最後の一歩


 セブンの目の前に広がっていたのは大きな文字で、赤く『補習』と書かれた生物の答案用紙。ちらりと少し前方を盗み見すれば、ケイトの紙にも同じ文字が踊っている。
「(私だけじゃなかったか…)」
 安堵する反面ため息も出る。一体全体、何がどうしてこうなったというやつだ。
 問題用紙と照らし合わせて間違いを見直そうとしても、まず問題の意味が分からない。おしべ?めしべ?受粉?花粉?知ったこっちゃ無い。
「なぁ、たいちょ…う、」
 声が出ない。  音が漏れないのだ。沈黙状態にかかった時のように苦しい訳でもなく、声を出している感覚はあるのだ。だが、それが音となってセブンの耳に入ってくることはない。
「あれ、なにが、どうし…て、」
「どうした」
 教壇の前でナインの頭を叩いたクラサメが顔を上げた。どうやら彼は0点らしい。答案用紙はものの見事に何も書かれていないように見える。そんなことよりセブンは今の状況が不可解すぎて、ナインがどれだけ悪い点数であるかなどはどうでもいい。クラサメの声は彼女が最初に発したそれと同じように音にならない。ナインの頭を叩いた音だって聞こえない。驚いて立ち上がった音すら、「いてっ」という音も聞こえていない。
 しかしクラサメは確かにセブンに反応し、ナインは痛い、と声を上げていた。
「なぁ…私の声、聞こえてるのか?」
「当たり前だろう?…具合でも悪いのか、珍しいな」
「いや…なら、いいんだ」
「それよりさ、なんなのこのテスト。教科書そのまんまじゃない!」
 セブンを遮って喚いたのはケイトだ。
 描かれた植物の図も穴埋め問題の文章も全て、折り目の無い新しい教科書と合致する。相変わらず声は音となることなく、頭に直接届いているような気分だったが意思の疎通ができるならそれで問題ない。
 だが違和感は声だけではない。
 目に映る物全てが白く、彩度の一切が消え果てている。
 ナインの濃い金髪も、デュースの深い茶髪も、黒板の緑も。全ての色を覚えているはずなのに、視界に並ぶのは全て白。手元に視線を戻し答案用紙を見れば赤い文字だと思っていたそれは黒い文字。いつから赤いと錯覚していたのだろう、とセブンは首を傾げた。
「仕方ないだろう、私もこんなことを教えるだなんて思ってもいなかった。残念ながら教える側の私も、諸君らと同じでゼロから知識を詰め込む必要がある」
「ったく、てめーも分かんねぇことテストに出すなよコラァ!」
「もう一発殴るぞ。教科書をそのまま出せば、少なくとも問題に間違いはなくなるだろう。さっきも言ったが暫くはテストと言っても教科書そのままだ」
「…その、教科書なんだけどよ。俺どっか無くしたぞコラァ」
「一月前に配布したばかりだろう」
「寮の年末大掃除で捨てちまったんだよ多分」
「隣に見せてもらえ」
「俺隣いねぇ」
「誰かの隣に座ればいいことだろう。そんなことまで私に言わせるな」
「あ、あぁ、そっか。そうだよな…」
 一度目を丸くしてから、顎に手を当てて頷いたナインを見てクラサメは酷く優しげに微笑んだ。
「手助けを受けることは悪い訳ではないと、常々言っていただろう。今日は見せてもらえ、部屋に戻ったらもう一度探せ。それでも見つからないなら、新しいものを用意しよう」
「…おう、分かった。えっとじゃあセブン、悪ィ今日だけ見してくれ」
「あぁ、構わない」
 そのままナインはどかどかと彼女の隣に着席する。その様子を見届け満足げな笑みを浮かべたままのクラサメは教壇へ上がり、白いチョークでテストの解答をしていく。不格好な花の断面図を描きながら、今回のテストで一番よくできたのはデュースだったと告げた。次いでが意外にもジャックで、いつも通りナインは全くもって駄目だったらしい。
 珍しい事もあるんだねぇ、とケイトが前の席で笑った。セブンと同じ補習を食らっているはずなのに、どこか嬉しそうだ。
「でもさ、隊長にも苦手なこととかあるんだよね〜。アタシびっくりだよ。てっきり何でもできるんだと思ってた」
「何事も学ばずに身に付く訳がないだろう。私も諸君らの歳の頃は実践では役に立たない机上の戦術ばかり学んでいたし、そうでなければ訓練ばかりだ。歳を重ねて頭が固くなった今から新しい事を学べと言う方が不可能だ」
「隊長、もしかして怒ってる?」
