おねえさんといっしょ


お:大きなものを大きな胸に秘めて(アラネアとノクティス)


 照りつける日差しは容赦無く肌を焼いた。
 湖面から照り返すあまりにも強烈すぎる日光は釣りに熱中していたノクトの顔面を真っ赤に焼いてしまったものだから、思わずアラネアは我慢できずに腹を抱えて大声で笑ってしまった。『あの』ルシスの王位を継いだ子供がこんなにも間抜けだなんて!
 そんなことを言うと年若き新王は眦をつり上げた。
「んなこと言ってっと飯抜きにすんぞ」
「食事当番はイグニスでしょう?ま、別になくたってあたしは携行食糧ちゃんとあるからご自由に、なんてね」
「携行食糧って…帝国軍のか?」
「当然。興味アル?」
「レーションってすげぇ不味いじゃん」
「不味い…そりゃあ美味しくはないけど」
 ルシス王国が有していた精鋭部隊『王の剣』のメンバーも遠征となれば相応の携行食糧を持って出立するが、一度食べさせてもらったことのあるその味をノクトは思い出して顔をしかめた。「仕方ないでしょ、カロリーちゃんと取らなきゃ動けないんだから。食べないで済むことに感謝しな」とアラネアは戦闘慣れしていない王子に優しく言ってやった。
「そんなん食わなくてもオレはイグニスの飯が食えっからいーんだよ」
「はいはい。今日はご飯だけじゃなくてそのイケてる顔も見てもらいなよ。真っ赤に日焼けしちゃってトンデモナイ事になってるからさ」
「そんなにやばいか?さっきからなんかすっげぇ痒いんだよな」
「触ると痛いよ、ほら 魚持ってあげるから走る!」
 年上の軍人とはいえ女に荷物を持たれてはたまったものではない。いいよ、と彼は言おうとしたが時すでに遅し。アラネアはノクトの返事を聞くよりも先に魚が何匹か入ったバケツを軽々と持ち上げて足場の悪い川辺をさっさと歩いて行ってしまう。
 戦闘用のブーツを纏う彼女の歩幅は広く、運動靴のノクトは釣竿を抱えて追いつくのに精一杯だ。
「おい、待てよッ」
「ほらほら、得意の瞬間移動したらどうだい?」
「お前は絶対ジャンプするなよ!魚が落ちる!」
 重力を操る力を持つ彼女はとんでもない高さまで飛び上がる。人ならざる技は帝国の技術力によって得られたものだとは言うが、それに耐えうる身体はアラネア自身が生来に持つものだ。岩場から岩場へと潮溜まりを避けて飛び跳ね、泥をズボンの裾にびっしょりつけながら追いかけるノクトなどには目もくれず野営地へと向かっていく。
 ネブラサーモンにフォルティスネブラサーモン。それから縞模様のバラマンディ。魚という食べ物自体に疎いアラネアにはどれが貴重なものかは全く分かりかねたが、それなりに王子はご機嫌だ。どれも食用だということだけはなんとなく分かる。
「アタシのバランス感覚を信じな……王子!」
 と その刹那。
 伏せろ、伏せて!伏せなさい!
 女騎士の鋭い言葉が槍のようにノクトへと投げつけられた。
 どんな言葉だったかは分からない、が。咄嗟に前方を歩いていた竜騎士が魚の入ったバケツを投げ出し、とんでもない例の跳躍力で照りつける青空の中を飛んだのだ!
 一体なにがあったんだとノクトが声を出すよりも先に彼女は急降下して彼に体当たりするように着地すると、そのまま横倒しにして狭い岩と岩の合間に押し込める。ザリザリとベストが岩肌に擦られ破れる音、飛んでいく帽子、それでもぐいぐい押し込んでくるアラネアにノクトは抵抗した。
「突然なんだよッ… 、」
「顔上げちゃダメ」
 天空に燦々と陽光を降らせる日輪が不意に陰る。
 あまりにも無骨なエンジン音と生ぬるい排気風。そして海面の波を叩いて溢れる潮の臭いと波紋。そこでようやくノクトは理解した。彼女は帝国軍の接近に気付き咄嗟に身を隠してくれたということにだ。
「……こんなところまで来るんだな」
 アラネアの身体越しに見えた機影にノクトはうんざりとした声を漏らした。彼女が機転を利かせてくれなければ今頃のうのうと釣竿を持っているところに奇襲を受けていてかもしれない。幸い戦艦からの死角に隠れることができたのか、そのまま不快な音は通り過ぎていく。海の向こうにも今の所は揚陸艦もない。
「悪いね王子。魚ぶっ飛ばしちゃった」
「いいって。釣竿もダメなっちまったかな」
 押し倒された際に盛大に投げ出した釣竿は少し離れた岩場にぐったりと横たわっている。多少ばかりお気に入りにしていたロッドだが、帝国軍に発見されて一戦交えることを考えればまだまだ安い犠牲だ。耳障りな音と共に機影がやがて二人の耳元から離れていくと、ようやくそこでアラネアは身を起こした。年上の女性の軽装でたっぷりとした豊満な乳房が薄い布一枚越しにノクトの顔面に押し付けられていたようで、アラネアの身体が離れて数秒してから歳若き選ばれし王は日焼けとは別に耳の端まで赤面した。
「あら」
「おまッ」
「王子には刺激的だったかしら」
「ガキ扱いすんな!」
「…してたら あの時殺してたよ。はい、立った立った!」
「……アラネア?」
 突然出てきた物騒な言葉にノクトは眉を潜め、眼前に伸ばされた手を借りて立ち上がると彼女の冷たい瞳をまっすぐに見つめた。
「独り言。魚集めて戻るよ?もうすぐ陽も暮れる。帝国兵の次はシガイと追いかけっこだなんてゴメンだよ」
「物騒な独り言じゃねぇか」
「そう?あたしはただ、覚悟もなんもないガキだったら殺して楽にしてやってたって言っただけよ」
 公には死亡したとされるルシスの王子が生きていたことに対してアラネアはなんら疑問は感じなかった。ニフルハイムというここ数年は顕著に嘘と欺瞞に塗れた『雇い主』のことを考えればそれは妥当で、どうせ(こちらは本当に)死亡したレギスとて人の子で人の親だ。秘密裏に王子を生きたまま国外へ逃していたとしてもおかしくはない。
 だから身の丈に有り余る親の愛情によって生き延びただけの王子ならば、いっそのこと。
「じゃあどうしてオレを殺さなかったんだ」
