずスーツ姿で暴れまわるタークスには必須のものである。
「お」
「助けてくれたでしょう? お返し」
 いかずちやらほのおやられいきやらのマテリアに、かいふく。それから諸々の見たこともない神羅特性人工マテリア。キラキラと輝く宝珠がはめ込まれたそれらをレノは受け取った。
「お返しって、言ってもなぁ」
 少し離れた場所では我らが姫君イリーナがルードにあれこれ訴えかけ、次は携帯電話に向かって騒ぎ立てている姿が見える。どうせ相手はツォンだろうが、助けてもらった側だと言うのに文句が多い。そしてユフィもまた、仕方がないななんて言葉と共にクラウドに救出されたはずだったが「もっと丁重に扱え!」だのなんだのやかましい。
「何かおかしかった?」
 そんな喧騒から抜け出したエアリスはユフィから取り返した高価な腕輪をしみじみと眺めた。
「いいだろ、これ」
「流石タークス。いい装備、もらえるんだね」
「そりゃあ危険極まりないからな。オレらはソルジャーと違って宝条博士のオモチャじゃないんで……っと」
「レノ?」
 それは、禁句。
 エアリスが眉を釣り上げると道化は今のナシと訴えた。
「つぅかよ。お返しとか言ったが……この装備、もともとオレらのもんだぞ、と」
「だってユフィ、さっきわたしたちにってこれ、くれたんだよ。だから一度わたしたちのもの。で、これはお返し。……だめ?」
「……エアリス。随分と『染まって』きやがったな」
「さっきレノがあんなことするから、また性格悪くなっちゃったかも」
「お前こそ助けようと思えば助けられた、よな?」
 コルネオのことは。
「いじわる」
 エアリスは天使なんかじゃない。
 聖女なんかじゃない。
 完全無欠の女などではない。古代種だとか、セトラだとか専門的な事をレノは知りやしない。興味もない。この女の世界を巻き込んだ旅は元ソルジャーを自称する男の旅と重なってしまっただけだ。あの汚いスラムで強くたくましく生き抜いてきた彼女は慈悲深くはあるが、だからといって全ての命を愛する女神なんかじゃない。
「へいへいオレが悪うござんした、と。お仲間は無事か? ……また不思議な奴を仲間に引き込んだことで」
「……うん」
「……アレも神羅だろ」
「レノたち、何か知ってる?」
「さぁてね。ツォンさんなら……いや。少なくとも神羅に『正式な記録』は残ってねぇよ。とっくの昔に『死んだ』ことになってる」
「そっか。でもね、あれ すごく痛いんだって。前言ってたよ。……死なないけれど……ちゃんと痛みもあるって」
「……ひでぇ話だな」
「そうだね」
 だけど、わたしたちには何もできない。
 エアリスはつい先ほどまでコルネオが命乞いをしながらぶら下がっていたダチャオの指先に腰掛けた。
 哀れむ事ができても、気遣うことができたって根本的な解決には繋がらない。何食わぬ顔で腕を組みシドと並んで正座するユフィに威圧している男の真の意味での正体は不明のまま。「本当は……苦しいし、からだ、治るたびに悲しくなる。絶望するって」と彼女は呟いた。
「へぇ」
「だけどそんなこと言っても仕方ないからって……何も言わないの。疲れたから休もう、ってそれくらい。言ってくれてもいいのにね」
「……オレたち、あいつの正体知ってる。そう言ったらどうする?」
「……あいつってだぁれ? ヴィンセントのこと? それとも」
 それとも……とエアリスは言いかけ、口を閉じ首を横に振る。
「いいのか」
「……いい。だって わたしがそれを知っても……意味がないから」
 彼女は小声で呟くと再び立ち上がり、ユフィにガミガミと効果のない説教を垂れる男たちの中でぼーっと立ち尽くしているヴィンセントに耳打ちした。
「どうした」
「デート。してきていい?」
「……なぜ私に聞く」
「クラウドだと……ほら。絶対ダメって言うから」
「やめろよエアリス、自称元ソルジャーなんかに嫉妬されたくないぞ、と」
 レノは本当に勘弁してくれという顔をした。
 正直言って、不気味だ。
 死亡記録しか残っていないのは何もあの薄暗い元タークスだけではない。
「勝手にしろ。クラウド」
「どうした」
「エアリスが」
「あっ さっきの話、聞いてた?」
「さぁ」
 その辺で気晴らしをしてくるらしい。とヴィンセントは非常に面倒臭そうに告げた。
 大丈夫なのかとでも言いたげな顔をしたクラウドに無言でレノを指差せば、やはりクラウドもまた非常に面倒くさそうな顔になる。だめ? なんてエアリスはレノの腕を組んで愛らしく首を傾げてみせるのだから悪質極まりない。
「ね、だめ、かな? ご飯まで。ちょっとだけ」
「……エアリス」
「だいじょぶ、レノたち今、休暇だから。タークスは真面目だからおやすみの日は仕事しないのよ?」
「そうだぞぉクラウド。オレらは優秀なサラリーマンだからな。今日のうちはあれこれする気はないぞ、と」
 ね。
 再びエアリスが首を傾げれば最早誰ひとりとして反論できる人物はいない。
「じゃ、行って来る。あとでご飯屋さんでね」
「晩飯までには責任もってお届けしますよ、と。こっちもエアリスに命握られてるようなもんなんでね」
 それではお嬢さんお手を拝借。
 非常に面白くなさそうなクラウドの前を二人はスキップしかねない勢いで通過し、暴れるイリーナを背後から締め上げるルードは大きなため息をこぼす。アンタも苦労してるな、なんて言ってくれたのはシド。
 真のデートならこのまま像の頂上まで登って夕陽鑑賞だが、そんな気分じゃあない。
