デジャヴュ


 ひと際大きな音がした。
 それは拳を一つつくり、それを部屋の壁に勢い良く叩き付けた音だ。
 薄い壁は穴が開いてしまうかもしれないだなんて状況に的外れな事を考えながらも、カヅサはどこかぼんやりとした思考でその様子を見ていた。





 久しぶりに部屋の掃除でもしようとクラサメに手伝ってもらい、白衣を埃まみれにしながら箪笥を持ち上げその裏に転がっていた瓶の蓋に手を伸ばしたその時が発端だ。それまで黙々と作業を続け、時折カヅサが話す言葉に相づちを打っていただけのクラサメが口を開いた。
「早く終わらせてしまおう。私も自分の部屋を掃除したい」
「クラサメ君の部屋?あんな綺麗なのに、更に片付ける必要なんてあるのかい」
 カヅサはくすりと笑った。
 彼が武官になってすぐ割り当てられてから数年経った今でも殆ど変わらぬ家具には埃はあまりない。模様替えだって一度もした事無いその部屋の中では、クラサメが執務中にトンベリがはたきを持って埃を落としてくれているからだ。
 唯一デフォルトと違ったものがあるとすれば、そうしていつも掃除をしてくれるトンベリの為にベッド近くに置かれた籠だけだ。ふわふわの毛布と『着替え』のマントと服を入れる小さな棚だけが彼の個性を主張するものであり、勿論それもトンベリが掃除をしている為に汚れは無い。
 そんな部屋を掃除しようだなんて言うのだから、カヅサは首を傾げた。
「もしかして、トンベリと喧嘩でもしたかい?」
「…今日はしていない」
「じゃあどうして」
 目玉焼きにソースか醤油でよく一人と一匹は喧嘩していたが、今回はそうでもないらしい。
「別に…ただ、なんとなくだ」
 珍しく歯切れ悪そうに顔を背け、カヅサの手の中に鎮座していた銀の蓋を取り上げるとゴミ箱へ投げ入れる。綺麗な弧を描いて飛んで行った蓋はカラン、と音を立てて見えなくなったが、もうすぐ夕暮れを迎える西日を受けてそのクラサメの表情はよく見えない。
 眩しそうに目を細めながらも様子をうかがおうとしたカヅサの視界に入ったのは、どこか愁いを帯びたグリーンの瞳。
「何を、掃除するんだい?…いや、何を片付けるの、かな」
 視線をそらし、カヅサはそう漏らした。
「流石だな。察しが早い」
「答えてよ、クラサメ君」
「部屋を片付けるだけだ」
「…何の為に」
「自分の後始末は自分でしたいだけだ」
「答えになってない」
「先に箪笥を動かすぞ。これじゃあ邪魔だ」
「話を逸らすなよ!」
 かがみ込み、箪笥の片方を持ち上げた。
 仕方なくカヅサも反対側から手を添え、勢いを付けて持ち上げる。同じような色合いのシャツがたくさん入っているであろうそれはしかし、あまり重く感じない。元々がそこまで重くない素材であり、なおかつカヅサがほとんど着替えを入れていないからか、はたまたそんな事よりも頭の中を占拠し巡り巡っているどうにもこうにも悪い予感の所為なのかは分からない。
 なんであれ、どかす時はとても重たく感じたその箪笥は羽のように軽くあっという間にフリーザーと机の間に入り込んで行く。
「カヅサ、」
「…なんだい」
「忘れてくれ」
「え…」
「さっき言ったこと全部、だ。何も言わなかったことにでもしておいてくれ」
 手に着いた埃を払い、次はどこを掃除しようかと部屋を見渡した。
 水回りはもう終わっている。ベッドの下に転がって取れなくなっていた賞味期限切れのジュース缶も取った。電球が切れたままのライトも交換した。大量に積み上げていた洗濯物は全てランドリーへと無茶を言って押し込んで来た。
 もうこの部屋に掃除すべき場所は無かったようだ。あの瓶の栓が最後だったらしく、一歩引いて部屋を見回してみれば確かに朝よりもずっと綺麗になっていた。
 ベッドの上に散乱した着替えも、無造作に投げ捨てられた人の数に合わないスリッパも片付けた。