 ヴォラレ基地で初めて顔を合わせた時、彼女にはノクトを殺すチャンスがあった。ノクトだけではない。護衛であるグラディオやイグニスといった年若いルシスの兵を皆殺しにした上で若き希望の芽を摘み取ることも可能だったのだ。それをアラネアはしなかった。定時だの契約外だの言っていたが、今になって彼女は「殺さなくてよかったよ」なんてことをさらりと言った。
「あたしの品定めに合格したから」
「ハァ?」
「なーんにも知らないみたいだけど、だからといってただレギス王の気まぐれで外に出されたみたいじゃなかったしね」
「!」
「ルシスの王様として認めてあげたってコトよ」
 嬉しくないの?彼女は目を丸くして純粋に驚いた顔をしたが、ノクトはそんな知られざる竜騎士の表情に目を丸くした。
 あちらこちらへ叩きつけられた哀れな魚たちを回収してアラネアは再び歩き出す。「あたしは『どっち側』でもないけど」と前置きする。
「帝国側でもないのかよ」
「そりゃ仕事はしてるけどね。あたし達はいつだって気楽な傭兵さ。自分たちの判断で自分たちの行動は決める。気がついたら帝国に腰下ろして准将だなんて地位にまでいっちゃったけど、いつだってそんなもの捨てられるからね」
 現に彼女は帝国の魔導兵に槍を向けている。
 本人にはニフルハイムへ反乱の旗を上げたつもりなどはなく、単にノクトたちの手助けをしただけだとはいうが。それは世間で言えば明白な背信行為である。
「だけどルシス側ってことでもないのか」
「当然。あたしらは…そうだね 『世界平和』の側かな」
「なんだそりゃ」
「言葉の通りさ。どっち側についている方がより…戦いたくない人たちが戦わなくて済むような 死にたくない人たちが死ななくていい世界になるかだよ。勿論無償の社会奉仕って訳にはいかないからお金はたっぷりもらうけれどね」
 重力に抗うことのできない人間の領域をはるかに超える跳躍力は帝国の技術によって支えられている。そういうのも含めてあたしは今帝国にいるけれど、と竜騎士は笑った。
「オレらの方についた方が平和かもしれないぜ?」
「どうかな。だとしてもそれは今じゃないね」
「…ふぅん?」
 こうして仲睦まじく釣りに興じているというのに。
 天空を舞い大地を穿つ槍ではなく汚れた魚の入ったバケツを持ち、女特有のなめらかな柔肌を軽量ながらも硬質な鎧ではなく薄い絹だけで覆いながらも彼女はそう言った。敵意はないがまるきり味方になったつもりはないよと。
「帝国にはまだ傭兵時代に世話になった奴もいるしね。ま、『反旗』っていうものを翻すにはまだまだ時期尚早ってことさ」
「やっぱり裏切るんじゃねぇかよ」
「当たり前でしょ?正規の手続きとって退役したら揚陸艦どころか、あの槍も装備も軍のものだって取り上げられちまうからね?」
 王都信仰の際に有能な将軍を失った帝国としてはこれ以上軍上層部の人間を失う訳にはいかないのであろう。ある意味人質だよ、と彼女は笑う。「やるからには皆タイミングあわせてトンズラよ。それが今じゃないってだけさ」と。
「ってことは要するに期待していいのかよ」
 ここから先もアンタの支援を。そういうノクトの甘ったれた考えにアラネアは大きな声をあげて笑い、バケツを振り回しながら岩場を飛び越え、そのまま一気にガードレールも飛び越える。泥だらけの帽子と綿のはみ出したベスト姿の青年はどんな角度から見たって一国の王様などには見えない。
 そんな彼が壊れたロッドを担いで道路までやってくるのをわざわざ待ってやってからやはり帝国随一の女騎士は笑いながら告げた。
「考えておいてやるよ。アンタたちがこれぞってピンチの時に現れてたっぷりと貸しを作っておいてあげるからね」
 聖石に選ばれたルシスの王からがっぽり謝礼金もらえるくらいに、なんて嫌味のひとかけらもなく言うものだから、喉まで出かかっていた文句を飲み込んでノクトはただただ笑い返すだけだった。
「その時はこのオレが直々に王都案内してうまい飯でも食わせてやるよ」
 ノクトは精一杯の感謝を照れで隠しながらぼそりと呟いた。



ね:願いを持つ必要すらなく(アラネアとイグニス)


「集まれ!」
 司令塔の男が声をあげれば返事なくとも皆が周囲に瞬間的に寄ってくる。最小限の魔力で体制を整えるためにイグニスが得た、誰にも真似できない技である。例にも漏れずアラネアもジャンプから着地したばかりだというのにイグニスの元へと引き寄せられていく。目に見えない力が──重力が彼の周囲に漂っているかの如く。
 跳躍直後の反動も全て打ち消してくれるほどに心地よい開放感が溢れ、そしてそれはあと何回でも跳べるような そんな気がするくらい。
「あたしは右、王子は左!」
「グラディオとプロンプトはそれぞれカバーに回れ!」
 イグニスが声をあげれば二人は弾かれたように再び飛んでいき、深夜の群青に浮かび上がる満月が光り輝く中でチェストライトを蛍のように散らせていく。魔導士のすがたをしたシガイを吹き飛ばし、不気味な死者の口から放たれる瘴気をグラディオが大剣で薙ぎ払う。
 帝国の竜騎士とルシスの王子が自由気ままに敵を穿ち、反撃の刃を側近二人が完全に防ぎきる。時刻は午前零時を過ぎた頃。普段ならばお互い寝室のベッドに寝転がってキングスナイトをしながら通話していたり、高校生の頃ならば付け焼き刃で翌日の試験勉強をしていたような時刻だ。イグニスにとっては翌日のスケジュール確認をしている時間、ではあるが。
「イグニス、そっち行ったよ!」
 ぶん回された大きな槍によって弾き飛ばされたシガイがイグニスの方へと美しい弧を描いて飛来する。アラネアのそれと違いイグニスの槍は敵を吹き飛ばせるほどに大きい獲物ではない。彼女の真似をしてジャンプしようものならあっという間に柄が折れてしまうだろう。
 もう一つの武器である短剣など問題外だ。あれで魔物を打ち返すこともできない。
「突然投げてよこさないでくれ!」
「炎出しな炎!頭使いなさい!」
「……貴女に言われる筋合いは…」
 ないッ!