 往路とは違い堂々とコンディションのいい山道を走るように降りながら、レノは眼前で揺れるピンクのリボンをぼんやりと見つめていた。





 いいのか、このままで。
 ダチャオ像を軽やかに駆け下り繁華街へと消えようとするエアリスの手首を取り、レノは真面目なトーンで問いかけた。
 それを意味するところが分からないエアリスではない。仲間たちの手前トボけてみせただけで、レノの言葉は彼にしては随分と重みがある、ということも理解できた。もうすぐ日は暮れる。ウータイに到着したのはまだ明け方だったというのに、気がつけばこんな時間だ。世間話をするだけならダチャオ像の上でもよかったが、今は喧騒の中で──少しでも気を紛らわせてくれるものを聞きながら話をしたい。そんな気分だ。
「心配してくれるんだ、レノ」
 彼女は立ち止まり、履き潰したブーツのつま先で砂利を蹴り上げた。
「……そりゃ、古代種は神羅にとって唯一の手がかりだからな。約束の地、なんてとこのよ」
「ほんとに信じてる?」
「どう見える?」
 プレジデント神羅が夢見ているような、無限の魔晄エネルギーに溢れた理想郷。そんなものを? と聞けばレノは笑うだけ。
「まさか。レノが信じてるのはタークスと、その仲間。違う?」
「ご名答で」
 おばちゃん、その串二つ。
 レノは賑やかな屋台の手前、チョコボか何かの串を売っている店にエアリスを引っ張った。
「おごってくれるの? 珍しい」
「抜け駆け。レノ様の得意技だぞ、と」
「……誰を出し抜くつもり? そんな人いないよ、もう」
 もうあの人はいない。
 そうでしょう? とレノから串に刺さった肉塊を受け取ると、彼女は容赦無くそれにかぶりついた。
 帰ってこない相手を待ち続けてもう何年になるのか。次に会う時は、なんて幼稚な約束を律儀に守り続けていることなんてもう、誰も知らない。ツォンがこのピンクのワンピースをくれたのはきっと偶然なんかじゃないが、彼は決して口を開かない。言われなくとも理由は分かっている。
「……気づいてるんだろ、エアリス」
 彼が戻ってこないことを。
 そして天来したクラウドのことを。
「だったら、どうする?」
「辛いだけだぞ、と」
「…………似てる、よね」
「……」
「でも ただ似てるだけじゃないってこと、分かるよ。……似てるんじゃなくて 同じだもん」
 ちょっとした細かい癖、スラムの魔物を倒してくれた時に彼が見せてくれた『ソルジャーのコワザ』なんて馬鹿げた動き。時折見せる表情、カッコつけたポーズ。スクワットしてみせたり、みどり公園の滑り台を全力で降りてやっぱりかっこつけてみたり、ふとした時の仕草。
 似ているだなんてレベルじゃない。
「……クラウド・ストライフなんてソルジャー。神羅にはいなかった」
 ミッドガルで初めてその名と姿を確認してからずっと言えなかったことをレノは告げた。
 どこからどう探し回ったってそんな名前はソルジャーの名簿には見つからなかった。
「……うん」
「代わりに……一般兵にはいたぞ、と。ニブルヘイム出身のクラウド・ストライフ。…………アイツも……数ヶ月前に『死んだ』ことになってる」
「……でもクラウド、本当に自分が元ソルジャーだって 思ってるよ。それが事実かどうかって、今はそんなに大事なこと かな?」
 自称でも他称でも事実がどうであれそんなことは大して重要ではない、普通なら。
「ヤツが自分をソルジャーだったって自認して疑ってないならま、ちょっと問題かもな」
「ちょっと?」
「ちょっと、な。何せ神羅には『記録に残らない』記録ってのが多すぎてね」
 タークスでしら知らないことなんて無数にある。それぞれの部門がそれぞれの闇を持ち、その中でも更に情報は隠匿され、交渉材料とされ、都合が悪くなれば事実ごと消滅する。それを深入りしようとすればレノだって無事じゃ済まないかもしれない。
 きっとタークスだったことのあるあの男はそれを見てしまった。だから 消された。
「レノ、危ないことばっかりだね」
「お前らには言われたくねぇな」
「そう? わたしたち、みんな助け合ってるよ」
「マテリアと装備盗まれてもか?」
「……仲間だよ。みんな。人には言えない悩みがあったり……隠していたいこと、あったり。誰にも打ち明けられない内緒、あっても。それでもわたしたちは 仲間。わたしは信じてる」
 誰もが不安な心を抱き、真実に近くことを恐れていたとしても。それを共有することができないままであっても、仲間は仲間だ。
 きっと答えを知っている人もいる。今すぐレノに問い詰めれば、エアリスの知らない多くのことだって教えてはくれるだろう。けれどそれでは意味がない。知らなければならないことは多くあれど、それらは自分自身で辿りつかなければなんの意味もない。エアリスも、クラウドも、そしてティファも。
 レノの言う通り、クラウドはソルジャーではなかったのやもしれない。ティファが不安視するように、ニブルヘイムにソルジャーのクラウドが来たというのは真実ではないかもしれない。
 けれどそれは第三者の口から語られるべきものではない。
「……裏切り者とか、いるかもしんねーのに」
「今日のレノは親切だね」
「……」
「だいじょぶ。もしそうだとしても……わたし、傷つかないよ」