「これで本当に終わりだな。じゃあ…私は帰るぞ」
「待ってよクラサメ君」
 カヅサと目を合わせようともせずに彼は手袋と上着をまとって整然となった部屋から出て行こうとしたが、がっしりとその手首を掴まれる。いつになく険しい、そして怪訝な表情をした眼鏡の友人はその手で握ったまま口を開いた。
「言い逃げかい?気になるじゃないか。…なんとなく予想はつくけど、君らしくないね」
「分かってるなら今更言うことないだろう」
 溜め息を一つ零してクラサメは顔を背けた。
「それはそうだけど…予想がつくだけさ。君の口から聞きたい」
 それを見てカヅサは真顔をやめゆっくりと口の端を上げ、目を細めた。眩しいからなどではない。その目に映る斜め向いたクラサメの顔が、どこか不安げだったからだ。
 一見すればクールなだけだが、ふたを開けてみれば強気で勝ち気で負けず嫌いの友人がこんな顔を見せる事自体が久しぶりな上に、カヅサに鎌をかけるような素振りを見せるのもとても珍しい。常ならば言いたい事を真っすぐに言ってくるはずだ。
 なんて事を考えているうちにややあってから、クラサメは少し泳がせていた視線を上げた。
「次の作戦で…もう、この魔導院に帰ってこないかもしれない。ただそれだけだ。だから部屋を片付けようと思った」
 その言葉を聞くのはこれが初めてではない。
 何年も前、候補生として過酷な作戦に当たらされた時にはいつも前日にそう言ってはカヅサに部屋の片付けをさせていた彼だ。今と同じで『自分の尻拭いは自分で』なんて言いながら、記憶をなくした誰かに『他人』の部屋として片付けられるのは嫌だと言っていた。
 カヅサはその懐かしい思い出を脳裏に描きながら優しく微笑み、手首からやっと手を放した。
 そして自分より少しだけ低い身長のクラサメの体にぎゅうと手を回してから、力を込める。
「次の作戦もまた0組の支援なんだろう?大丈夫さ。なんてたって彼らはあの元朱雀四天王の君のとっておきなんだから。いつもボクに自慢してくれるよね。全員が全員、一騎当千だって。どんな作戦も完遂させてくるって。だから…」
「そうじゃないんだ」
 言葉を切るように彼は顔を上げた。どこか覚悟を決めたような瞳でまっすぐにカヅサを見つめ、打って変わってはきはきとした口調でクラサメは続けた。
「今回の作戦で朱雀は秘匿大軍神を召喚する。私はその決死隊の隊長だと」
「…は?」
「だから、死ぬんだ。死ぬかもしれないんじゃない。…0組の心配などしてないさ。彼らはうまくやってくれる。どんな状況下でも、どんな劣勢でも必ず生きて帰って来てくれる。いや…必ず、じゃないな。たまに死んでしまっているが…ドクターの秘蔵っ子はどうしてか次の日には…「クラサメ君!」」
 クラサメの体にまわしていた腕をがばりと離し、思い切りその肩を掴む。武官であり、戦闘もそのままこなす為にデザインされた上着には硬いアーマーがついていたが、そんな事は関係ない。手のひらに疼痛が広がるのを自覚しながらも、カヅサはそのままがくがくと前後に体を揺すった。
「なんでそんな大事なことを黙ってたんだ!」
「…どうせ言ったところでそのうち忘れると思ってな」
「そういう話じゃないだろう!あぁ確かに忘れるさ!君が死んだら!けど、君は死ぬまでボクに言わないつもりだったのかい?」
 鬱陶しそうにその手を肩から外しながら、クラサメは矢張り今度は目を離さずに首を横に振った。
「…本当に言った私が馬鹿だった。もういい、帰る」
「気にかけて欲しいから言ったのはクラサメ君だろう!」
「ッ…誰が!」
 再びつかみかかろうとしてきたカヅサの手首を逆に掴み返し、クラサメは声を上げた。
 カヅサは「言ってしまった」なんて言いたそうなはっとした表情になったが、引く事はできないと思ったのか強い力で掴まれたその手を剥がそうと更に手首を掴む。