 月光にキラリと眼鏡が煌めき、たっぷりとした月影を背に負った端正な顔をした男が両手に炎を宿して背面を大地に向けて跳び上がる。リーチの短い剣の切っ先からはノクトやグラディオの持つそれらと同じ長さになるまで仮初(かりそめ)の炎によって刃がかたちづくられ、真正面から飛んできたシガイの巨体を派手に吹き飛ばした。
 魔力によって発生した刃は触れるもの全てを爆炎で包み込む。王の力によって生み出されたそれらはあっというまにシガイを超高熱の魔炎で燃やし尽くし、骨格の全てを滅ぼす勢いで焦がしていく。
「…やるじゃない」
「当然だ」
「可愛げがないのが難点かしら」
「俺に可愛げを求めないでほしいのだが」
 アラネアから見れば彼も年下ではあるが、それでも齢二十を超えた男性だ。イグニスは眼鏡をくいと押し上げ、不気味に姿を消して行くシガイを見送る。シュワシュワと光の粒子があたりに消えていく様は美しくもあった。そんな言葉に彼女はやはり笑うのみだ。
「そういうところが可愛げないのよ。…これで最後?」
「みたいだな。丁度丘を越えたあたりに標が見える。あそこで今日は野営にしよう」
 そろそろ睡眠過多気味なノクトには起きていられない時間になってくる。夜釣りに熱中していれば深夜であろうと元気は元気だが、シガイ退治では集中力も長く続かない。事実木立の向こう側で迷い込んだシガイではない魔獣も巻き込んで倒したノクトはすでに半分ほど目が閉じており、グラディオが「仕方ねぇなぁ」とぼやきながら背負っているのが見える。
 動き疲れたであろうし夜食でも作ってやろうかというイグニスの思いやりもおそらく無用だ。あれは標に辿り着く前にグラディオの背中で寝落ちするタイプだ。
「オレ、先行って様子見てくるよ。ついでに火の準備もしとく」
「生き残りはいないだろうが、気をつけろよ」
 プロンプトがカメラを片手に駆けていく。戦闘直後の興奮状態が残っているからこそ彼もまだ動き回れるが、彼もノクトと同じだ。標に着いた途端眠ってしまうに決まってる。
「大変だねぇ、保護者様っていうのは」
「保護者じゃない」
「どうだかね。二十四時間気を使ってたら疲れちまわないかい?」
「…そう思ったことは…ないな」
「……王子の側仕えはいつから?」
「物心がついた頃から」
「そりゃ、二十四時間体制のお守りも苦じゃなくなるね」
 初等教育を受けるよりも先にイグニスは叔父から側仕えとしての心得を叩き込まれてきた。まだたどたどしい言葉遣いしか知らぬ子供であろうとも叔父は厳しく彼を躾けた。「生まれた時から従者の運命ねぇ」とアラネアがとても皮肉っぽく言うものだから、イグニスはむっとした表情で「どういう意味だ」と問い返す。
「真意を図りかねるが」
 なんて言うもののその口調は重く厳しい。
「気に障ったなら謝るわよ。あたしは誰かに支えっぱなしの人生なんて御免だから、そういう人生なら耐えられないかもねってだけ」
「…貴女も帝国の将軍だろう」
「だってお金貰ってるからね。支払われた対価に労働力を提供するのは普通のことよ」
「生憎だが、俺はそんな損得勘定で動いている訳ではないぞ」
「見れば分かるよ。…あんたは主人に恵まれてよかったね、ってことだよ」
「!」
 あたしは傭兵だったし、と彼女は軽々と重たい槍を持ち上げ、少しだけ夜露に湿った草原を踏みしめていく。
「あんた達が学校で勉強してる頃には…毎日主人が変わる兵士をやってたから。勿論どんな人間が主人でも仲間が一緒にいてくれたから寂しくなかったけれど…いないのよ、『絶対的な存在』っていうのがね」
 それは王であったり、皇帝であったり…家族であったり。ノクトたちにとって死んだレギスのような。正規軍にとってのイドラのような。今でこそアラネアはニフルハイム帝国に使える兵士の身分を持っているが、それすらも一時的なものでしかない。
 誰が為に戦うか、と問われれば『己の為』と答える。それが彼女のこれまでの生き方でもあり、これからの生き方でもある。
「俺が生まれながらの従者なら 貴女は生まれながらの兵士…か」
「よしとくれ、そんな大層でもないわよ。あたしは好きでこの道を選んだの、それが幸せだったかどうかは分からないけれど…最初から決まってたあんたたちとは違うわよ」
「俺たちも強制されてはいないぞ」
 好きで選んだかどうかは別として、『そうではない』生き方もきっとこれまでの人生には存在していた。それを選びとらなかったのは間違いなくイグニス自身の意志だ。「誰の選択であろうと側から見れば自由ではないと見えることもある」なんて彼は大人びた言葉を吐く。
「素敵なお言葉有難いけどね、強制されていたかどうかは死んでから分かるものさ。最期の瞬間になってから…満足して死ねればそれで勝ち。心残りがあれば負け。簡単よ」
「実に単純明快だ」
「その方がいいでしょ」
 堅苦しく難しいことよりも柔軟に簡単なことを。誰にだって分かる──今際の時になったってすぐに分かること。
「とても貴女らしい。だが…俺は、俺たちは迷ってなんかいないさ。例えどんなに悪い未来が待っていようともノクトを守るのが俺の使命だ。それには良い悪いもない」
「堅苦しいねぇ、って思ったけど。それはそれで簡単だからいいのかもしれないね」
 揺らぐことがないと初めから分かっているならば悩む必要などないのだから。ザクザクと徐々に近づいてくる標の光を目指して、それからは無言で二人歯並び歩いて行った。



え:描き尽くされた未来地図(アラネアとプロンプト)