 顔色をうかがうような、しかしからかうような音。相変わらず視界に色は無く、声は聞こえないままだったがケイトが立ち上がって教壇まで走り寄る姿が見える。
 しかし決して怒っていた訳ではなく、クラサメは近寄ってくるケイトに気づき柱頭だけを描いてチョークを置く。そして白い粉のついた黒い手袋を外して壇から降りると、ケイトの頭に手を置きゆっくりと撫でた。途端に目をこれでもかという程丸く開き、口をぽかんと空けていたケイトであったが、数回瞬きをするうちにその表情はみるみる幸せそうなそれとなる。
 目を細め、にこにこと屈託の無い笑顔を向けるケイトにクラサメも釣られて更に笑顔になる。
「怒ってなどいない。むしろ嬉しいさ。ケイトは単語を覚えるが早いから、すぐに基礎が定着するだろう」
 机に置いたままのケイトの解答用紙にはチェックが並ぶ。しかし穴埋め問題の類いはほぼ完全であり、文章題を全て諦めたのが補習の原因らしい。
「それからナイン」
「んだ?」
 ふわりとケイトの頭から手を離す。
「分からなくても白紙で解答用紙を出すな。教科書の単語を覚えていなくとも、感覚的でいい、少しでいいから何か書いてみろ」
「……おう」
「セブンは読解力があるな。しっかり基礎を押さえられればすぐに知識が身に付く。デュース、満点は初めてだな。よくやった」
 いつもなら最後に余計な一言がつくはずの褒め言葉をストレートに投げかけられ、思わず女子二人は赤面する。その光景を見て不服そうな顔をしながらジャックは手を思い切り挙げた。
「隊長〜僕は褒めてくれないの〜?」
「褒めてほしいのか?」
 そう言ってやれば、ジャックは素直に大きく頷く。
「お前はいつも赤点ばかり。報告書を書かせても受理を拒否される。何度呼び出しても応じない。授業中の私語飲食、就寝時間を過ぎても寝ない。消灯時間を守った試しもなく遅刻常習犯」
「…はい」
 説教のオンパレードに思わずジャックはぶぅ、と口を尖らせる。
「歴史のテストに分からないからといって回答欄全部にアンドリアと書くのはやめろ。書くのならフルネームで、それが嫌ならカリヤ院長の名前を全てに書いていれば、点数をやれたかもしれないな。音楽の授業では寝ながら歌うな。体育だけ張り切るな。古典は…確かに教える私も眠い。だがだからといっていびきをかいて寝るな」
「隊長〜」
「……私はお前が前回テスト範囲を間違えたことは知っているつもりだ。クリスタリウムでずっと調べものをしていたろう?寝ながら歌っても旋律は取れていたし、体を動かすことが好きなのは悪いことではない。予習で力つきて古典の時間寝たことも知っている。努力家なのは結構だが、勉強を始めるをもう少しだけ早くからにすればきっとこんなテスト、次は満点が取れる」
 予想外の言葉にジャックは尖らせた口のまま硬直していたが、ケイトと同じようににんまりと満面の笑みを浮かべた。道化のような笑顔ではない。
 そして立ち上がると少し浮かれた足取りで教卓の前までやってくる。クラサメよりも身長の高い彼は、頭をぺこりと下げるような形で出す。ケイトのように頭を撫でろというらしい。仕方の無い奴め、とクラサメはその手をジャックのしっかりとセットされた頭に置き、どう考えても意図的にぐしゃぐしゃとかきまわすように撫でてやる。
「あぁああ〜!ひどい、ひどい隊長〜!僕の…僕の、髪の毛…」
「最大の欠点は浮かれやすいところだ。努力しても結果が出なければ意味がないぞ?」
「っていうかよぉコラ」
 席に座ったばかりのナインが再び立ち上がる。
「今更なんでこんなこと勉強してんだ。別にサボテンダーの花がどう咲いたって構わねぇじゃねぇかコラ」
「…確かにね〜。ウェンディゴが暑いとこでも寒いとこでもどっちにも生息してるとかって、とってもどうでもいいよね〜」
 覚えたばかりの知識をひけらかすような物言いのジャックはしかし、笑っている。
「任務でぶち当たるかもしんねぇモンスターのことを知るのはともかくよ、トンベリがどう包丁手に入れてるかなんてほんっとどうでもいいぞオイ」
「…それは重要だぞ。私にとっては」
「話逸らすなコラ!」
 ナインは喚いたが、クラサメは相も変わらず僅かな笑みを目元に浮かべたままだ。