「事実だろう?また軍令部長の気に障るようなことをしたんだろう?」
「私じゃない、0組だ!」
「じゃあその責任を死んで取るつもりかい?馬鹿馬鹿しい!そんな理不尽があるもんか」
「お前みたいな文官は知らないだけだ!」
「またそうやって軍人気取りかい?もううんざりだ!」
「生憎正真正銘の軍人だ!」
 カヅサの唾がクラサメに飛んだが、クラサメの唾はマスクに妨げられて飛ぶことはない。
 くぐもった声と科学者の全く噛み合わない声が交互に飛び交う。
 君は自分を大切にしない、そんなに0組が好きなら勝手に死ねばいい。ボクのことなんか、残される人間のことなど考えちゃいない自分勝手な君なんて消えてしまえばいい。カヅサが覚えている限り吐いた、そして吐こうとしていた暴言はまだまだ出てくるが、それを一つ一つ羅列していてはキリが無い。クラサメに吐かれた暴言も両の手に収まるかどうかすら怪しいレベルで幼稚な言い合いを続ける。
「肝心な時に限ってボクらをどうして頼らないんだ!クラサメ君にとってボクはその程度だったんだね!」
 その言葉を耳にして、クラサメはぴたりと動きを止めた。
 そして彼は乱暴にカヅサの手を振り払い、自由になったその拳を思い切り部屋の壁に叩き付けた。
 俯いた表情を伺い知る事はできない。青とも紫ともつかない不思議な色の髪の毛がふわりと下がり、低く唸るような声でクラサメは口を開いた。
「…もういい」
 彼はそう言った。
 言い争いを諦めたのか、それとも負けを認めたのか。顔を上げたそのかんばせからはすぅっと潮が引いて行くように表情を消えていく。彼は壁から手を離し、打って変わった静かな口調でカヅサに問いかけた。
「そもそもこんなことを言い出した私が全て悪かった。私がどう死のうとも、お前には関係ないことだからな」
「あぁ、ないね。君がどんなところでのたれ死んだところでボクはどうせ全て忘れてしまうんだ。勝手に…好きに死んでくれ」
「勿論だ。自由にさせてもらう。今まで世話になったな」
「そんな心無い言葉なんていらないよ。とっとと出て行ってくれ。もう顔も、声も、何も見たくない聞きたくない」
 肩を怒らせ、珍しく語尾を荒げたカヅサにクラサメは少しだけ目を丸くして驚いたような素振りを見せたが、すぐに「そうだな」とだけ告げて踵を返した。
 重たい扉の音がして、背中を向けた彼の二股に分かれたデザインの上着がカヅサを向いた。すぐにその端が見えなくなってしまう。
「…どうせ…こんな下らない喧嘩をしたことだって、忘れてしまうんだろう…?」
 その姿が完全に消え、ゆっくりと閉じていた戸が内側に閉まる。ガチャリという音がして自動的に扉は施錠され、カヅサの声はその目の前で閉ざされた壁のような扉に跳ね返り、自身の耳へと返ってくる。
 後悔なんてしてないよ、と彼は言い聞かせるように呟いた。
 今までのどんな睦言も暴言も消えてしまうのだ。カヅサに止める力など無い。これでよかったんだと再び彼は口にして、そっと扉から離れた。




 蒸し暑さが主張し始めた昼下がり、ベッドの上にカヅサは転がっていた。
 やけに綺麗になってもの一つ落ちていない床に、ゴミ箱の中に投げ入れられていた瓶の蓋。
 キッチンの水切りに転がされた中身の入っていない古い缶。確かに数日前に大掃除をした記憶はあるものの、あんなものまで片付けた記憶はない。ベッドに転がったまま横を向けば目に入ってくる家具の配置も少し変わっている。箪笥が前に出ているようだ。
 午前中、派手に研究室で薬品をぶちまけ、換気のために追い出された彼はようやく完成へと近づいた装置を手に部屋に戻って来ていた。
 筒状の装置の中に満たされた無色の液体に固定されているのは誰かの目玉。カヅサとは違う、美しい色をした瞳がこちらを向いているようにすら見える。
「…君は、『誰』だったんだろうね」