 魔導兵を両断する姿は何よりも美しい。整った顔立ちと銀色の美しい髪の毛を覆い隠す無骨な兜を脱ぎ捨てた時が、戦闘終了の合図。顔面を守るために作られた格子のようなそれから解放された美しく白みを帯びた銀髪がふわりと舞い、きりりと整った肌を汗粒が落ちていく。
「…なに見てんの?」
「えっ あ、 いや…アラネアって、美人だなって」
「はぁ?」
 変な意味じゃなくて!とプロンプトは慌てて銃をベルトにしまって彼女に駆け寄った。
「オレたち空なんて飛べないからさ。いつの間にかいなくなったと思ったら…すごい勢いで降ってくるじゃん。最初基地で戦った時は暗かったからわかんなかったけど、すげぇ綺麗」
「……そんな真正面から褒められてもねぇ。何も出ないよ?」
「だから変な意味じゃないって。ね、アラネアはいつから兵士やってんの?」
「そりゃあ…グラディオの妹くらいの頃にはぶんぶん槍回してたわよ」
「嘘ッ そんな前から?オレその頃なんてダイエットに必死だったかな」
「はぁ?インソムニアっていうのは本当平和だったんだねぇ」
 第二魔法障壁という堅牢な砦に守られた生活をアラネアは知らない。彼女とて雪深いインソムニアの帝都グラレアで生まれ育ち、それなりに不自由のない生活を送ってきた。望むものはそれなりに手に入ったし、将来の道もあのまま貴族の娘として生きていれば社交界の中にひらけていたのやもしれない。
 それを捨てたのは他ならぬ彼女自身ではあるが。
「むしろオレはこっちの方がびっくりだよ。魔物なんて…ゲームの中でしか会わなかったし」
「ゲームねぇ。あたしはインソムニアの暮らしがおとぎ話みたいだと思うよ」
 シガイは当然、獰猛な野獣もいない。学生の身分では徴兵されることはなく、十五になるまでは教育が保障されている。その後も希望すれば──多くの人々がそうであるらしいが──十八まで学校に通い、更に高等な学校機関で勉学を続けることまで多くの国民に可能性として与えられているというのだ。
 ニフルハイムのように面倒な貴族階級もそこまで台頭しておらず、国王レギスを中心とした議会制が取られているとまでいうのだから驚きだ。
「…何も不自由なんてなかったけどさ、外の世界も悪くないよ」
「それこそ不自由な生活したことない奴のセリフだね」
 魔物の死骸からアラネアは大ぶりの槍を引き抜いた。
「……不自由はないけど…自由でも なかったよ」
「意味ありげなこと言うじゃないの」
「まぁね。都会暮らしは都会暮らしに不自由だからさ」
「そ」
 そう言って彼女はしゃがみ込んだ。
 仕留めた狼型の魔物は捌いて持ち帰るのだと言う。干し肉にしてビッグスとウェッジへの土産にしたいと言う彼女のために、少し離れたキャンプ地ではイグニスが燻製にする準備に勤しんでいるらしい。面倒臭いだなんて口先では言っているが、なんだかんだと作るのが楽しみな様子でものを揃えていたのをプロンプトは覚えている。
 腰のベルトから長いナイフを取り出し、躊躇なく腹を割いていく。
「こういうのも得意なの?」
「そりゃあ、傭兵の頃からね。白い大きなゴリラみたいなのしかいない雪山に飛ばされたり…ナメクジだらけのジャングルに飛ばされたりしてたら慣れるわよ」
「そんなところまで」
「支払いがいいからね。正規軍に入ってからはほとんど無くなったけれど…」
 傷みやすい内臓を取り出して、指先を真っ赤に染めながら次から次へと塊肉へと変えていく。
 プロンプトは「生肉なんて店でパック詰のしか買ったことなかったなぁ」なんて言うものだからアラネアは更に笑う。
「あ、でもノクトは寿司屋でバイトしてたからこういうの平気かも」
「あの王子様が?働いてたのかい?」
「なるべく普通の子と同じように育てたかったんだって、陛下。だから高校の時とか…いつも帰りにゲーセン寄り道したり、バイト先でも特別扱いとかなかったらしいよ」
 寝坊して遅刻すれば同じように怒られ、愛想が悪いと文句を言われ。
 本人曰く笑顔で接客していただなんて言うが『あの顔』を笑顔だと言うのならば人類皆二十四時間三六五日笑顔だ。
「特別扱いねぇ。そういうところはウチよりマシかもね。…そもそも寿司屋っていうのがあたしは分からないけど」
「インソムニアはそういうのあったの?」
「陰湿な方向でね。レイヴスなんて嫌がらせが酷いらしいわよ。ほら、あいつはテネブラエの領主の息子な訳でしょ?妹は神凪だし…その婚約者は帝国の策略とはいえノクティス王子な訳だし、帝国じゃ相当立場悪いから」
「……あの人が、かぁ」
 そうは言われてもプロンプトはピンと来ず首を傾げ、アラネアの隣に腰掛けた。写真に収めたくなるような豪快な手さばきだが、現物として返り血を浴びながら狼を捌く彼女の写真を残すのには気が引けた。
「会ったことないの?王子たちは知ってるみたいだったけど」
「オレはないし、話も聞いたことほとんどなかったから。ノクトから聞いたことあるのはルナフレーナ様の話ばっかり……たまに、もしかしたら聞いたかもしれないけど」
 ただでさえノクトはそこまで口数の多くなかった少年だ。それが更に幼少期を共に過ごした想い人の話題となれば口は減る。
 家に遊びに行った際に手帳を少しだけ見せてもらったり──イグニスがいれば、彼に話を少し聞いたりする程度で。その中にルナフレーナ以外の登場人物はほとんどいなかった。一応きょうだいがいるらしいという話題はあったかもしれない、そんな具合で。
「あの王子がペラペラしゃべる性格には見えないしねぇ」
「でしょ」