 ミッドガルでのことも、ミスリルマインのことも、ジュノンでもコスタでもゴンガガでもどこでもかしこでも──ここ、ウータイでも。レノとルードはわざわざ木にぶら下がったままエアリスたちを待っていたに違いない。気づけば神羅やタークスたちはクラウド一行の旅先に先回りし続けてきたのなら。きっと『誰か』が情報を神羅に流しているのだとすれば全て辻褄があう。
 それはきっとみんな分かってる。エアリスは首をゆるく横に振った。
「ま、そっちの方が……エアリスにとっては自由、なのかもな」
「うん。今のわたし、すごく自由。……代償があっても怖くない。仲間がいるから」
「自由の代償、ね。高ぇぞ」
「知ってるよ。でも、自由ってそういうものでしょう?」
 空の果てにあって、誰にも手が届かないもの。「全部、分かってるつもり」と彼女は美味しそうに串焼きを頬張った。
 今までの旅路、これからの旅路。
 考えれば考えるほど不安になることは多い。一歩ずつ真実に近づいてはいる、ように感じはするもののその真実は優しくなんてない。残酷なものだということも分かっている。道ゆく先で徘徊する黒マントの男たちに、セフィロスのかたちをした『なにか』はクラウドをリユニオンへと誘い、惑わせる。どうしようもなく不安になる心を隠して歩き続けるしかないこの終わりのない旅の先に待ち受けるものは誰にも分からない。
「これで本当に約束の地に行けるもんなら苦労しないんだがね」
「ほんと。わたしたちのこと泳がせるの、大変でしょ」
「そりゃあもう」
 邪魔しない程度に邪魔をして、イイ感じに悪者っぽく妨害して、だけどエアリスが思うまま、感じるまま、クラウドが望むままに旅は続けさせなければならない。
 そこにはレノたちも知らされていない本社の思惑も乗っかっているに違いない。本来、古代種と約束の地については科学部門の仕事だ。
「じゃ、これからも頑張ってもらわなきゃ」
「オレたち、お姫様の接待がお仕事じゃないんだがな、と」
「でもそのお姫様の力を欲しがってるのもあなたちでしょ? それとももう必要なくなった?」
「それを判断するのはオレらじゃねぇな」
「そうだったね。……あのねレノ、気をつけてね」
「……エアリスに言われるんじゃ、オレらも相当かな」
「だって 危ないから。きっとジェノバなんて 人間が触っちゃいけないものだったんだから」
「……」
 この女は自分の父親を知らないという。
 母親はイファルナという純血の古代種であり、自らはハーフ。ならば父親は人間だ、ということは知っておれど、実際どこの誰だかは知らないなんて言う。しかし神羅の科学者たちは勿論、レノやルード、そしてツォンといった古参のタークスたちも彼女の父親が何者かなどとうに知っている。
 それを告げる必要はない、告げることはない。彼女もまた、それを教えてもらえないことを知りながら孤独を抱え旅を続けるのだろう。
「次、どこで会えるかな」
「次はどちらへ?」
「さぁ。クラウドが行きたいところ」
「……ま、セフィロスがいるところだな」
「そうだね。古代種の神殿、探してるんでしょ? じゃあまた競争だね。どっちが先に着くか」
「あそこは簡単には入れねぇみたいだしな。いいぜ、次は久しぶりにツォンさんもレースに参加だ」
「本当? じゃあ勝つのが楽しみね」
 おぉっと、それでも勝つつもりか。
 串を食べてしまったレノは唇の横についたタレを親指で強引に拭い、落ちつつある夕日に目を細めた。
 エアリスの言う通りだ。ジェノバなんてものは人間には過ぎたる力だったに違いない。科学者たちの考えなんぞ知りはしないが、事実、ジェノバ関係に関わった人間の多くが非業の死を遂げるか──それこそクラウド御一行のお仲間のように──死すら許されぬ結末へと至ってしまっている。
「せいぜいクラウドのカンを頼るんだな、と」
 ミッドガルのお姫様。泥まみれのスラムで可愛らしく在り続ける、誰のものにもならないお姫様。
 それがいつの間にか青い空と赤い太陽の下で仲間との旅路を謳歌し、こうして異国の地で会えども明日にはまた『敵』同士。ゆるやかな時間の流れる微睡みの刻(とき)はもうとっくに終わってしまったのだということをレノは改めて思い知らされる。
 そのどれもこれも、が。
「レノ?」
「……空から落ちて来た、か」
「クラウドのこと? それとも……」
「どっちでも同じだぞ、と。ったく……そんなとこまで一緒かよ」
 空から落ちて来た元ソルジャー、クラウド。
 そういえば『彼』だってそうやってエアリスと出会ったんだったか。プレートなんていうスラムにとっての『天』が送り込んだのは魔晄色の瞳をしたソルジャー。それが落ちて来た時、エアリスの旅も始まった。そう思うとやるせない。ミッドガルからお姫様を攫ったのは魔王でも悪魔でもなければ、あのソルジャーだ。
「男の嫉妬は醜いぞ、と」
「誰のせいだよ」
「さぁ? でもウータイ、こんなに綺麗な場所なら……一緒に来てみたかったね」
「デートしたかった、じゃねぇのか?」
「別にレノならいても許してあげちゃうかも」
「それはそれは光栄なことで」
 だけどデートに他の男誘うか普通? と聞いても彼女は「だってわたし、普通じゃないんでしょ?」と言うのだからレノは押し黙る。
「……また会おうね」
「おう」
「いつか もうちょっとちゃんとお話、できますように」
「エアリスがさっさと約束の地を見つけてくれたらできるんじゃねぇの」
「もぉ!」
 そんなことばっかり言うから恋人もいないんだよ、とエアリスは食べ終わった串を「あげる」とレノの手に押し付けた。
「……じゃあな」
 もう日が暮れる。