 諜報に目玉を頼んでいたのはカヅサ自身だ。死体であれ生体であれ、身体の一部からその人間の記憶を抽出し映像として映し出す。理論としてはなんとか確立していたその研究がようやく実際に目玉を使った段階までいったのだ。嬉しい事限り無しのはずだが、どこか空しさすら覚える。
 綺麗に伸ばされた視神経が広がるその筒を手を伸ばして取ると、これまたいつの間にか交換されている部屋の灯りにすかした。
「ボクはきっと、誰かを忘れてしまっている…。けれどそれを言ったところでもう、どうにもならない」
 それはカヅサの研究対象外だ。
 失った記憶を取り戻すだなんて事は面白い研究内容ではあるが、それにすら手をつけてしまっては一生かかっても解決できそうにもない。途方も無い魅惑よりもまずカヅサが成すべき事は諜報への謝礼だ。
 極秘裏にビッグブリッジやジュデッカで犠牲になった朱雀兵の内、なるべく高い階級の指揮官クラスで状態のいいものをと無理を言い回収して来てもらったのだ。
 げっそりとした表情でナギが目玉を渡してくれたのを覚えている。
 その目玉を試料として使う条件として、実験が成功した際にはその映像から戦闘データを取らせろという仕事がある。彼(若しくは彼女)がこれまで生を受けてからの情報などに興味は無い。カヅサの興味は成功するか否かという事だけ、諜報の興味は今後の戦術へ盛り込むためのデータだ。
「死人に口無し…まさにその通りだね」
 当たり前ではあるが言葉を返してくれる事の無い目玉はうんともすんとも言わない。
 再びその装置を腕を伸ばして机に置かせると、カヅサはそのまま横になったまま一眠りしてしまおうと目を閉じた。

 鴎歴八四二年空の月七日、ペリシティリウム朱雀が陥落するまでにカヅサ・フタヒトがその実験に成功したという記録は無い。





 桃色の花が風に乗って踊る。
 噴水広場の水が涼を運び、少年少女達の歓声と落胆の声が春鳥の音に混じる。
 ペリシティリウム朱雀の広場に集まったのは年端も行かない子供から、もう齢20を超えているであろう青年までよりどりみどりだ。揃いも揃ってグレーのスカーフを黒い制服の襟首に巻き、少し長いパンツの、女子は赤いスカートの裾を気にしている。
 集められた生徒たちは腕を後ろに組み、大きな扉の目の前に同じように立った水色のマントをつけた候補生の話を聞いている。訓練生として初めて魔導院に足を踏み入れた者、或はその訓練生として成績が認められ、希望クラスの隊長から課せられた課題と面接を全てクリアし晴れてカラーマントを身につける事が許された候補生の新入生。
 恐らく魔導院に所属する人間としての規範を語る生徒の後ろに控えている生徒が抱える色とりどりの布は彼らに手渡されるのだろう。
 各組の成績優秀者がそれぞれ理想を語る。
 ある者は栄光のために死ねと謳い、ある者は勉学に勤しむようにと釘を刺し、黄緑色の5組候補生は拳を振り上げて叫んだ。
 緊張な面持ちでそれら全てを聞いた後に院長であるカリヤが訓練生の憧憬に満ちた表情の目の前で候補生一人一人にマントを渡して行く。訓練生になったばかりの幼いアギトを夢見る者たちはその様子をキラキラと目を輝かせながらも固唾をのんで見つめており、そんな彼らと目が合う度にカリヤは微笑んだ。
 おめでとう、更なる活躍を期待します。
 そんな言葉をかけるカリヤの一言一言に生徒は頷き、早速薄汚れ始めたグレーのスカーフを取り去って空へ投げる。金色の金具が落ち、カランと音が立てば上がる笑い声。訓練生はその姿を夢見て手を叩き、施設の紹介をしますという先輩の声で再び沈黙する。
 各コースに別れてそれぞれ時間をずらしながら、と言われて眼鏡を掛けた一人の訓練生が階段に足を引っ掛けた。
「だいじょうぶ?」
 手を差し伸べたのは長い髪の毛の少女で、活発そうな外見をしていた。