 だからレイヴスという人間について尋ねられてもプロンプトには何一つとして分からなかった。裏切り者だとかそんな物騒な言葉をぶつけるイグニスたちの気持ちもいまいち把握できないし、アラネアの言うように『陰湿』な嫌がらせの的にされているだということもあまりしっくり来ない。
「女だからとか…貴族だったからとか。そういう輩は全員ぶちのめしてきたわよ」
「過激だね」
「戦士になるためには必要なことよ。ただ女ってだけで馬鹿にされるのにさ」
 どうせ力もないだとか、どうせ体力もないだとか。そんな下らないことを言う連中は全員街中の古びた倉庫裏に呼び出してコテンパンにしてやったわよ。言葉の真偽は不確かだが、アラネアならばやりかねない。彼は「強いね」と返す。
「すごく…尊敬する。いやマジで」
「そりゃ嬉しい言葉だね。アンタもせいぜい頑張りなよ、王子の親友なんだろう?」
「それは そうなんだけどさ。…オレ、イグニスとかグラディみたいな家の生まれじゃないんだよね」
「平民?」
「庶民っていうか…そんな感じ。少なくとも二人とは天と地ほど離れていて…なんで自分がここにいるのか不思議なくらい。ノクトは確かに友達なんだけどさ、オレがルシス王の護衛だって言われても…なんか」
 ポツリと小さな悩みを零した青年にアラネアは笑った。
「いいじゃないかい、言わせておけばさ。外に出ちまえば魔物にとっちゃ王子も護衛も同じメシなんだし。…あたしもビッグスもウェッジも敵から見たら『敵』で同じってみたいにね。屠る側からは一緒さ」
「……そうかなぁ」
「そうよ。気にしてるのはアンタだけさ。あたしから見たらそりゃ…王子は王子だけどさ、取り巻き三人の違いなんて分からないよ」
 誰がどんな家系で、誰がどんな背景を背負っていて、使命を持つか。
 分かることといえば三者三様にちょっと気難しい性格をした若者たちで、年に差はあれど平等であるということ。そして彼らが守るべきノクトのことを単なる亡国の王としてではなく、失い難き親友として扱っている。そんなところだ。
「もしかしてオレ、慰められてる?」
「もしかしなくともあたし、慰めてるケド」
「…優しいね アラネア」
 言葉の端々に『キツさ』はあるけれど。そう言ってプロンプトはそばかすの多い顔をくしゃりと歪め、ちらりと歯を見せる。学生時代、毎日する学校以外で交友関係を気づくことはほとんどできなかった。それこそノクトだけが唯一の友達であり、卒業後アルバイトをしている間もだ。店の主人や同僚とは話をするものの友人関係からは程遠かった。
 だからプロンプトにとってはノクトは様々な意味で『唯一』であったのだと。
「だから、せいぜいこの旅を楽しめばいいんじゃない?」
「楽しむ…」
「アンタが平民出身ってことは…あんたらにとっちゃ『こんな旅』かもしれないけれど、国民代表で王子を独り占めできるのよ?全庶民が羨ましがるわね。イドラ皇帝を独り占めしてると思ってもなぁんにも羨ましくないけど、ノクティス王子なら羨ましい限りさ」
「オレ、庶民代表?」
「そんな感じじゃない?王子の『結婚式』にも出席できる唯一の庶民じゃないか」
「……アラネア」
 きっと親友は、結婚できない。
 こんな時勢となってしまった以上、ルナフレーナとの婚礼はあってないようなものだ。公には二人とも死亡しており、ルシス王国も崩壊した今となっては結婚の約束など誰も気に留めない。亡国の王と女王が結婚の誓いを建てたところで、だ。
 そんなことは分かってるよと彼女は伏し目がちに言った。
「でもね、折角旅をするんだ。叶うことはないって言ったって…希望を持つことすらやめたら勿体無いだろ?」
「希望…かぁ」
「式はオルティシエだって言うじゃないか。あそこはいい水上都市さ、アコルドの街中にゴンドラが浮かんでいて…あちらこちらに釣り場があるんだ。美味い店もあるし、闘技場だってある。楽しい場所よ」
「行ったことあるの?」
「仕事でね。空を飛ぶクジラみたいなのもいるんだよ、確か」
「クジラが空飛ぶの?」
「本物じゃないよ。それに本当はクジラじゃなくて水神さ。クジラみたいに見えるからあたしらがそう呼んでるだけよ」
 それからアラネアは見たこともない目的地の話を少しばかりプロンプトにしてやった。ショッピング通りにはたくさんのショー・ウインドウ。仕事じゃなければ財布と荷物持ちに二人を従えて端から端まで買いたくなるほど洗練されたファッション・ブティックが並び、腹が減ればどこの店に入っても舌を大満足させてくれる。一番はマーゴだかブーガだかハーゴだかブーゲンハーゲンだかの店だけど、むちゃくちゃ高い。とにかく高い、我を忘れて宴会でもしようものなら給料吹っ飛ぶくらい。
「…なんだか 楽しみだね」
「でしょ?ほおら、こんな旅だって悪くない」
 その先に描かれた未来地図が真っ白だったとしても。
 可能な限りまで肉を削ぎ落とした狼の死体を魔物が餌にしやすいようにぶつ切りにしながら彼女は言う。「あたしはそこまでは一緒に行けないけれど、丁度いいからあたしの分まで楽しんできなさいよ」と。
 年上女性の身にあまるほど大きな気遣いにプロンプトは頬を赤らめながらも、
「そうするよ。いっぱい写真撮ってくる」
 と穏やかな声で返答した。



さ:されど王者を守るものたち(アラネアとグラディオラス)


 肉、肉、野菜 肉、野菜。それからやっぱり肉肉肉。
 目の前に突き出された皿にアラネアはひどく困惑した。乗っているのは肉ばかりだ。ちらりと横を見ればノクトが飾り程度にしか盛られていないはずの野菜すらもプロンプトに押し付けている姿が目に入る。
「よく食べるねぇ」
「アイツら食う量だけはハンパねぇからな」