 スラムのお姫様はまた、ボディガードと共に世界を回る。神羅が追い回し、神羅が待ち伏せし、『誰か』が敷いたレールの上を走り続ける旅に戻るのだ。再びミッドガルへ『戻れる』日が来たとしても、今までとは一切が違う関係になってしまっているのか。どんな結末であろうともレノにはいい予感なんてしなかった。
 それなりの修羅場をくぐって来たレノでさえそう思うのだ、第六感のようなものがずば抜けて冴えているエアリスが何も感じていないはずはないが、それでも彼女は今の境遇をどこまでも自由だと言う。
「またね、レノ」
 集合場所のかめ道楽はこの商店街を抜けた先。
 気を利かせた仲間たちはわざわざダチャオ像から遠回りしてくれたみたいだが、そういうことを言い出すのはきっとヴィンセントやシドたちだ。短い旅路だが、案外あのふたりは気があうらしい。今日のご飯はなにかなぁ、お昼食べてないからお腹すいたな、それじゃあね。
 その人懐っこい彼女の笑みはミッドガルでよく見た表情だというのに、何故かこのウータイで見る夕日を背景にしたそれはレノの瞳に強く、強く焼きついた。



り:理解するには難く


 金が欲しかった訳じゃない。
 私たちはそんなものが欲しい訳じゃない。
 朝寝坊を貪っていたユフィを放置し、ティファはウータイの街へと繰り出した。もしユフィが目覚めても悪さをしないようエアリスが見張りを引き受けてくれたおかげで、久々にゆっくりとした時間を取れる。屋台街の方へいけば、ミッドガルとよく似てはいるが異国情緒漂う極彩色の飲食店が立ち並ぶ。ウォール・マーケットも似たような雰囲気だったが、恐らくウータイのこんな景色を真似したのだろう。あちらはもっと『下品』ではあった、が。
「あの子だって悪気はなかったんだよ」
「はぁ」
 見てたんですか、とティファが呟けば「ウータイの人間はもうみんな知ってるよ」と返ってくる。
「人のものを盗んだり騙したり……やってることは神羅と変わらない。それを まだ分かってないだけさ。ゴドー様のお気持ちだって ちゃんと話し合えばきっと理解してくれる日が来るさ」
 大義があれば何をしたって許されると思っている訳だ。
 以前までの自分たちに向かって告げられたかのようにその言葉はティファの心に突き刺さる。人々の生活を支える魔晄炉を爆破して多くの人に犠牲を強いたり、あくまで職務を全うするために向かって来る神羅兵の命も奪ってきた。実際はその多くが神羅の工作によって彼らに都合いいよう改変されてはいたが、それは大した問題ではない
「事実、今更このウータイに金とマテリアがあっても変わらんだろう」
「ヴィンセント」
 と、そこに現れたのは普段と比べると随分と薄着な男だ。この朝霧に包まれた島国の景色には全く馴染まない彼はティファの隣に腰掛けた。
「おやまぁ、痛いことを言うね」
「散歩か?」
「屋台の朝ごはん、食べてみたくって。ヴィンセントは?」
「……観光」
 適当なこと言って。
 実際は特に理由なんかないのだろう。
「お客さんたち、ユフィ様とはどこで?」
 まんまとユフィにしてやられれたミッドガル人御一行。ティファたちはそんな大雑把なひとまとめで認知されていた。
「えぇっと……ジュノンの近くだったかな。なんか、よく分からないまま成り行きで……」
「そりゃあしてやられたね。……でもゴドー様もあんな様子だからねぇ、ユフィ様の気持ちも分からなくはないよ」
 誇り高き祖国が自我の目覚める頃にはすっかり神羅にひれ伏した観光地になっていたのだから。しかしヴィンセントはぷいとそっぽを向いて吐き捨てた。
「生まれる前にほぼ決着のついた戦争の話だ。小娘には永遠に親の気持ちなんぞ分からんだろう」
「……ヴィンセント、何歳?」
「さぁ?」
 思わずティファは疑問を投げかけたが答えてくれる気配はない。
 蒸し饅頭に不揃いな麺が浮かんだ汁物。それからにんにくの効いた野菜炒め。女将の威勢のいい声とともにそれらがテーブルに着地する。
「わ、これ美味しそう。……お店で出してみたかったな」
「店?」
「私これでも、ミッドガルでバーをしてたのよ。セブンスヘブン」
「初耳だ。専業テロリストかと思っていた」
 ああ、だから君が食事当番を任されることが多いのか。
 ヴィンセントは変に合点した。
「……アジトよ。バーの下にはアバランチのアジト」
「古めかしい手だ」
 隠すためにバーをやってた訳じゃないわよ、とティファは苦笑した。
「お店、やってみたかったの。お互い利害の一致、ってとこ。……スラムだとご飯、ちゃんと食べられない人もいたから。経営はいつも赤字ギリギリ、子供の学費だってギリギリ。なのに活動にはお金が飛んでいくばかりで1ギルも入ってこない。で大変だったけど……私たちの大事な『家』だった」
 第七天国、スラムで一番天国に近いところ。天上の晩餐のような美味。最初の謳い文句はなんだったっけ、とティファは懐かしんだ。
 ニブルヘイムから逃げるようにミッドガルへ避難してきたティファにとって、ストレンジャーばかりのスラムは逆に住みやすい街ですらあった。誰も望んでスラムに住んでいる訳じゃないだとか、己の不幸を嘆く元・プレート民だとか、そういう不幸自慢お涙自慢もたくさん聞いてきたが、何にしたって来店客はみんな『他人』だ。バレットですら、『ニブルヘイムのティファ』を知らない。
 むしろそれが気楽だったとも言うが。
「どこにあった?」
「七番街」
「あぁ……」