 しかし、毒気の一切無いその笑みを見たナインは更に何か噛み付く事無く、ずかずかと段差を降りて行きケイトの隣に並ぶ。不機嫌に口をへの字にしていたのは僅か数瞬だけ。  それに釣られてセブンも立ち上がる。もちろん、色も音も無いというのに違和感を与えられる事が無いという違和感を抱えながらだ。
「どうした、お前たち」
「…なんとなぁく」
 教室で着席してるのはデュースだけであったが、彼女も立ち上がって段差を降りて行くともうこの部屋に座っている者は誰もいない。格好付けてる振りをして居眠りを決め込むキングも、授業と関係のない蘊蓄を垂れ流そうとするトレイも。
 圧倒的に人数が足りないという事態にようやく気がついたセブンは思わず見回してみたが、クイーンの席に積まれているのは彼女愛用の辞書と朱いマント。エイトの席にはグローブが置きっぱなしだ。
「みんな、どこへ行ったんだ?」
「そういえばそうですね。私たち以外の姿が見当たりません」
「…」
 クラサメの表情から笑みが消える。否、消えたのは喜びの笑みだ。口元は見えないままであったが眉尻が少しだけ下がり、どこか寂しげな表情となる。
「どうしたんですか、クラサメ隊長…?」
 そうデュースが言い終わり、立ち上がろうとした瞬間彼女は「あうっ」と悲鳴を上げた。
 途端に強烈な頭痛がセブンを襲う。それは同時にケイト達にも降り掛かったらしく、苦しげな声を上げながら皆が皆その場に座り込んでしまう。まるで鑿(のみ)と鎚を宛てがわれたような痛みは初めての感覚であり、顔色一つ変えないクラサメに「なにが、」と毒づいた。
「なに、これ…」
 それにクラサメが答えるよりも先に開いたのは墓地へと続く廊下への扉。
 カツンカツンと軽快な音と共に大きな胸を揺らしながら駆け込んできたのはエミナだ。その隣ではアリアが立っている。
「あぁ、ごめんクラサメくん。授業の途中だった?」
「いや…」
 頭を抑え蹲る生徒達が見えていないのか、エミナは困ったように告げた。
「イザナがね、チチリが暴れて仕方がないからエース君を連れて来て欲しい、って。それでアリアちゃんに教室まで案内してもらったんだけど…エース君、いない?」
「ここにはいない」
「あら。…ここに居ると思ったんだけどなぁ。ならいいや、ありがとう!」
 段々と鮮明になって行く視界。
 色の無い世界にはじんわりと赤が、青が、黄が差していく。クラサメの青みがかった髪も、慌ただしく去って行くエミナの黒いズボンも、その場に取り残されたアリアの紺色のベストも。記憶の通りに組み立てられて行く色が視界に入り込むにつれて頭痛は激しさを増して行く。
「……あの、」
 アリアはその小さな体を更にかがめ、五人を覗き込んだ。
「怖くなんて、なかったよ」
「何がだよ、コラァ…!」
 吠えるナインに口の端をにんまりと上げて彼女は微笑んだ。
「…じきに分かりやがいますよ。怖くたって、あんた様方はみんな一緒なんだ。一人じゃ寂しくて恐ろしいけど、一緒なら怖くなんてねぇって。なぁ?」
 彼女は座り込み、クラサメを見上げた。彼は僅かに、だがしっかりと頷くとアリアと同じようにその場に膝をついた。そしてデュースの頭を撫で、ナインの肩に励ますように手を置いた。
「デュース、今日は鴎歴何年、何月何日だ?」
「今日、は…鴎歴842年、12月7日。キングさんの、誕生日…です」
「オイコラ、年末の大掃除なんて…してねぇぞ。年なんて越えてねぇ」
 そう言うとクラサメは悲しそうな笑みのまま手を離した。
「…遠い偉人の物語、花は何故芽吹くのか。それらを知りたいと言ったのは、お前達だろう?」
 その口から漏れたのはどこかで聞いた言の葉の列。
「戦い以外の、知識…」
 デュースはそう呟くと、わっと顔を覆い嗚咽を漏らし始めた。その声はさっきまでのように頭に直接響く訳ではなく、はっきりと聞こえてくる。その泣き声は酷く大きく、彼女は今自分たちが死の際に置かれているという状況を理解してしまったかのように見えた。
 明滅する視界に現れてくるのは大破した教室。キングやエースのお気に入りだった席は破壊された壁に押しつぶされ、太陽の光が届かないはずの天井から降り注ぐのは眩しい朝陽。
「…そっか。夢…だな。こんな楽しいなんて、夢に決まってる…」
 あんな風に授業を受けたかったと。皆が皆得意科目と苦手科目を自慢し合って、クラサメすら分からない問題をシンクが自慢げに解いてみせたり。音を外しながら大きな声で歌うトレイを見てみたかった。体育になれば俄然張り切るエイトや、難しい数式をすらすらと解いていくナイン。