 その分戦闘中は常に動き回っているから無駄にはならないんだと。四人の中で最も体格のいいグラディオがそんなことを言っても説得力はない。かく言う最年長者も肉だらけの皿とライスを抱えているからだ。
 ズーを仕留めたから今日は串焼き。火山の山頂で高らかに宣言したノクトの声によってこの『肉祭』は開催された。空気の薄い高山地帯の標にテントを張り、いくら食べても無くならないほどに大量の肉を返り血まみれになりながらイグニスがぶつ切りにし、次から次へと焼いていく。
「焼いたそばからなくなってる、ハハ」
「呑気なもんだろ」
「若いねぇ」
 先に取っておかないと食べられなくなるから、というイグニスの配慮にアラネアも最初は首を傾げていたが、なるほどこういうことだったのか。出来上がった肉をどちらが食べるかでノクトとプロンプトは揉めている。
「…こうして見てっと王都にいた頃からなんも変わってないように見えんだがな」
「国でもあんな感じ?」
「大体な。高校卒業するまでは結構不安定だったが、最近はおとなしいもんだぜ」
「ルシスは十八までだったっけ、学校」
「おう」
 その年頃といえば。
 アラネアは回想しようと鳥串を一度皿に戻した。
 今となっては有能な部下であり家族であり肩を並べる戦友であるビッグスとウェッジに出会った頃だ。もう十年以上の付き合いになる彼らは傭兵業にいそしんでいた頃から彼女に付き従い、時には身の回りの世話までしてくれる優秀な仲間。家族と表現する方が近い。
「今頃どうしてるかねぇ、アイツら」
「アイツら?」
「ビッグスとウェッジ。ちょっと出かけて来るって言ったきりだからさ」
「……そりゃ、『お嬢』のことを心配してるんじゃないのか?」
「もうそんな歳じゃないよ」
「あの二人にとっちゃそうなんだろ。十年してもアンタは『お嬢』だろうよ」
「お前たちにとってあの王子がいつまでも『王子』なのと一緒でかい?」
「ははは、違いねぇ」
 王子ではない、もう 王だ。
 偉大なるルシス王に与えられた役割はあまりに大きく、時折あのノクトという子供の肩には重すぎるのではないかと悩む時もある。王のために生き、王のために剣となり盾となり死んでいくことをアミシティア家に生まれ落ちた瞬間から運命付けられてきたグラディオが持つそれは、アラネアを少女のように扱う二人の側近とは多少ばかり異なる。
 だが同じなのだろう。
 世界から見たグラディオとビッグス、ウェッジに与えられた使命が天と地ほどにかけ離れていたとしても当人にとっては何も違いやしない。
「あたしはずっと守られているほど弱くはないんだけどね」
「強いか弱いかの判断じゃないぜ」
「そういうもんなのかい?」
「少なくとも『ウチ』はな」
 ギャアギャアと年相応に同じ年齢のかけがえのない友人と戯れるノクトに視線をやった。取り合いばかりでどうにもならないから、と追加でイグニスが肉を焼いてやっているのが視界に入る。「ノクトを守るのは…アイツが弱いからじゃねぇ。先王陛下くらい強くともウチの妹くらい弱くとも俺らの使命は変わらねぇよ」と。
「あら。あたしはそんなご立派じゃないわよ?アンタのところの王子は弱くたって果たさなきゃいけない使命があるんだろう。…アタシが小娘ほどに弱かったとしたら 戦ってなんかないよ」
 世界を救うことそれ自体が生きている理由に直結するような英雄じゃない。アラネアは串に刺さっていた肉の塊を器用に唇を汚さず噛り付いて咀嚼する。
「ごもっともだぜ。『そう』でもなきゃそもそもあんな性格には育たねぇ」
「へぇ?」
「ノクトの父上は…分かってたはずだ」
 神話の終焉を。聖石に選ばれし王の意味を。
 だからノクトには政治を学ばせることを強要はせず、それでも多少は国内事情や国際事情について詳しく勉強するようには言ってあったが──少なくとも次代の王としてルシスを治めるための教育は受けてこなかった。市井の一員として小学校に通い、中学校に通い、プロンプトら学友は数少なかったが、気がしれる友人たちと同じ高校に通わせた。
 それがどのような意味かが分からないグラディオでもない。
「世界に朝を与える王、ね。そりゃ確かにどんだけ強くなってもお守りは必要そうだ」
「だろ?それに護衛っていうのは身を守るだけが使命じゃないもんでな」
「……ルシスらしい甘ったれた使命だよ」
「だが、今のノクトには必要だ」
 傭兵という己の身一つで今の地位を奪い取ってきたアラネアにとって『それ』は不必要なものだ。あれば有難いが、それよりももっと欲しいものはある。
 少女のように扱ってくれる年上と年下の側近らは軍属となってからこそ上司と部下という関係に収まっているものの、それまでは対等な関係だった。戦場を駆け抜ければお互いを守り合い、同じ釜で炊いた飯を食らうような。
「王様としての資質はあるかもしれないけど、まだまだ青いわね」
「経験が足りねぇなぁ」
「…アンタが言う?」
「痛いこと言うなよな」
 四人の中では年長者であるものの、世間で見ればグラディオもまだまだ若者だ。アラネアから見ても、彼とノクトとではあまり大きな差がないようにすら見える。王都インソムニアへの襲撃事件についての仔細はアラネアもあまり知らないが、少なくとも彼ら四人がルシスに残された『最後の希望』とやらであることは分かる。
 だからグラディオは『年長者』であらねばならないのだ。
「気苦労が絶えないね」
「イグニスに比べりゃマシだろ」