 それがどうなったのかを知らぬヴィンセントではない。
 ケット・シーを半ば脅してこれまでの旅路を『神羅側』の立場から聞けたのは収穫であった。誰の思惑が入り組んでいようが関係ないが、それでも知識はあればあるほどよい。
「みんな しんじゃった」
 神羅の手によって。
 つい昨日それこそ利害の一致によりコルネオを敵として不可侵を約束したタークスたちの手によって。
「だが崩落は深夜だったと聞いた。……眠ったまま死んだ者はまだマシだろう」
「幸せ、かな」
「そこまでは言っていない」
 だが頭上からプレートが降って来るのを目の当たりにして死に果てるよりは随分とマシだったろう。命を奪われたことに違いはない。それでも最期の瞬間が苦痛に満ちたものであったかどうかの違いくらいはある。
「バレットはね、神羅と戦争してるつもりだったのよ」
「……」
 お兄さんは? と忙しそうな店主に声をかけられ、ヴィンセントは思わず「同じものを」と答える。
「神羅にとっては……きっと、私たちなんて取るに足らないものだったと思う。でも ウータイを見て 思った。戦うことが全てじゃないんだって」
「……ユフィを見ただろう。どんな道をとっても反発する者はいる」
「ヴィンセントはどう思う? ウータイの……ユフィのお父さんの話」
 彼女一人の話を聞いていたは全くの意味不明だったが、ティファはこの店に来るまであれこれとかいつまんだ話は聞いた。
 決してゴドーは神羅から逃げた『グータラ』などではない。確かに最近は五強の塔への挑戦者もいなければ、刺激的なことは一つもない。観光地へと方向転換したおかげで戦争による大赤字は徐々に解消されつつあるし、ミッドガルではコスタ地方やアイシクル地方とも負けず劣らずの人気観光地だそうだ。異国風の建造物や独特の文化がウケる、とか。
 故にウータイが選んだ道は完全な間違いではない。
「……戦わない道を選ぶのもまた 戦いだろう。それを弱腰という身内との、な」
「……うん」
「そのまま抗戦していたところでソルジャーの力は圧倒的だったとは聞いている」
「……うん」
 あの戦争があって、セフィロスという一人のソルジャーは世界に認められる英雄となった。
 だからウータイ戦争さえなければクラウドがセフィロスを夢見てニブルヘイムを出ていくことはなかたし、世界各地の子供達が夢見て神羅に入社することもなかったのだろう。そして、バレットがアバランチの旗を墓場から掘り起こすことだってなかったやもしれない。
「どちらが正しかったかは誰も分かりはしない」
「……うん」
「だが……個人的には、だが。どんなかたちであれ双方に犠牲者が出続けることはなくなった。それは決して悪いことではない」
 完全な賛成でもないが、とつけたしつつもヴィンセントは言葉を紡いだ。
「そっか。……そう、だよね。やっぱり誰かがいなくなるの、悲しいよね」
 豪快に親指が入ったまま目の前にはティファと同じタンメンが叩きつけられる。
「お客さんたち、随分辛気臭い話をするじゃないか」
「あっ すみません」
「いいんだよ。アンタたちもミッドガル出身ならミッドガル人かい?」
「いえ、私は……ニブル人です。西の方の、山の」
「ニブル……あぁ、ニブルヘイムかい? あそこは魔晄炉があるんだっけねぇ」
「それ以外は何もないですけど。……ヴィンセントは?」
「……アイシクル。残念ながら……いや、幸いなことに、か。魔晄炉すらないド田舎だ」
「……意外。もっと街の人かと思ってた」
 ミッドガル生まれなんて人間は本当に数は少ないが、ミッドガルができるよりも先にあそこに住んでいた! とか、神羅が支配するようになってからのジュノンで生まれたシティ・ボーイだとか。オシャレかどうかは置いといて、そのスマートな立ち居振る舞いはどことなく都会の雰囲気を醸し出していたのに。
 するとヴィンセントはティファのそんな視線に気づいたのか、
「どこからどう見ても生粋のアイシクル人だぞ」
 と言う。肌の色も目の色も髪の色も、絵に描いたようなミッドガル人が羨むアイシクル人だ、なんて。
「それ、自分で言う?」
「ご要望に答えたまでだ」
 ティファはくすくす笑った。
「ニブルヘイムにアイシクルね。アイシクルだとあれかい? 大氷河の観光客なんてのもいるんじゃないのかい」
「……アイシクル・ロッジの方はそうかもしれないが……生憎、ロッジの出身ではない。雪以外何もないところの出だ。観光地となったロッジには行ったことがない」
 万年雪に閉ざされた村落すらあるという、北の果て。
 アイシクル・ロッジはその中でも冷害や魔物の襲撃によって住む場所を失ったアイシクル地方の住民が集まって自給自足の生活をするために作られた街だという。それが今では未知たる星の中心部にもっとも近い場所だか、神秘に満ちたガイアの絶壁だとか、様々な絶景を求めて観光客がやってくる一大スポットとなっていった。
「アイシクルって言うと私、ロッジのイメージしかなかった。たくさん……村、あるんだね」
「このウータイだってそうだろう」
「まぁね。観光地じゃない『ウータイ』っていうのもまだまだたくさんあるんだよ。観光客には見えないだけで、ね」
 下手くそな箸づかいで二人はずるずると麺を啜(すす)る。
「この辺りは少数民族も多いと」
「よくご存知だね。……こう言う状況で厄介なのはね、なにも身内だけじゃない。私たちウータイの民にとって一番の敵は……神羅なんかでもなくて、同じウータイ人。この街の外にいる武装民族の方が恐ろしいったらありゃしない」