 全てが全て、たった数分間で思い描いていた未来だ。
 頭痛だけに留まらず、全身へと広がって行く痛みに眉根を寄せながらセブンは涙をこらえた。
「これからはずっと、長い夢を見られるさ。誰も死なない、誰も裏切らない、そんな素晴らしい夢だ。何も考えなくていい」
 彼女の方に向き直り、デュースへそうしたように優しくそのくすんだ銀髪を梳いてやる。
「ずっと…?」
「あぁ。ずっと、ずっとだ。……だが、その前にまだお前にはやることがあるはずだ」
「…」
 一筋、涙が溢れる。ジャックが痛みをこらえながらにこにこと笑った。
「そうだね〜。僕ら、まだお迎えされる訳にはいかないもんね」
「その通りだ。さぁ、夢を見るにはまだ少しばかり早い。やることをやってから、だ。行け。みんな待ってるだろう?」
 最後にクラサメはそう微笑み、引き裂かれるような痛みは更に現実味を増して行き、やがて視界は全て開けた。





「…よく、こんなものを…振り回していましたね、シンクは…」
 キングと二人掛かりで重たいメイスを引きずり上げているのはトレイだ。セブンは思わず意識を飛ばしてしまっていたらしい。その短時間の間に見たのが、あの夢だ。
 とっくにシンクは眠ってしまった。泣き疲れて目を閉じたきり動かない。あのロリカの廃屋で一晩を過ごした日も同じだったわ、一番最初にいつも眠ってしまうのよ、仕方が無いわとクイーンは笑みそっと彼女の隣に座り込んだ。
 彼女が使い古したソードはトレイの弓とともに立てかけられている。そんな彼女がシンクの隣で皆のマントを繋ぎ合わせている少し上では、眠ってしまったエースと手をつないでその顔を愛おしそうに眺めるデュース。彼女も同じ夢を見ていたはずだ。しかし、あの夢で流していた涙はもう乾いている。
「ジャック、アンタの刀も」
「お気に入り、だったんだけどな〜」
 残念そうに、しかし力なく呟くジャックはもう動けないようだ。エイトの隣でへらへら笑っている。仕方ないなと言ってエイトが立ち上がり刀を受けとると、酷く丁寧に弓へ立てかけた。
「もうこんなものはいらない、だろ」
 自らのグローブもその場に起き、ケイトとデュースからも武器を回収する。エースはカードを持ったままもう動かず、取り上げるのは可哀想だと笑った。
「そうさ。あたしの鎌だってアンタの槍だってもういらねぇよ。な、ナイン?」
「ん?あ、あぁ」
「…どうしたんだ?」
 どこか心此処に有らずと言った表情のナインは「いやよ、」と前置きしてから告げた。
「今誰が持ってたっけ?ほら、あの…イスカのバザーで買ったやつだ。俺らの隊長の遺品だ〜って曰く付きの」
「氷剣の柄か?それなら私が持ってるけど」
 セブンが手に持ち上げると、貸してくれと彼は言った。それに従って渡してやると、ナインは柄を握りしめ重たい腕を持ち上げ朝陽に当てた。
 薄い青に透き通る美しい柄はどこか見覚えがある。指揮隊長が使っていたものだと言う話だから当たり前なのだが、ナインはどこか嬉しそうに口の端を上げる。
「悪ィキング、これも頼む」
「…これは」
「クラサメのもんだったんだろ?思い出せねぇけど、俺らの隊長だって0組だぞコラ」
「そう思うなら、お前が置け」
 苦笑すると、ナインは口を尖らせた。
「そうしたい気持ちは山々だけどよ…なんかもう、動けねぇんだ」
「…分かった」
 キングは頷いてナインから柄を受け取ると、ケイトの魔装銃の隣に立てかける。その直後に「できました」というクイーンの声とともに広げられた旗ははりぼて。ボロボロの穴だらけのマントを繋ぎ合わせただけの旗はしかし、朱雀の色をしているだけで十分だ。
「これにくくりつければ、いいんじゃないのか?」
 黒板の枠か何かであったのだろう、細長い資材をエイトが引っ張ってくると、セブンが残った布で解けてしまわないようしっかりと縛り付ける。
「あっねぇ待って」
 後はこの旗を立てるだけ。ケイトは座り込んだトレイとキングの代わりに力仕事をしようと立ち上がったクイーンを呼び止めた。シンクの頭はサイスの肩に寄りかかっている。