 ノクトは肉ばかり食べるな、野菜を食べろ。プロンプトを見習って野菜を食べた上で肉を食べろ。米ばかり食べるな、プロンプトは米も食べろ。偏食な二人の合間に立ってひたすら肉を片っ端から焼き続けるイグニスは、時折「オレ内臓系無理〜」だとか、「そろそろ塩味飽きたわ」なんていうあまりに勝手な要望を口先では却下しながらも丁寧に応えていく。
 あれは生来の性格だ。細かいところまでの気配りや、相手の心情を慮ることはあまり得意ではないグラディオにとってそれはなかなか強大な壁であった。
「いつかアンタも爆発するかもね。長男っていうのは大抵そうだよ」
「アンタ長男か?」
「ばか、あたしには立派な胸があるだろ?」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ、あぁもう」
 見事年上の女性に遊ばれているグラディオは皿を膝の上において髪の毛を掻きむしった。食事中にやめなよ、と隣の彼女は涼しい顔。
「言葉の綾さ。時折発散しないと、一番大事な時にしっかりできないだろう?」
「……発散、ねぇ」
「たまには一人で行動してみるのもいいかもしれないじゃないか。聞いたよ、レイヴスにぼろ負けだって」
「な…!」
 これまたまたまた痛いところを言う。誰から聞いた!と叫んだグラディオに彼女は「本人からに決まってるじゃない」とさらりと答えた。
「あんなんじゃまだ王を守れやしないってね。一度自分を見つめ直すのも手さ」
「…」
「いいよ、あたしら帝国側の意見なんて適当に肉と一緒に食って胃で消化しちまいな。外野の感想だからね」
 それにはグラディオは答えなかったが、膝頭に落としていた視線をあげてそんな様子にも気づかずようやく落ち着きつつある戦場の方へ目をやった。
 折角焼いてくれた肉をもう食べられないだのお腹いっぱいだのと言う。困り果てたイグニスに向かって、しかし二人は「お前まだ食ってないじゃん」と芯まで火の通ったおいしそうな串を目の前に差し出してやっていた。お優しい弟様だこと、と冷やかしたアラネアにグラディオは頷いた。
 そして、
「十年後でも二十年後でも 俺たちは同じことをしてるだろうよ」
 と穏やかな声で告げた。
 何年経っても、世界がどうなろうとも。この先の道がどうなっているかは誰にも計り知れないが、標でキャンプをすればあぁやってイグニスに食事をねだり、迷惑をかけながらもちゃんと気を使う。同い年で同級生の二人組がきゃいきゃいと騒ぎながら残った野菜もイグニスに押し付けているのを見てグラディオは「間違いないぜ」と己の言葉を後押しするように言う。
「オジサンになっても?」
 三十になっても、四十になっても?
 その言葉にガッハッハと笑いながら彼は頷いた。
「馬鹿、十年経ってもノクトはまだ三十だ。アンタと同じだぜ、アラネア准将」
「女に年齢の話をするんじゃないよ。それに…その頃はきっと あたしは准将じゃない」
「辞めるのか?」
 軍を。
 そう尋ねると彼女は首をひねって曖昧に「うんにゃ」と零した。
「何事にも潮時があるでしょ。帝国が覇権を握った先の世界にも…王子が帝国を滅ぼした先にも、どちらにせよあたしらの居場所はニフルハイムにはなさそうだしね」
 もとより根無し草の傭兵業に従事してきたのだ。特定の誰かに仕えることなく、忠誠を誓う相手は強いて言えば自分自身。「何年先になるかは分からなかったけれど…この様子じゃ、鞍替えは近いうちさ」と彼女は告げた。
「主人を変えちまうのか」
「ルシスと違って帝国は身分に縛られてないからねぇ。貴族じゃなきゃ王の護衛になれないとか、移民だと使い捨ての兵士にされるとかはないからね」
「嫌な言い方だな」
「事実よ。…その代わりあたしみたいな忠誠心のカケラもない守銭奴とか…その手で殺した先代神凪の息子みたいなのが将軍やってるんだ。良くも悪くも腕のあるやつはのし上がれるけれど…」
「忠誠心がないんならアッサリと裏切られるってことか」
「前の将軍もルシスの裏切り者だったなんて噂もあったくらいだしね」
「そんでもって傭兵あがりのアンタも離脱か」
「まだ予定だけどね。魔導兵たちの統率も取れてないみたいだし、見限るなら早いに越したことがないから」
 繰り広げられていた幼稚な争いはようやく終わったようだ。
 三人共仲睦まじく並んで大量に焼いてしまった肉を無心になって食べている。歳も近い彼らのこどをアラネアは『全員子供』と評価したが、彼女はどこか寂しそうに──彼方の空に浮かんでいるだろう相棒たちのことを思い浮かべながら、「あたしも生まれが違えば、王を守っていたかもしれないね」とほんの少しだけ羨ましそうな声を絞り出していた。



ん:ん、それじゃあね(アラネアと四人)


「あーほら、動くな動くな!坊主するよ?」
「うるせぇ、髪くらいイグニスに切ってもらう!」
「このアラネア様なんかよりも目の見えないグラサンの方がマシだって?剃り込みの方がいいかい?ルシスの国章入れてあげようかい?」
 天からの光は、ない。
 最早ひとびとが最後に寄り添い合う砦となったハンマーヘッドの駐車場に引き摺り出されたダイナーの椅子に腰掛け、ノクトは体を押さえつけられながらもなお暴れた。ガーディナからルシス方面へ向かう車内でタルコットから話だけは聞いていたが、このアラネアという竜騎士は何一つ十年前から変わってはいない。
 歳は重ねた。それは彼女自身も認めるところではあったが、磊落(らいらく)な物言いや姿を消していたはずのノクトが再びこの世界にふらり現れたことに対してあまり驚いていない様子は以前から変わっていない。
「そもそも別に髪の毛なんて切る必要もないだろ」