「外? 山里とか、あるんですか?」
 あるある。いっぱいある。
 女将は言った。
「西の方は戦闘民族の巣窟さ。南の山も、海沿いの崖も。……彼らは決して不必要に国外民を襲ったりはしないが……いつか この国の寝首をかくつもりかもしれない。みんな神羅なんかよりそれを恐れてる」
「……ウータイ戦争の最中は同盟を組んでいた少数民族だ。彼らの意見を聞かず当主は神羅の降伏勧告を受け入れ、ウータイ同盟は空中分解。そんなところだろう。当然ながら例え死のうとも神羅に反抗するつもりだった奴らは不満を抱いている、というわけだ」
「ご名答。彼らを知ってるのかい?」
「……知り合いに二人ほど。部族の名前は……何度聞いても覚えられなかったが……死ぬまで戦うような狂戦士(バーサーカー)どもだ」
 穏やかに見えて一度怒ると手がつけられない。刀を振り回し訛(なま)ったウータイ語でわめき散らしたかと思えば現地語で騒ぎ立て相手を威嚇しながら斬りかかるような。
「彼らは言葉すら違うからね。その表現も間違っちゃいないよ。共通のウータイ語で喋ってくれなきゃ、私らでも分からない。蛮族だなんて言う奴もいるくらいさ」
 難解な文字、難解な発音。
 もともとは全く違った生活様式の山岳民族が山を降り、対・神羅という一点のみにおいて同盟を組んだのは大昔のこと。私が若い頃だったねぇ、今でも覚えてるよ、と女は笑った。
「その人たちは……今でも怒ってるんですか?」
 戦争をやめてしまったことに。
 すると女将は肩を竦(すく)めた。
「うんにゃ。ゴドー様は盟主たちの意見を聞かずにことを決めてしまった。そして停戦協定が結ばれた直後、彼らは山の奥へと再び消えちまったのさ。あっという間に……虹が消えちゃうみたいにね」
 それまでは同じ大陸に住みながらも対立し続け、時に侵略行為すら仕掛けてきた少数民族はしかし、その日を境にめっきり現れなくなってしまったのだという。道ゆく旅人たちの前にも姿を現さず、勝手に負けを認めたゴドーを恨んでいるのかも、同じ意見だったのかも未だに分からないまま。
 だから怖いのさ、と彼女は言う。
「……でも 戦争を続けていたら……その人たちだって、セフィロスに殺されていたかもしれない」
「そうさ。あのセフィロスっていうの、死んだんだろう? まだ生きていたらと思うとゾッとするよ。彼らにとっちゃこのウータイは名声を上げる場所か、それとも腕試しの場所かは知らないけど……私らにとっては 大事な『家』だよ」
「悲しいですよね、家が なくなるのは」
「あぁ。その感じじゃ二人とも故郷はもうないんだろう?」
「……はい。ヴィンセントも?」
「もともと地図にすらない村だ、消えても誰も気づきはしない」
「ほんとのド田舎だったんだ」
 流石にニブルヘイムは世界地図に存在は記されている。
 アイシクル地方は一年のほとんどを雪に閉ざされているという気候条件もあってか、神羅の魔晄炉建設の候補地からは早々と外れてしまった。認知度が低いのはそのせいもあるだろう。
 ミッドガルほどではないが、北方地方もライフストリームの流れが地表近くまで及んでいる場所は多い。が、それはガイアの絶壁のほど近くの話だ。本来ならば魔晄炉建設にとってもっとも重要なポイントを抑えてはいるが、絶壁近くはそれ以上のデメリットがある場所だ。ロッジ程度の場所では逆にライフストリームは絶壁の方へと吸われ続け土地が枯れている。
「ニブルヘイムの人間に田舎など言われるとは心外だが……反論はしない。神羅すら諦めた土地だ」
「……でも、見てみたかったな」
「雪しかなかったぞ」
「ニブルの雪、べちょべちょだったんだもん。北国の雪って私、見たことない。ウータイは雪 降るんですか?」
「最近は少なくなったけど、そりゃね。春は桜、夏は蛍。秋は紅葉に冬はこたつでみかん。最高だね」
 だからもう欲しいものなんてないんだよ。
 朝からたらふく食べたティファは満足そうな顔をしていたが、ふと陽気な女将の見せた暗い表情に目を丸くした。
 お金も、マテリアも、なぁんにもいらない。そんなものがあったって失ったものは取り戻せないし、景気だって絶好調とまではいかないがそれなりに悪くもない。余計な武力を持っていることが公(おおやけ)となれば面倒ごとは避けられない。
 主人はそんな説明をしてのけたが、ヴィンセントは「それが表向きか」とバッサリ切り捨てた。
「ヴィンセント?」
「ここに来る途中、その山岳地帯を通ってきた」
「! ……物好きだね。あそこは険しいよ」
「神羅の敗残兵の墓がいくつかあったが……あれは何者かが定期的に手入れした痕跡があった。さて、誰の仕業だろうな」
「…………アンタたち、神羅の回し者かい?」
 途端、険しくなる目つき。
 ティファは慌ててヴィンセントの口に手をやり、「もう、バカ!」と叫んだ。
「ごめんなさい、この人こういう性格なんです。……ちゃんと私たち、神羅からは追われる立場です。ちゃんと反神羅のテロリストです」
「ちゃんと、か」
「ヴィンセントが余計なこと言うからでしょ」
「私のせいなのか? ……まぁいい。ウータイにも反抗勢力は『ちゃんと』いるということだ」
「お客さん、性格悪いって言われないかい?」
「よく言われる」
 だろうねぇ。
「あれかい? ミッドガルの反神羅ってことはアバランチかい」
「名前……借りた、だけでしたけど」