 その手を取る事なく立ち上がった少年は「ありがとう」とだけ言い、促されるままに扉の奥へと進んで行く。巨大な魔法陣から発せられる赤い光でぼんやりと薄暗い院内はその他にもいくつも魔法陣があり、背筋を伸ばした候補生たちが姿を現す。
「君、そっちじゃないよ。まず僕らのグループはこっちだ」
 ついその姿に見とれてしまっていた少年はそう11組の先輩候補生に指摘され、慌てて踵を返す。
 少し赤みを帯び切りそろえられた茶色の髪の毛を振って足を進めると、恐らくコースが違うのであろう訓練生の集団とすれ違った。
 前衛の組を希望する彼らは少年と違い屈強(そうに見える)男子が多い。険しい顔つきをした少年、短い髪の毛をしたボーイッシュな少女。少年が──カヅサが希望した研究コースの生徒たちとは到底違う世界にも見える。
 しかしその中でふと、カヅサの視界に入って中々離れない少年の姿が見えた。
 額が見える短めの前髪。猫のように跳ね回るそれは薄い紫を帯びた青。だがカヅサの目を奪ったのはそんなものではない。挑戦的な表情でもなく、自信に満ちた瞳の形でもなく、その色だ。
 グリーンを帯びた色。
 深い海の底のような、しかし空色にも近い不思議な色をした瞳はどこか懐かしい。
 確かに少し珍しい色かもしれないが、格別という訳ではない。
 ただその真っすぐな瞳がカヅサの目を射貫き、背後の壁まで釘付けにしてしまったかのように動けなくなる。いつの間にかじっと見つめていたカヅサの視線に気付いた彼は振り返り、見つめ返していたのだ。
「…あ、あの」
「お前は?」
 おろおろと声をかけようと口を開いたが、カヅサが何か言うよりも先に少年の方が頭の上に疑問符を浮かべてそうな口調でそう言った。
「ずっと俺の方見てただろ。何かあるのか?」
 カヅサの前に人は居ない。グループは先にクリスタリウムという資料室へ向かうと聞いていたから、もう行ってしまったのだろう。同じようにカヅサに相対する少年の後ろでは彼と同じグループであろう少年たちが期待に満ちた瞳を見せて魔法陣に乗り、姿を消して行ってしまっている。
 だがしかしそれを気にした様子もなくその凛々しい少年はカヅサだけを見つめている。
「あ、いや、その…ごめん。なんでもないんだ。つい見とれてた」
「は?」
「キミの目。綺麗な色だったから」
「大して珍しくもないだろう?」
 首を傾げるその仕草も、分かりやすい表情の変化も。どこかカヅサの脳裏に焦げ付いたものがあるが、はっきりとそれを思い出す事はできない。そもそも思い出すべき事などではないはずだ。この少年とカヅサはこの日、この場所で初めて顔を合わせたので違いは無い。
「そう…なんだけど。そうだ。名前を聞いてもいいかい?」
「俺はクラサメ。クラサメ・スサヤ。お前、変な奴だな」
「変…そうだね。ボクはカヅサ・フタヒト。一応11組希望なんだけど、どうなることやらね。同じ授業は少ないかもしれないけれど、よろしく」
 悪意を籠めているようではないが、思ったままを声にしてしまう歯に衣着せぬ物言いだ。だが何故かカヅサはそれを不快に思う事はなかった。そんな自身に首を傾げたい気持ちを抑えながらも、差し出されたクラサメの綺麗な手に気付く。
「これも何かの縁なのかもしれないな。…訓練生になったところで候補生になれる確証なんてない。お互いカラーマントをもらえるように、よろしくな」
 最前衛を希望すると言った彼とカヅサが切磋琢磨できることは少ない。なんて事を言ったが、クラサメは「いいじゃないか、そんなこと」とクラサメはにかりと笑った。気持ちが大事なんだなんて根拠も無い事を言いながらも見せたその眩しい程の笑顔につられ、カヅサも頬を緩めて目の前にあるその手を握り返した。






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