「あるよ。せっかく帰って来た王様がそんな身なりじゃ、皆がっかりだ」
「別に誰かに…これから 逢う訳じゃねぇし、結べばいいし」
「誰にも会わないからって、それじゃいい顔が台無しなの。それともそんなにアタシに切られるのが嫌なのかい」
「…別に嫌じゃねぇよ。不安なだけだ」
 物心ついた時から髪の毛を切るのはイグニスの役目だった。
 王子であるノクトに刃を向ける仕事は永年側仕えであることが決まっていた彼だけに与えられた特権。高校生にもなる頃は慣れた手つきで注文通りの髪型にしてやり、こまめに短くしてもらっていたのだ。なのでノクトは美容院という建造物に入った経験がなければ、イグニス以外の者に髪の毛を切らせたこともない。触られたこともないくらいだ。
「……じゃ、アタシが王子の『ハジメテ』かい」
「変な言い方すんなよ」
「事実でしょ。ほうら、目閉じなって。前髪入るよ」
「切るなよー」
「切りますぅ」
 なんて、三十歳になった男が言うには幼稚な言葉にアラネアは思わず『昔』に戻ったような声音で答えてやった。硬い鎧に身を包んでいても身体は傷だらけ、長く伸ばした髪の毛も傷み、つい数日前までシガイ退治の遠征で負った左肩の火傷もまだチリチリ痛む。
 そんなアラネアではあったが、ルシス王の再来は彼女自身が思っていたよりもとてつもなく大きな光となってやってきた。
 天からの光は未だ失われたままだが、天は光を取り戻すため最後の夜を送り出したのだ。
「何をやっているんだ、二人とも」
 彼らの様子を側で聞いていたイグニスがまるで見ていたかのように呆れた声を出した。「大人になったようには聞こえないな」なんて言いながら、だけど、心の底から楽しそうに。
「いいなぁ、オレも混ぜてよ」
「だーめ、どうしても切ってほしけりゃ王様のあとね。あたし、最近チョコボの毛刈りうまくなったのよ」
「誰がチョコボだよ!」
 俺もいい加減大人扱いしてよね、とプロンプトは旧式のカメラを抱えて抗議した。
「そういやプロンプト、それ まだ使えるのか?」
 十年前から変わらないカメラの姿を視界に入れたノクトは尋ねる。世界の現状はあまり把握できていないが、タルコットや他の仲間たちから聞く限りはフィルムが簡単に手に入るような世界ではなくなったことは分かる。貴重なんだろ?と続けて言えば返ってきたのはシャッター音。
「この会社、本社がレスタルムだからね〜。昔シガイ退治した時からずっとタダでフィルム譲ってもらってるんだ。…夜が終われば 貴重な資料にもなるから」
「ずっと?すげぇな」
「つまりそれほど貨幣経済が崩壊するのも時間の問題になってきているということだ」
 プロンプトの言葉にイグニスが付け加えた。
 大量に発生したシガイたちは永遠に続く夜の中でめきめきと勢力を伸ばし、はじめに各地のレストストップを襲った。シガイを退けるための強力な光もものともせずそれらは数で人間たちに襲い掛かり、ありとあらゆるものを破壊し尽くした。そのため住処を奪われた人々は唯一の光、かつての悪しき流星メテオを求めてレスタルムへと集まったのだと。
「今はまだアコルドが保ってるけどね、ニフルハイム側は…絶望的だよ」
「……みてーだな」
 携帯電話はもう繋がらない。そもそもノクトのアドレス帳に入っていた人間のいったい何人がまだ生きているというのだ。王都での数少ない気の知れた友人たちのアドレスも入ったままだが、十年前の首都陥落の騒ぎだけでも何人かが巻き込まれていたはずだ。
 帰り道プロンプトとよく寄ったコンビニエンス・ストアも、ゲームショップも何もかも。きっとノクトがアルバイトしていた寿司屋ももぬけの殻だ。
「きっとインソムニア以外のルシス領もシガイの巣窟さ。折角王子とも仲良くなったんだし、約束通りルシスの方も案内してもらおうと思ってたんだけどなぁ」
「ノクトいいなぁ、デートじゃん。いつの間に取り付けたんだよ」
「ばっ ばっか!なんでそうなるんだよ!」
「照れるな照れるなぁ、三十なっても中身は昔のままだな」
 そういうお前は髪が伸びたな。「俺も女に切ってもらいたいもんだぜぇ」なんてグラディオが冗談を言うものだからプロンプトが背後から背中にくみつき、「シドニーには頼むなよ!」と可愛げのある牽制。
 アラネアの銀髪がさらりと肩に落ちた。
「王子サマ、髪型は如何いたしましょうか?」
 なんて彼女はわざとらしい言葉遣いでからかい、鎧で覆われた柔らかな胸をノクトの首筋に押し付ける。
「おい!お前!」
「ウルフラマイターみたいな顔色だねぇ」
 うるせぇ、お前のせいだ!なにがどうなっているか状況を説明しろ!王子がただまだ童貞ってだけさ。
 そんなこんなの繰り返し。
 せっかくだからお髭も剃ってあげる、と貴重な真水をバケツいっぱいに用意した彼女はどこからともなく髭剃りを取り出し、『いい具合』に切られた髪の毛に相応しいようにしてやるとアラネアは再び王子の首に手を回して暴れないように押さえつけた。
 殺す気か、やめろ!
 とはいえ声音はとても嬉しそうで。
 明けない夜を耐え続けた竜騎士の女は遂に朝が来るのだと喜んだ。

 そして、
「ん、それじゃあね」

 短くなった髪に整えられた髭、それから世界の祈りを込めた王の衣装。それらを身体に背負ったノクトとその一向らを アラネアはハンマーヘッドの看板下で見送った。さよなら、風変わりな『王子』様。最期に会えてよかったよとだけ言い残して。


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