「そうかいそうかい、そういうことかい。それと同じことだよ、ウータイにもね。まだミッドガルと……神羅と戦おうって輩が残ってるんだよ」
「……どこにでも いるんですね」
「いないほうがおかしいさ。30年も続いた戦争をそんなバッサリ終わりにされてもね」
 ミッドガルと同じ。
 その反抗組織を神羅がどれほどまでに重要視しているかは定かではないし、恐らく武力蜂起でもしようものならアバランチと同じ。いいように使われるだけなのだろう。むしろミッドガルでのアバランチの活動を知っているからこそ──ウータイは未だ水面下に在り続けるだけやもしれないが。
「神羅もとうにそのくらいは掴んでいるだろうが……」
「出る前の芽は潰さない。ただし芽が出ようものなら二度と種が蒔かれぬほどに 刈り取り尽くす。それが神羅のやり方だね」
 反神羅という立場ではウータイもアバランチも同じ方角に足を向けてはいる。だがこの女将の口ぶりでは少なくとも彼女自身は神羅と同じ、バレットらアバランチを大した存在とも考えていないようである。
「ユフィは……それを知ってるんですか?」
「さぁね。偉そうなことは言ったけど、私らはただ食事を作って出すだけだからね」
 相手がアンタらみたいな異邦人でも、それこそ神羅のスーツ軍団であろうと兵士であろうと、ウータイ・レジスタンスの連中でも。
 人間である限り、戦おうが戦うまいら腹は減る。何もせずとも、何かを為そうとも、生きている限りは腹が減るというものだ。だからこの店の席に座った奴らはその時点で皆同じ。頼まれたものを出して代金を受け取るだけさ。
 そして食事中に交わされる会話には正義も悪もない。
「……同じ、ですね」
「アンタもミッドガルなんかで店やってたら意味、分かるだろ」
「はい」
「そういうことさ」
 七番街イスラムの片隅にひっそりと佇み住人と寄り添いあってきたセブンスヘブンもまた。
 やってくる客はアバランチのメンバーだけではない。メンバーが『友達』と言って組織に関係ない近所の住人を連れてくることもあるし、ジョニーだってよく来てくれた。マリンの遊び友達が親に連れられてやって来たし、仕事の間ティファが店で預かっていたこともある。かと思えば警備の仕事帰りであろう神羅兵が飲みにきたこともあれば、内勤の社員が訪れることもあった。
 バレットはあまりいい顔はしなかったが、お金を払ってくれる以上は大事なお客さん。アバランチとしてのリーダーはバレットであるが、セブンスヘブンはティファの名で経営している以上そこでの飲食に関しては口出しさせません。
 いつかそうやって言い合いしたっけ、バレットと喧嘩したのはそれが最初で最後。
「……もっと味付けが濃いものかと思っていたが」
「ん?」
 隣ではヴィンセントが汁の一滴も残さずに出されたものを完食していた。蒸し饅頭もぺろり、野菜炒めのにんにくひとかけらすら。
「案外薄味もあるものだな」
「アンタ、部族の知り合いがいるって言ってたね? あの辺りの連中は肉をそのへんの草と一緒に焼いて素材の味が分からなくなるまで味噌やら醤油やらでべちょべちょにするからねぇ」
「……そういうものなのか」
「観光地向けのウータイ料理は初めてかい?」
「…………てっきり……あぁいったものが ウータイの伝統料理だったのかと」
 どっかその辺で取って来たネズミでもなんでもいい、とりあえず肉。それから臭み消しの香草。あとは『ありがたくも』『ウータイ人以外にも食べさせてやる』と言う、秘伝の味噌。故郷からわざわざ味噌がめごと持って来たという噂もあった。
 肉の味すらしない、本来の役目を失った香草の食感はむしろ邪魔ときた。時折毛すら残ったままのあの丸焼きがてっきり『伝統料理』なのかと。
 そういう話をするとティファと店主は同時に声をあげて笑った。
「逆に珍しいお客さんだね」
「……勉強になった」
 笑われたからか、不機嫌そうな顔をしてヴィンセントは行儀よく手を合わせた。
「朝からすごく楽しかったです。ヴィンセント、そろそろ一度戻らない? みんないい加減起きた頃だろうし」
「そうしよう……が、私は寄り道をしてから戻ろう。出立するなら門で合流しても問題なかろう」
「分かった。じゃあ あとでね」





 街中はふらりと見て回ったが、タークスどころか神羅の影は一つもない。夜のうちに出ていってしまったのだろう。
 昨日訪れたばかりだというのにヴィンセントは再び墓地へと足を向けていた。名もなき戦士の墓、あの日連れて帰ることのできなかった仲間たちのあかし。
 ミッドガルそのものが故郷だったなんていう社員はあまりいなかったが、豊かな生活を信じ、自分たちの、そして家族の希望に満ちた生活のためだと正義を振りかざし死んでいった者たちの墓碑。
 一度入れば死ぬまで出られない。
 なんて言ったのは誰だったか。今なら言える、「そんなものはデタラメだ」と。
「死んだところで……逃げられはしない」
 書類の上でだとか、世界中の人の記憶から、とか。どういった意味で死のうが関係ない。人間としての命すら一度奪われても尚、こうして足首には未だかつての記憶と仲間の死体がぶら下がっている。
「みんなもう待ってますよ。シドさんがお手洗いから戻って来たら出発です」
「…………あぁ」
 背後には妙な表情をしたままの黒猫のぬいぐるみ。
「やっぱり恋しいもんですか?」
 今でも思い出せる仲間の顔はくるくると豊かに表情を変えてはヴィンセントに何かを告げようと口を開く。