 エースが倒れてしまわないように、器用にお気に入りの小さな鞄を下ろす。いくつもの魔晶石を取り出しては投げる。駄菓子の屑、まだ開けられていない飴玉の袋。リフレのマスターにもらったきりで傷んだおにぎり。くしゃくしゃになって諦めた再提出の課題。物を詰め込みすぎた鞄の奥底から出て来たのは小さなガラスのペンダント。
「これ…隊長のも置いてあげるなら、これもお願い」
「…これは?」
「あたしらの従卒の子にもらったお守り…多分。…覚えてないから、死んじゃったんだと思うけど、きっと大事なものだから」
「分かりました。これも置いておきますね」
 カランと小さな音を立ててペンダントは弓にかけられた。エイトと二人、せーの、と声を掛け合わせて朱雀の旗を立てる。その拍子にせっかくペンダントを掛けた弓や、不安定に立てかけていたソードと刀がドミノ倒しのように転がる。
「もう、大事にしてくださいよ」
 エースの手をしっかりと握ったデュースが茶化す。
「ごめんなさい、あまり、力が入らなくて」
「私も手伝うよ」
 立ち上がった拍子にふらついたが、セブンがジャックの重たい刀をそっと今度こそ倒れてしまわないように立てる。ペンダントは飛んでしまわないように柄へ絡め、そっと床に倒してやる。
 もう武器の一つだって、伝説を謳う朱いマントだって必要ない。
 ナインの赤い槍を一番の支えに根元に瓦礫を集める。
「…そうだ」
 再びシンクの隣に座り込み、一気に疲れてしまったのか俯いたクイーンを少しだけ寂しそうに見、セブンは告げた。
「今日…キングの誕生日だったよな」
「…本人は、もう、寝てしまってますけれど ね…」
 力なくそう笑うと、トレイも目を閉じる。
 気がつけばナインも動く気配を見せない。残るはセブンとデュース、そしてエイトだけだ。ケイトは食べかけのチョコを握りしめたままもう動かない。髪の毛が乱れたジャックがふざけた冗談を言う事は無い。
「もう、みんな寝ちゃいましたね」
 小さな声でデュースは零した。
「私もそろそろ、疲れたかな…」
「俺もだ」
 小さく笑ってからエイトはジャックの隣に座り込み、そっと自慢の髪型を直してやる。毎日鏡の前に立ってワックスで固め、髪型か授業かと問われれば間違いなく前者を取るジャックのことだ、こんな髪型では不本意だろう。
 しかし他人の髪の毛を弄るのは初めてなのか、はたまたすぐに飽きてしまったのかその手も止まり、そっと肩を寄せ合うだけになる。もうみんな寝たか?と消灯時間の後見回りに来る文官のような声をかけると、セブンは一つの返答すらもないことを確認してどこに座ろうかと見回した。
 皆が皆固く手をつなぎ、身を寄せ合う中でキングだけが床に転がってしまっている。誕生日の主役だけがそんなんでは可哀想だ、と教壇を降りて彼の大きな体を起こしてやる。完全に弛緩した体はとても重く感じたが、ねじ込むように体を押し込んでやると案外心地よい。12月の風は少しばかり寒く、幼い頃におしくらまんじゅうで暖を取り合ったことをわずかに思い出した。
 怖くないと。
 一瞬だけ陥っていた夢の言葉を反芻する。
「みんな、一緒だ…」
 セブンは最期にそう呟き、ゆっくりと口を閉じた。



 最後の一歩を。



「隊長」
 白い教室、白い机と白い椅子。
 それでも鮮明に記憶に残る教室は色とりどりだ。空になった菓子袋がケイトの机の上に放置され、教室に注ぎ込む陽の光は透明だ。
「ありがとう。隊長のおかげで…最後の一歩、踏み出せた。ずっと見ててくれたんだろう?」
「…その言葉を言うべきは私ではないだろう」
「分かってる。皆へ。けどアンタだって、アリアだって。二人とも0組だ」
 ゆっくりと微笑んで、そして、本当に嬉しそうな笑みを目の前の男は浮かべた。


「さぁ、授業を始めよう」
 振り返れば満面の笑みで席に着く仲間達。マキナとレムの姿が見えないが、彼らがこの白い教室にやってくるのはよぼよぼの老人になってからだ。いつか遠い未来でもう一度会ったとき、二人はきっとたくさんの知識を付けていることだろう。どうやって作物を育て、どのように自然とともに生きて行くかを身につけた二人に笑われてしまわないように、とクラサメは微笑んだ。
「ナインに渡してくれ」
 そう言って渡された新品の教科書を受け取り、セブンは席へ向かった。






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