 けれどもその赤い口から出てくるのは記憶に残るやわらかな声ではなく、最期の刻を迎えた苦悶の叫びだけ。助けて、死にたくない、殺さないで、と。全てが実際に聞いた台詞じゃない。妄想がかたちづくった、改変された記憶だ。
 だから真実じゃない。
「とうに人の心など失ったとは思っていたが……さて。どうだろうな」
「それを寂しい、って言うんですよ」
 またそんなアンニュイな顔しはって、とケット・シーはブーツのつま先からよじ登り、慣れた手つきで彼の腕の中へと潜り込む。
「デブモーグリに嫉妬されても知らんぞ」
「されへんされへん。あの子はボクが直々にマテリアであやつってますさかい、ボクの思い通りのコロコロイチコロですわ」
「……は?」
 一体どこの言葉だ、とヴィンセントは猫を抱いたまま踵を返す。
 口を縫い付けるだのなんだの散々脅したものの、どうやらケット・シーはヴィンセントを励まそうとしているらしい。にこぉっと人懐っこい笑みは元になったあの黒猫と似ているかと言われれば微妙だが、確かにこうしてよく腕の中に抱いたものだった。
「……ボク、ボクのモデルのこと知りませんのや」
 噂とか七不思議とか都市伝説くらいにしか知られていない、神羅製作所都市開発部門で愛されし黒猫の話。
 するとヴィンセントは「だろうな」と言いつつも、
「ふてぶてしい。人間をランク分けするのが得意な猫だった」
 と教えてやる。
 どの時間帯どこの誰にゴロニャァと喉を鳴らしてスリスリすればどんなおやつが出てくるか。全て把握しているような猫だったと。
「うわ、偉い高飛車な猫じゃないですか」
「間違いなく一級の雌猫だ」
「女の子だったんです?」
「知らん。あだ名がそうだっただけだ」
 あ、なんや。ケット・シーは笑った。
「なんやそういう話聞くと安心しますわ。ヴィンセントはんもしょーもないこと言うんや、って」
「……どういう意味だ」
「辛気臭い話ばっかしてはれへんで、もちょっとそういう風などうしようもない話もしてくださいってことです」
 ここで昔誰かが死んだ、かつてここでは戦いがあった、そういった部類の話は歴史を知り現状を把握するためにも重要ではあるが、常日頃からそんな話しかしないのも味気ない。
「お前は私の立場を分かって言っているのか」
 ヴィンセントというクラウド御一行の一人は謎に満ちていて『過去』に関することには秘密が多い。神羅に属していた頃のことを封じれば、自ずと口を開ける事柄は限られてくる。
「それは分かってますけど……」
「シドのようになれと?」
「いや、それは勘弁ですわ」
「ではバレットのように?」
「それも御免ですわ」
「……ならこれくらいで丁度よかろう」
 バレットみたいに変なところでカチコチで凝り固まった理想論を振りかざすのではなく、シドのようにガサツでおおらかで自由でちょっと離れた外野から茶々を入れるのでもなく、どちらかというと猫をかぶった猫のぬいぐるみたるケット・シーと同じ側。どこまでが虚構でどこからが真実なのか分からない言葉を唄い、それでいて決定権は相手に投げつけたまま。
 そういう『立ち位置』が最も性に合っている、と。
「確かにキャラ被りはないほうがえぇですけど……」
「その方がバリエーション豊かだろう」
「それですよそれ。そういうのをもうちょっと前面押し出しません?」
「断る。……ところで、随分とのんびり滞在したようだが」
「はい」
「ブロンコに放置してきたアレのことはいいのか?」
 ゴールドソーサーの借り物、ケット・シーの本来の乗り物、マテリアによって擬似的に生命を与えられたぬいぐるみからさらに生命を与えられたつくりもの。
 アレ、と言われケット・シーは一瞬だけ考え込んだが、あぁなるほどと猫耳をぴこぴこと動かした。
「デブモーグリ、実はツォンに見張り頼んでるんですわ」
 出た、忌々しい名前。
 本当すぐ嫌な顔するんですなぁ、とケット・シーは笑った。
「当たり前だろう……だが回収されないのか? ブロンコはもともと神羅のものだろう」
「今はまだボクと神羅が繋がってるの、隠しときたいトコですから。クラウドさんがブロンコ戻る前に綺麗に撤収してくれてますよ」
 レノたちとは別行動をとっていた主任はどうやら『重要任務』に就いていたらしい。ケット・シーの向こう側には都市開発部門の統括が居座っているというレノの話はやはり間違いないようである。だが、そんなこと今は重要な情報ではない。
「手際のいいことだ」
 と、ただただ感想を述べるだけ。
「プロですからね。ヴィンセントさんにとっては後輩でしょ? いかがです? 今のタークスもなかなかですよ」
 坂道を降りていけば、おーい! と大きく手を振るユフィの姿。どうやらあれだけの騒動を起こしておきながら彼女はこれからも旅に同行するようだ。また騒がしい道中になる。
「まだ尻に卵の殻をつけたヒヨコだろうが」
「それ、本人たちに今度言ってやってくださいよ。怒り狂いますで」
「……機会があればな」
 こう見えて罵倒のパターンはもういくつか考えてある。
 なんていうヴィンセントの小さな小さな独り言をケット・シーは決して聞き漏らさず、悪ィ遅れた! とだらしなくズボンを上げながらやってきたシドに罵声を浴びせるユフィの隣で涼しい顔をした確信犯の顔に浮かんだ意地悪げな笑みも見逃さなかった。
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